百日紅( ね )
夏休みの宿題も、ちゃんと進めている。今日は、昨日お母さんと行った美じゅつ館のことを絵日記に書いて、算数のドリルを進めた。明日は予定もないし、自由研究をやろう。今日はもう終わり。ちょっと休けい。
わたしはベッドに横になると、思い切りのびをした。
ゆうびん配達のバイクの音が聞こえる。ゆっくり走って、止まって、またゆっくり走る。うーん、のどかだ。
「文恵ー?」
そこへ、お母さんが急に入ってきた。わたしは仕方なく起き上がる。
「あらやだ、ねてたの?」
お母さんはわたしを見ると、そう言った。
「ちょっと横になっただけー! さっきまで宿題やってたんだから!」
「はいはい。えりちゃんから電話よ」
お母さんは電話の子機をさし出した。だったら先に言ってよ。今の声、えりちゃんに聞かれちゃったかもしれないのに。そう思いながら、わたしは電話を受け取った。そして、もしもしと電話に出る。
「ねえふみちゃん、明日ヒマ?」
「うん、ヒマだよー」
「じゃあ市民プール行こうよ! 2人で!」
「えっ、明日!? しかも2人で!?」
「うん。だって、マコちゃんとかよぶと、みんなよばなきゃいけなくなっちゃうし」
「そりゃそうだけど……てか、そうじゃなくて、大人の人といっしょじゃなくていいの?」
「ふふー、知ってた? 市民プールって、4年生から子どもだけで行っていいんだって」
「そうなの? 知らなかったー!」
「わたしも、さっき知ったんだー。だからさ、いっしょに行こっ」
「行きたい行きたい! あーでも、お母さんに聞いてみないとなー。いっかい聞いて、またこっちから電話するね」
「オッケー。ところでふみちゃん、まだケータイ買ってもらえないの?」
「うーん、10才のたんじょう日に買ってあげるから待って、って」
「えー、たんじょう日って言ったら10月じゃーん。じゃあ、夏休みの間れんらくできないのかー」
「そうなのよー」
「なんか意外。ふみちゃんちお金持ちなんだから、ポンって買ってくれそうなのに」
「別にお金持ちじゃないし」
「ごめんごめん、言ってみただけ。じゃあ待ってるね」
「うん」
そして、わたしは電話を切った。えりちゃんは昔からなかいいけど、うちのことお金持ちってちゃかしてくることだけは気に食わないんだよなー。
でも、2人だけでプールか。わたしはふふっとわらうと、急いで階だんをかけ下りた。
◇
「いい? 知らない人に声かけられても、ついて行っちゃダメよ」
「そんなのわかってるって」
「こまめに休けいして、ちゃあんと水分を取ること」
「はあい」
「こまったことがあったら、かんし員さんに相談すること。それから……」
「もうわかったから! 待ち合わせおくれちゃうって!」
「はいはい。じゃあ気をつけて、行ってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
◇
こう衣室はむわっとしていて、ゆかのすのこはぬるぬるして気持ち悪い。わたしは急いで着がえると、お母さんにかりた日やけ止めを取り出した。冬をこした日やけ止めは、出口の所がかたまっていて、それをポロポロとはがしてから体にぬった。
「ふみちゃん、日やけ止めしてるんだ。えらーい」
「えりちゃんはぬらないの? シガイセンはオハダのタイテキよ」
「えー、じゃちょっとかして」
「はい、どーぞ」
「――ねーえ、それバーテンダーじゃん」
「へへっ」
「んふふっ」
「はい。じゃあ行こっ」
「ぬらんのかーい」
そんな風に言いながら、わたし達は日ざしの下に飛び出した。
◇
「わたしこーれ!」
そう言ってえりちゃんは、ガサガサとアイスを一本引きぬく。氷みたいな、ソーダ味のつめたいやつだ。
「わたしこーれ!」
