第五十二話 告白
タランバ城は陥落した。
ボリノーゲを斃した頃にはメアリア達によって城内の制圧もほぼ完了していた。
奴が余裕をかましてた理由は今となっては分からない。
大方隠し通路から逃げるつもりだったのだろうが、城内の構造は事前に偵察型擬似生物で把握済みだ。逃げ場は無い。
「さて、仕上げだ。頼むぞ」
俺は自分が羽織っていた外套をワン子に着せながら言った。
「はい」
ワン子の返事は「畏まりました」では無く「はい」だ。
何故ならこれからすることは奴隷のワン子では無く蒼狼族のビリュティスとして為さねばならないことなのだから。
玉座の間から広間を見渡せるバルコニー状の足場に出る。
勝利に熱狂していたハフカラ兵達が一斉にワン子に注目した。
「皆の者! 蒼狼族長クルトバル・レムルクスの娘、ビリュティス・レムルクスである!」
拡声魔導回路でワン子の声が城内に響き渡る。
「これを見よ!」
そう言って掲げたのはボリノーゲの首だ。
兵達から大きなどよめきがおこる。
「奸賊ガルボの将ボリノーゲ、そしてそれに与した裏切り者、我が愚兄セルブロイはこの手で誅殺し、これを奸賊より奪還した!」
そう言ってワン子はボリノーゲの首を投げ捨て、タランバの雫を掲げた。
その瞬間大歓声が巻き起こった。
「「「ビリュティス! ビリュティス! ビリュティス! ビリュティス!」」」
大地を轟かせるようなビリュティスコールが鳴り響く。
「凄いな、アレを持ってるってだけで皆納得するのか」
「そう……にゃ、それがタランバの雫という物……にゃ」
「でもボリノーゲが持っててもこうはならなかったじゃん」
「当然……にゃ、蒼狼族が持っていてこそのタランバの雫……にゃ」
ニャン子は玉座の脇に横たわっているセルブロイの亡骸をチラと見た。
「セルブロイは……やっぱりタランバの雫を取り返したかったのか……にゃ」
「さてなぁ。それで国が取り戻せるってより、力の拠り所が欲しかったのかもな」
ビリュティスコールは未だに鳴りやまない。
タランバの雫を掲げるワン子の姿はセルブロイが欲して掴めなかった姿なのかも知れない。
ガルボの再侵攻を警戒してゴーレム兵二千を残しハフカラ軍は魔導輸送船でハフカラへ戻っていった。
「さて、俺達もアジュナ・ボーガベルへ……」
戻ろうかと言おうとした時、城の中庭に蒼狼族が集まっているのに気が付いた。
その数は戦闘に参加していた数を優に凌ぎ、二千人、いや三千はいるだろう。
「こんなに沢山……今までどこに……にゃ」
ニャン子が目を瞠った。
「別に気構える事は無いさ。ここは元々彼らの土地だ。隠れ住む所くらいあるだろう。なぁワン子」
「はい、この辺は洞窟が多いので」
そう言ったワン子は俺達の前に歩み出て叫んだ。
「私がここにいる事に異があるというのなら話を聞こう!」
と、一人の蒼狼族の老人が進み出た。
蒼狼族にしては柔和な顔だがその体躯と体中の傷が古強者である事を物語っている。
「ビリュティス様、お懐かしゅう御座います。マッケイルで御座います」
「マッケイル、生きていてくれたか」
『父クルトバルの右腕と呼ばれた猛将です』
ワン子が念話で教えてくれた。
「はい、この老体辛うじて生き残りの蒼狼族をまとめて参りました」
「そうか、お前が。誰がまとめているのか分からなかったのだが」
「はい、ビリュティス様ご帰還の意図が掴めず隠していた無礼をお許し下さい」
「よい、そうされても当然の所業だからな」
「一族の掟によりタランバの雫を持つビリュティス様をタランバの正当な所有者と認める、これに異議は御座いません。ただその行く末がセルブロイ様とガルボのような物であれば……」
「そう思うのは当然であろうな」
「ましてや今ビリュティス様の首にあるのは忌まわしき隷属の首輪。その様な物をお嵌めになっているビリュティス様がボーガベルなる国の走狗で無いという保障は……」
確かに蒼狼族にとってみれば、ガルボに蹂躙され荒れ果てた国に別の国が入ってきて好き勝手やられると思われても仕方が無い。
