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第十五話 その背中




 浅間蓮花。彼女の為に戦おうと決め、俺はこうしてここまで来た。だけど、その願いは虚しく打ち砕かれ、俺はこうして闇の中に消え去ろうとしている。

 何かもが無駄だった。

 この世に都合の良い物語などは存在しない。もしもあるのだとすれば、それはただの妄想と期待はずれの偶像でしかない。

 俺はそんなものの為にここまでやって来た。ある意味辛い道のりだった。死にかけたこともあった。けど、その度に有紗や礼、隊長や先輩が俺を励まし、支えて助けてくれた。

 だけど、その結果がこれだ。

 俺が信じで歩んできた道は間違いだった。周りを傷つけ、侵害し、破壊した。


「千早・・・」


 誰かが俺の名前を呼んだ。誰も呼ぶことのない名前を。だけど、その声には何処か懐かしげな、心暖まる気持ちになった。

 光が辺りを包み込む。


「千早・・・」


 ああ、今そっちに行くね。


「いい加減に起きなさい!千早!今何時だと思っているの!」


 声の主はいきなり布団を剥がした。冬独特の寒気がパジャマ姿の俺を襲い始め、思わず蹲る。

 視線を上にすると呆れたような表情で立っている姉がいた。


「やぁ、おはよう」


「おはようじゃないわよ。今何時だと思っているの?」


「何時って」


 目覚まし時計は既に十一時を過ぎており、もう直ぐお昼の時間であるが、その状況がどうにも解せん。何故ならば今日は日曜日だからだ。


「姉さん、今日は日曜日なんだよ?結構速くない?」


「日曜日でも関係ないわ。あなたは私に朝のモーニングコールを頼んだんだから、それを受け取る権利があるの。そこに休日の日は適用されないわ」


「うへぇ・・・」


 俺がそんな風に言うと、姉の蓮花は弟に口で勝ったことがそんなにも嬉しいのか、嬉しそうに俺の部屋から台所へ向かっていく。


「朝ごはん出来てるから、速く来なさいよ。まぁ、もうお昼ご飯になっちゃったけど」


「はーい」


 俺は部屋から出て行く前に、自分の部屋の窓のカーテンを開ける。眩しい光がこの家に

差し込んできた。

 来年からは俺も大学生ということもあり、そろそろ一人暮らしというものを意識し始めなければならないのだが、どうにもその意識が低いのか、未だに姉の起こしてもらっている始末。


 全く、だらしないぞ!


「いただきまーす」


 食パンにジャムを塗ったものを口に入れる。パンと一緒にジャムを堪能し、それを牛乳で胃に流し込んだ。

 それを正面から見ている姉は何故だか嬉しそうに微笑むのであった。






 ダンボールに詰めた漫画は服よりも重く、これ自体を何処に置こうかと迷っていたが、取り敢えずはベットの下ということで考えはまとまった。


「ねぇ、そろそろ休憩にしよーよ。私、もう疲れた」


 玄関でだらしなく横たわっている姉の言うとおり、俺は冷たいお茶をコップに注いで姉に渡した。


「ほれ、お茶だ」


「うい、サンクス」


 二人してゴクゴクとお茶を飲む。 

 乾いた喉がたちまち潤っていき、なんだか非常に眠たくなってきた。

 そう言えば、最近こんな風に急に眠たくなることが多々あるのだ。原因は不明だが、これといって何か問題があるわけじゃなかったので、俺はそれを無視しておいた。


「千早・・・」


「ん?何、姉ちゃん」


 姉は起き上がって俺の方を向いていた。


「もし私がいなくなったらあんた悲しい?」


 それは俺にちょっかい出すわけでもなく、真面目で真剣な答えだった。


「・・・まぁ、そうだな。唯一の肉親なんだから、割とショック受けるかな?」


「なんでそこ疑問形なのよ。全く、愛想がない弟ね。愚弟だわ」


「うわっ!自分の弟を愚かだなんて!?信じられませんわ!」


「はいはい」


「けど、姉ちゃんには感謝しているよ。姉ちゃんのおかげでこうして大学に進学出来たんだから。そろそろ、職場を見せてくんないの?」


「あんた何言ってんの?身内だからといって、そう簡単には見せてはくれないのよ?」


「ふむ・・・そういうものか。世間って恐ろしいな」


「あんたの考えが単純過ぎるの」


 姉は俺の大学進学を喜んでくれている反面、やはり少し寂しいという思いがあったらしい。そりゃ、姉がいないと俺だって朝起きれるかどうかなんて分からないし、食事だってちゃんと毎日作れるかどうか分からない。

 だけど、それでもいつかは姉から俺も卒業していかなくてはならない。

 この先、俺がどんな答えを選ぶにしろ、自分で出した答えが結果どういう結末を招くのかちゃんと見て見たいのだ。


 それを姉の蓮花には見届けて欲しい。


「俺はさ、姉ちゃんがいなくなったら寂しいよ」


 冗談ではなく、本心から俺はそう言った。


「・・・千早」


「姉ちゃんの料理は旨いし、なんやかんやで朝起こしてくれるタイミングはバッチリだったし、普段何気ない日常生活の中にある姉ちゃんの働きが俺の心の支えてになっていたんだ。だからさ、俺は寂しいかな」






