第百五十四話 帰郷
ジャリジャリジャリという音が響く。
ダイゴ達が乗っているのは、扉が蛇腹式のいかにもな感じのエレベーターだ。
「滑車式で動力は鋼魔兵ですが、ちゃんと停止装置も付いてるでござりまするよ」
ドンギヴはそう言って率先して乗り、ダイゴ達も後に続く。
「随分と降りるんだな」
「もう間もなくでございまするよ」
ドンギヴの言葉と共にゴウンと音がするやエレベーターは停止した。
「さささ、どうぞどうぞ」
真っ先に降りたドンギヴが恭しく手を指し示した先。
流石にダイゴも目を見開いた。
「何だ……ここは?」
そこは超巨大な地下鍾乳洞。
最高部は六百メルテはあるだろうか。
そこに林立しているのは紛れもなくダイゴのいた世界の建造物。
マンション、ビルディング、デパート。
そして有名な銀座の時計店や東京駅丸の内駅舎など。
ダイゴも知っている建物が寸分たがわず再現されている。
「ご主人様、これは……」
「ああ、俺のいた世界の建物だ」
エルメリアの言葉にダイゴが答える。
ワン子達も『叡智』で知ってはいたものの初めて見る建造物に驚きの表情を浮かべている。
「これがご主人様のいた世界の城ですのね」
ワン子も東京駅を見て感嘆の声を上げる。
「いや、城じゃあ無いんだけどなぁ……」
「うひゃーたーかいにゃーたーかいにゃーてつのいのししがいるにゃー」
ニャン子はビル群にお上りさんのような声を上げ、眷属になってまだ日が浅いクリュウガン姉妹は目を点にして見入っているだけだ。
道路にはご丁寧に車すら置かれている。
「ん? おいおい!」
その中で見覚えのあるトラックにダイゴは駆け寄った。
「これは……」
「これは正真正銘のあちらの世界から流れて来た物でござります。動きませんがね。私のいた国に突如現れたので保管しておきましたでござります」
『黒井運輸商会』と書かれた銀地に濃紺のストライプの入った四トントラック。
それは紛れもなくダイゴ……牧島大悟が乗っていたトラックだった。
運転席のドアを開けるとこの世界に転移する直前のまま。
少し古びてはいるが配送伝票等もそのままだった。
「如何でございましょう? 懐かしいとは思いませンか?」
ひとしきり自分のトラックを見たダイゴにドンギヴが揉み手をしながら言った。
「こんな物まで揃えて随分と手が込んでるが、これが何だってんだ?」
「何だと申しますと、そうでございますねぇ。ダイゴ様に故郷を思い出して頂きたいと」
「まぁ懐かしいっちゃあ懐かしいがそれが何だってんだ?」
「以前のお話、覚えておいででござりましょうか?」
「ああ、元の世界に帰りたいかって奴だろ? それがこの悪趣味な街の事か?」
「まさかまさか。これは先程から申し上げている通り、ダイゴ様に故郷を思い出して懐かしンで頂く為でござりまするよ」
「いや、そんだけの為にわざわざこんな手の込んだことはしないだろ? 一体何の関係があるんだ?」
「そうですねぇ、ダイゴ様、私、元の世界ではとある大学の研究所に籍を置いておりました」
「大学?」
「ええ、ちょっと変わった大学でしてね。そこで私は薬理学という薬が人体に及ぼす影響を研究しておりました」
そう言ってドンギヴは懐から魔水薬の筒を取り出して振った。
「その大学の所属する組織で、ある爆発事故が起こりましてね。私はその時にどうやらこの世界に飛ばされたらしいのです」
「ふうん」
「いやぁ、最初はもう絶望しましたでござりまするよ。体内魔素もゼロなもので魔法など全く使えませンし」
そう言ってドンギヴは大げさにうなだれる。
「ですがある国に身を寄せ元の世界の技術を披露して取り立てられましてね。そこで魔素を薬に転用する事に成功いたしまして」
