第八十二話 闘技処刑
エドラキム帝国帝都カーンデリオ。
帝宮グラ・デラにほど近い所に建つ巨大な闘技場。
朝にも関わらず多くの市民がその建築物に足を運んでいる。
何時もであればそこで行われる『闘技処刑』を楽しみに、市民達は一種嗜虐めいた表情を浮かべているものだった。
だが今回の催しは何時もとは何もかもが違っている。
帝国は三分の二の領土を新生ボーガベル王国に奪われ、残るはこのカーンデリオと北西の土地のみ。
そしてサシニアとセンデニオから今まさにボーガベル軍が押し寄せようとしている。
そんな中で呑気に闘技処刑を見ようなどと言う市民はそうそうはいない。
それでも第二皇子サクロス自らがボーガベルに組する者を処刑すると言う事で半ば引っ立てられるように暗澹たる表情で闘技場に足を運んでいた。
そんな人ごみの中、黒い外套を纏った商人体の二人組がいた。
よくよく見ればかなり異質な姿なのだが、闘技場に向かう市民はおろか、それを監視する兵士も気にも留めてはいない。
二人組の一人がふと立ち止まる。
先程から歩き方が妙にぎこちない。
だが後から来た人々は気にも留めず避けていく。
先を歩いていたもう一人が止まって振り返る。
「おーい、ソルディアナァ。はよせんと置いてくぞ」
「うう、待てというのに……股座が……」
らしくなく内股気味に歩きながらソルディアナは恨みがましそうにダイゴに言った。
「やっぱそのお子ちゃまバディじゃ厳しかったか?」
「な! 千年以上生きてる我をお子ちゃまとは何だ! これは……あれだ。ご、ごごごご」
「何だよ、地震でも起こってるのか?」
「違う! そ……その……ごしゅ……ご主人様があまりにも凶暴な……その……何だ……」
昨晩の眷属化の時の事を思い出したのか顔を真っ赤にしたソルディアナの言葉は続かない。
「あー往来でそう言う話は良いから。早く行かんと入れなくなるぞ」
「分かっておる! あうう……」
「あのさぁ、無理にご主人様とか言わなくていいんだぞ?」
「そ、そうはいかん。これは、その……うむ、けじめという奴じゃ。我にもその位の矜持はあるのでな」
セネリもそうだが呼び方などどうでも良い類の人間であるダイゴは特に自分の事をご主人様と言えと強要したことは一度もない。
「まぁ、構わんけどさ」
最初にダイゴを「ご主人様」と呼んだのは勿論ワン子でこれは必然的にそうなった。
だがワン子と同時に眷属となったエルメリアは勝手にダイゴを「ご主人様」と呼んでいる。
本人にしてみれば「ダイゴの奴隷姫」だかららしいが、これも正確ではない。
この世界の「奴隷姫」は戦で捕虜となるか敗戦国から献上された姫に付けられる名称で、決してその名の通りの奴隷扱いは殆どされない。
ダイゴの眷属でこれに当てはまるのはクフュラ、メルシャ、セネリ位でセイミアは自称。
だがエルメリアやワン子がダイゴを「ご主人様」と呼んでいる以上、その後に眷属になったメアリア達も「ご主人様」と呼ぶのは寧ろ自然な流れなのかもしれない。
もっともダイゴは全く気にしておらず、「ウチの主人は~」位の物にしか思ってはいない。
そんな会話を交わすうちに二人は闘技場の正門前に着いた。
「オイ! そこの二人!」
ダイゴが闘技場を見上げているとすぐに第二軍らしき兵に呼び止められた。
「はい、私達でしょうか?」
そう言ってオッサン姿のダイゴはすかさず商人鑑札を兵士に差し出した。
何か兵士に呼ばれたらすかさずそうするのが帝国のしきたりと事前にセイミアに教えられている。
勿論トラブル除けに鑑札の裏に大銀貨を一枚忍ばせてある。
「ふむ、センデニオの商人デイグロ・マシキアと娘のソルディアナか。良かろう、お前達も闘技場でサクロス様の雄姿をとくと見るがいい」
兵士は何食わぬ顔で鑑札の裏の大銀貨をスルリと抜き取ると鑑札をダイゴに投げ返した。
「はい、そのつもりでございます」
そう言ってダイゴ達は大きな入り口を入っていく。
