第八十六話 重装騎兵
エドラキム帝国第一軍本部駐屯所。
カーンデリオの北部に位置するこの駐屯所は昨日までは千人に登る第二軍兵士が昼夜を問わずに取り囲み、厳重な監視下にあったこの場所だが、昨晩急遽殆どがボーガベル軍迎撃のため召集され、ここを監視している第二軍の兵は最早百人ほどしかいない。
しかも第一軍に悟られないようにと正門に固まって配置している。
「しかし、大丈夫なのかよ、こんな人数で」
兵の一人が同僚にぼやいた。
「仕方あるまい。何せ総力戦だからなぁ」
「かと言って、もし第一軍が出て来たら防ぎようが無いぜ」
「俺もそれは上に聞いたさ。だが第一軍の謹慎は皇帝陛下の裁可が無ければ解かれない。その間は絶対にグラセノフ殿下は動けないそうだ」
「そうだ……って誰が言ったんだよ」
「勿論サクロス殿下だそうだ。だから安心して警護に当たれと」
「まぁ、殿下が仰ったのならそうなんだろうけどなぁ」
「グラセノフ殿下は皇帝陛下への忠義に厚いお方だからなぁ」
他軍団の兵であっても第一皇子グラセノフの人気は高い。
当然第一軍への志願者も多かったが、五千の枠は常に埋まっているため止むなく他の軍団に所属する者が殆ど。
実際はグラセノフの意向に賛同しうる者を綿密な調査の上に選び抜いている為、単に第一軍所属というブランドが欲しいだけの者はお呼びが掛かるはずも無い。
止むなく他の軍に志願するのだが、第二軍は叩き上げの重装騎兵が主力な為人気が無く、序列で言えば殆ど戦闘をすることの無い第三軍から第五軍までに集中し、それにもあぶれた者は第六軍以降の所属になった。
「でもそんなお方が叛乱容疑で謹慎っておかしくないか?」
「何でも、叛乱って言ってるのはサクロス殿下達で、公式には第十軍が敗北してカナレを占拠された責任を取っての事らしい」
「ああ、レノクロマ殿下か」
「でもどの道グラ・デラは閉鎖されているからすぐには裁可は下りないみたいだけどな」
宮城グラ・デラはサクロスが最後に皇帝に謁見して以降、その門を固く閉ざしている。
当然帝国議会も開催の目処など全く立っておらず、皇帝バロテルヤの動静すら下々には伝わってこない。
「おい、何か中が騒がしくないか」
噂話で盛り上がっていた彼らの一人の言葉にその場にいた全員が耳を澄ます。
確かに中からカシャカシャと鎧の音や足音が聞こえてくる。
しかもかなりの人数のようだ。
「ああ、まさか……」
皆、不吉な予感に身を固くした。
と、固く閉まっていた筈の門が音も無く開いた。
「ああっ!」
そこには白馬に乗った純白の軍服姿の第一皇子グラセノフ。
後ろには完全武装の帝国第一軍の兵達。
「任務ご苦労、訳あって出掛けるが無駄な血は流したくないんで大人しくしていてくれたまえ」
呆然とする見張りの兵ににこやかにグラセノフはそう言うと馬の歩を進め門を出て行く。
その後を帝国第一軍の兵達が見張りを一瞥しながら続く。
精鋭で知られる帝国第一軍五千に対し、見張りの兵は僅か百足らず。
まともな勝負にならないのは火を見るより明らか。
見張りの兵達は帝国第一軍の出陣をただ見送るしか無かった。
カーンデリオ南の平野に陣取った帝国第二軍の陣。
重装騎兵を前面主力に軽装騎兵や軽装歩兵、弓兵を配した三隊が前衛に並び、その後方に二千の重装騎兵がサクロスの本陣を守っている。
朝日を浴びてそれらの威容が明らかになると、
「うむ、実に見事な陣形だ。流石は我が精鋭達よ」
腕を組みながらサクロスはその壮大な光景を感堪えたように褒め称えた。
「この精兵を持ってすればボーガベルの烏合の衆如き、赤子の手を捻るより容易く屠れましょうぞ」
幕僚の一人がそう言うや、サクロスは満足げに頷く。
これは第二軍のいつもの光景で、幕僚といえどサクロスに対し意見具申などは絶対に許されない。
「使者はまだ来ておらんのだな?」
「はっ、敵陣にまだ動きはありません」
「存外、我が軍の精強さに恐れをなして逃げ帰る算段でもしているのかもしれんなぁ」
サクロスがそうニヤリとしながら言うと周りの幕僚達がドッと沸いた。
「さて、『赤髪』ここは少し任せる」
