第八十一話 招待
翌日のサクロスの館。
広い食堂で朝食を取っているサクロスの脇に四将が跪いて控えている。
「で、首尾はどうだったのだ?」
朝にも関わらず大ぶりの焼いた肉を手掴みで齧りながらサクロスが『赤髪』オシュムト・ブルガに訊いた。
帝国貴族の間では硬い上に臭みの強い牛は敬遠される食材だがサクロスは大の好物である。
「はっ、件の賊は罠牢に捕えてあります」
「そうか。流石は我が四将よ」
サクロスは肉をベチャベチャと咀嚼し、酒で流し込みながら自分の配下を褒め称える。
「お褒め頂き恐悦至極にございます」
『赤髪』を始め四人は更に深々と頭を床にこすり付けんばかりに下げた。
サクロスの態度はお世辞にも行儀の良いものではないが、この主従にはこれが当たり前だ。
「それで曲者はグラセノフの所の獣人だったか?」
「申し訳ございません、罠牢は外から伺う事の出来ぬ造りになっております故」
「『青髪』はどうだ?」
「はっ、背格好は似ておりましたが、覆面をしておりましたので定かではありませぬ」
『青髪』ギテラ・ソカも跪いたまま答える。
「そうか……まぁ良い。グラセノフの所に出向いてみれば判る事だ。もし獣人がいないと抜かしたらその瞬間叩き斬ってくれるわ」
新たに掴みあげた肉を千切りながらサクロスが愉しそうに嗤う。
「捕えた賊の処遇は如何致しましょう」
『緑髪』フスド・ゼボが尋ねる。
「折角罠牢に捕えてあるのだ。丁度良い、闘技処刑に引き出してくれる」
「実にご賢明な判断かと」
「うむ、早速市民に触れを出せ。明日取り行う」
「畏まりました」
「曲者があの獣人であろうがなかろうが、闘技場でグラセノフの罪を暴き、この手で縊り殺してくれるわ」
大ぶりの肉を盛大に噛み千切りながらサクロスは言った。
まだ昼にもなっていない内にサクロスは四将と手勢を引き連れ、グラセノフの館を訪れた。
サクロスとグラセノフの館は、広大なグラ・デラを挟んで正対し、馬に乗って二十ミルテ(約ニ十分)も掛からぬ位置にある。
見張りの兵が立つグラセノフ邸の門は放胆にも開け放たれたままだ。
「変わった事は無いか?」
『赤髪』が見張りに尋ねた。
「はっ。特にありません」
「人の出入りなどはどうだ?」
「それもありません」
「ふうむ……」
元よりグラセノフの謹慎以来、屋敷を出る人間は皆無。
入る人間は食料を納める出入り商人のみだ。
それも第二兵団の嫌がらせのような誰何を散々に受けてである。
サクロスは馬を降りると四将のみを連れ屋敷の中へ入って行く。
応接間に押し入ると既にグラセノフが一人椅子に座って待ち受けていた。
あからさまにサクロスが来ることを予期していたようだ。
「おや、昨日の今日とは珍しい。一体どう……」
「獣人の侍女はおるかな?」
グラセノフが言い終わらないうちにサクロスが切り出した。
「ニャン子かい? またどうし……」
「いるのか!? いないのか!?」
またもサクロスは今にもグラセノフを噛み殺しそうな勢いで聞いた。
「そう血相を変えなくても」
そう言って手を叩くと、
「お呼びでしょうか……にゃ?」
と奥からニャン子が出て来た。
「ぐ……」
サクロスの顔が悔しげに歪む。
「この娘はこれこの通りだが?」
「この者昨晩は?」
未練がましくサクロスが唸る。
「勿論ここにいたが? 何なら閨の話でも聞かせようか?」
「い、要らん! ……むうう、実は昨晩儂の部屋に曲者が押し入ってな」
「ほう、それは一大事。自慢の四将はお休みしていたのかい」
にこやかに四将の方を見ながら言ったあからさまな侮蔑を聞いてサクロスはおろか四将達も顔色を変える。
「此奴らは見事賊を罠牢に堕とした。兄上とて儂の臣下の侮蔑は許さんぞ」
「ああ、それはすまないね。いや、見事見事」
グラセノフは手を叩いて褒めはやしたが、四将達の怒りの表情は収まらないままだ。
