第六十四話 ハリュウヤ
「ご主人様! アレを貸してくれないか!」
堰を切ったような勢いでセネリが捲し立てた。
「アレって?」
「あの空を飛べる甲冑だ! あれで要塞の上から攻撃する!」
「ん~まぁ、良い方法だけど、お前高いところ駄目じゃん」
そう言われてセネリの目が一瞬泳いだ。
だが、
「だ……大丈夫だ! 耐えて見せる!」
気力を奮い立たせて言いきった。
じっとセネリを見て少し考えた風なダイゴだったが、
「ん~分かった。実はセネリ用に新しく起こしたのがあるんだよね」
そう言って懐から魔導核を取り出し、セネリに渡す。
「私のために?」
セネリの頬に少しだけ朱が差す。
「高機動飛翔型魔導甲冑『ハリュウヤ』だ。使い方は『叡智』から引き出せよ」
受け取った魔導核をしげしげと眺めるセネリ。
手のひらに納まる大きさの紫色の魔導核は金の枠に嵌められ、鎖で首から提げられるようになっている。
「分かった。ご主人様、愛してる」
衆人の前でも構わぬと熱い口づけをしたセネリは鎧を脱ぎ捨てると、魔導核を構えた。
「装着!」
そしてそれを宙に投げると、忽ち魔素が集約して白金色に輝く甲冑の形になり、セネリに纏い付く。
「はぁうっ!」
甲冑の締め付けに思わず熱い吐息を漏らすセネリ。
その形は前に着けた試作型とはまるで違い、背中の基部から伸びた各部が身体を覆うような形になっている。
更に背中には細長い突起が左右六本ずつ、計十二本付いている。
「うん、一寸サイズがきつかったか?」
「だ、大丈夫だ! 問題ない! むしろ……」
「むしろ?」
「何でも無い! このくらいが丁度良い! では行って来る!」
「おう、頑張れよ」
セネリの甲冑の背中にある十二本の浮遊素子が展開し、浮かび上がるや、ゴルダボル要塞上空に向かって吹っ飛んでいった。
その様子を呆気にとられて見ていたメアリアがダイゴの方を向いて自分の方を指差す。
お前も高いとこ駄目じゃん。
そう思ってダイゴが横に手を振ると、メアリアは滝のような涙を流しだした。
雰囲気を察したパトラッシュがメアリアを舐めるとメアリアはパトラッシュをガシッと抱きしめる。
うん、主従の絆を再確認したようで何よりだ。
そう思ったダイゴは満足そうに頷き、再び戦場に眼を移した。
大空を翔るセネリの心は軽かった。
恐怖など嘘のように消え去り、むしろ心地よい安堵感さえある。
全てはダイゴが自分のために誂えてくれたこの甲冑のお陰だ。
ダイゴの力、いやダイゴ自身に拘束されていると思うと身体の奥底から沸き上がる多幸感に心が満たされていく。
最早今のセネリはそれを恥とも屈辱とも思っていなかった。
遥か上空三千メルテまで上昇し、眼下のゴルダボル要塞が砂つぶのように見える位置に静止した。
「参る」
そう言うや背中の浮遊素子を全開にして落ちていく。
凄まじい加速で風が唸りをあげた。
みるみるうちにゴルダボル要塞が迫る。
ここだ!
