第十八話 乱舞
シェアリア・ボーガベルが魔法を使い始めたのは五歳の頃からだった。
宮廷魔導士シェム・アレサオの真似をして呪文を詠唱した所、火魔法が顕現した。
以来シェムが付きっきりで指導した結果、十歳の頃には水と風の魔法を使えるようになり、東大陸の魔導界において「ボーガベルの神童」としてシェアリアの名は高まっていった。
だがシェアリアの心中は魔法に対する失望と落胆で満たされていた。
この世界の詠唱式精霊魔法は術者の呪文詠唱の正確さと速さが命である。
詠唱専用の高速言語を使わなくても、この世界の人間ならば詠唱に五分ほど掛けさえすれば『火』くらいの魔法は扱える。
だがそれでは用途は精々かまどや暖炉に火を灯す程度だ。それなら火打石を使った方が断然早い。
魔導士に求められている魔法はあくまで戦闘用の物だ。
高速言語によりおよそ三十リプル(約三十秒)で『火弾』を撃ち出す事が出来るようになったが、そこまでだった。
『火弾』は当たれば人一人を火達磨に出来る威力があるが、移動しながらの詠唱は失敗の確率が跳ね上がる。
結局の所、後方で騎士の支援として撃つ程度しか使い道がないのが現状だった。
『ボーガベルの剣』を自認するメアリアに感化されてか、シェアリアも自分の力で国を護りたいと言う気持ちは強かった。
しかし自身が使える魔法は、それに応えるには余りにも効率が悪いように思えてならなかった。
そんな矢先にエルメリアが城の書物庫から古びた本を持ってきた。
それは英雄神ティンパン・アロイの物語で、そこには彼を召喚した魔法陣の紋様も描かれていた。
エルメリアに頼まれ英雄神召喚を行うことになったシェアリアだったが、本心は別の所にあった。
魔法陣を使えば詠唱に頼らず魔法を顕現させられないか。
その日から召喚魔法陣の再現と魔法陣の解読がシェアリアの日課になった。
だがこれは最初から行き詰ってしまった。
召喚魔法陣は何をどうやっても顕現しないし、魔法陣自体の解読もさっぱりだった。
実際この本に書かれている事は、所詮書いた人間の空想の産物でしかないのだがエルメリアやシェアリアにはそれは判らない。
ひたすら本と魔法陣に格闘する日々が続いた。
いよいよ国王自ら出陣し、ボーガベルの運命がじきに決しようと言うある日、奇跡は起こった。
召喚魔法陣に一人の男が現れたのだ。
それを見たエルメリア達は小躍りして喜んだ。
だが結果は期待していた英雄神ティンパン・アロイではなかった。
しかし、召喚された男ダイゴはティンパン・アロイの伝説に負けず劣らずの魔法をいきなり行使して見せた。
特に詠唱無しで顕現する伝説の光魔法による魔法陣、そしてそこから放たれる凄まじいまでの威力の魔法。
それこそシェアリアの求めていた魔法の姿だった。
その時からシェアリアの心はダイゴ一色に塗りつぶされてしまった。
元々シェアリアは人と話すのが得意ではない。
それでも必死にダイゴにアレコレと質問攻めにしてみたが、ダイゴ自身自然と身に付いた技であり教えるのは難しいと言われ、大いに落胆した。
自分だって幼少の時にいきなり魔法が使えた身だ。
素養の度合いが違いすぎると無理矢理納得した。
だがダイゴの産み出したゴーレムの核に魔法陣が使われている事を知り、これの解析を始めた結果、どうにか魔石に魔法陣を刻印することで魔法を顕現することが出来るまでは判明した。
魔石自体は古くから魔力を増幅する働きがあることが知られており、魔石を組み込んだ魔導杖は魔導士の必携品になっている。
魔石と魔法陣の組み合わせで魔法は発動する。
シェアリアが長年追いかけていたものがアッサリと解決した。
とは言え、それを自在に使うまでには行かないという次の壁にぶち当たった。
肝心の魔法陣の書式があまりにも複雑だからだ。
そんな矢先にエルメリアから、ダイゴの能力の一部を使う事の出来る眷属化の事を聞かされたシェアリアは、一も二も無く飛びついた。
あの魔法が使えるなら、何より密かに恋焦がれたダイゴの眷属になれるなら何のためらいも無かった。
シェアリアにはエルメリアのような積極性もメアリアの様な快活性も無い。
例えれば物陰でじっと見つめるだけの性格だ。
それでもエルメリアが一晩で一斉に咲いた花の様になったのにいても立ってもいられず、ありったけの勇気を振り絞ってダイゴの偵察に同行を申し出た。
その時にダイゴを短い時間だが膝枕できたのは、シェアリアの無上の喜びだった。
以後毎晩その事を思い出しながら自身を慰める日々が続いた。
ダイゴに抱かれた時に吹き荒れた快感の嵐は未だに収まってはいない。
寧ろ激しさを増して全身を荒れ狂っている。
それでもシェアリアは魔導杖に寄り縋りながら、敵が集結している馬場にヨロヨロと歩いていく。
ボーガベルを裏切った者達を誅すると言う思いも確かにある。
だが本音は新しく得た力を早く使いたい。
