第五十五話 剣技模写
レノクロマは平野を駆け抜ける。
目の前に整列した敵兵が迫る。
おかしい……。
流石にレノクロマにもこの戦場の異様さが分かってきた。
敵兵は剣戟を送ってくるもその威力はたいしたことが無い。
とても帝国軍の二軍団を瞬く間に殲滅した物には思えなかった。
かといってこちらの打ち込みには的確に反応して防御する。
昔師匠相手に足腰が立たなくなるまで打ち込み稽古をさせられた事を思い出した。
罠か……。
誘い込みの罠なら自分達の動きが読まれていたことになる。
ふと、セイミアの姿が脳裏に浮かんだ。
まさか、そんなはずは無い。
レノクロマはかぶりを振って前を見た。
天幕の前には二十人ほどの護衛らしき兵がいるが、動く気配も無い。
周囲を見てもレノクロマ達に向かってくる兵は皆無だった。
レノクロマは馬を停めた。
「レノクロマ様! 一体!」
つられて馬を停めた先発隊の兵が叫んだ。
だが、それには答えずに、
「我が名はエドラキム帝国第十軍の将、第七皇子レノクロマである! ボーガベルの将軍ダイゴ候が勇猛な士ならば一騎討ちを申し出たい!」
普段の寡黙なレノクロマらしからぬ大声で叫んだ。
応じるもよし、応じなければこのまま突っ込むのみ。
するとレノクロマの進路上の兵士が移動して道ができ、その間に黒い鎧をまとった男が見えた。
男の左右には戦場には場違いな侍女らしき女が二人、寄り添うように付き従っている。
三人はゆっくりと兵士たちの間を通るとレノクロマの二十メルテ程先で止まった。
「貴公がダイゴ候か?」
「ああ、俺がボーガベル王国参与、ダイゴ・マキシマだ」
「戦の作法を破るようで申し訳ないが、今ここで貴君に一騎打ちを申し込みたい」
「ふうん、それを受ける俺に何の利があるのかな」
「帝国皇子の首を直接取ったという勲……で、どうだ」
「ん~、何かお前達に随分都合の良い話だがまぁいいか。その一騎打ち受けてやるよ」
「そうか、有難い、もし俺が勝てば……」
「カナレから撤退しろってんだろ? 何か虫のいい話だよな」
「勿論そちらの条件があれば聞こう」
「お前達全員投降してもらおう」
ダイゴが待っていたかのように即答した。
「……」
「どうだ? 受けるのか? 俺はどっちでもいいんだよ」
「呑めぬ条件だが良いだろう」
「レノクロマ様!」
部下の一人が叫んだ。
「構わん」
「では掛かってきな」
そう言われてレノクロマは馬を降り、愛剣ゴシュニを抜いた。
斬馬刀の部類に入るゴシュニは剣と言うよりは棍棒に近い厚さがある。
例え斬れなくても相手に相応のダメージを与えられる。
見ればダイゴも物差しを抜いた。
だがその構えは片手でダランと下げた一見やる気のなさそうなものだ。
だが……。
あの構え、かなり使う……。
レノクロマは素直に感心し、またダイゴが相当な技量持ちであることを悟った。
ダイゴが滑るように眼前に迫る。
と、次の瞬間には斬撃が来た。
速い!
辛うじて受け流すのが精一杯だった。
ゴシュニを持つ手がビリビリと痺れる。
休む間もなくダイゴは回転しながらの連撃を送る。
これも辛うじて躱し、最後は転がるようにして逃れた。
「降参するかね?」
距離を置いた後にダイゴがのんびりとした口調で言った。
「馬鹿な。まだ始まったばかりだ」
そうは言ったもののレノクロマは全身が汗まみれになっている自分に驚いていた。
圧倒的すぎる……。
目の前の男は自分とほぼ同じ体格だ。
背丈ではレノクロマの方が勝っている。
だがその一撃の速さと重さはレノクロマが闘ってきた敵を遥かに超えている。
だが、負けるわけにはいかない。
ここで自分が負ければ恐らく自陣に残っているセイミア達は皆殺し、良くてセイミアは奴隷姫にされるだろう。
それだけは絶対にさせる訳にはいかない。
脳裏にまた不穏な妄想がチラつく。
『はっはっはー、セイミアとやらよー、お前が頼りにしていたレノなんたらはこれこの通り首と胴が生き別れじゃ-』
『あああ、レノクロマ……可哀相に……』
『お前はこれから俺様の奴隷姫として串刺しにされるのじゃー』
『いやあぁ、レノクロマぁ!』
「さ……せん!」
レノクロマは頭を振って叫んだ。
「ん? 何だ? 謝ってんのか?」
「違う!」
そう言うやレノクロマはダイゴに連撃を打ち込む。
一呼吸での上からの振り降ろし、そして返しての斬り上げ、そして横薙ぎ。
だがダイゴは寸での所で避けていく。
続いて突きの連撃。
だがこれもいなすことなく避けられていく。
一旦レノクロマは離れて間合いを取る。
一息で呼吸を整えるが、ダイゴは全く息が乱れていない。
「大規模戦場で大将がノコノコ最前線に出て来て一騎討ちなんて馬鹿げてるな」
物差しの峰を首に当て、トントンと叩きながらダイゴが言った。
「否定はせん」
「だが戦争自体が馬鹿げてるんだ。だから寧ろ有りなんじゃないかってな。だから俺が来た」
レノクロマの口元が僅かに笑ったように見えた。
敵とはいえ自分の思いを理解してくれる人物がいた事がなんとなく嬉しかった。
ならば俺の特技で応えよう。
「参る」
ゴシュニを垂れ下げるように持ったレノクロマが言った。
その構えはダイゴと全く同じ構え。
「ほう」
ダイゴが声を上げた次の瞬間、レノクロマが滑るように前進し死角から斬り上げる。
雲雀の捌きからの宵斬月?
