第百三話 機甲聖堂レミュクーン
ギャアアアアアアアン!
悲鳴にも似たけたたましい音を響かせ、『それ』はまさに魔方陣から捻り出ようとするように現れた。
ボトリと言った感じにそれが産まれ落ちた途端、軋むように振動していた魔方陣は霧散して消滅した。
異形の物体の凄絶な出現にウビル騎士団長を始め神聖騎士団の騎士達は一様に立ち竦む。
『それ』は異様としか形容しがたいモノだった。
上半分は壮麗な造りのまさに聖堂。
四方を前が角、後ろが円の塔でかこまれており、屋根は無くアーチ状の壁が五枚。
その奥には祭壇があり、中央に箱状の祠が鎮座している。
一見すると結婚式場にあるチャペルにも似ている。
だが奇妙なのは祠の後部に無数の管が乱雑に立っている事だった。
パイプオルガンのそれにも似ているが肝心のオルガン本体は無く、祠に繋がれているようだ。
だが下半分からはは甲殻類か蜘蛛を思わせる太い瘤のような脚が八本生えており、壮麗な上部構造物と正反対の醜悪ささえ感じさせるような威容を晒している。
まるでチャペルを背負った巨大なヤドカリ。
だがそれが表しているのは言わば天国と地獄。
聖と邪そして陽と陰。
ダイゴがウルマイヤに与えた力。
破壊と再生の殿堂。
聖魔法、そして土魔法の権化。
それが機甲聖堂レミュクーンだ。
その威容を振り向きながら愛おしそうに見ていたウルマイヤが再びウビル達の方に向き直ると静かに口を開く。
「溶明」
途端にそれから金色の鎖が二本、ジャラジャラと伸びてウルマイヤに絡みつくとそれの中にウルマイヤを引き摺り込んでいく。
中央にある祠にウルマイヤが収まると、更に無数の鎖が絡みついていく。
ウルマイヤは聖母像の如く胸の前で手を交差し、目を閉じたまま祠に絡め取られた。
『機甲聖堂レミュクーン起動。これより神敵齊散を開始します』
ウルマイヤの歌うような声が辺りに響く。
だが当のウルマイヤは目も口も閉じたまま。
ハッと気がついたウビル騎士団長が号令を掛ける。
「か、構わん! ウルマイヤを引きずり出してたたき壊してしまえ!」
「はっ!」
抜剣した騎士達がレミュクーンに殺到する。
『神聖領域展開』
レミュクーンからウルマイヤの声が響くと周囲に紫の魔法陣が広がった。
『音響兵器 神聖楽濫』
ヴォオオオオオオオオオッ!
後部の何本も突き出した管から汽笛のような音が響く。
「ギャアアアアアアッ!」
「アギィィィィィッ!」
先頭を走っていた騎士達が突如頭を抱えて苦しみ始めた。
「な、何だ……」
あまりにも異様な光景に後続の騎士たちが躊躇するように馬を止める。
ヴォオオオオオオオオオッ!
「アギャアアアアア!」
「ヒギィイイイイイイッ!」
再び鳴った汽笛のような音に耐えきれず先頭を進んでいた騎士達は次々と落馬して地面に落ちていく。
「アアアア……み、見えないぃぃ」
もがき苦しんでいる騎士は目や鼻から血を吹き出している。
「い、一体どうしたというのだ……」
後方で見ていたウビルが唸った。
「あの奇怪な物体が出す音が原因かと……」
「だ、だが我々は何とも無いぞ……一体……」
ウビル達だけではない。
もがき苦しんでいる騎士達が乗っていた馬も平然とその場に佇んでいる。
不可解といえばあまりにも不可解な現象だった。
「と、とにかく攻めましょう。数で押せば……」
「う、うむ。突撃! 突撃せよ!」
副団長ミディジンの進言に頷いたウビルが声を上げる。
その合図に一斉に神聖騎士達がレミュクーンに向かった。
ヴォオオオオオオオオオッ!
