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枝先の彼女【一年かけて季節を一周する短編集】  作者: 笠原たすき
百日紅

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百日紅( む )

「ケータイ、もう買ってもらえたの?」


 買ってもらったばっかりのケータイで早速えりちゃんに電話すると、えりちゃんはおどろいたように言った。わたしは、


「そうだよー」


とだけ答えた。


「たんじょう日プレゼントって言ってなかったっけ?」

「ちょっと早いプレゼントだって」


「ずいぶん気が早いねえ。でもよかった! これで色々電話できるね。あっ、そうだ! しくだいのことで聞こうと思ってたんだった。今いい?」

「いいよー、なになに?」


 わたしがそう聞くと、えりちゃんは、電話の向こうでゴソゴソ音を立て始めた。わたしは少しだけ、ホッとした。早く買ってもらえた理由を、それいじょう聞かれなかったから。


 しばらくしてから、えりちゃんはつづけた。


「えっとねー、読書感想文なんだけどさ、あの原こう用紙って、自分で買わなきゃいけないの?」

「ううん、もらったはずだよ。本物のじゃなくて、ふつうのプリントにコピーしたやつ」


「えー、そんなんあったっけー? ――あっ、これかあ! あったあった! ――あれ? これなんだ? なんか白いプリント出てきたんだけど。しょうらいのゆめってだけ書いてある」

「ああ。それは、しょうらいのゆめだよ。しょうらいのゆめを、字でも絵でもいいから書くんだって」


「えー、そんなん聞いてないよお」

「言ってたよお。夏休み中に考えてみてねって」


「ま、いっか。ゆめ書くだけならスグだし。それより、読書感想文めんどくさいなあ。何読もう」

「あ、まだ読んでないんだ」


「読むわけないよお。そんなヒマなかったもん」

「だったらさあ、読書感想文じゃなくても、物語か意見文でもいいんだよ」


「え、そうなの?」

「うん。どれか選べばいいんだって。わたしは物語にしたよ」


「そっかー。でも、お話なんて、わたしムリだよー。ふみちゃんはそういうのとくいだからいいけどさ」

「じゃあ意見文は? なんかテキトーに『地球にやさしくしましょう』的なこと書けばいいんだよ」


「それだあ! さっすがふみちゃん!」

「いやいや」


「ふみちゃんに聞いてよかったー。あのね、うちのお母さん、しくだいやらないと花火大会行っちゃダメとかゆーんだよ! ひどいでしょ」

「そうなんだ」


「ねえ、ふみちゃんは本当に花火大会行かないの?」

「うん。やっぱりやめとく」


「ふみちゃんだけでも、来ればいいのに」

「うーん……」


「まあ、気が向いたら言ってよ。――あ、ていうか、電話長くなっちゃってゴメンね」

「ううん」


「また、こっちからもかけるね」

「うん。じゃあ、またね」


 そして、わたしは電話を切ると、丁ねいにつくえにおいた。待ち受けには、めちゃくちゃかわいくとれたソフィアの写真を設定してある。それを見て、わたしは自ぜんとえがおになる。


 それにしても、えりちゃん、宿題だいじょうぶかなあ。ないようもあんまりわかってないみたいだったし。


 でも、そう言うわたしも、一つだけ、まだ全く手をつけられてないやつがある。


 ◇


「ふみちゃん、夏休みの宿題は始めてる?」


 次の日、お姉さんも宿題の話題だった。聞き方が「始めてる?」なのが引っかかるけど。もしかして、わたしが早く進めすぎなんだろうか。そう思いながら、わたしは正直に答える。


「ええと、一つだけできてないのがあるんですけど、それいがいは、もう終わりました」


 わたしが答えると、お姉さんはびっくりして言った。


「えっ、もう!? もうそんなに終わったの!?」


「まあ、いちおう……」


「すごいすごーい! がんばったんだねえ!」


「いや、そんなこと……、それに、のこりの1こは、まだ全ぜん手をつけられてないですし」


「そっかそっかー。その1こは、むずかしいの?」


「いや、そういうわけでも、ないんですけど……」


 わたしがゴニョゴニョしてると、お姉さんはたずねるような目をこっちに向けてきた。わたしはその目を見返した。


 なんとなく、お姉さんになら言ってもいい気がした。


「しょうらいのゆめを、書かないといけなくって……」


「そうなんだあ。ふみちゃんは、しょうらいのゆめってもう決まってるの?」


「はい。でも……」


 なあに? と聞かれる前にと思って、わたしはつづけた。


「それを、書きたくないんです」


 どうして? と聞かれる前にと思って、わたしはまたつづけた。


「知られたくないんです。先生にも、クラスのみんなにも。ていしゅつしたら、たぶんけいじされちゃうから……。でも、全ぜんみんなが知ってるような、メジャーなしょくぎょうじゃなくって、なりたいって思ったキッカケも、全ぜん、ヘンな理由で。ほら、おかしが好きだからパティシエになりたいとか、先生のじゅぎょうが面白いから自分も先生になりたいとか、そういうわかりやすいストーリー?みたいなのもないですし。きっと、そういうのの方が、先生受けもするだろうなって思うんですけど……」


 はずかしさをごまかそうと、わたしはついスラスラと話しつづける。どこまでが自分の本心で、どこからが勝手にただ出てきた言葉なのかもわからなかった。それをごまかそうと、わたしはまたつづける。