「『炎爆弾』!!」
右手に展開した赤い魔法陣から炎の塊を撃ち出した直後浮遊素子で急制動を掛ける。
「っくはぁっ!」
強烈なGがセネリを襲い、艶の混じった苦悶の声をあげる。
その直後、炎の塊を飲み込んだゴルダボル要塞が一瞬の間をおいて紅蓮の炎をあげて大爆発を起こした。
「なっ」
さしものセディゴも驚愕の表情を隠せなかった。
突如背後のゴルダボル要塞が炎に包まれた。
崩壊を前提に造られていた構造物が想定とは真逆に崩れていく。
「た、退避! たいぐわああああ!」
爆発的な勢いで崩れていく石垣に弓兵や温存していた古参兵達が巻き込まれすり潰されていく。
混乱した自軍を収めようとヴギルと共に前進していたセディゴは辛うじて要塞の崩落に巻き込まれずに済んだ。
「い、一体……」
親衛騎士達の盾で囲まれた中から様子を窺ったセディゴは、その崩壊したゴルダボル要塞から何者かがゆっくりと歩いて出てくるのを見た。
白金の鎧に身を包んだセネリだ。
「お! おおおお! じょ、女王サマだ!」
崩落の瓦礫等蚊程に感じていなかったヴギルが歓喜の声を上げた。
だがセネリは全く気に掛けること無く、視線をセディゴに向ける。
「久しぶりだな、セディゴ殿」
「……これはセネリ殿、与えられた任を満足に果たさぬばかりか、敵の走狗に成り下がるとは、気高い森人族とはその程度のものかな?」
剣を抜きながらセディゴが言った。
すぐさま周囲を親衛騎士が取り囲む。
「我々を鬼人族の餌にしようとしておきながらよくそのような事が言えるものだな」
逆に見下げるようにセネリが言う。
「まぁそれは我が兄ブリギオに伝えておこう。ヴギル殿、よろしいかな」
鬼人族を傭ったのは兄ブリギオだが、それを一々弁明する気はセディゴには無い。
「ま、任せろ」
ヴギルは例の拘束鎧の下に文様の入った胸当てを付けていた。
森人族用にドンギヴから買った対魔法処理のされた胸当てだ。
魔法が効かなければ体格、体力で鬼人族が森人族に後れを取ることは無い。
「聞けば一度はこのヴギル殿に捕らえられたとか。よもやまた勝てるとは……」
「勝つさ、今のセネリはな」
そう言ったのはいつの間にか転送でセネリの隣に現れたダイゴだ。
勿論二人の獣人侍女も一緒だ。
「お、オメはき、昨日の!」
ダイゴの脇のニャン子を見てヴギルが目を剥いて唸る。
ニャン子はヴギルに柔やかに笑って手を振ると次の瞬間あかんべーをした。
「グゴゴゴォッ!」
ヴギルが悔しそうに唸る。
「ご主人様!」
そう言うやセネリの甲冑が後ろに折りたたまれていき、羽根のような形になった。
下布しか付けていないセネリの肢体が露わになる。
甲冑は網目状の固定具でセネリに固定されていた。
「おうセネリ、よくやった」
ダイゴがセネリを抱き寄せ頭を撫でてやると、
「はぅ」
と甘い声で応えるセネリ。
「な、何だオメは! そ、そいつはオデのだ! は、はなれろ!」
激昂したヴギルが喚く。
「嫌だね、こいつはもうとっくに俺の女だ。あーんなことやこーんなこともしちまったぞ」
「あ、あんなことこ、こんなこと?」
「そうだ。こーんなことや、あーんなこともだ。どうだ、悔しいか? 悔しいかあ? ああん?」
「こ、こんなこと……あ、あんなこと……う、うがあああ!」
何かを想像したヴギルがさらに激昂する。
その姿はまるで赤鬼だ。
「ご主人様……言葉だけなら悪人丸出し……にゃ」
ニャン子が呆れ顔でツッコミを入れた。
「そこの品のない会話をしてるお前がダイゴとやらか?」
セディゴが変わらぬ無表情で言った。
「いかにも俺がダイゴだ。お前さんが第四皇子セディゴか?」
「その通りだ。会って見れば酷く下賤な者なのだな」
「んまぁ、否定はせんよ。元々小市民だし」
「ならばどうだ? 私と手を組まぬか?」
ダイゴは鼻を鳴らした。
この手の手合いは下賤な者は御し易いと思ってるのだろう。
大方金や地位や土地なんぞで釣れば容易くなびくとでも思っているのか。
まぁ森人族を餌に鬼人族を使ってる所を見れば察しはつく。
「残念だが、帝室方面には既に先約があるんでね」
「なんだと……ま、まさか……グラセノフ兄と……」
僅かにセディゴの目が泳いだ。
「そういう事だ。察しが良いと言いたい所だが、今頃気付くようなニブチンとは組めんな」
「くっ、ヴギル殿、やってしまわれい」
「うがあああああ!」
