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Gear-19 アメのヤシロ

 神社を囲むドームの外では雨が降り続いていた。外の様子は見えないが、どっどど、どっどど、という風の音と雨粒の打付けられる音が聞こえて来る。ジャケットの裾を絞りながら、カナタはミサキの座るベンチへ向かった。


「カナタ、巫女さんがタオルを貸してくださったよ」


 髪を拭うミサキの傍に、先程対応してくれた着物姿の女性が立っていた。肩に乗った狐のロボットがタオルを抱えている。


「あなたもどうぞ」

「ホラヨ、使エヨ人間」

「ありがとうございます。お姉さんは、ここの職員さんなんですか?」

「はい。代々この神社を守っています」

「ココハ村ノ守リ神ノ小僧ッ子ヲ祀ッテイルンダ。雨宿リサセテモラッタンダカラ、チャントオ参リシテイケヨ! 分カッタナ、人間! ウハハ!」


 口の悪い子ですみません、と言って女性は狐のことをこつんと叩いた。狐は不服そうに唸る。


 風早かざはやミツハと女性は名乗った。風早家は代々タニカワ神社の神職を務めており、タニカワ名物の突風と俄雨に対応し続けて長いそうだ。村の者も、村を訪れた者も、風と雨に追い駆けられる者は毎日のようにいる。数代前の宮司が大型の蒸気機関を用いた巨大なドーム型の設備を設置して以来、雨宿りの地として賑わっているのだという。駅と集落の間にあるため、人の往来も多い。重宝されているそうだ。


 カナタは狐から受け取ったタオルで顔を拭いながら、ミサキの隣に腰を下ろす。雨から守り抜いた駅弁が脇に置かれていた。


「お二人は……タニカワへは観光に?」

「いや、目的地はもっと先なんだ。途中で汽車が停まってしまってね」


 きっとまたあの子達ね、とミツハは呟いた。


「近くに鉄道の信号機があるんです。その信号を管理しているロボットがいるんですけど……恋を、しているんですよ。線路を挟んで、あちらとこちらで。本線と支線の信号機がね」

「恋? ロボットが、恋をするのか……?」


 イーハトヴの人々の暮らしに機械は欠かせない。技術が発展するにつれて、ロボットは便利道具から仕事仲間になり、そして家族になった。かつては考えられなかった高性能の思考機関を搭載するロボット達は、今やイーハトヴ国民――花札――の一員である。設定された命令通りに動くのではなく、自分で考えて行動する。


 父や叔父と共に、人や動物達と同じように生活するロボットを何体も見て来た。そんなカナタでさえ、恋するロボットというものは初耳だった。ミサキと同じように頭に疑問符を浮かべてしまう。二人の様子を見て、ミツハはくすりと笑った。


「ふふ、みなさん驚かれるんですよ。嘘だろ、って思うでしょう? 本当ですよ」

「ほう、珍しいこともあるもんなんだな」

「すっ……すごいですね! ミサキさん! そのロボット達を見に行きましょうよ!」


 カナタは駅弁に伸ばしていた手を止め、身を乗り出すようにして言った。勢いで髪から雫が落ちる。ロボットがロボットに対して恋愛感情を抱き、相思相愛になっている様をこの目で見ないわけにはいかない。そのような貴重な経験ができる機会を逃してなるものか。目を輝かせるカナタを見て、ミサキは少し引き気味に駅弁を突く。


「君という男は機械が絡むと非常に押しが強くなるな」

「後学のためにもよろしくお願いします!」

「近い近い顔が近い! 弁当が食べづらい!」


 駅弁を抱えてミサキはくるりと体の向きを変える。


「ミサキさん!」

「分かった分かった。ではそのようにしよう。雨が止んだらそのロボットを見に行こうじゃないか」

「やったー!」


 幼い子供のようにはしゃぐ声を背に、ミサキは笑みを零す。「仕方のない奴だ」という言葉も、笑顔も、カナタには気が付かれていない。


 件の信号機ロボットがいる場所までは徒歩で行ける距離なのだとミツハが言う。曰く、隣の駅の手前である、と。タニカワ周辺の簡単な地図が社務所にあるので後で持ってくると告げ、彼女は他の雨宿り客の元へ向かって行った。境内をぐるりと囲むドームの外では未だに雨が降り続いている。


 秋が深まり、冬の足音が遠くの方から聞こえてくる頃。そんな時期に降る雨のことを、イーハトヴでは時雨と呼ぶ。雨を表す言葉はいくつもあり、音も文字も様々である。それらの言葉は時に景色を彩り、時に心に働きかける。雨は情緒のあるものだ。しかし、タニカワではそのようにしみじみと情趣を味わうことはできない。雨風は突如として村を襲い、いつだって強力だった。


