第五十八話 セネリ・ラルウ・ウサ
「アルボラス傭兵団が出陣しただと?」
朝食中のセディゴは部下の報告にやはり無表情のまま答えた。
「何の命令も下してはおらんが……」
「早々に任務を全うする旨を言い残されて出立した模様ですが」
「ふうむ、気位が高いというよりは只のじゃじゃ馬のようでもあるな。まぁ良い、放っておけ」
「宜しいので?」
「当たり前だ。それで我々が何を損する? 何か戦果が上がればそれで良し。全滅したところでブリギオ兄の懐以外は痛まんよ」
「分かりました」
「それより要塞の構築を急がせい」
「はっ」
礼をして部下は出て行った。
「全く……」
朝食の時間を台無しにされたセディゴの機嫌は一気に悪くなった。
表情は全く変わってはいなかったが。
アルボラス傭兵団総数二百はカナレに向けて進軍していた。
「裸を見られて出陣とは……セディゴ殿下にどう言い訳すれば良いのやら」
リセリがあきれ顔で言う。
「煩い。まだダイゴとやらはカナレを離れてはいない筈。必ずこの手で殺してくれるわ」
何時にも増して仏頂面のセネリが言った。
「そのダイゴですが、どうやら帝国では『例の兵士』達の指揮官という話らしいですよ」
「ならば尚更好都合ではないか。カナレを落とせばセディゴ殿下も文句は言うまい」
「少々軽率ではありませんか? 敵の陣容も力量も分からず突撃とは」
リセリの心配ももっともな話だ。
今のカナレの推定戦力は元からいた第十軍三千とダイゴ率いる『例の兵士』の二千、合わせて五千人。
こちらはたった二百人だ。
第十軍とやらだけが相手なら恐らく勝つことは出来るが、ダイゴの部隊の能力が一切不明な点が問題だ。
「陣容なら知れておるよ。ダイゴは獣人の女を供に連れていたろう? あれが奴の護衛とすれば、ボーガベルの例の部隊とやらは獣人で構成されてると見て良いだろう」
獣人とも数回戦った事はあるが、確かに只人族よりは遥かに強いが魔法を使えない以上セネリは強敵とは思えなかった。
「一見もっともらしい意見ですが、確認出来ている獣人はたったの一人ですよ?」
「だから、それをこれから確かめに行くのだ! それで相手の力量は測れよう!」
徐々に焦れて来たセネリの口調が荒くなる。
「こちらの手の内もある程度さらけ出すことになりますがねぇ」
「ああもう、お前はいつもいつもああ言えばこう言うで!」
すっかり頭に血が上っているのか、いつもの冷静沈着さは微塵も無い。
「はいはい。姫様のお好きなように」
そんなセネリもリセリは特段気にする事も無く受け流す。
「全く」
「いっそあの男に輿入れすればよろしいんじゃ無いですか?」
そう言われて振り向いたセネリの顔は真っ赤になって狼狽える複雑な顔だった。
「な……お、ま、え……」
「はいはい。それができれば苦労はしませんよね」
「あ……当たり前だ! 我々にはアルボラス復興という悲願がある! それを成し遂げるためには……」
そこで言葉は途切れてしまった。
リセリは何も言わなかった。
冷静沈着、ともすれば冷酷冷徹にも見えるセネリの気性は、長い放浪の傭兵暮らしとアルボラス再興と傭兵団を若年で率いる事になった責によって被った仮面だ。
乳姉妹として一緒に育ってきたリセリの知っている本当のセネリは義に厚く、情に脆い不器用な女だった。
目前遥か彼方にカナレの街が見えて来た。丁度峠を出た所で見下ろす形になる。
「ん? なんだあれは」
セネリが指さした先に四角い大きな構造物があった。
魔導輸送船だが当然セネリ達は知らない。
「何でしょう? 神話にある神の箱舟にも似てますが」
「まぁここを落としてじっくり調べれば良いか。後方に伝令、ここに陣を張る」
「はっ」
リセリが手早く部下に伝え、後方の兵が天幕の設営を始めた。
「すぐにでも突撃するかと思いましたが」
「流石にそこまで短絡では無いつもりだがな。兵も移動の連続だ。相手の出方を見てからでも十分だろう」
一アルワ立たぬうちに手早く天幕が張られると、兵達は森に野草を採りに、また夕食の支度に取り掛かっていた。
輜重隊が存在しないアルボラス傭兵団は全てを兵士自身が賄っている。
