第百一話 面会時間
『やめろ! これではセレオリアが死んでしまうではないか!』
『うるさい! 一刻も早く妹には復活魔法を……それが猊下の御為なのだ!』
『アマド! お前それでも兄か!?』
『それ以前に神官なのだ! 貴様こそそれでも猊下に仕える神官か!?』
『二人ともおやめください! 私は大丈夫です!』
『セレオリア……』
『よくぞ言った。それでこそファギ家の巫女よ……』
……ぎゃあ……おぎゃあ……
『うふ……貴方に似てるわ……』
『セレオリア……身体は……』
『大丈夫……貴方……ありがとう……無理を聞いていただいて……』
『何を言う……後はゆっくりと養生するんだ……』
『……この子……ウルマイヤには……是非……復活魔法を使えるように……』
『セレオリア……』
『ううん……そう思っても……顔を見てしまうと……駄目ね……幸せに……なって……』
『セレオリア?』
皇都セスオワ。
中央大神殿の地下にある牢にカナル・セスト達改革派とジャランチ・パルモ達中道派の神官は捕らえられたままだった。
実の娘に折られた腕はすぐに回復魔法で直したものの、カナル・セストは憔悴しきった姿で牢の隅に蹲っていた。
目を閉じれば浮かんでくるのは今は亡き妻のセレオリアと彼女が命を懸けて遺したウルマイヤの事ばかり。
あれから何日経ったのか、ウルマイヤは、アラルメイル神皇猊下はどうなったのか。
他の改革派の神官とも話が出来ない上、牢番には何を尋ねても答えようとしない。
まさに打つ手なしの状況だった。
だが、俄かに外が騒がしくなりカナルは顔を上げた。
「ふん、流石に自ら命を断つような真似はせんか」
扉の向こうにアマド・ファギがいた。
「……娘はどうした」
怒りを込めた目で睨みつけながらカナルは唸る様に言った。
「ふん、さてな。今頃はどこぞの男の下で鳴き声を上げてるだろうよ」
「貴様……」
「娘の事などより自分の身を案ずるべきだな。明日、貴様は殉死の栄誉を賜る事になった。喜ぶがいい」
そのアマドの言葉にカナルはガバッと身を起こした。
「殉死!? 殉死だと!? 神皇猊下に何があった!?」
「誠に残念ながら先日崩御為された」
「な……馬鹿な……」
「クビル卿が弑逆したよ。お前達改革派にそそのかされてな」
「な……ア、アマド……貴様……まさか……」
カナルの声が、身体がブルブルと震える。
「事前に猊下に呼ばれ、儂は次期神皇の宣託を受けた」
「貴様……何と言う事を……」
「安心しろ、お前もすぐに猊下のお供をさせてやる、楽しみにしておれ」
「待て! アマド! 待たんかぁ!」
扉に齧りついたカナルを無視してアマドは去っていった。
防音も兼ねた三重の分厚い扉が閉まっていく。
「何と言う……愚かな……」
扉の前でカナルはガクリと膝をつく。
「全くだな」
不意に背後から声がして驚いたカナルは後ろを振り向いた。
そこに黒髪の男が立っていた。
「初めまして。カナル・セスト卿。お静かに願いたい」
男は唇に人差し指を当てて言った。
「……もしかして、ダイゴ・マキシマ帝で?」
訝しんだカナルが小声で訊いた。
「あたり」
屈託のない笑顔でそう言った男にハッとしたカナルはその場に平伏した。
「この度は我が娘が大変無礼を働いたと、何とお詫び申し上げれば……」
「ああ、良いって良いって。事情は分っているし、ウルマイヤは今俺の所にいるから」
「な……で、では……」
「ああ、まぁさっきあのジジイが言ってた事はあながち間違ってはいないがな……」
頭を掻いてダイゴが言った。
「そ、それでダイゴ帝、今一体どのような事態に……ウルマイヤは……」
「ああ、ウルマイヤはちょっと頼みごとをしてもらってて連れてこれなかったんだ。それで……」
ダイゴはウルマイヤが使者として着た事からボーガベルが聖魔兵を擁したムルタブス軍二万五千を打ち破った事まで順序だてて話した。
「何と……ではアラルメイル猊下は……」
「ああ、アンタの考えている通りだ」
