第八十話 罠牢
翌日の帝宮グラ・デラ。
ぐっすりと眠れたせいか爽やかこの上ない顔でサクロスは参内していた。
朝に皇帝からの呼び出しを受けたためだ。
広い謁見の間を肩で風を切り歩くサクロス。
今この謁見の間に訪れることの出来る『序列』はサクロスしかいない。
唯一グラセノフが残ってはいるが謹慎中の身。
もはやその命は風前の灯火……。
サクロスはそう考えると謁見の間にも関わらず思わず鼻歌が漏れそうになる。
勿論候補たる皇子皇女は十数名いるが、殆どが若年で帝国皇学院を卒業している者はセイミアを除いて皆無。
そのセイミアも所詮グラセノフの実妹。
最早序列に上がることなどあり得ないとサクロスは確信している。
グラセノフもクンドロフの様に今日明日にも縊り殺してしまおうか……。
いや、謀反人として闘技場に引きずり出すのも一興だな……。
まずは妹のセイミアがバラグラスの餌になる様をたっぷりと見せつけてからと言うのも悪く無い……。
そんな事を考えながら玉座の下まで来ると、恭しく跪いた。
「サクロス、お呼びにより参内いたしました」
「儂の裁可も無くクンドロフ家を取り潰したそうだな」
バロテルヤは抜き付けに切り出した。
顔には不機嫌の呈がありありと見て取れる。
「はっ。この帝都危急の折りに、宅邸内に傭兵を囲い、不穏な動きを見せていた故、詰問した所、抵抗の意思を見せましたので誅殺いたしました」
一瞬当惑の表情を浮かべたサクロスだがさも当然という風に答える。
「なぜ儂に裁可を求めなんだ?」
氷の冷たさで皇帝は続けた。
宰相以外の周囲の臣下の背筋に冷や汗が流れる。
「これは異な事を仰られる。今までの数々の不逞貴族の取り潰しは全て陛下御裁可の前に宰相の命にて執り行われているのは周知の事実。宰相がおこなって詮無き事をわたくしがおこない咎めを受けるのは不本意でございます」
サクロスの言う通り、今までのクフュラの実家であるサルショブ家やテオリアの実家カナボラ家は皇帝の裁可が降りる前に宰相の命により取り潰しが行われている。
「それを何故お前が独断で行ったかと聞いておるのだ」
目に怒りの色が走り、声にはあからさまな怒気が含まれているが、
「危急の事態にて将来の皇太子としては当然の行いと考えます故」
サクロスは皇帝の怒りを全く理解していない体で答えた。
いや、理解はしている。
その上で敢えてそう答えたのだ。
サクロスはサクロスなりに今が皇太子の地位を獲得する絶好の機会と捉えている。
今まではグラセノフとファシナと言う智謀に長けた者のお陰でその他大勢に甘んじていたが、もはや邪魔者はいないも同然。
そしてグラセノフが何かしらの手を打ち、復権を図る前に皇帝から確約を取る必要があった。
「ふん、皇太子か……」
バロテルヤは鼻白んだ。
「他に誰がおりましょうや? 謀反の首謀者グラセノフも後程わたくしめが誅して参ります故、陛下に置かれましては万事このサクロスにお任せ下さり心御安らかに過ごされますよう」
ぬけぬけと驕りおって……。
バロテルヤが胸中で吐き捨てる。
「では聞くが、ボーガベルからの守りはどうするつもりだ?」
「第二軍の精兵はボーガベルなど何万であろうが物の数ではございません。たちどころに殲滅してご覧に入れます」
その言に脇で聞いていた宰相は僅かに肩眉を上げた。
「策はあるのか?」
「策? そんな物はございません。寧ろ邪魔でございましょう。それが証拠にファシナやセディゴ、テオリアなど策を好む輩は不様な敗北を喫しております」
「そうか……」
バロテルヤは低く言った。
先程の怒気も霧消してしまったかのようだ。
元々サクロスは策を弄するタイプではなく、力押ししか能の無い男だ。
周囲を固める将も剣技に秀でた者を徴用し、軍師のような人材は皆無。