「どちらへ?」
『赤髪』の目が若干険しくなった。
「何だぁ? 小便をするのに一々貴様の許しが必要なのかぁ?」
サクロスが目を剥いていった。
「い、いえ」
「まさか、付いて行くなどと言うつもりはあるまいな?」
「ありません!」
「全く、貴様も疲れているのは分かるが余計な気を回す物では無いぞ」
「はっ。申し訳ございません」
「ではここは任せた」
「はっ」
ごゆるりとなどと言える雰囲気では無い。
サクロスは後方にある専用の厠に入っていった。
「一体どうしたのだこれは!」
血相を変えて本陣に『緑髪』を引き連れ飛び込んできたサクロスが怒鳴った。
「で、殿下!? 厠に行ったのでは?」
『赤髪』が虚を突かれた表情で言った。
「何を寝惚けている! この有様はどう言うことだ! 何故籠城しておらん!」
「そ、それは殿下御自ら迎撃戦をするので出陣せよと……」
『赤髪』は焦りながら説明した。
嫌な予感が背中をじわじわと這いあがってくる。
「儂はそんな事ひと言も言っておらぁん!」
そう言って激高したサクロスは『赤髪』を殴りつけた。
『赤髪』は三回転半程回って倒れた。
「お前程の者が、儂と偽物の区別もつかんのか!? 符牒はどうした!?」
「はっ、も、申し訳ございません!」
大地に頭をこすりつけて『赤髪』が謝罪する。
確かに致命的な失態だが、それは無理もないことだった。
ダイゴがニャン子に渡した魔導核から生成されるスライムはエルメリアが持っている試作型よりも高性能で、記憶を完璧にコピーし、会話する事が出来る代物だ。
形状を保持する時間はやはり制限はあるものの、外も中も寸分違わぬサクロスを再現できるのだから。
では先程の殿下はやはり……。
そう思った『赤髪』は、
「失礼!」
そう叫んで立ち上がるやサクロス専用の厠に駆け出し、自身の長剣で斜めに斬りつけた。
ズルリと厠が斜めにずり落ちるが、そこは既にもぬけの殻だった。
厠の中で元の姿に戻ったスライムは厠の隙間からとうに逃げおおせていた。
「い、いないだと!? 何処へ行った!」
「何だぁ? 貴様気でも狂ったか!? おい! コイツを拘束しろ!」
忽ち周囲の兵が『赤髪』を取り押さえて引っ立てて来た。
「お、お待ちください! これは罠です! ボーガベルの仕組んだ罠です!」
サクロスの前に引き出され、顔を地に押し付けられた状態で『赤髪』は叫んだ。
「やかましい! その罠にまんまと嵌まってノコノコ兵を外に出したのは貴様の失態であろうが!」
そう言うやサクロスは取り押さえられている『赤髪』をそのまま蹴り上げた。
「ぎゃぎょんっ!」
変な悲鳴を上げ、『赤髪』は二回転ほど回って地面に激突した。
無様に地に転がる『赤髪』を『緑髪』が複雑な表情で見ていた。
『緑髪』に助け出されたサクロスは文字通り這々の体で自分の邸宅に戻ると、既に帝国第二軍が出陣した事を知らされ仰天した。
異国の商人から買った魔水薬で毒を消し、体力を回復させ、慌てて馬を走らせて門外に出向いてきたのだ。
「本来ならこの場で手討ちにしてくれるところだが、場合が場合だ。貴様の命、この戦が終わるまで預かっておく」
「は、はっ」
「もし生きたいと思うなら見事武功を挙げて見せろ!」
「はっ、有難き幸せ! 必ずやご期待に応えて汚名を返上致します!」
『赤髪』は取り押さえられた時以上に地に額をこすりつけて言った。
「兎に角! 急ぎ帝都内に戻るのだ!」
「はっ!」
泥塗れの『赤髪』が各部隊長に撤退の指示を伝え、後方の輜重隊から順次南門へ向かっていく。
ところが、すぐに輜重隊の伝令がすっ飛んで来た。
「報告!南門前を第一軍が封鎖しております!」
「な、何だと!」
「なぜ、第一軍が……」
「ええい!」
サクロスはその場を『赤髪』に任せ、『緑髪』と馬を走らせ、門に向かった。
「こ、これは……」
サクロスは絶句した。
門の前には帝国第一軍五千が整列している。
純白の軽装鎧に身を包んだ兵士が門を塞ぐように整列して立ちはだかっていた。
「ぬうう、第二皇子サクロスである! グラセノフを出せ!」
サクロスは大声で怒鳴った。
