第六十三話 混戦
――ゴルダボル要塞。
既にカナレより敵軍が進発したとの斥候の報を受け、要塞内は慌ただしくなっていたのだが、要塞は現在別の問題に直面して大混乱に陥っていた。
「殿下、お呼びによりドンギヴ、参上致しましてございます」
政務室にいつものように仰々しいポーズを取ってドンギヴが現れた。
「うむ、あ奴等はどうにかならんのか」
相変わらず無表情のセディゴが言っているのはヴギル達デドル傭兵団の事だ。
「とは申されましても、捕虜の森人族を取り逃がしましたるは殿下の軍の落ち度でございまして、ヴギル殿の怒りももっともかと」
朝起きたヴギルは手元にいたセネリ達はおろか、連れて来た捕虜の森人族も残らずいなくなっていることに激怒し、寝こけていた見張り二人を撲殺し、それでも飽き足らず陣地内で大暴れしている。
かなりの数の帝国兵が取り押さえようとしているが、配下の鬼人族も十人程一緒に暴れまわり、容易に取り押さえることが出来ず、既に帝国兵に重軽傷者が数十名出ていた。
「しかし、これ以上こちらに損害を出すようであれば私もボーガベルの前にあ奴等を討ち取らねばならなくなるがな」
顔色一つ変えずにセディゴが言う。
実際指揮官達からは武力鎮圧の願いが出されていた。
それをセディゴは今暫く抑えよと言ったばかりだ。
「おおそれは一大事、さすれば連れて来た私めも面目が立ちませぬ」
大袈裟に頭を抱えてドンギヴが言った。
「ならば早く抑えてまいれ」
「承知いたしてございます」
またもや大袈裟に礼をしてドンギヴは部屋を出て行った。
その様子に一大事という感じはまったく見られない。
「ゴッガアアアア!」
怒りのヴギルが取り押さえようとしている帝国兵五人を腕一本で吹き飛ばしている。
「お、オメェだちがの、のったらしでっから! お、女どもみんないなくなったが!」
「だからと言ってガンド達を殺すことはなか……ぐわっ!」
ヴギルに言い返そうとした兵が宙を舞った。
他の鬼人族は帝国兵が十人程とりついてやっと抑え込めるが、ヴギルは二十人でも抑え込めない。
それでも帝国兵は大きな虫に群がる蟻のようにヴギルを抑え込もうと殺到している。
そこへドンギヴが現れた。
「ヴギル殿ぉ、その辺でお怒りを鎮めた方がよろしいかと」
「だ、だがよ! こ、こいづらお、女どもに、逃がしやがって!」
他の鬼人族達も同意の雄たけびを上げる。
「まぁまぁ、彼女たちはこの先のカナレに逃げ込ンだそうです。これからやってくるボーガベル軍を蹴散らし、アルボラス傭兵団共々奪い返せば宜しい事でしょう」
「し、しがしよう!」
そう愚図るヴギルにドンギヴは栓をした筒を見せた。
「お、オメェそ、それは……」
途端にヴギルがゴクリと喉を鳴らす。
「そうそう、例のお飲み物でございます。私めからの誠意の証としてこれは進呈致しますのでどうか……」
ドンギヴがそう言い終わらない内にヴギルは押さえ込もうとした帝国兵を跳ね飛ばし、筒を奪い取り一気に飲み干した。
「は、はべぇえええええ」
忽ち恍惚の表情を浮かべ、ヴギルはその場にへたり込んだ。
「では、宜しいですね、セディゴ様の指示を聞いてボーガベル軍を討ち取って女達を奪い返してくださいね」
子供に諭すようにドンギヴはヴギルに優しく言った。
「わ、わ、わがっただぁ」
呆けた表情でコクコクとヴギルは頷く。
「お、おがしらぁ」
鬼人族達が声を掛けてもヴギルは呆けたままだ。
「ではでは、ご活躍期待しておりますよ」
そう嗤ってドンギヴはその場を後にした。
「お、おがしらがこ、こうなっちゃど、どうにもなんねぇだ」
「あ、ああひ、引き上げべ、お、おいど、どけや」
呆けたヴギルを六人がかりで担ぐと周囲の帝国兵を威嚇しながら自分達の天幕へ戻っていく。
その様子を帝国兵達は怒りと恐怖の入り交じった顔で見送るしか無かった。
昼過ぎにボーガベル側からの使者が口上を述べ、ゴルダボル要塞攻略戦が開始された。
ボーガベル軍の兵力はゴーレム兵の二千二百余り。
対する帝国は第五軍一万。
そして鬼人族のデドル傭兵団二千。
それらが要塞前面の平野に布陣している。
