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枝先の彼女【一年かけて季節を一周する短編集】  作者: 笠原たすき
百日紅

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24/32

百日紅( う )

 朝起きると、今日はびっくりするくらいさわやかだった。旅行に来た日の朝みたいだった。


 今日は、夏休み最終日だ。


 外に出ると、なんだかやけに一息の長い虫が、リイイイイイ、と鳴いている。そして、まるでそれにはり合うみたいに、ツクツクボウシが鳴いている。


 明日からは、また朝のさん歩はお母さんのたん当になる。だから、お姉さんと会うのも、きっと今日が最後だ。お姉さんに会ったら、そのことを言わなきゃいけない。


 そう思いながら、いつもの角を曲がった。


「ふみちゃーん」


 今日も、またいた。いつも通り、こいピンクのワンピースだ。けっきょくそれは、ずっとかわらなかった。


「おはよう! 今日は、いつもほど暑くないね」


「そうですね」


「ふみちゃんは、明日から新学期?」


 こっちから言わなきゃと思っていたら、お姉さんの方から先に、そう聞かれた。


「はい」


 この流れで、今日で朝のさん歩も最後だと言おうと思ったら、


「どう? 学校、楽しみ?」


と聞かれた。わたしは考える。


「うーん、お休みが終わっちゃうのは、ちょっとさみしいです」


「そっかあ、そうだよねえ。やっぱりお休みがいいよね。ねえ、ふみちゃんはさあ……」


 そして、お姉さんはいつもみたいに話をつづける。そしてそれが、けっこうはずんでしまう。今日でお別れだと、言わなきゃいけないのに。


「あ、あの、お姉さん……」


 言いかけて、次のしゅんかん、虫がぶうんと飛んで、わたしはキャっと身をちぢこませる。


「ハチ!?」


 わたしが目をつぶって、手を耳の横でぎゅっとしていると、お姉さんのやさしい声がした。


「だいじょうぶ、ふみちゃん」


 わたしはおそるおそる目を開けた。


「トンボよ」


 ◇


 けっきょく、言えなかったな。


 もう宿題もしなくていいのに、わたしはつくえに向かいながら、ぼんやりと考えた。けっきょくあの後、お姉さんがまた仕事に行く時間になってしまって、言えないまま帰ってきてしまった。


 まあ、でも、きっと、言わなくたってわかるはずだ。明日になったら、お姉さんも「そっか、今日から新学期だからふみちゃんはいないのね」と思うだけで、きっと、ただそれだけだ。


 ◇


 たった今日一日、ランドセルをしょって行って帰ってきただけなのに、せなかに何もないのがすごく軽々しく感じる。


 朝のさん歩がお母さんのたん当になった代わりに、今日からは夕方のさん歩がわたしのたん当になる。よっぽど暑い日じゃなければ、もう日が落ちる前でもだいじょうぶと、お母さんが言っていた。


 夕方は、朝とちがって、人が活動している。急にどこかから、へへへへっと男の人達のわらい声がしてびっくりしたり、どこかの家からテレビが大音りょうで流れてくる。せいふくの中学生と、すれちがったりする。


 でも、いつもの角を曲がっても、もちろんだけどお姉さんはいなかった。そして、そのままその道をずっと歩いて、行き止まりのT字路までとう着する。ソフィアがふしぎそうに、こっちをふり返った気がした。


 わたしは、車が来ないかかくにんしながらT字路を曲がると、道の先に、お姉さんがいた。


「あれー!? ふみちゃーん!?」


 わたしは、びっくりして、いっしゅん立ち止まってしまった。そして、ソフィアに引っぱられて、あわてて歩き出す。ソフィアはうれしそうにシッポをふって、クレープちゃんにかけよった。


「今日はこの時間なの?」


 お姉さんが聞いた。そっちこそ、と思いながら答える。


「ええと、今日から新学期なので……」


「そっか。学校始まったら、朝はしたくとかでいそがしいもんね」


「はい。それで、朝は母に行ってもらって、夕方は代わりにわたしが、ってことで……あ、ええと、夏の間は、夕方のさん歩は母がもっとおそい時間に行ってくれてたんですけど、もうそこまで夕方も暑くなくなってきたので……」


 お姉さんは、ふしぎそうにわたしの説明を聞く。それで、わたしはちょっとしどろもどろになった。うちの中の決まり事を他の人に説明しようとすると、なんだかややこしい。


「あっ、もしかして、さん歩って朝と夕方の2回行ってるの?」


 お姉さんは、なっとくしたように、でもおどろいたように聞いた。わたしは、言ってなかったっけ? と思いながら、


「はい」


と答えた。


「そうなんだ。どうしよう、わたし、1回しか行ってあげてなかった。さん歩って、2回行かないとダメなのかな」


 お姉さんは、心配そうにわたしにそう聞いた。またよけいな心配をさせちゃったかもしれない。わたしは、あわてて答えた。


「ええと、ダックスは元々しゅりょう犬だったのでさん歩もたくさんしてあげないといけないって聞いたんですけど、トイプードルは元々ペットとしてかわれてた品しゅなので、なのでそこまでじゃなくてもだいじょうぶかもしれないです」