わたしは、バニラ味のアイスバーの中に、パリパリのチョコが入ってるやつにした。そして、2人でレジに行き、それぞれお会計をした。
お店の外に出ると、包み紙をゴミ箱にすてて、コーラのロゴのベンチに2人で座った。そして、あっという間にとけ始めるアイスにかじりつく。
「んーっ」
「つめたっ」
「やっぱプールはここまでがセットだよねー」
「わかるー」
「てかさ、めっちゃスライダー乗ったよね」
「めっちゃ乗ったよね。何回乗った?」
「数えきれない回だよ」
「数えきれない回って」
「うちさー、親がいるとぜったいとちゅうで止めてくんだよね」
「あ、うちもうちも! 目ーまわっちゃうからとか言うんだよ!」
「目ーまわっちゃうとか、うけるー」
「ねー。そんなわけないのにさー」
「だからさー、今日はめっちゃ自由でさー、ほんと楽しかった!」
「ねー!」
それからちょっとだけむごんになった。アイスはあっという間に食べ終わってしまって、それでものこったアイスのぼうを、まだもったいなくてシューシューとすっていた。今日は、絵日記に書きたくないくらい楽しかった。
「あー!!」
すると突ぜん、えりちゃんが大声を上げた。わたしはびっくりして、えりちゃんの方を見た。
「清水先生だー!!」
え、こんな所に? と思いながら、わたしはえりちゃんが指さした方を見て、
「うわー! めっちゃ清水先生だー!!」
と声を上げた。
「やばくない?」
「やばいやばい」
「めっちゃスマイルじゃん!」
「顔テカってるし」
「あれやんのかな」
「あれって?」
「しみずー、やすおー、しみずー、やすおでごさいます」
「くふふっ」
「あははっ」
「あはははっ」
それから2人で、げらげらわらった。息が苦しくなるくらいわらった。
「あれー? ふみちゃーん?」
そこに、ななめ上から声がした。わたしはピタリとだまった。
「やっぱりふみちゃんだー!」
わたしは声のする方を見上げた。やっぱりお姉さんだった。
「なになに? 何か面白いことあったの?」
とお姉さんは聞いた。
「いえ、別に……」
別に、へいにはってある選きょのポスターが、たんにんの先生ににていたってだけだ。それをお姉さんに説明したって、何も面白くない。
「あっ、アイス食べてたの? 暑いもんねー」
お姉さんは、わたしが手に持っていたアイスのぼうを見て言った。
「あーっ、もしかしてプール行ってたの?」
お姉さんは、わたしが持っていたプールバッグを見てさらに聞いた。
「まあ、はい」
「えーどこのプール?」
「市民プールに……」
「そっかー。市民プールなら近いもんねー。楽しかった?」
「ええと……」
わたしは横目でえりちゃんの方を見た。「だれ?」という顔をしている。
「あっ、そっか。お友達といっしょなんだもんね。ごめんねー」
お姉さんはそう言うと、
「じゃあねー」
と手をふってお店に入っていった。
「……だれ?」
お姉さんがお店の中に入ってしまうと、えりちゃんは聞いた。
「ソフィアのさん歩で会う人」
わたしは、それだけ答えた。えりちゃんは、
「ふうん」
と返した。
「……帰ろっか」
わたしは言った。お姉さんがお店から出てくる所に、また会いたくなかった。
「そだね」
とえりちゃんも言った。
わたしは立ち上がると、すっかり味のしなくなったアイスのぼうを、ゴミ箱にすてた。
◇
次の日、さすがに昨日のことを聞かれるだろうか、えりちゃんのことを色々聞かれたらイヤだなあ、と思っていたら、ちょうどよく雨になって、さん歩に行けなくなって、ソフィアには悪いけど、お姉さんに会わなくてすんでホッとした。
その次の日会ったときは、お姉さんはすっかりおとといのことはわすれていたみたいで、そのことはもう何も聞いてこなかった。わたしも、何も言わなかった。
次回は、8月8日(金)16時頃の更新予定です。