「そうですか……」
そこで大きく息を吐いた。
「それで、私をここから出して頂けるのでしょうか」
当然カナルはダイゴが自分を救出に来たものだと思っていた。
だが、返ってきた答えは違った。
「それは今は駄目だ」
「な、何故でしょう?」
「まぁウルマイヤの会談の時もそうだったんだが、迂闊にアンタ達を連れ出してアマド達が何を仕出かすか分らない」
「それは……」
「俺のとこには優秀な参謀がいてね。大概の奴の行動様式を特定することは出来るんだ。だが、一つに絞り込む事は出来ないし、相手が頭が悪けりゃその様式は多くなり、時には予想外の事も仕出かすもんなんだよ」
「……」
カナルは押し黙った。
確かに神官であるアマドがアラルメイルを弑逆するなど、同じ神官であるカナルには絶対ないと思っていた。
だがアマドはその凶事に手を染めた。
「まぁ、あくまでも建前でね。本音は俺はエルメリアを攫ったアマドのジジイが大っ嫌いなんだよ」
「は?」
「だから、アイツが鳩が豆鉄砲喰らったような顔をするのが見たくってこうやって色々面倒くさいことやってるんだ。悪いかね?」
「い、いえ……」
仮にも一国の宰相であり、神に勝手を許された代行者が、何とも俗な事をまじめ顔で語っている。
「それにこちらも仕掛けを張ってあるんでね。それにアイツらを乗せたいのさ」
ダイゴが悪戯っぽく笑うのに釣られるようにカナルの顔がふっと緩んだ。
「全く、ウルマイヤを喰いにきたアイツのポカンとした顔は見物だったぞ……って、こんな事父親のアンタに言っちゃ悪いか……」
思い当ってばつが悪そうに頭を掻いたダイゴに、
「いえ、元より娘は帝に献上するつもりでしたので……」
カナルがそう言うとダイゴはドカッと座り込むとまじめ顔で聞いた。
「ああ、それなんだけどさ。アンタ本当に娘を献上するつもりだったのかい」
カナルはダイゴの質問の意図をすぐに察した。
「政の道具としてなら私は猊下の御為には反対でした。しかし、恐らくは我が妻セレオリアの事を慮って頂いたのでしょう。猊下がウルマイヤの献上をお勧め下さったのです」
「奥さん?」
「はい、我が妻セレオリアはアマド・ファギの妹で……」
「げ……」
意外な関係と言うよりは、アマド・ファギが自分の姪を手籠めにしようとしていた事実に声を上げた。
「当時のアマドと私は昵懇の仲で、セレオリアと三人で良く語らっていた物です」
「はぁ……」
ダイゴの脳裏には何故か男女三人がフォークソングをバックに自転車で高原を走ったり、白樺のペンションで白いフォークギターをつま弾きながら歌っているアナクロ丸出しな光景が思い浮かんだ。
「セレオリアは生まれつき身体の弱い娘でした。しかし当時ムルタブスではエドラキムの大進攻によって甚大な被害を被り、復活魔法はおろか回復魔法を使える巫女姫や司祭すら殆ど失う有様だったのです」
ため息を一つついてカナルは続ける。
「聖魔法の素養がある者は極一部です。可能性のある者は召集され厳しい修業が課せられました。その中にセレオリアもいました。彼女は兄であるアマドの指導の下、特に復活魔法が使えるように厳しい修練をしていたのですが……」
「……」
「無理が祟って身体を壊した彼女は巫女姫になるのを諦めました。私は彼女を娶り、そして彼女の命と引き換えにウルマイヤが産まれました」
「聖魔法はどうしたんだ」
「ダイゴ様、聖魔法も万能ではございません、特に病や老いに関しては使っているうちに効きにくくなり、やがて効かなくなる事もあるのです」
以前のアラルメイルがそうだったように元からの身体が弱かったり、病によっては何度も使って耐性が付くと次第に効かなくなってくるのが聖魔法に於いての治癒や回復の魔法であった。
「そうか……それで奥さんの遺志を継がせようと?」
カナルは首を振った。
「ウルマイヤもそう思ったのか自ら望んだ修行の末に復活魔法を会得しました。しかし……」
『幸せに……なって……』
セレオリアの今際の言葉が蘇る。