もはや兄に対する敬意など微塵にもない。
すると兵の隊列が割れ、白馬に乗ったグラセノフが現れた。
「やぁ、サクロス。昨日は楽しかったよ」
「グラセノフ! 貴様これはどういう事だ!」
「随分と頭に血が上っているようだが、我々第一軍の本来の任である帝都防衛出動だが?」
「な、なんだとぉ……貴様、謹慎はどうした!」
「ああ、謹慎は先程解除したよ。外敵が帝都間近に迫っているのに、呑気に謹慎などしている訳無いじゃ無いか」
「何だと! 裁可は! 皇帝陛下の裁可はどうした!」
「おやおや、君はクンドロフにこう言ったそうじゃないか、『皇帝陛下の裁可など不要だ、儂が裁可を下したのだからな』とね」
「ぐ、き、貴様……どうして……」
「もっとも、この謹慎は僕が皇帝陛下に申し出た事。謹慎の期日は僕に任せるとの御言葉を頂いた筈だけど君は聞いていなかったようだね」
「ぐ、ぬううう」
その時サクロスは第一皇子になった自分を夢想して全く聞いてはいなかった。
「サクロス。帝国皇子として外敵を討って出ようというその気概や実に見事。まさかとは思うがこのまま撤退するような事は無いだろうね。ならば我が第一軍は敵前逃亡の兵を討たねばならない」
「な! なん……だと……」
「武功優れた君のことだ、必ずや殊勲を上げてくれると期待しているよ」
「ぬ、うぐううう」
顔面を真っ赤に染めてそう唸るサクロスの脇で『緑髪』が槍を構える。
それに呼応するように第一軍副官レクフォルトも柄に手を掛けている。
周囲の兵も即座に剣を抜く態勢だ。
流石に分が悪すぎるのはサクロスも承知している。
「君が見事敵を打ち破れば……」
「儂がボーガベル軍を破ったら? どうだと言うのだ!」
「うん、そうなれば正に救国の英雄だ。喜んで出迎えた上で皇帝陛下に君を皇太子に推挙するよ」
爽やかに破顔しながらグラセノフは言った。
「そ、その言葉! 忘れるなよ!」
そう言い捨てるとサクロスは馬首を返して本陣に戻っていった。
それを見送るグラセノフの眼はあくまで涼やかなままだ。
「どうやら一杯食わされたようですわね。如何いたしましょう」
馬を寄せて『緑髪』が聞いてきた。
「仕方あるまい! こうなればダイゴの素っ首討ち取ってグラセノフに叩きつけてくれるわ!」
忌々しそうにサクロスが言い捨て、障泥を打った。
その頃、帝都西側にある森の木の枝に忍者服姿のニャン子が寝そべっていた。
「ん、戻ってきた……にゃ」
見ると地面から蒼いゼリーが沁み沸いて出てきた。
サクロスに化けていたスライムだ。
ニャン子が枝から飛び降りるとスライムは魔導核になりニャン子の手に収まる。
「よくやった……にゃ。厠から出てきたみたいだけど、バッチくは無い……にゃ」
少しクンクンと臭いを嗅いだニャン子は魔導核を懐にしまうと、
「これにて、今回の任務は無事終了。帰ったらご主人様にたーっぷりご褒美をもらう……にゃ。バカ皇子の屋敷でこぴーでーたを取って、闘技場でトーカーを設置して、魔獣の檻の扉を壊して、バカ皇子を罠牢に叩き込んで、こぴーに第二軍を出陣させた……にゃ」
ニャン子は自分のこなした任務を指折り数えた。
「五回! 五回もご褒美がもらえる……にゃ! 考えただけでも気絶しそう……にゃ! 絶対死ぬ……にゃ!」
何を想像したのか顔を赤くしたニャン子はクネクネとしなを作って言った。
「さて、後はご主人様に任務完了の念を送って回収地点に向かう……ニャンニャン」
とまた勘違いポーズをして森の中に消えていった。
「重装騎兵隊はどうなっておるのだ!?」
本陣に戻るなり、サクロスは『赤髪』に怒鳴った。
「はっ、最前列に三隊にて配備してあります」
「よし、我が重装騎兵隊を持ってしてボーガベル共を粉微塵に蹴散らしてくれる!」
「はっ」
当たり前の話だが本物のサクロスも言っていることは全く変わってはいない。
「何時でも出られるようにしておけ! 残らずすり潰してくれるわ!」
憤怒の形相でサクロスは遠くに見えるボーガベルの陣を睨みながら吠えた。
そのサクロスが睨みつけているボーガベル軍陣地の本陣。
その中の将軍専用天幕にダイゴがニャン子を伴って転送で現れた。
