第六十九話 進軍
カスディアン州都デグデオ。
バッフェ動乱の最大の功労者、カスディアン候ガラノッサ・マルコビアが治め、エドラキム帝国と国境を隣接する、現新生ボーガベル王国の北西の要衝だ。
サシニアでの占領にひと段落着いた俺達は一旦パラスマヤに戻った後、南の旧バッフェ領を回って前日前からデグデオに来ていた。
サシニアを占拠したことで、エドラキム帝国進攻作戦、通称『ババ抜き作戦』は大詰めを迎えていた。
残る帝国の戦力は、カーンデリオに駐留する、第二皇子サクロス麾下の第二軍総数二万とカーンデリオから南にあるカスディアンに面した国境の街センデニオに駐屯する第一皇女ファシナ麾下の第三軍一万の計三万。
それに対するのは旧バッフェ軍を再編成した第二兵団総数三万にバッフェの傭兵五千。
国境を望む平野に整列して待機している。
その眺めは壮観の一言に尽きた。
俺達はデグデオの城門の上で、ガラノッサと共にその景観を眺めていた。
「結局こっちがババになったって事か?」
ニンマリしながらガラノッサが言った。
「まぁそう言う事だ。第二兵団には頑張ってもらうぞ?」
「まぁ任せておけって言いたい所だが、例のアレは判ったのか?」
ガラノッサの言うアレとは皇帝の切り札の事だ。
セイミアがモシャ商会を使って探ってはいたものの……。
「第一皇女ファシナがカナレ占領前に自ら何処かに出向いたらしいが、何処で何をしたのかは結局判らずじまいだった」
第一皇女ファシナはかなり早くから動いていたらしい。
しかも、周辺の視察を精力的にこなしていた。
勿論それが目くらましの陽動もしくは偽装なのは間違いない。
「おいおい、それじゃ……」
「いや、一応対策は講じてあるし、第一兵団も付けた。後は予定通りだ」
「まぁ、ゴーレムをこっちに回してくれたのなら心強いな」
第一兵団は帝国側に『例の兵士』と恐れられている、虎の子のゴーレム兵二千の事だ。
既に第二兵団と共に出撃の為整列している。
「何があるかは判らんが、一般兵をむざむざ犠牲にするつもりは毛頭ないからな」
「しかし、そうなるとサシニアの方の守りははどうするんだ」
サシニアは現在第三兵団と旧第四軍の投降兵の合わせて五千が駐留している。
「あっちはあの数で十分だ。流石にもうサシニア奪還に割ける兵はいないよ」
カーンデリオに残る兵力はグラセノフの第一軍五千とサクロスの第二軍二万だが、第一軍は非公式ながら叛乱の嫌疑で謹慎中。
第二軍は帝都守備戦力且つ第一軍を抑えるために動かす事は出来ない。
もしボーガベルがサシニアからカーンデリオを伺う素振りを見せればすかさず第三軍が迎撃に向かうだろう。
カーンデリオとサシニア、センデニオは丁度正三角形のような距離になっている。
その為にカスディアンの第二兵団を動かす訳だ。
唯一の可能性は第二皇子サクロスが自らの第二軍から増強した分を割く可能性だが、エドラキム帝国出身でサクロスをよく知る方々に事前に聞いてみたところ、
「有り得ないね」
と、第一皇子グラセノフさん。
「可能性はほんの少し、と言うかまぁ有りませんね」
と第三皇女だったクフュラさん。
「無いな」
と第七皇子だったレノクロマ。
「口にするだけ無駄ですわ」
と今も一応第十三皇女のセイミアさん。
第二皇子サクロスがどういう人物なのかよっく判るご回答を頂きました。
そんな訳で、サシニア防衛は第三兵団で十分と判断した。
念の為にハイブリッドゴーレム兵二百を付けてある。
グラセノフからもたらされた『皇帝の切り札』を知らなければ、そのままデグデオからセンデニオを落とし、カーンデリオ攻略を第二兵団主体でやっていただろう。
ゴーレム兵を載せた魔導輸送船で強襲して第二軍を制圧、蜂起した第一軍と外郭を包囲した第二兵団でカーンデリオを占拠し、皇帝を逮捕拘禁する。
