Gear-6 ツナガリをサガセ
警察による大規模捜索は終了し、連続殺人事件の重要参考人は一部の警官が探すこととなった。
ラジオから流れてくるそんな情報を聞きながら、ミサキがにやにやとカナタを見る。早朝、カナタは事務所のソファに横になってまだ眠っていた。背もたれ部分に留まったスイも待機状態となっている。カーテンの隙間から差し込む日差しにカナタが僅かに顔を顰めた。
「起きな、カナタ」
しかし、起きる気配はない。毛布を手繰り寄せて、背凭れの方を向いてしまう。ミサキはそんなカナタを見て笑みを浮かべた。優し気な微笑みが下卑た笑いへと変化し、毛布を引き剥がす。
「起きろ、カナタ!」
「ぎゃあああああ」
「ピッ、ピピヒョロッ」
カーテンを開け放ち、ミサキは窓の前に立つ。カナタからは逆光気味であり、腰に手を当てて立ちはだかるミサキの姿は大きく恐ろしい風に見える。まだ寝ぼけ眼のカナタが目を擦りながら様子を見ていると、ミサキはキャスケットとメッセンジャーバッグを放り投げた。
「行こう、今日は早いぞ!」
『蟹沢機械研究所』という看板が、帰ってこない主と訪れない主の甥を待ち続けるように掲げられていた。先日警官隊によって破られたドアは今にも外れそうで、まさに首の皮一枚と言ったところだ。躊躇いもなく中へ入っていくミサキを見て、カナタはキャスケットを深く被り直してから後に続いた。スイはメッセンジャーバッグの中だ。
研究所の中には警察の手が入ったのだろう、ファイルや書類が散乱し、一部の機械も押収されているようだった。姿を消した疑わしき少年と、同じく失踪しているその叔父。怪しい両者が関わるこの場所を警察が早々に引き上げるようなことをするだろうか。警戒しつつ、カナタは踏み込む。
何か残っている資料があるかもしれないと、ミサキが棚を調べ始める。別のところを確認してみようと思ったカナタは奥のドアを開け、居住スペースへ入る。元々カナタの父が生きていた頃は、ここでカナタも暮らしていた。新聞社で働くようになってから通勤に便利な社員寮へ移ったのだ。カナタの使っていた部屋、父の使っていた部屋、叔父のアカヤが使っている部屋。順々にドアを開けて行き、最後に奥にある風呂場の引き戸を開ける。
脱衣所の床が濡れており、生暖かい空気が戸の隙間から廊下へ出てきた。シャワーが使われているのだろうか、水の音も聞こえてくる。引き戸を開け放つと、すりガラスの戸の向こうに人影が見えた。カナタの目が見開かれる。
「誰かいる」
もしかして、叔父さん? カナタはガラス戸に手を掛け、開ける。
シャワーを浴びていたのはアカヤではなかった。もっと若い男だ。男は服を着たままシャワーに打たれている。カナタに気が付き、お湯を止める。
「蟹沢君」
驚いた、と言う風に男はカナタを見た。大きく開かれた目は、異国の民のようにほんのり青味が差している。よく見ると美しい瞳だ。
「園原警部? な、何でここに」
濡れた髪を掻き上げて、軽く整えながら警部は風呂場から出てきた。濡れた足跡が点々と続く。水も滴ると言えば聞こえはいいが、濡れたまま屋内を歩いているというのはかなり厄介である。足下の水たまりを見つめるカナタの表情はやや暗い。
メッセンジャーバッグの中でスイが小さく鳴き声を漏らした。
「あ、あの、警部」
「連続殺人事件の捜査班に任命されていてね、この近辺を任されているんだよ。この研究所には君が戻ってくる可能性もあるからね、今のように」
いるのが俺であれば安心安全だろう、と警部は大きく頷く。ぎこちなく頷き返しながらカナタは実験室の方へ目を遣る。紙束を手にしたミサキがロングスカートの裾を翻しながら大股で歩いてきて、警部を見付けて走ってくる。二人の間に割って入り、ミサキはカナタを守るように立った。
長い睫毛が小さく震えた。余裕たっぷりの表情はなりをひそめ、鋭く警部を睨む。
「何だおまえは。ここで何をしている」
「俺は警察だよ」
「何だと」
「ああ、君が女探偵さんかな。蟹沢君、協力要請できたんだね」
