第十四話 エドラキム帝国
――エドラキム帝国帝都カーンデリオ。
総人口、実に東方大陸最大の五十万を誇る帝国にあって、優に十万を超える東方大陸随一の大都市である。
その中央に白亜の宮城デラ・グラが威光を放つかの如くそびえ立つ。
広大な謁見の間には百名を超える臣下がひれ伏していた。
臨時に開かれた帝国議会の真っ只中である。
玉座に座るのは皇帝バロテルヤ・エ・デ・エドラキムである。
後ろに流した金色に輝く髪、鷹のような鋭い眼光は、六十を超える年齢を感じさせぬ若々しさを持った精悍な男だ。
三十年ほど前、先帝の突然の死を切っ掛けに始まった世継ぎ内戦を勝ち抜き、北方の中堅国家に過ぎなかったエドラキムを東方大陸最大の強大国に押し上げた、まさに中興の祖たる人物である。
前列には数十人はいる皇子皇女から選りすぐられた将軍達が八名傅いており、その背後に各々の副官、そして上級、下級の貴族、役人等が連なる。
その中に第八軍のクフュラは当然だが、遠征中の第十軍の第七皇子レノクロマの姿も無い。
「……以上が第八軍のボーガベル攻略に関する全てでございます。副将ザバン以下五千余の将兵が壊滅、クフュラ将軍および親衛隊は行方不明と」
脇に控える宰相クファイオスが苦々しい報告を読み上げ終わった。
首を垂れて聞き入る臣下の顔には一様に重苦しい表情が浮かび、それらを見下げる皇帝の顔には不機嫌の相が浮かぶ。
「宰相、違っておるぞ。クフュラも戦死した。第八軍は全滅だ」
皇帝は重苦しい声で打ち消した。
「そうでございました。第八軍は全滅でございます」
別段臆する事も無くクファイオスは訂正する。
皇帝との付き合いも長く、そのやり取りはもはや阿吽の呼吸。
今の訂正も、単に臣下に対する「演出」でしかない。
「全くとんでもない失態よな。よもやボーガベル如き田舎国にこれ程の損害を出すとは」
「返す言葉もございません」
「クフュラの母、ベルサだったか。あやつには暇を出せ。財産も没収だ」
「親衛隊の者については如何様に?」
「そこまでは余の知る処であるまい」
「は、申し訳ございません」
短い会話で、いとも簡単に十家以上の貴族の取り潰しが決まっていく。
「さて、小賢しく我が帝国に歯向かうボーガベルについて皆に意見を聞きたい」
「直ちに討伐軍を送るべきと愚考します」
苔のような短い金髪が張り付いた岩のような顔と、それに見あった体格を持つ男が吠えるように声を上げた。
第二軍の将軍、第二皇子サクロスだ。
「討伐軍を送るのは賛成ですが、まず如何にして第八軍が敗れたのかが今現在も不明なままです。まずはそこを究明してからが宜しいかと」
短く纏まった金髪と切れ長の目の女が口を挟む。
第三軍の第一皇女ファシナである。
「第八軍が負けたのは、頭が戦もろくに知らぬ惰弱者と剣闘士上がりの蛮族だったせいよ。田舎国がいかな姑息な手を使ったとしても、我が第二軍が敗れることなど有り得ん!」
ちらと脇で押し黙っている短く整えられた金髪に透き通るような碧眼、端正な顔立ちの第一皇子グラセノフを睨みながらサクロスが更に吠える。
「偉大なる帝国がたかが辺境の田舎国家に泥を塗られた。この屈辱的な事態に怯懦に駆られてか押し黙っているような者は栄光あるエドラキム帝国皇子皇女の資格なし! 直ちに我が第二軍が出陣し、ボーガベル如き一日で灰燼に帰してご覧に入れます!」
まるでサクロスの独演会である。
第三皇子ブリギオ以下皆サクロスの勢いに押されて黙っているかに見えた。
だが、そこに低い女の声が割って入った。
「帝国守護の要たる兄上が出るまでもありません」
声の主は第六軍の第二皇女テオリア。
大兵肥満な彼女はようやく立ち上がりながら続けた。
「我が第六軍にはボーガベルを確実に落とす秘策がございます。御下命下されば一月待たずにボーガベルを落とし、三宝姫をこの場にて皇帝陛下に御献上致しましょう」
「ほう、その言葉偽りないな」
頬杖をついたまま皇帝は口角を歪めて聞いた。
「は、誓って」
「待てテオリア! 勝手に口を挟むんじゃない!」
サクロスがまた吠えた。
「兄上、今も申し上げましたが兄上の第二軍を含め上位五軍はこの帝都前衛の守りの要、迂闊に兵を動かせば帝国臣民に要らぬ動揺を与えます。ここは一つ私めにお任せいただきたい」
「ぬうう」
サクロスが歯噛みする。
「良かろう、その方にボーガベル討伐の任を与える」
皇帝が裁可を下した。
その重み溢れる言の前には、さすがのサクロスも押し黙るしかない。
「はは! 必ずや!」
テオリアは巨体を丸めるように礼をした。