「ニャン子ご苦労さん。着替えてきな」
ダイゴはピッタリくっつきゴロゴロと喉を鳴らすニャン子の口を吸ってから言うと、
「五回……にゃ! 約束……にゃ!」
顔を赤らめながらニャン子はそう言って着替えのある天幕へ向かっていった。
「予定通り出てきてくれたようだなぁ」
ヤレヤレと言った表情を浮かべて天幕を出たダイゴにガラノッサが彼方に並ぶ帝国第二軍の陣を見て満足そうに言った。
「グラセノフの方も配置についたそうだから、そろそろおっ始めるかね」
既に白馬パトラッシュに乗るメアリア、高機動飛翔型魔導甲冑ハリュウヤを身に纏ったセネリ、新型ゴーレム兵、そして旧バッフェの傭兵達と王国第二兵団の面々が整列し、出撃の合図を待っている。
センデニオで補給と休息を終えた総数三万五千にも及ぶボーガベル軍は、魔導輸送船十隻によるピストン輸送で一日でこの地に布陣を終えていた。
現在魔導輸送船は追加の補給物資を積むためにデグデオに向かっており、入れ違いにアジュナ・ボーガベルがこの地に向かっている。
「あの、ムシャッシだっけ?」
「ムサシだ。ム・サ・シ」
「そう、そのムサシ。今回は出さないのか?」
「あれ出したらカーンデリオが大混乱になるだろうが。今はカイゼワラ湾で待機中だ」
確かにムサシの全火力を持ってすればサクロスの帝国第二軍はおろかカーンデリオすら容易に灰塵に帰す事もできるだろうが、ダイゴもグラセノフも、そして言った張本人のガラノッサすら望んではいない。
ガラノッサが尋ねたのはあくまでムサシを出さないと確認する為だった。
それを承知しているからダイゴは敢えてムサシをカイゼワラに戻してある。
「サクロスは重装騎兵を前面に押し立ててくるから、それはゴーレムで防ぐ。弓兵はシェアリアの魔法攻撃で掃討する。第二軍はそれからだ」
「たまには前線で戦いたい物だがなぁ」
「先方が同じ軽装歩兵なら第二兵団に分が有るが、いかんせん鎧馬に乗った重装騎兵相手じゃ分が悪いだろ」
「まぁな。あれだけの装備、流石にバッフェじゃ無理だしな」
確かに第二軍の重装騎兵は兵のみならず馬にも馬鎧を装着してあり、その攻撃力と防御力に比例し、もっとも高価な兵力と言えた。
故に重装騎兵は旧バッフェを始め他の国では侯爵か一部の士族しか持てない稀少装備であり、少数故に効果も限定的でしか無い。
したがって主たる用途は王や諸侯の護衛に限られていた。
だがサクロスは惜しみなく軍費をつぎ込み、貴賤問わず恵まれた体躯の者を選抜し鍛え上げ、効率的な運用を練り上げ最強の軍団を作り上げた。
その点に於いてはサクロスは非凡な才と言えたろう。
『ご主人様、口上を述べに行ってくる』
メアリアの念が送られてきた。
『おう、でも一旦ちゃんと戻って来いよ。そのまま突っ込むなよ?』
『わ、分っている!』
そう念を送ってメアリアはパトラッシュを走らせた。
「ありゃあ分って無かったろうなぁ」
ダイゴのぼやきの意味が分らずガラノッサは怪訝な表情を浮かべていた。
敵陣近くまで来るや、メアリアは魔導回路に頼らぬ大きく通る澄んだ声を挙げた。
「新生ボーガベル王国王女にして近衛騎士団々長、メアリア・ボーガベルが汝らに告げる! エドラキム帝国の終焉の時来たれり! 無駄な血を流す事なかれ! 直ちに武器を捨て、門を開くがよい!」
すると、
「貴様らぁ! よくもこの儂を虚仮にしてくれたな! 貴様ら全員捻りつぶしてくれるわぁ!」
遠くからサクロスの罵声が響いた。
「委細承知!」
メアリアは得たりと笑ってそう返すと馬首を翻して自陣へ駆けていく。
その姿は颯爽にして優雅。
しばしその様を苦々しく見ていたサクロスだったが、
「前進せよ! あの女諸共ボーガベルの田舎者どもを粉砕しろ!」
そう怒鳴るや、重装騎兵たちがメアリアを追う様に動き始める。
自軍に前にたどり着いたメアリアは、すぐにまた馬首を返し彼方に迫りくる重装騎兵を見ると少し微笑んだ後、
「ウオオオオオオオオオオォ!」
先程の澄んだ声とは別の天地に轟くような雄叫びを挙げるや、パトラッシュを轟然と走らせた。