最初に使った技じゃないか。
にしてはこの正確さはどうだ。
見様見真似で出来る技では無いのに。
そう思いながらダイゴは寸での所で躱すが、すぐさま回転しながらの連撃が襲う。
武韜晦!?
これも真似できるのか?
これも物差しで受け流す。
改めてステータスを見ると
剣技模写
と言う技能がある。
これがソルオラがレノクロマを十歳で剣王ドルミスノに預けた理由だった。
勿論ソルオラにスキルが分かる訳は無いが、私兵との稽古の際に相手の剣技を正確に模写して己のものにする事に気が付いていた。
「なる程なぁ、こんな隠し球を黙っているとは人が悪いや」
レノクロマは自分が言われたと思い無言。
「あとでお仕置きだ」
レノクロマにとって意味が分からないことを言ってダイゴが物差しを振り始めた。
風切り音がビュンビュンと唸りを上げる。
レノクロマは動けなかった。
あの剣の間合いに入ったら間違いなく粉砕される。
だが勇気をふり絞り斬りかかろうと剣を上げた瞬間
「はい死んだ」
物差しがレノクロマの後頭部に当てられている。
ダイゴは『転送』でレノクロマの背後に回っていた。
これは流石に模写できないだろ。
「まだやるって言うならそのまま叩き斬る」
又もレノクロマの全身からドッと汗が吹き出た。
今度は冷たく粘りを帯びた、まるで死、そのものような汗だ。
何もかもが圧倒的過ぎた。
だが、
まだだ!
そう思った矢先。
「もう止めなさいレノクロマ!」
そこにセイミアが立っていた。
「セイミア!?」
「もう勝負は着いたわ。あなた自身も分かっているでしょ?」
「し、しかし……そ、それよりなんでセイミアがここに?」
「ああ、セイミア姫は単身お前たちの助命に来たんだよ」
「! なんだと!」
「大したもんさ。この土壇場に単身やってきてお前達全員の命を助けてくれってさ」
「そんな……どうして……」
「仕方無いわ。どう考えてもレノクロマたちが助かる道が見つからなかったのですもの、だから」
「し、しかし」
「構わんよ、お前がやるなら。だがこの状況下でどうなるかは分かるだろ?」
またも脳裏に先程の妄想の続きが浮かんできた。
「……俺の……負けだ」
レノクロマは膝を着いて絞り出すように言った。
「さて、取り敢えずお前の部下に今後のことを説明して貰わないとな」
「部下?」
「ああ、お前の兵達は死んでないよ。俺の兵が適当にあしらってたからな」
「ど、どういう事だ……」
「レノクロマ様!」
呼ばれて振り返るとそこにはテネアとルキュファがメアリアとシェアリアが乗ったパトラッシュに繋がれて来ていた。
「お前達、無事だったのか」
「ああ、しこたま剣でぶっ飛ばされたがな」
見ればルキュファの鎧は打ち砕かれたらしく、テネアは服や髪のあちこちが煤けている。
シェアリアはテネアに命中する直前で炎爆弾を自爆させたがその余波でテネアは吹き飛ばされ気絶していた。
「うう、見ないで下さい」
恥ずかしさで涙目のテネアから目をそらしてレノクロマは言った。
「一体……」
「まぁ順に説明してやる。まずはお前らの陣に案内してくれ」
ダイゴとレノクロマ達はカーペットに乗って第十軍の陣に向かった。
最初は浮かぶカーペットに驚いていたレノクロマ達だったが、
「こ、これは……」
レノクロマが絶句した。
あちこちで自軍の兵が倒れている。
皆死んではいない。
皆疲労困憊で動けずにいるのだ。
その脇を剣を握りしめたボーガベルの重装歩兵が突っ立っている。
全くとどめを刺すつもりは無いようだ。
「何で、とどめを刺さない?」
「俺がそう指示したからなぁ、まぁ全員精々打撲程度ですんでるだろうよ」
やがて、重装歩兵に包囲された本陣にたどり着いた。
盾を周囲に巡らせ、まだ動ける百人ほどが固まっていた。
その中には副官のモラルドがいる。
「モラルド!」
重装歩兵の中からレノクロマが声を掛けた。
その途端、重装歩兵たちは後退していく。
兵士達の間に動揺の声が広がった。
「レノクロマ様! これは一体……」
驚いた表情のモラルドが言う。