『器用な物よな』
念話でソルディアナが感心した。
『俺一人じゃ鑑札やらは偽造出来ないし流石の『叡智』もああいった裏事情は分からない。みんなセイミア達のおかげさ』
『それもそうじゃが、その化ける能力よ』
『あ、お前の竜になるのと似たようなもんじゃねぇか』
『ふむ、ならばぐ、ぐ、ぐぉ主人様と我は近しい関係と言えるのう』
『まぁ髪の色も同じだし。そういや他の竜も黒髪なんだっけ?』
『違うのう。白竜なら白、赤竜なら赤じゃ』
『ふうん、じゃそれっぽい奴がいたら疑って掛かるか』
『竜は各大陸に一しかおらぬ。大陸を渡らぬ限り無用の心配じゃ』
『そういやそうか』
「サァハヤクイキマショウオトウサマ……ウフフ」
唐突にソルディアナがダイゴの腕に抱きつき棒読みの声を出した。
「な、なんだその気色悪い声は」
「うむ、一度言って見たかったのじゃ」
傍目には同じ黒髪の奇妙な親子は闘技場の人混みの中に消えていった。
その頃、闘技場の貴賓室では四将を脇に控えさせたサクロスが、侍女達に手足を揉ませながら酒を流し込んでいた。
「殿下、間もなくでございます」
『赤髪』が恭しく跪いて告げた。
「うむ、『警護』の方は怠りないだろうな」
「それは万事。蟻の這い入る隙もございません」
エドラキム帝国公設闘技場は一般的な闘技も行うが、最大の呼び物は罪人の処刑。
所謂『闘技処刑』である。
これは幾つかの種類があって、もっともオーソドックスな処刑人と罪人が決闘し、もし罪人が勝てば無罪放免となる物。
ただし、罪人の技量によって処刑人の技量や数が決められ、罪人が勝利することはまずない。
また、処刑人の代わりにハンデとして魔獣と戦う物もある。
これは主に敗戦国の王族に対して行われるのが主で、どちらかと言うと見世物的意味合いが多い。
そんな『闘技処刑』の中で一番の人気を誇っていたのが第二皇子サクロス自らが処刑人となって執り行う物であった。
勿論、第二皇子が執り行うからして万が一の事が無い様に様々な『策』が講じられている。
それがサクロスの言う『警護』である。
「グラセノフの奴はちゃんと来ているだろうな?」
「はっ。最前列の貴賓席に妹のセイミア様と一緒にお連れしてあります」
朝一番にグラセノフ邸を訪れ、兄妹と同行してきた『青髪』が言った。
「そうか。そいつは楽しみだ」
そう言いながらサクロスは愛用の得物を見る。
先頭がハンマーの様にT字になっている巨大な剣だ。
当然入る鞘など無く抜き身のまま。
「ボーガベルの奴らめ。この帝都にまで潜り込んで皇太子たる儂の命を狙うとは絶対に許せんな。儂が不忠者共々直々に成敗してくれるわ」
侍女に外套を羽織らせ、サクロスは闘技場に向かった。
一方の罠牢と呼ばれる牢に影、ワン子は囚われていた。
部屋の中は明かりの差す窓もなく真っ暗だったが、『視力強化』の能力のおかげでうすぼんやりと中の様子はわかる。
一面に何かの粉のような物が撒いてある。
匂いからどうやらキブレという毒キノコの粉末のようだ。
このキノコの粉末は吸い込むと人を弱らせる働きがある。
普通の人間なら丸一日ここにいれば足腰が立たなくなる代物だ。
勿論『状態異常無効』の能力も持つワン子にそんな物は効果が無い。
更に捕まったわけではないので装備もそのまま残っている。
ご主人様にいただいた愛用の短剣二振りを確かめていると、石壁の一面が横に移動し始めた。
どうやら巨大な岩を人力で動かしているようだ。
やがて眩しいばかりの日の光が差し込み、目が慣れてくるとそこは闘技場の中だった。
中の広さは丁度サッカー場位の広さ。
闘技場自体の大きさはローマの有名なコロッセオより広く、カーンデリオの人口の五分の一にあたる十万人の市民が集められていた。
「出ろ!」
脇から短槍を構えた兵士の声が響く。一歩外へ出ると観衆の罵声がワン子に降り注ぐ。
「真ん中まで歩け!」
