第百十九話 復讐姫
ガーグナタ王国、王都バゲンディギアの最下部にあるオリブ・デセングブの屋敷。
屋敷というよりは石造りの倉のような無骨な建物だが、これは近隣の他の屋敷なども同様であり、火矢や投石に備えたものだ。
要塞都市らしく、全てのバゲンディギアの建築物は籠城戦に備えた作りになっている。
だがオリブの屋敷はその石造りの外観以上に寒々しさが感じられた。
馬車が門をくぐっても出迎える使用人は皆無。
左程広くない庭も荒れ果てている。
「ご苦労だった。ではまた明日」
馬車を降りたオリブはそのまま玄関の戸を自ら押す。
「帰ったぞ」
玄関に響いた声にやっと奥から使用人頭のスオランが顔を出した。
「これは旦那様お帰りなさいませ。お出迎えもせずに申し訳ございません」
「構わん」
慌ててペコペコと頭を下げる中年女性のスオランにオリブは手を振る。
前王時代は多くの使用人を抱えていたが、今この屋敷にはこのスオランを筆頭に僅か五人の使用人がいるだけだ。
「アレイシャ様は?」
「お部屋でございますが?」
「戻ったのだな?」
「……はい」
全てを察している様なオリブの口調にスオランは申し訳なさそうに下を向いた。
「よい」
スオランに鞄を預け、オリブは最奥の部屋、昔は妻の私室だった部屋に入る。
そこには侍女服に身を包んだ少女が立っていた。
光り輝く銀髪を後ろに束ね、大きなつり上がり気味のうす水色の瞳と、侍女にしては気品を感じさせる知的な顔立ちをしている。
「お帰りなさいませ、旦那様」
侍女は頭を下げるでもなく無表情に言った。
まるでそれは臣下に対する物言い。
果たしてオリブが跪いた。
「姫様に置かれましてはご健勝で何よりでございます」
「……よい」
姫と呼ばれた侍女は少し目を伏せて答えた。
「先程、武器蔵に火が放たれたのを見ました」
「それがどうしたのです?」
オリブの言葉に侍女は少し険しくなった視線を向ける。
「姫様、火遊びは程ほどになさりませ」
跪いたまま向きつけにオリブが口を開く。
「何の事です? 私はずっとここに……」
「煤の匂いがしますぞ」
「……」
「シュウシオは配下に探索を命じているようでございます。どうか今しばらくはお控えくだされ」
「嫌です」
姫はきっぱりと言った。
「姫!」
「オリブ、私が今ここにいるのは何の為か忘れたのですか?」
「勿論承知しております。さすればなおのことお控えくだされ」
「このままずっと逼塞していろと? それは亡き父王の命に背くことになります」
姫の言葉が僅かながら怒りの熱を帯びる。
「王国は東大陸のボーガベルなる国と事を構えようとしております。場合によっては大きないくさとなるやもしれません。なればこそ軽率な行動はお慎みくだされ」
「東大陸のボーガベル? 例の魔王の国ですか?」
「左様。既に六将のアルワンデとガシュノに関係しているアロバとオラシャント攻めが下命されました」
「そうですか……ならばその魔王の国、助力を求めることも出来るかもしれませんね」
「姫! お戯れも程々になさいませ!」
「私は本気です。魔王の力をうまく使えれば……」
「国が、ガーグナタが滅んでしまうやも知れませんぞ!」
「構いません。 私は亡き父上と母上の仇、デレワイマスを討てれば良いのです」
「姫、あの者たちとの付き合いはおやめくだされ。いずれは……」
「オリブ。あの者たちのお陰で今の私はこうしていられるのです。無下な言葉は許しません」
取り付く島もない『姫』の言葉にオリブはため息をついた。
この頑固さだけは父親である前王ジマレイオス似だ……。
「そなたの忠節はこのアレイシャ、誠に嬉しく思います。ですがデレワイマスを討つことは父王から託された大事な使命です」
毅然として銀髪の姫、アレイシャ・サスオリオ・メル・ガーグナタは言い放つ。
王よ……貴方は……。
オリブは愛娘を復讐を謳う姫君に変えてしまった前国王を、その無念を恨んだ。
「要件は受け賜りました。もうすぐお食事の時間です。旦那様」
侍女らしく頭を下げたアレイシャに対し、オリブは一礼だけして部屋を去った。
血塗れの父と母がこちらに手を伸ばしてくる。
『アレイシャ……仇を……デレワイマスを……約束……』
「はっ」
アレイシャは目を覚ました。
