01 天然の美人魔導師
「頼む。この依頼を、あきらめてくれないか」
眼前に立つ絶世の美女に訴えた。しかし、必死の説得もまるで響いていない。
「これは、私にこそ相応しい依頼です」
「その根拠はどこにあるんだ?」
アーモンド型の大きな目が瞬き、長いまつ毛がふわりと揺れた。
口元に添えられた指先の所作は上品で、冒険者というより富裕層の令嬢を思わせる。
「いや……信じられない、って顔はやめてくれ。君が言い張る理由を聞いてるんだ」
思わず強まった声が、冒険者ギルドの集会場に響いた。
周囲の視線が集まるのを感じるが、この依頼だけは譲れない。
「おい、見ろよ。すっげぇ美人……」
騒ぎを聞きつけた冒険者たちが集まり、俺と同じ反応を見せている。
「一緒にいる男って、碧色の……」
野次馬がうるさい。
無言で睨むと、彼らは足早に散っていった。
だが、見とれる気持ちは痛いほどわかる。
女神が人の身を得たかのような美貌。整いすぎた顔立ちに、柔らかな雰囲気。不思議と品の良さまで兼ね備えている。
どう見ても、ただの冒険者じゃない。
「あれ?」
思わず声が漏れた。
胸元まで流れる濃紺の髪。この地方では珍しい色だ。
深い夜を思わせるその色が、ふと母さんの面影と重なる。
郷愁が胸をよぎると同時に、こんな状況で一目惚れをした自分が情けなくなった。
「とにかく、だ」
浮つく意識を振り払い、衝立に貼られた依頼書へ視線を向ける。
「なんでこの依頼にこだわるんだ。竜を探すわけでもあるまいし、並の冒険者なら見向きもしない狼型魔獣の討伐だぞ。しかも受注は早い者勝ち。優先権は俺にある」
「竜を……探す?」
細く形の良い眉が跳ね、彼女の纏う空気が、わずかに張り詰めた。
「いや、たとえ話だ」
「そうですよね。絶滅したと言われている竜を探すなど、夢のような話です」
薄く笑うその表情に、胸の奥がざわついた。
「待ってくれ。それとこれは別だ」
俺が思い描く夢を、軽く否定された気がした。
絵空事だと決めつけられたくはない。
「夢を夢のままで終わらせるのか?」
胸の内が熱を帯びる。
誰に笑われようと、この想いだけは失いたくない。
「俺は今でも信じてる。どこかで、竜は生きてる。その方が浪漫があるだろ。俺の最終目標は、竜を見つけることなんだ」
彼女は衝撃を受けたように目を見開いた。
だが、その瞳はすぐに別の決意へと塗り替えられる。
「ご立派な目標だと思います。ならば、この依頼は私にお任せください」
「待て。そうはならねぇだろ」
依頼書へ伸びた彼女の手を制するように、俺も腕を伸ばした。
体がぶつかり、彼女は体勢を崩して衝立に肩を打ち付けた。
「悪い、大丈夫か?」
倒れかけた衝立を支えた瞬間、小走りの足音が近づく。
冒険者ギルド経営者の娘で、案内係のシャルロットだった。
十八歳とは思えない手際の良さで、冒険者からの信用も厚い。
彼女が来てくれれば、ひとまずは安心できる。
「リュシアンさん、壊したら弁償ですよ!」
「心配する所が違うだろうが。それに、ぶつかったのは俺じゃねぇ」
困惑を吐き出すと、美女に睨まれた。
「あなたが折れてくだされば、こうはなりませんでした」
「無茶言うな」
頬を膨らませる彼女を見て、溜め息が漏れる。
シャルロットが困ったように首を傾げた。
「どういうことです?」
「依頼を譲れって言うんだ。説得してくれ」
「私に丸投げですか?」
「頼むって。俺、なんか疲れたわ……」
「ならば、この依頼は私に任せてください」
豊かな胸に手を当てて力説され、つい視線が吸い寄せられてしまう。
すぐにシャルロットの深い溜め息が落ちた。
「では、これは一旦、私が預かりますね」
お下げ髪を揺らし、衝立から依頼書を剥がした小柄な少女。
その目に、うっすらと涙が滲んでいた。
「シャルロット?」
「目の前の美男美女に、打ちのめされました」
