第二十二話 難破船
季節は春から夏になった。
こっちの気候は日本と違って梅雨がなく、六月にはもう夏の暑さが到来する。
俺は自分の所領であるカイゼワラ州に来ている。
ボーガベル自体の内政が忙しく、こっちの事は疑似人間のショーンに任せっぱなしだったが、流石にそろそろ行かないと不味いだろうと言うことで、俺、ワン子、クフュラの三人で取り敢えずやって来た訳だ。
エルメリアは女王の公務が立て込んでおり、メアリアは再編した兵士団の訓練が忙しく、シェアリアは俺が頼んでいた魔導回路関係の試験で来られなかった。
そして前領主であるバルジエに関する後片付けも兼ねていた。
行方不明になった夫人や息子、そして代官と少数の使用人以外の関係者は一切の顛末を知らされておらず、突如夫人達がいなくなった事で当然の如く大騒ぎになった。
だが屋敷等の維持だけは欠かさず行っていたようだ。
事前にショーンに屋敷の改修を命じ、魔導回路の照明、水道、水洗トイレの設置など、現在の迎賓館と同じ設備にしておいた。
水洗トイレはゴーレムで浄化槽を掘り、そこに土魔導回路『浄化』を設置し、綺麗になった水を川に流す方式だ。
これは現在パラスマヤの各所に点在する公衆厠でも急ピッチで設置されている。
流石にいきなり『転送』で行くのもまずいので、事前に疑似生物の馬と疑似人間の御者で構成された馬車を進発させておき、州都バモヤにある領主公館に到着したころ合いで『転送』で馬車の中に出る。
馬車を降りると十人ほどの男女が公館の玄関先で待ち受けていた。
中央にいるのは疑似人間の執政官ショーンだ。
「長旅お疲れ様でございます、ダイゴ様」
ショーンがそう言って頭を下げると左右の使用人達もそれに倣う。
「ありがとう、皆世話になるぞ」
そう言って館に入り、まず使用人頭の老人を呼び出した。
「使用人頭をやっております庭師のゴンデオでございます」
白髭を蓄えた老人が帽子を手に持ちながら入ってきた。
「ゴンデオ、これだけの人数で今までよくやってくれた。礼を言うぞ」
「もったいないお言葉。それで私共の今後は……」
「ああ、お抱えの使用人とか殆ど居ないからな。若輩者で済まないが引き続き残ってくれると有難い」
「分かりました、これからはダイゴ様に誠心誠意お仕えさせていただきます」
実直そうなゴンデオは深々と頭を下げた。
「前任のバルジエはあまりここに来なかったと聞いたが」
「はい、奥方様もご子息様もパラスマヤにお住まいだったので、こちらにはバルジエ候の兵団の方が代官として来ておりました」
「ふむ、何か変わった事は無かったか?」
「はい、第一兵団の方々が交代で何人かずつ訓練の為お見えになられ、森に入ってたようですが……」
おそらく交代で隠し街道を作っていたのだろう。
「そうか、ありがとう。下がっていいぞ」
こうして残された使用人たちも面談の上、そのまま雇うことにした。
結局カイゼワラに来ても領主としての仕事はショーン任せで何もやる事は殆ど無い。
やる事と言えば各地の視察と各村や町の代表や豪農、商人との顔合わせ程度だ。
「ケンム村、村長のブチノンでございます」
「うん、領主のダイゴだ」
「早速ですが、こちらは村一番の器量良しのスルセアでございます」
「スルセアと申します」
茶色の長い髪を左右に分けた少女が頭を下げて名乗った。
なるほど精一杯めかし込んだのだろう。
如何にも村娘な野暮ったい服だが、顔は中々の美少女だ。
「うん?」
「是非このスルセアを、ダイゴ様のお手元に置いて頂きたいと」
「ふうん、だが格別の便宜を図れと言うのなら……」
「ととと、とんでもございません! このスルセア、救国の英雄にして今や女王陛下の懐刀と世に聞こえるダイゴ候に是非お仕えしたいとの一心でございまして」
「スルセアとやら、それは本当かい?」
「はい、是非救国の英雄ダイゴ様にお仕えしたく、村長様にお願いしました」
スルセアも熱っぽく語っていて、言わされている感は感じられない。
しかしなんかいつの間にか俺が兵を率いてパラスマヤを救った事になっている。
まぁ間違ってはいないんだが、懐刀とか救国の英雄とか大げさすぎないか?
