第五十一話 地獄
「ん~フッフッフゥ、兄妹の美しい再会は泣かせるのう」
何処かでドスの効いた低い声が響いてきた。
やっぱ見てやがったか。
「こそこそ隠れてないで出てきたらどうだ?」
「ん~フッフッフゥ、言われるまでも無いわ」
予想通り頭上からデカい図体が翻って降りてきた。
そのままセルブロイがいる玉座の脇に着地するとセルブロイの足枷の鎖を掴んで無造作に引いた。
「ひぃいいいい」
ズルズルとセルブロイが玉座の裏から引き出される。
「オイ、タランバは誰の物だって? 言ってみろ!」
「も、勿論ボ、ボリノーゲ様の物ですぅ」
「だよなぁ、全く調子に乗りやがって」
「あー、胸くそ悪いガキみてぇな問答してるとこ悪いが、タランバは今日から俺の物になるんで。ヨロシク」
俺がそう言った途端、ボリノーゲとセルブロイの目が点になった。
「んんんん~ファファファファ! こ、これは傑作だ! なぁオイ!」
「は、はひぃ、うへ、うへへへへへ」
「ん~フッフッフゥ、これを私から奪うと言うのかね?」
そう言ってボリノーゲは鎧の隙間からタランバの雫を取り出した。
「いや、別にそんなん要らんわ。文句ある奴全部ぶっ倒すから」
「ふ、ふざけるな! タランバの雫は代々のタランバの支配者の証だ! これが無ければ誰もお前を支配者などと認めるものか!」
セルブロイが激高して言った。
「あん? さっきお前それが無いのにボクはタランバの王だじょーとかほざいてたじゃん」
「そ、それは……」
「まぁいい、どっちにしろそっちのオシシマンはここで死ぬんだ。それについては後で考えるわ。なぁワン子、ニャン子」
「仰せのままに」
「ご主人様の御心のままに……にゃ」
「ビ、ビリュティス? ハシュフィナ?」
セルブロイが怪訝そうな顔で二人を見た。
「ん~フッフッフゥ、お前、連れだした奴隷をわざわざ増やして連れ帰ってくれたのか。ご苦労だったなぁ、どれ、妹の方は兄とまぐわせて見るのも一興よなぁ。オイ、嬉しいだろう」
「は……はひぃ! 楽しみでございますぅ」
「悪ぃが俺の大事な奴隷をそんな悪趣味に出す気は無いんでね、お前にはさっさと死んで貰うわ」
「いや、私は是非見たくなったよ、殺し合いというまぐわいをなぁ」
セルブロイの足輪が更にボリノーゲに引かれる。
「そ、そんな……い、いやだ! 死ぬのは……」
「ふん、臆病風に吹かれて民や国を売り渡した奴は悲しいのう、まぁそんな貴様でも少しは役に立ってもらおうか」
ボリノーゲが懐から細い竹筒の様なものを取り出した。
それを見たセルブロイの表情が青ざめる。
「そ、それは! お、おやめください! ボリノーゲ様! それだけは! や、やめてぇ!」
ボリノーゲがセルブロイの頬を抑え細い竹筒に入った液体を飲ませていく。
「ごぼっ、ごぶうっ」
繋がれた鎖が外されるが、セルブロイはその場で苦しみ始めた。
「ぐ、ぐがあああああおああああああああ!」
セルブロイの様子がおかしい。
顔つきはおろか全体の姿勢すら変わっている。
こいつは……獣化転換?