そう考えただけで全身に新たな快感の嵐が吹き荒れる。
「うあああああああああああっ」
耐え切れず思わず声を上げてしまう。
その声に気づいたらしく、周囲を警戒していた彼方にいる裏切り者達から声が上がる。
「おい、あれはシェアリア様じゃないか?」
「ああ、それにしては様子が変だが、投降しに来たのか?」
「とにかく拘束しよう」
十人ほどの兵がこちらに向かってくる。
上気した顔に妖艶な笑顔を浮かべたシェアリアは片手を差し出すと、赤い魔法陣を展開した。
全身に嘗て無い程の快感がゾワゾワと押し寄せ、気を失いそうになるのを必死にこらえながら魔法を発動する。
「『炎弾』」
シェアリアの掌の魔法陣から、今まで必死の思いで修練してきた『火弾』よりも遥かに高威力・長射程の火球が撃ちだされる。
「!」
火球は兵士達に直撃し、跡形も無く吹き飛ばした。
「あ、ああ、あはっ、あはははあぁっ」
夢にまで見た高威力の魔法に会心の笑みを浮かべるシェアリアだが、全身を吹き荒れる快感の為、笑っていると言うよりは壊れている様にしか見えない。
実際シェアリアは壊れていた。
自分が今までの血のにじむような思いで努力し、研鑽し、築き上げてきたものが一瞬で崩れ去った。
それはシェアリア自体の崩壊だった。
そして残ったのは新たな力を手にした歓喜と、目の前にいる国を裏切り父親を酷たらしい死に至らしめた張本人達に対する憎悪。
兵士達は瞬時に蒸発してしまった同僚を見て恐慌に駆られた。
「てっ敵襲!」
そう叫ぶとすぐさま抜剣した兵士が駆けてくる。
「何だ! どうした!」
駆け付けた副官が叫んだ。
「シェアリア様です! ですが怪しい魔法を使います! 五人やられました!」
「何だと!? 包囲!」
副官のとっさの判断で十人余りが取り囲む。
「詠唱をさせるな! 手傷を負わせても構わん!」
「……えい……しょう?」
シェアリアが呆れたように笑った。
同時に両手に緑に光る魔法陣が展開される。
「な、何だ!?」
「『烈風竜巻陣』!」
瞬時に周囲に巻き上がった、土砂を含んだ超高速の風の渦が兵士を巻き込み、瞬く間に粉砕する。
「ぐがぁっ!」
「がはあぁ!」
だが風の止んだ瞬間を狙い、他の兵が斬り込んで来た。
しかしシェアリアの両手に展開された魔法陣は、すでに青く変わっている。
「『激流障壁』!」
「な!? ぶっ!」
「あぎっ!」
地面に浮かんだ魔法陣から高圧水流の壁が吹き上がり、兵士を両断した。
巻き上げられた水と血しぶきが混ざり、真っ赤な水が他の兵士達に降り注ぐ。
「な、何だこの魔法は……詠唱しないのか……」
副官は次々と切断され血飛沫を上げる部下を見て呆然とした。
シェアリアの周囲に展開されている魔法陣。その中に侵入した者は悉く魔法の餌食になっている。
しかも今までに見た事も無いような高威力の魔法を、様子がおかしいとはいえ無詠唱で発動させている。
しかも魔力が全く尽きる様子も無い。
彼はそんな魔法は見たこともないし、ましてやシェアリアが使えるなどと思ってはいなかった。
戦闘の精鋭たる第一兵団の兵達にとって魔法など所詮稚戯であり、実戦に使える物ではなかった。
城中で必死に詠唱の訓練をしてるシェアリアを見掛けては、心中で戯れ事と馬鹿にしていた。
だが今はその戯れ事に半数以上の精兵を失った。
一体第一兵団があの戦場を抜け出してカイゼワラに潜んでいるあいだに、何がボーガベルに起こったのか。
副官が混乱してる間にも、シェアリアの魔法攻撃は続いた。
「『炎華繚乱』!」
次の瞬間周囲に無数の炎の花が咲き、兵士達を焼き尽くしていく。
「ぐわっ」
「ぎゃあああ!」
「あっ、あぎいいいい!」
副官以下生き残った兵士達は、爆炎の炎に彩られ妖しく笑うシェアリアが今まで三宝姫と敬愛してきた者とはまるで別の何かに見えた。
あそこにいるのはシェアリア姫の皮を被ったバケモノだ。
「おのれ!」
副官が抜剣する。
バルジエ程ではないが、彼も剣の達人だ。
剣技ではメアリアに次ぐ実力を持つ。
シェアリアの死角に回り込み、必殺の突きを打ち込む。
が。
「……『暗黒球』」
突如浮かんだ黒い球体に腕が包まれ、それが消えた瞬間、剣も肘から先も消失していた。
「ひぎゃああああああっ!」
両腕を失った副官が絶望の悲鳴を上げる。
「に、逃げろ!」
誰かが叫ぶでもなく、精兵で知られた第一兵団が慌てふためき逃げようとする。
既に三分の二以上が死んでいる。
かつてボーガベル最強を誇った兵団が、たった一人の駆使する魔法に敗北した瞬間だった。
両腕を失った副官も必死に森へ走っている。
「……に、逃がさ……ない」
シェアリアは両手に黄色の魔法陣を展開、自身が父親の無残な姿に涙した時にダイゴが見せ、心に深く焼きついた魔法を発動させる。
「『雷電爆撃』!!!」
途端、凄まじい轟音と共に無数の落雷が兵士達を襲う。
ズガガガガガガガガガガン!!!!!!