「はぁん、そりゃ良かったじゃねぇか。で? やっぱり元の世界が恋しくなったんで戻る方法を探していたってか?」
「そうでござりまするよ。そしてとうとう発見したのです! もとの世界に戻れる方法を!」
「へぇ、そりゃあスゲェや大したもんだ。でもさぁ俺巻き込まないでくれる? 別に俺は帰りたいとは思わないんだよね」
「まぁ確かにそのトラックを運転してる生活よりかは、今のキレイどころを侍らせてウハウハの皇帝の方が宜しゅうございますよねぇ、ああ、羨ましい」
段々、ドンギヴの持って回った言い回しにダイゴはイラついてきた。
「ああもう面倒クセェなぁ、強制的に聞いた方が早いか?」
そう言ってダイゴは『自白』を発動させようと右手を上げる。
「アヤヤヤ、お待ちくだされ、まずはこのお方のお話をお聞きくだされ」
「このお方?」
「偉大な西大陸の主! 全ての生物のカリスマ! ロックンロールの伝道者!」
「こやつは何を言っておるのじゃ?」
「さぁ?」
「赤竜皇帝! ルーナープールゥゥゥゥトォォォォ!」
そばのビルの入り口脇から煙が吹き上がったかと思うと上半身を覆う竜を象った被り物を被った男がゆっくりと歩み出てきた。
「なんだありゃ? プロレスか何かか?」
「ぷ、ぷろれすが何かは知らんが全くけしからんのう」
「そういう割には何か羨ましそうじゃねぇか」
「そ、そんなことはないぞ。そう、あれじゃ。ご主人様の奇怪仮面よりは出来が良いと少々感心しただけじゃ」
「お前、地味に傷つくんだけど」
ダイゴとソルディアナの会話を余所に男は被り物をゆっくりと脱ぎ捨てた。
燃えるような赤い長髪に切れ上がった目。
赤竜ルナプルトだ。
「姉者、随分と楽しそうじゃな」
「ふ、ふん、お主こそナントカ帝国皇帝などとはしゃいでおるがこの地下のこれがそうか?」
「はん、超竜煌輝帝国ストルプルドはドンギヴの企ての方便よ」
「……ルナプルトよ、お主其奴と組んで何を企んでおる?」
「知れたこと。アルナへリムに戻るのよ」
その言葉を聞いてソルディアナの顔色が変わった。
「アルナへリムじゃと!? お主正気か!?」
「アルナヘリム? なんでぇそれ」
「我ら竜の故郷の国じゃ。とうの昔に滅んだがのう。そんなにあの国に戻りたいのか!」
「当たり前じゃ! この地底の穴ぐらに何千年といた我の気持ち、姉者には分からぬか!? 今の我の力ならばあの死せる大地に再び光を与えん!」
「痴れ者が……あの地を死なせたのはその竜の力ぞ……」
瞬間、ダイゴの脳裏にソルディアナの念が流れ込む。
天地を覆いつくすが如き無数の竜が竜息を撒き散らしている。
数多の竜が吹き飛び、傷つき、それでもなお竜息を吐く。
竜たちが互いを滅ぼし合う世界。
それはまさに地獄絵図だった。
「姉者! 手を貸さぬか? 二人で新たなるアルナヘリムを、いやさ真の超竜煌輝帝国ストルプルドを創り上げようぞ!」
「益々もって救いようが無いのう……我はその気は微塵にもないわ。ここでの暮らしが気に入っておるでのう」
ソルディアナは呆れたように首を振る。
「まぁ良い。戻れば否応なく考えも変わろう……」
ルナプルトはダイゴに視線を移した。
その目はまさに獲物を見つめる目。
「ダイゴよ! 貴様にはその贄になって貰うぞ!」
その言葉より先にルナプルトの一撃がダイゴを打つ。
だがダイゴの手前で拳は止まった。
「残念……」
「フン!」
ルナプルトの気合と共にダイゴが後方に弾き飛ばされた。
「何!?」
「はん! 常在の結界ならばそれごと撃ちぬけばよい事よ!」
それは以前エドラキム帝国皇帝がダイゴに放った『波動』と同じものだ。
