第百二十七話 静華
ガーグナタ王国衛央都市ウゼビス。
その一角の比較的大きな穀物倉庫にダイゴ達はいた。
裏組織ヒディガの三首領の一人で、ガーグナタを含む南部一帯を牛耳るクンゾォ大司教と入れ替わったスライムに命じて各衛央都市に確保した拠点の一つだ。
ドミネの酒屋から脱出したワン子はケンドレンとドミネをここに匿い、アレイシャを救出したダイゴは転送でそのままやってきた。
「で? 二人ともダメか」
石造りの事務棟の二階で珈琲を啜りながらダイゴがワン子に訊いた。
「はい、お二人とも部屋からお出になろうとは……」
「さあて、どうしたもんかなぁ」
ケンドレンは幼馴染の二人、リョクレンとネルティアに裏切られ、『マーシャ』の構成員は殆どが捕縛されて実質『マーシャ』は壊滅状態に。
アレイシャは自分を匿い育ててくれたオリブの裏切りによってデレワイマス大王の前に引き出された。
逆にデレワイマスを討つ好機と自ら進んでデレワイマスの前に出たものの、結果は無残な敗北を喫し、ダイゴの力でシンドメンを脱出した。
以来数日が経ったが二人は塞ぎこんだままであった。
「ねぇご主人様、あのナントカ作戦ってもうすぐなんでしょ? 『マーシャ』抜きで大丈夫なの?」
「コルナ様、ナントカでは御座いません、白いの……」
「分かってるよセバスティアン! 白いワニ作戦でしょ?」
「コルナ様、全く違っております」
「えー、おかしいなぁ」
「やっぱちゃんと聞いて無いじゃんか。まぁ元々『マーシャ』無しでやるつもりだったからそれは問題ないんだけどなぁ」
「しかし捕らえられたマーシャの方々も放ってはおけませんね」
ダイゴの茶杯に珈琲を注ぎ直しながらワン子が言った。
「ああ、支援するって言った以上はな。ただ、あの二人がなぁ……チンタラ再起するのを待ってられないし」
既に偽クンゾォを通してガーグナタが再度アロバとオラシャント攻略を決定し、領国に再度の徴兵の命令を発している事を知ったダイゴはガーグナタ攻略を決定。
グラセノフの第一軍とレノクロマの第三軍はシムオ公国を経由するルートを、ガラノッサの第二軍はアロバから直接ガーグナタに入るルートを進軍する準備を整えていた。
既にグラセノフ、セイミア兄妹によってガーグナタの戦略は看破されており、ボーガベルの目的は敵軍主力をソデュニス要塞に集め、これを殲滅した上でバゲンディギアに侵攻する事であった。
「しかし、私達が出来る事は……」
「だよなぁ……」
『神の代行者』であるダイゴも人の精神の根源には手を出せない。
実際、脇に立つワン子が故郷タランバで受けた様々な精神的打撃に対しダイゴはワン子自身が立ち直るのを待つしかなかった。
「ン? あれ……?」
突然ダイゴが声を上げた。
「ご主人様、どうしたの?」
焼き菓子を頬張っていたコルナが顔を覗き込む。
「ああ、例のアレイシャを連れて行った将軍」
「オリブだっけ? それがどうしたの」
「貼り付けていた偵察型疑似生物からの報告で、どうやらアレイシャを探してウゼビスの街中をうろついているらしい」
「へぇ、将軍なのに部下を使わないんだ」
「使わないんじゃなくて使えないんだろうな。まぁ丁度いいや、ちょっと会ってくるわ」
「ボクも行くー!」
「そこまでの事じゃないよ、多分な」
「むう、じゃお土産まってるよ」
「むさい爺さんで良ければな」
「ええー! お肉が良い!」
「行ってらっしゃいませ」
コルナとワン子の言葉に手を振ってダイゴは転送していった。
衛央都市ウゼビスの商人街の一角にこじんまりとした倉庫付きの店があった。
リョクレンが営む『モギト商会』である。
そこにネルティアはいた。
あの事件以降働いていた『カシュド・ティポン』にも行ってはいない。
「うっ……ううっ……」
「ちっ、何時までもベソベソしてんなよ。仕方ねぇだろ」
すっかり白けた顔をしたリョクレンが身体を起こす。