確かに賊は罠牢に堕とした。
だが、自分達が警護していたにも関わらず易々と主の寝所への侵入を許しているのだ。
失態と言われれば返す言葉もない。
それを正確に突かれたのだ。
「それで、その賊は何者なのかね」
そんな四将達の恨みがましい目を受け流しながらグラセノフはサクロスに聞いた。
「儂の命を狙ってくるのだ。ボーガベルの者かあるいはそれに手を貸す不忠者の仕業に相違あるまい」
曰くありげにギョロリと睨みながらサクロスは低く唸る。
「そうか、それは大それた事だね」
他人事のようにウンウンと頷くグラセノフにサクロスは益々怒りの色を濃くする。
「ぬけぬけと……まぁいい、明日、闘技場にてその者の闘技処刑を執り行う事にした」
「ほう、闘技処刑をね」
「迎えを寄越す故、兄上にも是非ご覧頂きたい」
「そうかね、謹慎の身ではあるが折角のお呼びだ。是非見物させて貰うよ」
「この手で賊の口から首謀者の名を暴き出し、その者もその場で成敗致しますので、精々楽しみに」
「そうかい、それはとても楽しみな事だ」
飄々としたグラセノフの言葉に怒りで顔を真っ赤にしたサクロスだったが、
「これにて失礼!」
そう言うやニャン子をひと睨みし、同じく睨め付けるような視線の四将達を引き連れ部屋を出て行く。
最後尾の『青髪』に至ってはわざとニャン子に肩をぶつけようとしたが、流石にニャン子は何食わぬ顔で避けた。
『青髪』は怒りで顔を歪ませたまま出て行った。
「はぁ~、一言一句グラセノフ様の言ったとおりでした……にゃ」
サクロス達が出て行くのを確かめると出口に向かって舌を出していたニャン子が感心しながら言った。
「はは、付き合いも長いからね」
ダバ茶を啜りながらグラセノフは静かに言った。
「閨の話って何をするつもりだったんですか……にゃ」
腰に手を当ててニャン子が尋ねた。
「はは、僕だって男女の営みくらいは心得ているよ?」
「むう、シェアリア様の好きそうな部類かと思ってました……にゃ」
実際、ダイゴの転送でこの屋敷に来たニャン子が紹介された執事や侍女は皆良い歳の者達ばかり。
聞けばビンゲリア家に古くから奉公している者達で流石のグラセノフも孫扱い。
それも新参同然のニャン子に皆何くれとなく世話を焼いてくれる。
そんな居心地の良さの中垣間見たグラセノフの私生活には色事は皆無。
それが眷属のなかでそんな憶測を呼んでいた。
「はは。さて、こちらは準備が整った。ダイゴに知らせてくれるかい」
ニャン子の振りには取り合わず、グラセノフはにこやかに告げた。
「畏まりました……にゃ」
少々残念な顔を浮かべながらそう言ってニャン子は少し目を瞑った。
「いよいよ明日だね」
窓の向こうに見えるグラ・デラを見ながら、グラセノフは少し悲しそうに笑って言った。
一方、ボーガベルの占拠したセンデニオでは占拠から既に三日が経過し、混乱していた市民生活も一応の落ち着きを見せていた。
進駐してきたボーガベル第三兵団に対し、領主であるコナート候がいち早く恭順を示したためだ。
さらに進駐してきたボーガベル軍は市内に入らずに城郭の外の馬場に駐屯し、市街の警備も投降したエドラキムの衛兵隊にそのまま任せるといった具合で、それがセンデニオの市民に無用な不安や恐怖を与えなかった。
そのために市民生活はさほど混乱は起きていない。
しかし、当のボーガベル軍は目の回る慌ただしさだった。
物資輸送の荷馬車の列が絶え間なく行き交い、あちこちで武具の確認や点呼の声が響く。
何しろ三万五千の大軍団だ。
彼らがバッフェ王国の兵だった頃でもこの様な数の大移動は経験がない。
通常なら占拠した街から物資を徴発し補給するものだが、ボーガベル軍はそれを殆ど行っていなかった。
これだけの兵の物資をセンデニオから徴収すれば間違いなく市民生活に多大な影響を与え、無用な混乱を引き起こしかねない。