しかも威力は数段上回る。
後方のビルにぶち当たり、瓦礫がガラガラとダイゴを埋めていく。
「ご主人様!」
「くぉんのぉ!」
エルメリアとワン子がダイゴの元に駆け寄り、ニャン子がルナプルトに飛び掛かる。
「フン!」
ニャン子の瞬息の直足蹴りを無造作にかわし、カウンターの直突きを入れる。
「にゃっ!?」
それを見越したニャン子が突きと同方向に飛んで力を逃がそうとするが、逃がしきれずに突きを受け、やはりビルにブチ当てられた。
その直後、
「「雷電!」」
姉妹の雷撃がルナプルトに浴びせられる。
だがルナプルトには全く効果がない。
「そ、そんな……」
「どういう事だ……」
「決まっておる、竜には魔法は効かん。それは人間体でも同じ事よ」
姉妹の間からソルディアナが出て来た。
その身体を漆黒の鎧が覆っていく。
「ほう、姉者が我とやろうというのか。面白い」
ルナプルトの身体も深紅の鎧が覆っていく。
「本当に言うようになったわ。我に一度も勝てなんだお主が」
手に巨大な黒剣を出してソルディアナが言った。
「前にも言ったはずだ。以前の我とは違うとな」
「ちょっと待ったぁ」
後方で声がして振り向くと、瓦礫の中からダイゴが現れた。
「ソルディアナ、今のやつの相手は俺だぞ?」
「し、しかし……」
「おい、弟! そうだろ?」
「その通りよ! あっけなく死んだかと失望しておったわ!」
「そんな簡単に死ねるわけねぇだろが」
そう言いながらダイゴは首をゴリゴリと鳴らしながらソルディアナの脇に立った。
「ご主人様、ここは我に任せよ」
「ソルディアナ、お前の気持ちは分かってる」
「っ!」
「安心しろって」
そう言ってダイゴはソルディアナの頭を撫でた。
途端、ソルディアナの鎧が解けていく。
「すまぬ……あれでも我の弟なのだ……」
それには答えずダイゴは笑った。
次の瞬間、ソルディアナの目前のダイゴの姿が消え、ルナプルトのいた場所に喧嘩キックを放った状態で現れた。
その先のビルに壮大な激突音が響き、土煙が湧き上がった。
「ほう! やるではないか!」
すぐに瓦礫を跳ね上げルナプルトが出て来た。
そこを待ち受けていたかのようにダイゴが転送で現れワンインチパンチを放つ。
「つぉっ!?」
ルナプルトは瓦礫の中に埋め込まれるように叩きつけられた。
「ほうほう、ダイゴ殿の瞬間移動ですか……なるほどなるほど」
ドンギヴが一人ごちに頷く。
「さてさて、そろそろですかな」
その声を合図にしたかのように周囲のビル群が今までとは違う輝きを、窓という窓から極彩色の光を放った。
「なんだぁ……あ?」
辺りを見回したダイゴが突如金縛りにあったように動けなくなる。
「な……?」
「これは?」
「うにゃ?」
「なんだ?」
「あうっ?」
「これは……何じゃ?」
「ぐおお……ドンギヴ……貴様……」
ダイゴだけでは無く眷属たちも、そしてルナプルトすらも身動きが取れなくなっていた。
「クックックっクック……アーハッハッハッハァッ!」
今までとは違う、悪意に満ちた笑いをドンギヴが高らかに歌い上げる。
それはまるで勝利の勝ちどきの様に広大な地下都市に響き渡った。
「ついに! ついについにつーいーにー! この時が来ました! ダイゴ陛下! ルナプルト陛下! いやいやいやいや感謝感激雨あられでございます」
「……」
ダイゴが無言で転送で脱出しようとする。
「んん?」
一瞬その姿がぼやけるだけでダイゴは転送が出来ない。
「無駄無駄無駄ァ……でござりまするよ。あなた方の防護をすり抜ける干渉波動を使っておりまするので」
「干渉波動? なんだそりゃ」
