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魔女は暁に笑う  作者: 未田
第06章『人肌』
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第014話

 自動車のフロントガラス越しに、運転席で携帯電話を触っている夢子が見えた。


「お待たせ。銀行に行こうか」

「……」


 倖枝は助手席に乗り込み、鍵を返した。受け取った夢子から、眠たげな瞳を向けられた。

 夢子は何も言わず、エンジンをかけて自動車を走らせた。


 いつからなのか、倖枝は覚えていない。夢子から直接聞いたわけでもない。それでも、須藤寧々との関係を夢子に悟られている自覚はあった。夢子を含め今回と同じような場面は、過去にも何度かあった。

 夢子がどう思っているのか、倖枝には分からない。気まずさはあるが、今のところ仕事には支障が無かった。


「嬉野さんは、銀行に何の用があるんですか?」


 少し沈黙の続いた車内で、夢子が口を開いた。

 特に気遣っているわけでもなく、純粋な疑問のように倖枝には聞こえた。


「御影邸の件で、ちょっと相談があってね」

「どういうことですか?」

「あの館――あんたなら、どう売る?」


 部下の教育として、倖枝は敢えてそう返した。


手撒きチラシ(てまき)ダイレクトメール(DM)で反響なんてあるわけないよね?」


 倖枝が感覚と勘で店長にまで伸し上がったのに対し、夢子はデータと論理を武器にする営業だった。

 この手の堅実な人間は、何よりも基本を重んじる。しかし、営業の基本が通じない案件では、行き詰まるどころか動くことすら出来ないのだ。


「店の顧客情報を……って言っても、そもそも五億円を出せるだけの客は居るんですか?」


 需要に該当する顧客をあたってみる。確かに、これも基本的な営業だった。この二者を繋げる仲介が、倖枝達の仕事だった。

 売主、買主共に膨大な顧客情報を抱えているのがチェーン店の強みなのだから、行動自体は正しいと倖枝は思った。


「それがね、六人居たのよ。まあ、全部断られたんだけど……」


 倖枝としても、まずはそれから動いてみた。他の条件を無視して、予算が該当する客に話を持ちかけた。結果は散々だったが。


「へぇ。世の中には、意外と金持ち居るんですね」

「金持ちだからよ。私にはあいつらの気持ちなんて分からないけど、六人全員と話してみて、分かったことがひとつだけあるわ――プライド的に『月城の中古』には絶対に住まない」


 月城の銘はセールスポイントになると倖枝は踏んでいたが、この層の人間には欠点にしかならないのだ。

 現に、六人全員が『無銘の豪邸』を探していた。倖枝にはそのようなものが実在しないと思う通り、全員が本気で探しているわけもない感触だった。


「でも、転売したとしても月城の銘は絶対に消えませんよね?」

「ええ。あそこに住む人間は、月城以外に想像出来ない。どんな金持ちでも、あそこには住みたがらない。だから――そもそも『居住用』として売りに出すのが、間違いなんじゃないかと思ったのよ」


 そこまで話したところで、銀行に到着した。

 普段から世話になっている、この地域に展開している地方銀行だった。

 全国に名の知れた都市銀行はこの街にもいくつかあるが、過去よりあまり付き合いが無かった。買い顧客のローン審査には、通りやすい地元の銀行をよく活用していた。


 倖枝は自動車から降り、夢子とふたりで店舗に入った。

 正午過ぎの店内は、現金自動預払機に列が出来ていた。

 それを横目に、さらに受付窓口も通り過ぎ、裏手に位置する別室に遠慮なく入った。一般顧客なら、従業員や警備員から入るのを拒まれるだろう。しかし、倖枝と夢子は銀行内に顔が知られていた。


 この店舗には融資審査部があり、その事務所だった。

 狭い部屋には、四名の従業員が居た。その中のひとり――子供のように小柄な女性は、自分の席で昼食らしきインスタントラーメンを食べていた。


「二階堂さん、ちわーっす」


 夢子が眠たげな表情のまま、実に友好的な挨拶をした。

 長い髪を束ねた女性が、顔を上げた。ラーメンの湯気で曇った眼鏡と共に、ヘアピンで丸出しになった額がむくりと動いた。


「……今、昼休憩なんですけど」


 女性は箸を止めて眼鏡を外すと、夢子に半眼を投げかけた。

 銀行の制服を着ているとはいえ、窓口(おもて)の従業員と違い相変わらず無愛想だと、倖枝は思った。


「わかってますよ。ていうか、そんなランチでいいんですか? 女子力だだ下がりじゃないですか」

「うるさいですね! 放っておいてください! 人目が無かったら、女子力なんてどうでもいいんです!」


 彼女の同僚だと思われる年配の男性が、呆れた目で女性を見た。彼の存在は『人目』ですら無いのだ。

 倖枝も、同じ女性でありながら凄い発言だと思った。確かに、このような職場環境では異性との色恋沙汰は無く、愛想や容姿等の『女性らしさ』にこだわる必要は無い。現に、この女性はろくに化粧もしていなかった。


「すいませんねぇ。うちの春名が、いつもお世話になっていて」


 長年の付き合いのため改まった間柄でも無いが、一応は取引先なので、倖枝は口を挟んでおいた。


「そうですよ、店長さん! 部下の教育どうなってるんですか!?」


 そうは言われるものの、倖枝としては自分の教育に非が無い。

 どういうわけか、夢子はこの女性にだけ、いつもからかうような態度で接していた。確かに、彼女からは肉食動物の子供が無害に猛るような可愛さがあると、倖枝にも理解できるが。