夕食も終わり、交代の見張りを残し早々に皆天幕へ引き込んだ。
だが、その夕闇を走る影が二つ。
当然セネリとリセリだ。
「何ですかいきなり供をしろって? また水浴びですか?」
「違う、街の明かりがやけに明るいのが気になってな」
「そんな……蛾じゃないんですから」
「煩い、うまく行けばダイゴの寝首を掻けるかもしれんだろうが」
「はぁ、それが本音ですか。そんな暗殺者みたいな真似事、姫様にお出来になりますかね」
「やってみせるさ」
実際セネリにしても本気でアルボラス傭兵団二百でカナレを落とせるとは思っていない。
あくまで自分達が街に潜り込むための囮であり、明日にはさっさと撤退するつもりでいる。
もし追撃の兵がいればそいつらを討っておけばセディゴ殿下への弁明にもなるだろう。
二人は深い森を抜けカナレの正反対、シャプワに通じる門脇に出てきた。
特徴的な耳はすっぽり外套で覆って、旅人の身なりをしている。
「んん? もう閉門時刻はとっくに過ぎておるぞ」
門番の兵士が無愛想に言う。
「申し訳ございません。途中で姉の具合が悪くて休んでおりまして……どうか……」
「まぁ仕方ない、今は戦時下だからこれからは門限に遅れるなよ」
そう言って門番は少し門を開け、二人は足早に中に入った。
「これを使わなくて済むとは」
リセリは胸元に仕込んであった小銀貨一枚を取り出すとポンと放って握った。
大概の街はこれで話が付いた物だが。
「田舎だから……」
そう言い掛けたセネリの口が開いたまま止まった。
街の至る所に煌々と光を放つ柱が並んでいる。
それのお陰でまるで街は昼間のような明るさだ。
「驚いたな、一体何だあれは」
「北でも西でも見たことが……いえ、西のオラシャントに最近光る柱があると聞いたような」
「それがこの東の僻地にか? 俄に信じられんな」
「あれは何でしょう」
リセリが指さした先に黒山の人だかりがしている。
「行ってみよう」
そう言ってセネリ達は人だかりに近寄ってみた。
ずんぐりとした鎧の兵士の前に人が集まっている。
「あの、これは何の集まりで?」
リセリが脇にいたオバチャンに尋ねた。
「ああ、これはボーガベルの公共放送を皆で聞きに来てるんだよ」
「こうきょうほうそう?」
「ああ、あの鎧から色々な人の声が聞こえてくるさね。で、音楽が流れたり、各地の日々の出来事を喋ったりするさね。中でもこれから始まる『王家の悲恋』って物語が大人気でな。ここもボーガベル領になったんでやっと聞ける様になったのさ」
「はぁ……」
リセリには何が何だか分からなかった。
やがて、鎧から荘厳な音楽が聞こえて来た。
「え? あの鎧兵が音楽を出してるのか?」
セネリが驚いて声を上げる。
『アリメルエ・ルベガーボ作、連続恋愛劇、王家の悲恋。第十八話、悲しみの再会』
続いて女の声が聞こえてくる。
「アリメルエ・ルベガーボ?」
「この物語を書いた女流作家さね。その正体は謎に包まれているが噂では王室関係の描写の緻密さから王室関係者と言われているさね」
オバチャンはマニアっぽく説明をしてくれる。
『ああ! ジョルニ! なぜ貴方は私の前に敵となって現れたの!』
『おお、スレオニア! これもまた運命なのか! 何と言う……何と言う運命の悪戯!』
物語は某国の姫がお忍びで出た街で兵士の男と恋に落ちる。だがその国は隣国により滅ぼされ、二人は離れ離れになる。数年後兵士は隣国に取り立てられ立身出世し将軍となるが、落ち延びた姫は他の大国に身を寄せ王国再興に執念を燃やしていた。
そんな二人が再び戦場で再会する……。
「はぁ~、なかなか面白い……うわっ」
感心しながら聞いていたリセリが横を見ると、セネリが滝の様な涙を流している。
「ちょ、ちょっと姫様どうしちゃったんですか!」
「わ……分かる……分かるぞ……姫の気持ち……あうううう」
「うっわぁ……」
ああ、そうだ。この人も故郷を奪われて再興に執念を燃やしてるんだっけ。
でもこの物語の姫は敵の将軍との愛と王国再興の狭間で揺れ動いていた。
ま、まさか……。
リセリがある結論に達するまでの時間は一瞬だった。
姫様はダイゴに恋をしてしまった!?