 その日は雨だった。パラパラと降り注いでくる雨粒を振り払うかのように一心不乱になりながら走り続けた。びしょ濡れになりながらも俺は受け付けから案内された病院の一室に入り込む。


 そこには姉の蓮花がベットで寂しそうに眠っていた。



「なんで」


 原因不明、何らかの脳障害。いつ目が覚めるのかは分からない。もしかすると未知の病気なのかもしれない。

 と、それだけ俺は医者から説明された。当然そんなもので納得できる程冷静でいなかった俺は医者に食ってかかった。

 だけど、そんなことをしても虚しいだけであり、答えは見つけられないままであった。

 眠っている姉の手を握り締める。感じるのは暖かいという彼女の温度だけであり、それが唯一姉が生きているということを証明していた。


「なんでこんなことに」


 姉の蓮花は強い女だったと思う。高卒で就職し、俺を大学に行かせるまでの金を作り出していた。

 性格も好きなことは好き、嫌いなことは嫌い。とキッパリとした性格であり、とてもじゃないが思い悩むような性格ではなかったと思う。

 だけど、俺が大学に行くようになって時折見せる悲しげな表情。

 もしもその時に自分が姉の悩みを聞いていれば。もしも相談に乗っていれば。力になれなくても姉の話ぐらいは聞いてやれたかもしれない。

 そうすれば何かが変わると思ったから。


「クソッ!」


 やり場のない怒りを感じていた。

 これが誰かが起こした犯罪の類であれば、この怒りはその者にいっていただろう。これが事故であるなら俺は運命を呪う。


「姉さん、俺は言ったよ。姉さんがいなくなったら寂しいって。だからさ、このままいなくなるのは止めて」


 泣きながら姉の手を握り締める。

 この想いは眠っている姉に伝わったのだろうか。心に届いたのだろうか。そんなものを確認術はない。そんなことを思ったとしてもきっとそれは俺の自己満足で終わるだけだろう。

 そう願いながら俺は姉の手を握り締めた。






「いつまでそうしているの?」


 砂嵐のテレビ画面を見ている俺に誰かが後ろからそう声をかけてきた。振り返ると姉の蓮花がそこに立っていた。

 何処か寂しげに、何処か悲しげにこちらを見ていた。俺は視線を前に戻す。テレビに映し出されている砂嵐は変わることはなさそうだ。それでも無言でテレビを見ていた。


「こら、お姉ちゃんが聞いているんだからちゃんと聞きなさいよ」


 姉が真後ろに移動して来た。

 小さな声でポツリと呟いた。


「俺がしてきたことはなんだったんだろうか。俺は姉さんを助けたかった。何が原因なのか、ただそれだけだった。姉さんの為に戦おうって、あの契約書にサインした時にそう誓ったから」


 自分の掌を見た。電子世界だというのに相変わらず現実世界との区別がつかない。


「ふぅん、それでなんで千早はこんなとこにいるの?」


 姉は俺の背中にそう言った。


「どうして、ここで立ち止まっているの?」


 そんなの、分からない。分からないんだ!


 手が震える。もう俺は自分が何をしたらいいのか分からなかった。勝ち目がなく、最初から絶望と決まっている運命にどう抗えばいいのか。


 分かる訳もない。


 絶望と運命が決まってしまったのなら、後はそこに行くしかないのだから。神様が作り出したその運命に抗うのも、また運命。

 全てが必然であるがのように、その結果を人間は全て受け取るしかないのだ。


 そうだ・・・それでいい。無理するな。もう終わりなんだ。これ以上足掻いたところで俺たちが勝てる訳がない。


『私もやることにした。どうやら、隣で一緒に戦ってくれる人がいるから』


 突然耳にそんな言葉が響いた。

 有紗、俺はもうダメかもしれない。もう、何をしたらいいのか分からなくなったんだ。どうすればいいのか、どうすべきなのか。


 俺はもう、戦えない。


「そうかもね。だって、お姉ちゃん超強いから。けどさ、千早。もし、このまま何も変わらずにいるよりかも、あんたが動いて、何かがちょっとでも変わるのならそれは尊いものじゃないかな?」


 ちょっとでも変わる?


「うん、私たち人間ってそのちょっとの為にこの命を燃やすんだと思うよ。私がそうだったから。それで。千早。あんたはどうするの?」


 このまま運命を受け入れるのは必然。そして、俺が動いてもそれもまた必然。必然か、随分と都合のいい言葉なんだな。

 姉さんも姉さんだ。俺が誰かの言葉に乗りやすいのを知っているくせに。



「ほう、それじゃぁどうしてくれるのかな?」


 取り敢えず、姉さんの言うちょっとの変化の為に俺は戦うよ。全ての力を使って。例えここで負けて死んだとしても、俺が足掻くことでほんの少しでも何かが変わるのというのなら、何度だって足掻いてみせる。


 足掻き続けて見せる!