ダイゴはかろうじて口は動かせるようで即座に訊いた。
「ダイゴ帝の物理防御や魔法防御のお力は素晴らしい。実に素晴らしい。しーかし物事には絶対などという物がありませン。全部防御してしまえば光や音まで遮断する事になりますですからねぇ」
「で? 何だってんだ」
「私めは赤竜帝陛下や黒竜様達竜の一族がダイゴ陛下と近しい存在、詳しくいえばダイゴ様のプロトタイプと踏んだのですよ」
「プロトタイプ……」
それは『神の代行者』の試作品という事だ。
確かにソルディアナを見ていると思い当たる節はいくつもある。
念話、自己再生、魔法防御等は言うに及ばず。ゴーレムや疑似生物と似た竜人兵や竜人将を作り出せる能力。
更には血や体液を介して常人を眷属にする事も程度の差こそあれ全く同じだ。
「そしてとうとうその干渉波動を探し出し、それに干渉する魔導防壁をこの地下都市に設置したのです。このビル群全てがそれでございます」
「俺を抑えるために随分と大掛かりなんだな」
「いえいえ、この地下空洞一杯の容量が必要とは、流石ダイゴ様でございまする」
「で? 俺を生け捕ってどうするってんだ」
「この都市の外周には陛下のお使いになるあの魔法の書式が書かれておりまする」
「『蒼太陽』をか?」
「そう、その『蒼太陽』でございます。アレをこの力場の中でダイゴ殿を核として起動すると、この一帯に相転移現象が発生し元の世界に戻れる次第でございます」
「……なんか良く分からねぇが何でそんな発想が出て来るんだよ」
「ダイゴ陛下は世界樹をご存じですよねぇ」
その言葉にダイゴは息を飲んだ。
それはまさに『神』に代行者を持ちかけられた原因、即ち育ちの悪い世界樹に対しての肥料としてダイゴはこの世界に送り込まれたからだ。
「私はルナプルト陛下からそのお話を聞き、ある仮説を立てました。世界樹の枝や葉が他の世界樹に干渉し、そこにいた者が転移に巻き込まれると」
有り得る話だとはダイゴも思った。
「その世界樹の枝葉が干渉している別の世界樹。これが我々の元の世界なのです」
「何だって……」
「そこでこの地で神の波動で『蒼太陽』を発動させれば、時空連結作用が発生しする……という事でござります」
「そんなに上手くいけばいいけどなぁ」
「行きますとも。その為にダイゴ様にこの都市を見て頂いたのでござりまするから」
「俺にこの都市を? 何でさ」
「どう思っていようとダイゴ様の心の中には元の世界への郷愁がありまする。それを核とする事でより確実に転移を果たす事が出来るのです」
「ドンギヴッ! わ、我は! アルナヘリムはどうなるのだ!」
必死で拘束を振りほどこうともがきながらルナプルトが叫んだ。
「それではダイゴ陛下、運が良ければ元の世界でお会いしましょう」
ドンギヴはルナプルトの問いには答えず、目前の魔石版に彫られた呪紋に己の持っていた魔水薬を注ぎ込む。
「ドンギヴッ! 貴様っ!」
ビルの光が凄まじい輝きを放ち、巨大鍾乳洞一面に彫られた呪紋が蒼白い輝きを放つ。
と周囲に様々な模様の蒼い魔法陣が次々と浮かんでは消えていく。
「こ……これは……」
「ま、まさか……本当に『蒼太陽』?」
「そんな……メアリア様達に念話が通じない……にゃ!」
「そんな事をしたら……アーメルフジュバが……」
「お父様! お母様!」
「ルナプルトよ、どうやらお主もたばかられたようじゃのう」
「くっ! だが我は戻る! 絶対に姉者を連れてな!」
「お主……」
そしてダイゴの口が短く動いた直後、巨大鍾乳洞の地下都市は蒼い光に包まれた。
…………………………
……………………
………………
…………
……
パパパーン!