「ううっ……だって……ケンドレンが……」
「アイツはお前を裏切ってオラシャントでアレイシャとデキちまったって手紙には書いてあったんだ。暫く帰れないからお前の事は俺に任せたって」
「……でも、でも……ううっ」
恐らく帰って真っ先に自分に会いに来た時、そしてドミネの酒屋でリョクレンと一緒にいるのを見た時。
その時の二つの顔がネルティアを責め立てていた。
「ああ、クソッ!」
リョクレンは乱暴にネルティアの身体から離れると服を着始めた。
ネルティアは寝台で掛布に包まったままだ。
「一寸出てくるわ」
「……」
ネルティアは無言。
「ちっ」
舌打ちしてリョクレンは部屋を出ていった。
近くの酒場で酒を呷り深い溜息を吐く。
まったく折角ケンドレンを出し抜いたってのに……
初めてケンドレンに出会った時の事が脳裏に浮かぶ。
店先の一切れのティポンを盗んで捕まった時、火事を偽って逃がしてくれたのがケンドレンとネルティアだった。
『そうか、リョクレンっていうのか。じゃぁ兄弟だな』
後ろにレンが付く名前はそれ程多くは無かったが、身寄りの無いリョクレンにとっては兄弟という言葉が何よりも嬉しかった。
だが、何時しか『マーシャ』が立ち上がるとリョクレンの考えはケンドレン達とは離れていった。
こんな事をしていても王国は全く揺らがない。ならばそれを利用して儲けた方が良いだろうが……
だがアレイシャの復讐に引き摺られるように『マーシャ』の活動にのめり込むケンドレン達はリョクレンの言葉に耳を貸そうとはしなかった。
リョクレンは密かにヒディガを通してガーグナタ軍に通じ、『マーシャ』によって破損した武具を収める事で徐々に利益をあげ始めていた。
まぁ金も入ったし、ここらで余所へ行くのも良いか……
異国の商人から旨い話も来た。
ここで波に乗れば遠からず大商人として大成できる自信もあった。
ネルティアは……
そう思った時、隣の席の会話が聞こえてきた。
「全く、ここん所タマが入りにくくなって困るわな」
「お頭の話じゃ近々戦争が起きるって言うしなぁ」
どうやら話しているのはヒディガの奴隷商のようだった。
そうだ、街を出る前にもう一稼ぎするか……
「なぁ買って貰いたいモンがあるんだけど」
愛想笑いを浮かべたリョクレンが男達に話しかけた。
「アレイシャ、ちょっと良いかい?」
部屋の外からダイゴの声がして、椅子に座っていたアレイシャは顔を上げた。
「……どうぞ」
椅子を降りて膝をつき、正座の姿勢で手を付いて言った。
アレイシャにとって今のダイゴの来訪は絶好の機会だった。
「おいおい、そんな畏まることないじゃん」
入るなり、いきなり土下座しているアレイシャにダイゴは少々面食らったように言った。
「ダイゴ様……お願いがございます」
構わずにアレイシャが言う。
「ん? 何だい」
「私をコルナさん達の様に眷属にして頂けませんか?」
「眷属に? またどうしてさ」
「勿論デレワイマスを討つためです」
「ああ、そう言う事ならお断りだな」
とうに予想済みだったダイゴはヒラヒラと手を振る。
顔を伏せながらアレイシャは愕然とした表情を浮かべた。
「お願いします! 私にはもう……もうこれしか無いのです!」
「確かに眷属化すればデレワイマスを討つのも容易だろうさ。で、首尾よく討ったらどうするのさ?」
「それは……ダイゴ様にお仕えして……」
「そうじゃないよ。エルメリアに言ったんだろ? デレワイマスを討った後の事は考えられないって」
「で、ですから……」
「今のままで眷属の力を得てデレワイマスを討てばアレイシャはそこまでだ。あとはずっと虚無の時間を送る事になる。そんな何もない空っぽの状態でこの先ずっといなきゃなんだぞ? そんな事はとても承諾出来ないよ」
確かに今のアレイシャは復讐だけが全てだ。
エルメリアにも言ったがその後の事など考えられないし考えた事も無い。