過去にはその様な人材もいたが、皆サクロスに疎まれ、追い払われるか四将やサクロス自身に内々に始末されてしまった。
「最後に一つ、グラセノフにクンドロフが如き勝手な真似をするのはならぬぞ」
その言に一瞬歯噛みし顔色を赤く変えたサクロスだったが、
「御寵愛深いビンゲリアの出故重きを置かれるお気持ちはお察ししますが、グラセノフはボーガベルに繋がり帝位簒奪を狙う不忠者。もしその証を揃えてお持ちすれば裁可を頂けましょうや」
「その様なものがあればな」
その言葉にサクロスは歓喜の笑みを浮かべた。
証があればグラセノフを討ってもよい。
そう曲げて解釈したのだ。
「承知致しました。では陛下、これにて失礼いたします」
立ち上がるやサクロスは踵を返して謁見の間を後にした。
「予想通りでしたな」
いままで押し黙っていた宰相が口を開いた。
「『二十四』を集めておけ」
深い憤りの溜息をつきながらバロテルヤは命じた。
「畏まりました」
宰相は恭しく礼をして下がっていく。
静寂に包まれた謁見の間。
独りバロテルヤは思索に耽る。
クロネラよ……。
脇の壁に飾られた二振りの長剣。
そのうちの一本に嵌まった魔石が煌めいたように見えた。
グラ・デラから程近いグラセノフの屋敷。
ここも周囲を第二軍の兵に取り囲まれている。
もっともこれはグラセノフの謹慎が決まってからで、今に始まった事では無い。
「やぁ、サクロス。今日は一体どうしたんだい」
四将を引き連れサクロスは応接間に通された。
一応は警備上の『様子伺い』ではあるが、何か不穏な動きがあれば即斬り殺すつもりのサクロスの目は殺気にギラついていた。
「まだ兵を挙げる気にはならんのか? 兄上」
応接間に入るなりズケリと聞いた。
「兵を? 何処で? 何故?」
そんなサクロスの殺気を全く意に介さず涼やかに答えるグラセノフ。
「とぼけおって……。兄上がボーガベルのダイゴとやらと通じているのは周知の事実。そろそろ頃合いなのでは?」
「おいおい、私は謹慎の身だよ? 第一軍もお前の兵がピッタリ張り付いて身動き一つ取れないのだがね」
第一兵団五千の宿舎にも第二兵団の兵士が張り付き、監視のみならず嫌がらせや挑発行動を続けている。
「あくまでシラを切るおつもりか。まぁ良い。今日は屋敷を改めさせて頂く」
「別に構わんが余り大人数でドカドカとは勘弁してほしいな」
「承知している。おい」
サクロスの指示で十人ほどの兵が屋敷に散っていった。
「どうだい、待ってる間茶でも飲まないかい? お前の気に入りそうなのも用意してあるよ」
「……頂こう」
グラセノフの後に続いてサクロスが椅子にドカッと座ると侍女が熱い茶と冷えた酒を持ってきた。
「ほう……兄上はいつの間に獣人の侍女を召し抱えたのだ?」
流石のサクロスもその侍女が東大陸では珍しい橙豹族の獣人だと言う事に気が付いた。
皇帝に最も近い位置にいる第一皇子、しかも絶世の美男と来れば、当然他の貴族や豪商から娘を妾にと言う話は引きも切らずあるが、グラセノフは全て断っている。
勢い、美々しい少年が好みではと差し出した貴族もいたが丁重に送り返されている。
せめて侍女にと言う話も、グラセノフの館の人間は代々ビンゲリア家に仕えてきた者達で占められている。
ファシナが密偵を入れられなかったのもそのためだ。
だが、ここに明らかにそうでない獣人がいる。
サクロスの目つきが更にキナ臭くなった。
「ああ、もうだいぶ前からいるがね。ニャン子。ご挨拶をしなさい」
「ニャン子でございます……にゃ」
「にゃ?」
「御聞き苦しくて申し訳ございません。故郷の訛りでございます……にゃ」
「変わった訛りだな……おい」
サクロスが脇の女に命じると、女はサクロスに出された酒杯を取った。
「失礼」
そう言うと一気に飲み干す。
「毒など入れてないよ」
グラセノフが苦笑いをした。
「慣例ですので」
