第三十一話 甘い拷問
「こんばんは、隣、良いかしら?」
女というよりはまだあどけなさの残る少女だ。
釣り上がり気味の眼が勝気な性格を表し、濃い金髪を後ろで結わえて更に布で覆ってる。
「アンタは?」
「私、ここで侯爵様の屋敷に出入りさせてもらってるモシャ商会のサショラ。れっきとしたバッフェの商人よ」
モシャ商会という名とステータスを見て吹きそうになった。
セイミア・ラ・デ・エドラキム 十六歳
何がれっきとしただ。
どうにもエドラキム帝国のお姫様じゃないか。
それがなんだってこんな他所の国の場末の酒場で逆ナンしてんだ?
ってかエドラキムのお姫様がいるモシャ商会?
思いっきりアウト案件だこれ。
俺はすぐさまクフュラに念話を送る。
『何でしょうか、お兄様』
『お前、セイミアって知ってるだろ?』
『セイミア!? セイミアがいるのですか!?』
『ああ、俺の眼の前にいるぞ、バッフェの商人サショラって言ってるけどな』
『そうですか、セイミアが……』
『どんな子なんだ?』
『私と帝国皇学院では仲が良かったのですが……』
なんか言い難そうだ。
『謀略が服を着て歩いている。それがセイミアです』
なにそれ、恐いわ。
『戦の天才児と言われている第一皇子グラセノフ様の実妹ですが、戦技以外の戦略や戦術に関する才は兄以上です。正直彼女が居るということは彼女がこのバッフェの内戦の黒幕と言っても差し支えないかもしれません』
『はぁ、そこまでのもんなのか』
目の前でこちらを見つめる少女がとてもそんな怪物には見えないが……。
『そして恐らく目的はお兄様だと思います……』
つまりは一連のボーガベル絡みの件を調べてるうちに俺に行き着いたという事か。
『よし、分かった、ありがとうな』
『あ、あの、お兄様……』
『あん?』
『先程も言いましたが、セイミアは私の唯一の友人だったので、その……』
『ああ、手荒な真似はしないよ。それだけ凄い才なら逆に欲しいくらいだ』
『お願いします』
念を切ってサショラことセイミアに向き直る。
「で、サショラさんでしたっけ? どの様な御用で?」
「あら、良い男が居たので一緒に飲みたくなった、っていうのではご不満?」
おおう、随分大胆だな。
「いえいえ、大歓迎ですよ」
「お連れの獣人さんもどうぞ一緒に」
『ワン子、先に宿に戻って周辺警戒後待機』
『……畏まりました』
ちょっと不服そうな返事が返ってくる。
「申し訳ありませんが用があるので私は先に宿に帰らせて頂きます」
そう言ってワン子はツカツカと出て行った。
「あら、怒らせちゃったかしら?」
「いや、用があるのは本当だ。構わんよ」
さて、俺に接触してきたのはいかなる目的か。
木製の酒杯に酒を注ぐと俺達は盃を合わせた。
この辺の習慣は元の世界と同じなのが嬉しい。
「昨日ここで侯爵様と飲んでたでしょ?」
「ああ、最初は侯爵なんて気が付かなかったけどな」
それは嘘だ。ステータスで最初から分かってた。
「全くあの人はちっとも貴族らしくないのよね。そこが良い所なんだけど」
「ほほう、サショラさんは貴族らしからぬ男が好みと」
「う~ん、それはちょっと違うかな。私、強い男が好きなの。才もあって武に優れてればなお良いわ」
「そっかぁ、じゃあ俺は駄目だな」
「あら、そんな事ないでしょ。私には判るわ」
「あはは、そんなにおだてても何もでんよ」
「ところであなたボーガベルから?」
「ああ、この前商人になったばかりなんでね」
そう言って俺はパラスマヤの商人ギルドで発行してもらった鑑札を見せる。
「デイゴ・マクシア……変わった名前ね」
勿論偽名だが。
「そうか? 俺の故郷じゃよくあるぜ」
「そうだったかしら? まぁいいわ」
なんか怪しまれてるな。
「最近王国と帝国の戦いがあったでしょ」
やっぱそうきたか。
さてどうするか。
「ああ、あったな」
一瞬セイミアの目が光った気がした。
「あの戦いの顛末って知ってる?」
「さぁ、俺はその時カイゼワラにいたからなぁ」
「でも商人なんだから戦いのさわり位は当然知ってるでしょ」
『当然』と来たか。どうにも誘導してるみたいだ。
だが俺の魔法だのゴーレムだのの情報までは流れてないと言う事か。
「聞いた話じゃ城に残った三宝姫と親衛隊の奮戦のお陰だって」
「ふううん。それで? 実際は?」
丸っきり信じちゃいないな。もしかしてこっちの素性がある程度割れてるのか?