「私は神官の前に父親でした。娘の幸せを願ったのです」
それを聞いたダイゴは黙って頭を下げた。
その意図を察したカナルも黙って頭を下げる。
「俺はアンタをムルタブスの代表として言質を取りに来た」
「分かりました、どうかムルタブスをお救い下さい」
頭を上げて言ったダイゴに頭を下げたままカナルは言った。
「ああ、すまんがもうしばらくは我慢していてくれ」
「分かりました」
「さて、そろそろ牢番が目を覚ます頃だからお暇する。これは差し入れ。じゃあ」
そう言ってダイゴは包みを床に置くと掻き消すように消えた。
「……」
カナルが包みを開けると中にミートローフのような物が入っていた。
ギュトビと言われる肉料理だ。
カナルの好物で、誰が作ったのかは察せられた。
ダイゴ帝か……確かに神の代行者であらせられるだけのお方だ……。
ウルマイヤが心を奪われたのも頷けた。
ならば……
大きく口を開けてギュトビを齧る。
カナルの目に希望の光が灯っていた。
皇都セスオワに戻ってきた軍勢はウビル騎士団長とその護衛の神聖騎士を除けば僅か百人余りといった有様だった。
地下牢から戻り報告を聞いたアマド・ファギ大神官は怒りで顔を真っ赤にした。
先程までの憔悴したカナルを眺めて得た清々しい気分など一瞬で吹き飛ぶほどに。
「何ということだ……」
まさかの切り札である聖魔兵の体たらく。
「ペルド! ペルドは何処だ!」
周囲の司祭達に怒鳴り散らす。
ペルドは既にセスオワに戻っている筈だった。
やがてペルドが現れ、アマドの前に跪いた。
「父上、如何なされましたか?」
「如何ではない! お前も聞いておろう! 何だあの聖魔兵の体たらくは!」
「ほう、体たらくと申しますと?」
父親の怒りなぞどこ吹く風、いつもと変わらぬ口調でペルドは答えた。
「分らぬのか! ボーガベル相手に成す術もなく破られていったというではないか!」
「ほほう、父上は私の造りに問題があると?」
「違うのか? では儂が納得のいくよう説明してみせい!」
「分かりました。まずはウビル騎士団長」
「はっ」
ペルドはアマドの脇で平伏していたウビル騎士団長に声を掛けた。
「報告は私も見ましたが、貴方は馬鹿ですか?」
「なっ!」
ズケリと言ったペルドの言葉にウビルのみならずアマドまでもが絶句した。
「聖魔兵の弩砲で進路上に突っ込んでくる敵を撃つ。これは私の授けた策ですが、その後、なぜ二射目を広角射線にしなかったのです? 私はそうしろと言った筈ですが」
「そ、それは……」
「広角射線で撃てば少なくとも前線にいた森人族の騎馬兵は掃討できたはずです。その上で相手の魔法人形兵に聖魔兵をぶつける。これで十分勝てた筈です」
「し、しかし茶猪族が……」
実際はその時点では茶猪族は相手の森人族達と拮抗していた。
それをわざわざ後ろから撃つ必要は無いと思えたからだ。
「何の為の傭兵です? 足止めして掃射するためでしょう? その機会を徒に逃し、敵兵の接近を許した。これはウビル騎士団長。貴方の失態ですよ」
「お、お待ちくださいペルド卿! しかし聖魔兵は……」
「ボーガベルの魔法人形に劣った。そう言いたいのでしょう。そんな事は十分に分ってます。そこで私はそれでも十分に対処できるようにドンギヴより買い求めた弩砲を与えたのです。キチンとした用兵を為していれば性能の劣る聖魔兵でも十二分に勝機はあった筈です」
ウビルは何も言えなかった。
ペルドの言っているのはあくまでも理想だ。
実際は突出してきた二人の騎士の速度の速さに聖魔兵は追い付けず、また簡単に破壊されていった。
弩砲ですら軽々と避けられ、全くの脅威になり得なかった。
「しか……」
「大方、自軍の数に溺れ、聖魔兵を推し立てれば造作もないと驕ったのでしょうが、それではバッフェやエドラキムと同じですな」
「ぐ……」
「ウビルよ、申し開く事はあるか?」
アマドが怒りを噛み殺す声で言った。
ウビルが無能の将でない事はアマドも十二分に分っている。
