第五十七話 アルボラス傭兵団
エドラキム帝国東部の中規模都市サシニア。
人口二万人のこの都市は以前はグルボルカ王国の王都グンドイだったが帝国に占領された際にサシニアに名前を変えた。
旧王城は一度破却された後統括局が置かれ、現在は第四、第五軍総勢二万が駐留している。
「カナレから戻りました斥候の報告によりますと、敵兵およそ五千以上が集結中とのこと。その中には叛乱兵と思しき者共もおるそうです」
エドラキム帝国第四軍の将、第三皇子ブリギオは伝令の言葉に苦々しい表情を浮かべる。
第二皇子サクロスほどではないが恵まれた体躯は王としての風格をそこはかとなく漂わせている。
「兄上、よもやレノクロマが寝返るとは思いませんでしたな」
脇にいる第四皇子セディゴが無表情で言った。
こちらはブリギオとは対照に背は低く体躯は細い。
「ふう、元よりあの駄馬がどうしようと知ったことではないが……」
兵力が精々三千の第十軍が歯向かった所で二万に敵うべくもない。
グラセノフと第一軍の謹慎もサクロスが喜ぶだけであって、ブリギオやセディゴには関係の無い話であった。
「とは言えカナレを占拠されたのは痛手ですな」
「仕方あるまい。元よりこのサシニアが絶対防衛線だからな」
「ならばゴルダボル要塞の完成を急がせねばなりませんな」
ゴルダボル要塞はサシニアとカナレの間にあるバールン峠をふさぐ形で構築されている。
旧グルボルカ王国が当時カナレを領有していたボーガベルに対する備えとして築いたもので結局ボーガベルはこの要塞を抜くことはできなかった。
ただでさえ堅牢なこの要塞をブリギオ達は更に改修を加えていた。
「もう数日で完成との報告は来ている。何も問題はあるまい」
「しかし、如何に難攻不落なゴルダボル要塞とは言え、ちと心許ない気が致しますな」
セディゴがやはり表情を崩さずに言う。
何しろ要塞の守備は自分の役目だ。
そして相手は帝国軍の約半数を一年半で壊滅させた『例の兵士』。
第三皇子相手に不平は言えないが愚痴の一つもこぼしたくはなる。
「そうぼやくな。そこで例の策が活きてくるのだ」
「ほほう、例の策ですか」
御前会議でファシナと共に言っていた策。
「先程到着したばかりだ。例の者を呼んで来い」
その場に控えていた部下にそう言うと、暫くして扉が開き、鎧姿の武人が入ってきた。
「ほおぅ」
ブリギオが感嘆の声を上げたのも無理は無い。
日頃無表情なセディゴですら思わず眉を動かしたほどだ。
限りなく透明に近い金髪。
長く尖った耳。
そして天から舞い降りたかのような美貌。
遙か北方大陸のみに住むと言われる伝説の種族、森人族の女だった。
「この度、エドラキム帝国に与することになりました、アルボラス傭兵団総勢二百を率いております、セネリ・ラルウ・ウサと申します」
森人族の武人は跪く事も無く言った。
「おお、セネリ殿、待ちかねておったぞ。余がエドラキム帝国第三皇子ブリギオ・エ・デ・エドラキムだ。これは第四皇子の……」
「セディゴ・エ・デ・エドラキムだ」
セディゴは元の無表情のままだ。
「ブリギオ殿下、並びにセディゴ殿下におかれましてはご機嫌麗しく。早速ですが我々の任をお教え頂きたい」
セネリも言葉には一応の礼はあるが表情にはまるで愛想のかけらも見られない。
むしろご機嫌が麗しいかどうかすら判らないセディゴといい勝負の無表情だ。
「うむ、このサシニアと敵ボーガベルが占拠したカナレの間にあるゴルダボル要塞、そこに赴き侵攻するボーガベル軍の撃滅。これが貴公らの任だ」
「承知致しました。では早速ゴルダボル要塞とやらに向かわせて頂きます」
「ああ、待て。現地ではこのセディゴの命に従うように」
「承知致しました」
「早速だが今晩臥所の供をせいと申したならば如何する」
眉一つ動かさずにセディゴが言い放つ。
「その様な仰せ付けは約定に入っておりませんので即刻帰国させて頂きます」
僅かに目を細めたセネリも冷たく言い放った。
