第八十七話 一騎駆け
ボーガベル軍本陣ではダイゴとエルメリア達眷属が雄叫びを上げて突進するメアリアを見守っていた。
「まぁ、いつものっていやぁ何時ものだよなぁ」
椅子にどっかりと座って片肘をついてダイゴがぼやいた。
ここ最近の戦いはセネリとのツートップだった為、久々の単独先行で張り切っているのだろう。
それはダイゴも十分に承知はしている。
「やはり一騎駆けは騎士の誉れですから」
「……ご主人様、そろそろ良い?」
にこやかに言っている戦闘礼装姿のエルメリアの横でうずうずした様子のシェアリアが催促する。
「おう、いいぞ」
ダイゴがそう言うやその口を吸ってシェアリアは少し先に駆けていくと魔導杖を翳す。
「殲滅魔法!」
シェアリアの目前に黄色い魔法陣が展開される。
「『雷電爆撃』!!!」
刹那、彼方の帝国陣営の重装騎兵の後方に位置する歩兵や弓兵の頭上にも巨大な魔法陣が浮かび上がった。
幾重にも複雑な文字、アルファベットやギリシャ文字、更には漢字すら浮かび、それが立体的に重なって動いている魔法陣。
帝国の兵達が頭上に浮かんだそれを見上げた瞬間。
ドドドドドドドドドドドドドォオオオオオオオオオンン!!!!!!!
凄まじい轟音と共に激しい爆雷が彼らに降り注いだ。
「ぎひいいいいいいいいいっ!」
帝国陣のサクロスは突如目の前が轟音と共に真っ白になり、たまらず悲鳴を上げ、顔を覆った。
周囲の『赤髪』や『緑髪』は目を覆い、幕僚達は頭を抱えて地に伏した。
「な、何だ……何が……」
轟音がやみ、目を開けたサクロスの放った言葉は途中で途切れた。
前方にいた筈の軽装騎兵や歩兵たちが消滅している。
大地には恐らくそれらだったであろう黒い消し炭が一面に覆っているだけだ。
やがて焼け焦げた様な不快な臭いが立ち込めてきた。
「い、一体何が……」
吐き気を催す臭いに耐えながらサクロスが呻く。
「お、恐らくはボーガベルの魔法攻撃かと……」
『赤髪』も呆然としながら言った。
「ま、魔法だと? あ、あんな魔法見た事も聞いた事も無いぞ!?」
魔法軽視の風潮が高い帝国では魔導士はいるがごく少数で、大半は帝宮に配備されている。
それは他国でもほぼ同様で戦場における魔法など殆ど活躍の場は無かった。
魔法自体が発動までに時間が掛かり過ぎ、尚且つその威力も戦力としては覚束ないしろものであったからだ。
サクロスのような武辺一辺倒の人間には魔法など所詮は手妻であり、竈に火をくべる程度の技にしか思っていないのも無理なからざるところだった。
「しかし、何故重装騎兵は無傷なのだ? 狙うなら重装騎兵ではないのか」
普通に考えれば主兵力である重装騎兵を狙うのが当然にサクロスは思えた。
「何か意図が……あるいは正確に狙う事が出来ないのかも知れませぬ」
「うむ、何にせよ重装騎兵が無事ならば良い」
残存兵力掃討や後方支援の軽装騎兵や歩兵、弓兵は第二軍の割合ではおよそ四分の一に過ぎず、少ない兵力では無いが総じての戦力的に揺るぐ事は無い。
だが、そのサクロスの読みは間違っていた。
重装騎兵は残ったのではなく、あくまでシェアリアの目標は後方兵力の殲滅だったからだ。
「……どう?」
「うん、ばっちりだ。綺麗に後方戦力が消えているな」
胸を張って言ったシェアリアをダイゴが褒める。
「……本当は『蒼太陽』使いたかったのに」
「あのねぇ、ここで使ったらカーンデリオに被害出ちゃうでしょ? ただでさえこの前使ったら大穴開けてガラノッサにチクチクチクチク嫌味こかれてんだから」
「……仕方ない。カイゼワラで試す」
そう言うとダイゴの椅子の脇に寄り添うように座った。
「へいへい、さてと」
『メアリアは良いとして、セネリとソルディアナ。頼んだぞ』
『承知した』
『任せるが良い』
セネリとソルディアナからはすぐ返答の念話が返って来たが、
『ちょっと待て! 何で私は良いのだ?』
『だってお前もう突っ走ってんじゃん』
『そ! ……あうう』