「おかしいですよね。自分のゆめなのに、言いたくないなんて」


 わらってほしいと思ったのだけど、お姉さんは反対に、すごく悲しそうな顔をしていた。そして言った。


「おかしくなんか、ないよ!」


 力強い声だった。


「それに、理由だって何でもいい! わかりやすいストーリーなんかじゃなくていい!」


 わたしが、ちょっとムキになっておこっちゃうときみたいな言い方だった。


「……お姉さんは、子どものころ何になりたかったんですか?」


「わたし?」


 お姉さんは、びっくりして聞き返した。そして、うーんと考える。


「わたしはねえ、ふみちゃんくらいのときは、特になりたいものとか、なかったなあ」


「そうですか……」


「ただね、覚えてるのは、やっぱりそんな感じの宿題が出て、何書こうって思ってたときに、たまたま家族で外食に行ったのね」


「はい……」


「そしたら、ごはん運んでくれた人が、とってもかわいい服着てたから、お母さんに『こういう人のことなんて言うの』って聞いて、『ウエイトレスさんって言うのよ』って教えてもらって、それでウエイトレスさんって書いたの」


「え、それって、本当にウエイトレスさんになりたかったんですか」


「うーん、そういうわけじゃあ、なかったかも。とりあえず、何か書かないといけなかったから」


「はあ……」


 そんなんでいいのかあ。わたしは、ちょっとヒョーシヌケした。


「あの、お姉さん……」


「ん?」


「その、ありがとうございます」


 わたしが言うと、お姉さんはまた、ちょっとびっくりしたみたいだった。


 ◇


 お姉さんと話してやる気が出たかもと思って、しょうらいのゆめを書き始めたのだけど、書き始めたらやっぱり進まなかった。ちょっと書いて、消して、書き直して、というののくり返しだ。それで、紙にはえんぴつの線を消したボコボコがいっぱいのこってしまった。下書きをすればよかった。でも、次で最後だから、と思って書いた文が、やっぱりうまく行かなかった。


 わたしは、とりあえずえんぴつをおいた。つくえの上には、消しゴムのカスが、たくさんちらばっている。なんとなく、そのカスをネチネチと集め始める。


 そういえば、けっきょくお姉さんは、その後ウエイトレスさんになったのだろうか。それとも、ちがうゆめを見つけたんだろうか。ていうか、お姉さんは、今何の仕事をしているんだろう。けっきょく、お姉さんの事は、何にも知らないままだ。


 そんなことを考えていると、ふと、セミの鳴き声が聞こえた。


 …………。


 なんで今さら、セミの鳴き声なんか気になったんだろう。セミなんか、いつも鳴いてたのに。


 え、鳴いてたよね?


 わたしはまどの方を見た。まどの外では、セミが、1ぴきだけ鳴いている。1ぴきしか鳴いていない。


 そのセミが、ジジジジジ、と言って、鳴きやんだ。そして、部屋には、エアコンと、空気せいじょう機の音だけがひびいた。


 いつの間に?


 いつの間に、こんなにいなくなってた?


 だって、あんなにいたと思ってたのに。いちいち意しきしないくらい、エアコンや空気せいじょう機と同じくらい、景色の音バージョンっていうくらい、セミが鳴いてるのが当たり前だったのに。


 なんていうか、こういうのって、もっと先かと思ってた。だって、まだ8月じゃん。夏休みだってまだのこってるのに。


 どうして気づかなかったんだろう。


 こんなことなら、もっとちゃんと、1日1日を、今日はまだ、ちゃんと夏だなってのを、もっと毎日、ちゃんと覚えておけばよかった。


 ◇


「今日は花火大会だね! ふみちゃんは行くの?」


 花火大会の日の朝、お姉さんはそう聞いた。わたしは首をふる。


「去年、ソフィアをおいて家族みんなで見に行ってたら、花火の間、ずっとこわがってほえてたみたいなんです。あとでおとなりさんから聞いて。だから、今年はうちにいて、ついていてあげようと思って」


「そうなんだ。それは、音がこわくてほえてたの?」


「だと思います。あと、やっぱりだれもいなかったから、よけいこわかったんだと思います」


「そっか……」


「クレープちゃんは、花火、こわがらないですか?」


 わたしが聞くと、お姉さんは、考えこんでしまった。


「どうだろう。だいじょうぶかな…………」


 自分の言葉で、大人が本気で心配することなんてあんまりなかったから、わたしはドキッとして、


「ごめんなさい、ヘンなこと言って」


と言った。すると、お姉さんは、


「ううん。教えてくれてありがとう」


と言ってくれた。


 ◇


 夜、ソフィアはわたしのひざの上で大人しくしていた。花火が次々に鳴っても、ほえたりすることはなかった。


 いい子だね、と言って、わたしはすべすべのせなかをなでる。


 えりちゃんからは、花火の写真が送られてきたけど、開く前だったり、しょぼんとしちゃったりしていて、あんまりうまくとれていない。


 やっぱり、音だけの花火は、ちょっとさびしかった。やっぱり、わたしも行っておけばよかったかな。


「文恵、ソフィアもだいじょうぶそうだし、後はお母さんにまかせて、お父さんと見に行って来たら?」


 すると、お母さんがそう言った。わたしの気持ちを、さっされたのかもしれない。


「坂の上まで行けば、きれいに見えるから」


「……まだ、終わらない?」


「終わらないよ」


 わたしが聞くと、お母さんはそう言って、ソフィアをそっとだき上げた。ソフィアは、お母さんのひざの上にちょこんとおさまった。


 わたしは立ち上がると、お父さんによびかけた。


「……早く行こう!」

次回は、8月29日(金)16時頃の更新予定です。

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