「みんな、済まない。俺は勝負に負けた。そして投降することになった」
「そんな……ではそこにいるのは……」
「あー、ボーガベル軍司令官のダイゴ・マキシマだ」
ダイゴがそう自己紹介した途端、周囲の兵が一斉に殺気立った。
剣の柄に手を掛けた者もいる。
「やめろ、もう勝負は着いたんだ」
レノクロマが制した。
「しかし、此奴の首を持って行けば……」
「無理だ。俺が全く歯が立たなかった。尋常な強さじゃ無い」
「実演した方が早いな。お前、俺を斬ってみろ」
ダイゴはモラルドに言った。
モラルドはレノクロマをチラリと見、彼が頷くのを見るや瞬速の抜き打ちで斬りつけた。
「!?」
モラルドが放った渾身の一撃はダイゴの首で止まっていた。
「まぁそう言う訳だ」
「き、貴公は一体……」
「解釈はどうとでもしてくれ。一々説明するのも面倒なんで。他に俺を斬りたい奴はいるか?」
ダイゴはそう言って辺りを見回したが、皆下を向いて応えなかった。
「じゃ、納得したようだな」
「我々の処遇はどうなるのです」
「一応はボーガベル軍に編入されることになるな」
「そ、それは……」
「不満があるなら帝国に戻って貰って構わない。ただ敗走した連中を帝国がどうするかはこっちの関与することじゃないので。で、編入した奴にはきちんと国民として扱うし、給金も出そう」
「し、しかし、祖国に弓を引く事は……」
「負けて捕虜になった連中を戦わせるのは別段珍しい事では無いが、今の所俺にその考えは無い。正直俺の兵士を使った方が良いからな」
「では一体……」
「ダイゴ殿、宜しいでしょうか」
セイミアが口を挟んだ。勿論タイミングを計ってのことだ。
「何かね、セイミア姫」
「ここは私達で協議させて頂けないでしょうか」
「ああ、そうだな。じっくり相談して決めると良い、一アルワ後にまた来るので、よく話し合ってくれ」
そう言ってダイゴ達は自陣へと戻っていった。
重装歩兵達はその場に立っているだけだ。
やがて戦場から動ける兵たちが続々と戻り、レノクロマを中心に集まった。
「セイミア様! 何故ですか!?」
モラルドが切り出した。
「さっきも言ったけどどう考えても勝ち目が無いわ。レノクロマも貴方も全く歯が立たなかった。あの人がその気になれば全員とっくに六軍や八軍、いえ、七軍と九軍もね。彼等と同じ運命を辿っていたわ」
「そ、そんな。わが国の半数近くの兵が……」
「そう、その事実を掴んだ私は彼と接触してレノクロマの、いえ、十軍の生き残る道を模索したわ。この事態はその交渉の結果よ」
「ま、まさかセイミア様、ご自身を……」
モラルドが何を言おうとしたのか察したレノクロマも目を見開いた。
貴方の帰るところは私がちゃんと開けておくわ。
十歳の時、別れ際にセイミアが言った言葉がレノクロマの脳裏に蘇った。
「その先は言わないで頂戴。レノクロマ達が生き延びられるのなら……」
「セイミア……」
「セイミア様……」
「だから生きてレノクロマ。皆も、これからはレノクロマのために生きて」
「だがセイミア、グラセノフ兄に迷惑が……」
第十軍はグラセノフ率いる第一軍の別働部隊としての性格がある。
その為、第十軍の失態はそのままグラセノフの責任になる恐れがあった。
「大丈夫、お兄様は全てご承知よ。何も心配要らないわ」
少し考えていたモラルドだったがきっとセイミアの方を向いて言った。
「セイミア様、元々我々は軍をはみ出したり、はじき出されたりした者達です。皆何時かは帝国に一泡吹かせようという思いを抱いております。そしてまた我々を拾って頂き、共
に戦ってきたレノクロマ様が帝国に一泡吹かせるというのなら喜んでお供いたします」
そう言ったモラルドと兵たちは皆同じ目でレノクロマを見た。
「皆聞いてくれ!」
レノクロマが声を張り上げた。
「俺の出自は重々承知している。そんな俺が今日まで生きてこられたのはグラセノフ兄やセイミア、そしてこんな俺に付いてきてくれたお前達のおかげだ」
「レノクロマ様……」