『まぁ何時もの事だし、何時ものようにやっておくれよ』
「むう、何か引っ掛かるが言われるまでもない!』
その途端彼方で突っ走るメアリアの雄叫びがひと際大きくなった。
「どうしてソルディアナさんをお出しになったのです? 当初はご主人様がお出になる予定では?」
シェアリアの反対側でダイゴに寄り添っているエルメリアの問いにダイゴは、
「ああ、あいつが何か昨日程度では物足りぬわーとか言ってるからさ。まぁ竜になるのは禁止しておいたから大丈夫だろ」
「そうでしたか、少々うらやましいですわ」
「いや、お前、サイクロプスはともかく黒鋼とかもだめだよ?」
「いえいえ、私のこの格闘術でえいえいって」
そう言って握った拳を軽く振る。
「却下。大人しくしていてください女王様」
「うふふ、畏まりましたわご主人様」
ダイゴがそんな会話をしている間にもメアリアの突進を見た帝国第二軍の重装騎兵たちも突撃を開始していた。
この世界の重装騎兵は言わば小型で機動性に富んだ戦車だ。
鎧を付けた馬の突進体当たりは歩兵等跳ね飛ばし、轢き潰す。
警戒するは弓矢や長槍であり、それらの防御のために幾重にも重ねた様な重厚な鎧を纏う。
一度放たれた集団は敵陣を蹂躙し本陣をかみ砕いてなお止まる事を知らない。
その戦術の為の第二軍の重装騎兵は恵まれた体躯により選抜され、過酷な訓練と実戦をくぐり抜けた強者達だ。
その彼等にしてみれば目の前に迫り来る薄紫色の歩兵達は貧弱な重装歩兵に見えたし、先頭を驀進してくる軽装鎧の姫騎士は余りにもか弱く写っていた。
僅かに彼女が乗る巨大な馬。
この馬には乗り手と同じ様な純白地に赤の馬鎧が施してあり、帝国の重装騎兵を無骨な軍用四輪駆動車に例えるならこれはイタリアのスポーツカーの様な流麗さがある。
あの馬に乗ったらさぞ武功を挙げられるだろうな……。
先頭の重装騎兵の一人がメアリアとパトラッシュに見惚れてそんな事を思った瞬間。
目の前にメアリアの顔が迫り、
「!!」
重装騎兵の視界が真っ暗になって意識は切れた。
メアリアの突き込んだバルクボーラが重装騎兵の顔面をぶち破っていた。
そのまま馬から引き剥がされ、バルクボーラの一振りで地面に放り出される。
「ウォオオオオオオ!」
雄叫びを上げたメアリアと重装歩兵が交錯する。
互いに騎馬な為に速度差がありその場に踏みとどまる訳にはいかない。
普通なら止まれば押し寄せる重装騎兵にすり潰されるだけだ。
そう、普通なら。
メアリアはなおもパトラッシュの速度を落さない。
重装騎兵の鎧は首の部分も首当てが覆っており、致命打となるのを防いでいる。
そこでメアリアは、
ゴキャッ!
比較的貫きやすい頭部に狙いを絞り、二騎目の重装騎兵が餌食になる。
三騎目と四騎目が進路を塞ぐがこれをパトラッシュが跳ね飛ばす。
二頭の馬が宙を舞い後続の馬にぶち当たる。
その刹那にメアリアの身体が宙を舞った。
後続の重装騎兵達はそれを馬の衝突によって弾き飛ばされた物だと思い、この少し先に無残に踏み潰される姿を思い描いた。
だが、メアリアは自らの意思で跳んだのだった。
勢いを付けて回転しながら振るったバルクボーラが重装騎兵の首半分から上を飛ばし、その馬を踏み跳んで後続の重装騎兵の顔面に突き込む。
ゴギリと首を捻って馬の背に着地すると後ろ左右から図った様に二人の重装騎兵が槍を突き込む。
だがメアリアは馬上でバック転をするように避け、槍は死んだ重装騎兵の背中に弾かれた。
次の瞬間背中を蹴って回転しながら跳んだメアリアがその二人の重装騎兵の一人の顔面にバルクボーラを突き入れ、それを軸に回るともう一人を馬から蹴落とす。
悲鳴と共に落馬した重装騎兵は他の重装騎兵達の波に飲まれていく。
その脇でも別の悲鳴が風に流れていく。
パトラッシュにぶち当てられた重装騎兵が悉く落馬していくのだ。
一旦乗り手のいなくなった鎧馬に立ったまま乗ったメアリアはバルクボーラを構え直した。