「実際も何もそこまでだ。そういうアンタはどう聞いてるんだい」
「そうね。帝国軍は魔法で壊滅したらしいわ」
「へえ」
「それもたった一人の魔導士が放った魔法によってね」
「へええ、そりゃすげえな」
「その魔導士は黒眼黒髪の男で獣人の奴隷を連れてるそうよ」
きたー! やはりそうきたかー。
多分あの奴隷商人から話を聞いたんだろうな。
まぁ多分にカマを掛けてる部分があるが、それにしてもそこまで行きつくとはな。
「あー、俺の事そこまで持ち上げてくれるのは嬉しいが俺はそんな……」
「私ね、昔からあなたの様な人を捜してたのよ」
聞けよ、人の話をよぉ!
「だからさ、俺は……」
「ねぇ、私にあなたの力を貸して欲しいの……」
聞いてくれよう、おいいい!
「いやさ……」
聞いてくれぇ……。
「勿論お礼はするわ。今は差しあたって手付けとして……」
……。
全く話を聞かないサショラことセイミアさんが俺の手を取り自分の胸に当てた。
「ね?」
はぁ、そうですか、そういう展開ですか。
こうなったら目に物見せてくれよう。
据え膳喰わぬはなんとやら。
仮に美人局宜しく野郎が乗り込んできたらそいつら全員『自白』よりも恐ろしい『煉獄幻影』を味合わせてやる。
そうだ、豪華ゲストによるサプライズも用意しよう。
取りあえず、いただきます。
日の光が眩しい。
肩口の寒さに目が覚めた。ゆっくり眼を開けるとそこには男の胸板があった。
それでようやく私は男に縋りながら寝ているという事実に気付かされた。
その向こうでは獣人の女がじっとこちらを見て……。
見ていたのは獣人ではなく私の良く知ってる人物だった。
「ク、クフュ……!」
一瞬心の臓が止まる思いがした。
「しぃっ、まだご主人様は起きていらっしゃらないわ。大きい声を出しては駄目よセイミア」
「ど、どうしてあなたがここに?」
「だって、セイミアが居るって分かったらそれは逢いたいに決まってるじゃない。だからご主人様にお願いして連れてきて貰ったの」
「ご主人様? あなた今はこの人の奴隷なの?」
「うーん、厳密に言うとちょっと違うかな。詳しくは言えないけどね」
「……何だか変わったわね、帝国にいた頃とは全然違うわ」
帝国にいた頃のクフュラはもっと陰のある大人しい子だった。
今は明るさが全身から滲み出ている。
「そうね、今とっても幸せなの。だから言うけどセイミア」
スッとクフュラの瞳が厳しくなった。
「ご主人様と敵対しては絶対駄目よ」
「それは友人としての忠告?」
「勿論友人として。嘘偽り無くご主人様が本気になればカーンデリオですら一日で滅ぶわ」
「ま、まさか、幾らなんでも……クフュラもしばらく見ないうちに冗談が上手くなったわね」
「冗談と思ってないからわざわざあなたがバッフェまで来たのでしょ? 大方グラセノフ兄様か皇帝陛下からご主人様を帝国に引き入れるようにと」
やはりクフュラにはお見通しのようだ。
帝国皇学院でのクフュラの評価は戦術、戦略においては並以下だがそれ以外の一般教養は主席というものだった。
