16 炎竜王セルジオン
馬型魔獣カロヴァ・クルス。その漆黒の巨体が、明確な殺意を向けてきているのがわかった。鼻息を荒くしながら地を蹴り、今にも飛びかかってきそうな勢いを見せている。
ラファエルたちの方がより近くにいるが、彼等には目もくれない。竜牙天穿の力を目にして、俺の方が危険な存在だと認知したのだろう。
だが満身創痍の俺を警戒したところで、これ以上なにがあるわけでもない。余りの情けなさに笑いすら込み上げてしまう。
こんな俺に興味を失ったラファエルは、竜臨活性を解くと、仲間へ視線を巡らせた。
「行くぞ」
俺と馬型魔獣を残し、四人は歩き去ってゆく。本当に勝手な奴等だが、こんな状態では怒りすら湧いてこない。
結局、あいつが持つ力の秘密を聞く事もできなかった。俺だけがひとり、混乱の真っ只中に取り残されたまま。
悔しくて堪らない。どれだけ努力しようと、眼前に現れる障害は高さと強度を増してゆく。
自分の力に慢心しているつもりはない。それどころか、竜の力に頼りすぎているんじゃないかとさえ思っている。俺に竜臨活性の力がなかったら、しがない中級冒険者として終わっていたのかもしれない。
奥歯を噛み締めて立ち尽くし、絶望的な現実へ立ち戻った。そういえば、ドミニク、ジョス、ナタン。誰も姿を見せない。最悪の状況が頭を過ぎったその時、ついに魔獣が勢いよく地を蹴った。
角を突き出した前傾姿勢で、一直線に俺を目掛けて迫ってくる。呼吸をする事も忘れ、急速に迫る死の影を必死に睨み付けた。
「くそっ!」
あの巨体を避けきれるはずがない。敵を寸前まで引き付け、どうにか動く右脚へ力を込めた。そのまま、転がるように右方へ飛ぶ。
「がっ!」
直後、左半身を襲う強烈な衝撃。
角の一部に胸を突かれ、柱のような太い前脚に腹部を蹴り付けられていた。
体が大きく浮き上がり、背中から思い切り地面へ叩き付けられた。衝撃に呼吸が止まる。
幸い、落下地点には獣人の遺体があった。それが衝撃をいくらか緩和してくれたようだ。おまけに血だまりへ体を打ち付け、冒険服が赤黒く染まり始めている。気分は最悪だ。
それにしても、半身を持って行かれただけでこの威力だ。いよいよ勝てる気がしない。
腹部から背中へかけての激痛を堪え、肘を付いて上半身を起こした。敵の姿を探すと、後方へ駆け抜けて行った魔獣は方向転換をして、再び俺を狙っているようだ。
「でも、諦めるわけにはいかねぇんだ……」
幸運にも、俺には竜の力がある。力を持たざる者でなく、持つ者の側に立った。持つべき者として認められようとは思わない。ただ、持たざる者をひとりでも多く救うための手助けになりたいと思っているだけだ。
「だからこそ、あんたの力が必要なんだ」
呻くように発したつぶやきは、自分の内へ向けたものだ。
炎竜王セルジオン。彼の力が、今こそ必要だというのに。
ジュネイソンでの戦いの後、火球となってラグの体内へ吸収された炎竜王。あの時、確かに力添えすると言っていたはずだ。俺が、力の引き出し方を掴みかけているとも。
でも、あの日以来、一度もその存在を感じていない。出し惜しむというより、俺を、人間を毛嫌いしているのかもしれない。
「俺が死ねば、全部終わりなんだぞ……」
今の俺に残された手は、一刻も早く炎竜王の力を呼び覚ますことだけ。彼は絶対に消滅したわけじゃない。俺が絶望的な状況に陥らない限り、力を貸すつもりはないのだろう。
だとしたら、今がその時じゃないのか。こんな俺を見てもまだ、傍観を決め込むのか。
「答えろ。炎竜王!」
両肘を付いたまま、地面へ吐き捨てるように叫んだ。それが引き金となったのか、けたたましい音と共に大地が震えた。
息を吐き、恐る恐る顔を上げる。すると、獣人たちの遺体を蹴散らしながら、血を跳ね上げて迫る巨大な影が迫っていた。
死にたくない。こんな所で終われない。
俺にまだ、やれることがあるというのか。こうまで追い詰められているというのに。
魔獣は頭を下げ、先程よりも低い位置で俺を狙い撃つつもりだ。これは避けきれない。
「やってやるよ……」
身を起こし、半ばヤケになりながら腰の革袋へ手を伸ばした。その間にも、魔獣は脇目も振らずに突き進んでくる。
