第三十九話 邂逅
――エドラキム帝国帝都カーンデリオ。
ボーガベル王国のバッフェ併合という驚くべき事態を受けて急遽帝国議会が開かれたが大いに紛糾し、皇帝の一言で解散となったのは日も傾きかけた頃だった。
帝国にとってはバッフェに派兵した第七、第九軍の壊滅という損失自体が何よりも痛手だった。
本来なら第九軍一万で事足りた兵を念には念を入れて第七軍まで付けたのが裏目に出てしまった。
これで帝国は総戦力の半数近くを僅か一年余りで失ったことになる。
バッフェを併合したボーガベルもまた戦力を整えられる状況に無いのが幸いといえた。
それにしても……。
屋敷に戻る馬車の中で第一皇子グラセノフは思った。
帝国軍を破ったのはボーガベルの件の魔導士で間違いないだろう。
そしてセイミアがその魔導士との接触に成功したのも間違いない。
恐らくバッフェ王国と第七、九軍はその為の生贄にされた。
公式には第七軍の派遣はバッフェ王国からの正式な要請だ。
だが第九軍の極秘追加も事前に帝国内で決定していた事項で、そこにセイミアが関わった痕跡は一切無い。
モシャ商会も事前に決定された情報のみを確実に伝えており、恐らくセイミアがこの件に関わっていると知る者はいないだろう。
だが、結果二軍団二万が失われた。
その敗因は結局はバッフェの傭兵という事でサクロス以下の面々は納得している。
しかしグラセノフはそこに容易にボーガベルとセイミアの影を感じ取った。
それほどの犠牲を支払ってセイミアは何を得たのだろう、そしてそれは自分に何をもたらしてくれるのだろうか……。
グラセノフの胸は期待に高鳴らずにはいられない。
屋敷に着くと何時もの様に執事達が整列していた。
「お帰りなさいませ、グラセノフ様」
「ただいま。何か変わった事は?」
「はい、セイミア様が先程お戻りになられました。居間でお待ちでございます」
「居間で?」
グラセノフは少しだけ怪訝な顔をした。
何時もは執事達と一緒に玄関で兄の帰りを待つ妹だが、既に帰っているのにもかかわらず迎えに出てこないというのは初めての事だ。
すぐさま居間に向かい、ドアを開くとお気に入りの赤い礼装を着たセイミアは、窓際で外を眺めていた。
「只今帰ったよ、セイミア。バッフェでの収穫は大きかったようだね?」
振り向いたセイミアが笑顔で応える。
「お帰りなさいませ、お兄様。素晴らしいお土産がございましてよ」
その顔を見てグラセノフは心中で驚いた。
明らかに今までのセイミアとは何かが違っている。
単に男を知ったという事以上の何か、まるでセイミアの皮を被った別の生き物の様な違和感をグラセノフは感じていた。
だが目の前にいるセイミアは断じて自分の妹のセイミアである。それは確信できた。
「ほう、それは嬉しいね」
「件のお方に是非会っていただきたいの」
「では帝国まで連れて来てくれたのかい?」
その言い方からすると接触は極めて友好的に行われたようだ。まさかセイミアが女を使うとは予想しなかったが、やはりそれ程の者なのだろう。
グラセノフは心の中で唸った。
「そうね、ちょっと待って」
セイミアが少し眼を瞑ると、
「今こちらにいらっしゃるそうよ」
「今? こちらに?」
そうグラセノフが言った途端、背後から声が掛かった。
「こんばんは、グラセノフお兄様」
反射的にグラセノフは振り向きざまに腰の剣を抜きかけた。
「お兄様、駄目!」
と言うセイミアの声と、獣人の女がその声の主の前に躍り出るのはほぼ同時だった。
グラセノフは抜きかけた剣を鞘に納めると、
「失礼、あまり背後を取られるのには慣れてないのでね」
「ああ、済まない。驚かせるつもりは無かった。何せ帝国には初めて来たのでね。無作法はお詫びする」
見れば声の主も連れの獣人も丸腰である。
「貴公がボーガベルの大魔導士殿か」
「こちらではどう言われているのかは知らないが、貴公の探してる人物は俺の事だよ」
「そうですか、改めて、グラセノフ・エ・デ・エドラキムと申します」
「ダイゴ・マキシマだ。宜しくな」
流石に握手をするような真似は二人ともしない。未だに両名は敵同士なのだ。
だがグラセノフとダイゴはまるで旧知の仲のように相向かいに長椅子に座った。
両者の中央にセイミアが、ダイゴの後ろにはワン子が陣取る。
「妹が大変お世話になっているようで」
俺が見たグラセノフの第一印象は「主人公のライバルの金髪美男子」そのものだ。
モデルやハリウッド俳優顔負けの容姿、セイミアの話では文武に秀で人柄も明瞭清廉。正に非の打ち所も無い。
こっちの方がビジュアル的に見劣りして泣きそうになる。
だが漫画やアニメのそういう人間は策を持って主人公を追い詰めたり人間離れした能力を発揮したりする。