戦術、戦略が並以下というのは彼女の無類の戦争嫌いの所為で、本当の彼女はその気になれば一国の宰相を勤め上げられる程の能力を持っている。
それだけ記憶力、洞察力、判断力に優れているのだ。
その彼女の秘めた力を判ったのは私だけだった。
密かに二人で帝国の武と智をつかさどる事も考えた時もあったが……。
「じゃあ何でこの人はそれをしないの? その力があればこの大陸やそれこそ全大陸制覇ですら容易でしょ?」
「簡単な事よ、ご主人様がそれを望まないだけ。ご主人様のいた世界では一度に何十万人を殺せる魔法を超えた武器があったそうよ。その怖さ、悲惨さ、愚かさを知っているから一般市民まで無差別に殺すような真似を望んではいないわ」
「ちょ、ちょっと待って。いた世界って、まさか……」
「そう、ご主人様は別の世界から来られた神の代行者。あなたがどんなに謀略や知略を尽くしても、ご主人様には全くの無意味よ」
「言ってくれるわね、例えば月並みだけどあなたを人質にいうことを聞きなさいってやったら?」
「簡単よ。私死なないから」
「は? 何言ってるの?」
「ご主人様の御寵愛を受けた者は不死の力を得るの。良いわよ、今殺しても。でもご主人様が起きたらあなたは即殺されるわ。それもとてつもなく惨たらしく」
「そんな……嘘でしょ……」
だが、クフュラの目は嘘は言っていない。帝国皇学院で長い付き合いだったからよく分かる。
「あんまり脅かすなよクフュラ。朝から血生臭いのは御免だよ」
突然の声にドキリとした。
「おはようございます、お兄様」
そう言ってクフュラは彼に縋り付き唇を合わせる。
学院時代の大人しく清楚なクフュラと全く違う女の姿がそこにあった。
「お兄様って……」
「勿論違うわ。でも私にとってご主人様はお兄様でもあるの」
そうだった。一人っ子のクフュラは私とグラセノフ兄様を見て、自分も兄が欲しいと言っていたっけ。
不意に腕が伸びて抱き寄せられた。
「あ、あの…」
「ああ、なんか騙すような事して済まなかったな」
「いつから分かっていたの?」
「うん、最初から。クフュラがお前のこと謀略が服を着て歩いているって凄い評価してたんで、どんなもんだか興味あってさ」
……クフュラ、なんて事を。
「もっと色々仕掛けてくるかと思ったんだが意外と直球だったな。初めてみたいだし」
「え、セイミア初めてなのに色仕掛けしたの!?」
「い、色仕掛けじゃ無いわよ、成り行きでこうなったのよ」
「ふうん、成り行きねぇ」
彼の首に両腕を回したままクフュラが言う。
「ひょっとしたらセイミア、お兄様に惚れちゃった?」
心臓がどきりと弾んだような気がした。
「な、何言ってるのあなた。ほ、本当にクフュラなの?」
「あんまりセイミアをからかうなよ、親友だろ」
そう言いながら彼は私を自分の上に乗せてしまった。
「!」
「うふ、御免なさいね、セイミア。だって今のあなたとても綺麗なんだもの。ちょっと妬けちゃった」
声が出ない。
何これ、魔法?
