第三十三話 クルトワ攻略戦
自領カスディアンを出たガラノッサの軍二万余りはまず隣州のバラテを、そしてスナガリを通過しスコボラを占拠。
ここに本陣を設置し、クルトワに迫った。
バラテ、スナガリはおろかスコボラにも殆ど兵はおらず、ほぼ無血状態。
しかし、各都市の穀物備蓄はほぼ皆無。
市民に聞くと、軍が根こそぎ運び去り明日の糊口を凌ぐのも困難なありさまだった。
「全く、そういう悪知恵だけは働く連中だ」
ガラノッサは苦虫を噛み潰した様な顔で、自軍の糧秣を市民に分け与えるように指示。
「糧秣を減らして人減らしか。やはり帝国が来る事を見越してだろうな……」
馬車の中でガラノッサは反対の座席にいるネズミに言った。
ダイゴが置いていった偵察型疑似生物で火急の事態には話しかけろと言われている。
ネズミとおしゃべりする侯爵様と考えると何かおかしいなとガラノッサは笑った。
「ガラノッサ様、間もなくクルトワです。斥候の報告では既に西部一帯に軍が配置されている模様。数およそ二万」
部下が馬車の外から語りかける。
「やっぱ、パハラは私兵は温存してるか。まぁそうだろうな」
バッフェの軍形態は通常各貴族の私兵と呼ばれる地方軍が寄り集まって形成される。
これは古くから戦争を行うのは刈り入れの終わった秋から冬に掛けての短い期間で各土地の農民を徴収した時の名残で、現在も主力は徴兵された農民だ。
訓練はもっぱら冬や農作業の合間。
なので練度もそれ程高くなく、統制も取れていない。
それを埋めたのが「バッフェの傭兵」と名高い傭兵組合の者達だ。
傭兵組合と言っても実情はダイゴのいた世界のいわゆる民間軍事会社とほぼ同じだ。
戦争時の兵士の派遣から要人警護、警備などを請け負っている。
各国にある傭兵組合の中でバッフェの物が最大最強を誇っているのはそれを統括する傭兵頭、アラモス・ヴォストーの慧眼によるものだ。
アラモスは帝国の侵入ルートでもっとも頻度が高いカスディアンに本拠を置き、ガラノッサの父親デルギセルと組んで幾度となく帝国の侵攻を阻んできた。
デルギセル亡き後をついだガラノッサとの繋がりを危惧したパハラ議長の画策で傭兵組合が正規軍に解体吸収される事になったのが今回のバッフェ動乱の直接のきっかけだった。
「しかし……」
そう呟いたガラノッサは懐にしまってあった開封済みの書状を取り出し眺める。
「どいつもこいつも馬鹿し合いだな……」
一方クルトワ郊外の田園地帯では間近に迫ったガラノッサ軍との決戦の準備が慌ただしく行われていた。
数の上では二万対三万と王国側の方が有利だ。
しかし諸侯の私兵一万はクルトワ城内に止め置かれたまま。
もし正規兵が敗れるような事があれば、この兵力で防衛に当たらなければならない。
だがこの段階でもまだパハラ議長以下諸侯は余裕を持っていた。
帝国との密約、カスディアン領と引き換えに帝国が背後から侵攻しガラノッサ軍を挟撃するという物だ。ボーガベルの援軍など所詮注意を東に引き付ける為の目くらましに過ぎない。
主戦場はクルトワ西の大穀倉地帯。
既に収穫を終えているため戦場になっても問題は無い。
後はゆるゆると防御に徹し、帝国軍の到着を待つだけだ。
夕暮れのクルトワ王城に二人の男が立っていた。
一人はパハラ・モハラ議長、もう一人は腹心のバラテ候セロワ・トニルだ。
「予定通り帝国軍は明日にもカスディアンに侵攻するそうだ。マルコビアの慌てふためく顔が目に浮かぶわ」
「しかし議長、ボーガベルの連中が撤退したのは誤算でしたな」
「ふん、あんな田舎者供、最初から当てにはしておらんよ」
議長はそう言ってきたセロワに忌々しそうに手を振り吐き捨てる。
「それにしても女王陛下も大胆ですな。支援の為に領地一つポンと帝国にくれてやるとは」
「陛下は別にくれてやるとは言っておらんよ」
「と、申しますと?」
「帝国の出兵は第九軍の一万だ。この程度の戦力ならマルコビアを討った後の我が軍の戦力で十分駆逐できる、とのお考えだ」
「なるほど、しかしそれでは帝国が黙ってはいないのでは」
「帝国は先だってのボーガベルとの戦闘で第六、八軍の二軍団を失っている。本国防衛を考えればこれ以上の戦力は割けない。出せるのは一軍という懐具合だそうだ」
「なるほど、とてもそれ以上の余力が無いという事ですな」
これは帝国の諜報機関であるモシャ商会が各貴族に伝えた欺瞞情報だ。
モシャ商会は実際は全員が帝国の精鋭第一軍の軍団員なのだが、
「全員がバッフェの民でありながら帝国の内情に詳しい」
というのを売りにしている。
自ら動くという事をしない貴族達にしてみれば敵対する隣国の情報は貴重なものだ。
その情報を有用に使い如何に女王への貢献を誇示し、また己の利を得るか。
