01 女性の失踪事件
「マリー。すぐに助けてやるからな」
ジョスとナタンを見送った後、固い決意を胸に、傭兵団が走り去った先へ目を向けた。
彼女が見せた泣き顔。そして、セリーヌと大司教の顔が次々と頭を過ぎる。一刻も早く、何が何でも、無事に助け出さなければ。
その時、丘陵の草原に何かを捉えた。マリーが零した涙のようにも見えるそれは、陽光を照り返して光っている。
「旦那、どうしたんスか」
背後に聞こえたエドモンの声。それを無視して駆け出すと、左肩からラグが飛び立った。
俺を追い越して目的地へ着地したラグ。ようやく追い付いたその場所には、マリーへ預けた加護の腕輪が寂しげに残されていた。
「位置情報を探られないよう、わざと捨てていきやがったか」
腕輪を拾い、土を払って革袋へ収めた。マリーの抱える不安。それが手に取るように伝わってくるから、余計につらい。
「敵は慎重にも見えるけど、甲冑を晒していたり、間抜けな所も多いね」
背中へレオンの声が掛かった。
「確かにな。まぁ、お陰で俺たちは手掛かりを得ることができて、逆に助かったけどな」
「ひょっとしたら、急にお嬢ちゃんを攫うような話になったのかもしれないねぇ」
レオンを追って、ドミニクが近付いてきた。俺は言葉の意味がわからず、レオンの肩越しにその顔を伺った。
「どういうことだ?」
「いやね、ちょっと小耳に挟んだ話だけどねぇ。あいつら、歓楽街の警護をする見返りに、かなり優待されてるらしいんだわ。持ちつ持たれつって奴で、近隣から女をかっ攫って娼館へ沈めてる、なんて噂まであってねぇ」
「マリーを娼館に、ってこと?」
平静を装っていたレオンの顔が、途端に鬼気迫る形相に変わった。まるで、すべての責任をドミニクへ押し付けるかのように。
「そんな顔で俺を見ないで欲しいねぇ。あくまでも噂さ。まぁ、あれだけの容姿だ。目を付けられてもおかしくないよねぇ」
レオンの怒気に押され、仰け反りながら頬を掻くドミニク。当たられているのは可哀想だが、今はマリーの心配が最優先だ。
「確かに、俺たちがオルノーブルに寄った時も、女性の失踪事件が噂になってたんだ」
大衆酒場で見聞きした、女性店員のパメラと男たちのやり取りが頭を過ぎった。
「マリーも聖女なんて異名を持ってるくらいだからな……霊峰の寺院にいた頃から目を付けられていてもおかしくねぇ。Gに狙われるのも、傭兵どもに狙われるのも、時間の問題だったってわけか……」
俺たちも、今まで以上に危機感を持って行動しなければならない。
「どういうわけか、碧色様の周りには美女ばかり集まる。本当に羨ましい話だねぇ」
薄ら笑いを浮かべ、おどけた調子で話すドミニク。彼なりに、場の空気を和ませようとしてくれているのだろう。
「シルヴィの姐さん、セリーヌ嬢、マリー嬢。クセのある美女ばっかりっスけどね」
指折り数え、エドモンも苦笑する。
「アンナの名前が抜けてるぞ」
「アンナ嬢はちょっと違わないスか? 可愛いとは思うっスけど、色気が足りないっス」
「後で本人に伝えとくわ」
「ちょっと、リュシアンの旦那!」
狼狽えるエドモンの姿が可笑しくて、こんな状況だというのに笑いが漏れてしまう。
ぎくしゃくしていては雰囲気が悪くなる。四人という少数だからこそ、団結が大切だ。
「がうっ!」
忘れるなと言わんばかりに、ラグが吠えた。
その様子に苦笑しながらレオンを盗み見ると、依然として全身へ怒りを漲らせていた。触れたら斬り刻まれそうな空気を纏ったこいつへ、渋々声を掛けることにした。
「ふたりが乗ってきた馬の所へ案内してくれ。すぐにオルノーブルの街に向かおう。それから、魔導通話石を貸して欲しいんだ」
「どういうこと?」
「シャルロットに連絡を取りたいんだ」
歩き出しながら、レオンは興味もなさそうに通話石を投げて寄越した。それを空中で掴み取り、通話用の窪みへ指先を添える。
「シャルロット。聞こえるか」
『リュシアンさん!? 突然いなくなるし、どうしちゃったんですか!?』
間髪入れずに、待望の声が聞こえてきた。
「悪い。ちょっと取り込み中でな。それより大丈夫か? 賊どもに何かされてないか?」
『賊、ですか? 何もありませんけど……あのですね。リュシアンさんが勝手にいなくなるから、フェリクスさんが困っていましたよ』
「は? シャルロットにも伝言を頼んだよな」
