第百五話 神託の勇者
――西大陸。
または西方大陸とも呼ばれているこの大陸は面積にして東大陸の約三倍以上。
南北に長く、『く』の字の様な形をしているこの大陸には、大小合わせて三十七の国家やそれに属さない多くの小部族が住んでいる。
全人口も二千万人超と、只人族が住まう大陸としては中央大陸に次いで二番目の規模。
そんな西大陸の中北部の総人口三十万人の中堅国家、アロバ王国。
霊峰ケンガジョホの麓に広がるこの国は、ラモ教とは教えを別にしたケドリア教を厚く信仰している。
ラモ教が聖魔法を崇めているのに対し、ケドリア教は天地創造の主神ケドリアを崇める一般的な伝統宗教だ。
そんなアロバ王国の王都カロルデ。
人口十万人の最大都市でもあるここにシュルド城がある。
正式にはカロルデ・ナード城なのだが、純白の壮麗な城は白鳥城の別名がいつしか正式な名前になった。
その白鳥城の中庭で数十人の剣士達が木剣で稽古をしている。
アロバでは騎士は存在せず、剣士がそれに相当する。
勿論騎馬での戦闘もこなし、他国の騎士よりも日本の武士により近い存在である。
「姫様、参ります!」
「遠慮なく打ち込んできてよ!」
姫様と呼ばれた少女剣士の威勢の良い声が響いた。
囲んでいる男の剣士は五人。
姫様の容姿は傍で見れば五人を相手にするのは無理と思える姿だ。
薄紫色のショートヘアに大きく丸い薄紅色の瞳。
明朗快活な顔立ちだが華奢な身体は剣とは不相応にも見える。
だがその表情は五人の男を相手にしても少しの恐れも微塵の気負いも無い。
あくまでも自然体。
彼女の名はコルナ・シオロ・リ・アロバ。
アロバ王国の第一王女だ。
「うりゃあああ!」
五人の剣士が躊躇いもなくコルナに打ち込んでいく。
だがコルナは苦もなく木剣を躱し、受け流し、逆に打ち込み返す。
「せえぇい!」
瞬く間に打ち込んだ筈の五人が逆に打ち込まれた。
「そこまで。流石は姫様、また一段と腕を上げられましたな」
その様子を腕を組んで見ていたコルナ付き護衛剣士隊々長のカティヌ・フルカが得心の笑みを浮かべた。
「ありがとうカティヌ。でもボクはまだまだ強くなりたいんだ」
そう言ってコルナはそびえ立つシュルド城を見上げる。
「これ以上姫様にお強くなられては我々の仕事が無くなってしまいますよ」
隊員の剣士ボンギ・アンボが困ったような表情を浮かべてへたり込んだ。
「そんな事は無いよ。皆はアロバ王国の大切な力だよ」
コルナが笑みを浮かべながら手を振る。
「そうだぞ、我々が姫様のお手を煩わせぬよう強くあれば良いだけだ」
カティヌ隊長がボンギを窘める。
「うん、皆で強くなれば良いことだよね」
「はいっ、我々は姫様を御守りするため更に精進致します!」
コルナの言葉にポンギが慌てて直立した。
「期待してるよ。じゃぁもう一本いこうか?」
そう言ってコルナは再び剣を構えた。
「ええええ!?」
ボンギがたまらず悲鳴を上げる。
「いえ、日も暮れました故今日はここまでにしとうございます」
助け舟を出すようにカティヌ隊長がそう言うとコルナは構えを解いた。
「そっか、そうだね」
少し残念そうなコルナに対しボンギは安堵でまたへたり込む。
「よかったぁ」
「コラ、ボンギ。さっきの威勢はどこへ行ったのだ?」
呆れたようなカティヌ隊長の声に他の隊員も失笑する。
「い、いやもう腹が減って……」
「うん、もう夕餉の時間だしね。皆ありがとう、また明日もよろしくね」
笑いながらコルナは城に走っていった。
「腕と一緒に姫様のお転婆ぶりも上がったのだがなぁ」
見送るカティヌ隊長がやれやれと言った感じで言うと、他の剣士たちも頷く。
実際コルナの腕前は齢十六にして既に城下の剣士に並ぶ者無しと評される程だった。
若干七歳で剣士を志し、大人の剣士達に混じって稽古に励んできた。
最初は姫のお遊びと興味半分、お愛想程度に相手をしてきた剣士達だったが、年を重ねる毎に剣道の「一本」に相当する「通し」を受ける回数が増えていった。