女はそう言うと首を振った。
「改めて頂こう」
ニャン子がつぎ直した酒杯をサクロスは一気に飲み干す。
「むう、美味いな……この酒」
「気に入ったなら持って行くと良い。私には少々強くてね」
「フン、懐柔するつもりか?」
「諍いも無いのに懐柔は無いだろう?」
「酒は有難くもらう。だが必ず兄上の尻尾は掴むので御覚悟を」
「はは、そんな尻尾があればいいのだがね」
グラセノフは手を振ってにこやかに笑った。
やがて応接間に兵士が異常無しの報と共に入ってきた。
「……今日はこれで失礼する」
「ああ、ご苦労さん」
振り向きざま、サクロスが目で脇に控えていた女、四将の一人『青髪』ギテラ・ソカに目で合図する。
「ふん!」
唐突にギテラはニャン子に突きを入れ、
「にゃっ!?」
ニャン子はそのまま吹き飛ばされ地に伏した。
「おいおい」
これにはグラセノフも色めき立たざるを得ない。
「失礼、侍女に虫が付いていましたもので……」
何食わぬ顔でギテラが謝罪の礼をするとサクロスに向かって首を振る。
「だそうだ。感謝してくれよ兄上。ではな」
少し気分が晴れたのかサクロスは笑って応接間を出て行った。
「ふう、全く……大丈夫かい? ニャン子君?」
「大丈夫です……にゃ」
倒れていたニャン子は長い足を振るとすっと立ち上がる。
「すまないね。損な役回りをさせてしまった」
「いえ、多分ああするのは分ってましたから平気です……にゃ」
侍女服に付いた埃を払いながらニャン子は言った。
獣人と見て手練れの護衛と疑ったのだろう。
ニャン子が避けでもすればそれに難癖を付けるのは一目瞭然だった。
「流石に焦れてきたようだね。ここらが潮時かな」
椅子に座り直すと、飲みかけの茶杯に口を付け直す。
「うん、ニャン子君もここに来て随分腕を上げたね」
「ありがとうございます……にゃ」
そう言われて先程の突きの事などすっぽり抜け落ちたかのようにニャン子が笑顔を浮かべた。
「ワン子君も今晩仕掛けるからいよいよだね」
「そうです……にゃ。」
「では、帝国の平穏な一時の最後の茶といこう。もう一杯頼むよ」
「畏まりました……にゃ」
その夜、サクロスの館。
相変わらずサクロスが寝台で女達を責め遊んでいる。
「むう、昨日の者のような得も言われん快感が来ぬなぁ……」
サクロスは今一つ不満顔だ。
「も……申し訳……」
必死の女がそう言った時、
「!」
「ぎゃっ!」
サクロスは女を撥ね除けると寝台の脇に転がった。
見れば枕に短剣が刺さっている。
「来おったなぁ」
舌舐めずりして見上げたサクロスの視線の先、天井にピッタリ張り付くように黒い影がいた。
影はもう一本の短剣をかざすとサクロスめがけて降下する。
と、サクロスが脇の女の髪を掴むと影めがけ投げつけた。
「!」
影が女を避けようと身を捻る。
「ふん!」
そこへサクロスの回し蹴りが飛び、女ごと影は壁に叩きつけられた。
「げふうっ!」
女の絶息の呻き声の中、サクロスの二撃目の直蹴りが影を襲う。
影は身体を捻って躱し、サクロスの蹴りは女の脇の壁に穴を開ける。
その間に転がった影は刺さっていた短剣を抜くや、戸を蹴破って逃走を図った。
「曲者だ!」
サクロスの怒声で警備の兵達が一斉に詰め所から出てきた。
と、影と鉢合わせした兵が瞬時に二人、喉を掻き斬られて倒れる。
そのまま玄関を目指した影に今度は四人の兵士が襲いかかった。
しかし、影は一瞬屈むと二人を蹴倒し、立ち上がりざま別の二人を斬り倒していく。
玄関には既に五人程の兵が守っていたがその五人も瞬時に影に斬り倒され、影は玄関を破って外に出る。
「逃がすな! 必ず捕らえろ!」
裸のままのサクロスはそう怒鳴った。
あの身のこなしは只人族では無い……。
もし昼間グラセノフの屋敷にいた獣人ならばまたとない証拠だ……。
今日の件で遂に痺れを切らしたか……。
