第九十二話 聖魔兵
東大陸西端に位置するムルタブス神皇国。
総人口約二十万人と五十万の旧エドラキム帝国や三十万だった旧バッフェ王国に次いでの大国である。
中央大陸のレゴ・ハルフェーリ神皇国、北大陸のマルオラ神皇国、西大陸のソロンテ神皇国と同様、この世界最大の宗教である「ラモ教」の東大陸における総本山。
ラモ教は大地の創造神ラモによってこの世の人々にもたらされた聖魔法を信奉する。
神に与えられた御技たる聖魔法によっての人々の救済を国是としており、各国に司祭を派遣して日々病気の治癒や怪我の治療を行っている。
そのムルタブス神皇国皇都セスオワ。
中央神殿の議場では神皇に仕え、実質的な指導者である十二神官が集まっていた。
「さて、皆に集まってもらったのは他でもない」
現神官長であるジャランチ・パルモ卿が切り出した。
「ボーガベル帝国の事じゃな」
ナンバー2の中道派グヒル・シヂィ卿が応える。
「左様。彼の帝国との今後について皆の意見を聞きたい」
「意見も何も帝国は今や百万国家に迫る勢い。とても我が国がまともに渡り合える相手ではないわ」
「うむ、バッフェやエドラキムを驚くほどの短期間で打ち破る兵力、我が国の神聖騎士団を持ってしても……」
「しかし、例の一件で帝国との関係は冷えたままじゃ。如何にしたものか……」
例の一件とは約一年前、ガラフデ王国でのボーガベル王国女王エルメリアをムルタブスの保守派が拉致しようとし、軍事衝突した事件だ。ムルタブスの艦隊が女王の召還魔法に敗れ、両国の関係は断絶同然になってしまった。
「このままでは遠からず帝国の侵攻を受ける事になるだろう。それだけは避けたいものだが」
「いや、手はあります」
そう言ったのは最年少の神官、ペルド・ファギだ。若干二十五歳。件の事件の責任を取って隠居したアマド・ファギの息子である。
「ほお、いかなる手かな? 若きファギ卿よ」
そう言った改革派の神官シモレ・キブフの言葉には侮蔑が込められている。
――若輩の新参者がしゃしゃり出るでないわ。
「ボーガベルの兵の大半は聖魔法による魔法人形との事、ならば我々も同じ兵を揃えれば良いのです」
ペルドは全く意に介する風でもなく持論を述べる。
「しかし、そう簡単な事ではないぞ。報告では魔導核なる魔石に魔法陣を掘り込んだ物が魔法人形を動かしているらしいが」
中道派のギニ・ブニン卿が重々しく言った。
これは旧バッフェの司祭が帰国の際に持ち帰った情報だ。
ボーガベルのクラベス司祭から話を聞き独自に調査もしたが結局魔導回路を持ち帰る事すら出来なかった。
実際その司祭は帰国の際に光魔導回路をこっそり隠して持ち帰ったのだが、厳重にくるんだ筈の包みのなかにある筈の光魔導回路は跡形も無く消え失せていた。
「確かに人と同じ大きさの魔法人形を作る事のできる魔導核を作成する事は我が国では不可能でした。しかし、外をご覧下さい」
十一人の神官は窓から下の広場を覗く。
「おお、あれは………」
そこには全高六メートル程の大きな魔法人形が立っている。
全身を鈍い灰色の硬質岩で覆われた身体。
丸い饅頭のような頭部の目の部分にはぽっかりと穴が開き、その奥には青白い光が浮かんでいる。
世に言われるゴーレムと言う名が相応しい姿形と言えた。
「魔石に刻印を施す術は我が国にもあります。それを応用してここまでの大きさにする事に成功しました」
ペルドが窓の外に合図を送ると魔法人形がゆっくりと動き始めた。
少し先に藁人形に鎧を被せた物が十体ほど置いてあり、そのうちの一つ目掛けて手に持った槌を振るう。
緩慢な動きだが槌は藁人形を根こそぎ吹き飛ばした。
「おおっ!」
神官達から驚きの声が上がる。
そのまま残りの藁人形を刈り取るように薙ぎ払い、魔法人形は動きを止めた。
「うーむ、これは素晴らしい」
保守派のデンボ・キドラ卿が殊更驚きの声を上げた。
「全ては神の賜物たる聖魔法の成せる業。魔法人形を量産すれば帝国を恐れる事はありません」
ぺルドがその少々神経質そうな顔に薄く笑みを浮かべた。
「少なくとも国土を防衛するには頼もしそうではあるな」
シモレ卿が少々苦々しそうに言った。
「うむう、よし。ファギ卿よ、早速この魔法人形、いや、聖魔兵と名づけよう、量産に取り掛かってくれ」
「聖魔兵、良き名前ですな。分かりました」
「とは言え聖魔兵はあくまで切り札だ。帝国との融和工作は引き続き続ける。セスト卿」
