第百九話 クァナ峠
まだ夜も明けていないベルビハスの警兵局。
裏口がそっと開き中からギシャム達昨晩の騒動で捕縛されたヒディガの構成員がゾロゾロと出てきた。
「全くここの牢は相変わらずくせぇな」
伸びをしたギシャムが脇にいる警兵隊の隊長を睨む。
「ギシャムさん、こういうのは勘弁してくださいよ。頻繁にやられたら……」
「心配すんな。おめぇの家族には手を出さねぇよ。後で金は届けさせる」
そう手を振ってギシャムは警兵局を堂々と後にする。
「お頭、どうします」
「全く備えをしておいたから良かったもののあのダイゴって野郎生半可な相手じゃねぇ。クァナ峠に先回りして手はずどおりにやるぞ」
「へい!」
手下達のドスの効いた声が夜明け前の街に響いた。
「ひゃあああああああ」
俺達が泊まってる部屋にコルナの変な声が響いた。
「おうコルナ……おはよう」
「お、おはよう……じゃなくて! な、なななんでボクダイゴと一緒に寝てるの?」
「何でってお前が俺のとこに潜り込んできたんじゃないか」
「で、ででも……どうして……は、はだ……しかも……ワン子さんたちも一緒に……う、うわああああ」
気が付けばいつもの格好でいつもの状態。
そこにコルナが加わっている形だ。
「……おはようコルナ、昨晩は貴女の若鮎の弾けるような肢体が……」
後ろからシェアリアの腕が伸び、コルナを絡めとる。
「ひゃああ! シェ、シェアリアさん! やっやめてよぉぉ! 変な言い方しないでよぉぉ!」
「まぁコルナが期待していた事は全く無かったから安心しな」
「え、だ、だって……って期待って何さ!?」
「お前、覚えて無いんか? 落ち着いた途端、うーん暑い! とか言ってみんな脱いじまったじゃないか。スポポポーンって」
「あ……しま……」
周囲に散らばった寝間着を見てやっちまった感満点の表情を浮かべるコルナ。
「その顔だと日頃もそうなんだな」
「あ、あう……」
「まぁ気にすんなよ、今日はナントカ峠越えだろ?いつまでもスッポンポンでいないで着替えた着替えた」
そこで再びコルナは自分がスッポンポンな挙げ句両足の裏を合わせるようにして座っているというナントモな格好をしてることに気付いた。
「え? ……あ? み、見ないでよぉ!」
今更かよ。
朝食を済ませて宿を出た俺達は、ワン子がシギルの手配に向かっている最中茶店で茶を飲んで待っていた。
「ここのパティルはシギルの乳が使われているみたいですよ」
「そ、そうなんだ……なんか濃いよね」
ウルマイヤの言葉にチラチラと胸元を見ながら何事か考えるコルナ。
「乳より大豆とかの方が良いらしいぞ」
「へぇ~って何の話かなぁ……あはははは」
そんな事を語っているうちにワン子が戻って来た。
「ご主人様、シシャル行きのシギルが……」
「どうした? また一便だけだったか?」
今度こそ事前に『自白』使ってやろうか……。
「いえ、余ってるシギルは一頭もいないと……」
「何だって?」
さっき、見た時は暇そうなシギルが沢山いたのだが……。
「どうも昨日の騒ぎが知られているようで、ヒディガを恐れているのか……」
あるいはヒディガの手が回っているかだ。
「うーん、そいつは弱ったな」
勿論『転送』なりカーペットを使えば訳はない。
だが今回の旅はコルナに俺が魔王ダンガ・マンガと思わせるような要素を極力排するという制限を設けた旅だ。
そりゃそうだろ。
『ハーッハッハッハーコルナクン、私は魔王なんかじゃないんだよ。分かってくれたかなあ?』
『何言ってんのさ。一瞬で別の所に行ったり、目の前で馬を出したり、あまつさえとんでもない魔法使ったりしてこれが魔王じゃなければ何なのさ?』
『あ、いや、じつはワタクシ神の代行者って奴でして……』