これが当初グラセノフが描いた図面だ。
だが、その後の帝国の動きは、それを見透かし、グラセノフの心中を読んだかの如く、カーンデリオでの戦闘を誘うような布陣を取った。
これは少なくとも魔導輸送船による強襲に対する備えが帝国にあると言うことだ。
でなければボーガベルから程近いカナレからサシニア、そしてカーンデリオを結ぶ線に戦力的に劣る第四、第五軍を配備するはずが無い。
その内容が結局つかめなかった俺達はあらゆる可能性、単なるブラフから海外勢の助力、果ては大陸の最高峰アルコングラに住まう地の竜まで検討に入れた。
もっとも地の竜は誰もその姿を見た者は無く、アルコングラに討伐に行って戻らなかった者達も一帯を根城にする巨鳥型魔獣ゲルフォガによるものと言われている。
「流石に大地の守護者である地の竜が一国に肩入れする事など有り得ませんわ」
そう言ったセイミアに眷属一同頷いた。
伝承では竜は大陸を守護し、仮に何物かがその地を我が物にせんと欲せば竜の燃え盛る息吹で全てを灰燼に帰するとある。
つまり大陸統一さえしなければ竜は決して人にちょっかいは出してこない。
「でもさ、それって過去に実際あった事なのか?」
俺は素朴な疑問を眷属達にぶつけてみた。
「細かな記録は残っていませんが過去に二度ほど大陸制覇を成し遂げた国が滅ぼされたと伝承に残ってますわ」
エルメリア達はおとぎ話でそう聞かされたそうだ。
結局この線はほぼ無いと言う結論になった。
「じゃあ、始めるか」
ガラノッサがそう言って門上に誂えた台の上に上がった。
勿論拡声魔導回路が設置してある。
「傾聴!」
彼方此方で指揮官の声が飛ぶ。
「皆!新生ボーガベル発足から今日まで厳しい訓練をよく耐え抜いてくれた。いよいよ本日我々は帝国領センデニオに進攻、これを占拠の後、帝都カーンデリオを攻略する。既に大半の戦力を失ったとは言え、帝国には未だ第一から第三軍までの戦力が温存されている」
当たり前の様だが既に第一軍が寝返っていることは伏せてある。
「当然激戦が予想されるが、今の諸君ならば必ず帝国を打ち破る事が出来ると私は確信している。各員の奮戦力闘を期待する!」
「おおおおおおおおおお!!!」
兵士達から応えるように歓声が上がる。
静まるのを待ってガラノッサが続けた。
「この出陣は新生ボーガベル王国の将来を左右するものだ、そこで諸君の為にエルメリア女王自らお越し下さった」
兵士の間にどよめきが起こる。
バッフェ王国の時代には当時のエフォニア女王は兵士達の前に姿など絶対に見せなかった。
ガラノッサと入れ替わりエルメリアが登壇した。
その美しさに兵士の間からため息が漏れる。
「皆さん、新生ボーガベル王国の女王、エルメリアです。いよいよボーガベル、そしてバッフェの長年の仇敵である帝国を討つ時が来ました。今日これからの戦いが、あなた方一人一人の力がこれからのボーガベルの明日を作るのです。その為にここで死ぬような事があってはなりません。皆さんの力を持ってすれば帝国を難なく打ち倒す事は疑い様もありません。そして必ず生きて戻り、新しい未来を共に作って行きましょう」
兵士から再び歓声がひと際大きく上がった。
「ボーガベルに栄光を!」
「ボーガベルに栄光を!」
その声が木霊する。
そして城門近くに集まった大勢のデグデオの市民達が歓声で見送る中、第一兵団を先頭に、ボーガベル軍は出陣していく。
「しかし、何もお前が自ら行くことは無いんじゃないか?」
大型馬車の前で俺はガラノッサに声を掛けた。
「馬鹿言え、帝国をぶっ倒すって美味しい場面に立ち会わなくてどうするよ」
ガラノッサは悪戯っぽく笑いながら言った。