 二階堂灯(にかいどうあかり)、二十九歳。住宅購入のローン審査で、倖枝も夢子もよく世話になっていた。本来なら銀行の融資窓口である融資営業部を介さないといけないが、直接のやり取りが出来るほどの仲だった。


「ローンの書類一式持ってきたんで、確認お願いします」


 夢子は鞄からクリアファイルを取り出すと、灯に手渡した。担当している買い顧客のローン申請書の他、身分証や収入に関するコピーも入っているだろう。ついさっき寧々とリフォームの確認をしたのとは、別の案件だった。

 灯は受け取ると、そのまま机の隅に置いた。


「いや……すぐに見てくださいよ」

「今は業務時間じゃないんで、休憩が終わったら確認します。もし不備があれば、また連絡しますので――ていうか、貴方の場合いつも不備は無いでしょ」


 社内の書類や顧客との契約書等、夢子が性格上いつもきっちり仕上げていることは、倖枝も知っていた。


「二階堂さんのためにわざと見落としてる箇所があれば、どうするんですか?」

「知りませんよ! 子供じゃないんだし、そんな面倒な真似しないでください! それで――店長さんは何の用ですか?」


 倖枝は灯から、面倒臭そうな表情で見上げられた。

 店長に就任してからは、ここに来ることも灯の世話になることも、ほとんど無かった。だから、灯にとっては珍しいのだろう。

 しかし、現在は確かな目的を携え夢子に同行していた。


「言っときますけど、月城絡みなら都市銀行(よそ)に行ってくださいよ? ウチは庶民相手にコツコツと、安定した返済でやり繰りしてるんですから。どんなステータス持ってきても、億単位は貸しませんからね!」


 寧々といい、灯も御影邸の案件を知っていた。おそらく、売主や売却理由までは知らないだろう。金額や銘柄に加え、事情が知られていないから話が大きくなっているのだと倖枝は思った。


「何かあれば、抵当権で競売にかけて回収できるじゃないですか。ヤクザみたいに無慈悲に売り飛ばすの、得意でしょ?」


 夢子が冗談混じりでそう言うが、銀行としてはそれで済むほど簡単な話ではない。


「仕事でやってるんですから、人聞きの悪いこと言わないでください! 大体、全額回収できないと意味無いんですからね! ていうか、あんなの買う人どこに居るんですか!?」

「そうなんですよ。買ってくれる人がそもそも居ないから、こうして相談に来たんです」


 倖枝は御影邸のローンの話で来たのではなかった。むしろ、ローンを組む段階まできていたならどれほど良かったことかと思った。灯や他の銀行がどれほど嫌がっても、手段を選ばず強引に丸めていただろう。


「あれ、居住用で売るのはたぶん無理ですわ。別荘でも同じでしょうね。……だから、民泊や宿泊施設で運用するのがいいんじゃないかなって思うんですよ。利回りのシミュレートは出来ています」


 倖枝は鞄からクリアファイルを取り出した。

 そう。あそこに住めるだけの人間は、あそこに住まない。ならば、庶民相手の商売道具として売るのが、倖枝の考えだった。倖枝は庶民寄りの人間として、あの館を豪華なホテルのように感じていた。


「そういうことなんで、セレブな投資家さん方、紹介してくれませんか? なんなら、御社が運営してくれても全然構いませんけど。私にお金があれば食いつきたいぐらい、美味しい話なんだけどなぁ」


 最後の言葉は、いい加減な嘘だった。倖枝の用意した試算はなるべく『良い数字』で行っているため、決して保証できる内容ではなかった

 投資家を紹介さえして貰えたら――あとはどれだけ騙せるかの営業だった。そのために、試行できる数が欲しかった。


「……わかりました。社内で掛け合ってはみますけど、あんまり期待しないでくださいね」


 灯は、浮かない表情でクリアファイルを渋々受け取った。かろうじては納得している様子だった。


「ありがとうございます。のんびり待ちますよ」


 倖枝は営業として微笑んで見せるが、悠長に構えている余裕は無かった。

 ここだけではなく、証券会社にもあたるつもりだった。現在はとにかく、投資家を探すことが最優先事項だった。


「私からも、よろしくお願いします。紹介してくれたら、ご飯ご馳走するんで」

「春名さん、貴方はそれ抜きで感謝してくれてもいいですよね!?」

「あはは……。それじゃあ、失礼します。休憩のところ、すいませんでした」


 倖枝は苦笑しながら、夢子を連れて銀行を後にした。


「なるほど。そういう方向で進めるんですね」


 自動車に乗り込むと、夢子が漏らした。

 居住用の不動産売買の仲介に長年携わっていると、どうしても限られた枠内でしか物事が考えられなくなる。それを取り払うことを、倖枝は夢子に知って欲しかった。


「まあ、上手くいくとは限らないけどね……」


 とはいえ、倖枝としても投資用物件を扱った経験は数えるほどしかない。

 果たしてこれが正解なのかは分からないが、現在は立ち止まらずに動くしか無かった。


「とりあえず、ご飯食べて店に戻ろうか。何食べたい?」

「ラーメンがいいです。ちゃんとしたやつ」

「……店はあんたが詳しいから、任せるわ。ちょっとぐらいなら並んでもいいから」

「了解です」


 夢子がラーメンを食べたがる気持ちを、倖枝は分からなくはなかった。

 自動車にエンジンがかかり、夢子御用達のラーメン屋へと向かった。

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