幾度となく起こったエドラキム帝国との紛争をウビルは何れも少数の兵で凌いでいたのだ。
しかし、今回の件はウビルを庇う訳には行かない。
確かに親衛騎士団を皇都に残し、その代わりに聖魔兵を置いた事でウビルの心に驕りや慢心があったのは確かだろう。
だがここでウビルを処分する事で引きおこる神聖騎士団の瓦解と言う最悪の事態は避けねばならなかった。
「ご、ございません……」
ウビルが喘ぐように唸る。
「だが、今、ムルタブスは危急存亡の時、貴様の失態は一時儂が預かる」
「ははっ、大神官様のご厚情、このウビル必ずや報いてごらんに入れます」
平伏したウビルは命を拾った安堵の息を吐きながらアマドに言った。
「アマド様、如何致しましょうや……」
デンボ・キドラ卿が不安の声を上げる。
「かくなる上は一刻も早く即位し、その上で講和だ。それしかあるまい」
「では……」
「うむ、あくまで神皇猊下暗殺はカナル達の仕業。神嘗の儀は予定通り同時に執り行う」
ボーガベルのバッフェやエドラキムに対する苛烈な戦闘ぶりはアマドも各地のラモ教徒を通じて知っていたつもりではあった。
まさかこれ程までに差があるとは……。
だが、アマドには一つ解せないことがあった。
ダイゴ・マキシマの行動が今一つ不可解なのだ。
当初、送り込んだウルマイヤを保護する物と踏み、それを持って我が国の使節を不当に拉致したとして糾弾する手筈を整えていた。
いわばエルメリア女王の件の意趣返し。
その後仮にウルマイヤの洗脳が解かれ、または薬が切れたとしてもそれはボーガベルの仕業と言い立てる事も出来る。
だが、ウルマイヤは保護されること無く帰国し、アマドの当初の目論見は外れた。
それが果たしてダイゴが分かっていてそうしたことなのか。
「何れにせよ、ダイゴ・マキシマはガラフデを攻撃した場合に応戦すると言ったのだ。ここセスオワまで進軍することはあるまいよ」
折角神皇になる、最高権力者となる絶好の機会。
それを逃すつもりはアマド・ファギの心中には微塵もない。
あらゆる方策を使ってでも切り抜けるつもりでいた。
「大神官様に置かれましてはご機嫌麗しゅう、ドンギヴ・エルカパス、お呼びにより参上致しまして御座りまする」
何時の間にかアマドの座る椅子の脇に奇矯な出で立ちの男が仰々しく跪いていた。
「ドンギヴよ、聞いていたであろう」
「はっはぁ~、此度の戦、まっことに残念至極に御座りまする」
「船の仕度は出来ておろうな?」
「勿論で御座います。茶猪族を乗せてきた船故少々臭いは我慢して頂きとう御座りまするが、快適な船旅をお約束いたしますで御座りまするよ」
「うむ、何時でも出立できるようにしておけよ」
「畏まりましたで御座りまする。ただお一つ」
「何だ?」
「万が一の時は無事大神官様にお越し頂かねばで御座りまするが」
「心配は要らん、であろう? ペルドよ」
「ああ、アレなら問題ありませんよ」
「それは何とも頼もしい限りですなぁ」
「神嘗の儀、いよいよ明日ぞ! 準備怠りないな!」
アマドは周囲の司祭達に声を張り上げた。
とにかく神皇に即位さえすれば後はどうにでもなる。
そんな自信だけが今のアマドの拠り所だった。
新帝国ボーガベル、天領カイゼワラ。
夕暮れが映える静かな湾に一艘の小舟が浮かんでいる。
その上には粗末な服を着て麦わらの帽子を被った老人が一人。
網を引き上げると浜へ向かって舟を漕ぐ。
浜には女が一人立っていた。
夕焼けと同じ様な橙色の髪が潮風に揺れる。
「どう? 獲れた……にゃ?」
女が尋ねると老人は魚を一尾投げて寄こす。
「儂もまだまだ漁師でやれるようじゃな」
老人が指さした樽の中には溢れんばかりの魚。
「ふっふーん、でも残念だけどお休みはここまで……にゃ。ご主人様からお呼びが来た……にゃ」
器用にクナイブレードで魚を捌き、身をペロリと食べながら女は言った。
「そうか、少々名残惜しいが仕方あるまいな」
老人は白い歯を見せた。