「そっか、まぁ今は侍女が不足なんでね。それで良いなら良いよ」
「有難うございます、誠心誠意勤めさせて頂きます」
なんてやりとりばっかりだった。
都合八人の器量良しが新たに侍女として採用された。
後で一人一人に詳しく聞いたが、貴族の侍女になるというのは、わりかしステータスのある仕事らしく、無理矢理とか借金の形にとか嫌々連れてこられた者は皆無だった。
それにしても、ボーガベルは女の子のレベルが高い。
村の器量良しと言っても田舎臭さは全然無い。
元の世界ならアイドルでも通用しそうな子ばかりだ。
エルメリア達が宝扱いされるくらいなのだから、俗に言う美人の産地という奴なのだろうか。
あとは漁師の頭が魚を持ってきたりとかで、現金の賄賂とか持ってくる奴は居なかった。
国が貧乏なせいだろう。
今までで見た一番多かった金は例のグルフェスの金貨五十枚だったが、あれも後で取り返すつもりで持って来たらしく、俺がワン子を買う資金に使ったと言ったら相当がっかりしていた。
まぁ殺されそうになった賠償という事で話は付いたんだが。
三日もすると領主としての仕事もひと段落し、当分は何もする事が無くなった。
一応今回の滞在は一週間の予定で、あと四日は実質のオフだ。
「へ、海岸に領主用の別荘なんてあんの?」
俺は背中に乗って一生懸命肩回りを揉んでいるスルセアに聞いた。
「はい、入り江の一角は領主様の土地でそこに別荘がございます。なんでもバルジエ様の前の領主様が釣り好きの方でその為に建てたとか」
そう言えばショーンがそんな事言ってたが聞き流してたっけ。
「まぁあのバルジエじゃ釣り竿より剣振ってる方が好きそうだもんなぁ」
「あ、あの……お加減は如何でしょうか?」
「ん? 良いよ、力の入れ具合とか飲み込みが早いね」
「あ、ありがとうございます」
スルセア達新米侍女はワン子が基本的な侍女の作法を教えた後は交代で部屋付きをして貰う事にした。
改めてパラスマヤに送ってラデンナーヤ侍女長に厳しくしごいてもらうつもりだ。
「海かぁ」
どうせならエルメリア達に休みを取らせて海でバカンスとかしたいな。
「仕事も片付いたから後でそこにも行ってみるか」
「畏まりました」
脇にいるワン子がそう言うと、
「はい。私、海を見るの初めてなんです」
と反対側のクフュラ。
早速ショーンに念話で予定の組み換えを指示。
同時にエルメリアにもこの話を伝えると、
『もちろん参りますわ。後の予定は皆延期です』
おいおい。
『兵団訓練も一息付けそうだ。無論私も行くぞ』
『ちょうど色々見て貰いたいものがあるから』
三人とも来る気満々だった。
――二日後。
「まぁ、ここが海ですのね。なんて綺麗なんでしょう」
エルメリアがプラチナブロンドの髪をなびかせながら言った。
エルメリアは公務を強引に延期させ、グルフェスに一週間の休暇を認めさせた。
昨日のうちに別荘に突貫工事で魔導回路を設置し、今日直接エルメリア達を『転送』で別荘に連れて来た。
「私も初めて来たが良いものだな」
メアリアも同意している。
「……力場制御、荷重、問題なし」
シェアリアだけ無関係な事を言っている。
それは俺達が今乗っている台座の様子を見ているからだ。
その台座は海上五十セルレ(約五十センチ)の所を浮かんでいる。
俺達はゴーレムの亜種である浮遊台座、通称「カーペット」の上で海水浴に興じていた。
「カーペット」の名前は文字通り「空飛ぶ魔法の絨毯」から取られたが、幅三メルテ、長さ十四メルテと大型トラック並みの大きさで、トレイの様な縁がある長方形の板だ。
ゴーレムと魔導装置のハイブリッドで土魔法による力場浮揚で空中に浮遊して重量物を運ぶ、文字通り魔法のトラックだ。
下部の四か所にこぶの様な魔導回路が収まる部分があり、そこから力場を発生させて浮遊と移動を行う。
もともとシェアリアが土魔法で力場を発生し、物を浮かべる事が出来るのを発見し、各地にゴーレム兵を送る為に開発した。
片側にトラックのキャビンよろしく人が六人ほど入れるスペースが設えてある。
眷属一同は俺が仕立師に作らせた特製の水着に身を包んでいる。
エルメリア、メアリア、ワン子は零れ落ちそうなビキニで。
シェアリアとクフュラはそれぞれ白と紺のワンピースだ。
「みんな良く似合ってるな。仕立師に苦労させた甲斐があった」
「別に私は裸でも問題ありませんでしたのに」
「私もです」
エルメリアの言葉にワン子も同意する。
「それは駄目だ。お前達の裸を他人に見せるなどもったいなさすぎる」
確かに絵面は素晴らしいだろうが俺の倫理がそれを許さない。
「他人と言っても周囲に人なんかいないけどなぁ」
「……ご主人様以外に擬似生物を使える者もいない」
シェアリアさんの突っ込みがきつい。
「でもご主人様が仰るのでしたら、この身はご主人様の物ですから」
クフュラがそう言うと一同は納得した。