だが当のボーガベル軍にもカーンデリオ攻略に際しセンデニオに余分な兵を割く余裕は無い。
逆にカーンデリオが閉鎖され物資の流入が止まったセンデニオの為に何割かの物資はセンデニオに収められていた。
その為にガラノッサは通常の三倍ほどの輜重隊を組織し投入している。
これ等の事態は元々の『ババ抜き作戦』ではセンデニオは占拠せず、そのまま素通りしてカーンデリオを急襲する予定だったのだが、ファシナが黒竜を投入したために急遽、センデニオにて一旦体勢を整える事になったためだ。
その為セイミアがコナートを恭順させ、センデニオを無血開城させる必要があった。
勿論センデニオ周囲の武力を持たない小さな街や村には小隊規模の兵が王国領有を告げて回り、領有を宣言していった。
今日にもカーンデリオに向け進発する。
そんな喧騒の中、ダイゴはガラノッサの天幕にいた。
今日も何時ものお付きのワン子とニャン子ではなく、クフュラとメルシャが付き添っている。
膨大な量の補給物資の管理配分はこの二人の得意分野だ。
クフュラは糧秣や補給品、武器防具の類全ての正確な数量を把握しており、メルシャは輜重隊を構成する荷馬車や人足を統括している。
この二人が各部隊への配分を的確に指示しているため、物資の補給は滞りなく行われていた。
「しっかし大将と敵対しなくてホント良かったわ」
ガラノッサが後方、ここからでも見える『蒼太陽』のクレーターを差しながら言った。
当初は第二兵団も参戦すると息巻いていたガラノッサだったが、目の前で展開された想像を絶する光景に言葉を失って立ちすくんでいただけだった。
それは兵達も同様で、神に祈りだすラモ教信者や泣きだす者などが多くいた。
「でもさ、相手は地の竜だぜ? 実際再生能力高くてムサシの主砲でも黒鋼の『負の滅光』でも削りきれなかったんだからな」
クフュラの淹れたコーヒーを啜りながらダイゴが苦笑いしながら言った。
再生能力があるだけでも十分脅威だというのに……。
ダイゴ自身には自己再生はおろか絶対防御のスキルがある。
自分の様な規格外の異能力者がいなければ間違いなく黒竜は少なくともこの東大陸に於いては最強の生物だろう。
ガラノッサの第二兵団もデグデオも為すすべなく焼き払われていたに違いない。
黒竜の竜息をも跳ね返すその能力がもし相手にあったら……。
「まぁ、そう言われりゃ納得するしかないが」
ダイゴの考えを遮る様にガラノッサが言った。
「一応黒竜を国境よりこっちに吹っ飛ばしたんだから大目に見てくれよ」
戦闘中にダイゴはセイミアのサポートを受けながら巧みに黒竜の攻撃を帝国陣の方に向けさせ、魔導戦艦ムサシの主砲で黒竜を帝国領深くに吹き飛ばした後に『負の滅光』で動きを止めて『蒼太陽』を発動した。
その為にセンデニオに逃げようとした帝国兵は殆どが巻き込まれ消滅してしまった。
「分かってるよ。それでこの後の計画は?」
「問題無い。グラセノフの屋敷にはニャン子達を送ってあるし、第一軍の方も準備万端だ」
黒竜の出現を受けてセイミアはすぐさま計画を変更した。
内容はかなり大胆かつ奇抜だったが、グラセノフも承認したので決行することになった。
「じゃあ俺達の方も……」
「ああ、予定通りメアリア達と合流次第カーンデリオに向かってくれ」
「了解だ」
「さて、噂をすれば何とやら。ニャン子から知らせが来た」
「お、じゃぁいよいよだな」
「ああ、クフュラ、メルシャ。じゃあ後を頼むぞ」
「畏まりました」
「でも~、私が行かなくて宜しいのですか~?」
メルシャが少し言い淀むように聞いた。
「ああ、メルシャにはまだやる事残ってるし、コイツがどうしても付いていきたいってきかないんでな」
そう言って指さした先の長椅子に自堕落に寝っ転がってチュレアの焼き菓子を頬張るソルディアナがいた。
「うむ、メルシャよ、万事我に任せておくが良いぞ」