「で、ではどうすれば良いのですか! ボーガベルがデレワイマスを討つのをただ傍で指を咥えて見ていろと仰るのですか!」
「でも実際デレワイマスには太刀打ち出来なかっただろ? 自分でわざわざ乗り込んでいってさ」
オリブの翻意に驚いたアレイシャではあったが、それをデレワイマスに近づく絶好の好機と捕らえ、オリブにシンドメンへの同行を自ら申し出た。
だが、結果はデレワイマスの常識外れの『技能』によって脆くも打ち崩されてしまった。
無残に敗北した今、アレイシャにはもう縋るものはダイゴしかなかった。
アロバで見た眷属たちの常識を超えた能力。
毒の煙をものともせず動き回り、敵兵やビタシィを易々と屠っていく姿。
今のアレイシャにはその力しか見えていない。
「だから……なればこそ……お願いです! どうか……私を……お願いします!」
浮浪児同然の時ですら保ってきた矜持をかなぐり捨て、『マーシャ』の支援を頼んだ時すら見せなかった痛々しい位に必死の形相で地面にひれ伏すアレイシャ。
そのまま、着てる服を引き破ろうと手を掛けたその時、制するようにダイゴが口を開いた。
「駄目だな。今のアレイシャは眷属には出来ない」
きっぱりと、そして無情に掛けられた答えにアレイシャの手が止まる。
「どうして……どうしてですか……私にはその価値が無いのですか……」
そこで初めてアレイシャはダイゴを仰ぎ見た。
「アレイシャは価値を勘違いしてるようだな」
ダイゴがうなじを掻きながら言った。
「価値を……ですか?」
「ああ、前にも似たようなことがあってね。そいつは自分の国を救う為に無二の親友と命を賭けて戦った。それで自分の価値と覚悟を示したんだ」
「価値と覚悟……それなら……私にもあります!」
「じゃあ、ちょっと一緒に来てくれ。そこでアレイシャの価値と覚悟を見せて貰うよ」
アレイシャは立ち上がり頷くと、ダイゴの後を付いて部屋を出た。
重厚な木の扉を押し広げ中に入ると、明かり取りの窓一つ無い蔵の中が外よりも明るいことにアレイシャは一瞬驚き、すぐに奥で両拳を地に着け頭を下げている男に目を見開いた。
「オ、オリブ!? 何故……」
「姫様、ご無事のようで」
老将オリブ・デセングブは平伏したまま言った。
「ダイゴ様! これは一体!?」
「ああ、この爺さんがどうしてもアレイシャに会わせろって言うんでな」
「しかしっ! この者は!」
「知ってるよ。お前をシンドメンまで連れて行ったんだろ?」
「そ、それをご存じなら何故!?」
「コイツもお前の両親を殺した実行犯なんだろ? 親の仇が向こうからノコノコやって来たんだ。それをわざわざ連れて来たんだが、お前の復讐はもう終わったのか?」
「っ!」
そう言われてアレイシャの顔付きが変わった。
「ふむ、大王様に手酷く負けてすっかり腑抜けたときいておりましたが」
「何を言うか! ……お前が馬車馬に矢を吹いたと言うのは真ですか!?」
「如何にも。某の仕業で御座います」
悪びれもせずにオリブが言った。
「っ……何故!? 父上達を!」
「大王様からお聞きになったでしょう。お父上の政ではいずれ国が傾くのは必定。なればこそ」
「ならば何故私を匿い育てたのです! 剣技まで教えて!」
「頃合いを見て大王様に献上するつもりだったのです」
「なん……ですって……」
「剣技をお教えしたのは大王様のご性癖の為。大王様は姫様の様なお気の強い女性を己が身体を持って打ち負かし、その絶望に染まった身体を犯すのが何よりお好みになられるお方ですので」
「そんな……そんな事のためだけに……」
そこでアレイシャの双眸から涙が零れ落ちた。
「大王様の治政になり、この十年で離反を企てた領国を全て滅ぼした王国は安定し、今や大王国として宿願の大陸平定も現実味を帯びて参りました」
「全ては領国の犠牲の上ではありませぬか!」