巨大な槌を持ったヴギルと三十人ほどの鬼人族、そして百人ほどの残存の帝国兵達がダイゴ達に殺到する。
「セネリ、あの馬鹿でかいのは任せたぞ」
「心得た」
後ろ側で羽根状になっていた甲冑が展開して再びセネリに装着された。
「かはっ」
セネリが再び苦悶の声を上げるがその顔は何処となく幸せそうに見える。
「俺達は雑魚狩りだ。やるぞ!」
やっぱサイズ小さいのかとダイゴは思いつつ号令を掛ける。
「畏まりました」
「畏まりました……にゃ」
そう言うやワン子とニャン子がそれぞれの得物を抜いて鬼人族の群れに突っ込んでいく。
「ブゴオオオッ!!」
鬼人族の振るう槌を身体をしならせて避けたニャン子が弾けるように飛ぶと首筋を斬りつける。
その鬼人族は首を前にぶら下げた様にして大地に倒れた。
「余裕余裕……にゃ」
得物を回しながらそう言ったニャン子に別の槌が振り下ろされる。
「にゃ!?」
だが次の瞬間その槌が空高く舞い上がった。
横から滑りこんだワン子が鬼人族の手を蹴り上げて粉砕した。
「油断してはいけませんよ」
「あはは、ゴメン……にゃ」
窘めたワン子に頭を掻いてニャン子は謝り、再び鬼人族へ突っ込んでいく。
「ヴギル! 貴様の相手はこの私だ! 私が欲しいのだろう? 力づくで奪ってみろ!」
セネリがヴギルに言われた言葉で挑発する。
「うがああああ!」
ヴギルが棍棒を振りかざした。
「『炎弾』!!」
セネリの右手に展開された赤い魔法陣から火の弾が射出される。
だが、ヴギルの鎧に当たった途端、それは霧散して消えた。
「やはり、対魔法鎧か……」
「ぐ、ぐふふぅ、ざ、残念だったなぁ」
「ふっ、ならば力づくで粉砕するのみ!」
セネリは愛刀グリオベルエを構えた。
「お、おもじろい! そ、ぞんなギラギラ鎧で、お、オデの槌を防げるか!?」
「亡き祖父母達の仇! ここで討たせてもらう!」
『ハリュウヤ』の浮遊素子が紫の光を放った。
「しかし貴様もつくづく愚かな男だ」
相も変わらぬ無表情でセディゴが言い放つ。
「何でよ」
ダイゴは剣も抜かずのんびりと応えた。
「当然であろう、一軍の将が敵陣にこの様な少数で乗り込むなど有り得んわ」
「まぁ、それについちゃ概ね同意なんだが、世の中には何事も例外ってのがあってね」
ダイゴはゆっくりと物差しを抜いた。
「それでも勝てるんだよ、俺は」
「ほう? では勝って貰おうか」
「いいぜ、お代はお前達の命だ」
「そこにいる敵将ダイゴを討つ取った者に望む褒美を与える!」
それを聞いた帝国兵達がダイゴを十重二十重に囲んだ。
ダイゴに向けられた剣がさながら白刃の林のようだ。
「ご主人様!」
鬼人族を相手にしていたワン子が叫んだ。
「ああ、大丈夫だ」
ダイゴが手を振ってそう言った瞬間、十数人の兵士が抜剣して押し寄せてきた。
「『整理解雇』」
両腕に緑色の魔法陣を展開したダイゴがそう呟いた瞬間、一陣の風が吹き、斬り掛かろうとした兵士達の首が皆ゴロリと落ちた。
だが、その屍を押しのけて新たな兵が襲い掛かる。
「『漆黒企業』」
忽ち兵士たちに黒い光が纏わり付き、ある者は絶叫し、ある者は心臓を押さえてその場に倒れ、二度と動かなくなった。
「な、何だこいつは……魔導士なのか」
初めて目の当たりにする異様な光景にセディゴが僅かに驚愕の表情を見せた。
なおも帝国兵は押し寄せるが、ダイゴが無詠唱で繰り出す魔法に皆なすすべ無く斃れていく。
「殿下、ここはお下がりを」
親衛騎士団長がセディゴに張り付くようにして言った。
だが、
「馬鹿者、もはや退路もあの通りだ。どこへ下がれと言うのだ」
ダイゴの後ろで既に瓦礫と化したゴルダボル要塞を見てセディゴは言った。
「……しかし」
「勘違いするな。死ぬつもりなどこれ程も無いわ。サシニアに戻ってブリギオ兄に報告せねばならん」
その時、親衛騎士団長はセディゴが笑った顔を初めて見た。
「全員密集! 殿下を御守りしてサシニアに帰還する!」
「応!!」
セディゴの意図を察した親衛騎士団長の号令に騎士達が応え、即ファランクスのような陣形になる。
「あのバケモノの注意が兵に向いている間に抜けます」
「うむ」
セディゴも騎士団長もダイゴの魔法を喰らえばひとたまりも無い事は重々承知している。
馬は要塞崩落時にほとんどが失われた。
分の悪い賭けだが彼等は賭けた。
「吶喊!」
