三体目の魔王
走れ、走れ、風よりも速く! 疾風の如く!
いや、疾風と同じじゃ風よりも速くは無理か。どのみち風なんか遥か彼方に置いていってるが。
「あんのクソ兄貴が!」
全部理解した。さすがは禍喜共、あんなに固かった魔王の口をあっさりと割ってくれた。
まあ最後に、シークレスとヴァジャーユの戦闘映像を見せてやったからってのもあったけどな。だがそれが無くとも、遠からず口を割っただろう。
ともあれ、何で兄貴が俺を外に出して、挙句こんなところに送り込んだのかは大体理解できた。あくまで推論止まりではあるけども。
なんせ答え合わせしようにも、何度呼びかけても一向に返事がないからな!
上で一体何が起こっているのか、考えたくもない。
ただ一つ、確実に言える事がある。
「死ねクソ兄貴!」
最初から言っておけば良いものを、わざわざ言わずに送り込んだのは、一体どんな意図があっての事なのか。
多分、気付いて動いてくれれば儲けものぐらいの認識だったんだろうな。俺が気付かなくても問題ないが、気付けば勝手に動いてくれるだろうとか考えてたんだろう。
兄貴にとっては余興なんだろう。むしろ現在進行形で直面している何かの方が、兄貴たちにとっては遥かに優先順位が高いに違いない。
ならば気付いたところで、俺が動く義理など無い。
無いのは確かだが、知った以上俺が動く事は確実だと兄貴たちは踏んでいる事は想像に難くない。
そして事実その通りなのが、動く動かないに関わらず無性に腹が立つ。
究極的には、俺で遊ばれてたとも言える。そのつもりがあったかどうかまでは分からないが。
「ほんと死ねクソ兄貴! 面倒事ばっか押し付けやがって! これ、全部片付いたら絶対に上に乗り込んで行ってやる! 絶対に殺してやる!」
どうせ人間辞めてるし、殺しても生き返る。
その為にも、一刻も早く今回のこれを片付ける必要がある。
今の俺は、ローブを脱いだ状態であるのは勿論、武器も一切装備していない。
その軽さをとことん追求したスタイルに加えて、俺が現状で習得している各種バフを全て施し、時間の流れを加速させ、さらに【百歩騨】のスキルを使用し続けている状態にある。
要するに、ニューアースに降り立ってから最速かつ最大級のステータスを今の俺は誇っている。
とりわけ敏捷値は、箱庭にて龍に挑む時のそれに近い。
そこまでの速さで移動しているのは、一刻も早く今回のこれを片付ける必要があるという個人的事情も勿論ある。
まあこれを片付けたところでまだまだ先は長い上に、兄貴たちに対するそれとは比べものにならないぐらいに全ての元凶には腹が立っているのだが、とにかく一息ぐらいはつきたい。
……つうか、所詮は被造物の分際のくせに、図に乗ってんじゃねえよ。
まあそれはさておき、それ以外にも単純に時間が惜しいという理由もある。
掛け値抜きで、一分一秒が惜しい。
もし仮に遅れた場合、その時にやらねばならない事を考えると頭が痛くなって来る。
兄貴たちに対する制裁も二割増しにしなければならないので、兄貴たちの為にも、俺は急ぐ必要が……。
……別に急がなくても、何の問題もない気がして来た。
「……いや、一応あるな」
俺の負担を考えると、やはり急いだ方が良い。
兄貴たちに下す制裁は俺の裁量次第なのだから、間に合おうが間に合わまいが、二割増しにすれば良いのだ。
とにかく急ぐ。
ただひたすらに、真っ直ぐ走り続ける。
場所が場所だから頻繁に木々やら岩やらが立ち塞がるが、避ける暇も惜しい。勢いとステータスにものを言わせて、力任せに突っ込み粉砕する。
上空から見ると、きっと物凄い事になっているだろう。
竜巻なんかメじゃない、圧倒的自然破壊が齎されている筈だ。
急いでいるので、多少は大目に見て貰いたい。
「見ぃ付けたぁ!」
大分北上していた、モンスターの大群の最後尾を視界に捉える。
さて、どうするか。
ぶっちゃけ木々やら岩やらと同じように、この勢いを維持して突っ込めば、それだけで粉砕し倒せる気がする。と言うかできる。
ただ、そうすると確実に血まみれかつ臓物まみれになるだろう。
それはさすがに嫌だ。
「【徹甲崩拳・迅衝】!」
拳を振り抜く。
その動作によって生み出された衝撃波は、俺の正面に広がっていたモンスターの群れを地面ごと抉り、穿ち、木っ端微塵に粉砕する。
拳の軌道上に衝撃波を生み出す、話だけに聞けばそれだけかと思えるスキル。
だが、体術スキルがSSになるのが必須条件であるこの【徹甲崩拳・迅衝】のスキルの威力は伊達じゃない。
衝撃波は最大で数キロに渡って奔り、また威力も通常の拳によるダメージのの三倍という数値を誇る。