勿論腹に一物も二物も持ってる油断ならない相手だ。
現にこのグラセノフも個人的に俺を帝国に引き入れようとセイミアを使って動いていた。
それに関してはきっちりお断りするつもりでここに来た。
「ああ、よく出来た妹君だ。お陰で大魚を一匹頂戴できたよ」
「それは重畳。更に大きな魚も釣るおつもりで?」
「魚の方がちょっかいを掛けてくれば釣らざるを得まいね」
「それで今日は餌を釣りに来たと」
「そんなところかな」
「餌を釣るにも餌は必要ですよ?」
流石にセイミアの兄だけあってこちらの意図はお見通しの様だ。
禅問答みたいな会話は試されているようで居心地悪い。
さくっと本題に入りたい。
「そうだなぁ。餌の餌は妹君に聞いてるからまずは見て頂くか」
「アジュナへ?」
セイミアが楽しそうに口を挟む。
「アジュナだ」
「畏まりました。お兄様、お手を」
セイミアがグラセノフの手を取り、そして俺の右手を握る。
ワン子は左手を握った。
「セイミア、何を?」
「いいから見てて、お兄様。ご主人様、どうぞ」
「ご主人様?」
グラセノフの疑問には答えず、俺は転送を発動させた。
行き先はカイゼワラの入り江に浮かぶアジュナ・ボーガベルだ。
「こ、ここは!?」
「ボーガベル王国カイゼワラ州。俺の領地だ。そして今乗っているのは魔導船アジュナ・ボーガベル。空を飛ぶ船だ」
グラセノフは眼下に広がる大海原を見つめていた。
「空を飛ぶ船……」
グラセノフの端整な顔立ちが、少年のそれに変わっていた。
「なるほど、餌を釣るには魅惑的な眺めだ」
そういうグラセノフの目前を四隻の箱舟が東の方へ飛んでいく。
「あれは……」
「オラシャント行きの定期貨物船だ」
「オラシャント……」
「今我が国とオラシャントの間でこの種の船が行き交っている。行く行くはこの世界全域に手を広げるつもりだ」
「この世界全域……それはつまり……」
「ああ、そういう事だ」
ひとしきり景色を眺めると、元の顔に戻ったグラセノフは言った。
「餌がこの船が欲しいと言ったらどうしますか?」
「餌次第だな。勿論帝国にくれてやるつもりは無いが」
「ご主人様、お食事の支度は調っております」
ワン子が告げる。
「分かった、折角だから飯を食いながら話をしよう」
「しかし、屋敷の者には……」
「平気よお兄様。私が上手く言ってあるから」
「そうか。ではご馳走になるとしようか」
「ああ、気楽にしてくれ。セイミアのお兄様に危害を加えるつもりは一切無いから」
「それは安心だね」
俺達は大食堂に移動した。
「グラセノフ様! お久しぶりです」
早速駆け寄ってきたのはクフュラだ。
「やぁクフュラ。元気そうで何よりだ、いや、以前より元気になったようだね」
「はい。グラセノフ様もお変わりなく」
「グラセノフ殿、ようこそアジュナ・ボーガベルへ」
「これはエルメリア女王陛下、ご機嫌麗しく。エドラキム帝国第一皇子グラセノフ・エ・デ・エドラキムでございます」
グラセノフは跪き、エルメリアの手の甲にキスをする。
「今日は堅苦しいのは抜きにしてお食事を楽しんでいって下さいな」
「はい、ありがとうございます」
その後も眷属一同が挨拶をし、グラセノフが爽やかに返す。
今日のメニューはラッサ鳥のスープにサラダ。ポルネという舌平目に似た魚のムニエル。メインがオラシャントから取り寄せたカマネ牛のステーキ。デザートにセイミア大好物のプリンだ。
カマネ牛は先日第一陣百頭余りが到着し、早速バッフェ地方で生育を開始した。
今日出て来たのはそれとは別に試食用に送ってもらったものだ。
「なにこのお肉! 口の中で蕩けますわ」
セイミアが驚きの声を上げる。
「うん、僕もこんな柔らかい肉は初めてだよ」
「帝国の皇子、皇女様のお口に合ったようで何よりだ」
「成程、ダイゴ候はこの空飛ぶ船で各国からこのような品物を行き来させるおつもりなのですね」
「そういう事だ。今はこのメルシャが色々頑張ってくれている」
肉をモキュモキュ食べながらメルシャが頷いている。
「お兄様! このプリン! これをぜひ食べて頂きたく!」
セイミアが凄い勢いでプリンを勧めている。
一度新鮮な卵と牛乳で作ったプリンを皆に食べさせたのだが、セイミアが感動の涙を流した挙句、
「ああ、私、ご主人様の眷属に加えさせて頂いてこれほど幸せに思った事はありませんわ」
と至極感動していた逸品だ。
普通のプリンだけど。
鬼気迫る表情のセイミアに押されグラセノフはプリンを掬って口に運ぶ。
「ほぉ、これはまた上品な甘味だ。セイミアはこれに夢中になったんだね」
「そうですの! これぞ至高にして究極の甘味ですわ!」
セイミアがうっとりとした顔でプリンの素晴らしさをアピールする。