それでなくとも王都に入った以上、俺の身に何かが起こることくらい容易に想像がつくはずだ。
『王の左手たちに紹介するって言ったのになぁ、って。凄く不満そうでした』
どこまで身勝手な人なんだ。世界が自分中心に回っているとでも思っているのだろうか。
『そうそう。フェリクスさん、酷いんですよ。話の途中で、ちょっと待ってろ、って急にいなくなっちゃって。大きな音と男の人たちの悲鳴が聞こえてきて、凄く怖かったんですよ』
「は? それってもしかして……」
『そしたら、鼻歌を歌いながら戻ってきて、もう大丈夫だ、って微笑んでくるんです。もう、何のことだか意味がわからなくて』
間違いない。シャルロットを付けていた賊たちは、フェリクスさんの一撃であっさりのされたんだろう。
「軽い脅しのつもりで後を付けさせただけなんだけど、こいつはまいったねぇ……」
ドミニクは苦笑しながら頬を掻いている。とにかく、シャルロットが無事でよかった。
「安心したよ。何事もなければそれでいいんだ。親父さんからも、護衛を頼まれてるしな」
『それだけですか』
「は?」
なぜか、沈んだ声が妙に引っ掛かる。
『父の頼みだから、リュシアンさんは私の安否が心配なんですか?』
問い詰めるような、棘のある声が響く。それは鼓膜を通じ、俺の心へ深々と突き刺さってくるような錯覚がした。
「いや。そういうわけじゃ……」
『だったら何ですか? 私はリュシアンさんにとってどういう存在なんです? 単なる、ギルド職員のひとりですか?』
じりじりと首を絞められるような詰問を受け、通話石を握る手に力が籠もってしまう。
「そんなことねぇって。兄貴を探す手伝いまでしてくれて、いつも感謝してる。今回の嘆願書だってそうだ。俺はいつも助けられて、支えられてたんだよな。ありがとう」
『感謝されるのは嬉しいですけど、私が聞きたいのはそんな言葉じゃないんです……でも、今はその言葉だけで良しとします。直接会って、リュシアンさんの口から、きちんとした形で気持ちを聞きたいですから』
落ち着きを取り戻した彼女の口調に、ほっと胸を撫で下ろしている自分がいる。顔を見て話したいのは俺も同じだ。声だけを届けて結果を告げるなど、余りにも残酷で卑怯だ。
「いいかシャルロット。とりあえず、なるべく早い時間の馬車でヴァルネットへ戻れ。用事を済ませたら、俺もすぐに戻るから」
俺の思い過ごしならそれでいい。オルノーブルの街といい、このモントリニオ丘陵といい、終末の担い手が絡んでいることで不穏な気配が漂い続けているのは間違いない。
『だったらここで待ちます。リュシアンさんを待つことには馴れていますから』
「は? なに言ってんだよ」
予想もしなかった返答に困惑してしまう。
『きちんと元気な姿で私の前に帰ってきて、さっきの答えを聞かせてください』
「それはわかった。だから今は、俺の言うことを聞いてくれ。頼む!」
左肩にはラグ。周りにはレオン、エドモン、ドミニクの姿もある。しかし、そんなことを気にしている場合じゃない。
『何をそんなに焦ってるんです? 今、この王都には、王の左手やランクSの冒険者が揃っているんですよ。お城にだって近衛騎士団や宮廷魔導師もいるんですから。どこよりも安全だと思いません?』
「それはそうだけど、だからこそ心配ってこともあるだろ」
『リュシアンさん、そんなに心配性でした?』
明るく笑う声を聞かされると、なぜか益々、不安ばかりが募ってしまう。
そんな俺を救うかのように、不意に背中へ手が置かれた。慌てて顔を向けると、ドミニクが穏やかな笑みを浮かべて俺を見ていた。
「無闇に不安を煽る必要はないよねぇ。ここはひとつ、彼女の言うことを信じるのが一番なんじゃないの」
小声で耳打ちされたその言葉。確かに、不安を感じているのは俺の勝手な憶測でしかない。王都へ来る途中でも、馬車はウルスの襲撃を受けた。確実な安全なんてどこにもない。それなら、帰りも俺自身の手で護衛してやるのが一番納得のゆく選択だろう。
「わかった。用事を済ませて、なるべく早く戻る。もう少しだけ宿で待っていてくれ」
『わかりました。リュシアンさんも気を付けてくださいね。怪我なんかして戻ってきたら、泣いちゃいますからね』
「大丈夫だ。信じてくれ」
通話を終えると、温かい気持ちが胸を満たしていた。待っていてくれる人がいる。そんな当たり前のことを無性に嬉しく思った。





