第百二十一話 開戦前夜
ハルメンデル王城、大広間。
ガーグナタ『激流』兵団の使者の来訪を受け、オラシャントのデルメティオ国王並びにボーガベルのエルメリア女王以下メルシャ、セイミア達ダイゴの眷属、更にはグラセノフ、レノクロマ両将軍達が集まっていた。
「使者の書状によると、偉大なる国家であるガーグナタ大王国は他大陸の国家たるボーガベル帝国とオラシャント王国の合併を承認せざるものとする。即ちこの合併なる行為はボーガベル帝国の西大陸における侵略とみなし、我がガーグナタ大王国はこれを断じて認める事敵わず、もし強行せざれば正義の英断を持ってこれを征伐するものなり……とありますな」
「まぁ、つまり認めねぇからやっちまうよって事か。それにしても期日通りとは随分律儀な相手なんだな」
デルメディオ国王の言葉にそう感心するのはレノクロマ麾下の帝国第三軍副将代理ので第一部隊指揮官のルキュファ。
「まぁ途中に抵抗戦力も置かなかったし無難でしょ」
同じ副将代理補佐で魔導部隊指揮のテネアが頷く。
「敵の兵団は『激流』という名から察するに騎兵の脚力を活かした速攻戦を好むと見るね。各自手筈通りの陣形、戦術をお願いするよ」
にこやかに統合軍総大将を務めるグラセノフが各人に告げた。
「はっ!」
「予定を変更して既に皇帝陛下はアロバ防衛に向かわれた。此度の戦が新生帝国軍の実質的な初陣だ。万が一にも落とされ帝国の栄光に泥を塗らぬよう、各員奮励努力をしてくれ」
「例のアレイシャってのは?」
「陛下と同行している。よって王国側の要求は完全無視だね」
ルキュファの問いにグラセノフが答える。
「夜明けを持って敵は総攻撃を掛けてくる。それまでに各部隊の配置に掛かってくれ」
「はっ!」
ルキュファを始め部隊長たちは勢いの良い声を上げた。
「レノクロマ」
解散となり、皆と共に出ていこうとするレノクロマをグラセノフが呼び止めた。
「兄上、何か」
踵を返してグラセノフの元へレノクロマは駆け寄る。
「すまないね、ボーガベルになったというのにまたお前に汚れ役をさせることになってしまった」
「関係ない。俺はセイミアと兄上の為に戦う。それだけだ」
「だがお前はボーガベル、ダイゴの第三軍を預かる将なんだ。それを忘れないでおくれ」
「……忘れてなどいない。だがそれでも俺はセイミアと兄上の為に戦う」
レノクロマは一礼してルキュファとテネアの待つ入口を出ていった。
言葉は以前と変わってはいないが、最近のレノクロマは幾分表情が柔らかくなったとグラセノフは思う。
忍ぶ恋か……。
不器用な義弟を見送るグラセノフの後姿をエルメリアが優し気な表情で見守っていた。
一方ハルメンデルからアロバ王国領オドイ村に向かう特製大型馬車にダイゴとワン子、ニャン子、コルナ達眷属、そしてアレイシャとケンドレンはいた。
本来グラセノフ達に訓示後にアジュナ・ボーガベルでアロバに移動する予定だったが、アレイシャ達を同行するにあたって急遽馬車での移動となった。
「何でこの馬車、御者もいないのにちゃんと走ってるんだよ……それにちっとも揺れないし」
天井部分のデッキで馬車を引く二頭の巨大馬を眺めながらケンドレンは隣のアレイシャに呟いた。
「私にも……さっぱり」
アレイシャも首を振る。
こんな巨大且つ豪華な馬車はガーグナタでも見た事が無かった。
全長は優に十二メルテはあり、内部は寝所やトイレ、台所を備えている。
「んまぁ、企業秘密ってかボーガベル驚異の技術力って奴だな」
「あ、ここここれは皇帝陛下!」
後ろにワン子とコルナを伴って現れたダイゴに慌てて直立の姿勢をとるケンドレン。
「あー、普通にしてくれよ。一応俺はあんたらの支援要員だし」
「で、ですが……」