単純に筋力値の数値だけで考えても、衝撃波を受ける事は45000の筋力による拳を喰らうのと同義だ。
箱庭の生命体と比べて程度の低いモンスター共など、オーバーキルして余りある。
何より、スキル故に連発が利く。
「第二波ァ!」
続く左の拳で、相当数のモンスター共を屠れた。
生憎カウントしてなかったが、少なくとも俺の走るコース上に存在するモンスターは一匹たりともいない。
ギリギリ衝撃波の範囲外に居た個体も、モーゼの如く左右に引いている。
「フハハハハハ! どうやら人間にもできる者が居るようだな!」
と思ったら、命知らずが立ち塞がる。
「我こそは魔人十傑衆のひとルブァッ!?」
とりあえず邪魔なので粉砕しておいた。
「なっ、貴様ギャバッ!?」
「せめて名乗りぐラバッ!?」
「汚いゾファッ!?」
同じような何たら衆らしき魔人も同様に一蹴し、さらに進む。
「止まれぇ! 我こそは九頭魔人のひぎゃああああああああああああああッ!?」
「この魔人八部衆である我が相手ぎゃああああああああああああああああッ!?」
「待て待てぇい! 七星魔人たるこの私ぐぁあああああああああああああッ!?」
「おのれぇ! ならば六魔将に名を連ねる我が貴様を直々に葬ってやろうではないぎゃあああああああああああああああッ!?」
何か途中で次から次へと魔人らしき奴らが登場して来るが、どいつもこいつもわざわざ前口上を述べて隙だらけだったので、遠慮なく先制攻撃を叩き込ませて貰う。
所詮は中級魔人程度が、本気の俺の相手になる筈もなく、瞬殺に終わる。
もっとも、数ばかりは多いが。こんなに魔人が居て、よく連合側は今まで滅ばなかったな。
「ほう、中々やるようだな! 良いだろう、この魔人四天王の―――」
「五はどうした五は!」
「ぬぐぁあああああああああああああああッ!?」
飛ばしてんじゃねえよ。
そして四天王とかいう割にはやっぱり中級じゃねえか。
テテレテッテッレッテー。
脳内に唐突にファンファーレが鳴り響く。
『レベルが上がりそうで上がりません』
「そんな事知っとるわ!」
言われるまでもない。
レベルを一つ上げるのに必要な経験値が、このぐらいであっさりと溜まって堪るか。
そして一体いつの間に、こんな無駄なボイスを追加した。
「ヴァジャーユ! 戦闘は継続したまんま、余波で砦に入ってない奴らを優先的に殺ってくれ!」
俺の無茶振りに了承の返答。マジ良い子。兄貴たちとは段違いだ。
「我らこそが魔人百人衆! ここから先は一歩も進ませは―――」
「増えてんじゃねえ!」
「ぐぎゃあああああああああああああああッ!?」
そこは飛ばしても良いから、せめて減っていけよ。
つか、数の暴力とか恥ずかしくないのか? しかも百も居なかったし。
――――――――――――
「【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】!」
上空から振り下ろされる重力場の鉄槌に、天幕が押し潰される。
直前でヴェクターがイレーゼとエレナを抱えて天幕から脱出したのと同様に、相手のドッペルゲンガーもまた天幕から脱出。
地面を転がり立ち上がるドッペルゲンガーに、素早く詠唱を終えたイレーゼが再度重力場の鉄槌を下す。
「危ないですねえ。喰らえば私と言えども、タダでは済まなさそうだ」
ドッペルゲンガーが飛び退き、半瞬遅れて地面に円柱型に穿たれる。
「ですが、当たらねばどうという事もない」
続く【引き寄せる重力場(グル・フォール)】による拘束からの【重力斬(ガテーラ)】のコンボも回避し、三度目の重力場も危なげなく回避し、イレーゼの重力属性魔法をそう評する。
その身のこなしに焦りはなく、言葉の通り余裕がある事が伺わせられる。
それに対して、連続で自分の魔法を回避されたイレーゼは憤慨する。
「何で避けてんだよ!」
「当たったら危ないものを、わざわざ喰らう訳がないでしょう」
「…………」
ドッペルゲンガーの言葉に、イレーゼは放とうとしていた魔法を止めて、俯いて思案を巡らせる。
「それもそっか。ならしゃーねえな!」
そして顔を上げた時には、実に晴れやかな表情をしていた。
対して背後にいたヴェクターとエレナは、実に痛ましい表情を浮かべて首を振っていた。
「それなら意地でも当ててやるもんね! 【圧搾する黒重球(ガルデーラ)】!」
「【密室の爆裂業火(エル・パズルスス)】」
イレーゼの生み出した黒球に対して、ドッペルゲンガーは後退し、キザったらしく指を鳴らす。
