表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
枝先の彼女【一年かけて季節を一周する短編集】  作者: 笠原たすき
花水木

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/32

花水木( る )

「銀行協会の山田と申します」


 電話を取ると、若い女がそう名乗った。


 また山田か。やっぱりありふれた姓じゃないか。けれどもそんな事を言っては、山田さんに失礼か。本人からしたら、馴染の姓かも分からない。


 それにしてもこの女、随分と若い声をしている。それこそ十代の様だ。けれども、今時の人は、声まで若く聞こえるのかもしれない。これも、勝手に決めつけてはいけないだろう。


 しかし、銀行が何の用だろう。まさかこんなバアさんに、投資やらなんやらを売りつけるつもりだろうか。私は身構える。すると、先方はこう切り出す。


「突然のお電話で申し訳ございません。お客様がお使いのキャッシュカードについて、重要なお知らせがございましてご連絡させて頂きました」


 どうやら宣伝とは違う様だ。それどころか、大事な用らしい。何だか難しくなりそうだ。


「そうしたら、すいませんけどね、そういう話は娘にしてくれますか。私じゃあ、そういう難しい事は分からないもので。今、娘の番号を言いますんで……」


 すると、相手は話を遮って言う。


「申し訳ございません。個人情報になりますので、ご本人様でないとお伝えが出来ないんです。また至急の用件になりますので、今このお電話でお話をさせて頂きたいのですが……」


 なんだ。また個人情報か。それに、なんだか急ぎの用事らしい。仕方ないと私は受話器を握り直す。


「分かりました。それで、どんなご用件なんですか?」


「はい。まず初めにお伺いしたいのですが、先日お客様のご自宅に『キャッシュカード更新のお知らせ』という封筒をお送りさせて頂いたかと思うのですが、そちらはご確認頂きましたでしょうか?」


 先方の澱みない問い掛けに、年寄りの脳味噌は動きを止める。そんなものが、うちに届いていたというのか。


 そして、少し考えたのちに思い当たる。


 そうだ。封筒ならこの間届いていた。郵便受けに届いたのを、彼女に取って貰おうとしたら断られて、それで取りに行ったら、何だか難しそうな書類だったから、娘が来たら見て貰おうと思って、でも娘が来ないものだから、箪笥の上に置いたままだ。


「すいませんけどね、封筒は届いていたんですけど、まだ中身は見てないんですよ。それも今度娘が来たら見て貰おうと思っていたもので。今見てみますから、ちょっと待って……」


 すると、先方はまた遮る様に言う。


「ああ、申し訳ございません。今、このお電話でご案内させて頂きますので、見に行かなくても大丈夫ですよ」


「……そうですか。すみませんねえ」


 私はまた、受話器を握り直す。


「とんでもございません。それでですね、お客様。お客様のキャッシュカードは、ただいま更新の時期となっておりまして、更新には先程申し上げた『更新のお知らせ』に同封の『更新申請書』という書類のご返送が必要だったのですが、実はそちらの返送期限が、本日までとなっておりまして、郵送でのお手続きですともう、期日に間に合わなくなってしまいますので……」


「そんな! それで、返送しないとどうなるんですか!」


「ええとですね、もしご返送されなかった場合は、キャッシュカードは無効となりまして、明日以降は預金を引き出す事が出来なくなってしまうんですが……」


 何だって!? 私は青褪める。


 お父さんが遺してくれた大事なお金。僅かばかりだが、ふた月に一遍きちっと振り込まれる年金。それが全部、パアになってしまうなんて。


「そんな、困ります! お宅の預金がなけりゃあ、こっちは生活できないんです! 大体何です! お宅を信用して長い事預けてきたっていうのに、そんな通知一枚で! 書類一つ返さなかった位で!」


「お客様、お客様」


 私が訴えると、先方は宥める様に言う。


「ご安心下さい。今回は期日も迫っておりますので、このお電話で、更新のお手続きを取らせて頂きますので」


「ええ? なんだ、電話でもいいんですか」


 それならそうと、早く言ってくれればいいものを。まったく、肝が冷えたよ。


「はい。まずはこのお電話で更新の事務手続きを取らせて頂きまして、キャッシュカード本体につきましては、後程、職員が直接お宅まで交換に伺わせて頂きます」


「ああ、うちまで来て頂けるんですか。それは助かります」


 わざわざ来て貰えるなんて、それは親切な事だ。年を取ると、銀行へだってそう簡単に行かれない。やっぱり、銀行の人はちゃんとしているし、年寄りの事をよく分かってくれている。決まり決まりと融通を利かせない、どこかの誰かさんとは大違いだ。


「とんでもございません。それでは、早速更新のお手続きを取らせて頂きます。お手続きには、カードの発行時に設定頂いた、四桁の暗証番号が必要となります。早速、番号をお聞かせ頂けますでしょうか」