俺とグラセノフが困ったような笑いをする。
夕食のひと時が終わり、俺達はデッキの外に出た。
夕日が映えるカイゼワラの入り江の潮風が心地良い。
「こんな贅沢な夕食は初めてだよ、ダイゴ候」
「気に入ってもらえたなら何よりだな」
こっちはこんな美男子連れてきて眷属皆が群がったりしないかなどと卑屈な心配してたけど。
「館の使用人達は皆僕やセイミアに良く尽くしてくれるのだけど、なにぶん人と食事をする機会など余りなくてね。楽しかった」
「そいつは意外だな。第一皇子なんて年中会食してるかと思ってた」
「他の国はともかく帝国はそういう事はあまりないんだ。セイミアもあんなに楽しそうに食事をしているのを見るのは初めてだよ」
「そうか。こっちではいつも楽しそうだがなぁ」
「それで、ダイゴ候はエドラキムをバッフェの様に併合するつもりかな」
「どの道帝国は事を構えるつもりなんだろ?」
「そうだね。弟の第二皇子サクロスを筆頭にボーガベル討つべしという勢力は強い。だが皇帝陛下はボーガベルの、いやダイゴ候の力を見定めようとしている。その点では私も同じだった」
「だった?」
「既に帝国の四軍団がダイゴ候によって壊滅したという事実だけでもダイゴ候と事を構えるのは帝国の滅亡を意味している。違うかな?」
「当たり」
「当初はダイゴ候を帝国に迎え入れられないものかと思い、セイミアを遣わしたのだが、ダイゴ候は私の予測を遥かに超えたお方のようだ」
それは俺を帝国に引き込むという考えを放棄したという事だろう。
あとの選択肢は多くは無い。
さて……。
「それはどうも。で、グラセノフお兄様はどうするね」
これは協力するか敵対するかの最終選択だ。
敵対するならそれはそれで構わない。
まぁ事前にセイミアがお兄様はそれ程愚かでは無いと言っていたので答えは分かっているが。
「ダイゴ候に組するに当って二つ条件を出したい」
「ほお、どんな?」
「まず、極力市民に犠牲を出さない事。そして戦後は私をダイゴ候の配下に召抱えてもらいたい」
「それは構わないが、自分が皇帝になる目をあっさり捨てて良いのかい?」
俺は落とし所はグラセノフを新皇帝に付けて和平条約を結ぶ辺りだろうと思っていたのだが。
「セイミアから聞いてるかは知らないが、私の夢は他の大陸をつぶさに見て回る事だ。エドラキムの皇帝などになったらそんな事は出来ない。だがダイゴ候の配下になればいずれ他大陸に出よう。なれば私が是非その任を賜りたい」
「そうか。よし、その折には一軍を貴公に任せよう」
「交渉成立だね。しかし、ダイゴ候、そんなに簡単に信用して良いのかい?」
「最初に言ったが貴公はセイミアの兄だからな。それに如何な罠や策も俺はただ食い破るだけだから。それもセイミアで実証済みだ」
「成る程、セイミアにご主人様と言わせるだけの御仁だけある」
俺は右手を差し出し、グラセノフはその手を握った。
「それで、グラセノフ兄さまは」
「兄さまはよしてくれ、グラセノフで良いよ」
「じゃぁ俺もダイゴで良い」
「ではダイゴ、まぁ近い将来陛下とお呼びすることになるだろうけどね」
「それは俺も気乗りしないんだけどね。まぁその策はグラセノフの頭にもう出来てるんじゃないか」
「そうだね。この船を見てすぐに思いついた。先程言った帝都の臣民に被害を出さない方法だね」
夕暮れの船上で俺達は対帝国の策を語り合った。
夜風が心地よく、時折ワン子が入れてくれる茶を飲み、途中でセイミアとクフュラも交え議論は熱を帯びていく。
「ではダイゴ、またいつでも食事に呼んでくれ」
そう言ってグラセノフが屋敷に戻ったのは夜更けだった。
手には大き目の魔導回路を抱えている。
これはトーカーを魔導回路のみにして小型化したものだ。
普段の連絡用に貸し与えた。
展望ラウンジには俺とセイミアがいた。
「しっかし、お前達兄妹は凄いな。あんな策を立ちどころに思いつくとは」
「うふ。ご主人様に褒めていただき光栄ですわ」
「でも、それによって帝国は消える事になる。それは良いのか?」
「愚問ですわ。私の望みはご主人様の様な方に全力をもってお仕えすること、そしてお兄様の叶わぬ望みを叶える事ですわ」
「愚問で悪かったねぇ」
「悪くありませんわ。そんなご主人様をお支えするのが私なのですから」
「なんか複雑な気分だがまぁいいや。期待してるぜ」
「お任せください」
そう言ってセイミアは目を瞑る。
少し長く唇が重なった。
「ご主人様が策に疎いのは少しも恥ではありませんわ。その為に私がお仕えするのです。私はもうご主人様の一部なのですから」
セイミアが自信たっぷりの笑顔で言った。
こいつのこの笑顔は本当に最高だな。