 駅弁を突きながらカナタは境内を見回す。二人が駆け込んだ時よりも人が増えていた。皆、濡れた服の裾を絞ったりタオルで顔を拭ったりしている。


「……雨。雨が降ったり止んだりするのを自由自在に操れたらいいのにな」

「珍しく夢見る子供のようなことを言うんだな」

「空気中の水分量を人工的に調整して、それを上空にまで反映させるような機械を作ることができれば……。ううん、違うな。そんなに簡単じゃない。そうだな……」

「なんだ機械の話か」


 御伽話の魔法の話でもしたのかと思ったよ。ミサキが言うと、カナタは夢見る子供を一切感じさせない声ですぐに返答した。


「魔法なんて非科学的です。ミサキさんは信じているんですか」

「鼻で笑うのやめろ。かわいげのあることも言うじゃないかと思った私が間違っていたよ」

「なんか前にも似たような話をした気がしますね」


 雨の音と、風の音。時折鳴り響く雷と、人々のどよめき。長年暮らしていても慣れないものだと、住民の男性が観光客のグループと話をしている。


 駅弁を食べ終えると、カナタはベンチから立ち上がった。メッセンジャーバッグを肩に掛け直し、一歩踏み出す。


「どこか行くのか」

「お参りを……。狐がお参りしなさいって言ってたので」

「では私も行こう。しかし君、魔法が非科学的ならば、神も非科学的ではないのか?」

「……御伽話は創作物ですが、神話を創作物だと言い切るのは難しいです。各地に古くから伝承や碑が残っていますからね。僕は別に信じているわけじゃないです。でも……。それでもやっぱり、時には神頼みをしてしまうこともありますね。きっと花札のさがなんだと思います」

「ふむ。まあ私もだいたいそうだな。普段は気にしていなくとも、正月には初詣に行くしな」


 雨宿りをしている人々の間を抜けて、二人は拝殿の前に辿り着いた。今となっては珍しい木造建築である。長い歴史の中で修復を繰り返しているのか、所々に機械の類が見え隠れしている。ドーム型の設備が完成するまでは、豪雨によって倒壊しかけたこともあるのだろう。


 賽銭箱に小銭を入れる。すると箱の内部から歯車の回る音が聞こえて来た。じゃらじゃら、じゃらじゃらり、と無数の小銭の音が聞こえる。二礼二拍一礼を済ませた瞬間、カナタは賽銭箱に飛び掛かる勢いで近付いた。興奮した様子で内部の機械の説明を始めるが、ミサキは冷ややかにそれを見ている。


「一定の重さに達すると底が抜けて回収されていくようですね。なるほど、重さに反応するようになっているのか……。興味深い。仕掛けを動かすきっかけとして、物の重さはよく使われていますよね」

「ご存知だと思いますが、というようなノリで話しかけないでくれるか」

「え? いや、だってこれって同じですよね」

「同じ?」


 初めてミサキと出会った日、探偵事務所を訪れたカナタは熱烈な歓迎を受けた。階段を昇ると横断幕が飛び出し、オルゴールが鳴ったのだ。あの仕掛けは階段が重さを感知すると稼働するようになっている。当然事務所の主であるミサキはあの仕掛けを理解しているのだと思っていたが違うのだろうかと、不思議そうにカナタはミサキを見上げる。ミサキはゆるりと視線を逸らせた。


「あの事務所の入口にある仕掛けも重さで動くやつですよね」

「あー、あれか。あれは……そうなのか?」

「知らないんですか」

「仕組みまでは把握していない」

「ミサキさんが付けたんじゃないんですか?」

「いやぁ、あれは……」


 あれはどうしたやつだったっけ。


 ミサキの呟きは雨音に溶けてしまった。


「……ミサキさん?」

「あれは……。……ん。ん? あれは何だ?」

「話を逸らさな……」


 拝殿の硝子障子の向こうで何かが光っている。ぼんやりとした小さな光が二つ、揺れ動きながらカナタ達のことを見つめていた。


 そこへ、タオルを配り終えたミツハがやってきた。拝殿に気を取られ、二人は彼女が近付いてきていることに気が付いていない。草履が湿った砂利を踏む音と、狐から発せられている駆動音が小さく鳴る。


 クラムボンの災厄より遥か前。誰も知らない昔。この国を生み出したと言われる神々がいたそうだ。かつては神秘に満ちていたとされるイーハトヴは機械国家と化した。今や神々の威光は伝統という形として残るのみ。日々の生活から消えかけた神に時として祈りを捧げる人々は、一体何に願いを託しているのか。


「拝殿の中が気になるんですか?」


 狐の背を撫でながら、ミツハは二人に声をかけた。



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