15 満身創痍
このまま殺されて終わるのか。うつ伏せに倒れた体には力が入らない。
気付けば、周囲には血だまりができている。俺の体から流れ出したものなのか。それとも獣人たちのものなのか。それすらも判然としない。
すると、視界へ映っていたラファエルの足が不意に向きを変えた。
「この程度か」
退屈そうに側へ転がる獣人の遺体を蹴り、後ろ姿が遠ざかってゆく。
「終わりだ。引き上げるぞ」
「生かしておくのか?」
モルガンの間の抜けた声が聞こえた。
「飽きた。おおよその力量も見えた」
俺に対して完全に興味を失ったらしい。落胆の込もった声と足音へ、幾人かの物音が続いてゆく。
敗北の悔しさより、命拾いしたという事実に安堵していた。生きていれば必ず次の機会は巡ってくる。今はそれ以上に、訳のわからない状況を理解するのが先決だ。
直後、横手の茂みからドミニクが現れた。倒れた俺の腕を掴み、自らの肩へ掛けながら助け起こされた。
「随分と派手にやられたねぇ」
「俺を助けてる場合じゃねぇだろうが」
「放っておけんでしょ」
八つ当たりだとわかっているが、つい口調が荒くなってしまう。
ドミニクの左手には、ジョスの長弓が握られている。隙をみて回収したのだろうが、まともに動けるのはこいつだけだ。
「俺はいいから、あいつを何としても倒すんだ。ただし、こいつは返してもらうからな」
ドミニクの胸を押して体を遠ざけながら、右手へ握られた革袋を奪い返した。そうして、込み上げる苛立ちを言葉として吐き出す。
「魔法石の塊なんか持って、敵を道連れにするつもりだったのか? あのインチキ導師も魔導師の端くれだ。この程度じゃ死なねぇよ」
大サイズの魔法石を複数ぶつけるのならともかく、市販の石を掻き集めたところで本物の魔法には到底及ばない。
「見透かされていたとは驚いたねぇ」
ドミニクは、バツの悪そうな顔で苦笑する。
俺が深手を負ってしまったため、苦肉の策として自滅を選んだのだろう。そこまで追い込んでしまったことは本当に申し訳がない。
「敵の注意をなるべく引き付けてくれ。俺にはまだ、切り札がある」
俺の言葉に、半信半疑の表情を浮かべるドミニク。ためらいがちにひとつ頷くと、足早に茂みへ紛れた。
ラファエルたちを目で追うと、カロヴァ・クルスと呼んでいた魔獣と対峙し、終末の担い手の姿を見上げている。
「碧色はくれてやる。俺たちは退散だ。貴様が何をしようと、知った事ではない」
ラファエルの言葉が信じられなかった。あの魔導師は見過ごせるような相手じゃない。
彼等四人は、道を譲るように魔導師から離れて行った。俺たちの視界を遮る障害がなくなると同時に、終末の担い手の忍び笑いが聞こえてきた。
拡声魔法を解かないということは、俺にわざと会話を聞かせているのかもしれない。
「碧色の閃光、か。あいにく私とて彼に用はない。終末へ向け、時を推し進めるが先決」
激しい怒りが込み上げる。そもそも俺など眼中にないということか。
「ふざけんじゃねぇ。逃がしてたまるか! ドミニクの部下を解放しろ」
それに、あいつには確認すべきことがある。
「Gへ、マリーを攫えと指示したのはてめぇだな。しかもあいつの死体を処分するために、山道でベアルをけしかけてきたよな!?」
すると、奴は不敵な笑みを浮かべた。
「笑止。彼には魔獣を分け与えたのみ。本人の意思で動いていたに過ぎない。確かに、あの娘に興味は沸いたが」
そう言って、口元を指でなぞる。
「遺体の処分に関しては、君の推察通り。彼の身元を調べられては色々と面倒なのでね」
予想通りだ。でも、マリーの一件がGの独断という話はしっくりこない。彼女の力を利用するつもりだったんじゃないだろうか。
ジュネイソンの時計塔で相対した、女魔導師のカロル。彼女は、Gの背後でもっと大きな力が動いていると言っていた。
終末の担い手。この男は俺が思っている以上に危険で、更なる力を隠し持っているのかもしれない。
暴れるように激しく脈打つ鼓動。それに反して、動きを失ってゆく体がもどかしい。
先程のラファエルとの戦いで、左肩へ電撃魔法を受けた。おまけに腹部へも紫電の一閃の欠片を受けている。左半身が痺れて感覚がない。右脚へ体重を乗せ、どうにか体勢を保っているような満身創痍の状態だ。