ほう、とミサキが感嘆する。口角を吊り上げ、警部を見る。
「なるほど。貴方がカナタの言っていた警察官か。ふふん、信用に足る人間なのかな?」
「それはこちらの台詞でもあるけどな。蟹沢君の様子を見るに、君は俺の予想通りと言ったところか」
「ふん、番条ミサキだ」
「園原ユウスケという」
ミサキと警部――ユウスケの視線がぶつかり、沈黙が流れる。メッセンジャーバッグの肩紐を握りしめながらカナタは様子を見守る。ミサキとユウスケは共にカナタの協力者ではあるものの、これが初対面である。
「あの、警部。どうしてお風呂場に」
最初に訊こうとしたのはそもそもこのことである。ミサキの後ろからひょこっと顔を出してカナタは問う。探偵と警察の間に流れていた沈黙と怪訝な視線は瓦を割るように打ち破られ、二人は揃ってカナタを見た。
ユウスケの髪からはまだ雫が滴っている。バツが悪そうに軽く視線を逸らしながら、髪を押さえる。
「水……。いや、何でもない……。ちょっと汗をかいたから借りてしまっただけだよ」
「服のままですか?」
首を傾げるカナタの前でミサキが面白そうに顔を歪める。ユウスケはそれなりに整った顔を紙屑のようにくしゃくしゃにして、小さく溜息をついた。ジャケットの裾を絞って水を床に落としながら、実験室の方へ歩き出す。そのまま横を過ぎていってしまったので、カナタとミサキは水の足跡を残すユウスケの後を追った。
実験室に着くと、ユウスケは資料の詰まっていた棚に駆け寄った。かつては満員列車のようだった棚も、押収されたものが多く今はもうすかすかになっている。先程まで紙屑のようになっていた顔は蒸気で伸ばしたように綺麗に整っている。自らの成果を見せつけようという風に棚を仰いだユウスケだったが、上げた腕を力なく下ろす。棚に何かあったのだろうか。カナタが見守っていると、にやにや笑いながらミサキが手にした紙束を振り上げた。
「貴方が探しているのはこれだな。先程私も見つけて抜き取ったんだよ。まだ中は見ていないけどね」
「なるほど、噂通り有能な探偵さんらしいね」
ミサキは得意げに鼻で笑う。
紙束の一番上には『白象計画』と書かれている。白い象の形をした大型ロボットの計画。一般的なロボット用の小型蒸気機関ではなく、小型飛行船や自動車に使う中型蒸気機関を用いることで巨大な体躯を動かす大型ロボットはイーハトヴの夢である。
金色の神の加護を受けているわけでもなく、特異な戦闘能力を持つ獣がいるわけでもなく、魔法使いの力があるわけでもない花札の国の強みは、他国とは比べ物にならないほど発達した機械技術だ。最優先は先の大戦のような戦乱が起こらないように努めることではあるものの、もし万が一あの戦いが再び起こった時、イーハトヴはやはり機械に頼らなくてはならない。空を飛び回る飛行艇や機銃を備えた大型飛行船などに加えて、思考機関により自ら判断し行動する兵器として、また、それだけでなく国民生活の向上として、大型ロボットは長年の夢なのだ。
様々な科学者によって研究は進められていた。人間が動かす他の機械と異なり、ロボットは思考し、複雑な動きを自ら行うため作るのは難しい。いくつもいくつも、物書きの机に溜まる消しカスのように失敗が繰り返された。カナタの父が取り組んだ『白象計画』はその一環である。しかし、実験は失敗するだけでなく、少年からたった一人の父親を奪うことになった。
紙束を捲ったミサキが、とある部分を見て手を止める。そこには計画の参加メンバーが書かれていた。
カナタの父・蟹沢オトヤに続いて五人の名前がある。参加したロボット研究家や科学者はもっといただろうが、主要メンバーはこの六人らしい。名簿を見てミサキの口角が上がった。
「そういうことか。園原警部、これは警察本部には」
「まだ知らせていない」
「すみません、僕にも見せてもらえませんか」
よし、しっかり見ろ! とミサキは紙束をカナタに突きつけた。父の名前に連なって書いてあるうち、上から三人の名前に見覚えがあった。
「この人達って」
それは、連続殺人事件の被害者の名前だった。