その後次々と議題が上がり採決されていく。
しかし何れも皇帝が臣下に議案を尋ね、将軍達が皇帝の意向に沿う意見を出し、皇帝の歓心を得た意見が採用される。
およそ名ばかりの議会である。
一アルワ(約一時間)程で議会は解散し皇帝の退場を見送った後に各々が散っていく。
「おめでとうございます、テオリア様」
金髪碧眼の美男子が脇に寄ってきた。
副官のイルガンだ。
「ふん、クフュラのような軟弱者でも務まる楽な任と思っていたが、まさか全滅するとはな。無能にも程があるわ」
「しかし、五千の軍勢が敗れた原因は確かに気になりますな」
「今の敵将は猪メアリアだろう。あの女に高度な戦術を駆使する頭は無い。やはりバッフェ辺りから傭兵団を雇い入れたと考えるのが妥当だろう」
南の大国バッフェ王国の傭兵組合に所属する傭兵は、長年バッフェ王国の戦闘の主力を担い、強力な傭兵団として名を馳せて来た。
帝国の数度にわたるバッフェ侵攻も全てこの傭兵団を主軸とした王国軍に退けられている。
「今のバッフェがボーガベルに援助を出しますでしょうか? 国内問題で手一杯と聞きましたが」
バッフェ王国はエドラキム帝国隆盛前までは大陸最大の規模を誇っていた古くからの大国である。
その歴史ゆえに問題も多く、王室や貴族等支配層の汚職や内紛等の腐敗を抱えている。
現在のエフォニア女王の即位を巡っては内戦が起き、今も又不平不満を抱えた地方貴族と一触即発の状態にあった。
「エフォニア女王も相当の狐だからな。まぁどの道関係無い。あの連中に準備をさせておけ。十日で出るぞ」
そう言いながら馬車に乗り込む。
それだけでテオリアは大量の汗をかいていた。
馬車は頭を下げるイルガンを残しデラ・グラを出て行った。
「お疲れ様です、テオリア様」
馬車に控えていた二人のやはり金髪碧眼の美少年が懸命に汗を拭く。
その様子に満足しつつ外を見ると丁度クフュラの住んでいた屋敷の前を通った。
閉鎖された屋敷の門は衛兵に守られている。
その門の脇に身包みを剥がされ、ぼろ布一枚を纏った中年女が項垂れていた。
クフュラの母ベルサだ。
皇帝の裁可が降りる前に既に宰相の命により屋敷及び家財の没収が行われ、彼女は通りに放り出された。
「ああはなりたくないものだな」
テオリアは一瞥すると汗を拭く美少年の頬を撫でつぶやいた。
馬車はクフュラへの呪詛を壊れたように呟くベルサの脇を通り過ぎていった。
――デラ・グラの皇帝の居室。
皇帝と差し向かいチェスに似たゲームの相手をしているのは第一皇子グラセノフだ。
後継者である彼だけが実子の中でこの居室に入る事を許されている。
「さて、お主はどう見る?」
皇帝は駒を指しながら言う。
「普通に考えればテオリアで十分でしょう。しかし……」
グラセノフが静かに答える。
「いくら元は蛮族共とはいえ、五千の軍勢が短期間で壊滅と言うのは有り得ませぬ」
「問題なのはなぜ壊滅したのかが不明という事だ。何せ輜重隊までやられたからな」
「カナレに来た敵兵はメアリア率いる百五十程度との報告でした。バッフェの傭兵団がいるならその時点で連れてきたでしょう。報告ではバッフェらしき兵はいなかったそうです」
「百五十の兵で五千は壊滅できん、益々不可解だな」
「そこで第六軍の周囲に物見を多数張り付かせました。壊滅した際には速やかに報告に戻るように厳命してあります」
「相変わらず根回しがいいな」
「その上で対策を講じ、第十軍を当てましょう。ちょうどクモイ征伐が終わる頃でしょう」
「レノクロマか、忙しい奴よのう」
「どの道冬は動けません、ちょうど良い休みが取れます」
「しかし、クフュラはともかくテオリアは捨て駒となるな。総勢一万三千、田舎国家一つに掛け過ぎだ」
その数は帝国が動員できる兵力の一割を超える。
「ここまで掛けてしまったら、例え噂に名高い三宝姫と言えそのまま後宮行きとはいかないでしょうね」
「当然だ。引き渡せば所領安堵との余の慈悲を破ったのは向こうだからな。闘技場でバラグラスの餌にでもするしか無かろう」
バラグラスは熊に似た大型の魔獣で、カーンデリオにある闘技場ではこれを使った罪人の公開処刑が人気を集めていた。
「例のテオリアの秘策は如何いたしましょう」
「黒騎士とやらか。首尾良く行けばの話よ。一度帝国を出奔した者など当てにはしておらぬ」
「ですな。父上、詰みでございます」
「むう」
いつの間にかゲームはグラセノフの勝利で終わっていた。
「また勝てなんだな、全くそなたの勝負眼には敵わんな」
「恐れ入ります」
こと軍略に関してはグラセノフはまさに天才であった。