脇に付けた重装騎兵が左右から体当たりをかますが、再び跳んで躱し、一人の顔面を刺し貫いて放り投げ、もう一人に当てて叩き落とす。
「ぬおおおおおお!」
その瞬間を狙って後続の重装騎兵が渾身の速さで槍を突き込む。
だがすれすれで躱したメアリアは重厚な鎧ごと刺し貫いた。
「奥義鎧通し」
兜の奥の目が信じられない光景を見ている隙にメアリアはその重装騎兵を蹴り足で叩き落とす。
そこへすかさず別の槍が繰り出されるが高く跳んで躱す。
レノクロマのとこの女よりも簡単だな……。
これはカイゼワラ湾での水上運動会のことだ。
あの時は脆弱な『馬』でしくじったが今は違う。
「パトラアアアッッシュ!」
その呼び声に応えて巨大な馬体が宙に躍り出る。
あり得ない様な高さで再び主を乗せた巨馬目がけて無数の槍が突き出されるが、パトラッシュは構わずに着地し周囲の重装騎兵を吹き飛ばしていた。
一方左翼ではやはり驀進してくる重装騎兵たちに対し白金の鎧が舞い踊っていた。
「ふん!」
「ぎうっ!」
『ハリュウヤ』を身に纏ったセネリにがグリオベルエを重装騎兵の顔面に突き込む。
顔面に突き込まれた重装騎兵はビクビクと痙攣しながら宙を舞う。
シェアリアの放った『雷電爆撃』の轟音で動きの止まった重装騎兵の只中にセネリが突っ込み、当たるを幸いにグリオベルエを振るっている。
「相手はたかが徒歩の騎士一人ぞ! 押し包んで殺せ!」
重装騎兵の一人が叫び、五人が馬を降りて取り囲むや槍を一斉に突き入れる。
「森羅旋風!」
白光を放つグリオベルエが輝円を描き、重装騎兵を薙ぎ倒していく。
「お、おのれ!」
動きを止めた馬を捨てた重装騎兵が槍剣を振りかぶる。
「森羅烈風!」
僅かに空いた胴目掛けグリオベルエの白刃が駆け抜け重装騎兵を両断する。
切り抜けた先を狙った重装騎兵の槍剣が空しく空を切った。
なおも槍剣を突き込んでいくがセネリの纏っている『ハリュウヤ』の機動力に追い付けず、セネリは軽々と避けるとグリオベルエを顔面に突き込む。
「くっ、コイツに構うな! 本陣を狙え!」
一人が言ったその言葉に、他の重装騎兵たちは落ち着いた馬を走らせた。
だが、
「!?」
馬を走らせた重装騎兵はその脇をセネリが並んで飛んでいるのを見た。
そして次の瞬間意識が消える。
グリオベルエが首を飛ばしていたのだ。
三騎程の重装騎兵を屠りながらセネリは彼らを軽く追い抜き再び前方に立ち塞がる。
「全騎密集! 駆け抜けるぞ!」
その号令で重装騎兵たちが寄り集まっていく。
それを見たセネリの冷徹な表情の口元が僅かに綻んだ。
『ハリュウヤ』の装甲が後ろに展開し、花のようになるとそこから眩い白光が迸り出る。
「!?」
重装騎兵たちは何が何だか分からない。
だが突進を止める事は出来ない。
「雷迅突!!」
同じく眩い雷光を煌めかせたグリオベルエを構えたセネリがそう叫ぶと、瞬時に爆発的な推力が解放され、重装騎兵たちを粉微塵に吹き飛ばした。
後方には追い付いた新型ゴーレム兵が残った重装騎兵を掃討し始めている。
彼らに任せれば辺りに気を払う事なく真っ直ぐ前を向いていける。
だが……。
長年共に戦ってきたリセリ達アルボラス傭兵団の面々が一緒に駆けていく幻影が一瞬浮かんだ。
森人族の軛から外れ、神の代行者の眷属という蓮に乗ったその身故、もはや彼女達が自分と行動を共にするのは難しい状況だった。
それに関してはセネリは悔いはない。
長い辛苦の時を漸くアルボラスの民は終えて、安住の地を得た。
そして故郷アルボラス復興の光も僅かに見えてきた。
全ては主であるダイゴのお陰だ。
何よりも今幸せな自分がいる。
気高く、そして思うままに生きられる自分がいる。
だが……。
『姫様は少しはご自分の幸せを考えて頂かないと』
そう小言を言うリセリの顔が浮かぶ。
あれはいつの事だったか……。
何処かの国の太守に妾になれば森をくれてやると言われたが、余りの態度の尊大さに完膚なきまでに叩きのめした時だったか……。
