百日紅( ら )
「今日も暑いねえ。夏バテしてない?」
昨日、お姉さんがこれまで通りでほっとしたと思ったら、またこれまで通りのしつもんぜめが始まってしまった。カゼは引いたけど、夏バテとはちがうと思うから、わたしはだいじょうぶですと答えた。
「そういえば、ふみちゃんは、おぼんの間はどこかへ行くの?」
わたしは早速だまってしまう。「おぼん」がいつからいつまでなのか、実はよくわかっていない。聞くのもはずかしいし、と思っていると、
「ほら、旅行とか、おじいちゃんおばあちゃんちに行ったりとか」
とお姉さんが言ってくれた。
「あ、旅行は来週……おじいちゃんおばあちゃんちは、あさってから行きます」
ちょうどよかった。あさってからさん歩に来なくなることを言った方がいいか、まよっていたのだ。また心配されるといけないから。
「わあ! もりだくさんだね! 楽しみだねえ」
でも、お姉さんはもしかしたら、あさってになったらそんなことはすっかりわすれて「あら、ふみちゃんは今日はどうしたのかしら」なんて思いそうな気もする。
「おじいちゃんおばあちゃんちは、お父さんの方? お母さんの方?」
「あ……母方の方です。父方のおじいちゃんおばあちゃんは、近くに住んでて、よく日帰りで行くんです。先月も行ったばかりなので」
「そうなんだ。あさってからは何はくかするの?」
「あ、はい。2はくします」
「そっかー、楽しみだねえ。親せきの人も集まったりするの?」
「はい、おじさんとおばさんと、あとイトコが」
「イトコもいるんだー。いいねえ」
「あ、でも、イトコっていっても、もう大人なので……」
「そっかあ。じゃあ子どもは、ふみちゃんだけ?」
「はい」
「そっかあ。大人ばっかりなのかあ」
「まあ……あきたら宿題やったり、ソフィアと遊んだりするので。あと、お父さんがドッグランにつれてってくれたりするので」
でも、そう言ってから、今回もつれてってくれるかは分からないな、と思い直した。もう1人でさん歩も行けるようになったし、本当ならおじいちゃんおばあちゃんちのまわりの道を覚えて、自分でさん歩に行った方がいいのかもしれない。
◇
でも、お父さんは、今回もドッグランにつれて行ってくれた。
かいほうされたように走り回るソフィアをながめながら、お父さんは言った。
「つかれてないか?」
「だいじょぶ」
わたしは答える。少しちんもくしてから、わたしは言った。
「お父さん、毎回ゴメンね」
「何がだ?」
「いつも、ここまでつれてってもらってさ。運転するから、夕方までお酒飲めないじゃん」
「そんなことか」
お父さんはそう言って、麦茶を一口飲んだ。
「そんなの、文恵が気にすることないんだよ」
「でもさ……」
「本当に、いいんだ」
お父さんは、ヘンに力強くそう言った。
「ソフィアもよころんでる。お正月も、また来よう」
「うん」
今からお正月の話なんて。そう思ったけれど、わたしは言わなかった。
◇
3日ぶりに帰って来た自分の部屋は、少しよそよそしくて、フローリングのかたさにびっくりしながら、わたしは荷物をおいた。
わたしはリュックを開けると、あまり進まなかった宿題をつくえにもどして、おこづかいのうち自分で持っていていいと言われた3000円を引き出しにしまった。それから、イトコのお兄ちゃんにもらったハンカチを取り出した。もう見なくなった、小さい女の子向けのアニメの絵のやつだ。
急に、ぜったいそんなわけないのに、はみがきこのあまいイチゴ味が、まだ口の中にのこってるみたいな気分になった。
昔、おばあちゃんがわたしのために用意しててくれたイチゴ味のはみがきこは、いつまでたってもなくならなくて、わたしは、おじいちゃんおばあちゃんちにいくたびに、それを今でも使わなくちゃいけない。
「文恵ー! おふろわいたわよ!」
お母さんが、階だんの下から大声でよぶ。わたしは、そんなにあわてることないのにと思いながら、階だんを下りた。
◇
「おはよう、文恵ちゃん」
次の日の朝、ひさしぶりに、山口さんちのおじいさんとポチ君に会った。
「おはようごさいます」
とわたしが返すと、山口さんは、
「今日も早起きだねえ。暑いから気をつけるんだよ」
とだけ言って、去っていった。ひさしぶりのわりに、何も聞かれなくて意外だった。まあ、その方が楽でいい。