瞬間、自分の眼前に、イレーゼと生み出された黒球をも包み込む立方体の結界を構築。内部で大爆発が巻き起こる。
「あっちぃっ! 何すんだよ!」
「……おや、今のを喰らって、どうして無事なのですか?」
爆発が収まり結界が解除されて中から姿を現したのは、全身を煤に塗れさせた状態のイレーゼだった。
仰向けの状態から跳ね起き、歯を剥き出しにするイレーゼとは違い、ドッペルゲンガーは眉を上げて疑問を抱く。
確実に捉えたのは明らかだったが、イレーゼは言葉とは裏腹に、全身も汚れてこそいるがダメージは殆どない。数値に表して、精々が300と言ったところだろう。
その自分の生み出す筈の事実に反する結果に、不快感を抱くとまではいかないにしろ、違和感を覚えていた。
「はんッ! あの程度の炎、シュウポンから新しく貰ったこのローブがあれば何ともないっての!」
「それは……見た事のない素材でできていますね」
イレーゼが指し示したのは、名前を紅緋套と言い、早い話が紅緋龍の皮を用いて作られた一品である。
通常の性能は四哭獣のローブよりも大きく劣るも、火属性と焔属性に対する耐性は勿論、水と氷にまで及ぶ。
そして防具としての性能も、龍の素材が使われている以上は言うまでもない。
ハッキリ言って、イレーゼのレベルを考えれば勿体無いぐらいの性能を誇る。
例えるならば、序盤で勇者が伝説の武具をフル装備するぐらいに不釣り合いだった。
もっとも、イレーゼはそんな事を知る由もない。
イレーゼの頭を信用していない秀哉が、詳しい説明を念を入れて釘を刺したとしても簡単に口を滑らせかねないと危惧し、説明してない為だ。
「少々驚きましたね。どのような素材を用いて作られたかは知りませんが、私の超級火属性魔法……ああいえ、超級と言っても分からないで―――」
「【重力斬(ガテーラ)】!」
相手が話している事などお構いなしにイレーゼが重力の斬撃を放ち、間髪入れずに拳を振り被る。
その容赦の無さに意表を突かれこそしたものの、重力の斬撃を躱し、そして続く拳を余裕を持って受け止め、そして踏ん張りきれずに吹き飛ばされる。
それが自分の質量を極端に軽減された結果だと気付いたのは、体を起こした時に、拳を受け止めた手が若干重く感じられた時だった。
「ちょーきゅーだかなんだか知んねーけど、たかがそれぐらいで調子乗ってんじゃねぇよ! ンなもん、シュウポンの使う魔法と比べれば屁でもないね!」
片手に枷を付けられた事に顔を顰めるドッペルゲンガーに、イレーゼは指を突き付けて言う。
「シュウポンはなぁ、ちょーきゅーどころか、こ……誇大? だったか、あとじんにきゅうとか、それらだって操れるんだぞ! たかがちょーきゅーが使える程度で、偉そうにすんな!」
何故か自分の事のように胸を張って宣言するイレーゼに、ヴェクターは目元を覆って嘆息し、エレナは顎に手を当てて眉をひそめ思案する。
一方のドッペルゲンガーは、そのイレーゼの曖昧な発言の本質を読み取り、目を細める。
「超級? 誇大……古代か? じんにきゅう……人肉?」
「んあッ!?」
そんなエレナの呟きを耳にしたイレーゼが、しまったと言うようにサーッと顔色を青褪めさせる。
「ちょっ、タンマ! 無し、今の無し! 聞かなかった事にして!」
「「「…………」」」
周囲に痛々しい沈黙が降り、乾いた風が吹き荒ぶ。
そしてそんなイレーゼの発言を受け、エレナは「後で彼女を問い詰めてみるとしようか」と密かに決心する。
「……普通の人間は知らない筈なのですがね」
疑うような視線を向けていたドッペルゲンガーだったが、同時に警戒の色も宿らせる。
イレーゼの発言どおり、本当に超級以上の位階の魔法を扱えるかどうかは別として、少なくとも知っている事は確かだという事を理解したが故にだ。
「あながち、日凪出身というのも嘘ではないのかもしれませんね。ヴェムド様に追い詰められている筈ではありますが、少々念を入れておいた方が―――」
何らかの方針を決めたところで、唐突に言葉を切り、咳き込む。
口元を覆った手をどけて見てみると、そこには自分の口から出てきた血がべっとりと付着していた。
「なっ……!?」
「時間稼ぎご苦労だったな」
「えっ、そんな作戦だったのん?」
「…………」
突然ドッペルゲンガーを襲ったのは、ヴェクターがかつて秀哉に対しても使用した上級疫病属性の【胸腔蝕む疫霧(トルフェイラ)】の魔法。
呼吸器系に対して凶悪な猛威を振るうその病魔は、例え相手が人間でなくともお構いなしに自分たちの役目を果たす。
「何か知らんが、とにかくチャンス!」