そう言われ大人しく真ん中まで歩いていく。
「親愛なるエドラキム帝国臣民の皆よ。本日の罪人は恐れ多くもこの帝都に侵入し!破壊工作や諜報、暗殺等を行ってきたボーガベルの犬!」
その間、司会者らしい鳥の羽根をあしらった白い外套を着た男が巨大なラッパのような拡声器越しにワン子の罪状を読み上げその度に観衆から罵声が飛ぶ。
「更には名誉の戦死を遂げたばかりの第一皇女ファシナ様の生家であるクンドロフ家を襲い! クンドロフ候を始め家人を皆殺しにし、屋敷に火を掛ける鬼畜の所業!」
罪状は全く身に覚えのないものばかりだったがワン子にとってはどうでも良いことだった。
「更に一番の非道は我らが敬愛なるサクロス皇子の寝所に忍び込み、暗殺をせんとした事! まさに非道に極み! だが、勇敢なる皇子はその凶刃を難なく躱し無傷! 進退窮まったこの者は非道にも脇に控えし侍女を手に掛け、皇子がその者を介抱している隙に逃亡せしもの!」
丸っきりデタラメな顛末を聞きながら真ん中まで来て立ち止まると観衆の罵声は最高潮に達した。
街が閉鎖され、半ば強制的にこの闘技処刑に動員させられたその鬱憤を晴らすかのようだ。
やや罵声が落ち着くのを見計らって司会者が手で制すると場内が静まり返った。
会場の至る所に兵士がおり、常に観衆の挙動に目を配っている為だ。
静かになった場内に満足するかのように司会者が頷く。
「この悪魔の申し子!! これを処罰するのは! 我らがエドラキム帝国第二皇子! 栄えある勇者! 神の申し子にして神に愛されし神童! 我らが英雄! サークーロースー! エッ! デッ!! エェェェェドォォォォォルゥァアアアアアキィィィィィムゥゥゥゥウウウッ!!!」
思いっきり巻き舌で叫ぶ司会者のコールの後、盛大な音楽が鳴り響く。
やがてワン子のいる罠牢とは反対側の豪華に飾られた入口からサクロスが出てきた。
脇にはサクロスの夜伽を務める女たちが十人ほど踊り子の様な薄布の衣装で脇を固めている。
そしてその後ろをやや離れて四将が付き従っている。
サクロス! サクロス! サクロス! サクロス! サクロス! サクロス!
観客からの大歓声がこだまする。
周囲に手を振りながらサクロスは敷かれた赤い絨毯のうえ歩みを進める。
ワン子は覆面越しに呆れながらその様子を見ていた。
以前ダイゴのいた世界の映像を『叡智』を通して見た時にあった、『ぷろれす』という闘技の試合で闘士達が独特の格闘場にはいってくる時の様に似ていた。
この世界でも同じ様な事をしたがる人がいるのですね……。
サクロスが右手を水平にすると場内が静まり返った。
これからサクロスの演説が行われる為で、ここで騒ぐと忽ち付近で監視している兵士に連行される。
「親愛なるカーンデリオの市民達よ!」
サクロスの声は闘技場全体に響き渡る。
闘技場自体が音を反響させる造りになっているせいもあるがサクロスの地声は拡声器無しでも十分に大きい。
「今! 我がエドラキム帝国は建国以来最大の危機に立たされている! 卑劣なるボーガベルの奸計により、我が愛しき兄弟達は次々と帰らぬ人となり、悪の王国は今やこのカーンデリオに迫らんとする!」
一気にまくしたてた後、少し間を置くと、
「悲しいことだが帝国の中に皇帝陛下の慈愛に背き、自ら悪の王国の走狗となった輩がいる!」
そう言って貴賓席のグラセノフをチラと睨むがグラセノフは涼やかな笑顔のままだ。
「さらに悪の王国はその不忠者と通じ、あろうことかこのサクロスを暗殺せんと刺客を送ってきた!」
会場がざわつくがすぐに静まり返る。
「だが愚かなりボーガベル! 刺客は我が四将によって呆気なく捕らえられた」
おおっというどよめきが沸く。
「これより、このサクロス自らそやつの口から裏切り者の名を聞き出し! 纏めて誅するものである! 今日は特別に見届け人として我が兄、第一皇子グラセノフと第十三皇女セイミアにも来てもらった!」