魔獣が大地を蹴り付ける振動と、俺の心臓が打ち鳴らす鼓動が重なった。わずかでも判断を誤れば、ここで完全に終わりだ。
革袋をまさぐり、どの魔法石かもわからないまま、無我夢中で一握り分を取った。後は魔獣を引き付けて、これをぶちまけるだけだ。
漆黒の魔獣が、いよいよ眼前二メートルへと迫った。狙い澄まし、握った腕を振るう。
「これでもくらえ!」
この魔獣が人の言葉を理解していたのかはわからない。ただ、俺が魔法石を投げ付けると同時に、それらを軽々と飛び越えたのは事実だ。完全に見透かされていた。
カロヴァルの驚異的な跳躍力。それを改めて思い知らされた。あいつは魔法石を飛び越えただけでなく、俺の背後へ着地したのだ。
絶望を抱えて振り向くと、折り畳まれた後ろ脚が視界へ飛び込んできた。この強烈な蹴りを受けた瞬間、勝負は完全に決する。
咄嗟に、顔の前で腕を交差させていた。こんなもので防げるとは思わないが、せめて頭部だけは守ろうという苦肉の策だ。
「裂破創造!」
突如聞こえた声と共に、足下が激しく震えた。すると交差させた腕の隙間から、魔獣の足下へ変化が起こる様が見えた。
なんと、一抱えもある岩柱が幾本も突き出し、敵の後ろ足と腹部を貫いたのだ。
魔獣は痛みと驚きにいななきを上げ、激しく藻掻いている。
「空駆創造」
突然の事に反応できなかったのは俺も同じだ。呆然と見ている俺を置き去りに、横手から何かが大きく舞い上がった。
それは人影。風の魔法で脚力を高め、林の木々を超える高さへ跳躍したレオンだった。
両手で握った剣の刃を足下へ向け、魔獣を目掛けて落下するつもりだ。
だが、レオンの落下速度より魔獣の反応が勝った。岩柱に囚われながらも背中のコブへ残された五本の触手が蠢き、一斉に彼へ突き出された。
このままではやられる。危機を察した俺はもう一度、革袋へ手を伸ばしていた。
『斬駆創造』
林の木々を掻き分けるように、レオンとは異なる男女の声が重なった。顕現されたふたつの風魔法が、魔獣へ襲い掛かる。
圧縮された風の力が触手を払った。続く風の刃は、三本を半ばから断ち落とす。
同じ魔法でも、顕現される効果を変化させた見事な連携攻撃だ。
「斬駆創造」
レオンがダメ押しとばかりに、上空から風の魔法で攻撃。剣先から生まれた風の刃が触手を切り裂き、コブへ強烈な一撃を見舞った。
「マリー嬢、さすがっス!」
茂みから出てきたのはエドモンだ。朱色の法衣を纏った体は、相変わらず重そうに映る。
「すぐに手当てをするわ」
側へマリーが駆け寄ってきた。凜々しさを増した顔付きは別人のようだ。わずか三ヶ月で、ここまで変わるとは驚きだ。
「俺は後回しでいい。一緒に来た三人の賊がいるんだ。近くで散り散りに倒れてるはずだから、そいつらを先に助けてやってくれ」
正直、立っているのがやっとだが、竜臨活性の効果も続いている。ドミニクたちの方が一刻を争う状態に違いない。
マリーは頷くと、彼等を探しに慌てて走り去った。そうして戦場へ視線を戻せば、レオンに首筋を刺された魔獣が、巨体を振り乱して彼を振るい落とそうと藻掻いていた。
「轟響創造」
必死に食らい付くレオンは、敵の首筋に刺した剣先へ電撃魔法を浴びせた。刃を伝った紫電が、魔獣の体へ流れ込む。
振り落とされ、地面を転がるレオン。だがその時にはもう、杖を構えたエドモンが次の魔法を完成させていた。
「斬駆創造」
至近距離から風の刃を見舞った。ランクSの魔導師による攻撃魔法だ。その一撃は、並の剣士の力量を遙かに上回る。
喉元を切り裂かれた魔獣は、血を撒き散らしてよろめいた。最早、首の皮一枚で繋がっているような状態だ。
そこへ素早く駆け込んだレオンが、手にしたソードブレイカーを一閃。魔獣の頭部が落ち、巨体は派手な音を立てて崩れた。
刃に付いた魔獣の血を払うレオンと、額を拭って息を吐くエドモン。先程の連携といい、この三ヶ月の成果が大いに現れていると見て間違いない。
「後一歩遅れていたら、危ない所だったね」
レオンが冷ややかな目を向けてくる。小馬鹿にされているようで、無性に腹が立つ。
「リュシアンの旦那。この借りはツケでもいいっスけど、必ず払ってくださいね」
エドモンがいやらしく笑う。どいつもこいつも、中身は相変わらずだ。