「もう、これで何度目ですか? まぁた他の地に行かねばならなくなったじゃないですか」
「仕方あるまい。あんな奴の妾になぞ真っ平御免だ」
「まぁ確かにあんな巨大バジャハみたいなのは私も御免被りたいですが」
バジャハは大型のカエルに似た魔獣だ。
「だろう? それに私にはアルボラス復興の大義がある。安住の森だけでは済まんのだ」
「はいはい。私としては姫様の幸せの方が大儀なのですが」
「何を言う、私は王家の姫の責務がある。それよりも自分の幸せを考えろ」
「私の幸せは、姫様が幸せになって頂く事だけです」
あの時リセリはああ言っていたが……。
私もそこまで朴念仁では無いつもりなのだがな……。
そう思いながらセネリはグリオベルエを構えた。
『雷電爆撃』の轟音に足を止めていた馬も落ち着きを取り戻しつつあった時、右翼の重装騎兵たちは突如目前に少女が一人いるのを見た。
漆黒の艶やかな礼装に身を包んだ勝気な黒眼黒髪の戦場には似つかわしくない少女。
「さてと、お前達は我の相手をしてもらおうかのう」
そうソルディアナが言うや、その身体から黒いものがしみ出すように現れ、忽ち鎧を形作っていく。
「構うな! 突進!」
我に返った重装騎兵が号令を駆けると、再び波が動き始める。
「ふむ、我を抜こうとはいい度胸じゃ」
そう言うや右手から巨剣を生成したソルディアナが気を放つ。
「うおっ!?」
ソルディアナの気に当てられた馬が一斉に止まった。
そのはずみで何人かの重装騎兵が放り出されるように落馬した。
「何だ? おい! 走れ! 走らんか!」
重装騎兵達は必死に馬を走らせようとするが、馬は怯え切って一歩も動こうとはしない。
いや、ソルディアナの気に押されて動けなかった。
「馬は出来るだけ残せという事なのでのう、貴様らは遠慮なく屠らさせてもらうぞ」
そう言った途端にソルディアナが駆け出し、先頭の重装騎兵目掛けて飛ぶや、その首を軽々と落す。
着地すると脇の重装騎兵に巨剣を突き入れ両断しそれを返してもう一人も両断する。
重装騎兵の幾重にも重なった鎧がまるで蠟細工のように呆気なく切断されていく。
止む無く重装騎兵たちは馬を降り、ソルディアナに向かっていく。
忽ちに数本の槍剣が突き込まれるもその槍剣ごと斬り飛ばされ、周囲に血しぶきが舞う。
だがそれにも構わず重装騎兵は次々とソルディアナに向かって行く。
考えるまでもなく、こんな小さな少女、いつまでも体力が持つ訳がなく、すぐに動けなくなるだろう。
だが、そんな目算を他所にソルディアナは迫りくる重装騎兵たちを次々と両断していった。
辺りには血の川が流れ、臓腑の悪臭が漂う中、鼻歌を歌うような軽やかさでソルディアナは重装騎兵を屠っていく。
その姿は正に修羅と呼ぶにふさわしい。
「ひっ、ひいいいい!」
凄惨な屠殺場と化した周囲に恐怖した一人が悲鳴を上げると他の重装騎兵も我先に逃走を始めた。
「逃がすと思うたか?」
そう呟くやソルディアナは駆けだすや逃走している重装騎兵を追い抜き振り向きざまに撫で斬りにしていく。
忽ち物言わぬ鎧の骸が辺り一面を埋め尽くし、主を失った馬たちが立ち尽くしていた。
「さて、後はゴーレム達で十分かのう。こちら側は間を空けておかねばらしいからの」
そう呟いたソルディアナは鎧から元の礼装姿に戻ると、残敵掃討に向かうゴーレム兵達の中を自軍本陣に向かって歩いて行った。
メアリア、セネリそしてソルディアナ。
三者三様のやり方で突進を阻まれ陣形を崩された重装騎兵の間を薄紫色のゴーレム兵達が文字通り滑りながら潜り抜け、そして確実に彼らを仕留めていく。
馬をも超える機動性と重装騎兵を超える攻撃力と防御力を持つ新型ゴーレム兵を相手にしてはさしもの重装騎兵も赤子のように翻弄されるしかない。
次々と馬上から叩き落とされ止めを刺されていく。
会敵僅か一アルワで帝国第二軍の誇る重装騎兵はその総数を半数以下に減らし、なおも屍と化していった。
サクロスはその様を呆然と見ているだけだった。