今ではコルナが「通し」を受ける事はまず無い。
「あれでは婿の来手があるのかどうか」
「姫様はそれでも良いのだろうが……」
著しく出生率の低いこの世界では十五歳で立派な成人だ。
十六を過ぎたコルナは本来なら第一王女の身分上既に婿をとっていてもおかしくはない。
だが本人にその気は全く無く、剣の稽古にいそしむ毎日。
「国王陛下も頭が痛いだろうな」
「さぁ、俺たちも引き上げだ。解散!」
「ありがとうございました!」
カティヌ隊長の一声に敬礼すると仕事終わりの一杯を交わす店を相談しながら剣士たちは引き上げていった。
城の沐浴場でコルナは汗まみれの稽古着を脱ぎ捨てるとザブザブと水を浴び、侍女に身体を拭いてもらう。
簡素な礼装に身を包み、いっぱしの王女然としたコルナが大広間に入ると既に国王達が食卓に着いていた。
「父上、遅くなりまして申し訳ありません」
「……全く、国王である私より遅く来るのが習慣になるのは感心せぬな」
「ごめんなさーい、どれどれ」
国王パナボス・シオロ・デ・アロバはコルナを一瞥するが、コルナは全く意に介さない。
目の前に並んだ豪華な料理、その中からカマネ牛を焼いた物を指で摘まむと、
「あちっ、ちちっ」
そう言いながら齧り付く。
「コルナ、行儀が悪い」
国王が苦い顔のままだ。
「はぁい」
コルナも構わず食べていく。
「全く……」
「姉上の健啖振りには惚れ惚れしますわ」
笑顔でコルナを見ていたのは一歳年下で十五歳の妹、セソワ第二王女。
姉に似ず茶色がかった金髪と愛くるしい顔立ち。
着飾った礼装は王女と呼ぶに相応しい。
勿論腹違いであり、彼女の母も既に一年前に他界している。
「セソワ、コルナを庇うのは止めなさい」
「申し訳ございません父上……」
「コルナもキチンと食事が出来るようになりなさい。その様な事でアロバの国が継げると思うか?」
「ええー、ボクは女王とか嫌だよ。セソワで良いじゃ無い」
「そうはいかん。世の中にはキチンとした決まりやしきたりがあるのだ。食事と同じようにな」
「うーん、面倒くさいなぁ」
「私も女王はお姉様が相応しいと思ってます」
「そうかなぁ……」
コルナはまた摘まんだ肉を口に入れた。
「今度のギオニク侯の花見会、この前のような事が無いようにな」
花見会と言うのは建前で、これはれっきとした見合いの席のことだ。
前回、ハドロッセ侯主催の花見会で嫡男ジノテルが自身の剣技を大いに自慢した挙げ句に、
「もし宜しければ姫様に一手教授致して差し上げたいと存じますが?」
「本当かい? じゃぁ今すぐ教えてよ!」
「え?」
コルナは何処からか木剣を二本持ってくるとジノテルに渡し、目を輝かせて自分も構えた。
結果は瞬時に五発の剣戟を受けたジノテルは鼻血を吹いて昏倒し、花見会はお流れになった。
運ばれるジノテルに付き添っていたハドロッセ候が恨みがましい目でコルナを見たが当の本人はどこ吹く風で卓上の料理を摘まんでいた。
その時の風評が広まったせいか、コルナが十五歳になってから殺到していた花見会の申し出がぱったりと止んでしまった。
「だって、散々強い強いって言うから凄いんだろうと思うじゃない。でもとんだ見掛け倒しだったよ」
林檎に似た果物を齧りながらコルナはぼやいた。
「そうではない、なぜお前はすぐ力試しをしようというのだ」
「アロバ王家が勇者の末裔なら剣技を磨くのは当然でしょ」
アロバ王国の開祖シオロ・アロバは当時西大陸を跋扈した魔王の軍勢に立ち向かい、孤軍これを撃ち破ったと伝承にはあった。
城にはシオロが魔王討伐に使った聖剣エネゲイルが今も遺されている。
「だからこそよ、開祖シオロが魔王を倒した褒美として時の王国から頂いた領地がこのアロバ王国。末裔たる我々はこれを正しく受け継いでいかねばならん。それをお前は……」
「あーもう、分かったよう」