「ヒギャアアアア!」
「アギイイイイイイイッ!」
だが再びレミュクーンからけたたましい音が鳴り響くと次々と近づく者から血を吹いて倒れていく。
と、異変が起こった。
それまで地面でもがいていた者達がヨロヨロと立ち上がった。
彼等を踏まないように巧みな手綱捌きで進んでいた騎士がその様子に声を掛ける。
「おい、大丈夫……グェッ」
騎士の喉元に剣が刺さっていた。
「な……がっ!?」
その様子に驚いた別の騎士にも剣が刺さる。
その騎士が見たのは目に緑と白の不気味な模様が蠢いている騎士の顔だった。
「アガガガ……見えない……聞こえない……」
起き上がった騎士達は次々に仲間の騎士に襲いかかっていく。
「お、おい、止めろ!」
「俺だ! 分からないのか!?」
止むなく応戦する騎士も出始め、あちこちで同士討ちが始まっていた。
「な……何と言うことだ……」
「ウビル様、このままでは……」
ミディジン副団長が恐る恐る言った。
「ぬうう、皆を一旦下がらせろ! 聖魔兵を出せ!」
「し、しかし!」
ここで聖魔兵を出せば神聖騎士達を巻き込む恐れがある。
それに前回の戦いで辛酸を舐めさせられた聖魔兵にウビルは信を置いてなかった。
だが、この状況下ではそんな事を言ってはいられない。
寧ろあの木偶の坊にはうってつけではないか……。
ウビルは後方、アマドの脇に他の神官たちと戦況を見ているペルドをちらと見て言った。
ペルドは神官服の頭巾を深く被っていて表情を伺い知ることはできない。
だがウビルには先日罵倒された屈辱が蘇った。
アマド様の息子とは言えあのような青二才が……見ておれよ……。
「このままでは共倒れだ! ええい構わん! 早く出せ!」
直ちに後方に置かれていた聖魔兵の魔石に始動用の魔力が注がれ、レミュクーンを攻撃目標に設定する。
ブポォン!
次々と聖魔兵が槌を持ってレミュクーンに向かっていく。
「早くソッチも起動しろ!」
司祭が奥に立っている二体の長身の聖魔兵にかじりついて始動用の魔力を注入している司祭に言った。
「こっちは起動に時間が掛かるんだ! よし、目標設定!」
「待て!」
司祭が魔力を注入する寸前、別の司祭が声を掛けた。
「な、何だ!?」
「その二体はアマド様を御守りするように設定せよとのことだ」
「誰の命令だ!?」
「勿論アマド様に決まっているだろう!」
「わ、分かった!命令変更、アマド様を御守りしろ」
ピゴォーン!
普通の聖魔兵に比べ双眼と、幾分人らしい顔つきの特型聖魔兵の目が光り、槌では無く巨大な剣を持つとやはり演台のアマドの方に向かっていく。
「下がれ! ここは聖魔兵に任せて一旦下がるのだ!」
ウビルの号令で神聖騎士達が慌てて下がっていく。
入れ替わりにレミュクーンに向かった聖魔兵達は異常な姿で動き回る騎士達を槌で吹き飛ばす。
「アギャアッ!」
「ウギィイイッ!」
聖魔兵には指定された物体に対して指定された攻撃をする能力しかない。
味方を識別して攻撃を避けるなどという高度な事は出来ず、それがミディジン副団長が危惧した事だった。
障害物としか識別されない騎士たちは槌の餌食になっていった。
「ウルマイヤァ……絶対に許さんぞぉ……」
あまりにも酸鼻を極める戦場に明確な殺意を燃やしながらウビルが唸る。
ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
ウビルの予想通り聖魔兵はレミュクーンの発する音をものともせず迫っていく。
「い、いけるぞ!」
ウビルの期待に弾んだ声と同時に先頭の聖魔兵が槌を振りかぶり、レミュクーンに振り下ろす。
ガアン!
大きな音が鳴り響いた。
「やっ……たぁ?」
ウビルの快哉が途中で遮られた。
レミュクーンの前面から腕が展開し聖魔兵の槌を握って受けていた。
ゴゴンゴゴン
聖魔兵が槌を外そうとするが握った手はビクともしない。
逆にレミュクーンの腕が動き、槌が聖魔兵の手からもぎ取られる。
ゴキャン!
そのまま頭部に槌を突き込まれ聖魔兵は仰向けに倒れて停止した。
だがなおも聖魔兵はレミュクーンに殺到する。
あと百九十九体いるのだ。数で押せば……。
ウビル、そして脇を特型聖魔兵で護られたアマドも固唾を飲んで見守る。
と、レミュクーンからウルマイヤの声が響いた。
『神敵懲散 聖痕甲撃』
後ろの円柱状の物が水平に動き始めその先端に紫の魔法陣が現れた。
ドドン!
