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Gear-5 ハナのバンゴウ

 ふりふりエプロンの猫はカナタとミサキを前にして、ぺこぺこ頭を下げている。


「いらっしゃいませだにゃん! 二名様にゃんね! こちらへどうぞにゃん!」


 案内されるまま、二人は席に着く。猫はメニュー表をテーブルの上に置くと、少し下がって注文を待っている。


「あははは、個性的なお店ですね! ミサキさんは何にします?」

「冷麺」

「ぼくは蕎麦」


 メニューを開くことなく言った二人に対して猫は爪を向けた。片手に持った盆で床を叩きながら、


「にゃあ! お客さん馬鹿かにゃん! ここは洋風料理店にゃん。イーハトヴ料理は扱ってないにゃんよー。ちゃんとメニュー見ない客は店長の胃袋行きにゃん」

「食べられちゃうみたいですよ」

「くだらんな。しかし食事ができないのであれば困る。何かおすすめのものを頼むよ」

「はいはーい! 了解ですにゃーん!」


 尻尾を振り振り、猫は奥にあるドアの向こうへ消えて行った。厨房だろうか。


 聞き込みをメモした手帳を見つめて、ミサキは低く唸る。軽く伏せられた目元で長い睫毛が震えた。下々の願いを聞いて困っている女神のようだとカナタは思った。黙っていれば美人なのに、話し方も動き方も暮らし方も粗暴なのが非常に残念だ。


「共通点があると思ったんだがな」


 連続殺人事件の三人の被害者。小さなことでもいい、何か共通するものがあれば。手帳を見つめるミサキのことを見つめていたカナタは、ふと思い当たることがあり口を開く。


花番ハナバンは、何だったんでしょうか」


 ミサキがテーブルを叩いた。置かれていた調味料などが小さな音を立てたが、それは店内に響き渡るテーブルを叩く音にかき消された。


「それだ! 食事が終わったらそれを確認しに行こう! ありがとうカナタ、君のおかげで気が付いたよ。どうしてこんな簡単なこと思いつかなかったのだろう」


 立ち上がり、子供のように飛び跳ねながらミサキはカナタに手を伸ばす。動きに合わせて弾む胸がシャツ越しに見えるので、カナタは少し目を逸らしながら握手に応じた。


 花番、正式名称は花月カゲツ番号札。イーハトヴの国民が生まれた時に与えられるものである。花と動物や物との組み合わせからなる四十八種類の札で、それらがランダムに配られる。札の種類による上下関係などは発生せず、札自体が何かの効力を持っているわけではない。しかし、花番は国民の生活に深く根付いている。例えば、学校のクラス分けの際などに花番を参考にすることがある。例えば、簡単なグループ分けをする際に用いることがある。例えば、役場で提示すれば自分にまつわるものを見付けやすくなる。元は隣国で使われている国民管理方法を参考にしたものだったが次第に柔らかくなっていき、今ではほとんど形しか残っておらず一般市民にとってはただの便利アイテムである。


 イーハトヴ国民は、花番を振られる自分達のことを花札ハナフダと自称する。


 座り直したミサキがいたずらっこのような笑みを浮かべながらお冷を飲む。薄桃色の唇が濡れて艶っぽくなるのを、カナタは何気なく眺めていた。


「君は何なんだい?」

「何がですか」

「花番だよ」

「菊に盃です」


 ほう、とミサキが感嘆する。


「私達はどうやらいい相性のようだな。君を助手にして本当によかったよ」

「ミサキさんは何なんです」

「芒に月だよ」


 見せてくれ、と言いながらミサキは財布から札を取り出しテーブルに置く。芒の野原に赤い空、そして白い月が浮かんでいる。カナタもメッセンジャーバッグをごそごそとして札をテーブルに置いた。菊の花に盃が紛れ込んでいる。


 並べられた札を見て、ミサキが指を鳴らした。静かな店内にパチンという音が響く。長い睫毛で縁取られた目が見開かれ、好奇心に満ちた子供のように煌めく。


「月見で一杯っ!」

「にゃー! ランチタイムはお酒置いてないにゃん!」


 オムライスとカレーライスを持って猫が戻ってきた。元は異国の料理であったものをアレンジした洋食は、見た目こそ洋風であってもあくまでイーハトヴ料理であるとも考えられる。イーハトヴ料理は扱っていないのではなかったのか。ミサキが訊ねると猫はやや乱暴に皿をテーブルに置きながら毛を逆立てた。