「あっ、ふみちゃーん!」
お姉さんは、角を曲がると、今日もまたいた。いつも通りクレープちゃんをつれて、いつも通りこいピンクのワンピースを着ている。
「ふみちゃんおはよー! 元気ー!?」
ああ、帰ってきたなあ。わたしは何だか、自ぜんにえがおになってしまった。
「はい、元気です」
わたしが答えると、お姉さんは少し何か考えるようにだまった。
「あっ、そっかあ! ふみちゃん、おじいちゃんおばあちゃんち行ってきたんだっけ!」
そして、思い出した! という感じで言った。やっぱりわすれていたみたいだ。
「どうどう? 楽しかった?」
「ええとまあ、ふつうです」
「そっかそっかー。何したの?」
「ええと……こーし園見たりとか」
「そっかあ! ふみちゃん、野球好きなの?」
「いえ、別に……おじいちゃんが好きなんで」
「そかそか。他には? 何かおいしい物、食べたりした?」
「あ、はい。おすしとか」
「おすしかあ! いーなあー! ふみちゃん、おすし好き?」
「ええと、まあ……」
「おいしいもんねえ。ふみちゃんは、おすしだと何のネタが好き?」
「ええと……」
わたしは少し考えた。「まあ」と答えたわりに、マグロもサーモンも、ねちょっとしていてそこまで好きじゃない。ああ、でもあれなら好きかも、と思って、わたしは、
「あ」
と言ってから、ちょっとだけ口をつぐんだ。
「ん?」
お姉さんが、こっちをのぞきこむ。わたしは、いっしゅんだけ考えてから、つづけた。
「ええと……エンガワ、とかが好きです……」
わたしがそう言うと、お姉さんは、
「あーわかるー! あれ、コリコリしておいしいよねえ!」
と、本当においしそうな顔をして言った。
「…………」
「あっ、ごめんね、なんかまた、話しすぎちゃって」
すると、お姉さんは急にそう言った。
「いえっ、その…………だいじょうぶです」
「そっかそっか、ならよかった。でもわたしも、お仕事おくれちゃうといけないから、そろそろ行くね」
「あっ、はい……」
「じゃあ、またね」
「はい……」
そうして、いつものしつもんぜめが終わって、わたしはまた歩き出した。でも、何かが引っかかっていた。
そして、家に着くちょっと前くらいで、はっと気がついた。気がついてから、今までのお姉さんとの会話を、たしかめるようにふり返る。うん、やっぱりそうだ。
お姉さんは、「しっかりしてるね」とか、「まだ小学生なのに」とか、「むずかしい言葉知ってるね」とか、ふつうの大人が言ってくるようなことを、全ぜん言ってこない。
そういう大人の人も、いるんだ。わたしはお姉さんを、ちょっと見直したと言うと上から目線になるけれど、感心したと言ってもやっぱり上から目線になるけれど、とにかくすごいなあと思った。
勝手に苦手に思って、ちょっと悪かったかもしれない。
◇
「ふみちゃんおはよー! 旅行はどうだった?」
旅行はあっという間に終わってしまって、旅行から帰ってきた次の日の朝、お姉さんは会うとそう言った。今度は覚えていたみたいだ。
「楽しかったです」
と、わたしは答える。
「そっかあ! よかったねえ! ね、ね、何したの?」
お姉さんは、夏休み明けのクラスメイトみたいなテンションで聞く。
「えっと、ぼくじょう行ったり、ボートに乗ったり、はく物館を見たり……あとおみやげ屋さんに行ったりしました」
「わあー、色々行ったねえ! ぼくじょうって何したの?」
「えっと、ちちしぼりしたり、エサやりしたり、バター作りしたり」
「へえー! バターってどうやって作るの?」
「ビンに牛にゅう入れて、こう、ずっとふって……」
「そうなんだー! ずっとって、どれくらいふってるの?」
「えっと、10分くらい、だったかな……?」
「へえー! 10分も! すごいねえ。それで、おいしくできた?」
「まあ……」
お姉さんは、ひさしぶりだからか、いつもより立てつづけにしつもんしてくる。それ聞いてどうするんだろうって事まで聞いてくる。
「そっかそっかー。他には何かおいしいもの食べた?」
旅行明けでねむくって、あんまり頭が動いてないのに。
「――それで、ふみちゃんは、何が一番楽しかった?」
「ええっと……」
やっぱりわたしは、この人が苦手だ。
次回は、8月22日(金)16時頃の更新予定です。