対向のトラックがクラクションを鳴らし、千村敦也は慌ててG63のハンドルを切った。
少しセンターラインをはみ出していたらしい。
ここは……
「貴方どうしたの?」
「あ、ああゴメン、ちょっと考え事をしていた」
「まだ退院したばかりだから無理しないでね」
「ああ、大丈夫だよ」
そう言って千村は思い出す。
気づいた時にドンギヴは富士の裾野にいた。
夕陽を受け赤く染まる富士山が見える。
計算通りにあの爆発事故の現場に戻ってきた。
周囲が新たな爆発の影響で一様に焼け焦げている。
だが、そんな事はもはやドンギヴにとってどうでも良い事だった。
そう、あの場所にいたはずの自分と同郷の男の安否すらも。
投光器を照らしながらヘリが近づいてきた。
奇妙な色彩を継ぎ合わせた上着を脱いで力いっぱい振る。
「帰ってきた! 僕は帰ってきたぞ!」
上着を振りながら叫ぶ彼は既にドンギヴ・エルカパスから千村敦也に戻っていた。
G63は滑るように都内を走る。
「無事に復職もできたし、全てお義父さんのお陰だな」
「あら、大臣なんですからその位の事はしてもらわないと」
「全く君には頭が上がらないな」
そう言った千村のスマホに通知が入る。
「お仕事?」
「ああ、多分ね」
――横浜の港を望む歴史あるホテルの一室。
「嬉しいわ、真っ先に連絡をくれて。爆発事故って聞いて心配してたのよ」
妻よりも十歳は若い女はベッドで煙草を燻らせながら言った。
「元気になったら君に会いたくなるのは当然だろ?」
「嬉しい。ねぇ、あの薬持ってきた?」
「勿論さ」
そう言って千村はピルケースを女に差し出し、女は中の錠剤を飲み込む。
「これ凄いよね。今はもう手に入らないんでしょ?」
「ああ、でも僕なら簡単に手に入るさ。元は猛獣の麻酔薬だけどね」
「え~なんかひど~い」
「君はこれから猛獣って事さ」
「じゃあ食べちゃうぞーがおーっ」
裸の千村の首に女の首が絡みつく。
――港区白金にある千村の自宅
「パパ、ママ! へっへーん!」
「おめでとう、一等賞」
「今日はお祝いにお食事に行きましょう」
「わーい! じゃあ楽しみにしてるね」
娘が庭へ駆けていく。
「……あの女とは切れたのね?」
「ああ、すまなかった。お義父さんにも迷惑を掛けたね」
「いいのよ、お父様の名前を出せば弁護士なんて簡単に手を引かせられるわ」
「ああ、金目当てで近づいてきただけさ。もう金輪際しないよ」
「当然よ。どの道来月にはアメリカよ。忙しくなるわ」
「そうだな」
「国防総省の研究所に出向なんて凄いわ。やはり私が惚れこんだ才能だけあるわ」
「おいおい、僕自身は?」
「お調子者の浮気者」
「だから反省してますって」
「うふふ、噓よ」
ピンポーン
夫婦の甘い会話を遮るようにインターホンの呼び出し音が鳴る。
『宅配便で~す』
「何かしら? 貴方何か頼んだ?」
「いや? いいよ、僕が出る」
そう言って千村はインターホンのモニターを見る。
画面には冴えない中年男が愛想笑いを浮かべて立っていた。
「少々お待ちください」
何時もなら家政婦にやらせるが来月にはアメリカに家族ぐるみで行くため、暇を取らせた。
やれやれ、こんな事も少しの辛抱だな……
そう思いながらドアを開けた千村が息を飲んだ。
中年男の背後には宅配便のトラックでは無く銀地に濃紺のラインの普通のトラック。
そのトラックに見覚えがあった。
「千村……敦也か。成程、アンタがそうだったんだ」
「な、何だ? 何を届けに来たんだ?」