「はっ」
改革派筆頭のカナル・セスト卿が応える。
「卿の娘、巫女姫ウルマイヤを特使としてボーガベルに遣わしてもらいたい」
「ウルマイヤを……ですか?」
「うむ、例の件でウルマイヤはダイゴ帝と知己を得ている。ならばダイゴ帝に対する使者としては一番の適任であろう。それに……」
パルモ卿が言い淀んだ。
セスト卿はすばやく察する。
ウルマイヤをボーガベルに献上しろと言いたいのだ。
だがそれはムルタブスの敗北を肯定することになる。
他の、特に保守派の神官たちの前ではおいそれと言えないことであった。
「わかりました。早速準備をさせましょう」
興味無さそうに聞き流している態のファギ卿の瞳がチカッと光った。
「最優先されるのは国体と信仰の維持。皆それを肝に銘じるように」
パルモ卿の言葉を持って会議は終了し、十二人の神官は議場を後にした。
神殿内のカナル・セストの公室。
議場より戻ったカナル卿は真っ先にウルマイヤを呼び出した。
「ボーガベルへ行けと?」
変わらぬ淡い藍色の髪を揺らし、歌うような声でウルマイヤは応えた。
「ああ、例の件でお前はボーガベルのダイゴ候……今はダイゴ帝か。その帝と知己を結んでいたな」
「は、はい……」
ダイゴの名を聞いてウルマイヤは顔を赤らめた。
分り易すぎる娘の反応に無関心を装いながらカナルは話を続ける。
「その伝で何としてもボーガベルとの国交を回復させたい」
「それはつまり……」
ウルマイヤの頬に更に朱が差した。
「うむ、輿入れ、いや、献上と言う事になるだろう」
献上姫や奴隷姫が何も敗戦国に課せられた物ではない。
現に旧ボーガベル王国がエルメリア達三宝姫をエドラキム帝国に献上して占領後も一定の自治権を得ようとした。
ウルマイヤの顔色が瞬時に変わる。
父カナルの言葉は既にボーガベルとムルタブスの関係がそこまで来ていると言う事を示している。
「それではムルタブスは帝国に滅ぼされると……お父様、ダイゴ様は決してそのような非道な行いをする方では……」
「ああ、お前が会ったダイゴ帝は無思慮に他国を滅ぼすようなお方では無いことは分かっている。だが彼がそうであっても国家という物はままならないの物なのだ。現にエルメリア女王の件で帝国と我が国の関係は未だに最悪の状態だ。我が国でもそうであるように帝国でもムルタブス滅ぼすべしと言う声が強まっていて不思議は無い」
「それは分かりますが……」
仮にも一国の君主を不法に拉致しようとしたのだ。本来なら即座に開戦になってもおかしくは無い状況だった。そうならなかったのはひとえにダイゴのウルマイヤに対する配慮のお陰である。
だがボーガベルからは商人の往来の制限等の経済制裁を受けている。
エドラキム帝国と合併し、そちらからの交易路が断たれれば死活問題に繋がりかねなかった。
「未だに保守派の勢力は絶大だ。神官長が中立なバルモ卿になったから抑えが利いてるものの、ファギの倅のような好戦者があのような物を押し立てれば交戦は避けられまい」
カナルはウルマイヤに今日アマド・ファギの息子ペルドが持ち込んだ聖魔兵の事を話した。
「そ、そのような恐ろしい物を……なぜ我が国が……」
「アマドの倅は聖魔法の御業などと言っていたが、あれはどう見ても隷属の首輪と同じ呪文式が使われておる」
「で、では……」
「禁断の法を以てすれば帝国に勝てると踏んでいるのだろう。真に危うい話だ」
「分かりました。ダイゴ様に何としても戦争を回避するように御願いしてみます」
「うむ、神官としてでは無く、一人の父親としてお前にその様な重責を担わせる事を許しておくれ」
本来であればこの件はカナル本人がボーガベルへ出向いて行うべき事だった。
だが彼はアラルメイル神皇から直々に依頼された隷属の首輪と保守派の繋がりを探るのに手一杯だった。
「そんな、私は寧ろ感謝しております。私が国の、いえ、神の御役に立てるのでしたら……」
そう言った後、ウルマイヤは部屋を後にし、一人カナルは思いにふける。
当初、カナルはウルマイヤのボーガベル行きには否定的だった。
娘を奴隷姫として差し出すことにも抵抗があったが、何よりアラルメイル神皇猊下の御傍付きという役目を放棄することになる。
今神皇国にいる神官や巫女でも復活魔法を行使できるのはウルマイヤしかいない。