最初こそ頭を捻っていたイレーゼだったが、すぐに疑問を脳内から綺麗さっぱり消して突貫。
当たり前の事だが、呼吸器系を蝕まれて十全の運動能力を発揮できる者は居ない。どんな者であっても、本来の能力と比べれば劣る。
当然ドッペルゲンガーもこの例に漏れず、イレーゼの拳を回避する余裕も無く、歯噛みしながら腕で受ける。
「まだまだッ!」
質量を増加させた拳は重く強いだけでなく、一撃ごとに触れた部分に【質量の枷(グルゲスタ)】による枷が掛けられていく。
接近戦において、イレーゼと真っ向から渡り合うのは至難の業であり、ましてや病魔に犯された状態では尚更だった。
「くっ―――!?」
時間を掛ければ自分が敗北する事もあり得る―――その事を理解したドッペルゲンガーは距離を取り魔法戦に切り替えようとするが、一歩遅かった。
「なっ……!?」
不吉な音を立てて、ドッペルゲンガーの両手首の骨が折れる。
いや、手首だけではない。腕も足も、それぞれのパーツを構成する骨が折れ、あるいは砕ける。
最上級疫病属性魔法【骨格塵化浸食(ルレデフェン)】によって脆化された骨は、魔人モードレイのように剥き出しでなければ、負荷を掛けない限り折れたり砕けたりする事は無い。
だがしかし、さすがに重力の枷が何重にも掛けられた事による負荷に耐え切れるほどの強度を保つことは不可能だった。
もっとも、この【骨格塵化浸食(ルレデフェン)】の病魔の感染経路は接触感染。媒介主の大本であるヴェクターは自分の位置から微動だにしていない以上、必然感染を仲介したのはイレーゼという事になる。
つまり、負荷を掛ければ骨が無事では済まないのはイレーゼも同じだという事だが、以前と違い自分にその疫病が感染させられている事を把握していたイレーゼは、相手にその症状が現れるのを確認した途端に即座に攻撃を止め、距離をとる。
肉弾戦に限らねば自身の骨格に負荷を掛けずに攻撃する方法などいくらでもあり、彼女の操る重力属性魔法はその条件にこの上なく適合する。
「くたば……れッ!?」
その重力属性魔法を放とうとした瞬間に、イレーゼの小柄な体躯がくの字に折れ曲がって持ち上がり、山形に吹っ飛ばされる。
「カッ、ハッ……!?」
「イレーゼ!」
絶息し口の端から血混じりの唾液を流すイレーゼのアバラは、殆どが粉々に砕けていた。
相手に感染させる為に自ら【骨格塵化浸食(ルレデフェン)】の病魔に犯された事が、ここであだとなって降り掛かって来ていた。
「あまり調子に乗られては困ります」
イレーゼをその状態に追い込んだ相手―――ドッペルゲンガーは、その姿が劇的に変化していた。
髪の毛の一本も無い禿頭は人間のそれよりも遥かに大きく、それだけで大人の背丈を上回るほどの大きさがあり、また表面にはひょっとこのような突起が生えている上に、そのすぐ下には表面に無数の吸盤の付いた触手が合計で八本生えている。
イレーゼを吹っ飛ばしたのもその触手の一本のようで、丸太ほどの太さのあるそれを引き戻しながらそう言う。
端的に言うならば、その姿はまさしくタコだった。ただし、その体躯は通常のタコどころか、人間を簡単に丸呑みできる程の大きさがある。
「しかし、こうして実際に受けてみると中々に厄介な魔法ですね。報告書は読んでいて正解でした」
そんな姿で一体どうやって喋っているのか不思議になるほど流暢に人の言葉を発したタコの姿が、早送りのように人の姿へと戻っていく。
変化を終えるのに要した時間は僅か二秒。だがその気になれば、一瞬で姿を変じられる事は、直前の変化から見ても明らかだった。
「ですが、軟体動物に骨は無い。封殺するのはそこまで難しいものでも―――」
「【失墜する氷塊(アス・クォルレイト)】!」
頭上に出現する、巨大な氷塊。
それに対してドッペルゲンガーの行った行動は、ただ腕を掲げるのみ。
直後に落下した氷塊が腕に接触し、粉々に砕け散るも、当の本人の腕には何の異常も起きた様子は無かった。
「そして、一度でも変化して元に戻れば、どうやら病魔も解除されるようですね」
「くッ……解除!」
既に相手が自分の魔法に犯されていないという事を理解し、ヴェクターが魔法を解除する。
「イレーゼ、大丈夫か!?」
「他人の心配をしている余裕があるのですか?」
「ッ!?」
イレーゼの元に駆け寄ろうとしたヴェクターの進行方向にドッペルゲンガーが回り込み、広げた五指を触手へと変異させてヴェクターの体に巻きつけ締め付ける。
「貴方の血は浴びると面倒なようなので、このまま拘束させて―――」
「【氷墓の石像(アス・フィビュラント)】!」
