10 碧色の名と、すれ違う胸の奥
ヴァルネットへ戻ったその日の午後。
三人で冒険者ギルドへ顔を出すと、泣き出しそうな顔のシャルロットが、勢いよく駆けてきた。
「リュシアンさん、怪我はなかったですか? 本当に心配したんですよ!」
「あぁ、問題ねぇ。おまえは衝立の具合だけ心配してくれればいい」
「ひどっ! っていうか、昨日のこと、まだ根に持ってるんですね」
「まぁな。俺は心が狭い男だ」
「そんなこと、自分で言わないでください!」
軽口を叩き合いながらも、その声色に混じる安堵は隠しようがない。
こういうところは、素直に可愛いと思う。
「とにかく、お帰りなさい。ささ、受付で討伐報告を済ませてください」
談笑していたセリーヌとナルシスを呼び、報酬受領の手続きに向かった。
報告されたルーヴの数が当初の想定より多かったため、ランクールの街長が追加報酬を申し出てくれた。
だが、セリーヌは即座に首を振る。
『そのお金は、どうか復興にお使いください』
あの柔らかな声でそう言われ、街長は目に見えて感激していた。
しかも俺は見逃さなかった。
彼女が人目を避けるようにして、そっと紙幣の束を手渡していたことを。
冒険者登録の際に換金した宝石。それを、惜しげもなく寄付したのだ。
豪胆というより、あまりにも自然体だった。
気負いのない優しさが、ひどく眩しい。
去り際、セリーヌとナルシスをそれとなく引き離し、街長とふたりで言葉を交わした。
寄付を無駄にしないよう釘を刺しつつ、俺自身の目的についても伝える。
あの街長なら、きっと上手くやってくれる。そう信じられた。
「結局、報酬は三万ブランか。ひとり一万ずつだな。セリーヌがランクDへ昇格するには、累計三十万ブランの功績が必要なんだ」
「このような戦いを、幾度も……。おふたりとも、大変な研鑽を積まれてきたのですね」
長い道のりだ。
だが、彼女なら必ず辿り着く。
「それから、今回は共闘になったけどさ。本来は、後追いで受けた依頼は先発者に討伐の優先権があるんだ。依頼達成なら、ギルドと先発者に手数料を払って報酬を分け合う。偶然の遭遇でも原則は同じだ……最悪、偶然を装った横取りも起こり得る」
忠告しながら、ふと重要なことに思い当たった。
「ちょっと待て。ルーヴ・ジュモゥ……あの大型魔獣の報酬はどうなるんだ?」
思わず身を乗り出し、カウンターの向こうで事務処理を進めていた女性職員に詰め寄る。
ここぞとばかりに、ナルシスが割り込んできた。
「命を落としかけた、危険極まりない相手だったんだ。それに見合った報酬を頼むよ」
「おまえはダメだ。俺とセリーヌで山分けだ」
「待ちたまえ! 僕の閃光玉がなければ、君もやられていただろう」
「じゃあ百歩譲って、閃光玉の代金だけ払ってやる。それで我慢しろ」
「おふたりとも、少しは恥を知りなさい」
セリーヌの叱責は、よく通る。
「山分けなんて、とんでもありません。ナルシスさんは一割。リュシアンさんは三割です。そして私が六割を……」
とんでもない守銭奴がいた。
俺とナルシスは、同時に冷めた目を向ける。
「あの……冗談ですからね。そんな目で見ないでください……。仲良く三等分で、よろしいではありませんか……」
顔を真っ赤にして俯く姿には、愛嬌があった。
「あの〜。ちょっと!」
中年の女性職員が声を張る。
「大型魔獣については、正式な討伐依頼が確認できません。対象外ですので、報酬は発生しませんね」
「は? 冗談だろ。どう見ても討伐対象ランクAかSの相手だったぞ」
「私に言われても困ります!」
この開き直り方。ベテランの貫禄だ。
「ってことは、泣き寝入りかよ……」
「ギルド本部の調査隊から、非常に稀少な個体だったと連絡が来ています。研究対象になれば報酬検討の余地はありますが……遺体の損傷が激しすぎる、と」
一拍置き、彼女は言った。
「まるで、伝説に残る竜撃のようだ、と」
心臓が、止まるほど跳ねた。
天をも破壊すると言われた竜の一撃、竜撃。
それは、俺の力の正体を示す言葉でもある。
だが、そこに触れられるわけにはいかない。
「がう?」
左肩でラグが首を傾げた瞬間、セリーヌが静かに近づいてきた。