確かに我々の斬撃をかわす腕前と言い謎の魔法と言い、姫様より強い男という条件には当てはまるかも知れない。しかし、それにしても……。
いや、恐らく自分もそこまで気付いてないのだろう。
何しろ恋愛のれの字も知らなかった姫様だ。
それがあの王家の悲恋とやらに触発されて自分を投影した挙句、変な方向に行ってしまったのか。
果たして喜んでいいのか悲しむべきなのか……。
リセリは大いに悩んだ。
『ああジョルニ! 一体貴方はまた私を置いて何処へ行ってしまったの!?』
話は再び戦いの中で将軍は行方不明になり、次回に続くになった。
「ああぁ、良かった。面白かった」
リセリの差し出した手巾で涙を拭きながらセネリが感動の余韻に浸っていた。
「感動するのは良いですけど本来の目的は忘れてないでしょうね」
「も、勿論だ! 無粋な奴だ」
「あ、姫様、あれを」
そう言って指を差した先には魔導輸送船が着座し、多くの荷物を降ろしていた。
「例の建物か……蔵……か?」
「それにしては形が妙です」
「入ってみよう」
「あ、ちょっと姫様!」
周辺は兵士や商人、人足でごった返していた。
二人はそろそろと影に隠れながら輸送船に近づいていく。
やがて隙を見てタラップから格納庫に入っていった。
「はぁ……広いな……」
セネリが感嘆の声を上げる。
「こんな蔵見た事ありませんよ。まるで船の中みたいな」
「馬鹿を言え。こんな陸地に船が有るわけなかろう」
「それはそうですが……あっ!」
リセリがタラップが閉まるのを見て声を上げた。
「しまった! 罠か!?」
慌てて抜け出そうと駆け寄るが、その寸ででタラップは閉まってしまった。
「あ……ああ……」
直後に正体不明の浮遊感が呆然としていた二人を襲う。
「な、なんだ……」
「ひ……姫様……あ、あれ……」
普段は出さない動揺の声のリセリが窓の外を指さす。
街の灯りがみるみるうちに小さくなっている。
「わ、私達空に……」
「ひっひいいいいいい!」
たまらずセネリが声を上げた。
普段の冷静沈着なセネリとは思えない狼狽えぶりだ。
「ちょ、姫様! お静かに!」
「こ、怖い! 怖いぃ! 助けて! 母様! ダ……」
「おや、こんな所で如何なされました?」
二人が声のした方に顔を向けると、そこには柔和な顔をしたダンディな男が立っていた。
「あ、あの……私達迷い込んでしまって……そしたら……」
ガタガタと頭を抱えて震えるセネリを抱きしめながらリセリが言った。
「ああ、たまにいるのですよ。分かりました。戻りましょう」
「あ、ありがとうございます」
そう言った途端、輸送船はするすると降りて再び着座した。
タラップが降り、男が、
「今後はお気を付けくださいませ」
そう言って見送ったのを、リセリが何度も礼を言い、腰が抜けかけたセネリを引きずるように出て行った。
「はあ~っ」
近くの食べ物屋に駆け込み、茶を飲んでやっと二人は一息ついた。
「しかし、空を飛ぶ船……とんでもない物が当たり前の様にあるのですか……ボーガベルは」
だが、セネリは卓に突っ伏したままだ。
「姫様?」
「あんな醜態を晒して……死にたい……」
「良いじゃないですか。私とあの人しか見てないんですから」
「それでも死にたい……」
「じゃぁ死ぬ前に一つ教えて下さいよ、ダって誰ですか?」
「それ以上聞いたらお前を殺してから死ぬ」
「はぁ~はいはい。そろそろ戻りましょうか」
「まだ何もやってないでは無いか」
「いや、もう戻らないといけませんよ。そうでなくても十分騒いでいるのに。怪しまれないのが不思議です」
「田舎だからだろう……」
「いつから姫様は田舎に一々驚く未開人になったんでしょうね」
「煩い黙れ」
「あ、あれ? ダイゴ……」
「な! 何!」
がばっと起き上がったセネリが辺りを見回す。
「あ、違いました。もっと年上の人です。連れてる獣人も違うし」
「お、お前……」
ワナワナと拳を握り締めてセネリは唸った。
「でもよく似てますよ。親戚とか親かも知れませんよ」
「そ、そうか……そうだな。何か情報が手に入るかも知れない。リセリ」
「はいはい」
そう言ってリセリは男の座ってる卓に向かい、二言三言言葉を交わす。
どうやら一緒に食事しようという話になったのか、リセリが手招きをする。
「こちらは商人のセディゴ・マルキアさんですって」
「こんばんは、セディゴです。こっちはお付きのワン子」
「ワン子です」
そう言って美しい獣人は頭を下げた。
「リセリと申します。こちらは姉のセネリ」