だがワン子やニャン子のそれと違ってもっと禍々しい。
例えれば魔獣になるような……。
「ワン子、あれは?」
俺が聞いてもワン子は呆然としたままだ。
「ワン子!」
「わ、わかりません、一体……」
「ん~フッフッフゥ、これは飲めば獣化転換を強制的に促す作用が有ってなぁ。まぁ強すぎて大抵後は死ぬか使い物にならなくなるのだが」
要は強力な麻薬かなんかってことか。
ありそうな話だ。
問題は誰が作ったか……。
すぐに外にいるメアリアに念話を送る。
『メアリア、捕虜を二、三人抑えておいてくれ。出来れば指揮官がいい』
『殆ど残ってないが、分かった』
「こいつの協力で何百人と蒼狼族で試したからなぁ、効果は抜群だよ」
「何だと……」
そう言ったワン子の持つ双短剣が震えていた。
さっきの台詞じゃ無いが兄妹が殺し合う修羅場だけは回避したい。
「下がってろ。俺がやる」
「いえ、ご主人様、私にやらせて下さい。お願いします」
「……本当にいいんだな?」
「はい、やはりこれは私自身が決着をつけるべき事です。兄は……」
その後は言葉にならなかった。
沢山の同胞を死に至らしめ、今は自分も破滅への道へ向かっていると分かっていても実の兄を討つことに何も躊躇いが無い訳では無いだろう。
「なら、俺の代わりに奴を討ってくれ。出来るか?」
そう言われたワン子はハッとした顔をし、次に目を少し伏せ、最後に真っ直ぐに俺を見て言った。
「畏まりました」
俺とニャン子は後ろに下がった。
「ヴォルルルルルルル」
狂乱状態のセルブロイがワン子を見ている。
最早人としての感情は失われたかのようだ。
「ほれ、これを使え」
そう言ってボリノーゲが放り投げた物をセルブロイが掴む。
隷属の首輪のせいか、はたまた長年の服従のせいかボリノーゲの言う事は聞くのか。
「わ、わたしの……にゃ」
セルブロイはニャン子が昨日ここに置いてきた得物を構えた。
「ゴガガガガガァ!」
セルブロイが吠える。
「……兄上、せめて私の手で」
ワン子が双短刀を構えた。
もう切っ先は震えてはいない。
「ぐがああああああああ!」
セルブロイがワン子に飛びかかる。
「!」
速い!
鋭い斬撃がワン子を襲い、侍女服の一部が切り裂かれる。
そのまま狂ったように連撃を浴びせるセルブロイ。
紙一重で躱そうとするも、躱しきれずにみるみるワン子の侍女服が切り刻まれていく。
「ん~フッフッフゥ、やはり兄妹のまぐわいは美しいのう」
次第に露になるワン子の肌を見てかボリノーゲが満足そうに笑っている。
『ご主人様……』
ニャン子が念話で話し掛けてきた。
『心配するな。多分ワン子は一撃で決めるつもりだ』
セルブロイが後ろに間合いを取った。
突進をするつもりか。
そのタイミングでワン子が詠歌を詠う。
高く清らかに、だがそれは悲しみを帯びた鎮魂歌のように。
「ガグワアアアアア!」
セルブロイが突進をかけた。
ワン子はいつもと同じ憂いを湛えた目で迫るセルブロイを見ている。
ドン!
セルブロイの剣はワン子の侍女服の前を吹き飛ばしていた。
ワン子の胸が露わになる。
だが、カウンターで入った右手の短剣がセルブロイの胸に刺さっていた。
無拍子じゃない。
フェンシングの突きの様な半身から後ろ足の移動で相手の突きに沿ってのカウンター技。
腕通しだ。
「ガ……あ……」
セルブロイが仰向けに地に倒れた。
獣化薬の効き目が薄れてきたのか徐々に顔つきが戻っていく。
「ビ……ビリュ……ティ……ス……」
ワン子はセルブロイを抱えた。
「兄上!」
「…………ビリュ……テ……ス……すま……ない」
「どうして……兄上……どうして……」
「こわ……かった……怖かった……んだ……何もかも……ガルボ……も……タランバの……民……も……お前が……女王に……なるの……も……」
「兄上……」
「本当は……蒼……狼族……なんかに……王族……なんかに……産まれたく……無かった……」
「…………」
「で……も……信じて……海……逃がす時……の……言葉は……本当……」
