第百三十五話 講演
――皇都アーメルフジュバの王宮の一角、クリュウガン姉妹の私室。
「……っ……ん」
「……ぅ……ふ」
寝台の上、衣擦れの音に混じって荒い息遣いが弾んでいる。
何時もの通りに寝台の上で肌を合わせたファムレイアとスミレイアであったが、その夜は幾分様子が違っていた。
理由は二つ。
数刻前のボーガベル皇帝ダイゴ・マキシマとの踊りの余韻。
楽団に皇帝自らが教授したのは速い拍子の繰り返し。
だが二人はガイツと違い、ダイゴの巧みな誘導で激しい踊りを踊っていた。
まるで二人がまだ経験したことのない男女の営みを思わせるその踊りはその後の二人の行いにもあからさまな影響を与えていた。
そしてもう一つは……。
「……どういうつもり?」
余韻に浸り、息も荒いままファムレイアが隣でうつ伏せ、やはり荒い息を吐くスミレイアに訊いた。
勿論一連のボーガベルに対する対応についてだ。
姉妹は父であるルーンドルファから直々にファムレイアは使者として、スミレイアはアーメルフジュバにての接待役としての任を任された。
だが、サダレオ法院長達魔道法院の無礼な振る舞いに加え、スミレイアと共に法皇から直々に帝国案内役を任ぜられたファムレイアに知らされていなかった魔道法学院での講演。
自分が招いてきた賓客に対するあの態度。
しかもスミレイアはそれを容認している節が見受けられた。
それが先程の行為に、そして今の問いになった。
「仕方ないだろう、サダレオは兵を挙げるとまで言っているのだ」
「だからってあんな……あれじゃボーガベルに攻めてくれと言ってるようなものじゃない」
「実際サダレオは鎖国堅持派だしな……父上が勝手にボーガベル皇帝を招いたのを快くは思っていない……それに我々の第一の目的は達成された……書式は既にドンギヴに渡してある」
「あんな得体の知れない男を招き入れて……サダレオも姉上もこの国を滅ぼしたいの?」
「そんな訳があるか……おまえこそ一体どうしたのだ……あの皇帝に絆されでもしたのか?」
「違うわ……あの皇帝は自身の力を全く見せていない……あのセンデニオを一瞬で荒野に変えたという……」
鎖国状態にあるとはいえ、江戸時代の日本と同じくシストムーラも全く国交が無い訳では無い。
オラシャントやガーグナタ等も国境に設けられた交易所を通して物流はあり、ラモ教徒が元から多かった為と聖魔法の習得に必要なためにソロンテ神皇国とだけは唯一国交がある。
その二つのルートから同時にある情報が入ってきた。
それが東大陸に現れた魔王ダンガ・マンガの話だった。
中でもダンガ・マンガが太陽を生む魔法で地の竜を滅ぼしたというくだりは魔導法院を揺るがすに足りる話であった。
魔法先進国を自負するシストムーラであっても地の竜を滅ぼせるような魔法など存在はしない。
直ちに検証のための一団がソロンテ神皇国経由で東大陸に送られた。
それが『摩訶不思議奇術団』であり、その団長がファムレイアであった。
検証の為訪れたセンデニオで、確かに通常の魔法では不可能な程に変貌した大地を目の当たりにし、子細な検証の結果、魔素の変質による超高温が発生した事までは判明したが、どのようにしてそれが発動したのかは分からずじまいだった。
「だからと言っていきなり友誼を結ぼうなどと父上も性急過ぎだ……あれではサダレオも態度を硬くするのは当然だろう……それはお前も同じだったはずではないか」
「ええ、でも……それこそサダレオの言う攘夷も危険だというのよ……結局私たちはあの人については何一つ分かってはいないわ……」
「だから明日、法学院……いや『呪符礼闘』であの者の力を暴きだす……そしてその能力を必ずや物にして見せる」
スミレイアの首にファムレイアの両腕が絡みつく。
「上手くいくかしら……不安だわ……」
「上手くいくさ……我ら姉妹ならば……」
そう言ってスミレイアは妹の唇をそっと塞ぎ、再び姉妹は絡み合う。
その様を窓の外の木に止まっている一羽の鳥が見ていることを姉妹は全く気が付かなかった。
――アーメルフジュバ、ボーガベル帝国一行の宿舎。
ひと際広い皇帝用の寝台だが、流石にアジュナ・ボーガベルの様に眷属全員が寝れるほどの広さは無い。
今晩はエルメリア、シェアリア、セイミア、ワン子そしてアレイシャが一緒だ。
他は女王エルメリアにあてがわれた部屋に集まっている。
「何か分ったかい?」
俺との口直しに満足したエルメリアと場所を交代したセイミアに尋ねる。
反対側にはワン子がが縋りついている。
夜会の直後から一帯にセイミア指揮下の偵察型疑似生物が一斉に放たれて諜報活動を開始していた。