ヴェクターとドッペルゲンガーの下半身が共に纏めて凍り付く。
「おや……」
相手ごと自分を凍らせた氷を生み出した術者であるエレナを、ドッペルゲンガーは興味深そうに見る。
「なるほど。私を拘束するにあたって、彼の事は考慮せずですか。中々合理的な判断です。中々合理的で客観的に見ればとても正しい判断だ。ですが、私の主観からすればそれは誤りだ」
「なッ―――!?」
ドッペルゲンガーの姿が唐突に消える。
厳密に言えば本当に消えた訳ではなく、注意してみれば一匹のハエがその場に居る事に気付けただろうが、直前までの姿との体積比の落差が余りにも大きい為に消えたようにしか見えず、それに気付ける者は居なかった。
ともあれ、氷による拘束を体積を大幅に減らすという方法で脱したドッペルゲンガーが向かったのは、驚きから隙だらけの姿を晒している、本来のターゲットでもあるエレナの元だった。
エレナのすぐ傍で姿を元に戻し、片手の指先を硬質で鋭利なものへと変えて手刀をつくり、首筋を目掛けて繰り出そうとする。
「だぁらっしゃあッ!!」
しかし、間一髪でドロップキックを放って来たイレーゼにそれを阻まれる。
「あの怪我でまだ動けるとは……いえ、自動治癒のスキル持ちでしたか。ですが―――」
両腕を交差させて蹴りを受け止め、そのまま腕を広げて跳ね飛ばす。
そして腕を蛇に変化させ、即座に着地し再跳躍しようとするイレーゼの肩口にその牙を食い込ませる。
「完治には程遠いようですね!」
「こんのぉ……ッ!?」
重力の斬撃を放ち蛇の頭部を切断して剥ぎ捨て、仕返しの拳を見舞おうとして失敗する。
「麻痺毒です。余り強いものではありませんが、その怪我をした状態では満足に動く事もできないでしょう」
「なら、条件は、同じ……だな!」
イレーゼの言葉を、ドッペルゲンガーは負け惜しみだと切り捨てる。
現に、彼女が直後に放って来た蹴りは当初のような鋭さは無く、元よりステータスの数値で優位に立っていた彼からすれば欠伸が出る程に遅いものだった。
それを悠々と受け止め、カウンターでトドメを刺そうと考えた瞬間、間に挟んだ腕に凄まじい重圧が襲い掛かって来る。
「ぐッ……!?」
踏ん張ろうと全身に力を込めるも、圧し掛かる力はその抵抗をあっさりと上回り、結果ドッペルゲンガーは吹っ飛ばされて地面を転がされる。
「一体、何が……」
ダメージで言えばそれほどでもないが、自分が力負けをしたという事実に眉を潜める。
そしてすぐに、視線を魔法を解除されて氷から脱したヴェクターへと向ける。
「……なるほど、あの時すでに伝染していたという訳ですが」
【骨格塵化浸食(ルレデフェン)】と同様に接触によって感染する、最上級疫病属性魔法の【衰える筋力(イッフィルト)】。
現在自分を襲っている異常は、その魔法によるものだろうと当たりをつける。
まだ感染初期段階であるが故に自覚するほどの筋力の低下は無いが、それでもイレーゼのそれを下回るほどには衰えている。程なくすれば、ただ立っているだけでもそうと分かるぐらいハッキリと、筋力が衰えるだろう。
勿論いまの攻防でイレーゼも感染しただろうが、感染したタイミングは自分の方が速く、衰える速度も同様だろう。
加えて、そこに重力の枷が追加されれば簡単に立場は逆転する。
そんな結論を推測から導き出し、忌々しそうに舌打ちする。
「まったく、迂闊に触ることもできないとは、実に厄介な二人だ。厄介ではありますが―――」
またドッペルゲンガーの姿が変化する。
直後に、ヴェクターは反射的に腕を掲げる。
「ぐぅ……ッ!」
掲げた腕を細長く鋭い、真っ白の針が貫き軌道を僅かにずらして肋骨の隙間を掻い潜る結果に冷や汗を浮かべる。
もし間に腕を挟む事ができなければ、心臓を貫かれているところだったと。
その細長い針を握るのは、針と同様に真っ白な手。
骨も肉もないそれは紛れも無い剥き出しの骨であり、そしてその手をつなぐ腕も肩も、そして全身も全てが持て余す事無く骨で構成されていた。
「…………」
スケルトン―――骨に霊体が取り憑いて発生するアンデッドの姿がそこにはあった。
声帯がないためか言葉を一切発さずに顎の骨をカタカタと鳴らし、空いた手による貫き手を放ち、半ば強引に体から針を抜いて後退したヴェクターの肩を穿つ。
「スケルトンに筋肉は無い。これだけで手札の一つは封殺できる」
そして元の姿に戻る。
「変化した時点で筋肉が無いために、魔法は強制的に解除される。そしてそちらが骨を脆化させる魔法を使えば、今度は軟体動物に姿を変えれば良い。多少の手間こそ掛かりますが、貴方の疫病魔法に対処するのはそう難しい事ではない」