だがウルマイヤのボーガベル行きを提案したのは他ならぬアラルメイル神皇であった。
「ウルマイヤは神の代行者たるダイゴ殿の元にいるのが一番良いと儂は思う。儂の身体の心配をしてはならない」
事前にパルモ卿とセスト卿を呼び出したアラルメイル神皇は静かにそう言った。
全てを察し、見通しているかのアラルメイル神皇猊下の言葉にカナルは改めて感服し、この決断に至った。
「せめて……彼の国で幸せになって欲しいものだ」
巫女姫でありながら復活魔法が使えず不遇の死を遂げた妻を思い、カナルは呟いた。
一方自室に戻り、寝台に倒れこんだウルマイヤの顔には喜びが溢れていた。
「ああ、神よ。再びあのお方に巡り会える機会を与えて頂き感謝致します」
あの一件ですっかりウルマイヤの心はダイゴ一色になってしまった。
流麗な黒髪黒眼の快男児。
眩いばかりの高威力魔法の使い手。
優しさに溢れる性格。
全てにおいて彼を上回る男性はいないのではないかとウルマイヤは思う。
そのダイゴ帝に自分は献上されるのだ。
彼の手が自分の裸身に触れる事を想像すると体の奥が熱くなってくる。
「だけど……」
この献上にはムルタブスの命運が掛かっている。
失敗は即ムルタブスの滅亡に関わるのだ。
奴隷流通で利益を上げていたガラフデ王国に隷属の首輪を売っていたのがムルタブスの保守派と知った時、ウルマイヤは大いに失望した。だが父であるセスト卿たち改革派が力を盛り返し首輪の製造工房を閉鎖させるなどの改革に乗り出した。
良き方向へ向かっている祖国を出来れば失いたくない。
だがその一方でダイゴの為ならムルタブスを差し出しても構わないという心も彼女の中にはあった。
「必ず成し遂げて見せるわ。ムルタブスと私自身の為」
ウルマイヤは決意を新たに窓から東の空、恐らくダイゴがいるであろう方向を見た。
同時刻、ファギ家の屋敷
「そうか、魔法人形、いや聖魔兵の採用が決まったか」
私室で大きな安楽椅子に凭れながらアマド・ファギは息子ペルドに言った。
「はい、父上。万事順調です」
「聖魔兵さえ揃えばボーガベルなど恐れるに足らん。あの屈辱の礼をたっぷりとしてくれるわ」
アラルメイル神皇の命脈を保つ為に若返りの魔法が使えるエルメリア女王を拉致した廉でアマドは当のアラルメイルから神官を罷免された。
ムルタブスの神官は世襲の為、すぐに息子ペルドが神官を継いだが、依然として強い実権をアマドは持ったままで、未だに保守派の筆頭と言える立場だった。
「しかし、パルモ卿は聖魔兵はあくまで自衛にのみ使うと仰ってましたが」
「ふん、臆病者のパルモ卿らしいわ、案ずるな。ちゃんと手は打ってある。お前は一刻も早く聖魔兵を揃えておくれ」
「……分かりました、あとセスト卿が自分の娘を和平の使者に送るそうです」
「何! ウルマイヤをか!ううぬ、カナルめ……」
「改革派主導で和平など結ばれては……」
「いや、これは使えるぞ……一石二鳥……いや三鳥になるやもしれん。誰ぞあの商人を呼んで参れ!」
アマドが家人にそう申し付けて三十ミルテ程で、彼らの前に奇矯な姿の男がひざまづいて現れた。
「アマド様におかれましてはご機嫌麗しいご様子。ドンギヴ・エルカパス、お呼びにより参上いたしましたでござりまする」
紫の髪の優男はそう言って笑った。
ボーガベルがエドラキム帝国を併合し、ボーガベル帝国になって半年が過ぎ夏になった。
カイゼワラの風光明媚な海岸。
普段は皇帝としての業務を自らキチンとこなすダイゴだが、この日はコピーに任せて眷属達とカイゼワラに来ていた。
元々ダイゴの領地だったカイゼワラ州は新帝国建国後も「天領」と呼ばれるダイゴの直轄地である。
ボーガベル王族改め帝室専用の浜辺に浮かぶカーペットのデッキチェアの上で彼方の荒れた海の上にぼんやりと浮かんで見える巨大な岩塊を眺めながらクフュラの報告を聞いていたダイゴは呟いた。
「それでティティフの進捗は?」
「……主な建築物はほぼ完成した。水晶宮殿は何時でも使える」
担当のシェアリアがすぐさま答える。
「そんじゃ早めに引っ越すか。メルシャ、物資の搬入の手配を」
「もう、殆ど積み込みは終わってます~」
「しっかし、ご主人様もよくこんな途方もないことを思いつく……にゃ」
ダイゴの脇で冷えたガラスコップに入った果実酒を呷りながらニャン子が溜息をつく。
ガラスコップはダイゴの提唱する「新帝国戦略工業製品群計画」の一つであるガラス生産による製品の一つだ。