「ふにゃあ! 純イーハトヴじゃにゃあから言ったにゃんよ! 文句がある客は店長の胃袋行きにゃん! おとなしく食べて、お代を置いてさっさと帰れにゃー!」


 盆で床を叩きながら猫が吠えた。厨房の方へ戻るのかと思わせて、ホールの隅に居座るつもりのようだ。二人が食事を終えるまで睨みを効かせるようだ。


 閉じられた扉の向こう、おそらく厨房と思われる場所から腹を空かせた巨大な生き物の腹の虫が鳴るかのような地鳴りに似た音が聞こえた。カナタは驚いて身を縮めたが、ミサキも猫も気にしていないようだった。気のせいだったかと思いながらオムライスをつつく。


 店に入った時からおかしな店だと思っていた。店員の教育がなっていない、とカナタは思う。しかし、料理の味はとてもいいのだ。それが何だか悔しくて、ホールの隅にいる猫を睨んでやるが睨み返されて撃退される。それを見てミサキが愉快そうに笑っていた。


「うにゃ。店長はお腹がすいてるにゃん。食べたらさっさと帰るにゃんよ。居座る客は店長の胃袋に消えるにゃー」


 厨房の方から地鳴りが聞こえてくる。


「ミサキさん、本当に店長に食べられるんでしょうか」

「くだらんな。そんなわけないだろう。しかし、何かはありそうだ。早く食べて聞き込みを再開しよう」


 地鳴りに混ざって獣の呻き声のようなものも聞こえてきた。カナタとミサキは顔を見合わせて、それから大急ぎで料理を平らげた。ホールにいた猫にお代を渡し、ドアを開け開け、外に出る。


「入る前に色々言ってきて、入ってからも色々言ってきて、注文の多いレストランでしたね」

「ふむ、味は良かったな。では行くとしよう。まずは最初の事件の被害者である作業員の家だ」


 二人が立ち去ったのを確認したウエイトレスの猫は表の看板を『準備中』へ変える。そこへふらりと二人の男がやって来た。準備中だと断る猫に、男達は引き下がらない。何でもいいから食べさせてくれと言う男達に向かって、猫はにやにや笑いながら「何でもいいから食べさせるにゃんか」と訊ねた。大きく頷く男達を店内へ案内する。


「お客様に作っていただくことになるにゃんがいいにゃんか」


 腹が減っていて大変困っている。男達はそう言い、「分かった。料理は自分達が作るから」と答えた。店の奥へと案内されていった二人の男。彼らは数分後、なぜかバターでべとべとになりながら店から飛び出すことになる。何があったのかと訊ねても、震えるだけで答えることはなかった。





 作業員、炭坑夫、機関士の家を順に訪れ、怪訝な顔をする遺族から彼らの花番を訊きだした。事務所に戻ってきたカナタとミサキは黒板を前に眉間に皺を寄せている。


 困ッタ、困ッタ。と鳴きながらスイは事務所の天井近くを飛び回っている。


「松に赤短冊、梅に赤短冊、桜に赤短冊か……」

「こいこい組み合わせで赤短揃えですね」


 花番の組み合わせの呼び名には何種類かあるが、ポピュラーなものはこいこい組み合わせである。にゃんにゃん亭でミサキの言った「月見で一杯」もこいこい組み合わせでの呼び方である。松、梅、桜の短冊札はこいこい組み合わせでは赤短と呼ばれる役だ。


 顎に軽く指を添え、ミサキは思案顔になる。肩に留まったスイを撫でながらカナタはミサキの様子を見守る。自分はただの新聞配達で明晰な頭脳を持ち合わせているわけではない。助手といっても、推理そのものに協力することは難しいだろう。


「赤短が揃っているのは偶然か、それとも犯人が意図したことか。君はどう見る?」

「えと……狙ってやったんじゃないですかね」

「ふむ。そうすると、なぜ犯人は赤短を狙ったのだろう。どうなんだい、カナタ」

「だから僕は犯人じゃありませんよ!」


 すまんすまん、と言いながらミサキはからから笑う。


「赤短が君と君のお父さんに何か関係がないか調べることにしよう。そろそろ日も傾くし、続きは明日にしようか。夕食は何がいい?」

「どうせ冷麺でしょう?」

「ふふん、今日はじゃじゃ麺だよ、君」


 うきうきした足取りでキッチンへ向かうミサキを見送って、カナタはスイを撫でる。


「麺は好きだけど、麺以外も食べたいなあ」

「ピ」


 黒板に書いた調査結果を眺めていると、キッチンの方から「手伝ってくれ!」という声が聞こえてきた。










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