「ぶっちゃけ畏まった物言いされると尻がむず痒くなるんだ。だから身分はなるべく隠しておきたかったんだがな」
「ではダイゴ様、我々はアロバ王国経由でバゲンディギアに向かわれるおつもりでしょうか」
アレイシャの物言いは全く変わっていない。
「そのつもりだよ」
ワン子から受け取ったよく冷えた果実酒を呷りながらダイゴが答える。
「ですが現在アロバ王国からバゲンディギアに向かう街道は途中のセグテの関所で封鎖されています」
「だろうね」
「関所は簡素なりとはいえ立派な要塞です。どの様に越えるおつもりでしょうか」
「まぁ、ちゃんと越えるから任せてくれよ」
手を振りながらダイゴははぐらかした。
「信用……しては頂けないのですね」
無理も無いとアレイシャは思った。
考えてもみれば、コルナの取り成しがあったとはいえ、拒否されてもおかしくない話だ。
首飾りや剣など模造しようと思えばいくらでもできるし、銀髪が疑われてもおかしくはない。
しかしダイゴは国としての支援は断ったものの個人としての支援は確約してくれた。
……やはり私の身体なのでしょうか……。
だがコルナを含め彼をご主人様と呼び慕う女達を見るにつけ、単にアレイシャの身体を欲しているだけとは思えなかった。
逆にそれだからこそ警戒されているのかとも思う。
それでもアレイシャは甘んじて受け入れるしかなかった。
「そうじゃないけど、ちょっと説明しにくい事をやるからなぁ。実際に見てもらった方が早いんだよ」
「……分かりました」
「お、オドイ村が見えてきたな」
彼方のケンガジョホ山脈の麓に広大な畑と牧柵に囲まれたオドイ村が見えてきた。
ダイゴが訪れてから今日までの僅かの期間の間にオドイ村は劇的な変化を遂げていた。
周辺の荒れ地はゴーレム達の手で開墾整備され、牧柵の中にはカマネ牛とコロノプと呼ばれるアルパカに似た動物がそれぞれ百頭以上放牧されている。
「ダイゴ! コルナ様!」
柵の中から黒いヤクに似た動物シギルが飛び出して、馬車に併走する。
手を振りながら乗っているのはミチョナだ。
シギルに何か語ると軽やかに飛んで馬車に飛び移る。
シギルはちゃんと並走して付いてきていた。
「ダイゴ、コルナ様、来たのか」
幾分明るくなった笑顔をミチョナは浮かべた。
「ああ、元気にしてるか?」
「元気。でも箱船のせいで仕事無くなった」
「う、それはすまない」
シギル乗りのミチョナはケンガジョホ山脈のクォナ峠を越えた先にあるベルビハスを往来して物資を運ぶのを生業としていた。
現在オドイ村とベルビハスの間は魔導輸送船による物資の輸送が行われている。
「大丈夫。今はブデ達と牛やコロノプ世話してる。村長お金沢山くれる」
「そっか、そりゃ良かった」
「あ、黒竜様がコロノプといる。どうする?」
これはソルディアナの事だ。
コロノプをいたく気に入ったソルディアナはアロバに派遣されて以来オドイ村に入り浸っていた。
「ああ、後で呼ぶからそのままにしておいてくれ」
ダイゴが面倒くさそうに手を振る。
「分かった」
ミチョナもやれやれといった表情を浮かべる。
もっともソルディアナにはコロノプ達も従順で、全く手間はかからない。
しかも稀に現れる魔獣の類は瞬殺してしまうので真に心強い番人とも言えた。
「ミチョナ、夕ご飯一緒に食べようよ」
「分かった。あっちだな。ワチ後で行く」
コルナの誘いにミチョナはそう返事をして、再びシギルに飛び乗ると元の場所へ戻って行った。
オドイ村正面の重厚な造りの門をくぐると、まだ真新しい二階建ての家屋が立ち並ぶ。
以前に比べ、三倍は大きくなった村長の屋敷兼村役場に村長達が平伏して待っていた。
「皇帝陛下並びにコルナ様、お待ちしておりました」
「おう、村長随分顔の色艶が良くなったなぁ」