「ふむ、使えそうではあるな。勿論冗談だ。持ち場につかれるが良い」
セディゴが無表情で言う冗談はお世辞にも冗談には聞こえない。
だがセネリも何事も無いかのように表情を崩さない。
「では、これにて」
軽く会釈をしてセネリはその場から立ち去った。
「なる程、伝聞通りの気位の高さ。良く引き受けましたな」
「ああ、仲介の商人の分も含めそれなりの報酬と、シャプワ以北の森林地帯の所領を確約したところすんなり了承したわ」
「ほう、しかしあそこは……」
シャプワ以北はボーガベル領だ。カナレを占拠された今となっては領有など至難の業に思えた。
「まぁ精々励んでもらう。とにかく森人族は気位は人一倍高い種族だ。扱いはくれぐれも慎重にな」
「総数二百と聞きましたが戦力としては期待できるのでしょうな」
「勿論だ。ボーガベルの件の兵士の正体があれと同じだと第三軍の参謀共は結論づけた。彼の者達は二百で五千の軍勢を退けるそうだ」
バッフェの傭兵団では無いとの結論から他大陸の戦闘集団と結論付けたブリギオは他国の商人に大枚をはたき、有力な傭兵団を求めた。そしてやって来たのがアルボラス傭兵団だった。
「なる程、ならば数が少ないのも頷けますな」
「そういうことだ。毒をもって毒を制す、だ。よしんばしくじったとしてもまだ奥の手はある。安心してゴルダボル要塞に向かうが良い」
「分かりました」
セディゴは無表情のまま礼をして退出していった。
「問題はむしろ、奥の手の方だな……」
ブリギオは手元の手紙を見て苦々しく言った。
「果たしてこの様な者共を……、いや、相手はそれに類する者共だ。要は退ければ良いのだ」
そう呟いて、手紙をしまい込んだ。
アルボラス傭兵団総勢二百名は早々にゴルダボル要塞に向かいサシニアを出発した。
この傭兵団の特徴は全て女性で構成されていることだった。
しかも一人一人が見目麗しくそれでいて屈強な森人族だ。
カナレ方面から戦火を逃れてきた平民達はこの美丈夫達の行軍を呆然と見送っていた。
「ご機嫌が宜しくないようで」
副長を務めるリセリが脇に馬を寄せ尋ねた。
「また臥所を共にせよと言われた。全くどいつもこいつも」
吐き捨てるようにセネリが言う。
「いい加減お慣れなされ、一々腹を立てても仕方ありますまい」
「これでも相当抑えた物だがな」
以前のセネリなら即座に立ち去ったろう。
それ以前は有無を言わさず剣をすっぱ抜いた物だ。
気高く生きるということは難儀な事で、時には愛想笑いの一つも必要などと常日頃からリセリに諭されてはいるものの、姫と生まれたこの身がその様な器用な真似は出来ない。
セネリは今もそう思っている。
「しかし、今度こそ安住の地が手に入ると良いのですが」
森人は文字通り森に住まう人だ。森があってこそ長寿を全うし、魔法を使い、人並み外れた力を出せる。
森が無ければ徐々に力を失い、人と然程変わらぬ存在になってしまう。
それが森人だった。
北方大陸の彼等の故郷である小国アルボラスが鬼人族の侵略で滅んで十年。
気位が高く縄張り意識の強い他の森人族はアルボラスの民の受け入れを拒み、結果アルボラスの森人族達は流浪の民として北方大陸を追われた。
ようやく落ち延びた西方大陸で猫の額ほどの森を租借する事が出来たが期限付き且つ莫大な租借料を支払わねばならない。
そこで王家の生き残りであるセネリの母がまとめ上げたのがアルボラス傭兵団である。
鬼人族との戦いで殆どの男を失っていた為、兵は皆若年の女で構成されている。
だが、その類い希なる戦闘力で多くの戦場をくぐり抜け、安住の森を捜してきた。
しかしそれは容易には見つからなかった。
騙されたことも一度や二度では無い。
その内に母が戦で死に、急遽セネリが跡を継いだ。
そして北方と西方の大陸で戦いを重ねて来たのだが、いよいよ租借地の返還期限が迫って来た。
そこで丁度要請のあった東方大陸に不退転の覚悟でたどり着いた。