眩い光芒の中に兵士達が溶け、消えていった。
雷の収まった後には僅かに炭や灰が散らばり、それらはすぐに風に吹かれて散っていく。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
全身をかき抱きながら絶叫したシェアリアはその場に倒れこんだ。
気を失った訳ではないが、これ以上無い程の満ち足りた表情を浮かべたまま、心はどこかに飛んでいた。
すると誰かに抱きかかえられた。
視線を向けると、それはダイゴだった。
脇にメアリアもいる。
「よくやったな、シェアリア」
そう言われた瞬間涙が溢れてきた。思わずダイゴに抱きつくと
「……好き、ご主人様」
そう言って唇を重ねた。
「ああっ! ずる……いぞ……シェアリア!」
そうメアリアが喚く。
「私も! あ……愛して……るぞ、ご、ご主人様!」
そう言って真っ赤になりながら唇をねだるメアリアの期待に応えてやりながら、ダイゴ達は門に入っていった。
この日、ボーガベルの至宝と世に謳われた三人の姫は全員ダイゴの眷属となった。
――パラスマヤ城下の酒場。
夜でも開いているこの店は一昔前は大勢の市民や兵達で溢れていたが、今はひっそりと静まり返っている。
外出禁止令は既に解除されたが、深夜という事もあり、街を出歩く者は殆どいない。
だがその店は何時もと変わらずに開いていた。
そんな店で一人酒を飲む男がいた。グルフェスだ。
若い頃に散々通ったこの場に十何年ぶりに訪れたが、店主は何も言わずいつも飲んでいた酒を出してくれた。
「何故なんだ……」
一言そうつぶやいただけで酒を煽る。
勿論バルジエの事だ。莫逆の友の裏切り、そして愛弟子によるあっけない死。
その渦中の外にいたグルフェスにはそう呻くしかなかった。
扉が開いて誰かが入って来たが気にも留めず酒を呷り続けていると、入って来た人物が声を掛けてきた。
「そんな一人寂しく飲む酒は美味くなかろう、どうだ、一緒にやらんか」
以前バルジエに似た台詞を言ったのを思い出してギョッとした。
振り仰ぐと、バルジエではなく見知らぬ中年男が立っていた。
「どなたかな?」
すると男は後ろを指した。今では見慣れた獣人の侍女がいつの間にか壁際に立っていた。
「ダイゴ……殿? その姿は?」
「これが俺の元々の姿さ」
「驚きましたな」
「あとはもう一人」
そう言うと戸を静かに開けてベールを被った女が入って来た。
「メア……」
ありふれた市井の娘が着る服に身を包んだその女の正体に気が付いたグルフェスは、出かかった名前を慌てて飲み込んだ。
ワン子が店主に人数分の酒を頼み、持ってきた。
「バルジエ将軍に」
ダイゴはそう言って樽の様なジョッキを掲げた。
グルフェスは少し戸惑ったが、ダイゴの意を察したのかジョッキを重ねた。
「我が友、バルジエに」
「我が師、バルジエに」
とメアリア。
一気に飲み干し、代わりの酒をワン子がまた注文しに行く。
「今でも分からんのです。なぜバルジエがあんな真似をしたのか」
ポツリとグルフェスが呟いた。
「奴はエドラキムを嫌って出奔し、ここに来た男です。単純にエドラキムから誘いを受けて乗るとは思えません」
「馬鹿だった……」
ダイゴはポツンとそう言った。
「は?」
グルフェスが聞き返す。
「馬鹿な奴だった。それで良いじゃないか」
「……そうですな。あいつは馬鹿だ……大馬鹿野郎だ」
そう言って酒を飲み干したグルフェスの頬を涙が伝った。
その顔は紛れもなく、あの喧噪の中でバルジエと酒を酌み交わしていたグルフェスだった。