「馬鹿な……」
その解説に、エレナがあり得ないものを見たかのように言う。
「変化の速度が、いくらなんでも速すぎる。通常のドッペルゲンガーは勿論、魔人であってもあんなの立て続けに且つ、瞬時に姿を変えられはしない。ましてや、部分だけの変化など……」
「ああ、それは当然の事ですよ」
人差し指を立てて左右に振り、不敵な笑みを浮かべる。
「貴女の抱く疑問に対する解は一つ。私が魔人ではなく、貴女がたが『澱みの森』と呼ぶ地に君臨する魔王の一体であり、その魔王内における序列では最下位に位置する【変化王】イジェスキンだからです」
「なん……だと……!?」
想定の外の返答に、エレナが息を詰まらせる。
予想外の大物が出て来たと。
「まあ序列の通り、私のステータスなど魔王内では大した事が無い。種によっては、下手をすれば上級魔人と互角なんて事もあり得る。
ですが反面、元の種であるドッペルゲンガーとしてのアビリティを十全以上に発揮する事ができる。
同族たちに対してはそこまでではありませんが、貴女たち人間を相手するのにはとても役に立つ能力だと自負しています」
イレーゼとヴェクターが、それぞれの緊張を抱く。
ドッペルゲンガーの―――イジェスキンの言葉が正しい事は実際に交戦してよく理解しており、そしてそれがどれほど厄介かは既に身に染みて分かっているが故に。
一方でエレナもまた、内容は違えど二人と似たような感情を抱いていた。
それまで相手は魔人であると確証も無しにどこかで勝手に決め付けており、イレーゼとヴェクターが善戦しているのを見て、戦いが長引けば騒ぎを聞きつけた兵が駆け付けて一気に優位に傾くと思っていたからだ。
そして内通者の排除に、相手側の中核である魔人の一体の討滅によって得られるであろう結果は、現状を打破し得る一手となった筈だった。
だが敵が魔王となれば、話はまるで違ってくる。
イジェスキン自身は実力的には魔人と大差ないと言っているが、人間側からすればとんでもない話だ。
例え魔王としては力が低くとも、魔人と魔王とでは根本的に存在の次元が違う。
確かに種の組み合わせによっては、魔王よりも魔人の方が強いという事態もあり得る。
だがそれは種としての魔人の方が強過ぎるのであって、魔王が弱いという事には繋がり得ない。
大抵の上級魔人であっても、魔王と比べれば大きく劣る。
一国の存亡を掛けて戦えば勝機が見えて来る―――エレナを含むグラヴァディガの人間にとって、魔王とはそういう存在なのだ。
「ああ、それと念の為申し上げておきますが―――」
そこにイジェスキンは、さらに追い打ちの言葉を投げる。
「どうも貴女は、最悪時間を稼げれば構わないと考えているようですね。氷による拘束も、ダメージ狙いというよりはそっちの意図があるように見えます。
その意図が何を考えての事かは、簡単に分かります。ですが、無駄な事です。
現にこれほど騒いでいるのに、誰一人として様子を見に来ないでしょう?」
「まさか……!?」
すぐに相手の言わんとしている事を察し、表情を強張らせる。
脳裏に思い浮かぶのは、考えられ得る限りで最悪のシナリオ。
「そのまさかです。潜み姿を変えているのは、私だけではない。
今頃は同胞が、他の本陣に居る者たちを殺しているところでしょう。
つまり、時間が経つごとに優位になっていくのは、貴女たちではなく私の方だという事です。わざわざ私が貴女たちのお喋りに付き合っているのは、その為ですよ」
「はんっ! それがどうしたってんだよ!」
エレナの代わりに、イレーゼが吼える。
「よーするに、全部ブッ潰せば良いんだろ。魔王だか何だか知らんけど、たかが姿を変えられるだけの奴だろ。すぐにでも倒してやるもんね!」
「……その唯一の特性が、この上ない武器となるのですがね」
理屈というものを頭から無視したイレーゼに、冷ややかな視線を送る。
「第一、そんな状態でどのように私を倒すと言うのです?」
イレーゼは自動治癒のスキルは持っているものの、そのランクはⅤ。僅かな時間では、動けるようになるところまで修復する事はできても、到底ベストコンディションまでの復調など叶わない。
「は? ンな事、イレーゼが知る訳ないだろ。お前の事をイレーゼは碌に知らないんだから、当たり前の事じゃん。
そんな事も言われなきゃ分からんの?」
「貴女は……いえ、相手をしない方が正解ですね」
早くもイジェスキンは、イレーゼに対する正しい接し方を身に付けていた。
「まあ細かい事はどーだっていーんだよ!