「分かってます、分かってます兄上」
ワン子の眼から涙が零れ落ち、セルブロイの涙と混ざって落ちていく。
「ビリュ……ティス……こんな……情けない……兄で……すま……な……」
そう言ってセルブロイは事切れた。
「蘇……」
そう言いかけた俺の手をワン子の震える手が止めた。
「必要ありません……その方が……いいのです……」
確かにセルブロイはタランバを売り、多くの同胞を死に至らしめた張本人だ。
生き返った所でまた死に向かう人生があるだけだ。
そしてそれは本人も望んではいないだろう。
「ご主人様……申し訳ありませんでした……そして……ありがとうございます……」
セルブロイを抱きしめたまま涙で顔をぐしゃぐしゃにしたワン子が頭を下げた。
「謝るのは俺の方だ。すまない……」
ワン子を笑顔にしたくて連れてきたはずなのに泣かせてばっかりだった。
苦しめてばかりだった。
強大な力があっても出来ない事はあるんだ。
そんな思いにとらわれた時、ふとセルブロイの穏やかな死に顔を見て理解した。
そうか……こいつは……。
ぱん ぱん ぱん
玉座の間に大きな手を打つ音が響いた。
「んんん~。実に楽しい見世物だったぞ。さぁて、後はお前らを始末して国に帰らせて貰うとするかぁ」
「この……屑が!」
俺はボリノーゲの前に立った。
「お前みたいな屑にはこの俺がこの世の地獄を見せてやる」
「ん~フッフッフゥ、面白い。是非お願いしたい物ですなぁ」
「ふん、そんな安請け合いしたことを後悔するなよ」
「ん~フッフッフゥ、多少妖しげな事が出来る程度で私を殺せるなどと思うな……よっ!」
その瞬間大太刀の突きが来た。
だがそれは俺の胸を刺す事無く止まった。
「……何?」
「遅ぇよ」
右手を広げて突き出す。
黄色い魔法陣が展開された。
「『雷電』」
途端に魔法陣から無数の雷が放射されボリノーゲを襲う。
「ぐぎゃっ!」
床に転がったボリノーゲだがすぐに体勢を立て直す。
「『雷撃大王』」
「がぎゃあああああ!」
ボリノーゲの立っている場所が眩い光を放ち雷のスパークが身体を包んだ。
「きぃっ! 貴様ぁ! 魔法など使いおって! ならば!」
ボリノーゲが詠歌を詠う。
忽ち身体が膨れ上がった。
その状態で渾身の斬撃を送る。
しかし。
ガイイイイン!
やはり大太刀は通らない。
大太刀は弾き飛ばされ、玉座に食い込んだ。
「!!!!」
驚愕の表情を浮かべるボリノーゲ。
俺は持っていた『物差し』を構えた。
それはまさしく一メートルの物差しに柄を付けたような形をした片刃の剣だ。
元の世界で最も剣に適した鋼材を『創造』で再現して作り上げた、この世界では作成不可能な代物だ。
「宵斬月」
物差しが死角からボリノーゲを襲う。
「があああ!」
鎧ごと厚い胸板が切り裂かれた。
鮮血が吹きあがる。
「武韜晦」
回転しながらの不規則な動きからの連撃。
その勢いに吹き飛ばされたボリノーゲに体が壁に激突しめり込んだ。
「おおおおのれ!」
ボリノーゲが取り出した竹筒をかみ砕く。
「ぎがあああああああ!!!!」
みるみるうちにボリノーゲの表情がライオンのようになっていく。
獣化の上に獣化か……。
「ゲリュオオオオ!!」
大太刀だけではなく短槍も構えたボリノーゲは不気味なうめき声を発し襲い掛かった。
なるほど先程より速度も上がっている。
だが、
「浅ましいな」
そう言って物差しを鞘に収め、低く構えた。
「水天如烈火」
そう言った次の瞬間に四十発以上の蹴りと突きが打ち込まれボリノーゲの動きが止まった。
「ギャアアアアアアアアアアッ!!!」
ボリノーゲの悲鳴が木霊し、ドウンと音を立てて倒れた。
「『治癒』」
ボリノーゲの傷がみるみる塞がっていく。
獣化も解かれ元のボリノーゲの姿に戻った。
「え?」
「にゃ?」
ワン子とニャン子が驚いた顔をしている。
「う……が……な、何の真似だ」
「お前、今の攻撃程度でおねんね出来るなんて甘い事考えてないだろうな?」