「左様、なればこそ身中の虫を排するのは当然の理かと」
「私を虫呼ばわりするか!」
「それが現実。大王様は国を統べる大いなる鷹であり、姫様はその鷹についばまれるだけの虫で御座います。後宮で思い知ったで御座いましょう」
オリブの罵声に信じられないという表情を一瞬浮かべたアレイシャだが、すぐに怒りの表情に変わる。
「それでもデレワイマスは我が父と母を殺した首謀者です! そしてお前も!」
「その通りで御座います。ですが姫様は折角の好機に無様に敗北したではありませぬか」
「黙れ! 私はまだやれます! やり遂げます!」
「ならばまずは某を討ち取ってみるが宜しかろう」
「言われなくても! ダイゴ様! 剣をお貸しください!」
「ほら」
オリブを睨みつけたままダイゴが放った鞘付きの両刃剣を受け取るや鞘から引き抜きオリブに駆け寄る。
その姿を見たオリブは座った姿勢のまま幅広の剛剣を一気に引き抜いた。
「いやあああっ!」
「ぬん!」
アレイシャ渾身の斬撃をオリブは片手で軽々と弾いた。
「ぐっ!」
「ふむ、さぞ『マーシャ』でお鍛えなさったと思いましたが矢張りその程度でしたか」
そう言いながらオリブはゆっくりと立ち上がった。
「黙りなさい!」
次々に斬撃を送るが何れもオリブは軽々と弾いていく。
「姫様、真摯に稽古をなさっていた時よりも鈍っておいでになられましたな」
「黙りなさいというのに!」
怒りに任せて連撃を送るも全て弾かれる。
「はぁっ! はぁっ!」
四アルワ以上経ち、百本以上打ち込んだアレイシャが全身で荒い息を吐く。
だがオリブは息一つ乱れてはいない。
「もうお終いですか姫様。所詮『マーシャ』などというお遊びにうつつを抜かしていた貴女はその程度と言うことですな」
「黙り……なさい……まだ……」
剣に縋って立ち上がろうとしたアレイシャだったが力尽きて倒れ伏した。
ザバァッ
冷たい感触に目を覚ます。
オリブが井戸から汲んだ水を掛けたからだった。
「仇を目の前にして寝るとは姫様の復讐の志も大したことはありませぬな」
「あ……う……だ……黙りな……さい……」
アレイシャはヨロヨロと立ち上がる。
どれくらい気を失っていたのか……。
魔導回路とやらの明かりが照らすこの部屋では外がどうなっているのか分からない。
だが、体力は幾分戻ってきていた。
「いやあああっ!」
「ぬん!」
気合を込めての渾身の斬撃は悉く弾かれる。
ならば……!
軌道を、角度を、速さを変える。
だが悉く弾かれていく。
何十本と様々な工夫をしたが、打ち込んだ剣戟は全て弾かれる。
「はあぁっ! はあぁっ! はあぁ……ぁ」
目の前のオリブが、景色がグニャリと歪んで暗転する。
ザバァッ
また水を掛けられ目を覚ました。
「く……くっ、何故……殺さないのですか!」
「寝ている姫様を討ったところで何の得が御座いましょう。それに某は姫様が自ら大王様に屈服し、後宮に戻らせてくれと懇願して頂くのが目的故」
「な……何を……」
「その旨をダイゴ殿にお話しした所、快諾を頂きました故」
「だ、誰が……懇願など……」
「そう思うなら参られよ。いや、眠気覚ましに某の剣を受けて見なされ」
言うや豪風の如き剣戟がアレイシャを襲い、剣で受けるがそのまま剣ごと弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「がっ……はっ……」
衝撃で呼吸が止まる。
そのままガクリと首を垂れてアレイシャは気絶した。
ザバァッ!
「あ……がっ……」
「どうですかな? 大王様にお詫びし、操を差し上げると懇願する気になりましたかな」
「だ……誰が……するもの……ですか……」
「左様ですか……ならば」
オリブが一旦剣を鞘に納めた。
それは……。
それはオリブの秘儀。
研ぎ澄まされた気合で放つ必殺の抜き打ち。
「やあぁぁぁっ!」
パキィン!