「我々にはもう後が無い。だから敢えてこの東方大陸に来たのだ、何せこの大陸は非力な只人族しかいないし魔法も初期詠唱魔法しか使えないそうだ」
「しかし、相手のボーガベルでしたか? 相当な強兵がいると街で聞きましたが」
セネリと違い幾分世情慣れしているリセリは馬や荷馬車の調達の過程で愛想良く街の人間から相当の情報を仕入れていた。
初めて見る森人とあって街の人間も実に愛想良く様々な事を教えてくれた。
姫様も幾分見習っていただければ……。
リセリはそうも思うがこの姫には逆立ちしてもできないのは十分承知していた。
ともあれ一年前には単なる辺境の弱小国であったボーガベルが滅亡を前に突如息を吹き返すがごとく帝国の第八、第六軍を破り、古の大国と呼ばれたバッフェ王国を併合し、その過程で非公然ではあるが第七、第九軍をも打ち滅ぼした。
それもたった二千程の兵で、である。
「そんな評判の輩は他大陸で嫌というほど相手してきたが何れも評判倒れだったでは無いか。この東方大陸で我々以上の強者などおらんよ」
セネリには俄かには信じがたかった。
サシニアにいたエドラキムの兵士の装備や立ち振る舞いを見れば自分達でも五千程度なら打ち破れるだろう。
だが相手が一万、二万となれば話は別だ。
北方や西方に傭兵団は数多くあり、共に戦った者も相対した者も良く知ってはいるがその様な強者は見た事も聞いた事も無い。
「それでは姫様の婿取りも絶望的ですな」
「そ、それは仕方あるまい……」
「はいはい。しかし、姫より強い殿方などいるのでしょうか」
「何処かにはいるだろう……多分」
益々不機嫌になったセネリは馬の歩幅を早めた。
夕刻にはアルボラス傭兵団はゴルダボル要塞に入った。
「ほう、これはどうしてなかなか」
セネリは少しだけ感嘆の声を上げた。
峠を塞ぐように、丁度ダムの様に築き上げられた要塞には至る所に岩落としの穴が設けられ、禍々しい姿を見せつけていた。
工事はまだ続いているらしく、あちこちで集められた人足が動いている。
それら人足達の粘ついた視線がセネリ達に絡みつく。
不快さは増したがそれでどうこうするほど流石にセネリも無分別では無い。
割り当てられた空き地で天幕を張り終えた傭兵団は早速付近の森に入り、夕食用の野草を採り始める。
森人の主食は草類というのが彼女らが安住の地に森を求める最大の理由だ。
勿論肉類も食うが彼女らの魔法や身体能力の源である魔素は草類から摂るのが彼女らにとってもっとも効率が良いからだった。
「リセリ、少し近隣を見て回る。供をせい」
「宜しいのですか? セディゴ殿下に無断で」
「構わん、早く来い」
そう言って馬を走らせたセネリの後をリセリが追う。
少し走った森の奥で清水の溜まった泉を見つけた。
「やはり」
リセリはあきれ顔だ。
「当たり前だ。あのような男どものいる所で水浴びなど出来るか。良く見張っててくれ」
「はいはい。ごゆっくり」
手早く鎧を外し始めたセネリを置いてリセリは道の方へと消えた。
「ふう」
神々しいばかりの裸身を泉に沈めセネリはため息をついた。
傭兵団を率いて、いや国を出てからはこんなにのんびりと水浴びをする暇も数える程もなかった。
精々湿らせた布で身体を拭ければ上等。戦いの日々の最中で自分の体臭に辟易したことも一度ではない。
「一体、いつまでこの様な暮らしが続くのだろうな……」
微かに夕暮れの朱が差し掛けた空を見て思う。
安住の地すら見つからず、故郷アルボラスの奪還など夢のまた夢。
このままひたすら戦いに身を任せる日々が続くのか……。
「せめて私より強い伴侶がおれば……」
それもまた夢だ。
今まで秋波を送ってきた男は数知れぬが何れも完膚なきまでに叩きのめしてきた。
もし、そんな男がいるのなら……。
ふと、森人族らしからぬ胸の大きな山の天を突くような頂を眺めてまた溜息をついた。
「あれ?」
不意に声がし、驚いて振り向くとそこに男が立っていた。
何時の間に!? 気配を感じなかった!?