「ああ、アンタに『絶望』ってやつをな」
その言葉に慌てて千村はドアを閉め、スマホを取りに居間へもどる。
「ふ、不審者だ! 警察を……?」
だが妻は本を読んだ姿勢のままだ。
「お……おい?」
見れば瞬きも、息すらもしていない。
完全に静止している。
「おい、どうしたんだ……おい!」
揺さぶろうとしたが置物のようにびくともしない。
ふと窓の外を見ると庭で遊んでいた娘も止まっている。
どうしたんだ、二人とも……動かない……止まっている……
まるで自分以外の時が止まったようだった。
「俺が止めたんだよ」
いつの間にか中年男がそこにいた。
「だ、誰だ! 勝手に入ってくるな! 警察を呼ぶぞ!」
テーブルに置いてあったスマホを取る。
だがスマホは全く反応しない。
「誰だじゃねぇよ。幸せにどっぷり浸かれすぎて忘れちまったってか?」
そう言った中年男の顔がみるみる若返っていく。
千村には忘れられないその顔。
「ダ……ダイゴ陛下? ど、どうして……」
「ああ、お前が戻ったと思ったここはな。俺が作った仮想世界って奴なの。良く出来てるだろ?」
「仮想世界? そ、そんな事が……なんで……」
「土魔法『偽地獄』って奴でな。これはお前の頭の中に念を送って見せている虚像だ」
「そんな……そんな事が……」
「俺には『叡智』という神のAIがあるからな。現実そっくりな仮想世界を作るなんてわけない事さ。お前も竜の血を飲んだろ? だからなおさら念が通りやすいんだ」
「お、お前……も、戻せ! 妻を! 子供を!」
全身をブルブルと震わせながら千村が絞り出すように叫んだ。
「はぁ? お前が良くそんな台詞云えたもんだな」
「な、何の話だ……」
「まぁ良い。俺にもお前にも所詮もうどうでもいい話だ」
「ダイゴ……た、頼む! 戻してくれ! 返してくれ! 妻を……子供を!」
「やなこった。さて、もう起っきの時間でちゅよー」
ダイゴが指を鳴らすとまるで砂のように千村の家がザラザラと崩れていく。
そして千村の妻子も。
「やっやめろおおおおおおおおおっ!」
……
…………
………………
……………………
…………………………
「やめろおおおおおおおおっ! ……おあ?」
ドンギヴは自分自身が放った絶叫で我に返った。
「こ……ここ……は……?」
ドンギヴは信じられないといった表情で辺りを丹念に見回す。
目の前にはダイゴとその眷属が。
脇にはルナプルトが。
それぞれ奇異な物を見るようにドンギヴを見ていた。
「あ? お前の趣味の悪いテーマパークの中だよ?」
ダイゴが少し憐れむように言った。
地下都市もそのままに今は光も消え、元の静寂に包まれている。
「は? え? あ、『蒼太陽』は……」
「ああ、不発。うんともすんとも」
「そんな馬鹿な……呪紋式は完璧だったはず……どうして……」
「何が完璧だったのか知らんがアレは何をどうやっても起動なんかしねーんだよ」
「ど……どうして……」
「はぁ? 頭がすんごくいいお方の分際でそんな事もわからねぇの? お前が色々仕組んで手に入れた『蒼太陽』の呪文式とやらな。あれは真っ赤なニセモノなの」
「ば……馬鹿な……赤竜を通して、プロトコルを……有り得ない……」
「お前の盗んだのは『蒼太陽』発動時の演出モーションだよ。あれ自体に『蒼太陽』を起こす事なんて出来ねぇな」
「演出? 演出って? 何でそんなものが……」
「カッコいいからに決まってんだろうが。馬鹿だなお前は」
その言葉にドンギヴは呆けたように口をあんぐりと開けたまま膝をついた。