明かり取りから月明かりが漏れた自分の部屋。
「夢……また……」
毎晩のように見る夢だが最近は涙を流すことも無くなった。
月日と共に両親の顔も既にぼやけて来ているが、その言葉は今でも鮮明に響いている。
「必ず……必ず……」
寝台の上で俯きながらアレイシャは呟いた。
翌日。
支度を済ませたオリブは何時もの時間に登城していった。
暫くして、籠を下げたアレイシャが部屋から出てきた。
「スオラン、出掛けてきます」
「姫様! 旦那様がくれぐれも姫様を外に出さないようにと……」
「問題ありません、夕刻にはきちんと戻ります」
「しかし……」
「オリブには私から話しておきます、貴女は気にしてはなりません」
アレイシャはそう言ってスオランの手を取り、そして出ていった。
「姫様……」
少し門の前で待つと二輪の馬車が通りかかり、手を上げるとアレイシャの前で停まる。
「ウゼビスのアニルージまで」
坂道の多いバゲンディギアではテグルというタクシーの様な一軸二輪の小型の馬車での移動が一般的である。
石畳の道を下って向かった先は外延部の城門近くに広がる衛央都市ウゼビスの商人街。
衛央都市とは元は山だった要塞都市バゲンディギアの麓周辺六か所にある都市で、商人街は文字通り商人や職人が住まう事を許された区画だ。
馬車溜りに着いて馬車を降りたアレイシャは白い帽子を深くかぶり直すと、そのまま賑わう人ごみに紛れていく。
大国の王都に相応しい活気を呈して、多くの人で賑わっている大通りを抜け、裏路地に入り辿り着いた先は倉の様な建物。
看板には『ドミネの酒屋』と書かれている。
「いらっしゃい」
入り口の愛想のない店主を無視してアレイシャは徳利の様な形をした土瓶の並ぶ棚の奥に入っていく。
乱雑に積まれた酒樽の山を抜けると声が掛かった。
「アレイシャ! どうしたんだ今日は」
掛けたのは酒樽を担いだアレイシャよりも少し年上の茶色い髪の朴訥な青年。
「ケンドレン、大事な話があります。至急皆を集めてください」
「わ、わかった」
ケンドレンと呼ばれた青年は慌てて外へ飛び出していく。
アレイシャは小さな酒樽に腰を下ろして静かに目を閉じた。
一アルワ過ぎには店の奥に更に五人の商人や職人姿の男女が集まった。
「どうしたの? アレイシャ。昨日の今日で危なくない?」
アレイシャと同年の青い髪をした少女が少し不機嫌そうに声を掛けた。
彼女は『カシュド・ティポン』というでティポンを売る店で働くネルティア。
朴訥だが少し垂れた愛くるしい目をした気立ての良い、店の看板娘だ。
「昨日の件が上手く行ったのでご褒美……じゃなさそうだなぁ」
軽いノリで言ったもののアレイシャの視線に押されたうす緑色の髪の毛の青年はリョクレン。
『モギト商会』という小さな商会の主でもある。
「王国は東大陸のボーガベルなる国と争う決定をしたそうです」
「ボーガベルって……あの魔王の国って言われている?」
ネルティアが首を傾げた。
「そうです。西のオラシャントがこの度ボーガベルと合併するそうです」
「えっ!? 余所の大陸の国と合併するのか?」
ケンドレンが驚いた声を上げる。
「更にボーガベルはアロバにも介入しているようです。デレワイマスはそれを良しとせず、この二国にそれぞれ軍を送るそうです」
「二軍も……」
二軍ともなれば総数は十万を優に超える。
それは立派な戦争であることを、ガーグナタの本気を表していた。
「俺の方にもその話は入ってきてるぜ。今朝から物資の注文がひっきりなしだ。既にシムオとブシュギムにも招集の使者が向かったらしい」
リョクレンが得意そうに言った。
ガーグナタでは通常、軍は必ずアロバの様な領国との連合軍で編成される。
そこで領国の兵は尖兵として使うのがガーグナタのやり方だった。
「で、俺達『マーシャ』はどうするってんだ?」
ケンドレンがアレイシャを見た。
『マーシャ』はケンドレンをリーダーとする反抗組織、いわゆるレジスタンスだ。
元々はバゲンディギアの周囲に六か所ある衛星都市のうちの一つ、ウゼビスの浮浪児グループである。
今は打倒デレワイマスを掲げてここバゲンディギアで小規模な破壊活動を行っており、昨日の武器蔵の火災も彼らの仕業だった。