「俺は今までそんなグラセノフ兄やセイミアの恩に、そしてお前達の忠義に報いてやるために駆けて来た。そしてこれからもだ」
一呼吸置いてレノクロマは右手を挙げて叫んだ。
「これより俺はボーガベルに組する! 全員俺についてきてくれるか!?」
「「「応!!!」」」
兵士全員から歓声が挙がる。
後から戻ってきた兵達にも伝えられたが、異を唱える者など皆無だった。
こうしてエドラキム帝国第十軍はボーガベルへ離反し、カナレはボーガベルによって占拠された。
「!!!!」
俺の上でセイミアが跳ねている。
第十軍を丸々献上したご褒美タイムだ。
「しっかし大した役者だったなぁ。見てて惚れ惚れしたよ」
「ご、ご主人様に惚れて頂けたのなら、な、何よりですわ」
「しかし、良かったのか? レノクロマこそお前に惚れてたんじゃ無いのか?」
「それはっ、ち、違います、レ、レノクロマはお、弟のようなもので、け、けっして! そ、それに帝国では、皇子皇女同士の恋愛は……禁忌……で」
「そうか、流石にNTRとかの当事者になるのは勘弁して欲しいからなぁ」
「な、なんですのっ、えぬてぃーあーるって」
「ナイショ。そういや、レノクロマにあんな技能があったの黙ってるなんて人が悪いぞ」
「そ、それ……は、ご主人様なら……ぞ、造作もないかとっ」
「まぁいいけどね、えいっ」
「!!!!!」
俺のお仕置きに耐えきれずセイミアは昇天してしまった。
でも俺には何となく分かっていた。
セイミアはレノクロマを助けたくて、そう、それこそバッフェで最初に会ったときから動いていた。
勿論俺への思いも本当なのは分かる。
でも、グラセノフとレノクロマ。二人の兄弟に対する愛情も本物だ。
「んふ、妬けちゃいます?」
後ろから腕を絡めながらクフュラが耳元で囁いた。
「それとこれとは別だろ。クフュラも分かってるくせに」
「んふ、おにいさまはお優しいです」
そう言ってクフュラは耳たぶを甘噛みした。
カナレの占領は比較的速やかに行われた。
ダイゴは一日の退去猶予を与えたが、サシニアに向かったのはごく少数に留まった。
そのカナレの幕舎でレノクロマは素振りを続けていた。
「セイミア……ダイゴに酷い扱いをされてないだろうか……」
頭の中に不穏な妄想が浮かんでくる。
『はっはっはー、セイミア姫よー、約束通りレノクロマ達の命は助けてやったぞー。後は分かっておろうなー』
『……はい、お好きなようになさってください』
『ふふふのふー、殊勝な心掛けだー。どりゃあ!』
『あーれー(レノクロマ……ごめんね)』
「ぐああああああああ!!!!!」
レノクロマは頭を抱えて絶叫した。
「レノクロマ様! どうされました!?」
レノクロマの雄叫びを聞いたモラルド達が幕舎から飛び出して来た。
「はぁっ、はぁっ、な、何でも無い」
「そ、そうですか。鍛錬も程ほどになさって下さい」
「あ、ああ。分かっている」
モラルド達が戻って行き、呼吸を落ち着けると、レノクロマは再び剣を振るう。
「むん! むん! むん! むん! むん! むん! むん! むん!」
更に気合いを込め、邪念を振り払おうと。
『どうだセイミア? 俺とレノクロマ、どちらが男として上かな?』
『そ、それはぁ……(レノクロマ……ごめんね)ダ、ダイ……』
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
レノクロマは頭を抱えながら地面をのたうち回った。
「レノクロマ様! おい、お前達! レノクロマ様を部屋へお連れしろ!」
錯乱するレノクロマを兵士が四人がかりで押さえつけ、やっとのことで部屋に運んでいった。
「無理も無い、あれだけ色々な事があったのだ。レノクロマ様とてまだお若い身の上。我々がしっかりお支えせねば……」
こうして暫くの間、レノクロマは耐えがたい妄想に、モラルド達はレノクロマの雄叫びに悩まされることになるが、その原因の一端であるセイミアは幸せそうな顔を晒しながらダイゴの横で失神していた。