「やっぱり最初から要塞に立てこもるつもりは無いみたいだな」
「しっかし、私も鬼人族って初めて見ますがごっついですね~」
偽装したカーペット上に設置された本陣でその様を眺めていたダイゴにメルシャが聞いてきた。
「まぁ鬼人っつーか岩人族だよなぁ」
「皮膚とかも厚そうですし、流石にゴーレム兵も手こずるかもしれませんね」
「まぁ、やってみない事にはな」
クフュラの問いにダイゴは曖昧に答えた。
昨日の内に鬼人族のステータスを見た限りでは、確かに獣人でも大型で肉厚な部類の青象族よりも上回ってはいる。
だがゴーレムで相手にならないかというとそんな事は無い。
問題はその戦い方だ。
以前ダイゴはグラセノフに実際ゴーレム兵を相手にしてどう戦うかを聞いた事がある。
「簡単な事さ。別に倒さなければいい。足止めするなどして行動を制限すればやりようはいくらでもある。簡単にいえば、落とし穴を掘るか生き埋めにでもすれば良い」
今回のゴルダボル要塞がそれにあたる。
ゴルダボル要塞にボーガベル軍を誘い込み、要塞を自壊させて生き埋めにするのがセディゴの切り札だ。
流石に数百トナン(トン)の土砂や構造物で生き埋めにされればゴーレム兵も容易には脱出できない。
偵察型擬似生物による内部調査でご丁寧に落とし穴構造まで作ってあるのも判明している。
「要はメアリアが調子に乗って突撃して来た所を要塞ごと生き埋めって訳か」
したり顔でダイゴが言う。
「ちょ、ちょっと待て! 何で私だけなんだ!」
「え? だってお前今回も一騎駆けする気だったろ?」
「え、あ……いや……」
図星だったようだ。
「やはり昨日の内に要塞を破壊して魔導輸送船で兵をサシニアまで進めた方が……」
「恐らくそれが向こう……皇帝の狙いですわ」
クフュラの問いにセイミアが答えた。
「皇帝の?」
「ええ、皇帝は我々が魔導輸送船で帝都強襲を掛けると踏んでいますわ。これはその布石だと思いますの」
「それって……」
「一つには魔導輸送船の所在の確定。もう一つはそれでノコノコ帝都までやって来た我々を一挙に殲滅……ですわね」
「殲滅ってそんな手だてがあるのか?」
「それは分りませんわ。ですがこの布陣はそれを狙っているようにしか見えませんの」
「うーん」
流石にダイゴもその手段は思い浮かばなかった。
「だからまずゴルダボル要塞は普通に落としますわ。その上でサシニアを占領して進軍。そしてご主人様に教えて頂いた『とらんぷ』のババ抜きのババを皇帝に引かせますの」
「そうだな、それでいこう。やはりセイミアは頼りになる」
「当然ですわ、ご主人様の勝利を演出するのはあくまで私ですもの」
得意げにセイミアが胸を張りながら言った。
「とは言え要塞前面は相当堅牢に造ってあるがどう攻略するんだ?」
遠目に見えるゴルダボル要塞を眺めてメアリアが言った。
「いくつか策は用意してますが、最も手っ取り早いのは魔法で粉砕ですわね」
「……はい、『宇宙開闢』使いたい」
すぐさまシェアリアが手を挙げて提案する。
「おまえ、サシニアまで吹き飛ばすつもりか。却下」
「……むう」
「今回は魔導輸送船を使わずに済むように要塞のみ綺麗に吹き飛ばしたい、だから使う魔法も限定されるな」
要塞が崩壊してしまうとサシニアへの進軍がかなり遅くなる。
それに焦れて魔導輸送船を使わせるのが皇帝の狙いらしい。
「まぁ向こうの出方に応じて攻略法を変えてみよう」
「畏まりましたわ」
「そういう訳で、メアリアは待機」
「な! 何故だ!?」
タランバの戦いではハフカラ兵の信望を一身に集めるほどの活躍をしたメアリアだが、やはり一騎駆けが出来なかったのは不満だった様だ。
「今言ったろうが。まずはゴーレム兵を先行させて敵の出方を見る。お前の出番はちゃんとあるから心配するな」
「うう……分かった」
その時、口上を述べに行ったアーノルドが戻ってきた。
「マスター、口上の任務完了です」
「ご苦労、どうだった?」
「例の鬼人族に石を投げられましたが、損害はありません」
擬似人間であるアーノルドは涼しい顔で言った。
「そういう品の無い連中はしこたまおちょくってやるか。では、全軍前進」