そこから高速で何かが撃ち出され、先頭の聖魔兵が直撃を食らって倒れる。
「!?」
ウビル、そしてアマド達も何が起こったのか理解出来ずに口を開けた。
倒れた聖魔兵は胴体に大穴が開いている。
ドンドンドンドンドンドン!
ドンドンドンドンドンドン!
左右の円柱からさながら機関砲の様に発射される物体によって次々と聖魔兵が吹き飛ばされていく。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!
円柱からの発射感覚は徐々に短くなり、殆どバルカン砲の様な速射状態で次々と聖魔兵を薙ぎ払っていく。
やがて円柱が動きを止めると周囲には破壊された聖魔兵の残骸と巻き込まれた神聖騎士達の骸が横たわっている。
だが、レミュクーンが紫の光を発すると倒れていた神聖騎士達が再びモゾモゾと動き始めた。
「あああ……ああ……」
「み……見えない……」
目が不気味な色に蠢いている騎士達は呻きながら剣を握り、仲間達の方に向かっていく。
既に大半の聖魔兵が動きを止め、その残骸の合間では神聖騎士同士の地獄絵図が繰り広げられていた。
斬り殺された者も紫の光に当たると息を吹き返し、仲間の神聖騎士に襲いかかる。
「も……モモモォ……」
「う……うわあああああああ!」
首を繋げようともがいている仲間を見て恐慌に駆られた騎士は剣を放り出して逃げ出した。
瞬く間にそれは生き残った騎士達に伝播していく。
「お、おい! 逃げるな! ええい、それでも栄光ある神聖騎士かぁ!」
ウビルが吼えるが騎士達は騎馬で、あるいは脱兎の如く駆けて逃げていく。
「逃げるな! 逃げる奴は斬……」
叫びながら剣を抜いたウビルの目前にレミュクーンが舞い降りた。
「あ……あ……」
『ウビル騎士団長、最後のお願いです。これ以上無用な血を流すのは止めて、我が神に贖罪してくださいませんか?』
眼前の異様な物体からウルマイヤの歌うような声が響く。
「ふ、ふ、ふざけるな! 儂に神がいるとすればそれはアマド様だ! アマド様こそ聖魔法を正しくお導きになる神なのだ!」
周りを神聖騎士達が取り囲む中、ウビルは眼前の物体の奥で目を瞑ったままのウルマイヤに吠えた。
『……そうですか』
上空にも巨大な紫の魔法陣が出現した
『天罰覿面・聖浄煉慈』
ブウウウウウウウウウウウウン!
天と地の二つの魔法陣の間に低い共鳴音が鳴り響く。
「な……な? なああぎゃあああああああああ!」
突如ウビルやその周囲の騎士たちがもがき始めた。
それは今までの神聖騎士達のそれとは全く違う、宙を掻き毟るようなもがき方だ。
「あああああああああああアアアアアアアアアパァッ!」
一瞬ウビルの体が大きく膨らみ、
パン!
と音を立てて弾け飛んだ。
カナル・セスト達改革派や中道派の神官は、祭壇の上で神聖騎士団と聖魔兵が壊滅していく様をワン子達に守られながら見ていた。
自分の娘を飲み込んだ怪物が、屈強な神聖騎士や聖魔兵を次々と怪しい魔法で打ち倒していく。
ウビル騎士団長と護衛の騎士たちがもがき始めたと思った次の瞬間次々と破裂する様を見るに至ってはそのおぞましさに口を抑えてしゃがみ込む神官もいた。
「あ……あれは……」
「……あれこそが聖魔法の真の姿だ」
カナルの脇にいたアラルメイル神皇が重々しく口を開く。
神皇は不動の姿勢で目の前で繰り広げられる惨劇を見つめていた。
「そ、そんな! あれはまるで……まるで……」
「そう、悪魔の呪法である土魔法。だが聖魔法の癒しの力は即ち大地の癒しの力。大地は癒しや恵みをもたらしてくれるが同時に災いや試練ももたらす。それが世の理なのだ」
「では……我々のしてきた事は……」
「絶望するでない。神より力を授かった先達も大いに悩み、今に至ったのだ。理性を持って邪を封ずる。これもまた人の道理なのだ」
「猊下……」