「コルナ!」
「っ……分かりました父上」
「全く……どうしてこの様な……」
パナポス国王は額に手を当てて呻いた。
「お父様、お姉様を余り叱らないで下さいまし。セソワは姉上のその様なところが大好きなのです」
「むう……」
「セソワ、有難うね」
「いえ、本当にセソワはお姉様が羨ましいです」
「そうかなぁ……ボクにはよく分からないや」
「ウフフ」
渋面で食事を摂るパナボス国王を余所にコルナとセソワの姉妹は笑い合っていた。
数日後。
いつものようにカティヌ隊長達と稽古に励んでいたコルナを侍従が急ぎ国王陛下の御前へと呼びに来た。
「父上、改まって何があったのです?」
玉座の間にて玉座に座っているパナポス国王の横にセソワ王女と並んで、豊富なひげを蓄えた壮年の男が立っていた。
ケドリア教の最高権威者クンゾォ大司教だ。
「来たか、コルナよ。ではクンゾォ大司教」
パナポス国王は硬い表情のままクンゾォ大司教に促す。
「ははっ」
大司教は跪いているコルナをちらと見ると咳払いをする。
「うほん……昨晩、神託が下った」
「おお、ケドリア神は何と」
「東の地に魔王現れり。その名はダンガ・マンガ」
「魔王! 何と……」
「魔王だって!」
「コルナ、静かにしなさい」
「で、でも……」
国王の厳しい視線にコルナが黙るのを見計らってクンゾォ大司教は続けた。
「……よって第一王女コルナよ」
「え!? ボク?」
「汝を勇者に任ずる。開祖であるシオロ・アロバの故事に則り直ちに魔王討伐に向かうのだ」
「え? ボ、ボクが……勇者……?」
「何と……コルナは勇者の末とはいえまだ十六の姫だぞ……それが……」
「神託ですぞ」
政治的権限の無いクンゾォ大司教であるが、ケドリア神の神託は絶対だ。
開祖シオロ・アロバが神託を受けて魔王を討伐した事に始まり、その後幾度か下された神託によりアロバ王国は様々な国難を切り抜けてきた。
「うむぅ……」
「勇者コルナは直ちに東の地に向かい、魔王ダンガ・マンガを討つべし。神託は以上である」
「……分かりました。アロバ王国第一王女、コルナ・シオロ・リ・アロバは勇者として魔王討伐に参ります」
コルナは喜色を満面に浮かべていた。
「う、うむ……では改めて勇者コルナよ。お前に開祖シオロが使いし聖剣エネゲイルを授ける」
侍従が二人掛かりで運んできた豪華な装飾が施された箱が開かれた。
玉座を立ったパナポス国王は中にあった幅広かつ美麗な剣を握るとコルナに差し出し、コルナはこれを恭しく受け取った。
「これが……聖剣エネゲイル……」
コルナは立ち上がって聖剣をかざす。
「おお、まさに勇者の誕生だ」
クンゾォ大司教は感に堪えたように呻いた。
第一王女コルナがケドリア神の神託により勇者に任ぜられ、東の地に現れた魔王討伐に向かう事は翌日には剣士達の間に広まっていた。
「姫様が勇者とは……」
特にコルナ付き護衛剣士隊の面々は騒然としている。
「隊長、勇者とは一体……」
ボンギが恐る恐る尋ねるのをカティヌ隊長は呆れ顔で見た。
「何だ、アロバの民なら誰でも知っているぞ? 勇者とはケドリア神に認められ聖剣エネゲイルを持つ事を許された者。エネゲイルは魔の力を払い、魔王を打ち倒せる力を持つとされる」
「はぁ~凄いんですねぇ、って……でも良いんですか? 当然我々もお供するんでしょ? 準備とか」
コルナが魔王討伐の旅に出るのなら当然護衛剣士隊も同行するはず。
ボンギは魔王言々よりも旅の予感に僅かに心を躍らせた。
「……我々は姫様……いや勇者コルナ様に帯同はしない。留守居だ」
カティヌ隊長の苦々しく言った言葉にその場にいた剣士達が色めき立つ。
「な、何でです隊長!?」
「神託では開祖アロバ様の故事に則ってとあったそうだ。開祖アロバ様は従者一人を連れ魔王討伐に向かったとされる」
「そんな……」
「勿論、俺も注進はしたさ。だが神託は絶対だ。それに我々の力では魔王には太刀打ち出来ん、足手纏いになるだけだと」