ダイゴの号令でゴーレム兵達が動き出した。
二千が隊列を組んでゴルダボル要塞を目指し進んでいく。
だが、帝国側は動かない。
暫く進むと、要塞から何かが飛んできた。
それは三メルテ程の槍状の物で、先がサスマタを九十度ずらして重ねたような形状をしている。
先頭のゴーレム兵が巻き込まれ深々と刺さったソレによって地面に縫い付けられた。
ゴーレム兵が抜こうとするが地中に深々と刺さっており、さらには返しが付いていて抜けにくくなっている。
「なる程なぁ、こうやって足止めするのか」
ダイゴが感心した。
だがすぐさま別のゴーレム兵に槍を切り飛ばさせ、進軍を再開させる。
「普通の兵士ならまぁあれで十分行動不能に陥るだろうけどな」
要塞からは次々と四差槍とそれに混ざって石や普通の矢も飛んでくる。
ゴーレム兵には致命傷にはならないが進軍速度が遅くなるのは確かだ。
「しかし随分性能の良い重弩砲だな。あそこから届かせるなんて」
実際要塞まではまだ一キルレはある。
ムルタブスの軍船の物はおおよそ半分弱の四百メルテ程度と以前ダイゴはウルマイヤに聞いていた。
「恐らく構成部品の素材に大型魔獣を使っているからでしょうね」
クフュラが冷静に分析する。
「ならば新型、もしくは別大陸製か」
「その線が濃いですね~」
そう答えたメルシャもそうだが、向こうにはドンギヴと名乗る異大陸の商人が暗躍している。
十分あり得る話だとダイゴは思った。
その重弩砲の砲撃が止んだ。
「さて、鬼人族のお出ましか」
ドスの効いた雄叫びを上げ、槌を振り回しながら鬼人族達が押し寄せてきた。
重低音の咆哮と地鳴りのような足音は迫力満点だ。
その後ろを帝国兵が続いている。
「ん~、流石に出し惜しみはしないか。要塞は最後の切り札だろうな」
「ご、ご、ご主人様」
いつもの冷静沈着な顔だが何故かどもりながらセネリがダイゴを呼んだ。
「何だセネリ? 言いにくければダイゴで良いんだぞ」
あれ? 昨晩の眷属化の時、鬼人族の事考えたっけ?
以前ニャン子の眷属化の時にろくでも無い事を考えた結果、ニャン子の語尾が変化したのを思い出し、内心焦りながらダイゴが応えた。
「そ、そうはいかない。他の者が言っているのだ。私だけが言わないわけにはいかない。これはけじめだ」
「別に他の眷属達にもご主人様って呼べなんて一言も言ったこと無いんだけどなぁ。まぁいいや。で、何だ」
どうやらニャン子の時のような事にはなって無いようでダイゴは内心ほっとしながら聞いた。
「その、やはりアルボラス傭兵団も参戦させてはくれまいか?」
「ん、相手に鬼人族がいるからか?」
「そうだ。特にあのヴギルは我が祖父母の仇。それに昨日ご、ご、ご主人様は機会をくれると言ったでは無いか」
「確かに言ったが、今は駄目だ。奴等の狙いがお前達の捕獲でもある以上、むやみやたらに戦場に出すわけにはいかないだろ」
「し、しかし!」
「焦らなくてもちゃんと機会は来る。リセリ達にはメアリアについて貰うから待機するよう伝えてくれ」
「わ、分かった」
「さて会敵するな。セイミア、ゴーレム兵に例の作戦を指示」
「畏まりましたわ」
「例の作戦?」
メアリアがダイゴとセイミアを見た。
当初の作戦行動には無い物だからだ。
「ああ、鬼人族対策として少し作戦をセイミアが修正したんだ。名付けてクマンバチの囁き作戦」
隊列を組んで行進していたゴーレム兵たちが突然一斉に散った。
その重装甲に似合わぬ速さで敵陣に駆けていく。
「が、がぁ!?」
先頭にいた鬼人族達は突然の敵兵の動きに戸惑った。
その隙を狙うかの如くゴーレム兵は鬼人族の懐に潜り込み、剣を……
チクッと刺した。
「んがっ!?」
ゴーレム兵はそのままその鬼人族の懐をすり抜ける。
「ご、ごのぉ!」
鬼人族兵は槌を振り回すがゴーレム兵はひょいと避けて当たらない。
そして又チクッと刺す。
まるっきり馬鹿にした様な動きにすっかり鬼人族兵は頭に血を上らせた。
「ご、ごのぉ! ちょ、ちょこまかどぉ!」
脇をすり抜けざまに手傷を負わせたゴーレム兵を鬼人族の兵が追いかけ、槌を振るう。