それでも警戒の為周囲には擬似生物を広範囲に配備し、ゴーレム二十体を森の中に隠してある。
「おし、全員準備運動は終わったな」
「はーい」
まぁ俺達はあんまり必要ない身体なんだが、気分と言うものだ。
「それで泳げる人~」
「…………」
うん、分かっていたが三宝姫の方々とクフュラは泳げない。
と言うか沐浴以外で水に浸かった事すら無いそうだ。
ワン子は泳げるらしく手を上げた。
仕方ないのでまずは泳ぎ方教室だ。
「うわ! なんだこの水! 海ってこんな塩辛いのか!」
メアリアがお約束を言っている。
「では、この様な感じで」
ワン子がお手本を見せる。
絶対犬かきだと思っていたが普通に平泳ぎだった。
「でも、そんなのご主人様に泳ぎの神技を付けて貰えば良いんじゃないか」
メアリアが合理的な事を言っている。
「いや、そこまで横着しちゃだめだ。こう言うのはきちんと覚えないと」
と俺は不合理な反論をした。
まぁ海水浴が目的だから、そこまで泳げるようにならなくても良いのだが、それでも半アルワ位でそこそこ皆泳げるようになった。
「しかし、ホントこの入り江は穏やかなんだなぁ」
特別にあつらえたデッキチェアに座りボンヤリ彼方を眺め俺は言った。
ここから見る景色は凪いだ入り江と青い空。本当にのどかだ。
「でも、外は凄く荒れた海なんですよ」
隣で密着しているエルメリアが解説してくれる。反対側はクフュラがやはりぴったり張り付いている。
浮遊するカーペットの上とは言え波のうねりも殆ど無い穏やかな海で、俄かに信じがたい。
「お前、ここ来るの初めてなのに良く知ってるな」
「あら、ボーガベルの王家の者ならその位は知っていませんと。少し見に行ってみますか?」
エルメリアが耳元で囁く。
「そうだなぁ」
俺はゴーレムであるカーペットに念を送ると、そろそろと沖に向かって動き始めた。
「あれ、何かやるのか?」
隣のチェアで寝そべっていたメアリアがカーペットが動いたので身を起こした。
「ああ、ちょっと沖が見たくなってね」
「……それじゃ」
台座に設えた小屋の中からワン子と一緒に昼食の準備をしていたシェアリアが顔をだす。
沖に出た時のカーペットの挙動変化が知りたいらしい。
「ああ、沖に出る訳じゃない。見るだけだ」
「……残念」
五分ほどで入り江と外海を隔てる岩礁にたどり着いた。
「なるほどこの岩礁が消波ブロックの役割をしてるんだな」
人より大きい岩が無数に積み上がった形になっていてそれが荒波を打ち消していた。
「しょうは……ぶろっくですか?」
俺は『叡智』から消波ブロックの画を呼び出すとエルメリア達に送ってやる。
「……面白い形」
シェアリアが感心する。
「しかし本当外は凄いな」
見ると波が荒れ狂っている。
元の世界では超大型の台風の時でなければ見られないような波だ。
岸壁でこんな荒波を見てると自殺衝動が沸き起こってきそうで怖い。
「これじゃ流石に船は出せ……」
そう言い掛けた時、俺は荒れた海原の彼方にぽつんと船らしき姿があるのに気が付いた。
「おい、あれ」
それを指差すとシェアリアが驚きの声を上げた。
「……まさか、この海を?」
船らしきものは荒波に揉まれながら舳先をこちらに向けていた。
「こっちに向かってきてないか?」
メアリアが言う。
確かに船は段々こちらに近づいて来てる様だ。
「クフュラさん、何処の船か判ります?」
エルメリアがクフュラに尋ねる。エドラキムには港があるそうなので判るかと思ったらしい。
「いえ、私も船は見た事が無いので……」
そう言ってる間にも船は猛スピードでこちらに向かってくる。
「このままじゃぶつかるぞ、一旦カーペットを下げ……」
そう言ってる間に大きな波に乗り、更に加速した船は岩礁に乗り上げ、なんと俺達の脇を飛び越えて行った。
当然かなりのダメージが加わり船体の一部が砕け飛び散っている。
それでも勢いで水切りのように跳ねたあと、船は浅瀬で座礁した。
俺達は呆然とその光景を見ていたが、我に返り、
「取りあえず行ってみよう」
とカーペットを向かわせた。斜めに座礁している船はかなりの大型だ。
しかし外観は最早ボロボロで浅瀬じゃなければ沈没していただろう有様だ。
帆も破れ正直幽霊船と言っても間違いではないだろう。
俺達はカーペットを船に近づけた。
「おおい! 誰かいるか!」
大声で声を掛ける。
しばらくすると船べりから人影が現われた。
見ると亜麻色の髪が肩の辺りまで伸びた少女だ。
アチコチを見回すとロープが下ろされ、それを使って降りてきた。
初めて見る服装だ。
元の世界で言えば中東風といった感じがする。
胸に大きなネックレス、両腕には金のブレスレットを着けている。
しげしげとこちらを見ると少女は喜色満面の表情で叫んだ。
「やったわ~! 遂に着いたわ~! エドラキムに~!」
「え?」
一同は固まった。