「特別に種明かししてやるが俺は全ての呪文を詠唱も、顕現鍵も一切無しに発動できるんだ。もちろん『蒼太陽』もな」
「お……」
「ん?」
「お願いします! 今! ここで! 『蒼太陽』を発動してください! そうすれば何でもします! お願いです!」
ドンギヴは文字通り土下座をして叫んだ。
そこにいるのは最早死の商人ドンギヴ・エルカパスでは無かった。
「……いや、それで元の世界に帰ろうって企んでる男に何期待しろってんだよ。駄目に決まってんだろうが」
ダイゴがピラピラと手を振る。
「あっ……ああっ……あああああああぁぁっ!」
土下座したままのドンギヴが悲鳴とも慟哭ともつかない声をあげた。
「まぁ随分長い間色々散々ぱら準備してきたみたいだが全くの無駄だったなぁ」
「ダ、ダイゴ! 牧島大悟ぉ!」
懇願口調だったドンギヴの言葉が一気に怒りを帯びた。
「お、お前のような! お前みたいな下践の者と私は違うんだ! ぼ、僕は国の! 日本の財産なんだぞ! 僕に何かあれば公安が動く程の人間なんだ! それが! その僕がこんな! こんな野蛮で汚ならしい世界にいて良いはずは無いんだ! 帰せ! 戻せ! 今すぐに!」
「あのなぁ、そんな方法無いの。いい加減理解しなよ」
「貴様ぁ! 庶民のクセに調子に乗りやがってぇ!」
言うやドンギヴは外套の中から筒状の物を取り出し構えた。
「へぇ、銃なんてあるんだ。すげぇや」
この世界では火薬類は作っても燃焼しない事はダイゴも知っている。
これはドンギヴの調合した魔水火薬を使った銃だ。
「ダイゴ! 今すぐに『蒼太陽』を発動しろ! でないとそこの女どもを一人づつ殺していくぞ!」
「やれやれ、切羽詰まったら急に人間がチャチくなっちゃったねぇ、だが断る」
「うるさい! 早くやれ!」
「断るったら断る。べっかんこー」
そう言ってダイゴはあかんべーをして見せる。
「ぐううううううぅぅぅっ! な、ならまずはお前から死ね!」
パンと乾いた音が響く。
だが発射された弾丸はエルメリアの目の前で火花となって弾けた。
エルメリアはいつもと変わらぬ笑顔のまま。
「何故だ!? 干渉波動を乗せてるのに!?」
二発、三発、四発。
だがいずれの弾丸もエルメリアの前で散っていく。
「ああ、あの周波数ってのもすぐに修正させてもらったよ。神AI舐めんなよ」
「くそっ! くそくそくそぉっ!」
ドンギヴはダイゴに向けて魔導銃を乱射する。
だがやはりダイゴの目前で全ての銃弾は砕け散った。
やがて、予備の弾倉も含めて全ての弾を打ち終えたドンギヴが精魂尽きたように地に手をついてうなだれた。
「ご主人様、コイツ殺さなくていい……にゃ?」
「いいよ、放っておけよ。もうコイツには何もできんだろうから」
散々な事をされてきたダイゴだが、やはり同郷の人間を手に掛ける気にはなれなかった。
「さて、そう言う訳だが、弟はどうするね?」
ダイゴはドンギヴの後方で怒りの表情を浮かべているルナプルトに言った。
「決まっておる。まだ貴様との勝負は終わっていない」
「アルナヘリムとやらには帰れないんだぞ。それでもやるのか?」
「無論だ。ならば貴様を倒し、姉者を取り返すまで」
「お前……」
「ルナプルト……お主は……」
「最早問答無用! 竜化転進!」
その叫び声と共に、ルナプルトの身体が光を帯びた。
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