イレーゼはシュウポンにエレナちゃんを守るよーに言われてるからな! だからお前をブッ潰す、ただそんだけだ!」
「確かに、その通りだな」
そのイレーゼのアホ丸出しな発言に同意したのは、意外にもヴェクターだった。
「細かな事など考えるだけ無駄だ。結局のところ、勝てなければ守れず、守る為には勝たねばならぬ。たったそれだけの事。
ならば勝ち、受けた命令を遂行する。ただその事だけが頭の中にあれば良い。
具体的な筋道など、こなしたあとで勝手について来る。
そして少なくとも、貴様を相手にそれが絶対に不可能だとは思えない」
「いつになく饒舌だねヴェクたん! でも、その意見には全面的に同意ぜい!」
スッと、イレーゼが首飾りに手を伸ばして鷲掴みにする。
「どんな手を使おうが、勝ちゃいーのよ! ちともったいないけど。で、勝って報告する! 単純で良いねぃ!」
「そもそも、勝てるという前提がおかしいとは思わないのですか?」
もはや呆れを通り越したという表情で、イジェスキンは大勢を低くする。もうお喋りは終わりだと、二人を叩き潰す為に。
そうやって相手が臨戦体勢に入るのを見て把握しながらも、イレーゼは不敵に笑い、指をビッと突き付ける。
「どこもおかしくないね! 言っとくけどなぁ、ちょーきゅー以上の魔法が使えるのが、自分だけだと思うなよ!」
――――――――――――
「押し返せ!」
「おう!」
飛んで来た言葉に威勢の良い言葉を返したのは、ビーン率いる【ユローテックス】のメンバーであるエディンだった。
身の丈を超える大きさのタワーシールドを両手で持ち、全身を使ってその楯で振り下ろされたジャイアントの石斧を受け止めたところだ。
本来、エディンにジャイアントの攻撃を受け止めるだけの力はない。
だがいま彼が装備している楯は、紅葉の刻印こそないが、シュウヤが貴重な鉱石をふんだんに使って鍛え上げた楯であり、その性能はニューアースの品を遥かに上回る。
特に、余程の威力でなければどんな攻撃でも一度だけ受け止められる【絶対防御X】のスキルは、相手の攻撃を無効化し動きを封じるのに大きく役立っていた。
「おおおおおおおおおおおおおっ!!」
そこに、エディンが秀哉によって半ば強制的に習得させられたスキル【楯返し】が炸裂する。
楯の面に触れた生物を弾き飛ばして体勢を崩させるこのスキルは、普通に使うにはタイミングがシビアで滅多に使いこなせない。
当然エディンもその例には漏れないが、絶対防御のスキルによって攻撃を受け止めている最中ならば、そのシビアなタイミングの要求も無いに等しい。
攻撃を受けて踏ん張り、そのまま相手が楯に触れている間にスキルを発動して弾き、体勢を崩す。それは今までに幾度となく繰り返されたパターンであり、すっかり慣れて見に染み込んだ動作だった。
「今だ!」
そして体勢が崩れたところに、ビーンとスクトの攻撃が殺到する。
「【のたうつ雷大蛇(ノス・ウェボット)】!」
スクトによる雷属性魔法が炸裂し、間髪入れずにダガーを逆手に構えたビーンの斬撃がジャイアントの喉を掻き切る。
「よっし、またレベルアップだな」
「良い加減感覚がおかしくなりそうだ」
自分たちよりも強いモンスターを相手にするには、本来ならばそのモンスターに対抗できるだけの実力を持つ者とパーティを組み、そいつが倒した際の経験値のお零れを預かるのが普通だ。
だが三人はそれぞれが装備を秀哉から賜っており、それぞれの装備が彼らからすればオーバースペックである為、本来ならば歯が立たない何倍もレベルが上のモンスターを相手に互角以上に戦って何度も討伐しており、パーティのメンバーが三人だけなのも手伝って必然的にレベルもハイペースで上がっていっていた。
現時点での彼らのレベルは、既に当初の五割から倍近く上がっているというのだから相当なものだ。
そしてそれは、三人の活躍ぶりの凄まじさの証左でもあった。
「おい、左翼が突破されそうだ! 大至急応援に向かってくれ!」
「分かった。行くぞ!」
「「応っ!!」」
【ユローテックス】の三人はこの短期間の防衛戦において、同業者や各国の兵士たちの間では多少名が知れられるようになっており、緊急時に名指しで頼られる事も少なくない。
そして彼らは、それら全てに応じてはしっかりと成果を上げていた。
それができたのは、秀哉から受け取った装備のお陰というのも勿論ある。
だが一番の要因は、彼らの心持ちが変わった事だ。
「いいか、何度も言うがシュウヤさんに恥を掻かずような様は晒すんじゃねえぞ!」
「当然だろ」
「むしろお前がすんじゃねえぞ!」
ほんの数週間前までは、彼らは大衆が冒険者と聞いて連想するような、どこにでも居るようなチンピラたちでしかなかった。
だが秀哉に絡んだ事が原因で、彼我の実力差と上下関係、そして人道について徹底的に叩き込まれた事が彼らを変えた。言い換えれば、生まれ変わったと言っても良い。
徹底的に叩き潰された時に、圧倒的な実力者の存在という者を真近で体感した事によって、大概の敵が相手では臆す事はなくなった。
それは冒険者の誰もが恐れを持って望み、活動に遅れを生じさせる『大侵攻』内において本人たちの十二分のコンディションを保証していた。