「くれぐれも無茶はするなよ?」
「大将も、油断して足元救われないようにな」
俺達は拳を合わせる。
ガラノッサを乗せた馬車が進発し、その後を輜重隊の馬車の隊列が続いていく。
俺達はガラノッサ達を見送ると、デグデオの街に繰り出した。
明日、転送でガラノッサの敷設した陣に移動する手はずになっている。
眷属達、特にエルメリアはそのままの恰好では不味いので皆変装させた。
メルシャだけは商工組合の打ち合わせに行っている。
間近に迫った帝国領進攻の為、普段は物静かなデグデオも、物々しさと活気に溢れ、ちょっとした祭りのようだ。
あちこちに屋台が立ち並び、市民や商人達が行き交っている。
「なんか戦争の最前線って感じがしないなぁ」
「やはりここの所の連勝が影響してるのでは無いでしょうか」
クフュラの言う事はもっともだろう。
糧秣、水、酒、そして兵士の為の衣服等小間物、そして鎧や槍、弓矢、剣に至るまで様々な物資がデグデオに集まる。
ボーガベル各地から魔導輸送船で運ばれた物資を小分けした荷馬車が行きかい、商魂たくましい商人たちの声が飛び交っている。
更には荷馬車を改造した移動酒場や流れの娼館の天幕が駐屯地脇の空き地に立ち並び、それらを目当てに兵士のみならずデグデオ、更には近隣の町や村からも人が集まり賑わっていた。
物資はボーガベル国内のみならず臨戦状態の帝国にも流れていた。
勿論横流しなどでは無く、商人を通した正規の流通だ。
「敵に塩を送る」で有名な上杉謙信と武田信玄の話も実態は塩の利益の為に流通を許可したって話なのでそう言う事は何処にでもある話なのだろう。
戦争という物は経済を大きく左右する。
一般に戦争が起これば経済活動は戦争に集約され、国力の無い国は徐々にそれを減らし、やがては破綻し敗北する。
だが自力のある国は戦争によって更に経済を活性化させ、国力を増大させることもできる。
第二次大戦の日本とアメリカが典型的な例だ。
そしてバッフェを併合し国力を上げたボーガベルは、俺の前世知識や魔導技術導入も相まってかつてないほどの好景気に沸いていた。
過去の日本の様に自力に乏しく疲弊していたボーガベルだが、今は帝国との戦争に傾注しても経済活動が疲弊することは無い。
その経済の最前線がデグデオだ。
これはエドラキム帝国のセンデニオでも全く同じらしい。
帝国からやって来た商人がそう答えていた。
センデニオに駐留する帝国第三軍の将、第一皇女ファシナが以前と変わらぬ商人の往来許可を出しているそうだ。
「ファシナ姉様は兄弟の中でも一番文武の平衝が取れている方でしたので」
そうクフュラが言った。
成程、戦争と経済、更には戦争に纏わる経済を分離、もしくは包括して考えられる人間はこの世界にはそうそう居ないのかもしれない。
そもそも学問と言っても精々元の世界の小学校程度の事を勿体ぶって帝国皇学院や王国学院と言った学府は貴族相手に多額の学費を取って教えているだけだ。
しかも歴史なんてのは都合よく改ざんされた自国の功績のみ。
数学は足し算と引き算が関の山。
あとは文字の読み書き。
残りは貴族の嗜みやら戦争の基礎知識だけ。
その事実を知って、現代社会と同じように小中高大を整備するのを躊躇った程だ。
まずは教員を育成することから始めないといけない。
法律の時もそうだったがこの手の問題はまだまだ時間が掛かりそうだ。
ファシナという人物はかなり博識らしく、そう言った部分では稀有な存在なのだろうが、クフュラやセイミアは残りの武の方に問題があると言う。
余りにも権力志向が強いらしい。
自分が次期皇帝、つまりは女帝になると信じて疑わず、その為に実の父親であるバロテルヤの寵妃に進んでなったそうだ。