「な?」
「な? じゃねぇ『爆裂華』」
ボリノーゲの身体を無数の爆発が包む。
「うぎゃあああああああああああ!」
身体中から白煙を吹いてボリノーゲが倒れた。
「『治癒』」
またボリノーゲの傷がみるみる癒えていく。
「う……や……止めろ……止めてくれ……」
「ああん? 聞こえないな。これはニャン子を嬲ってくれた分だ。『神経爆烈』」
ボリノーゲの全神経に通常の百倍の痛覚が走る。
それは隷属の首輪の比では無い代物だ。
「ビッギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
白目を向いてボリノーゲが昏倒した。
股間からは小便が垂れ流されている。
「『治癒』」
再び回復魔法を掛ける。
神経攻撃はボリノーゲの精神にかなりのダメージを与えた。
『治癒』は錯乱状態を戻すことは出来るが、精神ダメージを回復することは出来ない。
「ひゃ……ひひゃひゃ……」
ボリノーゲは玉座に刺さった自分の大太刀を引き抜くと自分の首を斬りつけた。
夥しい血が噴き出しボリノーゲが斃れる。
だが、
「『蘇生』」
「がふぅっ! ……な、何……」
傷がみるみる塞がりボリノーゲが息を吹き返す。
「てめえ、何勝手に死んでるんだよ。まさか死んで楽になろうとか思って無いだろうな?」
「そ……そんな……」
「『超重力圧殺』」
「ぎゃおおおおおおぶぅぅ!」
見えない力場がボリノーゲを縦に圧し潰し肉塊と化した。
「『蘇生』」
すぐさま風船人形を膨らませるように身体が元に戻っていく。
「ぐはぁっ! ……お……お願いです……も、もう殺して……」
「いや、さっきから殺してるだろうが」
「そ、そうじゃなくて……」
「『水球』」
「ごブォブォブォブォブォブォブォブォ…………!」
巨大な水の玉がボリノーゲを包み、暫くもがいていたボリノーゲが動かなくなると弾けた。
「『蘇生』」
「ごがはっ……ゆ、許して……許して下さい……な、何でもします……」
「じゃぁ、俺の足を舐めるか?」
「は、はひぃ! よ、喜んで!」
ボリノーゲの顔がセルブロイのように卑屈に歪んだ。
「誰が貴様なんぞに舐めさせるかよ。『烈風竜巻陣』」
「そ、そんなぎゃべぇえええええええ!」
竜巻に切り刻まれ、ズダボロになって地面に叩きつけられるボリノーゲ。
「『蘇生』」
「や……やめて……もう……やめて……」
「さて、約束通りこの世の地獄を見て貰おうか」
俺のその言葉を聞いた途端ボリノーゲの顔が絶望のあまり逆に笑ったように歪んだ。
「い、いやああ! いやああああ! 助けてぇぇぇ! 許してぇぇぇ!」
言ってる事とは裏腹にボリノーゲは起死回生の一撃を見舞おうと飛び掛かってくる。
窮鼠猫を噛むの如く追い詰められた際の行動だろう。
そう来なくっちゃ。
「この技喰らって地獄に落ちろ。『煉獄幻影』」
両腕に展開した紫の魔法陣から放たれた光がボリノーゲを照らす。
途端にボリノーゲが呆けた顔で立ち竦んだかと思うと、次の瞬間身体中から色んな物が吹き出た。
そして、
「きッきョおおおおおおおおおおおおッ! おッ! オヲっ! キケッ! キケッ! キケケケッ!! クケェッ!!!!!!!」
最大限に増幅された恐怖の感情に飲み込まれたボリノーゲが、らしからぬ高音で奇怪な悲鳴を上げる。
「グエーーーーーーッ!!!」
実にそれらしい断末魔の雄叫びを上げ、ボリノーゲは斃れ、自分が噴き出した物の中でのたうち回り、痙攣し出した後に動かなくなった。
『蘇生』を掛けてみたがピクリともしない。
「あー、どうやら魂が消滅しちゃったようだ」
地獄にすら行けなかったか。
そう言いながら振り返ると、一連の顛末を見ていたワン子とニャン子が真っ青な顔で震えながら抱き合っていた。
「お……終わったのですか?」
恐る恐るといった感じでワン子が聞いてきた。
「ああ、流石にこれ以上はなぁ。二人ともまだ足りないか?」
二人は揃って首を横に振った。