「へえー、そうなんだ! 知らなかった!」


「そういえば、前のかい主の人は、どうしてたんですか?」


「あっ、前のかい主も、さん歩は1日1回って言ってた! じゃあだいじょうぶかあ。よかったー」


 お姉さんは、ホッとしたように言った。そして聞いた。


「これからは、毎日この時間にさん歩するの?」


「はい。まあ、うんと暑い日はもっとおそくなるかもですけど」


「そっか! わたしも今日からこの時間! おんなじだね!」


「はい……」


「じゃあ、行くね。さん歩の事、教えてくれてありがとね」


 そう言って、お姉さんはわたしに手をふって、そして帰って行った。わたしも歩き出す。


 でも、なんでお姉さんまでさん歩を夕方にしたんだろう。聞きたかったのに、聞きそびれてしまった。大人なんだから、夏休みとか関係ないはずのに。


 しかも、まだ夕方なのに、もうお仕事終わって帰ってきてるっぽい。本当に、この人は、何をしている人なんだろう。


 ◇


 学校が始まったと思ったらぎゃくに、夏が終わるのがさみしいと思ったのは何だったんだろうって思うくらい、毎日暑い日がつづいた。セミも、外へ出て耳をすませたらちゃんと鳴いている。お姉さんも、毎日そでなしのワンピースを着ていた。


 自分で言っていた通り、お姉さんはだいたい同じ時間にさん歩をしていて、いつもの角を曲がった所か、そのちょっと先あたりに毎日いた。


 だけど、あまりに暑い日は、気温や地面の温度を見ながら、おそい時間にお母さんと行くようにしたので、そういう日や、お母さんにさん歩をおねがいして友達といっしょに遊んだ日は、もちろんお姉さんとは会わなかった。でも、そんなときも、次の日会うとお姉さんは、何事もなかったかのように、いつも通りにせっしてくれた。そして、会うとやっぱりいつも通り色々としつもんされる。


「――それで、その席が近くなったゆい()ちゃんって子、大人しくてあんまりみんなと話したりしない子だったんですけど、話してみたらけっこう面白くて、今度いっしょに遊ぼうってなったんです」


「へえー! ふみちゃんはふだん、お友達とはどんなことして遊ぶの?」


「えっと、ゲームしたり、マンガ読んだり……あ、でも、ゆい子ちゃんと今度遊ぶときは、いっしょにピアノひこうって約そくしました。ゆい子ちゃん、ピアノ習ってて、すごい上手なんです」


「へえー、そうなんだ! ふみちゃんも、ピアノひけるの?」


「まあ、ゆい子ちゃんほどじゃないですけど。わたしも、去年まで習ってたので」


「そーなんだ! ふみちゃんピアノひけるんだあ! すごいねえ! ねえ、どんな曲ひいたりするの?」


「ええと……」


 お姉さんは色々な事をしつもんして、わたしはそれに答える。そしてお姉さんは、それに大げさにリアクションする。それは、今まで通りかわらない。


 ◇


 今日の給食は、ポークビーンズだった。


 久しぶりに食べて気づいたのだけど、わたしはポークビーンズがけっこう好きだ。ひたすら豆がたくさんあっておもしろい。その中でぜつみょうなバランスでお肉や他の野菜が入ってるのもいい。トマトも入っているけど、トマトはやっぱりきらいだけれど、これだったら全ぜん食べれる。給食でしか食べたことないけど、だからこそ、好きな給食って感じがする。


 と、いうわけで、ポークビーンズが、わたしの好きな給食第1いになった。そのことを、今日お姉さんに話そうと思う。


 今日はトンボが、めちゃくちゃ飛んでいる。だけどもう、見間ちがえたりしない。


 いつの間にか、左手をかにさされた。右手でリードを持って、左手をせなかにこすりつけながら、わたしはいつもの角を曲がって、その先のT字路を曲がって、道をずっと進んでいって、おかしいなと思っていたら、もう家まで着いてしまった。