向こう側も当然の如くタチの悪い覗き魔を何人か天井裏に送り込んできたが、そいつらは俺の『居眠』で朝までぐっすりだ。
「ええ、やはり私が指揮して正解でしたわ」
「むう、何か良い絵でもあったのかね」
「いいえ、全く何もありませんでしたわ」
「うーん、そいつは残念だったな。で?」
セイミアがああ言ったからには何か良い絵面があったのだろう。
「まずはシストムーラの情勢ですわ。どうやら我々を招いたのは法皇の独断のようですわ。それに対してあのサダレオ法院長なる者が激しく拒否反応を示していますの。まぁ当然と言えば当然ですわね」
うつ伏せの姿勢でセイミアは頬杖をつく。
「魔導法院の方が権力があると言う事か?」
「いえ、その辺はあくまでも法皇の決定は絶対らしいですわ。そこでサダレオ法院長は武装蜂起をちらつかせているようですわ」
「随分と物騒だなぁ」
「今までの経緯から魔導法院の大勢は鎖国堅持派。あの姉妹もそうですわ」
「だからあんなちぐはぐな対応になったのか」
「法皇の意向と魔導法院の意向ですわね」
「まぁ妹の方は幾分慎重派のようだが、姉は強硬派のようだな。さてそこでセイミアさんならどうするね?」
「当然我が国としては法皇と友好条約を締結するのが最善ではありますわ。でも高確率でサダレオ法院長達による武装蜂起が起きるでしょう。そうなると内戦に発展し、最悪我が国もそれに巻き込まれますわ」
「だろうな。法皇は俺達に加勢して欲しいのか、あるいは単なる火種を欲しているのか。法皇の手駒はどれ位なんだろ」
「それは流石に今日来たばかりでは情報不足ですわ」
「だろ? あの姉妹の所に偵察型擬似生物送って正解だったなぁ」
「ええ、一緒にご主人様の邪な御趣向も垣間見えましたわ」
「酷いやセイミアクン、ボクは一生懸命なのに」
「はいはい、それで明日の魔道法学院の講義ですが、やはり何かしら仕掛けてくる可能性が高いわけですね?」
「だろうな、断られると思って急遽ねじ込んできたのかも。そういう訳で明日の法学院の講義、俺は挨拶だけにして残りはシェアリア先生にやってもらうから」
部屋の隅の机ではシェアリアが一心不乱に原稿を書いている。
「おーい、シェアリア。程々にしておけよ」
「……そうはいかない。やるからにはキチンとしたものを発表したいから」
「でもなぁ……」
俺には一抹どころか大いに不安があった。
こんな形で催される講演など絶対罠かなんかに決まっている。
演説の最中に襲われたなんて話は日本だけでなく世界でもいくらでもある話だ。
「……わかってる……でも、魔法先進国に私の魔法を知らしめる絶好の機会」
俺の不安を察したシェアリアが原稿を書きながら言った。
「ご主人様、シェアリアは魔法を覚え始めた頃から世界の何処かにあると言われた魔法大国にて学びたいと思っていたのですわ」
脇のエルメリアもセイミアと同じ様にうつぶせになりながら言った。
「それはシェアリア自身からも前に聞いたけどさ。このシストムーラがその魔法大国なのか?」
「どうでしょう? 今日の夜会で伺ったお話では魔法の発祥は中央大陸からだとか……」
「中央大陸か……そういやあんまり話を聞いたことが無いなぁ」
「中央大陸は文明と魔法の発祥の地と呼ばれてますわ。只人族は彼の地より産まれ、各大陸に散っていったと」
「じゃあ、さぞかし栄えているんだろうなぁ」
「それが……ラモ教の大総本山であるレゴ・ハルフェーリ神皇国と沿岸のいくつかの国は交易があるようですですが、殆どの国は名前すら知られていないのです」
「へ? 只人族と魔法の発祥の地なのに? なんだそりゃ?」
「エドラキムに訪れる商人の話では内陸は戦乱に明け暮れて興亡が激しいようですわ。そのせいでしょう」
セイミアが補足する。
「なーんか物騒だなぁ……迂闊に近寄るとギンギンに火傷しそうだ。まぁこっちから関わらないようにしよう」
「あら、てっきり次は中央大陸だーと仰るかと」
「それは違うよセイミアクン。君子危うきに近寄らずって言葉があってね。火種にわざわざ突っ込む真似はしないよ。第一南大陸と北だっけ? セネリの故郷の件も残っているだろ」
獣人大陸である南大陸では未だにハフカラ連合王国と金獅子族の国ガルボとの紛争が続いている。
そして亜人大陸と言われる来た大陸にかつてあったセネリ達森人族の故郷アルボラスを鬼人族デドルから取り戻さなければならない。
しなければならない事は山積みだ。
「そうですわ。本来でしたら中央大陸はおろかこの西大陸にも関わる余裕など……」
「へいへい、もう明日早いから俺は寝るよ」