「そんな……」
「ならばせめてその従者にとも言ったがこれも退けられた……」
カティヌ隊長がきな臭い顔を浮かべる。
「コルナ様は大丈夫なのでしょうか」
「神託は絶対であり、我々はこの国の剣士だ。後はコルナ様を信じるしかあるまい」
「隊長……」
ボンギが今にも泣きそうな顔だ。
そんなやりきれない護衛剣士隊々員達の思いを余所に旅立ちの日は来た。
「よしっ」
侍女たちに新調した純白で美麗な装飾の施された軽装鎧を着せてもらい、背中に鞘に収めた聖剣エネゲイルを背負うと外套に身を包む。
「お姉様、とても素敵ですわ。まさに勇者様と呼ぶにふさわしいです」
脇で支度の様を見ていたセソワが手を組みながら褒めそやした。
「そうかい? 変じゃないかなぁ」
コルナが照れくさそうに自分の身なりを見ながら応える。
「ちっとも変じゃありません」
「そう、ありがとうねセソワ」
「……お姉様、無事に魔王を討ち果たして戻ってきてくださいましね」
目に涙を浮かべ心底心配そうな顔でセソワがそう言うと、コルナはその手を取り、
「うん、必ずボクは魔王を討ち取って帰ってくるから、留守は頼むよ」
「はい」
セソワはコルナの手を握り返した。
セソワと共に玉座の間に出発の挨拶に訪れたコルナは一人の男が蹲るように土下座しているのを見た。
「父上……いえ国王陛下、この人は?」
「うむ、お前の従者となるブニオンだ。ブニオン、挨拶をせい」
「はっ、勇者コルナ様にお仕えする栄を賜りましたブニオンと申します」
中肉中背というよりやや太り気味の男が顔を上げる。
見るからにお人好しそうな顔はなるほど従者にぴったりと言えた。
「このブニオン、こう見えて世事は勿論、剣技の腕前も長けている。お前に同行する従者にうってつけの者だ」
「ふうん、ちょっと腕試ししていい?」
そう言ってコルナは背中の聖剣エネゲイルを抜こうとする。
「やめんか。このブニオン、セソワがわざわざ推挙した者だぞ?」
「え? セソワが?」
「はい、お姉様のせめてもの助けになればと伝手を頼って……」
「そうか、セソワの推挙なら間違いないね」
心配顔のセソワにそう言ってコルナは再び跪く。
「全く、聖剣エネゲイルはむやみに抜いて良いものでは無いぞ?」
パナポス国王は深いため息をついて咎める。
「申し訳ありません。では国王陛下、コルナ・シオロ・リ・アロバはこれより魔王討伐に向かいます」
「うむ、首尾よく魔王を討ち果たすのを期待しておるぞ」
「はいっ」
コルナの明るい声が響いた。
ブニオンと共に城を出たコルナは、馬車の周りにコルナ付き護衛剣士隊の面々が騎馬で整列しているのを見て驚きの声を上げた。
「みんな、どうしたの?」
「はい 我々コルナ様付き護衛剣士隊は勇者コルナ様の護衛をブルゴシンの途中まで許可されました」
カティヌ隊長がよく通る声で応えた。
ブルゴシンは王都カロルデの隣にある街だ。
「カティヌ隊長……」
「本来なら我々一同、勇者様……いえ姫様に付いて行きたかったのですが……」
そう言うカティヌ隊長の脇でボンギはもう泣いていた。
「ありがとう、隊長、みんな。でもボクは大丈夫。必ず魔王を討ち取って来るから」
「はっ」
「姫様、宜しいでしょうか?」
御者台に乗ったブニオンが声を掛けると、
「じゃあみんな途中までだけど宜しくね」
笑いながらそう言って馬車に乗り込む。
馬車が動き出すと、すかさずカティヌ隊長の騎馬を先頭に剣士隊の騎馬が馬車を取り囲んで進む。
遠ざかっていく白鳥城を振り返って見ていたコルナは城で手を振っている人影を見た。
多分セソワだろう。
「セソワ……必ずボクは魔王を討ち取って帰ってくるから」
そうつぶやいたコルナを乗せ、馬車は西へと向かっていった。
目指すはブルゴシン、その先にある貿易国家オラシャント。
そして魔王ダンガ・マンガがいるという東の地。