目にも止まらぬ抜き打ちは気合を込めて放ったアレイシャの剣戟を弾き飛ばし、直後の剣風でアレイシャ自身を壁に叩きつけた。
「あぐ……あ……」
ビグビグと全身を痙攣させた後にアレイシャは気を失った。
ザバァッ
「がっ……ごぼっ! ごふぉっ!」
掛けられた水が喉から器官に入り、むせ込みながらアレイシャが目を覚ます。
「どうですかな? 大王様に懇願する気になりましたかな」
「く……どい……」
折れた剣に縋りガクガクと震える足でやっと立ち上がる。
もうどれだけの時間が経っているのかすらも分からない。
何度気絶し、何度水を被ったかすら分からない。
身体はボロボロになり、下半身はおのれ自身の汚物に塗れている。
喉の渇きは掛けられた水で潤した。
飢えなどとっくに忘れていた。
だが、そんな事は今のアレイシャには何程では無かった。
地獄に落とされたあの日。
幼い心に復讐の風だけが吹き荒んだあの日。
あの時、あの地の底を這い上がってきた時と今の姿は何が違う。
そうだ……あの時既に私も死んでいたのだ……
勿論本当に死んだ訳ではない。
だがあの時にアレイシャ・ガーグナタという少女は彼女の中で死んだのだ。
復讐……
それは父上や母上の為でなく、自分自身の復讐の為……
そして、あの時本当に思っていたのは……
ピィィィィィィィィィィィィィィィィィィン
突如耳鳴りとは違う音が頭に響き、極度の疲労状態にも拘わらずアレイシャの意識が、そして心が澄んできた。
あの時と同じだ……。
自分の息遣いはおろか、心の臓の鼓動、更には相対するオリブのまで明瞭に感じられる。
「アレイシャ! これを使いな!」
ダイゴが一振りの剣を投げた。
オリブの方を見たままその剣を受け取り、アレイシャは腰だめに構えた。
それは先程オリブが見せた抜き打ちと同じ構えだ。
「ほう。姫様に出来ますかな?」
そう言ってオリブが剣を振りかぶって斬撃を送ってきた。
今までなら為すすべなく受けていた斬撃。
だが今のアレイシャにはその動きが酷く緩慢な物に感じられた。
これは……。
思う間もなくそのまま剣を鞘から引き抜いた。
無意識。
全くの無意識でアレイシャは剣を振り切る。
長い時が過ぎた様な気がした。
「見……事……です……」
オリブの声に我に返ったアレイシャが振り向くと、腕ごと逆袈裟に斬り上げられたオリブが崩れ落ちていた。
「私は……?」
アレイシャにも自分がどうしたのか分からなかった。
だが、あの瞬間何かが自分の中で目覚め、そして何かが自分の中で消えていった。
それだけは明瞭に感じられていた。
「さぁ……とどめを……仇を……お討ちくだされ……」
仰向けのままオリブが呻いた。
「オリブ……お前は……」
「どうやら……己を取り戻された様ですな……嬉しゅうございます……」
オリブの片目から涙が流れた。
「オリブ……お前……私に斬られるために……」
「……」
「何故です……答えなさい」
オリブは感慨深そうに目を閉じ、語り始めた。
「私は……国の為、民の為とはいえ……忠義を尽くすべき主君を亡き者にしました……将軍を辞し……国王様に殉じる覚悟でした……しかし……貴女様を……復讐だけを糧に生き延びて来た貴女様を見つけ……いつか……いつか……貴女様に……全てをお話しして……討たれようと……」
「ならば何故デレワイマスの命を聞いて私を捕縛したのです!」
「今の……主君は……デレワイマス……大王様です……武人が……主君に……忠義を捧げるのは……当然……です……が……あの場で……姫様がお負けになるのは……必定……外でお救いするために……そこへ……ダイゴ殿が……」
脇で腕を組んで二人を見ていたダイゴがオリブと会った時の事を思い出す。
『六大将軍のオリブだな』
『如何にも。貴公は?』
『アレイシャとちょっと縁のある者だ。色々と……』
スライムの魔導核を取り出したダイゴが話を終えないうちにオリブはガバと平伏すると己の剣を差し出した。