「ははっ、陛下並びにコルナ様のお力添えの賜物で御座います」
「村長、いよいよアロバに悪人共が攻めてくるんだ。ボク達はこれからそいつらをやっつけに行くからね」
「おお、なんとも頼もしいお言葉」
「そう言う訳で少し厄介になるぞ」
「ははっ、何なりと」
「そういやあの二人は?」
「はっ、陛下のお越しを一日千秋の思いで待っておったそうです、これ、出て来ぬか」
村長に促され屋敷から二人の少女がおずおずと出てきた。
栗色と緑の髪の『勇者のお世話役』の二人だ。
「ダイゴ様、コルナ様、お久しぶりで御座います」
「お二方のお越しになるのをずっとお待ちしておりました」
「あ、ああ……元気だった?」
あの時の出来事を思いだしたコルナが顔を赤くする。
「二人ともすっかり元気そうになったなぁ」
出会った頃は栄養失調寸前の様な二人だったが今では別人のように健康的な体になっていた。
「ありがとうございます。全てダイゴ様とコルナ様のお陰です」
「恐れながらダイゴ様。つきましてはお願いがございます」
「ん? 何だい?」
「私共、是非ダイゴ様とコルナ様にお仕えしたいのです」
「えへ?」
赤い顔のままのコルナが変な声で聞き返す。
「ああ、そういう事ね。じゃぁ勇者付きの侍女で良ければいいよ」
ダイゴは手を振って即答した。
「あ、ありがとうございます」
「ちょ、ちょっとご主人様! そんな安請け合いしていいの? しかも勇者付きって……」
「構わんよ。まぁ満更知らない仲でも無いし、何なら前みたいに三人並んで……」
「わー! わー! わあああああああっ!」
顔面を真っ赤っかにしたコルナが大声を出しているのをアレイシャとケンドレンは不思議そうな顔で見ている。
「まぁその話は了承した。じゃあ俺達はクィブルに行くけど二人はどうする?」
「はい、お供させていただきます」
二人の村娘は改めて頭を下げる。
「クィブル?」
アレイシャが聞き返した。
「ああ、この先にあるボーガベル軍の駐屯地だ。こっちの戦力はそこに集結している」
「この村に滞在するのでは無いのですか」
「村には土地を借りてるんでね。挨拶に寄っただけだよ」
栗毛と緑髪の村娘を新たに乗せた馬車は村を出て更に山脈の方に進んでいく。
「あれ……が……」
アレイシャが言葉を詰まらせるほどの光景が広がっていた。
柵に囲まれた広大な平地に二十隻以上の魔導輸送船が整列して停泊し、その奥には先行したアジュナ・ボーガベルがその白い巨体を浮かべている。
既に大勢の兵士が整列して待ち受けている中を馬車は進んでいく。
その先にはガラノッサとセネリ、クフュラの眷属達、更にはマキシマ遊撃騎士団々長のリセリが待っていた。
「おー皆の衆、待たせたな」
「お疲れ様です。既に全軍の出陣準備は整っております」
ダイゴの言葉に早速クフュラが報告を始める。
「ああ、それでガーグナタの動きは?」
「予想通りシングアとブロンブルを抜けてカロルデに進軍中です。明日の夕刻には到着するものと思われます」
シングアとブロンブルはアロバからガーグナタへ通じる街道にある小さな宿場町だ。
既に街道周辺にはおびただしい数の偵察型疑似生物を配置してあり、ガーグナタ軍の動向は逐一報告されてくる。
「被害は?」
「どちらも糧食と水の供出で済みました」
「その辺の躾は良いらしいな」
「行軍速度がかなり速いですね。恐らくオラシャントの方の軍と同時に攻めるつもりで、ゆっくりと休息を取るつもりが無いのでしょう」
「ああ、戦力を分断させてって奴ね? そんで乱暴狼藉はカロルデでじっくりたっぷりとって奴か」
「恐らく」
「まぁそうは問屋が何とやらだけどな」
「よう大将、お客さん連れて来たんだって?」
「ああ、こちらはアレイシャ。先代ガーグナタ王の忘れ形見だ」