「あっ! ご主人様! 私の番がまだですわ!」
慌てるセイミアを余所にシェアリアは一心不乱に原稿を書いていた。
――翌日。
宿舎を出て馬車で揺られること十数分、俺達一行はこれまたドでかい魔道法院の建物の隣、それよりもドでかい魔道法学院の法錬堂という建物に着いた。
宮殿や他の一般住宅もそうだが、この法錬堂も円柱形の建物にだ。
円柱というか円がこの国の基本なのかもしれない。
講堂は昔コンサートを見に行った日本武道館と同じくらいの広さ。
周囲二段の観覧席があり、そこにびっしりと法学院生らしき制服を着た男女が座っていた。
法学院生の服装はカッチョイイデザインのブレザーとかではなく、普通に魔道礼服と呼ばれるローブに学年を示すのか赤や青、黄色の肩布を付けている。
おおよそ五千人はいるだろうか。
だが全員がベラベラと喋っていて、雰囲気は何処ぞの成人式そのままだ。
「……」
「……」
控室から出てきた俺とシェアリアは流石に声が無かった。
要所に教員らしきものはいるが制しようともしていない。
奥の貴賓席らしき所で例のエリンギ頭の爺さんがこちらを睨んでいる。
「あ、あの……」
「ああ、もうそういうの良いから……」
また頭を下げようとしたファムレイアを手を振って制する。
ファムレイアはそれっきり黙ってしまった。
「それでは、これよりボーガベル帝国皇帝ダイゴ・マキシマ様のご挨拶に続き、ボーガベル帝国筆頭魔道士シェアリア・ボーガベル様の講演を行います」
だが、拍手が起こるでもなく喋り声はますます酷くなっていく。
「えー、はいどうもこんにちは……」
うお、またやらかした。
これじゃ動画投稿者じゃねぇか……。
「どわーっっはっはっはー! はいどうもこんにちはだってよ!」
一際大きな笑い声が起こる。
見れば昨晩エルメリアに振り回されていたガイツ達だ。
正面の貴賓席らしき場所であのサダレオ法院長とカイシュハとかいう女と一緒にいる。
奴らの笑い声に釣られるように場内が笑い声に包まれる
あーっはっはっはー
ゲラゲラゲラ
くそう、痛い失敗を的確にえぐってくれるぜ。
だがその後は『精神平衡』のお陰で笑い声も然程気にせずに俺は挨拶を終えた。
『いけるか? シェアリア』
『大丈夫』
騒音の中、俺と入れ替わりにシェアリアは壇上に上がる。
そこでカイシュハがパンパンと手を叩いた。
「大事な講演です! お静かに!」
その声で場内は一斉に静かになった。
俺の時は何だったんだ?
皇帝の挨拶は大事じゃないんかい。
「……皆さん初めまして、ボーガベル帝国筆頭魔導士、シェアリア・ボーガベルです。本日は皇帝に成り代わり、我が国で最近開発された新式魔法言語のお話をさせて頂きたいと思います」
そう挨拶してシェアリアは魔法の体系概論から始まり、自身が開発した音階式超高速圧縮言語の概要を説明していく。
「さすが学生だけあって皆熱心だねぇ」
そう言って、脇にいたファムレイアを見たがいつの間にか姿が消えている。
何だろ? 厠にでも行ったか?
「……以上で、講義を終わります。ありがとうございました。最後に何か質問があればお受けします」
拍手も無く静まり返る会場で手前の席の手が挙がる。
「質問があるわ!」
手を挙げたのはサダレオ法院長の孫娘、カイシュハだった。
「……どうぞ」
「貴女の講義、大変興味深く聞かせて貰ったわ。でもね、はっきり言ってその歌だか何だかわからないような呪文が我がシストムーラの誇る超高速高密度圧縮呪文より優れているとはどうしても思えないわ!」
会場から万雷の拍手が起こる。
「……」
シェアリアは答えない。
いや、これって質問じゃねーじゃん。
「丁度いい機会だわ、その歌みたいな呪文と我がシストムーラの呪文。どちらか優れているか実証してみませんこと?」
更に大きな拍手が起こる。
「実証?」
食いついたと思ったのかカイシュハの口元が歪む。
「ええ、我がシストムーラには伝統的な魔法試合『呪符礼闘』と言うものがあるわ! それを受けて頂戴!」
「『呪符礼闘』?」
なんだそのナントカ書房の本に載ってそうなのは。
「勿論、ボーガベルとやらの筆頭魔導士であらせられるシェアリア姫はお受けして頂けますよね?」
更に拍手が大きくなる。
成程、魔法勝負と来たか……。
『……受けてもいい?』
シェアリアからの念話だ。
『ああ、構わんぞ。ドカンとやってやれ』
『……ありがとう』
「……受けましょう」
シェアリアがカイシュハをキッと見据えながら言った。
「そう来なくては。ではこれより『呪符礼闘』を始める!」
ワアアアアアアアアッ!