そんな例は元の世界でもいくらでもあった話だ。
そしてワン子はガルボに国を売り渡したセルブロイの妹だ。
懸念があるのは当然だろう。
「まず、これ自体に最早効能は無い。これは自分自身の戒めの為に付けている」
そう言ってワン子は隷属の首輪を簡単に外した。
蒼狼族からどよめきが起こる。
「国を捨て、民を捨てた私に対する戒め、そして今仕えている主に対する忠義と誇り。それがこの首輪だ」
そう言って再び嵌めた。
「そして、お前達の疑念、凡百の言を持っても信は勝ち得ないであろう事も重々承知している。だが、敢えてお前達に頼みたい。蒼狼族の、タランバの未来を我が主ダイゴに託してくれないか」
威厳を湛えた凛とした表情でワン子は言った。
蒼狼族達は静まり返っていた。
「まことご成長なされたようですな。ご帰還までに幾多の艱難辛苦を乗り越えてこられたご様子。しかし、そのダイゴ殿はビリュティス様がそこまで仰る程にご自身と蒼狼族を託すに値するお方なのでしょうか」
マッケイルが静かに俺の方を見ながら言った。
まぁ、そうなるよな。
「残念だが俺も口下手な方でね。アンタは今も一角の戦士と見た。仕合って値踏みしてみるかい」
マッケイルの目が光った。
「ほう、本気で掛かっても?」
「勿論」
マッケイルが持っていた杖を構えた。
見てくれは普通の杖だが恐らく鉄でも仕込んであるだろう。
存外喰えない爺様だ。
俺も物差しを構える。
三十秒ほど睨み合って、マッケイルは構えを解いた。
「……分かりました。我々蒼狼族、ビリュティス様の御意志に従いましょう」
そう言ってマッケイル以下蒼狼族の面々は跪いて頭を垂れた。
「ありがとう、ならば私は宣言する。今日からタランバは、ハフカラ連合王国ボーガベル領タランバとして新たな栄光の歴史を歩むと!」
ワン子の高らかな声が夕暮れの城に響いた。
翌日、ハフカラ王都カンニア。
タランバ奪還の戦勝に街を挙げてのお祭り騒ぎになった。
魔導輸送船で運んできた食料が惜しげも無く提供され、あちこちで祝いの宴が開かれている。
「相撲」は好評を博したようで一般人も参加した相撲大会が大々的に行われている。
国技となる日も近いかも知れない。
そんな中、俺とエルメリア、そしてワン子は、モルグワ国王やマッケイル、そして各部族の族長達と今後のハフカラ、タランバに関する会議を行い、改めてハフカラとはいくつかの条約を締結した。
これは今までの通りタランバはハフカラ連合王国の一部ではあるが、タランバ自体はボーガベル領タランバと言う、ちょっとややこしい形になったせいだ。
まぁ行政や軍事はボーガベルが面倒見ますよ、と言うことだ。
ハフカラにしても実質ハフカラ連合にボーガベルが加わるわけで、経済、文化、貿易面で多大な恩恵が期待できる。
モルグワ国王や各部族の族長は大賛成だった。
タランバに関しては、
ボーガベル王国国民の入植は行なわず、執政官と行政、防衛及び復興に必要な人員のみを駐留させる。
復興に必要な資材はボーガベルより無償で供与する。
法律等に関する事案はボーガベルのそれに則る。
税金等も同じだが復興の目処が付くまでは免除する。
等の条件で合意した。
「まことですか……」
とタランバ代表になったマッケイルに驚かれた程タランバにとってのみ有利な条件だが、別段タランバを植民地にするつもりは無かったし貿易はハフカラの方で十分利益が出るとクフュラとメルシャが算出していたので問題ない。
俺はただ、そう、ただワン子の故郷が在りし日の姿のまま残れば良い。
そう思っただけだ。
とまれ、ボーガベルとしてはハフカラ、そしてタランバと言う重要な活動拠点を手に入れた事になった。
この意味は大きい。
「ゴーレム兵二千はそのまま駐屯させると言う事でよろしいですね」
クフュラが聞いてきた。
「ああ、帰ったら補充分を必死で作るよ」
「当然ですわ。対帝国計画に遅れを出してはお兄様に申し開きができませんですもの」
反対側でへばりついているセイミアが言う。