手をこまねいていると、奴の鳴らした指笛が丘陵へ大きく木霊した。何かの合図に違いないが、何が起こるのか見当も付かない。
終末の担い手が俺を見据えている。蝶の仮面の下で、その口がいやらしい笑みを形作る。
「君は油断のならない相手だ」
その言葉へ従うように、馬型魔獣が動いた。
モルガンたちにやられたのだろう。体中に傷を受け、魔獣の動きは鈍くなっている。背中のコブから生える触手も、切り落とされたのか五本にまで減少していた。その内の一本が、唸りを上げて迫る。
大木すらも容易く破壊する、太さと威力を持つ一撃だ。竜臨活性の力を帯びているとはいえ、こんな状態で避けられるはずがない。
息を呑むと同時に、その動きがとてもゆっくりと感じられた。死ぬ時は走馬燈が過ぎるなどと話も聞くが、そんな事は全くない。
すると、触手とは反対方向から飛来した一本の矢が目に入った。恐らく、ドミニクが無我夢中で放った一撃だったのだろうが、触手の勢いに容易く撥ね除けられてしまった。
竜牙天穿を放ったところで、敵との距離は二十メートル以上。もっと近付かなければ容易に避けられてしまう。
こんな中途半端な状態で終わるのか。兄とも、セリーヌとも会えないままに。
後悔が胸を埋め尽くす中、痛みへ備えるように歯を食いしばった。目前に迫った触手を睨み、全身へ力が籠もる。
覚悟を決めた直後だ。横凪の強烈な一撃は、耳へ触れるか触れないかという位置で、凍り付いたように急停止したのだ。
何が起きたのかわからない。安堵の息が漏れ、恐怖と混乱の入り交じった言葉にできない感情が、頭と心を支配している。
すると、魔導師の笑い声が聞こえた。
「いい顔だ。恐怖と絶望に彩られた最高の顔」
弄ばれている。そう思った途端、恥辱による悔しさと怒りが胸を満たした。
怒りを噛み殺すように奥歯へ力を込めると、奴の口元が追撃するように動き始めた。
「実に面白い。退屈しのぎに一度だけ機会を与えよう。だが、君はダメだ」
俺を狙っていたのとは別の触手が動き、林の中へ素早く消えてゆく。直後に聞こえてきたのは、生木が折れる音とドミニクの悲鳴だ。
頭上で鳥の鳴き声が響いた。視線を向けると、王都から俺たちを見張り続けていた巨大な鳥が降下してきている。
よくよく見れば、やはりグラン・エグルだ。しかも、両足には鉄製の巨大な檻をぶら下げている。
檻の中へ十人ほどの人影が見えた。その身なりから、彼等こそ助けに来た賊たちだとわかる。余程衰弱しているのか、檻の中でうずくまったまま、誰ひとり動く気配がない。
終末の担い手は風の魔法で跳躍し、グラン・エグルの背へ飛び乗った。
「リュシアン君。カロヴァ・クルスは置いてゆく。この窮地を退けることができたなら、オルノーブルの街まで追ってくるといい」
このまま逃がすわけにはいかない。まだ辛うじて動かす事のできる右腕へ力を込め、魔法剣を強く握り締めた。
残る魔力の全てを拳へ注ぎ込み、剣もろとも右腕を突き出した。
「竜牙天穿!」
剣先から放たれた巨大な球体は、絶大な破壊力を秘めた魔力の塊だ。それはまるで竜の力を再現したような荒ぶる力だ。
大鷲型魔獣は飛び上がる予備動作の状態。このまま消滅させることは十分可能だ。
大地を抉り、碧色の魔力球が飛ぶ。それにいち早く気付いたのは馬型魔獣だ。魔力球の陰から、脇へ駆け出す姿を捉えた。しかし、大鷲型魔獣は未だ飛び立つ気配を見せない。
完全に捉えた。後は馬型魔獣さえどうにかすれば、この場を収めることができる。そんな期待が頭を過ぎった時だ。
「雷鋭・竜飛閃」
横手から、三日月型をした紫電の一閃が飛来。敵へ迫った魔力球と衝突し、大気を激しく振るわせた。
甲高い轟音と閃光が弾け、衝撃が生まれた。体が持って行かれそうになるのをどうにか耐えながら、衝撃の中心地へ目を凝らした。
互いを喰らい尽くさんばかりの勢いでぶつかった竜の力。激しく打ち消し合い、後には何も残っていない。
俺はもう、立ち尽くすしかなかった。切り札もなくなり、体も動かない。そんな俺を嘲笑うように、檻を掴んだままのグラン・エグルが上空へ舞い上がってゆく。
「馬鹿が。助けに来たはずの人質を、自分の手で殺すのか」
責めるようなラファエルの声が聞こえたが、今の俺にはどうでもいい些細な問題だった。
終末の担い手を取り逃がした。その絶望的な事実だけが重くのし掛かっていた。