純白の、第一皇子のみ着る事を許された軍服を着たグラセノフと真紅の礼装を纏ったセイミアが立ち上がり観衆に手を振る。
滅多に見られないビンゲリア家の美形皇子皇女に観衆は今までに無い歓喜の大歓声を送る。
ふん、もうすぐお前の正体を暴き、皆の前で八つ裂きにしてくれるわ……。
顔を真っ赤にしながらもサクロスはそう思って辛うじて怒りの発露を抑えた。
グラセノフ達が着席した後も収まらぬ歓声の中、サクロスとワン子が対峙する。
「エドラキム帝国第二皇子、サクロスである。まずはその無礼な覆面を取って面体を見せよ」
サクロスがそう言うと後ろの四将が俄かに構えた。
脇にいる二人の兵士も短槍で威嚇する。
拒否すれば即斬りつけるという脅しだ。
「……」
ややあってワン子は覆面を取り顔を晒した。
風にワン子の蒼銀の髪がたなびく。
場内に驚きの声が響く。
「ほう、やはり女か。そう言えば以前ボーガベルの貴族が獣人の女を献上して命乞いをしたいと言ってた事があったが、お前がそうか?」
これはワン子を奴隷商人に注文した貴族の事だ。
もっともその貴族はダイゴが転移した直後に戦死している。
「人違いだろう。我が主はお前達に命乞いなどしない」
そう言いつつワン子は周囲に目を走らせる。
事前に疑似生物に探らせていたとおり、あちらこちらに隠し窓があり、弓をつがえた兵がこちらを狙っている。
万が一への備えなのだろう。
「どの道ここで縊り殺すつもりだったのだから同じ事だがな」
そう言ってサクロスは剣を構えた。
同時に女達と四将も後ろへ下がっていく。
だが四将はいつでもサクロスの加勢に入れる距離に留まった。
「さぁ掛かってこい、折角の皇太子を討ち取る好機だぞ」
もう、皇太子気取りなのですか……。
心の中でワン子は鼻白んだ。
ご主人様のご友人になられた方と目の前の凡物では同じ皇子でも人としての格が違いすぎますね……。
ワン子は双短剣を抜いた。
と同時にサクロスが突進してきた。
「とああああっ!」
両手持ちとは言えバルクボーラに匹敵する重さの剣を軽々と振るい、真っ向からの斬撃をサクロスが放つ。
紙一重で避けるとすぐさま横なぎの一閃が飛ぶ。
双剣で受けるも軽々と吹き飛ばされた。
ワァッ!!
観衆の歓声が沸く。
だがワン子は軽く身をひねり着地する。
「ふうむ、力を逃がしたか。少しは楽しめそうだな」
サクロスが剣を構え直しながら少し感心したように言った。
「……」
それなりに膂力はあるようですね……。
ワン子も微かに感心していた。
再びサクロスが突進し、今度は右下段からの逆袈裟の一撃。
ワン子がすれすれで躱すがすかさず一回転して少しずれた軌道で二撃目が来る。
ビュッ!
それも僅かに身を逸らせて躱すが、髪の先端が切っ先に触れ、大きく揺れる。
「どりゃ!」
すぐさまサクロスが今度は突きを入れる。
ワン子は今度は後ろに回転して避け、間合いを取った。
観客からどよめきが起こる。
いつものサクロスならば既にこの段階で相手は死んでいる。
獣人だからか? キブレの粉を吸っている割には良く動く……。
「ふむ、良い動きだ。どうだ? 儂の下僕にならんか? 今の主人より遥かに良い暮らしをさせてやるぞ?」
舐めるような目線を送りサクロスが言った。
もっとも彼にはその気は全くない。
グラセノフの名を聞き出し次第、一緒に斬り殺すつもりだ。
「愚問」
それが判り切っていると言った風にワン子は短く言い捨てた。
「でぇええい!」
答えを待つまでもなくサクロスの横薙ぎが飛ぶ。今度は跳躍で交わすもすぐさま軌道を変えた二撃目が襲い、これも双剣で受け止める。
成程、あの剣先は重りになっているのですね……。
ハンマー投げの様な回転をして斬りかかるのがサクロスの剣術の様だ。
「ふん、逃げているだけか? 掛かって来んのか?」
なかなか決定打を打ち込めないサクロスが徐々に焦れてきたように言った。