やはり、彼女の実家であるクンドロフ家の意向が強いらしい。
クンドロフ家は先代を含め何人か皇帝を輩出している名家だそうだ。
したがって帝国の貴族界への影響力も強いが、バロテルヤの代になるとグラセノフの生家であるビンゲリア家に遅れを取っていた。
したがってファシナにかける意気込みは相当な物らしい。
彼女の親衛騎士団は各地の剣術師範級の腕前の剣士を高額で雇い、特注の紅い鎧に身を包ませている。
その数およそ二百人。
その下で訓練を受けた兵士も相当の練度と士気を持っているという。
「グラセノフ兄様の第一軍を除けばエドラキム最強は第三軍でしょうね」
「サクロスとやらの第二軍は?」
「サクロス兄とその取り巻きの四将はそれなりの腕前ですが兵士たちの練度は並ですわ。選軍思想だけは人一倍ですが」
セイミアが苦笑交じりに言った。
サクロスはグラセノフとは真逆で武のみが服を着て歩いてるような男らしい。
実際、帝国皇子皇女が皇帝に認められ、『序列』、即ち軍団を預かる地位に着いた当初サクロスは一番下位の第十軍を預かっていた。
だが自ら進んで他国の侵略を買って出、北西の三か国を滅ぼし、その功で最終的に第二軍の地位に昇りつめたそうだ。
首都攻略戦では必ず子飼いの四将と共に率先して切り込んだと言うから、要は帝国一の武闘派らしい。
第三兵団によるサシニア占領の報、そして第二兵団出陣は音声伝達型放送ゴーレム『トーカー』によって既に王国全土に広まっており、明日明後日にもセンデニオの攻略、そしてカーンデリオ進行かと今まで帝国に辛酸を舐めさせられ続けた旧バッフェの民は沸き返り、その熱気は兵士達が出陣してもなお冷めやらずにいた。
「でも一緒に行かなくて良かったのだろうか」
傭兵風の姿で背中にバルクボーラを携えたメアリアが言った。
「確かに、行軍に付いて行きたいという気持ちはあるな」
同じくグリオベルエを背負ったセネリが応える。
「そうは言ってもここんとこずっと働きっぱなしだし、ちょっとは息抜きさせて欲しいんだが、駄目かねぇ」
『ババ抜き作戦』は名前のわりに結構壮大な作戦だ。
セイミアの考えついた限りの可能性を考慮し、二重三重の対策を講じる。
今回デグデオ付近に待機させてある特型輸送船もその一つだ。
形こそ魔導輸送船と殆ど同じだが、推進部以外は木で作ってある。
つまりデコイだ。
木の部分はカイゼワラに集めたボーガベルの木工職人たちに作らせた。
簡単に言っても魔導輸送船は小学校の体育館並みの大きさがある。
それを八隻作るのには相当な時間が掛かった。
本来はシェアリアの仕事なのだが、彼女は完成が大詰めを迎えていた魔導艦の最終艤装で忙しく代わりに俺が請け負ったのだ。
これでは月曜から土曜まで働きづめで、日曜日もどうかするとイベント屋さんの機材搬出をやっていたトラック運転手の頃と変わらない。
嗚呼、月月火水木金金って言葉は異世界にもあるのね……。
そう嘆いたら、デカい帽子を被った街娘姿のエルメリアが優しい目でこちらを見ながら
「いえ、ご主人様のなさりたいように」
そう言うと、ニャン子は腕を後ろに組みながら
「そうそう、休む事も大事……にゃ」
「……魔導艦もほぼ終わったし問題ない。後はご主人様が名前を付けてくれるだけ」
「それが難しいんだよなぁ……」
「……文句は言わない」
元の世界で子供が産まれた時もそう言われて色々考えて粗方駄目出しされたっけ……。
「まぁすぐに出番は無いしじっくり考えるよ」
「……むう」
やはりシェアリアはちょっと不満そうだ。
そんな事を言ってる間に小腹が空いてきた。
「じゃ、まずは飯だな……」
俺がそう言った時、後から声が掛かった。
「おい、そこの者よ」
振り返ると腕組みをした黒髪の少女が立っていた。