「これはこれは、ボーガベル帝国連合軍総大将のガラノッサ・マルコビアと申します」
そう言ってガラノッサはアレイシャに傅いた。
豪放快活なガラノッサも事こういった礼儀作法は至極流暢にこなし、その大きな体格が却って不思議な気品を醸し出す。
「あ……アレイシャ・ガーグナタです」
戸惑いながらも差し出した手を取りガラノッサは口づけする。
「それでこっちは反抗組織『マーシャ』のケンドレンだ」
「ほう、よろしくな」
そう言って立ち上がったガラノッサはケンドレンの手をがっしりと掴む。
「はっ! はいっ! よろしくお願いします!」
「ははっ! そう固くなるなよ」
そう言ってガラノッサはケンドレンの肩をバンバンと叩く。
「よし、魔導輸送船は予定通り出発させろ。俺達はアジュナで後から追いかける」
「畏まりました」
クフュラが一礼すると場内にクフュラの声が鳴り響いた。
「帝国第二軍各部隊に通達、これよりカロルデへの移送を開始します。各員は速やかに割り当てられた魔導輸送船に乗船してください」
「え? 何だこの声?」
場内に響く音声にケンドレンは驚きを隠せないでいるが、アレイシャは神妙な顔つきのままだ。
ボーガベル帝国……ここまでの物とは……。
西大陸の大国ガーグナタであっても東大陸の情報など殆ど入っては来ない。
せいぜい講談師や吟遊詩人の語る脚色された話程度。
昔の講談師達の語る東大陸は、文明も遅れ、魔獣が闊歩し争いの絶えない蛮族の地と言われていた。
だが近年その地に突如魔王ダンガ・マンガが現れ、名も無き小国を乗っ取った挙句にバッフェとエドラキムという二つの大国を瞬く間に征服したという話が急速に広まった。
単に蛮国の征服譚と言うだけではなく、不死の兵士が闊歩し強大な魔法が踊る一大叙事詩に人々は魅了され、また魔王ダンガ・マンガを恐れた。
その影響は聞き分けのない子供に
「ダンガ・マンガがくるよ」
と言えば素直になる程だ。
だがアレイシャはそんな話を冷静に受け止めていた。
そんな突拍子も無い話がある訳ないと思っていた。
しかし、目前で次々と音も無く浮かんでケンガジョホ山脈に向かって飛んでいく魔導輸送船を見てその認識を改めていた。
お父様……お母様……アレイシャは……。
この時アレイシャの瞳の奥に微かに、彼女自身も気が付かないような小さな青白い光が燈っていた。
「なんだ、姫様とお前は何も関係ないんか?」
アジュナ・ボーガベルの露天大浴場。
そこにいるのはダイゴとガラノッサ、ケンドレンの三人。
「たまにゃ男同士で裸の付き合いしようぜ! お前もこいや」
そう言ったガラノッサに引きずられるようにダイゴは不満そうなコルナ達と『男同士の裸の付き合い』という言葉に一人目を輝かせているシェアリアに見送られながらケンドレンと共にやってきた。
そこでアレイシャとの仲を聞かれたケンドレンの答えにガラノッサは気の抜けた声を出した。
「アレイシャは……その……俺にはなんていうか眩しすぎて……っていうかそんな事、考えた事もないです。それに……俺には待ってる奴がいるんで……」
バゲンディギアの衛央都市ウゼビスを出る前夜に身体を重ねたネルティアの顔が浮かぶ。
……待ってるから……絶対に帰ってきてね……。
小さいころから一緒にいて気が付かなかったネルティアの想い、そして気が付かなかった自分の気持ち。
ケンドレンは空を見上げた。
「で、大将。姫様の敵討ちはどうするんだ?」
ガラノッサは今度は頭に拭布を乗せて湯舟に浸かってるダイゴに話を振る。
「まぁアロバの方が片付いたらそっちから潜るよ。そこで『マーシャ』と接触して拠点を確保。後はまぁ予定通りだな」
「姫様もかい?」
「そっちは分からんよ」
「なんだい、せっかく空いてるんなら……」
「あのねぇ、そういうのじゃないから違うから」