もっともサクロスはワン子がキブレの毒のせいで避けるのが精一杯と思い込んでいる。
このまま動いていればすぐに毒が回って動けなくなる……。
そうしたら取り押さえてやろうか……。
そう思案しているサクロスのにやけ顔を見ていたワン子に、
『ワン子、少し遊んでやれ』
敬愛する主人、ダイゴから念話が入った。
もう既に闘技場の中で準備を終えているのだろう。
『畏まりました』
そう念話で返事をするとクン、と少し背筋を逸らし、双短刀を腰の鞘に収めた。
「ぬ?」
その不思議な動作にサクロスが声を上げた瞬間、
「参る」
そうワン子が言うや否や一足でサクロスの眼前に踏み込んだ。
「ぬぉ」
その瞬間ワン子の掌打がサクロスの鳩尾辺りにヒットする。
「ヴォグェボォ!」
その衝撃で思わず吐きそうになっているサクロスの喉元に人差し指と中指を僅かに出した拳をコツンとワン子が当てる。
喉の食道と気管がひしゃげるように塞がれ、瞬時にサクロスに地獄の苦しみが襲う。
「……! ……!」
散々もがいた後、盛大に吐瀉物をまき散らすサクロス。
四将を始め観衆は何が起こったのか判らず呆然と静まり返っている。
「グ……グゲホォ!……ゲホォ!」
猛烈に喉込むサクロスに慌てて四将が駆け寄る。
「殿下!」
「ゲホッ……だ、大丈夫だ……少々油断したようだ」
サクロスは四将を制し、剣を構え直す。
だが、チラリと『赤髪』に目で合図を送る。
これはいざと言う時の準備をしろと言う意味だ。
『赤髪』も目で了承の意を示す。
「もう一度参る」
そう言ってワン子は徒手でサクロスに向かっていく。
「ぬうう!」
吐瀉物を拭ったサクロスはそれでも瞬速の突きをワン子の進路上に突き込む。
ワン子がふっと浮かび上がると剣の上に乗った。
そのまま膝頭がサクロスの顔面にめり込む。
「ヴぷぅッ!」
鼻血を吹き散らかしてサクロスが大の字に倒れる。
「で、殿下! お気を確かに!」
『緑髪』が慌てて自分の手巾でサクロスの鼻血を拭う。
「何故だ! 何故アイツはあんなに動けるのだ!」
『青髪』が呻いた。
罠牢の毒茸のせいで立っているのもやっとのはず……。
「さて……」
ワン子が再び双短剣を抜いた。
と、鼻血を拭った手巾を捨てながら立ち上がったサクロスに猛烈な突進を迫る。
ガキィィン!!
双短剣の突きを『黄髪』の大槌が受け止めた。
「動けぬ殿下に斬り掛かるとは卑怯千万! 殿下! お助太刀致します!」
慌てて『赤髪』が大声で叫ぶ。
この状況でどちらが卑怯千万なのか……。
そう思ったワン子に、
「ぐおおおおっ!」
雄叫びを上げて大槌を振り上げた『黄髪』が突進してきた。
大槌の横薙ぎを受け止めたワン子が吹き飛ばされる。
だが直前に力を受け流し、後方にふわりと着地した。
今だ……!
パシッ!
『赤髪』が頭に手を当てた。
闘技場の観客席壁面下の隠し部屋に配置している弓兵への射殺指令だ。
弓兵は細い鉄を鍛えて作った細矢を何時でも射られる態勢になっている。
これであの女は十数本の細矢に差しぬかれて即絶命するだろう……。
公的には『黄髪』の一撃ということにして殿下に首を獲って頂く……。
『赤髪』はそう確信した。
だが、何も起こらない。
何故だ……。
パシッ! パシッ! パシッ! パシッ!
焦った『赤髪』が何度も頭に手を当てる。
「ど、どうしたのだ? なぜだ?」
サクロスも想定外の連続に狼狽えた声を上げる。
その時。
「ふっふっふっふっふのふー。あーっはっはっはっはっはのはー!」
どこからか、いや、四方から大音響で笑い声が響いてきた。
「な、何だ!?」
慌てて辺りを見回すサクロスと四将達。
「こんな茶番で盛り上がるとは片腹痛い。俺様が本当の娯楽という物をお前達に教えてやろう!」
「誰だ!? 何処だ!?」
「で、殿下! あそこに!」
『青髪』が指さした先、闘技場のひと際高い塔の上に、一人の男が立っていた。