右手を挙げて宣言したカイシュハに会場が沸く。
「待てい!」
突如歓声を掻き消す程の大音声が響き、場内が一瞬で静まり返る。
カイシュハの隣で鎮座していたサダレオ法院長の怒声だ。
「カイシュハよ。何か物足りなくは無いか?」
「法院長、何でございましょう?」
「うむ、漏れ聞くところによると、ダイゴ皇帝陛下も相当なる魔法の使い手とか。ここは是非その御業を披露して頂くと言うのはどうだろうか?」
「まぁ、それは素晴らしいですわ」
「うむ、もしもその御業が余人を納得せしめるものであれば儂は喜んで法皇陛下との会談を翼賛しよう」
「如何でしょうか? 皇帝陛下。 お受けくださいますよね?」
カイシュハの挑発的な言葉が俺に飛ぶ。
会場は「受けろ」コールの嵐だ。
「全く、これが彼らの目的だったとはね」
グラセノフが繰り広げられた茶番に呆れたように首を振る。
「どうするんだ? 大将」
ガラノッサもやれやれと言った感じで俺に振ってきた。
「どうもこうもないよ」
俺は壇上に上がってシェアリアの隣に並ぶ。
「これがシストムーラ流の歓待というならいいだろう、お受けしようじゃないか」
「おお、流石は皇帝陛下! では!」
すると院生が二人、何やら盆を二つ掲げて持ってきた。
盆にはそれぞれ大きめの輪が一つと、小さめの輪が四つ載っている。
輪は隷属の首輪にも似ているが、赤い大きな魔石が嵌め込まれている。
金の輪自体にはやはり呪紋が施されているが、隷属の首はよりは細い。
「失礼します」
そう言って院生は俺とシェアリアの首と手首、足首にそれぞれ輪を嵌めた。
「なんじゃこりゃ」
「それは『護符輪』と言ってこの法錬堂内で一つにつき一度だけ魔法を受け止める力が有る魔道具ですわ」
要は一度だけ使える魔導障壁か。
「つまり五回は魔法を受け止められるって事か」
「そうです。魔法を受けると護符輪は砕けます。相手の全ての護符輪を先に砕いた方が勝者です」
何となく分かってきた。
要はゲームの残機みたいなものか。
「成程ね。で、俺達の相手は?」
「この者達がお相手します」
そう言ってカイシュハの脇から現れたのはクリュウガン姉妹だ。
「へぇ……」
「我が魔導法院筆頭と次席であるクリュウガン姉妹がお相手を務めさせて頂きますわ」
会場が更に沸き返る。
「……ちょっと待って」
シェアリアが手を挙げた。
「どうしました? 今更怖気づきましたか?」
カイシュハが少し舐めた口調でシェアリアに訊く。
「……貴女、第三席でしょ? まずは貴女とやってみたい」
シェアリアはカイシュハを指さした。
「はぁ⁉ 何を行ってるの?」
「……それともシストムーラにはまともな魔導士は二人しかいないのかしら」
ボーガベルでも珍しいシェアリアのあからさまな挑発にカイシュハの顔が髪と同じくらいに赤くなる。
「何ですって! 良いわ! やってあげる! 構いませんよね! おじい様!」
「うむ! 流石は我が孫!」
「そんな! 三対二なんて!」
ファムレイアが声を挙げた。
「俺達は構わないぜ。丁度いいハンデ……まぁ実力補正だな」
「何だって……」
スミレイアの視線が俺に刺さる。
「良かろう! その勝負受けた! 皆異存は無いな!」
またもサダレオ法院長の怒声が響く。
何でこの爺さんはここまで偉そうなんだ。
「……分かりました」
「望むところだ」
ファムレイアとスミレイアは納得したようだが、態度はあからさまに違う。
呪符礼闘! 呪符礼闘! 呪符礼闘! 呪符礼闘!
ゴゴゴンゴゴンゴゴン
俺達のいる場所の周囲、沸き立つ観客席の前にアーメルフジュバを囲む魔導壁の様な物がせりだしてきた。
「試合はこの闘場内で勝ち抜き戦で行います! ボーガベル側、シェアリア姫!」
「……じゃぁぶちのめしてくる」
そう言って俺の唇に自分の唇を当てるとシェアリアは前に進み出た。