『ケドリア教にはそんなのいないよ! 魔王ダイゴ覚悟!』
『グエーッ!……って死なないけどなー』
『やっぱり魔王じゃないかーっ!』
などという事になれば収拾がつかない。
とはいえこのままでは峠を越えることができない。
いよいよ擬似生物を使うかと思ったその時だった。
「ワチのシギル、乗っていかないかい」
そう声がする方を向くと大きなシギルが三頭いた。
顔はどちらかというとヤクよりアメリカバイソンのようだが目がつぶらで可愛らしい。
体毛は長く伸びて下の方は刈り揃えられている。
高さは二メルテ近くはあってなかなかの巨体だ。
「シギルが喋った?」
「何処に目ん玉付けてんの」
そう言うやシギルの上から小さな女の子が顔を覗かせた。
高地の衣装を着けた年は十歳位の煤汚れているが少し丸い顔にこげ茶の髪、水色の瞳の小さな子だ。
「良いのかい?」
「アンタ達勇者様だろ? 昨日ヒディガのやつらコテンコテンにしたんだってね」
年の割には随分と世間慣れした言葉使いの女の子はシギルからヒラリと飛び降りた。
「ああ、だから関わると危ないかも知れないぞ。気持ちは有難いが」
「いいよ、ワチもヒディガ嫌いだし。その代わり条件ある」
「ん?」
「行くのシシャルじゃ無くてワチの住んでるオドイ村まで。料金前払い大銀貨六枚」
「うーん」
「分かった、それでいいよ」
人が考え始めた瞬間コルナが即決した。
「おい、コルナ」
「だって他に方法ないじゃないか」
確かに真っ当な方法なら他のシギルが使えない以上手はない。
だが、この子はどう見てもヒディガでは無さそうだ。
そんな子を巻き込んで良いのか。
「もし何かあればボク達が守るよ」
「ワチもそう思ったから声かけたさ」
女の子は手を上にして差し出した。
成程、俺達がヒディガを撃退できると見込んでなのか。
客を用心棒代わりとは随分としたたかな子だ。
「分かった。じゃお願いしよう。ええと……」
掌に大銀貨を七枚乗せる。
「ワチはオドイ村のミチョナ。これはムデ、ナブ、ブグ」
一枚多い大銀貨に驚くでもなくそれぞれ黒、茶、白黒のブチのシギルを指さした。
「俺はダイゴ。こっちはコルナ、ワン子、ニャン子、シェアリアにウルマイヤだ」
シギルと同じような紹介にコルナは少し困った顔をしたが他の眷属は意に介していない。
「買い物してすぐ行く。ここでムデ達と待ってて」
大銀貨を握ってミチョナは市場の方に駆けていく。
「ワン子、ニャン子」
「畏まりました」
「畏まりました……にゃ」
直ぐにワン子達が後を着いていき、暫くすると三人で大きな荷物を抱えて戻ってきた。
「随分買ったなぁ」
「食べ物に薬草に布……村で必要な物色々……」
皆で手分けしてシギル達の大きな鞍の脇に荷物を下げ、黒いムデにミチャム、俺、コルナ。
茶色のナブにワン子とシェアリア。
ブチのブグにニャン子とウルマイヤという風に乗った。
「後の二頭は曳いたりしないんだ」
「みんな賢い。ちゃんと付いてくる」
ミチョナが軽く首筋を叩くとシギル達はポコポコと歩き始めた。
クァナ峠は切り立った崖道と深い谷底道が交互に延々十キルレ以上に渡って続く難所だ。
道もシギルがやっとすれ違えるだけの幅しかない。
アロバ西方はこの天然の要害によって守られていた。
高地特有の絶景とガレ地の道が続いていく。
途中で分かれ道に差し掛かると他の隊商のシギル達とは違う方に向かう。
「あれ、あっちじゃないのかい」
「向こうはシシャル。オドイ村はこっち」
コルナの問いにミチョナは事もなげだ。
今までより道は細く荒れてきた。
余り使われてないのだろう。
『こりゃ、来るな』
俺は眷属達に念話を送った。
恐らくシギルの空きが無かったのはこちらに誘い込むためだろう。
そう思って直ぐに『探知』に反応が出た。