「頼みましたよ~、ソルディアナさん~」
「しっかし、この可愛いお嬢ちゃんが竜の本体とはねぇ」
ガラノッサが顎に手を当て物珍しそうにソルディアナを見る。
「ふん、これでもお主よりは遥かに生きておる身だ。ダイゴの知己でなければ無礼討ちする所じゃぞ」
「あっはっは、それはそれは申し訳ございませんねぇ」
ファシナであれば真に受けるような言もこの男には通じない。
莞爾と笑っているだけだ。
「全くダイゴよ、お主の知己は皆こんなもんか?」
呆れた様にソルディアナが言う。
「まぁグラセノフとかは違うだろうけど、やっぱお前の見てくれが説得力無いんだろ?」
「そ、そんなことは無いぞ。我のこの顔身体は説得力とやらに溢れておるだろうが」
「そう解説するところが説得力ないんだが。まぁいいや、そろそろ転送するから外套着ろ」
今ソルディアナが着ているのはダイゴが『複製』のスキルで創り出した黒絹の礼装。
流石にこれから行く先で目立つので着替えろと言っても頑として聞かないので妥協案として外套を羽織る事になった。
「むう、少々野暮ったいが仕方あるまい」
クフュラにダイゴの物に似た黒の外套を着せてもらいながらソルディアナはぼやいた。
少々サイズが大きめだが却って良いバランスを出している。
「贅沢言うんじゃないよ。全く礼装なんか出さなきゃ良かった」
「何を言う。我のおかげでお前達は絹の生地を手に入れたと喜んでいたではないか」
「う……確かにそりゃそうだが……」
ソルディアナとの戦闘中に手に入れた礼装の切れ端。
そこからダイゴは絹の生地を創造することに成功した。
ダイゴはこれでエルメリア達に上等の礼装を仕立てられると喜んでいたのだが。
「あっはっは! 大将一本取られたな!」
ガラノッサが愉快そうに笑った。
「うっさいよ。じゃぁ行ってくる」
「おう、吉報を待ってるぜ」
ダイゴとガラノッサは拳を合わせた。
「行ってらっしゃいませ」
「ご武運を~」
三人に見送られダイゴとソルディアナは転送した。
帝都カーンデリオの銀等級の宿『暁の不死鳥亭』。
その一室にダイゴ達は現れた。
「ほう、まぁ煤けてはおるが我慢どころな部屋じゃの」
部屋を見回したソルディアナが満足気味に言った。
「そっか、俺はまた猫足天幕の寝台を所望する~とか言い出すんじゃないかと思ったぞ」
「ふん、馬鹿を申せ。我とてお前の行動の趣旨は理解しておる。しかし、この宿は問題無いのか?」
「ああ、ここはセイミア達モシャ商会関係の人間が経営している宿だからな」
この部屋には既に一か月前から男女二人の商人が投宿している事になっている。
「で? この後はどうするのじゃ?」
「ああ、グラセノフから明日闘技場で闘技処刑とやらが行われるって連絡が来たから、それまではこの宿で大人しくしている。迂闊に夜出歩くと兵隊にしょっ引かれるようだからな」
「そうか、では」
そう言うとソルディアナはそそくさと礼装を脱ぎ捨てた。
「お、おい」
「約定だからの。早く我を眷属にするが良い」
ソルディアナがあっけらかんと言った。
「するが良いってお前」
「言ったであろう。竜人族は約定は守る。だがのう、それだけでは無いぞ」
「?」
「これも言ったであろう。我はお前を気に入った。否、好いておる。その気持ちに嘘偽りは無い」
「そうなのか」
「うむ、我のこの連綿と続く記憶もこの身体も、永遠が如く続く孤独に悲鳴を上げていたようじゃ。それを埋めてくれるお前に惹かれるのは寧ろ当然であろう」
そうか、それがあの時ソルディアナから流れて来た念の正体だったのか……。
そうダイゴが思っていると、ソルディアナはダイゴの目の前に立った。
「ゆ……唯一の懸念は……その……この身体がお前の趣向に反してはおらんかと言う事だが……」
そう困ったように言うソルディアナの唇をダイゴが優しく塞いだ。
そしてこの日、新たな眷属が誕生した。