「じゃぁ、行くよ。姉さん。姉さんを止めにいかないと」


 姉が俺の胸をそっと触る。暖かく、柔らかく、優しい手だ。けど、これ以上はなく、もう感じることも出来なくなってしまうのだと思うと、哀しい。寂しくて辛くなる。

 けど、俺はもう選択してしまったから。

現実はそう簡単に自分の都合よく物事は進まない。むしろ全くもって自分のいいようには進まないだろう。

 大切なのはその時だ。

 進まなくなった時、一体何がその彼を呼び起こすのか、前へ進めと急かしてくれるのか。

 忘れていたことかもしれない。


何の為に戦うのか。

 

日本の為、姉の為、有紗の為、この考えに対して何度も何度も答えを出してきた。何が正解なのは正直俺にはもう分からなくなってきしまった。その答えの行き着く先に本当の自分の答えがあるのだと信じていたから。

 止まる訳にはいかない。この先に何が立ち塞がっていたとしても。


「うん、じゃぁね。千早。私がそう信じているから」


 姉が消え始めた。きっと、もう会うことはない。だけど、不思議と哀しくはなかった。割り切ったからだろうか。いや、そうじゃない。

 彼女には彼女なりの理想郷があり、信じるものがあった。それは俺よりも大切なものだったのかもしれない。今すぐそれを確認術はない、ないけど、姉が信じたものの為に命を投げ打ったというのなら、俺もまた自分の信じるものの為にこの命を使う。


 そこに俺の戦う理由があると信じて。






「千早君!」


 怪物を前に後ろから一人の女性の声が俺の名を呼ぶ。有紗だ。彼女は両手にライフルを持ってこちらに走ってきた。

 顔だけを彼女の方へ向けると、少々息切れをしていた。ここは電脳世界であり、この電子体は現実の体の力に影響されない。故に現実よりも強く固いプログラムが施されている。

 なのに息を切らしているということはそれほどまでに全力で走ってきたということなのだろう。


「良かった、無事で。先輩や隊長たちはもう復帰して戦線で戦っているらしいの。私たちも合流しないと。奴らが貯めていたウイルスが怪物のおかげで溢れて帰ってきたの」


 見れば怪物の周りには護衛するかのようにウイルスたちがウジャウジャといる。さきほどまで接近して怪物と戦っていたダイバーたちはウイルスの壁により更に近づくことが困難になってしまった。

 もはや絶望的と言えるだろう。確かに隊長クラスのダイバーは孤軍奮闘しながらウイルスを蹴散らしているが、圧倒的に力の差が有りすぎる。

 だけど、だからと言ってその歩を止めることはない。


「なぁ、有紗。俺はさ、もう何がなんなのか分からなくなったんだ」


「千早君・・・」



「何度自問自答してもその答えは見つからない。けど、思ったんだ。そんなものじゃない

かって。いつだって答えのない問を自分自身に問い続け、いつだって矛盾し続ける」


 左右の掌を合わせ、少しずつ離していく。俺たちダイバーの唯一ウイルスへ特化した武器。AVS・鬼火。

 鬼火を展開して遠い先で暴れている怪物とウイルスを睨む。


「千早君、まさかあの中に突撃するの!?」


「・・・・・・・」


「流石に無茶だよ。まずは隊長たちと合流しないと」


 安全を優先するならきっとそうだろう。いや、力の差を考えた時点で隊長たちと協力して作戦を練ってからの方が勝率的にもいいのだろう。


「怖くないと言えば嘘になる。けど、これ以上はもう我慢出来そうにないんだ。だから、俺は行くよ」


「千早君!」


 そう俺を止めようとして肩を有紗が掴んできた。その瞬間、俺は逆に彼女を抱きしめる。一瞬ビクッとし、逃げようとした彼女を無理矢理抱き締め、離さない。

 すると、観念したかのように諦めておとなしくなった。

ドクンドクンと彼女の生を刻む鼓動が聞こえてくる。二人重なっているせいか体が熱い。だけど、これが今俺たちが生きているって証明をしているみたいであった。

数秒し、自然と体が離れていく。

目の前にいる彼女は何処か恥ずかしげに、名残惜しそうにしていた。そして、俺を見た。


「これが、俺の最後の我侭だ。有紗、お前は俺に夢を語ってくれた。今度は俺がお前に、自分を見せる時だ!」

 俺は振り向いて一歩ずつ歩き出す。後ろにいる彼女はもはや止める気はないらしく、追ってくるような気配を感じさせない。


 しかし、一言この背中に言った。

「死なないで」


 悲痛であり悲しげであり、何処か寂しげに。俺はその有紗の言葉を心の底で確かに噛み締め、受け止めた。


「ああっ!」











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