でもこんな魔法知らない。
「帝国の人間が俺を引き入れたいって事は分かったが、誰だ? 皇帝? それともグラセノフ兄様とやら?」
「ぐ、グラセノフ兄様……」
つい、言ってしまった。
これって私の知らない拷問か何かだろうか。
段々頭がぼうっとして何が何だか分からなくなってくる。
「ふうん、グラセノフ兄様は皇帝の命で? それとも個人的に?」
「こ、個人的に……」
「で、俺を引き入れてどうすんだ? 自分が皇帝になりたいとかか?」
「ちっ、違う……兄様は皇帝になんか……なりたくないの……」
「なんだそりゃ。だって第一皇子って次期皇帝だろ? 野心を持ってて帝位簒奪とかお決まりじゃん」
「に、兄様……は……ほかの大陸に行きたいの……でも……帝国の皇子……まして、皇帝にな、なったら……行けないの……」
ああ、兄様を裏切っている罪悪感とこの人の質問に答えている幸福感が止め処も無く抗えない快感になって襲ってくる……。
「そんじゃ、次の質問、バッフェでお痛を沢山してるようだが、結局何がしたかったの?」
「そ、それはぁ……」
「言わないと……」
「!!! い、言います! 元々ボーガベルを征服したら……バッフェはそのまま東西から……攻める予定だったんですぅ……でもクフュラたちがしくじったので……」
「御免ね、セイミア。お兄様が強すぎたの」
「っ! で、で、その計画は破棄にな……なったんですが、それを転用して、あ、あなたをおびき寄せて、ち、力を……見せてもらおうと……!」
気が遠くなりそうだ、もう自分を抑える事ができない。
もう帝国も、お兄様ですらどうでも良くなってきた。
「じゃバッフェはどう料理しても良いんだな?」
「は、はいっ、あ、あなたにさ、差し上げます! だ、だから!」
「お前の国じゃないじゃん。まぁいいや、よく言えたので……」
その瞬間、身体に衝撃を受けて目の前が白くなった……。
「お兄様はやり過ぎです」
失神して崩れ落ちたセイミアの頬を軽くペシペシとしながらクフュラが言う。
「なんか魔法使いました? どう考えてもこの状態変ですよ」
「いや、なんも使ってないよ。クフュラも似たようなもんだったろ」
「わ、私はこんなにはしたなくありません!」
真っ赤になって否定する様は可愛いが、何気に親友に対して酷いなオイ。
「全くもう。『自白』とか使ってないなら良いですけどぉ」
なんかむくれている。
いや、こんな優秀な頭脳をパーにしちゃマズいだろ。
「しかし、どうしたものかなコリャ」
クフュラを抱き寄せ頭を撫でるとすぐに甘えんぼモードになる。
「バッフェ制圧はおろか帝国侵攻の足がかりが出来そう……ですね」
「そうだなぁ、グラセノフお兄様とやらを味方に引き入れればだな」
「グラセノフ様の真意は直接確かめないと……ですね」
「まぁ、そっちはバッフェが片付いてからだ。折角セイミアが御膳立てしてくれたんだ。美味しく戴こうじゃないか」
「ところでお兄様ぁ」
「ん?」
「実は私、まだお兄様に隠している事があるんですぅ」
「へぇ、そんなのあったんだ。なんだろ」
「それはぁ、私……セイミアより口が堅いのでぇ……」
そう言って視線を泳がせながらモジモジしている。
ああ、要はセイミアと同じ事をしてくれということか。
俺は起き上がると脇にあった汗拭き用の布でクフュラの両手を頭の後に回して軽く縛る。
上目遣いでこちらを見る目が実に艶っぽい。
「ふっふっふー、オシシかめ……じゃ無かった、元エドラキム帝国皇女将軍クフュラ・エドラキムよ。貴様が隠している事を洗いざらい吐いてもらうぞー」
「あ……えー、わ、私とて皇女だった身。け、決してそのような事には屈しません!」
「ふふふのふー、なかなか顔に似合わず強情な奴だー。だがそれも何処まで持つかなー? お前の異母姉妹も顔に似て強情だったが、すぐに白状して、あそこで昇天しておるわー」
「ああ、セイミア……可哀相に」
だが当のセイミアは幸せそうな顔で伸びてるので余り可哀相な感じはしない。
「さーて、クフュラよー。この俺様の責め……じゃなかった攻めを受けてみよ-」
「ああぁ、酷いことしないでぇ……」
「どりゃああ!」
「!!!!」
結果から言えば呆気なく屈し、肝心の秘密とやらも、
「お兄様を世界一愛してますぅ」
という嬉し恥ずかしいが、別にそれ秘密じゃ無くね? って代物だった。
セイミアと同じようにはしたなく伸びていたクフュラだったが、目が覚めた途端
「お兄様はやり過ぎです!」
と、またプンスカ説教をし出した。
自分だってノリノリだった癖に。