すぐに脇に置いた剣を構える。
「貴様! み、見たな!?」
「あ、いや、すまない。まさかこんなところで水浴びしてるのがいるなんて思わなかったので」
「うるさい! 見たからには死ね!」
「ええっ! マジか! ってうおっ!」
セネリが放った必殺の一撃を男は難なく躱した。
何だと!? これを躱した!?
すぐさま蹴りも交えた連撃を放つがこれもすべて躱されていく。
「ま、待て! 見たのは謝る。落ち着け! ってか丸み……」
「うるさい! 見られたからには殺す! さもなくば……」
さもなくば!?
何を言おうとしてるのだ私は!?
セネリの顔が赤くなった。
「死ねええええ!」
キンッ!
何かに当たって剣が止まった。
「なっ!?」
見るといつの間にか奇妙な服を着た女が奇妙な武器でセネリの剣を受け止めていた。
「ご主人様、大丈夫か……にゃ?」
「おう、まぁな」
「な、こいつ獣人!?」
「ご主人様に仇成す者は死ね……にゃ!」
そう言って剣を弾いた獣人の女に別の場所からの斬撃が来た。
獣人の女は飛びのいて避ける。
「姫様! ご無事で!?」
「リセリ! 遅い!」
騒ぎを聞きつけたリセリがやっと戻って来た。
「姫様? あんたエルフの姫様か?」
『えるふ』? 何処かで聞いた呼び名だ。確か古い伝承にある異界の者が森人族を呼ぶ名が『えるふ』だったような……。
そうセネリが思う間に、
「ご主人様、こいつら森人族……にゃ」
「ああ、こっちでは森人族って言うのか」
「リセリ、離れていろ」
「ま、まさか」
そういう間にセネリの口から高速の呪文が詠唱される。
「雷撃!」
途端男と獣人の女に雷が降り注ぐ。
「うおっ!?」
「にゃ!?」
「やった……あ?」
だが二人ともピンピンしている。
「おっどろいたなぁ、超高速呪文を使える魔法剣士か。しかも雷属性とは」
「シェアリア様が聞いたら眼の色変えます……にゃ」
「な……『雷撃』が効かないだと……」
「姫様……一体」
「リセリ! 連撃!」
「はっ」
リセリも超高速呪文を詠唱し、炎弾と雷撃が浴びせられる。
が、
「おおっすげえ! 『炎弾』も使えるのか」
「シェアリア様がすっ飛んで来そうです……にゃ」
男たちは炎に焼かれる事も無く呑気そうに感心している。
「そんな……全く効かないだと……」
セネリは呆然とした。
こんな事は初めてだった。
「さて、折角森人族に会えたが友好的って感じじゃ無かったのは残念だ。ここらでお暇させて貰うわ」
「逃がすか!」
セネリが振りかぶって斬りかかろうとしたその刹那、
「『重力縛』」
男がそう言って右手をかざした。
「はあぅっ!」
「うぐぅ!」
途端にセネリとリセリは大地に押しつけられ身動きが取れなくなった。
特にセネリは伸びた蛙のような姿勢ではしたないことこの上ない。
「な……動け……ない……は、はうぅっ」
「姫……様……」
「じゃぁな。裸を見たのは素直に謝る。すみませんでした」
男はそう言って頭を下げた。
「ま……待て……ぜ、絶対……殺してやる。わ……私はアルボラス傭兵団のセネリ・ラルウ・ウサだ。き……貴様が……卑怯者でないなら名を名乗れ……」
自分があられも無い姿で拘束されているという初めて味わう屈辱の極みの状況に、なぜか自分の身体の奥底から湧き上がってきたドロリとした得体の知れない感覚を抑えつつ、絞り出すようにセネリは呻いた。
「ああ、おれ? うーん、まぁいいか。ボーガベルのダイゴ・マキシマだ。じゃあな」
次の瞬間、セネリ達を抑えていた拘束が解かれ、すぐさまセネリ達は剣を構えて立ち上がった。
だがダイゴ達の姿はもう何処にも無かった。
「な……何だ今のは……魔法なのか……」
「詠唱してませんでした……」
「ダイゴ・マキシマ……必ず……殺してやる」
透き通るほど白い肌を真っ赤に染めて、セネリは呟いていた