「だが時が経てば邪に惹かれる者も現れる。アマドのようにな。ダイゴ帝は敢えてその恐ろしさを知らしめるためにアレをウルマイヤにお与えになったのだ」
「ウルマイヤ……」
カナルはそう呻いて娘を、生贄のごとく怪物に飲み込まれたままの愛娘を見た。
「カナル卿! アマド達が!」
呆然としていたカナルはジャランチ卿の声で我に返った。
見ればアマド達が一回り大きな聖魔兵に囲まれて広場を去ろうとしている。
「な、逃げるつもりか!」
カナル達はすぐに追いかけようとしたが、すらりとした腕が伸びてそれを制した。
「問題ありません。我が主にお任せを」
レミュクーンを見ながらワン子が平然と言う。
「な、ダイゴ帝が?」
「そうそう。全く問題ない……にゃ」
アラルメイルの横で後ろ手に腕を組んでいたニャン子も頷く。
「そうじゃのう。さて、後始末は卿達の仕事ぞ」
「わ、わかりました……」
妙にニャン子と親し気なアラルメイルの言葉にカナル達は戸惑いながらも頷き祭壇を降りて行った。
アマド・ファギと保守派の神官たちは特型聖魔兵に護られた馬車に乗って広場を抜け、西門に向かおうとしていた。
西のキンブイに行き、そこでドンギヴの用意した船に乗って西のマルオラ神皇国に逃げるつもりだった。
既に船には相当の財を積んである。
「おのれ……ダイゴめ……」
怒りに顔を真っ赤にし、ダイゴへの呪詛を吐きながらアマドは馬車へと急ぐ。
先行していた五人の保守派の神官がアマドの到着を待っていた。
「アマド様! お急ぎを!」
「うむ、ん?」
見ればペルドが馬車の脇で蹲って震えている。
「ペルド! 早く馬車に乗らんか! 急げ!」
だがペルドは頭を抱えて蹲ったままだ。
「ええい、しっかりせんか! この臆病者……」
ペルドを無理矢理引き起こしたアマドは、その顔が全くの別人なのに驚いた。
「な、何だ貴様は!? ペルドはどうした!?」
「ぺ、ペルド様はさ、昨日気分が優れないので代わりに出てくれと……」
「な、何だと!? そ、それでペルドは!?」
「わ、私にはわかりましぇん……」
「ぬうう、ま、まさか……」
アマドはペルドの身代わりを突き放すと西の方を睨んだ。
「儂を見捨ててとうに逃げたというのか……」
薄笑いを浮かべるペルドの顔が浮かび、続いてドンギヴの顔が浮かんだ。
まさか彼奴が手引きを……。
「早く馬車を出せ! 急ぎここを離れキンブイに向かう!」
ペルドの偽物を突き飛ばすとアマドが配下の司祭に叫ぶ。
と、
「そうはいかねぇなぁ」
周囲に声が響くと眼前にダイゴが湧き出るように現れた。
「ぬうう、ダイゴ……貴様……」
「お前が逃げ出すのは分かってたんで頃合いを図ってたんだ」
「クウゥ……何故だ、何故儂の邪魔を貴様自らするのだ? それが皇帝たる者のする事か?」
「何故って言われてもなぁ、まずお前はエルメリアをさらった。そんでもってウルマイヤを操って紛争をけしかけた。そんなとこだが十分だろ?」
「だ、だからといってこの様な……」
「回りくどいことをってか? そういう性分なんだよ」
全く悪びれずにダイゴが言った。
「き、貴様一体……何なのだ!」
「何って神の代行者だけど?」
「ふ、ふふふふざけるなぁ! この邪悪の徒がぁ!」
神の代行者と言われてアマドの怒りは頂点に達した。
自分が信じて敬ってきた神がこのような者を代行者にする筈が無い。
「隷属の首輪なんてのを陰で売り捌いて巨利を得ていた奴に言われたかぁ無いね」
アマドの雑言を手を振ってダイゴは返す。
「いけい! 特型聖魔兵よ! その邪悪な輩を討ち滅ぼせぃ!」
アマドの命令で二体の特型聖魔兵が前に出て剣を構える。
「ほう、こっちのは多少お利口さんみたいだな」
「ふん、貴様が幾ら奇怪な魔法を使おうとこの特型聖魔兵には通じんぞ!」
「やれやれ、その根拠の無い自信はどっから来るのやら。まぁいいか」
構えるそぶりも見せずにダイゴが言うと、それを合図の如く二体の特型聖魔兵が突進を開始した。