「そうなんかねぇ」
二人の会話の意味が分からずケンドレンは困惑するばかりだった。
厳しい表情を崩さなかったアレイシャも流石にその光景は唖然とせざるを得なかった。
ダイゴ達と入れ替わりに勧められた初めて入る風呂とやらの豪華さも去ることながら、目前で一緒に湯舟に浸かっている十二人の女達の豪華さに眩暈がする思いだ。
それに引き換え自分は幼い頃の城暮らし以来ほぼ十年ぶりに使った石鹸を流した湯が真っ黒になって流れていくのを見て流石に逃げ出したい思いに駆られそうになる。
そもそも女王を始め何人かはハルメンデルに残った筈なのに何故かここアロバ領にいる。
完全にアレイシャの理解の範囲を超えていた。
そんな困惑しきりのアレイシャの髪を、変わった侍女服を纏った侍女たちは構うことなく洗っていく。
流れていく泡から現れたのは光り輝いてはいるものの、いつもと同じ銀色の髪。
やはり、これは元には戻らないのですね……。
その色を見たアレイシャはようやく落ち着きを取り戻した。
「まぁ、それではケンドレンさんとはそういう仲では無いのですか」
「え、ええ……」
湯舟で隣に座ったエルメリア女王の問いかけについアレイシャは答えてしまった。
それだけではない。
自分が両親を失ったあの忌まわしい事故の事。
父親の言葉だけを糧として必死に深い崖を一人で這い上がった事。
ようやくたどり着いたウゼビスの街で奴隷商に追われ、ケンドレンに助けられた事。
父王の旧臣であるオリブに保護された事。
そしてケンドレンやリョクレン、ネルティア達と『マーシャ』を結成したこと。
全てを語っていた。
彼女の透き通った瞳に見つめられると、何故か隠し通せなくなる。
そんな不思議な想いにアレイシャはとらわれていた。
「ううむ、これは……きっちりと成敗せねばなるまいな」
「だな、寝坊助」
顎に手を当て考え込むメアリアに腕を組んで頷くセネリ。
「デレワイマスはセソワを狙ってアロバを引っ搔き回してくれたからね」
「その代償もきっちり払ってもらわないとですね」
「う、うん、そうだねウルマイヤ」
眷属になってからのコルナはこと入浴に関してはクフュラと一緒の事が多く、今も隣同士に座っている。
もっとも何故かウルマイヤも一緒にいるのだが。
「アレイシャさん、貴女は首尾よくデレワイマスを討った後はどうするのですか?」
「私は……そんな事は考えた事ありません……」
エルメリアの問いにアレイシャは俯いた。
「そうですか……」
今までそんな事を思いもしなかったしケンドレン達も聞いてこなかった。
ただ一人、オリブが昔、
「姫様は復讐を成し遂げた後は如何なさるおつもりか」
そう聞いて来た事があった。
あの時は……。
「あの……今の私にはデレワイマスを討つ事だけが全てなのです。今は……それ以外の事は考えられません……いけないでしょうか?」
あの時もそう答え、それを聞いたオリブは黙っていた。
「いいえ、いけない事ではありません。何の事にせよ己が全てをつぎ込むことは決して悪い事では無いと思います」
「……」
「貴女が事を成し遂げた時に、次に為すべき事が見えてくるでしょう」
「そうでしょうか……」
アレイシャにはそれが何かは全く分からない。
「そうですよ。さあ上がりましょう。あまり浸かっているとのぼせますよ?」
湯舟から上がりながらにこやかにエルメリアが言った。
その全身が金色に輝く姿は幼いころに聞かされた女神様のようにも思えた。
ならば私は何なのだろう……。
アレイシャは自らの剣のような光を放つ髪を見ながら初めての思いに駆られていた。
翌日のハルメンデル近郊。
ガレ地の平原に拵えた天幕から『激流』兵団の大将軍ガシュノ・ブッドが姿を現した。