今回の戦いは来たるべき帝国との戦いの良いシミュレーションになったみたいだ。
「へいへい」
「あ、あの……」
広場に停泊しているアジュナ・ボーガベルに戻ろうとした俺達に蒼狼族の少年が声を掛けてきた。
ここに来た時ワン子に石をぶつけた少年だ。
「何だ、また石をぶつけに来たのか? 今度は俺にぶつけな」
俺はワン子の前に出て言った。
「ち、違うよ! この前のこと、ビリュティス様に謝ろうと思って」
「そうか、でもあの時お前がああ思ってたのは別に間違いじゃ無い」
「で、でも……」
「いいか少年、石をぶつけた時の気持ちと謝ろうとする今の気持ち。その二つの気持ちがあるのならお前が新しいタランバを作れ。お前が死んだ父ちゃん母ちゃんや他の人の分まで残った人たちが普通に暮らせるタランバを作れ」
「普通に?」
「ああ、普通にだ。それが一番難しいんだ」
そう、普通に生きる。
幸せにじゃなく普通に生きる事ですらこの世界は難しい。
いや、元の世界だってそうだった。
当たり前に生きることの何と難しかった事か。
「分かったよ。とにかくビリュティス様、御免なさい」
少年はワン子に頭を下げた。
「良い、このお方の言う通りだ」
「あとこれ、うちの近くで取れたんだ。よかったら食べてよ」
そう言って少年は籠一杯のサクランボのような物を差し出した。
「ああ、コルベの実か。有難う」
「コルベの実って?」
「ハフカラにたくさん生えている木です……にゃ。実は少ないですが美味しいです……にゃ」
ニャン子が解説してくれる。
サクランボに似てるが一寸違う。
何処かで見たような……。
仕事でコーヒーメーカーに配達したときに事務所のパネルに似たようなのが……。
まさか!
俺は『叡智』ですぐ検索した。
『コルベ コーヒーチェリーの近似種』
「やった! 見つけたぞ!」
俺は思わず叫んだ。ワン子達が唖然としてこちらを見てるが構うものか。
「少年! これの種がたくさん欲しいがすぐに集められるか?」
「う、うん。種はまとめて埋めるから取ってあるんだ」
「そいつをあるだけくれないか?」
「い、いいよ。どうせ捨てる物だし。ちょっと取ってくる」
そう言って少年は駆けていった。
「ご主人様、一体?」
「いやぁ、有るとこには有るんだなぁ。南大陸に来た甲斐が有ったわ」
「ま、まさか獣化薬の原料でボリノーゲみたいに私達を無理矢理獣化するとか……にゃ?」
「違うよ、あれは俺のいたとこじゃ普通にお茶の様に飲まれていたんだ」
少年が大きな麻袋を担いで戻って来た。
「これでいいかい」
「おう、ありがとう。少年、名前は?」
「ガルセロル」
「そうか、ガルセロル。また集まったらボーガベルの統制官に言ってくれ。手間賃は弾む」
「本当かい! 分かったよ」
手間賃代わりの光魔導回路を抱えてガルセロルは走って行った。
「洗浄、乾燥、皮剥き、焙煎か……ま、帰ってからじっくりやるか」
「ムフフフ~、何やら新商売の香りがしますね~」
「うおっ、ゼニ子聞いてたんかい!?」
アジュナ・ボーガベルの中からメルシャが出てきた。
「んも~、その名前は却下したはずですよ~」
「そうだったっけ?」
「それよりそれは一体~」
「ああ、これは俺のいた世界のお茶と並んで普及しているコーヒーって飲み物の元になる種だ」
「なるほど~、そんなに普及していたのならこちらで広めれば……ムフフフフフ~」
メルシャの眼がゼニ色に輝いている。
やっぱゼニ子だ。
「まぁ良いけど乱獲とか気を付けろよ、あと、さっきの少年の取り分は残しておくように」
「分かってますです~、いっそあの子に種の管理をやらせるように取り計らいます~」
メルシャはガルセロルを追い掛けていった。
何か話が先走ってる気もするがまぁ良いか。
まぁメルシャはメルシャで勝手にやらせておこう。
コーヒーが広まればハフカラに新たな産業を興せるかもしれないし。
「さて、じゃワン子、行こうか」
「はい……」
「いってらっしゃいませ……にゃ」
俺とワン子はニャン子に見送られ転送した。