商人にとっても情報は立派な商品だ。
相手にとっての有益な情報は結果自身に多くの利をもたらす。
しかしデマを流して相手の信用を失えば、商売は出来なくなるばかりか命の危険すらある。
モシャ商会は国境付近での小競り合いを数度演出し、その情報を貴族達にもたらす事で信頼度を上げていった。
結果、議長派の貴族でモシャ商会の情報を疑う者は皆無だった。
「マルコビアの件さえなければこちらが帝国に討って出たい所なのだが残念だ」
「しかし、本当にあのボーガベルが二軍も破ったのでしょうか? とてもその様には見えませんでしたが………」
「うむ、私もそれは気になってな。一応モシャ商会を使って調べてみたが、八軍は少数蛮族共の寄せ集め、六軍も公称は八千だが実勢は二千程度、錬度もさほどでは無かったらしい」
「ダイゴ候の部隊をマルコビアにぶつければはっきりしたでしょうが……」
「まぁなんやかや息巻いておったが結局は尻尾を巻いて逃げ帰ったのであろう、兎に角今はマルコビアだ。抜かりは無いだろうな」
「は、正規兵二万を既に配置してあります」
「よろしい。たかが野良犬如きに我々の兵を出す必要は無いからな。では我々はのんびりと吉報を待つとするか」
「は、既に例の所から呼び寄せた女共は寝所に控えさせてございます」
「セロワ候、相変わらず手際がよいな」
「ありがとうございます。領地の再配分の折は何卒良しなに……」
二人は城内に消えていった。
その会話をずっと聞いていた鳥の存在に全く気が付かずに。
「……なんつうか、まるっきり悪代官の会話だな」
偵察疑似生物から送られてきた議長達の会話を聞いて俺はぼやいた。
「あくだいかん? ですか?」
脇で寄り添っていたエルメリアが聞く。
午後の午睡の時間。今日の当番はエルメリアだ。
そう言えばエルメリアと二人きりってのは初めてだった。
「ああ、俺のいた世界の昔の領主とかで悪い奴の事さ、後で時代劇で検索すれば山ほど出てくるぞ」
エルメリアの艶やかな髪を指で梳きながら言った。
「まぁ、ご主人様のいた世界は昔はそんなに悪い領主ばかりだったのですか?」
「う~ん、これはあくまで物語の事だからなぁ、実際はそんなにいないとは思うんだが」
有名な副将軍の爺さんとお供が諸国を回って悪者退治とかの話は悪代官が全国にいる計算になりそうだしなぁ。
「民が領主や国王を見る目は何処も厳しいものなのでしょう、父王もその辺りは気を使っておりましたから」
確かにこの世界に来た時、エルメリア達は質素な服を着、食べ物は市民と同じ粗末なものだった。
最初はてっきり懐具合の所為かと思ったが後で聞けばそれ以前から質素倹約を家訓にしてきたらしい。
「やっぱ前国王には一度会えればよかったのかなぁ」
「あら、問題ありませんわ。父王の考えは私がきちんと受け継いでおりますから、私がご主人様にお教えできます」
「それもそうか」
「でも、もうボーガベルはご主人様に差し上げました故、ご主人様の思う国をお造りくださいませ」
「俺の思う国……ねぇ」
言われても漠然としたイメージしか湧かない。
元々はしがない小市民だった身だ。
争いの無い平和な世界なんて言うのは簡単だが絵に描いた餅なのは十分に分かっている。
人は二人いれば争う生き物だ。
例え俺が全土を統一してもそれに不満を持つ輩が必ず現われるだろう。
万人に良かれと思った政策も圧政と捉える者も出てくるだろうし、自分の利に反すると思えばやはりそれを善しとしない者も出てくるだろう。
前の世界は科学の発達で文明は進歩し、人々の暮らしは豊かになった。
だが決して争いごとは無くならず、二度の世界規模の戦争で多くの人が死に、その後もその影を引きずり、各地で紛争が絶えなかった。
国家そのものを統一しなければならないのだろうか? だがそれで争いはなくなるのか? それにその所業はまるで……。
そんな考えを巡らせてるとエルメリアが上に跨りながら顔を覗き込んできた。
難しい顔をしてたみたいだ。
エルメリアの美しい金髪が俺の身体をくすぐる。
「例えご主人様がどの様な道を歩もうと私達が側に居ます。例えご主人様がどの様な事をなさろうと私達が赦します……だから……」
そう言って口を塞がれた。
ああ、コイツは本当に女王様なんだな……。
会った当初、コイツは自分は自分の望みしか興味は無く王族である資格の無いタダの小娘と言っていた。
俺は俺でそういうので良いんじゃないかと思っていた。
王女様だってただの人間だ。人並みの望みを持ってても良いじゃないかと。
だけどコイツは俺の思っている以上に王女様だった。
むしろ王女、いや女王になる為に生まれてきたような女だ。