「私はそのボーガベルに助力を乞えないかと思っています」
その言葉にケンドレンたちは色めき立った。
「本気なの?」
思わずネルティアが聞き返した。
「魔王がどの程度のモンか知らないけど、ガーグナタの兵力は三十万以上だよ? 勝負になる訳ない!」
ガーグナタの総兵力は六将軍直属の兵三十余万の他に領国の兵を含めれば実に五十余万にもなる。
「それに助力って言っても何をどうやって」
太めの鍛冶職人ガモモが汗を拭きながら言った。
ガーグナタの戦力を十二分に知っている彼らからすれば、いくらボーガベルが魔王の国でも流石に真正面から戦って勝てるとは思えなかった。
「いや、あながち無謀な話じゃないぜ」
手を挙げてリョクレンが言った。
「どういう事よ」
ケンドレンの脇のネルティアが睨むようにリョクレンを見た。
「オラシャントの例の空飛ぶ船、あれは実はボーガベルで作られたって話らしい」
「本当なの?」
ボーガベルの空飛ぶ船が突如衛央都市ウゼビスに飛来した時の事をネルティアもよく覚えている。
あの後、国王デレワイマスが献上を要求したが断られ、それ以来見ることは無かったのだが、商人の国である筈のオラシャントの持つ魔法技術の高さに市民は感心し、ともすれば魔導皇国シストムーラよりも上ではともっぱらの評判となったものだった。
「東大陸と言うだけでボーガベルを過小評価するのは早計と私は考えます。ならばその力を見極め、そして可能な限りの助力を求めたいのです」
「ならば、オラシャントに行くべきだな。アロバは今通行制限が掛かっているし、オラシャントならスオシウからシムオ経由で楽に入れる筈だ」
「じゃあ俺が行こう。シムオ公国なら商人手形も持っている」
「はいっ! 私も行くっ!」
ケンドレンの言葉にネルティアが腕に抱き着いて即答した。
「駄目だネルティア。手形の随行者は一人までだ」
「ええっ! じゃあ……まさか……」
「ああ、俺とアレイシャだ」
その言葉にアレイシャも無言で頷いた。
「そんな! なんでよ! 別にアレイシャが行くことないじゃない!」
「いえ、これは私が行かねばならない話です」
「だって、もしかしたら捕まっちゃうかもよ? そしたら……」
「大丈夫だって、そんな真似は俺がさせない」
「ケンドレンに言ってない! バカ!」
「バ……バカってお前……」
「まぁまぁ、ボーガベルもれっきとした国だ。そこと話をするならやはりアレイシャは必要だ。それじゃお前が行ってアレイシャの代わりが務まるか?」
間に割って入るようにリョクレンがネルティアに諭した。
「そ、それは……」
「それにこれは遊びじゃない。それくらいお前でも分かるだろ?」
「リ……リョクレンに言われなくても……分かってるわよ……ケンドレン! 絶対アレイシャと一緒の部屋とか駄目だからね!」
そう言ってネルティアは飛び出していった。
「あ、おい! ネルティア!」
「……まぁ留守は任せておけよ。で、何時出立するんだ? 軍は十日後には編成を終えて出陣するぞ」
「なら早い方が良いな。アレイシャ」
「明後日にでも出ましょう」
「分かった。必要な手配は俺がやっておく」
「ああ、頼んだぞリョクレン」
「任せておけ。ケンドレン、アレイシャをしっかり守れよ」
「ああ」
そう言って二人は拳を合わせた。
『マーシャ』の密議は終わり、アレイシャはケンドレンの手配したテグルでオリブの屋敷に戻っていった。
見送るケンドレンの背中にネルティアが抱き着いた。
「お、おいネルティア……」
「私が……私がケンドレンと一緒に行きたかったのに……」
「ごめんなネルティア……でもこれは……」
「分かってる……分かってるよ……でも……」
ウゼビスの街の廃墟を根城にしていた頃から二人はいつも一緒だった。
孤児院などが無いバゲンディギアでは親を無くした孤児は大概軍に入れられ専業兵士となるか、奴隷商人に捕まり奴隷となる。
だが稀にそのどちらにもならずに浮浪児となる子供もいた。
結局は兵士か奴隷になるのだが、ケンドレンとネルティア達は運も良かったのか上手く立ち回っていた。
ゴミ漁り、万引き、置き引き、かっぱらい。
生きる為にやれることは何でもやった。
ある日、奴隷商人に追われていた少女を助けた。