タランバの城の片隅に一本の杭が立っている。
名前も何も彫ってないただの杭。
セルブロイの墓だ。
今、俺とワン子はその前に立っている。
「兄は……兄なりにタランバと蒼狼族の行く末を案じていたのだと思います。でも、ガルボという大きな壁に当たり、身も心も砕けてしまった……」
重い空気の中、ワン子がボソッと切り出した。
「そうだな、セルブロイは優しかったんだろ? だからああやって生きるしか無かったんだろうな」
「ご主人様……」
「俺だってこの力が無ければこの世界でセルブロイのように生きてただろう。だから俺には彼を悪く思う気持ちは無いよ」
俺自身が優しいかどうかはともかく、この力が無ければパラスマヤの城でグルフェスに脅されてすごすごと逃げ出し野盗に殺されていたか、それ以前にメアリア達に命乞いをして殺されるか放逐されて野垂れ死んでいただろう。
「そうだ。あの時、セルブロイが海で云々言ってたのって?」
「兄が私を海に逃がす時にこう言ったのです。例えどんな形であってもお前さえ生き延びてくれれば蒼狼族の未来は繋がっていける。だから辛くても苦しくても生き延びてくれ。と」
「それって……」
「ええ、エルメリア様が国王陛下に託されたお話と同じです。でも私はエルメリア様と違って何も出来なかった……。兄と同じです」
「それは違うな。出来てたじゃ無いか」
「え?」
「俺と会って国を取り戻した。エルメリア達と同じだ」
「そう……ですね。そうですよね……」
ワン子だって抗う気持ちはあったはずだ。
だが奴隷にされたことでその気持ちを奪いとられてしまった。
エルメリア達だってあのまま帝国に奴隷姫として差し出されたとしても国王の思惑通り国が残ったかどうかは分からなかっただろう。
犠牲は少なくなかったがボーガベルもタランバも残った。
確かにここに来るまでのワン子はタランバを諦めていた。
そしてここに来ても泣いたりもした。嘆いたりもした。
だが最後は俺の代わりにセルブロイを討ち、俺がワン子の代わりにボリノーゲを討ってタランバの雫を取り戻した。
少なくともワン子は何も出来なかったとは俺は思わない。
ガルセロルという少年を見れば明らかだ。
「ご主人様、これを」
そう言ってワン子はタランバの雫を取り出した。
「これはご主人様がお持ちください」
「それって、まさかお前……」
タランバの支配者の証、それを持つ物がタランバを所有できる。
「私はご主人様の奴隷です。その事に誇りを持っています。だから私の物があるとするならそれは皆ご主人様の物です。それが今の私なのです」
ワン子が凛然と言った。
その貌はエルメリアと同じ、女王のそれだった。
国を見捨てたという負い目では無く、既にタランバの行く末を俺に委ねたのだから。
その顔はそう言っていた。
間違いなくこいつはもう一人のエルメリアだった。
それともエルメリアとずっと一緒だったからなんだろうか。
「すまんが俺にこれは必要ないな。それにニャン子が蒼狼族が持っててこそのタランバの雫って言ってた」
「……そうですね……」
「いっそこいつは彼に持っていてもらおう」
俺はタランバの雫をセルブロイの墓標の根元に埋めた。
もはや何も彼が気に病むことは無い。
役目を終えたタランバの雫と共に眠ってくれ……。
「さぁ帰ろう……皆待ってるぞ」
「あの……ご主人様……最後に一つだけお願いがあるのですが……」
「ん? いいぞ? 何だ?」
「その……大変失礼な我儘を聞いていただきたいのですが」
「構わんよ。一発殴らせろとかでも」
そう言った瞬間首にワン子の両腕が回った。
「ダイゴ……愛してます……永遠に……」
そう言って唇を塞がれた。
長い長い時間が過ぎた。
「ここに来た甲斐がありました」
唇を離したワン子が笑った。
「そうか……俺もだ」
ああ、俺が見たかった笑みだ。
俺はこれが見たかったんだ。
「帰りましょう、ご主人様」
「ああ」
そう言った俺達に風が吹いた。
その風はどこか緑の香りを含んでいる気がした。