「とにかく、危険な魔獣は退治できたのです。それで良しとしましょう。あまりにも嬉しいので、今夜は山盛りのボンゴ虫をいただきたい気分です。いかがですか?」
「いや。まったく……」
顔が引きつる。
そういえば、彼女は残念な人だった。
助けを求めてナルシスを見る。
「竜撃とは、興味深いね」
「今はボンゴ虫の話だ」
「あいにく、僕は満腹でね」
面倒な男が、妙なところに食いついてきた。
「まぁ、それはそれってことで。じゃあ、これにて解散だ」
「待ちたまえ!」
逃げかけた腕を掴まれた。
腕輪に巻いていた黒のバンダナが床に落ち、ナルシスの目が見開かれる。
「その腕輪……赤ライン。君のランクはAか!?」
「だから秘密にしてたんだよ。面倒だから」
「ナルシスさん、知らなかったんですか?」
「シャルロット。黙ってろ」
なぜか誇らしげな彼女を遮ると、ナルシスは震える声を絞り出した。
「ランクA。そして剣が帯びる色……まさか君は、碧色の閃光!?」
「そうですよ」
「なんでおまえが答えるんだよ」
「うひぇぇぇっ!」
ナルシスが派手に飛び退いた。
「有名なのですか?」
セリーヌまで、興味津々といった表情を向けてくる。
「はい。ナルシスさんは史上最年少のランクC昇格者ですけど……リュシアンさんは、史上最速のランクA昇格者なんです!」
「余計なことを……」
「なるほど。さすがですね」
セリーヌに認められるのは嬉しいが、照れ臭さがそれを上回った。
「気付いたら上がってただけだ。二つ名なんて、ギルドから勝手に付けられたあだ名みたいなもんだ」
「またまた。二つ名は、特別な功績を挙げた方にしか贈られないんですから」
肘で突かれて、返答に困る。
「名誉なことなのですね。私もいつか、そんな二つ名がいただけるのでしょうか?」
「間違いねぇ」
根拠はない。
だが、確信はあった。
規格外の美女。
いや、破壊の申し子。
それとも、強欲の守銭奴か。
美人で、天然で、愛嬌もある。
いずれ、名が轟くだろう。
「リュシアン・バティスト。君を超える冒険者になってみせる!」
ナルシスは、涙目で拳を握る。
「その前に、名付けの感覚を磨け。共闘は二度としねぇけどな」
「覚えていろ!」
三流悪役のような捨て台詞を残し、ナルシスはギルドを飛び出していった。
その背を見送り、セリーヌが小さく笑う。
「楽しい方ですね。甘辛ボンゴ虫も、美味しい美味しいと涙を流して召し上がられて」
「あれを食わせたのか……」
断れなかっただけだろう。
あいつもあいつで、大変だったらしい。
しかし、これでようやく一段落だ。
俺の目的は道半ばだが、あとはランクールからの報せを待つしかない。
「依頼も終わったし、ここで解散か……セリーヌはどうするんだ?」
別れが、胸の奥を小さくざわつかせる。
「しばらく、この街に留まるつもりです。探しているものが、近くにある気がするのです」
その言葉に、ほっとする自分がいた。
「探しものなら、手伝わせてくれないか」
気付けば、口が勝手に動いていた。
「あの〜。何の話ですか?」
シャルロットが、険しい顔で割り込んでくる。
「こっちの話だ。詮索するな」
「ひどい……私という者がありながら、この人に手を出すつもりですか!?」
「は?」
直後、セリーヌがゆっくり後ずさった。
胸元を押さえ、危険人物を見るような目。
「嘘をつくな! 俺が、いつシャルロットに手を出した!? そんなことしたら、おまえの親父さんだって黙ってねぇだろ。怒りを買って、ギルドを除名されてるぞ」
シャルロットは、セリーヌの前に立ちはだかり、両腕を広げた。
「気を付けた方がいいですよ。リュシアンさん、スケベで有名なんですから。今だって、あなたの胸ばっかり見て……」
セリーヌは純白のコートを引き寄せ、胸元を覆い隠してしまった。
「誠実そうな方だと思っていたのに……」
「違うって言ってるだろ!」
「それ以上は近付かないでください。あなたとの行動は、お断りさせて頂きます」
小さく、しかしはっきりと告げると、彼女はギルドの扉の向こうへ消えた。
こんな終わり方があっていいのか。
胸の奥が、鈍く沈んだ。