血らしき黒ずみと泥まみれの元は礼装であっただろうぼろ布を纏ったその子がアレイシャだった。
「そなたらの助力、感謝します」
年に似合わぬものいいをするアレイシャを匿い、たまたま彼らの住んでいる廃墟の整備にやってきたオリブの目に留まるまでの間、三人は家族の様に暮らしてきた。
アレイシャがオリブの元に行く条件がケンドレン達の身元の保証で、オリブはその責を果たし、自領の市民権と職を与えた。
その浮浪児たちがアレイシャの元、結成したのが『マーシャ』である。
「ねぇ……お願いがあるの……」
ケンドレンの背中で、頬を赤くして俯いたネルティアがポツリと言った。
オラシャント王国王都ハルメンデル。
間近に控えたボーガベルとの合併を控えて街は早くも祝賀ムードに湧いていた。
一般の商店のみならず露店も沢山出店し毎日がお祭りの様な賑わいを見せている。
そんなハルメンデルの王宮に白い巨体が静かに飛来した。
言わずと知れた新帝国ボーガベルのお召魔導船、アジュナ・ボーガベル。
王宮の中庭には出迎えのダイゴ、コルナ、ワン子とニャン子、それにメルシャとデルメティオ国王がいる。
ダイゴ達はアロバ王国のヒディガ壊滅作戦を完了し、ここハルメンデルに戻って来たばかりだ。
タラップが降りるとエルメリアを先頭にメアリアやシェアリア達ダイゴの眷属、そしてグラセノフとガラノッサ、更にはレノクロマと言った帝国三軍の将が降りてきた。
「ご主人様、お待たせいたしました」
純白の礼装に身を包んだエルメリアが変わらぬ花の咲いた様な笑顔を見せる。
「いんや、時間ぴったりだ」
「女王陛下、お待ちしておりました」
額に手を当てるオラシャント式の挨拶をするデルメティオ国王に対し、
「国王陛下、わざわざのお出迎え、光栄ですわ」
そう言って片膝をついて返礼するエルメリア。
「どうぞ式までの間ごゆるりとお寛ぎください」
「ありがとうございます。では……」
「まぁ慌てるなって。三人とも遠路はるばるご苦労だったな」
ダイゴは少しソワソワしているエルメリアを抑えて後ろで控えていたグラセノフ達に声を掛ける。
「いや、道中は快適だったよ」
白の軍服に身を包んだグラセノフが辺りに目を配りながら言うと、
「いやー酒も食い物も美味いし、風呂は気持ちいいし、大将があそこに住み続けてるのがよっく分かるわぁ」
同じく白の軍服姿のガラノッサが笑う。
「今カスディアンで温泉掘ってるから、そいつが当たったら似たような設備の別荘を作るつもりだから」
「はっはぁ! そいつは嬉しいね」
「……」
「……レノクロマさぁ……いい加減睨むの止めてくんない? 一応俺お前の主君だよ?」
「関係ない……俺はセイミアに仕えている……」
「はぁそうですか……まぁ仕事はちゃんとやってくれよ」
「承知している」
既にレノクロマの視線はダイゴでは無くその後ろのセイミアに向けられていた。
どうやらダイゴが邪魔で睨んでいたようだった。
「ダイゴ様、レノクロマ様のお世話はオレ達にお任せください」
「そうそう、ちゃんと悪い虫が……じゃなかった、レノクロマ様に不埒な輩が襲い掛からないように警護いたします」
そう言ったのはレノクロマの副官代理であるルキュファとテネアの二人。
「キミがドルスの一番弟子のレノクロマだね? ボクはコルナ。早速だけどボクと勝負してくれないかな?」
そこにコルナが走り寄り、ずいっとレノクロマの前に顔を近づける。
「ドルス?」
「うん、ボクはまぁキミの妹弟子かな?」
「は……?」
「うえっ! 妹ぉ?」
「早速悪い虫が!」
「あー、コイツは俺の眷属だから」
ダイゴがヒラヒラと手を振る。
「ま……また増えたのか……」
「この人はどこまで……」
「あーそういう評価は要りませんから」
ダイゴの手がヒラヒラからブンブンに加速した。
「ご主人様っ! 早く『ぷろとん』に案内してくださいなっ! 私っ! 早く泳ぎたいのですっ!」
ピョンピョンと飛び跳ねてエルメリアが催促している。
「ヘイヘイ、それじゃ皆さん移動しまーす」
異世界に来て皇帝になったのにツアコン紛いの事をやってる俺って一体……。
そんな思いを抱いたダイゴとウキウキの眷属達を乗せたカーペットは、国王に見送られて宿である『ぷろとん』へ向かって行った。