「コルナ、待ち伏せだ」
「え!」
「ミチョナ、ヒディガの連中が待ち伏せている。停まってくれ」
「……ごめん」
俺の言葉にミチョナが俯いた。
「ん? 知ってたのか?」
一瞬言葉に詰まったミチョナだったが、
「襲う、知らなかった。コロノプの毛売れなくて……買うからアンタたちを乗せて村に行ってくれ言われた」
「誰に?」
「知らない太った男。勇者様お世話してる言った」
「……それいつの話だ?」
「今日の朝……」
「どういう事さ?」
「ブニオン……いやギシャムか。アイツが手を引いてたらしい」
「え! だってブニオンは……」
「恐らく警兵にも顔が利くんだろ。もしくはあれが保険……いざという時の備えだったかもしれないな」
「そんな……」
そう言ってる間にヒディガらしき連中が二十人程、手に得物を持ちながら道を塞ぐように歩いてきた。
「詮議は後だ。アイツらをどうにかしないと通れないな」
「ここは危ない。下にガンベギオがいる」
ミチョナが谷底を指さした。
「ガンベギオ?」
見ると急斜面になってる崖の下は一面の砂地。
「何もいないが……」
「ガンベギオ、砂の中で獲物落ちてくるのを待つ。そして何でも喰う」
「分かった」
そう言うやワン子とニャン子がシギルから飛び降り、前方のヒディガの賊共に駆けていく。
「こ、このや……ぎぃっ!」
先頭にいた男が即座に斬られ斜面を転がり落ちる。
と砂中から無数の紫の触手が飛び出し、死体と化した男に絡みつくと砂中に引きずり込んでいく。
「アレがガンベギオか……」
「いけない、血を嗅いで集まってくる」
確かに谷底の砂面がうねり始めた。
「ご主人様!」
ウルマイヤの声に振り向くと後ろからもヒディガと思しき連中がやって来た。
「あっちはボクが!」
コルナが飛び降りるなりエネゲイルを抜く。
「おい! 待て!」
『シェアリアとウルマイヤはミチョナとシギルを守れ』
『……分かった』
『畏まりました!』
二人に念を送ってシギルを降りるとコルナを追う。
と『探知』が上方に人の気配を察知した。
同時に大きな岩が転がり落ちてきた。
「コルナ!」
「ひゃっ!」
コルナを抱きかかえるようにして岩を避ける。
だが岩は細い道に直撃し、脆弱な部分だったのか道自体が大きく崩落した。
崩れ方が不自然な所を見ると事前に細工がしてあったのかもしれない。
「ダイゴォ!」
「くそっ!」
崩落に巻き込まれた俺達は斜面を滑り落ちていく。
ヒディガの連中の何人かも巻き込まれたらしい。
ミチョナは斜面を駆け下りたワン子が抱え上げた。
「ふう、コルナ、大丈夫か?」
「う、うん、何とか……」
一寸の虫にも何とやらか。
やってくれるぜ。
転がったシギルがケガをしたがすかさずウルマイヤが『回復』を掛ける。
「ダイゴ!」
コルナの叫びにその視線の先を見ると、悲鳴と共に落ちたヒディガの連中に地中から太い触手が撒きつき砂中に引きずり込んでいく。
「あああああ! 助けてくれぇ!」
少しだけグロテスクな口が現れそいつは飲み込まれていった。
人を丸呑みするとは相当なデカさだ。
「これがガンベギオかよ」
「どうやらここは巣のようですね」
双短剣を構えてワン子が言った。
連中、最初からここに落とすつもりだったのか。
探知は地中に十匹以上はいることを告げている。
「全員気ぃ抜くなよ」
「畏まりました!」
眷属は仮に捕食されても死ぬことは無いが、正直そんなシーンは見たくもない。
それにコルナとミチョナ、それにシギル達も守らなければならない。
と、次の瞬間一斉に触手が地中から吹き出してきた。
さながら触手の林だ。
「ちいっ!」
「うあああああっ!」
コルナが雄たけびと共にエネゲイルを構えた。
「みんなは! ダイゴは! ボクが守る!」
ザシュッ!!