『ボーガベル帝国の魔王ダンガ・マンガ様とお見受けいたしました』
『へ? いや、魔王ってのは違うから』
『魔王様に伏してお願いの儀がございます。何卒お聞き届けくだされ』
『……あのさぁ、その魔王っての止めてくんない? それで何なんだよ?』
『某をアレイシャ様に会わさせて頂きたいのです』
『は? アンタ何言ってんだ? デレワイマスの所に連れてった奴を会わせる訳無いだろ?』
『その儀は終わりました……某はアレイシャ様に討たれたいのです』
『……ふう、詳しく聞かせてもらおうか?』
オリブの片目を見たダイゴは魔導核を懐にしまった。
「オリブ……貴方は……」
アレイシャの双眸に涙が滲む。
ウゼビスで再会した時。
彼の屋敷に連れられた時。
剣の手ほどきを受けた時。
読み書きを教わった時。
様々な思い出が蘇ってきた。
「姫様……仇に涙してはなりませぬ……私が……ダイゴ様に……お願いしたのです……せめて……姫様に……我が剣の……奥義を……『静剣』……を……」
「『静剣』……」
「研ぎ澄まされた心で放つ……抜き打ち……鉄をも断ち切る……心の刃……」
「オリブ……お前は……それを……その為に……」
「二つの忠義を……果たせて……本望でございます……これで……国王陛下にお詫びが……」
「オリブ……?」
天を見据え、満足そうな表情のまま、オリブは事切れていた。
暫くオリブを抱きかかえていたアレイシャが、オリブの亡骸をそっと横たえ立ち上がるとダイゴを見た。
「ダイゴ様、ありがとうございます。我が忠臣オリブの……そして何より私の心を掬って下さって」
「俺はただオリブの頼みを聞いてやっただけだよ」
「いえ、全てダイゴ様のお心尽くしのおかげです。今、私は亡き父母の、オリブの……何よりダイゴ様の心と自分の心が分かりました」
「みたいだな」
「この剣は?」
ダイゴに渡された細身で湾曲した長剣を見た。
今まで見た事も無い姿の剣だ。
「ああ、アレイシャの短剣、折れちまったろ? だからそれを素材に打ち直したんだ」
「剣を……」
そう言って黒光りする鞘から引き抜く。
銀色に輝く刀身にがアレイシャの目に映る。
「綺麗……」
思わず口に出た。
今まで見たどの剣よりもその刀身は美しく輝いていた。
「俺の故郷の剣を模した奴でな、カタナって言うんだ。銘は葬魔刀・静華」
「カタナ……シズカ……」
「お前の髪が同じ色なんでな、つい作って見たくなって。結構難儀してさっき出来たばっかりなんだ」
「私の髪と……」
そこで一筋の涙が零れた。
「私……私は……この髪が……嫌いだったのです……でも……でも、こんなにも……美しかったのですね……」
パチンと鞘に納めてアレイシャは改めて跪いた。
「ダイゴ様、改めてお願いの儀がございます。私、アレイシャ・ガーグナタをダイゴ様の眷属にお加え下さいませ」
「その先は見えたんだな?」
「はい、私はこの剣と共に永劫ダイゴ様と共にありたいのです」
あくまで凛とした顔でアレイシャは断言した。
「確かに、価値と覚悟を見せて貰ったよ」
いつの間にか、入口にはワン子とコルナそしてケンドレンがいた。
「アレイシャ……」
アレイシャとオリブの死闘をずっと見守っていたケンドレンの顔付きも何処かが変わっていた。
「さぁケンちゃん手伝ってよ」
コルナの声に我に返ったケンドレンはオリブの亡骸を板に乗せ、布を掛けると外へ運んでいった。
「あの……ダイゴ様……」
感慨深げに見送っていたアレイシャが下を向いてダイゴに言った。
「ん?」
「この……姿では……流石に……申し訳なく……」
今のアレイシャの姿は全身ずぶぬれに近く、下半身は言わずもがな。
「それに……私はその……色事には……全く疎いので……」
頬を染めたアレイシャの言葉はそこで途切れてしまった。
「ああ、分かってるって。じゃぁアジュナ・ボーガベルに行こうか」
「はい……」
二人の姿はその場から消えた。
その日、また新たな眷属が誕生した。