ああ、だからあれ程庭園を護るという王女らしからぬ事に固執してたのだろう。
「愛してます、ダイゴ」
ご主人様ではなく初めてダイゴと名前を呼んだエルメリアがとても愛おしい。
「俺もだ、エルメリア」
二人だけの短い時間が何千年分かの光を放ったようだった。
翌日早朝、到着するや否やガラノッサ軍二万はバッフェ王国軍二万を急襲した。
後方から弓兵の射る矢が飛び交う中、盾を構えた軽装歩兵が進んで行き、交戦が始まる。
ガラノッサ軍で先頭を行くのは厚革の軽装鎧に木の盾、鉈の様な剣で武装し、右腕に緑の布を巻いた傭兵達だ。
戦慣れしている彼らは練度に劣る王国側の兵を圧倒していく。
だが、ガラノッサが思ったよりも王国側の損失が少ない。
こちら側が押せば相手は引き、後方から弓矢の援護を得てまた押してくる。
それの繰り返しだがその先まで押そうとする気概が感じられない。
明らかに時間稼ぎをしている動きだ。
「如何致しますか? 吶喊させる手もありますが」
副官の職に就いた傭兵頭のアラモスが注進する。
「いや、こちらも戦力は温存する」
「例のダイゴ候ですな」
「ああ、ダイゴが帝国を片付けるまでは無暗に動けん」
万が一帝国の侵攻を許した場合ガラノッサ軍、王国軍共に被害が多ければ帝国軍に一飲みにされる公算が高い。
「しかし、糧秣がちと厳しいですな」
途中の都市でガラノッサは半数以上の糧秣を市民に分け与えていた。
「それも問題ない。ダイゴに頼んである」
「しかし、今からデグデオを出てではその前に……」
「今日中には着くとさ。心配するな」
「なんと……」
夕暮れになり双方の兵は陣地に引き上げて来た。
「負傷者は森側の幕舎に連れてけ。もうすぐダイゴ候の部隊が来る」
「もう来てるぜ」
ガラノッサが振り返るとそこにはダイゴとクフュラ、セイミアがいた。
「おう、すまなかったな、支援を頼んじまって」
「いや、物を運ぶのは元々の俺の本分だからな」
ダイゴが笑った。
「今、ゴーレムに森の整地をさせている。終わり次第輸送船から糧食を降ろして負傷者の看護を始める」
「もう輸送船とやらが来てるのか。全く分からなかったな」
「ああ、国境でゴーレムを降ろした奴をそのままデグデオに持って行った」
「国境の方は?」
「ああ、メアリア!」
「帝国が峠を越えて侵入してくるのは多分明日だ。きちんと迎え撃つので安心してくれ」
軽装鎧姿のメアリアが言う。
「ご主人様~準備整いました~」
ゴーレムの作業を監督していたメルシャが報告に来た。
「おし、輸送船を降ろして作業開始。エルメリア、シェアリアは負傷者治療、後は食事の準備の手伝いだ。俺達も一緒に食べるぞ」
「畏まりました」
すぐさまダイゴの眷属達と随行してきた侍女達が作業に掛かる。
食事は木の椀に盛られた野菜入りの麦粥に干し肉、そして酒が配られる。
この世界での一般的な野戦食だ。
森の奥まったところにゴーレムに警護された魔導輸送船が着底している。
形はモナカアイスにも似た長方形。
その脇の天幕にダイゴと眷属たち、捕虜のセイミア。
そしてゲストとして招かれたガラノッサとアラモスが食事を摂っていた。
「いやはや、ダイゴ殿のお力、私の様な凡物には計り知れませんな」
アラモスがひとしきり感心しながら唸る。
「いや、傭兵組合をこれだけの猛者に叩き上げた手腕は俺には真似できない。合併後は是非軍の育成に欲しいくらいだ」
「組合の独立の確約が頂けるのでしたら喜んで」
「ああ、約束するよ」
「しかし、メアリア殿達は国境から離れて良いのかい?」
ガラノッサが聞く。
「ん? 私達はいつも夜にはアジュナに戻ってるぞ。昼間はずっと国境をにらめっこだがな」
「ああ、そういう事か。俺もやっと分かって来たよ」
「む? 私にはさっぱり……」
アラモスが首を傾げる。
「いよいよ明日だが、帝国の部隊を殲滅した後はすぐ知らせに来る」
「分かった。向こうはまだ防御に徹するだろうが打ち破るさ。ああダイゴ」
そう言ってガラノッサは懐の封書を渡した。
「これは?」
「絵図を描いているのがもう一人いたのさ」
ガラノッサが意味深そうに笑いながら言う。
「ほほう、なるほどね」
ダイゴは封書の中身を見るなりセイミアを見て笑った。
「な、なんですの?」
そう言うセイミアにダイゴは封書の中身を見せる。
「こ、これは……まさか……」
「これは俺達は『サプライズ』って言ってるんだ。楽しみにしておくよ」
「『さぷらいず』ねぇ」
そう言ってダイゴとガラノッサは笑った。
「まぁ、二人ともまるでいたずらっこのようですわ」
エルメリアも笑う。
「……というより悪ガキ」
シェアリアが突っ込む。
楽しそうな笑いで戦場の夜は更けて行った。