「彼女はともかく、俺なんて……」
刺繍入りのミドルエプロンとシャツ。
住み込みで働く大衆食堂の仕事着だ。
「馬鹿を言わないでください。男らしい眉、獲物を見定める切れ長の目、通った鼻に色気のある唇。野性的な髪型も、全部最高です!」
「……お、おう」
さすがに照れる。
頭を掻く俺をよそに、シャルロットは美女へ鋭い視線を向けた。
「まさか依頼を取り合うふりをして、リュシアンさんに近付いたんですか?」
「いえ。そんなつもりは一切ありません」
即答。なぜか、胸が少しだけ痛む。
「そうですか」
嬉しそうなシャルロットに腕を引かれ、美女から数歩離れた所へ移った。
「この依頼、何かありますね?」
「事情を抱えた親子が絡んでるんだ。どうしても助けてやりたくてさ」
十才の少年と母親。その顔を思い浮かべると、シャルロットから羨望の眼差しを向けられていた。
「やっぱり素敵ですね。最近は涼風の貴公子っていう冒険者が評判ですけど、私はリュシアンさんを一番に応援していますからね」
「涼風? 知らねぇな……」
「細身剣を使うそうです。剣で力強く戦うリュシアンさんとは、戦術が違いますね」
ふと、シャルロットの視線が美女へ戻る。
「ところで、あの女性。どう思います?」
「どうって?」
「杖と法衣で、魔導師なのはわかります。でも……上着の下、ずいぶん派手ですよね。紺を基調に金の装飾で、胸元もかなり開いていますし。丈も短くて、体の線がくっきり」
言葉は抑えているが、職員としての違和感が滲んでいる。
「まったく問題ない。むしろ、素晴らしいものを見せてもらったと思ってる」
「そういう所ですよ、リュシアンさん……」
「俺にはもっと過激な装備の知り合いもいるからな……それよりも、希少な存在の魔導師が単独行動っていう方が気になる」
あの不思議な言動だ。魔法の腕もそれなりで、パーティを追放されたのかもしれない。
「仕方ありませんね。今回は私も協力します」
シャルロットが美女へ近付こうとしたその時だ。表で鋭い笛の音が響いた。
あれは、衛兵の警笛だ。
「緊急事態だ。様子を見てくる」
外へ出ると、武器屋と道具屋の店主が街の入口を睨んでいた。
「また魔獣らしいぞ」
「定期便の馬車が追われてる。東門の先だ」
舌打ちが漏れる。
人が襲われている。考える余地はなかった。
「剣を借ります。代金は後で!」
返事を待たず、店先に立て掛けられていた一本を掴む。東門へ全力で走った。
頭より先に体が動く。こういう時、俺はいつもそうだ。
門が見え始めた頃、背後に気配を感じた。
「なんで君がいるんだよ!?」
振り返ると、例の美人魔導師がついてきている。
「私にも手伝わせてください」
「俺が先行する。魔法で援護を頼む」
口論している場合じゃない。
商業都市の人混みを抜け、門をくぐる。
視界が一気に開け、街の喧騒が背後へ遠のいた。
気付けば、後ろを走っていたはずの彼女がいない。
「あいつ、はぐれたのか?」
探している時間はない。加勢など、最初から期待していなかった。
「ここは俺だけで充分だ」
街道は長く、まっすぐに伸びている。
土煙の向こうで、隊列を組んだ六騎の衛兵が必死に馬を走らせていた。
そのさらに先。一台の馬車が逃げるように揺れている。それを囲む、三つの影。
漆黒の体躯。風になびく黒い鬣。地を蹴る脚は異様なほど力強い。
「カロヴァルか……」
美しい外見とは裏腹に、獲物を前にすれば凶悪さを隠さない馬型魔獣。
「面倒なのに絡まれたな」
剣を握り直す。
武器屋から適当に持ち出した一本だ。正直、頼りない。
それでも、やるしかない。
無意識に、右手の甲へ視線が落ちた。
痣のようにも見える、竜を象った紋章。それが、碧色の淡い光を帯びている。
今や伝説となった竜。
俺が竜の力を宿していると言ったら、どれだけの人が信じるだろう。