「お、おいぎゃぁあっ!」
振るった槌はゴーレム兵には当たらず同じようにゴーレム兵を討とうと集まっていた帝国兵に当たった。
「ぎゃっ!」
三人ほどの帝国兵が槌に吹き飛ばされて地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「ご、ごごんのぉおおお!」
挑発するように手傷を負わせながら逃げるゴーレム兵を追って、鬼人族の兵は進軍方向を無視して狂ったように槌を振り、その度に帝国兵が巻き添えを食っていく。
「な、なんだこいつら、うわっ!」
「敵は向こうだぞ!」
「いや、こっちに……あぎゃあ!」
もはや隊列は乱れ、たちまち戦場は大混乱に陥っていた。
朝の鬼人族の大暴れの光景が帝国兵たちの脳裏に蘇った。
その時、
「こ、こんなのやってられるか!」
「もう嫌だ! 俺は要塞に戻る!」
「要塞なら安全だ!」
帝国兵の誰かが叫んだ。
否、普通のゴーレム兵に混ざっていたハイブリッドゴーレム兵が叫んだのだ。
この両軍が入り乱れた混乱の状況下で何処の誰が言ったかなど分かるはずも無い。
すっかり士気の低下していた帝国兵達は自然とその流れに乗ってしまう。
「お、俺も要塞へ逃げるぞ!」
「俺もだ!」
「こんな無茶苦茶な戦いやってられるか!」
練度と士気の低い帝国兵達は我先にと要塞に向かって駆けだした。
「馬鹿者! 戻るな! 進まんか!」
現場の指揮官は勿論そうがなり立て、逃げようとする兵を何人か斬っていく。
「ふざけんな! だったらアンタがあの味方面して暴れてるバケモノ達を止めろよ!」
そう叫びながら殺到する兵達に馬ごと押し倒され踏み潰されていく。
他の指揮官達は真っ先にゴーレム兵に斬り殺された。
鬼人族が暴れまわり、帝国兵たちが逃げてくる。
もはや戦線の体は全く成していない。
「逃げろ! 要塞に逃げるんだ!」
「デドル傭兵団も寝返ったぞ!」
ハイブリッドゴーレム兵は口々にそう叫びながら帝国兵だけを斬り殺して進んでいく。
パニックに陥った帝国兵達は鬼人族達から逃げるように要塞に向かって駆けていた。
「むぅ、やはり急場で徴用した者ではこの体たらくか」
その様を要塞前の本陣で無表情で見ていたセディゴがぽつりと言った。
「如何いたします、殿下」
「決まっておるわ、あ奴等を要塞内に入れれば折角の仕掛けが台無しになる。排除しろ」
「し、しかし……」
「構わん、鬼人族共と待機している古参の兵合わせて五千が残れば十分だ」
ボーガベルの兵を生き埋めにしてしまえば、カナレの奪回などその人数で十分事足りる。
この計略は敵兵が二千余りということを計算して立ててある。
逃げて来た兵に要塞内に立て籠もられてボーガベル兵が入れなければ意味がない。
「分かりました」
副官が伝令に命令を伝えると、要塞から、重弩砲の四差槍や弓矢が次々と発射される。
ただし目標はボーガベル軍では無く自軍の兵士に向かってだ。
四差槍や矢に当たり次々と帝国兵が斃れていく。
「そ、そんな、何で要塞が……」
そう言って立ち止まった兵士は次の瞬間鬼人族の槌に頭を吹き飛ばされた。
「なるほど、鬼人族を上手く利用したわけだ」
メアリアが感心したように言った。
「ええ、昨日の件で今朝鬼人族が暴れた為にこの状況を作りやすくなりましたの」
「鬼人族も捕虜を奪われてなければもう少し冷静だったろうけどな」
彼方で始まった同士討ちを見ながらダイゴは得心したように言った。
「さて、そろそろ要塞本体に掛かりたいんだが」
「やはり一番効果的なのは直上からの魔法による爆撃ですね。これなら要塞前部の積み石を外に出せます」
ゴルダボル要塞の堅牢さは要塞全面に積み上げられた石垣に拠るもので、当然自壊時は要塞内部に崩れるようになっている。
これがそのまま崩れれば石垣を取り除くのに膨大な時間を要し、それだけ進軍が遅れることになる。
「直上? 真上? 空?」
それを聞いたメアリアがたじろいだ。
「……なら私が」
シェアリアがそう言い掛けたとき、
「ご、ご主人様! 私にやらせてくれまいか?」
セネリが割って言った。