セディゴ達の塊がダイゴの、否その後方の瓦礫の向こうにある筈のサシニア目掛けて突進した。
だが、すでにその場の帝国兵を殲滅させたダイゴはセディゴ達に向かって左手を伸ばし白い魔法陣を展開していた。
「『魔導銃』」
そう言って放たれた無数の光の礫が次々と護衛騎士たちを貫いていく。
「ぐあああっ!」
「がはぁ!」
騎士団長も数発の光弾を受けるが構わずダイゴに組みついた。
「ぐううっ! 殿下ぁ! 今ですぞ!」
「むん!」
セディゴの剣が騎士団長の先のダイゴ目掛けて突き込まれた。
だが、
「な……に……」
「こういう事だ」
驚愕の表情を浮かべるセディゴにダイゴは言った。
セディゴの剣は光弾が突き抜けた部分から騎士団長を貫いたがダイゴには届かない。
事切れた騎士団長がズルズルと崩れ落ちた。
「馬鹿な……貴様……一体……何者なのだ……」
「神の代行者」
物差しを振りかぶりそう答えるダイゴにセディゴは恐怖の表情を浮かばせた。
「馬鹿な……そんな馬鹿な……」
そこでセディゴの意識は切れた。
セネリとヴギルの闘いは一進一退の攻防を展開していた。
ヴギルの打撃が『ハリュウヤ』を装着しているセネリに当たらないのはともかく、ヴギルもセネリの剣を悉く避けるか受け流している。
コイツもご主人様と同じというのか……。
セネリの心に動揺が影を落とした。
いや、当たらないのは自分の心が迷っているからだ。
気高く生きると誓った自分、そしてそれは自分の剣技にも表れていた。
『神の代行者』たるご主人様はともかく、この様な者にすら当てることが出来ない我が剣は……。
セネリには分かっていた。
自分と目の前の醜悪な鬼人族の奥底の性根が同じであること。
だが……。
「お、おどなしぐ、こ、ここにも、戻るだ!」
拘束鎧を指差しながらヴギルが唸った。
「愚問! 貴様の欲望の糧になるつもりは無い!」
そう、奴のは欲望だ。
では私のこの思いは欲望では無いのか。
そう思った時、不意に二つの顔がセネリの脳裏に浮かんだ。
一人はセネリの母、そしてもう一人はダイゴに仕えていた獣人の少女。
アルボラス崩壊後、セネリは母に連れられ戦いに塗れた流浪の旅に身を投じた。
アルボラスの花と謳われ、誰よりも優しく慈愛に満ちていた母が悪鬼羅刹の如く剣を振るい、血塗れになりながら戻ってくる。
幼いセネリはその母の変わらぬ気高さを何故と尋ねた事がある。
『気高く生きるということは、己の心を貫くということだと母は思います』
返り血に染まりながらもアルボラスの森にいた時そのままの笑顔でそう言った母の顔と、
『これは……じぶんで……つけてます』
そう胸を張って言ったダイゴに仕える獣人の少女の顔が重なった。
そうか、そうなのか……。
次の瞬間、展開した浮遊素子を全開にして、一気に間合いを縮ませたセネリはグリオベルエをヴギルの胸に届かせた。
だが、
「お、お見通しだで!」
ヴギルは白羽取りの要領でグリオベルエを抑えていた。
「ざ、残念だったな……あ!?」
少しずつグリオベルエの刃先がヴギルの対魔法鎧に食い込んでいる。
『ハリュウヤ』の推進力では無く、セネリ自らの力で押し込んでいるのだ。
「あああああああ!!!!」
その体勢のままセネリが絶叫した。
グリオベルエの魔石が放電を始める。
次の瞬間、まるでその叫びに呼応するかのように『ハリュウヤ』が変形した。
鎧を構成する部位が全て後ろに展開していく。
それはまるでセネリの背中に咲いた花のように。
そしてその花に凄まじいまでの放電が巻き起こる。
まばゆいばかりの放電が辺りを舐めるように走った。
「いいっ! じ、実にいいだぁ! そ、それでこそ!」
感極まったかのようにヴギルも叫ぶ。
「雷迅突!!」
そのセネリの叫びと共に周囲が光に染まる。
「オ、オデの……オデの女王様ァァァァぁ!!」
ボキュッ!!!
何故か嬉しそうなヴギルの断末魔の直後、巨大な推力が解放されグリオベルエとセネリは一気にヴギルの身体を突き抜け、ヴギルの巨体は水風船のように弾け飛んだ。
血しぶき一つ浴びずに突き抜けたセネリは、ゆっくりと振り返った。
「私は我が主人、ダイゴ・マキシマの奴隷姫セネリ・ラルウ・ウサだ。お前如きの女王などではない」
ヴギルが居たはずの所を一瞥し、そう言い放った顔はヴギルが欲したであろう女王そのものだった。