 今日は、お姉さんはいなかった。


 ◇


「ふみちゃん、やっほー! 今日は学校どうだった?」


 次の日会うと、お姉さんはいつも通りに話しかけてくれた。


「ええと、今日は、運動会のおうえん合戦の練習をしました」


 わたしがいなかったときも、お姉さんは次の日何事もなくせっしてくれたから、お姉さんがいなかったときも、きっとそうするのがマナーなんだろう。わたしはいつも通り、その日にあったいろんな事の中から、テキトーに1こ持ち上げて答えた。そうするとお姉さんが、いつもテキトーに話をふくらませてくれる。


「へえー! おうえん合戦って、どんなことするの?」


「なんか、かけ声かけたり、あと、かえ歌とか、歌ったりします」


「そうなんだ! かえ歌って、どんなの?」


「ええと、わたしは赤組なんですけど、赤組のマスコットになってる赤い見た目のアニメキャラがいて、そのアニメの歌をかえ歌にしてて……」


 ちょっと歌ってみて、と言われたらいやだなあ、と思って、わたしは話題をそらす。


「あと、おうえんのうちわも作ったんです。家から古いうちわ持ってきて、そこに赤い画用紙をはって、画用紙には6年生が書いた赤組のキャラの絵が印さつしてあって……」


 お姉さんは、うんうんとうなずきながら、わたしの話を聞く。そんなお姉さんのすがたを見上げて、わたしは気がついた。


 お姉さんの耳には、今まで見たことがない、ピンクのイヤリングがしてあった。


 ◇


 今日も暑かった。運動会の練習は、体育館になった。


 でも、この時間はもうだいじょうぶ。気温や地面の温度をたしかめて、いちおうお母さんにも聞いてから、いつも通り家を出た。


 地面のあちこちでは、ピッピッピッピッピッという虫が、あちこちで鳴いている。


 後ろから、早足の大人達が、何人も追いこしていく。だけどわたしは、ソフィアの歩く速さに合わせる。ジャマにならないように、なるべく道のはじっこによって、ゆっくり歩く。


 今日は、いるかな。


 今日も、イヤリングしてるのかな。


 おとといいなかったことと、昨日イヤリングしてたこと、なにか関係あるのかな。考えすぎかな。


 そんなことを考えながら、わたしは歩いた。


 すると、向こうのへいのかげから、クレープちゃんのすがたが見えた。ここで見るのはめずらしい。いつもの角はまだ先だ。


 そして、よく見ると、クレープちゃんは歩いてなくて、地面にしゃがんでいた。歩くのがイヤで、しゃがみこんじゃったのかもしれない。ソフィアもたまにやるし。道がカーブになっているから、お姉さんのすがたはちょうど見えない。


「うーん、やっぱり、このへんじゃないのかなあ」


 すると、へいのかげから、お姉さんの声が聞こえた。ひとり言? それとも、だれかといるんだろうか。


 様子をうかがおうと思ったのだけど、先にソフィアの方が、クレープちゃんに気づいてかけよって行ってしまった。わたしはしかたなく、引っぱられるようについて行く。クレープちゃんも気がついて、リードがピンとのびるまでこっちの方に来た。


「あらふみちゃん、こんにちは」


「あ、こんにちは……」


 お姉さんに声をかけられて、わたしは顔を上げた。そしておどろいた。


 お姉さんは、知らない男の人といっしょにいた。


「こんにちは」


 男の人が、わたしの方を見て、そうあいさつした。


 きっと「こんにちは」と返さなきゃいけないんだろう。でもわたしはかたまってしまって、ただ頭をほんの少し下げただけになってしまった。わたしはお姉さんの方を見たけれど、お姉さんはなんだか地面の方を見ていて、わたしが見ていることに気づいていないみたいだった。


「あ……それじゃあ……」


 わたしはそう言って、歩き出そうとした。


「うん、またね」


 お姉さんも、それだけ言った。わたしは、まだ遊びたそうにするソフィアを引っぱって、その場を去った。


 しばらく歩いてから、心ぞうがドキドキしていることに気がついた。


 びっくりした。


 お姉さんがだれかといるのは、初めて見た。しかも男の人だった。


 だれだったんだろう。恋人だろうか。


 もしかしてだんなさん? だって、お姉さんがけっこんしてないとはかぎらないし。


 でも、それよりも、あんなにそっ気ないお姉さんは、初めて見た。


 あの人が恋人やだんなさんだったとして、それか、ただの友達とか知り合いだったとしても、とにかくどっちにしても、もっと何か言うかと思ったのに。この子はいつもさん歩で会う子なの。このワンちゃんは、ソフィアちゃんって言ってね、クレープととってもなかが良くってね、なんてぺらぺら言いそうなのに。


 わたしのことなんて、全ぜん見てなかった。


 いつもの角まで来て、わたしは少しだけふり返った。


 お姉さんのすがたは、へいのかげにかくれて見えなかった。

次回は、9月5日(金)16時頃の更新予定です。

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