彼以前に五人ほど第一皇子はいたが、みな凡庸な人物でいつの間にか消えていった。
『それらに比べればグラセノフの才はともすれば皇帝である自分よりも秀でているかもしれない』
『自分亡き後、帝国を継ぐのは間違いなく彼奴だろう』
今の自分にしか興味の無い皇帝でもグラセノフにはそう思わざるを得ないものを彼は持っていた。
もっとも皇帝も中堅国家でしかなかったエドラキムをここまで拡大させた傑物である。
少なくとも自分が天寿を全うするまでは彼に皇帝の座を譲る気は微塵も無かった。
「それでは今晩はここまでにさせて頂きます、陛下、お休みなさいませ」
「うむ」
深々と頭を下げてグラセノフは下がった。
「さて」
皇帝は呟く。
「あ奴も同じことを考えてはいるが、どうしたものよ」
寝所に入るとそこには妙齢の女性が四人傅いていた。
皆、皇帝の側妃である。
上級貴族の娘もいれば占領国の王女だった者もいる。
それら側妃合わせて百名以上が夜毎交代で皇帝の夜伽を務めている。
まだ皇帝の「勤め」は終わらなかった。
――帝都内グラセノフの館。
馬車で館に戻ったグラセノフを二十人あまりの使用人が出迎える。
その中央にいるのはまだ十代の若い女性だ。
グラセノフと同じ癖のある金髪に勝ち気そうな釣り気味の目は「令嬢」という表現が相応しい。
「お帰りなさいませ、お兄様」
そう言って頭を下げたのは、グラセノフの妹のセイミア。
彼等はこの世界では珍しい「父母が同じ兄妹」だ。
「只今、セイミア。留守はどうだったかい?」
「何も変わりはありませんわ。とても退屈でした」
金髪の癖毛を揺らしながらセイミアは笑った。
――グラセノフ邸の居間。
着替えの済んだグラセノフが、セイミアとダバ茶を飲んでいる。
「また腕を上げたようだね」
茶杯を眺めながらグラセノフが笑う。
「お兄様に私が兵法だけではないと言うことを御理解頂きたくて」
いたずらっぽくセイミアが笑う。
「それで、軍議は如何でした?」
「ああ、第二陣はテオリアに決まったよ」
「そうですか。テオリア様なら問題ないとは思いますが」
「やはりお前も気になるかい」
「ええ、なぜ第八軍が短時間で全滅したのか」
第八軍の将軍クフュラとセイミアは、同い年且つ帝国皇学院の同級生でもあった。
皇子皇女同士の激烈な競争の中でも二人は仲が良かった。
それだけに第八軍全滅の報せはセイミアの心に暗い影を落としていた。
「父上も当然お気にされてたよ」
「では当然先の事も」
「だろうね」
「兄上はどの様にお考えで?」
「まずバッフェの傭兵とかの線は絶対無い。それだけの兵力があれば平原に投入する筈だ」
「パラスマヤ近辺に大規模な罠を張る場所も無いですしね」
「そうなると俄かに信じがたいが魔法による攻撃で壊滅した可能性が高い」
「しかし、その方法が不明です。そもそもそんな五千人を短期間で全滅させる魔法なんて聞いたことありません」
「ボーガベルのシェアリア姫が大規模な魔法兵団を組織したとも考えたが、やはりそれなら平原で投入する筈だ。秘匿する意味が無い」
「バッフェの傭兵を雇うにしろ、魔法兵団を組織するにしろ、今のボーガベルにその様な余裕はありませんものね」
「その通りだね。そうなると導き出される答えは一つだ。少数、あるいは一人の魔導師による魔法攻撃」
「やはりそうなりますか。でも他人……特にサクロス様に聞かれれば笑われるのを通り越して狂人扱いされますわ」
「そうだろうね。だがティンパン・アロイを始め大地を統べる地竜等、その手の伝承は数多くある。あながち否定しきれる物ではないよ」
「そうなるとそれ程の人物、実在すれば敵にするのではなく味方にしたいものですわね」
「うん、どうにか正体を確かめ、繋ぎを取りたいものだな」
「お兄様、その調べと繋ぎの役目、私にやらせては頂けないでしょうか」
「セイミアがかい? でもそれは」
「いえ、それこそが私の使命だと思います。どうか是非」
「分かった。だが無茶は禁物だよ」
「心得てます」
セイミアは何事も無いかの様に笑顔でダバ茶を啜った。
今まで前例が無かったからとか自分が見た事が無いから、自分が知らないから無いという考えはこの兄妹には無かった。
その柔軟な思考こそが彼らの才能なのだろう。
そして同じ考えを持った人物がもう一人……。
十日後、装備を整え終わったテオリア率いる第六軍約八千は、まずはボーガベル西部の国境都市シャプアを攻略すべく、カーンデリオを出発した。
更に十日後には帝国東端の国境都市、カナレに到着した。
その様子を空から鳥達が見つめていた。