一閃してガンベギオの触手を斬り飛ばす。
「イヤアアアアッ!!」
砂中から次々と躍り出てくるガンベギオの触手をコルナは巧みに避け、躱し、斬り飛ばす。
「ほう、やるじゃないか」
柔軟な足腰のバネ。優れた動体視力と反射神経。
確かに剣技を自慢し、メアリアとの勝負を願うだけの事はある。
俺達を絡め取ろうとする触手を躱し、切断するが触手は次から次へと伸びてくる。
一本がコルナの脚に絡みつく。
「うあっ!」
そのまま持ち上げようとした触手をニャン子のクナイブレードが斬り飛ばす。
「あ、ありがとう」
「まだまだ来る……にゃ!」
ワン子とニャン子は砂地という悪条件を物ともせず、注意をミチョナ達から逸らそうと動き回る。
だが、何本かの触手が掻い潜ってミチョナ達に伸びた。
「!」
「『八芒守星陣』!」
シェアリアのかざした手から出た白く光る丸に四角を二つ重ねたような図形の魔法陣が触手を弾き返す。
「……ウルマイヤ!」
「はい!「『結界壁』!」
紫の光が立方体の形にウルマイヤたちを包む。
コルナが一瞬怪訝そうな顔を向けたが次々に襲いかかる触手に気にする暇は無いようだ。
「これじゃキリがねぇな!」
触手は斬り飛ばされても直ぐに再生してくるらしい。
恐らくは魔獣らしく魔素を取り込んでいるのだろう。
「……『雷撃大王』!」
ズドン!
シェアリアが地中に雷魔法を放つが勢いは衰えない。
どうやら地中では拡散するのか、はたまたガンベギオに耐性があるのか効き目が無いようだ。
『……いっそ殲滅魔法で』
『ダメだ! こんなに入り組んじまったらコルナやミチョナを巻き込む』
『……分かった』
だが今ので攻略の糸口が見えてきた。
魔法が駄目なら……。
「コルナ!」
「はぁっ! はぁっ! な、何?」
コルナも必死で触手を避けながら斬ってるが、流石に息が上がってきている。
「今から本体を地上に出す」
「地上にってどうやって!?」
「いいから! そいつが出たらその剣で刺せ! 急所は知ってるか?」
「知らない!」
「目と目の間の奥だ!」
俺も『叡智』でたった今知ったんだが。
ガンベギオの脳は目と目の間の奥にある。
俺達の武器でそこまで届きそうなのはコルナのエネゲイルだけだ。
「う、うん。分かった。 やってみるよ!」
「いいか! しっかり急所に刺せよ!」
「わ、分かった!」
「よし! 砂ダコ狩りだ! ワン子とニャン子は触手! シェアリアは俺の! ウルマイヤはコルナのサポ……補助!」
「「「畏まりました!」」」
「……分かった」
『探知』で手近にいるガンベギオの本体を探り当てると地面に手を当てる。
「『波動・改』!」
瞬間ズドンという響きが起こり、やがて近くの流砂が盛り上がると醜悪な風体の紫の巨大な蛸が飛び出てきた。
「コルナァ!」
「イヤアアアアアアアッ!」
雄叫びと共に駆け跳んだコルナがガンベギオの目と目の間にエネゲイルを突き込む。
ブフォオオオン!
墨ならぬ黒い煙を吹いてガンベギオが倒れた。
「や、やった! やったよダイゴ!」
「まだだ! まだウジャウジャいるぞ!」
「分かった!」
「うおおお! テメェ等全部タコ焼きにしてくれるわぁ!!」
「……とは言ったモノのこれ食えるのかよ」
俺達の目の前には刺し殺されたガンベギオ達が屍を晒していた。
「魔獣は毒を持ってるのが多いですから……」
「それ以前に見てくれがなぁ……」
紫と赤の毒々しい色合いはとても食おうという気にはなれない。
外観も昔の怪獣映画に出てきた公害怪獣みたいだし。
「うう……真っ黒だよ……気持ち悪うい……」
脇ではガンベギオの吐き出した墨煙塗れになったコルナが悲嘆に暮れている。
「これは流石に洗わないと……」
「どうしよう……」
「さっさとオドイ村に向かうか。ミチョナ、ここからどれぐらいだ?」
「今からだと多分夕方になる」
「シシャルは?」
「もっと遠い」
「よし、じゃあオドイ村に行こう。ワン子」
「畏まりました」
ワン子は背嚢から折りたたまれた紙を取り出した。
それはボーガベルで疑似生物と疑似人間を使って作成したアロバ一帯の地図だ。
「えっ! こんな細かい地図見た事ないよ! 一体……」
コルナが驚いているが構わず現在地点とオドイ村らしき集落を確認していく。
「ここが恐らくオドイ村でしょうね」
「よし、行こう」
無事な荷物を掻き集めると俺達はオドイ村に向かってガンベギオの巣を後にした。