「ふむ、オラシャントの連中は籠城は選びませんでしたか。全く愚かな連中ですね」
彼方に展開し布陣している敵兵を一瞥して吐き捨てるように言った。
籠城をされれば持久戦になるが、当然それを見越してシムオ公国には十分な補給物資を供出するように命じてある。
シムオ公国のアドレ公王は渋ったが、領国であるシムオ公国がガーグナタに逆らえるはずもない。
「ならばアロバと同じように歯向かうおつもりですか?」
その一言で十分だった。
もっともガシュノ自身も例え攻城戦になっても短期で攻め落とす気でいた。
事前に調べたオラシャントの兵力は三千程度。
ボーガベルが如何程の兵力を送ってこようが多寡が知れている。
そう思っていたのだが、
「ハルメンデル前に布陣の敵兵およそ二万!」
「ほう……これは随分と奮発しましたね」
偵察から戻って来た斥候の報告に自分の計算が狂ったことに若干の苛立ちを覚えるガシュノだが、すぐに冷静に計算を検討、修正する。
「領国の兵三万を先行させなさい。我が軍は状況を見極めてから動かします」
「はっ」
副将ショクネンが直ちに伝令を飛ばす。
「周囲に伏兵はいませんでしたね?」
「はっ、昨日のうちに周囲をくまなく探索いたしました」
「よろしい。では進軍させよ」
「口上はよろしいので?」
「ショクネン、異大陸の蛮族如きに一々口上を述べる必要も無いでしょう。昨日のお前の通達であ奴らに考える時間はたっぷりと与えたにも関わらずこの始末。もはや礼儀など無用です」
「畏まりました」
「領国兵共には我が『激流』の名に泥を塗るような戦いは決してするなと伝えなさい! もしも腑抜けた戦いをすれば容赦なく後ろから射ると!」
まるでその声が合図かのように先鋒三万のシムオ公国の兵を主体とした領国兵達が突撃を開始した。
一方ハルメンデルの門を塞ぐように鎮座している要塞馬車モルトーンⅡでは総大将であるグラセノフが参謀を務めるセイミアと共に彼方で雄たけびを上げ動き始めた敵軍を見ていた。
「きっちりと夜明けとともに進軍開始か。敵将はやはり物事をキチンと型に嵌めたがる人物だね」
「グラセノフお兄様の初陣にしては少々物足りませんわ」
「はは、いいじゃないか。僕達の使命は敵の撃滅だ。それに全力を注ぐことには変わりないよ」
「そうですわね。ではお兄様の采配をお見せください。私は伝令に徹しますので」
「セイミアにそう言われると緊張するね。ではメアリア様に伝えておくれ。敵が目印の木を越えるまで引き付けて突出は無しと」
「畏まりましたわ」
セイミアが少し目を瞑る。
「うふふ、メアリア様は一騎駆け出来ずにご不満そうですが承諾してくれましたわ」
「うん、さてと……」
グラセノフは脇の卓に置いてある茶を一口啜ると立ち上がり、脇に置いてある魔導伝達回路に手を伸ばす。
「諸君、総大将グラセノフだ。いよいよこの異大陸の地で諸君の力を存分に見せつける時がやってきた。今日までの演習そして訓練を思い起こし、今まで培ってきた物を存分に発揮してもらいたい。敵は昨日我が帝国に無条件で降伏してオラシャントの明け渡しと魔導輸送艦全隻の供出、更には我が国に支援を求めたガーグナタ前王の遺児であるアレイシャ姫の引き渡しを要求してきた。このような無道な振る舞いを行うガーグナタ王国に我らが皇帝陛下は正義の鉄槌を下す事をお決めになった。これは正義の戦いだ。各員一層奮励努力せよ」
布陣している第一軍二万の兵が一斉に声を上げる。
荒野に一本だけ生えてる木をガーグナタ軍の先鋒が通過した。
「行くぞ! 遅れをとるな!」
白い巨馬パトラッシュに跨った姫騎士。
赤地の戦闘礼服に白の軽装鎧を身に纏ったメアリアの声が響き、先鋒の騎兵が動き始める。
今、異大陸国家同士の全面戦争の火蓋が切って落とされようとしていた。