「天領」であるカイゼワラ州はこの計画の中心地として一大工業地帯に変貌しつつあった。
とは言え、元の世界での煙突から黒い煙を朦々と噴き上げるような工場群では無く、中小企業の町工場然とした建物や工房が並ぶ工業団地といった風情。
ここではガラスの他、石鹸、塩、金属製品、茶や珈琲を含む加工食品等が生産され、隣接する物流拠点で魔導輸送船に積まれて国内及び国外の物流拠点に運ばれていく。
「ああん? ニャン子クン、浮かぶ城は男なら誰でも夢見る浪漫の結晶だよ? やれる力があってやらなくてどうするのさ」
ダイゴがニャン子が好きな、人差し指の背で喉をコロコロとさすりながら言う。
「ううん……全く分からないけどまぁご主人様のやること……にゃ。文句はない……にゃぁ」
そう言ってニャン子は甘えるようにダイゴに縋り付いた。
ダイゴ達のいる帝室専用海岸からでもその巨大さがよく分かる空中帝都ティティフ。
こちらの世界の言葉で「中心」と言う意味を持つ、全長十キルレ、全幅二キルレ、全高五百メルテの岩盤状の構造物の下部に十六基の力場制御基を備えた超々巨大ゴーレム。
バッフェと合併した頃に数多のSF作品や漫画に出てくる「空に浮かぶ城」を実際に作るとダイゴが言い出したときは流石にシェアリアを始め一同口をあんぐりと開けたままだった。
ダイゴのいた世界では空想上の産物とはいえかなりメジャーな物だが、この世界の人間にとっては空に浮かぶ陸地と言う概念が無かったのだから無理も無い。
実際土魔法による力場制御の魔法技術が無ければ不可能な代物で、本体を構成する為の魔導核の作成だけでも一月は掛かり、本体の構成に丸一年以上掛けたという破格の代物だ。
もっとも帝国政府の機能は現在カーンデリオのグラ・デラに置かれているので実質はダイゴの居城、そして魔導戦艦ムサシやアジュナ・ボーガベルを格納し、一万体以上のゴーレム兵を収容。
その他様々な武装が格納されており、移動要塞としての意味合いも強い。
ダイゴに言わせれば、
「だって普段しまって置くとこないじゃん。物置だよ物置」
とのことだが、空中に浮かび移動する難攻不落の要塞帝都。
これの意味するところが単なる物置では無い事は確かだった。
『御寛ぎの処申し訳ありませんマスター』
バッフェ地方でムルタブスとの国境を接する都市セドアの執政官ジョージから念話が入った。
『構わんよ、どうした』
『今しがた国境にムルタブスの使者と名乗る一団が到着し、通行の許可を求めております』
ムルタブスは現在新帝国側の商人の往来だけが許可されており、その他は例え神官と言えども通れない。
『使者? 目的は?』
『はい、マスターの皇帝就任のお祝いと、それを機に国交回復の話し合いをしたいと』
『ふうん、そろそろ頃合いかなぁ。どう思う?』
ダイゴはニャン子の反対側で寄り添っているエルメリアに聞いた。
「皇帝陛下のお心のままに」
「だーかーらー、その皇帝陛下はやめてくれよ」
「あら、どんな呼び名でも構わないと仰っていたではありませんか」
「言ったけど流石にエルメリア達に皇帝陛下って言われるのはこそばゆいわ」
「うふふ、分りましたわご主人様」
『で、誰が来たんだ? 十二神官位は来てるのか?』
『はい、全権特使としてウルマイヤ・セスト巫女姫がお見えになっております』
その念を受けたダイゴの顔つきが変わった。
『ウルマイヤが来てるのか! よし、会おう。金宿に通して明日にでも会議の設定をしておいてくれ』
『畏まりました』
「ウルマイヤが来てるそうだ」
「まぁ、ウルマイヤさんが。ならば良い方向にお話が進みそうですわね」
「そうだな」
最後に別れた時の目に一杯涙を貯めたウルマイヤの顔が思い出される。
ムルタブスの状況はセイミアの直轄になったモシャ商会改めサクラ商会の商人に探らせているが、現時点では保守派はアマド・ファギの失脚によって力を削がれ、改革派が主権を握っているという。
「ご主人様、風が強くなってきましたわ」
そのセイミアの言葉に西の方を見ると黒雲が湧き上がっている。
「そうだな、そろそろ切り上げるか」
「……ティティフへの引っ越しは?」
「すまんが、まずはムルタブスが先だ。物資の搬入だけ手配して置いてくれ」
そう言ってダイゴ達はアジュナ・ボーガベルに戻り、そのままセドアに向かった。