 暗証番号。私の思考は、また停止する。そんなもの、急に言われたって、そう易々と出て来ない。大体、自分で預金を下ろしに行ったのだって、もう随分と前の事だ。それこそ銀行へもそう簡単に出かけられないし、年寄りが現金を持ち歩くのも物騒だから、ここ最近は預金の引き下ろしも、娘に任せきりなのだ。この間だってお彼岸の時に、限度額一杯の五十万を、下ろしに行って貰ったのだ。


「――ええと、そんな、急に言われましても……あれは、何番だったかしら…………ねえ、その番号ってのは、そっちで分からないんですか?」


「申し訳ありません。暗証番号は、お客様以外知り得ない大変大切な番号になりますので、こちらでも何番なのか分からないんです。なのでお客様からお伺い出来ない限り、お手続きを進める事が出来ないんですけれども……」


 なんだって。そんな仕組みになっているのか。やはり銀行というのはきちっとしているが、きちっとし過ぎてこちらがついていけない。しかし思い出そうとすればする程、頭が余計に混乱する。これだって、娘に訊いてさえくれれば、淀みなく答えてくれるのだろうが、それも個人情報だから駄目だと言うのだろう。


「そうでしたか…………しかし、こちらも耄碌しているもので…………」


 これは困った。大事な預金を守らなくてはならないというのに、肝心の番号が出て来ないなんて。折角銀行の人が親切に手続きをしてくれるというのに、こちらがこうでは、どうにもならない。


 すると、先方が助け舟を出してくれた。


「お客様。お客様の中には、暗証番号をメモして、通帳等と一緒に保管されている方もいらっしゃいます。そういったメモは、保管されてないでしょうか?」


「ああ、言われてみれば」


 確かにそうだ。紙に控えていない筈がない。まったく、向こうに言われるまで、そんな事にまで気がつかないなんて。向こうはこちら以上に、年寄りの事を熟知している様だ。


「ちょっと、探して来ますんで、このまま待って貰えますか。すいませんね。切らないで下さいよ」


 私はそう言うと、受話器を電話機の横に置く。そして急いで立ち上がる。通帳は、テレビ台の抽斗(ひきだし)の中だ。早く探さなければ。


 私はテレビ台の前に屈むと、抽斗を大きく開ける。抽斗の手前では、方々の医者の診察券が幅を利かせている。それを一旦テーブルの上へ退けて、通帳を取り出す。透明なカバーを外して見てみるが、通帳には何の紙も挟まっていない。銀行のカードも見てみるが、特にメモの様なものはしていない。私はさらに抽斗を探る。


 年金手帳、健康診断のお知らせ、町内会費の領収証……色々出て来るが、肝心の番号のメモは出て来ない。それも一旦テーブルに置いて、さらに中を探る。おや、俊男の折った、折り紙が出て来たよ。いやいや、今はそんなのを見ている場合じゃないよ。まったく、参ったね。私ときたら、紙にさえ控えていなかったのだろうか。


 そう思った時、抽斗の端っこに、角が折れてくしゃくしゃになった、二つ折りの紙が挟まっているのを見つける。よくよく見ると、中に何か、文字が書いてある様に見える。


 私は、震える手で、紙に手を伸ばす。引っ掛かって破れる事のないようにと、そっと紙を引く。そしてその紙を、望みを込めて開く。


 そこにはしっかりと、四桁の数字が記されていた。


 やった。見つけたぞ!


 私は喜び勇んで、電話機へ飛んで戻る。急いで膝を折り曲げると、置いていた受話器を取る。


「ああすみません、すっかりお待たせしまして」


 私は朗らかに言う。


「やっぱりね、お宅の仰る通りでしたよ。ちゃあんと紙に控えて、通帳んとこに仕舞ってありました。本当にすみませんねえ。最近はもう、自分で預金を下ろす事もなくなったもんですから、番号だって咄嗟には口から出て来ませんで――ああ、すみません、つい余計な事を」


 安堵からつい饒舌になるが、先方に促され、私は手元の紙へ目を戻す。けれども年寄りの目は、上手く数字に焦点が合ってくれない。そういえば、老眼鏡をかけていなかった。


 私は紙を持つ手を伸ばし、字へ焦点を当てようとする。目を細め、四桁の数字を読み取ろうとする。


 ああ、見えてきた。この番号だったか。


「それじゃ、申し上げま――」


 その時、


「――中井(なかい)さん、待って!!」


 大声で名を呼ばれ、思わず振り返る。何事かと、声のする方を見る。すると、彼女が、そうだった、今は彼女の訪問中だった、その彼女が、すさまじい勢いで、こちらへ駆けて来る所だった。