「セネリだ」
「これはこれは美しいお嬢さんがたですな。こんな最前線の街に観光ですかな?」
「いえ、カナレは商売が盛んと聞きやって来たのですが、着いた日にボーガベルに占領されたとかで暫く宿にいました故……」
「ほほう、それは難儀でしたな」
「貴殿はボーガベルのダイゴ・マキシマはご存じか?」
「勿論知っておりますよ。彼とは同郷でね。良い商売をさせて頂いてます」
セネリの顔に喜色が浮かんだ。
本当にこの姫様は分かりやすすぎる。
そこが良いところでもあるのだが……。
「ダイゴとはどんな人物なのでしょう」
セネリを代弁してリセリが聞く。
「そうですね。ボーガベル王国参与で一軍の指揮官、そしてカイゼワラ州の領主ですかな。女王陛下の信任厚く、影の国王などとも呼ばれております」
「はぁ、そんな大人物なんですか……」
そう瞳を潤ませながら語るセネリの表情は、もはやその辺の恋する街娘と何ら変わっていない。
はぁ、気高く生きるは何処へ行ったのやら……。
リセリはこめかみを押さえながら話を続ける。
「ダイゴ……将軍ですか? その人はこの街にいらっしゃるのですか」
「そうですね、公式には発表はされてませんが、部隊の指揮を執る為におられます」
「何処に宿泊なされてるのでしょう」
「これは内密に願いたいのですが、何でもこの街の金宿に泊まっているそうで」
その後も会話は盛り上がったが、セネリはやれダイゴの好みの色だの好きな食べ物だの聞くのみで大いにリセリを苛つかせた。
「そんなに怒ることは無かろう、あれは場を盛り上げるための卓話術という物だ」
「全くそうは思えませんでしたが? あの二人も引きまくりでしたよ?」
二人は静まりかえった街を金宿に向かって走る。
「ここか」
最前線のカナレの金宿は小さな城とも言える造りで、周囲を塀に囲まれていた。
すでに重厚な門は閉められ、衛兵が番をしている。
「で、どうするんですか? 寝台に潜り込んで召し上がれとか言うんですか?」
「何を馬鹿な事を言ってるんだ。殺すに決まっておろう」
「はぁ……じゃ行きましょうか」
まぁ流石の姫様も夜這い等ということは間違っても出来ないとはリセリも思ってはいた。
二人は脇の林から木伝いに敷地に入る。
広大な庭に下り立ったセネリ達を待ち構えている影が二つ。
「! お前は!」
一人はあの時の獣人の女、そしてもう一人は魔導服を着た見知らぬ女だ。
「やっぱり来た……にゃ」
「……成程、森人族……実に興味深い」
魔導服を着た女が呟く。
「くっ、待ち伏せていたのか?」
「姫様、一旦引きましょう」
「嫌だ! ダイゴを殺すんだ!」
そう言うや呪文を詠唱した。
「雷撃!」
だが、二人を襲ったはずの雷撃はやはり何の打撃も与えられていない。
「どういう事だ……どうして……」
セネリは呆然とした。
「……成程、良く分かった」
魔導服の女がそう呟くと、歌の様な呪文を唱え始める。
「な、何だ? 詠唱なのか?」
「……雷撃」
セネリ達の周囲に稲妻が走る。
「うおっ!」
「きゃっ!」
直撃はしていない、わざと外したようにも思えた。
だが、閃光が消え、視界を戻すと獣人と魔導服の女は消えていた。
「どういうつもりだ……」
度重なる雷撃に周囲が騒がしくなってきた。
「姫様! もういけません! 戻りましょう!」
「し、しかし……」
「姫様!!」
リセリの真顔での懇願は本当に危険な証左だった。
「わかった……」
セネリたちは塀を飛び越え林に消えていった。
そこへダイゴ、ニャン子、ワン子、シェアリアが再び転送で現れた。
ダイゴは商人セディゴと名乗った時の姿だ。
「帰っていったか。どうだった? シェアリア」
「……参考にはなった」
「しっかし、帝国も傭兵を使ってくるとはなぁ。しかも森人族とは」
「余裕が無くなって来たのかも知れませんね」
そうワン子が答える。
「でも昨日やりあった感ではまぁ強い程度か……にゃ」
頭をポリポリと掻きながらニャン子が言う。
「そうなんだけどなぁ……」
「……ご主人様、邪な事を考えてる」
何やら難しそうな顔をしてるダイゴをシェアリアが覗き込んだ。
「は? 何を言ってるのかねシェアリア君。ボカァ別に……」
「いんにゃ、この顔は考えてる……にゃ」
「ですね」
「ワ、ワン子君まで酷いじゃぁないか……」
「……折角金宿の部屋を取ってあるんだから、そこでじっくり聞かせてもらう」
「賛成……にゃ」
「賛成です」
ダイゴは三人に引きずられていった。