引っ捕まえてグラセノフに叩きつけてやる……。
それで奴は終わりだ……。
「しっかり……しっかりして!」
その声にサクロスが脇を見ると、影に投げつけた女が白目をむいて泡を吹いているのを他の女が介抱していた。
苦々しくそれを見たサクロスが二人を蹴り飛ばす。
「ぎゃっ!」
壁に叩きつけられた二人のうち介抱してた女は腹を押さえて呻き、されてた女は首や手足があさっての方を向きピクリともに動かない。
「役立たず共が……」
そう吐き捨て、サクロスは部屋を出て行った。
「サクロス様、遅くなりまして申し訳ございません」
部屋を出るなり、四将の筆頭である『赤髪』のオシュムト・ブルガが跪いていた。
「他の者は追っているのだろうな?」
侍女に部屋着を着させながらサクロスは不機嫌そうに言った。
「勿論です。罠牢の方に追い込んでいますので……」
「そうか……罠牢か……これは良いぞ」
そこで今まで仏頂面だったサクロスは破顔した。
一方で影は追っ手の追撃を躱し建物の屋根伝いに逃走を続けていた。
黒い装束に身を包み、顔も覆面で隠しているまさしく影。
下を見れば兵達が喚きながら追ってきてはいるが、登ってこようとする者はいない。
さて……。
影が少し進路を変えた刹那屋根上に巨大な槌を構えた男が飛び上がり、影の足元めがけ大槌を振るった。
「!」
その一撃だけで当たった建物自体が崩壊した。
凄まじい破壊力だ。
魔法が込められている……?
大槌を振るう男がニメルテを越える巨漢なのを加味してもこの破壊力はあり得ない。
「よそ見しちゃぁ、ダメよ」
宙に舞った影が声の方を見ると、緑髪の男が長大な槍を繰り出していた。
身を捻って寸でで躱す。
「あらぁん、これを躱すなんてなかなかやるわねん」
そう言った男が槍を回し、下の建物に突き刺すとその勢いで影に蹴りを入れる。
「ぐっ!」
吹き飛ばされ、辛うじて屋根に一回転して着地するとそこには大槌の大男が待ち構えていた。
再び振り下ろされた大槌を影は身体を転がして避ける。
外れた槌はまたも下の建物を崩壊させる。
影は回転しながら別の建物の屋根に飛び移った。
「ゴワジェ、そいつ女よ。アタシイボイボが出ちゃったあ」
槍を持った男が大槌の男、ゴワジェ・フボルに言った。
「……」
ゴワジェは何も言わずに影が逃げた方を指し示す。
そこには遠目にも分かる巨大な建造物がある。
「もうちょっとねぇ、追い込むわよ」
二人は影の後を追った。
その影が降り立った先の巨大な建造物、帝国闘技場を見上げた。
これが……闘技場……。
と、素早く腰をかがめると頭上を二振りの剣がかすめた。
ギテラの双長剣だ。
「はっ!」
同じく腰をかがめたギテラが追撃の連撃を繰り出す。
影は素早く移動することで避けていく。
迂闊に跳び上がればそこを狙ってくるのは目に見えていた。
息を切らさずに執拗に下段を狙ってくるギテラ。
昼間の奴と似ているが……。
覆面をしている為顔は判らないがその身のこなしは只人族ではない。
だが影がギテラの望んだ位置である罠牢の場所に来たのでその考えは止めた。
「はっ!」
突き繰り出した双長剣を影が双短剣で受けたと同時に蹴りを見舞う。
吹き飛ばされた影が闘技場の一角に叩きつけられた途端、
ガゴォオン!
「!」
そこの敷石が下に開き、影はその下に落ちていった。
すぐに敷石は元に戻っていく。
「ふう」
ギテラが息をつくと、脇にゴワジェと槍の男が降り立った。
「上手く罠牢に落ちたようね」
「ああ、フスド。そこそこやってくれたが大した奴じゃなかった」
長双剣を鞘に収めながらギテラが言った。
「あらぁ、それならサクロス様自ら手を下されても大丈夫ね」
槍の男、フスド・ゼボが嬉しそうに言う。
「戻ってサクロス様にご報告だ。行くぞ」
そうギテラが言い、三人は闘技場を後にした。