 彼女は、予想外の事に呆気に取られている私から、受話器をむずと取り上げて、


「あのっ! ヘルパーの者ですけどっ! 一体どんなご用件ですか!」


 と、もの凄い剣幕で怒鳴った。そして、


「……切っちゃいましたね」


 とだけ言って、受話器を置いた。


 私は、普段見せない彼女の有様に、暫し呆然としていたが、やがて我に返る。彼女の行った事の重大さに気がつき叫ぶ。


「ちょっと待っとくれ、お前さん、何て事してくれたんだい!」


 叫びながら、怒りがふつふつと湧いて来るのを感じた。


「今ねえ、大事な電話だったんだよ! お金の話してたとこだったんだよ! 今ねえ、この電話に答えないと、明日には私の預金がなくなっちまうんだよ! だから今、一所懸命番号探して、番号が要るって言うから一所懸命探してね、やっと答えるってとこだったのに、お前さん、これで私が文無しになったらどうしてくれるんだい!」


 彼女は私の怒号にも眉一つ動かさず、黙ってすました顔をしていたが、


「……暗証番号は、まだ答えてないんですね?」


 とだけ尋ねた。


「ああそうだよっ! 今答えるって所だったのに、お前さんが邪魔なんてするから――」


「中井さん。落ち着いて下さい」


 彼女は、低い声になって言う。そして、膝を突き合わせる様に、私の前に座る。こちらの目を真っ直ぐに見て、ゆっくりと尋ねる。


「その電話は、本当に、銀行からでしたか?」


 私は彼女の態度に一瞬たじろぐが、


「銀行に決まってるだろうよ! 他に誰が預金の話をするっていうんだい! お前さん、さっきから一体何を――」


 すると、彼女は両の腕をこちらへ伸ばすと、私の肩を、力強く掴んだ。


「中井さん」


 繰り返し名を呼ばれ、私は彼女の目を見返す。彼女は落ち着き払った声で言った。


「聞いて下さい。そうやって銀行を騙る、詐欺があるんです」


 詐欺。


 私は、スッと血の気が引くのを感じた。けれどもすぐに、その腕を振り払う。


「馬鹿な事言わないで頂戴! そりゃあ私だって、世の中物騒なのは知ってるさ。だけど電話して来た人はちゃあんとしてたよ? こっちの、年寄りの事もよく分かってくれてねえ、銀行まで出かけるのは大変だろうからって、職員をうちまで寄越してくれるとか、番号はメモして置いてるんじゃないかとか、気を回してくれたんだからねっ。そうだ! それにねえ――」


 私は箪笥を指差す。


「封筒だって、前もって送って来たんだよ! 詐欺ならそんな、手の込んだ事する筈ないじゃないか! ほら、お前さんだって、覚えてるだろう?」


 私は同意を求める様に、彼女へ問い掛ける。


「買い物帰りに郵便受けを見てくれって言ったら、ほら、それは出来ないと言うから、私が自分で取りに行ったじゃないか。お前さんもほら、それを見ていたじゃないか。それがほら、箪笥んとこに置いてあるんだよ! ほら、突っ立ってないで、見とくれよ。その、カードのお知らせってのが、置いてあるから――」


 私がそう言うと、彼女はスッと立ち上がる。箪笥の上へ手を伸ばし、封筒を手に取る。


「ほら、書いてあったろう? キャッシュカードのお知らせって――」


 すると、彼女は、まずその封筒を自分で見てから、私へ手渡す。私は目を細める様にして、封筒の文字を見る。


 マイナンバーカード・電子証明書・有効期限通知書在中。


 私は言葉を失う。


 送り主は、銀行ではなかった。封筒は、役所からだった。


「中井さん、もう一度、お尋ねします」


 彼女はまた、私の向かいに屈む。


「電話は、どこからかかって来たんですか?」


 私は、足元がグラグラと崩れる様な感覚を覚える。私がさっきまで話していた相手は、本当に銀行だったのか。あの馬鹿に若い声の女は、一体誰だったのか。


「何番から、かかって来たんですか?」


 そう尋ねられ、私は思い出す。そうだ。非通知。あの電話は、非通知だった。


 普段なら出ないのに。宣伝か詐欺に決まっているからと、娘の言う通り、出ない様に心掛けていたというのに。


「お使いの銀行の、支店からでしたか? それともどこか、違う所からでしたか?」


 暫く黙ったのちに、私は答える。


「――山田って名乗ったのだけは、はっきりと覚えてる。娘と同じ姓だもの。それだけは間違いない」


 すると、彼女は、私の不完全な返答を咎めるでもなく、


「中井さん。そうしたら、支店に電話して、その山田さんって方がいらっしゃるか訊いてみましょう」


 と提案した。


 私は、黙って頷くより他なかった。


次回は、5月23日(金)18時頃の更新予定です。


(5月23日追記)

次回更新は、制作の遅滞及び作者とPCの不調により延期とさせていただきます。

楽しみにしてくださっている読者の皆様(がいたら嬉しいです!)には大変申し訳ありません。

更新の際にはXにて告知させていただきますので、気長にお待ちいただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