そしてそれを、秀哉から何の為にどのようにして使うかという事を教わった―――正確には、彼らが勝手に解釈していた。
秀哉からすればただの鬱憤晴らしと実験の一環でしかなかったのだが、本人たちは斜めの方向に解釈し、そして結果がいまの状態だった。
もっとも結果的に、心を入れ替えて真人間となったのだから、秀哉からすればどうでも良い事でもあるのだが。
「トロールだ。さっきのジャイアントよりもデカくて強いぞ。いけるか?」
「当たり前だ。そっちこそ、そんなダガーで大丈夫か?」
「少なくとも、オレが今までに手に入れた物の中で一番良いのだ。問題ない」
バルスクライの兵士たちの抵抗をものともせず、その分厚い硬皮と膂力に任せて暴れるトロールの首元まで一足に跳躍し、ダガーを一閃。
突然横から乱入し、首に浅くはない切り傷を付けられたトロールが怒りと混乱を混ぜた表情でビーンを見る。
「ガァッ!!」
「下がれ!」
トロールが手に持った棍棒を振り下ろす直前に、エディンが両者の間に割って入る。
直後に振り下ろされた棍棒と楯とが激突し、下に居たエディンの足下に亀裂が入りながらも拮抗。
「オラァッ!」
そこに【楯返し】が発動し、トロールが弾き飛ばされた腕に重心を持って行かれる。
即座にエディンの背後から身を出したビーンが、偏った重心を支える太い足の元へと近寄り、膝裏を立て続けに斬りつける。
「グゲァッ!?」
「【炎爛の電熱雷球(ノス・フィアリデ )】!」
堪らず体重を支え切れずに転倒したところに、スクトの上級雷属性魔法による高熱の雷球が殺到し、頭部の左半分を含む半身が消失する。
しかしそれでも、トロールは生きていた。
その強靭な生命力で命を繋ぎ止め、備わっている自動治癒のスキルで傷を癒し始めていた。
「さっさとくたばれ!」
そこにエディンが、タワーシールドの付属品であるメイスを手に取り、残る半分の頭部目掛けて振り下ろす。
一度では足りず、二度でも足りず、何度目かの攻撃でようやく頭部が割れて沈黙する。
「厄介だったのは、こいつだけか?」
周囲で上がる歓声に答える余裕もなく、肩を上下させながら尋ねる。
「は、はい。ですがご覧の通り敵は間断なく攻めて来ており、このままではバリケードが突破されるのは時間の問題です」
「クソッ、キリがねえな。せめてSランクの二人がこっちに来てくれれば……」
「今あの二人は、中央に出たという魔人と交戦中だ。それも二体。まずこっちを手伝う余裕は無いだろう」
「分かってるよ。だけど、このままじゃ……!」
大分あちらこちらが壊れている即席のバリケードの隙間から飛び出して来た斑色の大蛇の突進を、危ういところで楯で防ぐ。
奇襲を阻まれた大蛇は、地面に落ちたところを、周囲の兵たちにトドメを刺されて息絶える。
しかし、バリケードを超えて来た大蛇は、その個体だけではなかった。
「なっ、汚えぞ!」
物理的に壁を破らず、壁伝いに乗り越えたり、空いた穴や地面の下を潜り抜けて来た大蛇たちが次々と姿を現す。
その蛇はレベルこそそこまで高くはないものの、牙から即効性の麻痺毒を分泌し、人間を丸呑みできる身体を持っている。
それが数百は下らない数で壁を突破して来たという事実に、俄かに左翼の兵たちがざわめき始める。
「ちくしょう、さすがにこれはヤバイぞ!」
「分かってる!」
そしてそれは、彼ら【ユローテックス】たちも同じだった。
もし彼らにもう少し経験があれば、そのような焦りを表に出す事はなかっただろう。
周囲の者たちは彼らに対し、決して少なくない信頼と期待を寄せていた。その彼らが泰然自若としていれば、多少なりとも混乱は抑えられた筈だった。
だがその事に思い至らずに焦りを晒してしまった事によって、周囲の混乱により一層拍車を掛けてしまった。
ただ幸運にも、その混乱がどれほど連携に支障を及ぼし、どれほどの死者を生み出す事になるかを知る事はなかった。
「何をボサッとしている!」
威勢の良い声と共に飛び出したのは、二メートル以上の巨躯を持った、オーがと見紛う程の男だった。
その男は大蛇が周囲の者に襲い掛かるよりも先に飛び掛かり、肩に担いでいた戦鎚を勢いよく振り下ろす。
瞬間、地面に円形の浅くは無い穴が穿たれ、周囲が大きく揺れる。
不運にもその戦鎚の下に居た大蛇たちは原型を留めずミンチになり、さらに付近に居た大蛇たちもまた、突如として津波のように持ち上がって折り畳まれた地面の間に挟まれ潰れる。
その現象を引き起こしたのは、中級地属性魔法の【岩盤挟圧衝(レド・ランタル)】によるものと同様のもの。
振り下ろされた戦鎚に付与された効果は、地面を叩く際に使用者の任意で【岩盤挟圧衝(レド・ランタル)】と同様の現象を引き起こす事ができるだけでなく、その規模も並みの術師のそれを遥かに上回る。
「何を呆けている。それでも誇り高い【ソリティア土木工団】のメンバーか?」
「親方……?」
窮地に掛け付けたのは、ソリティアにおける土木工の大半を引き受ける土木工団の棟梁を務める男。
ただし肩に担いでいるのは、土木工のための工具ではなく戦闘を主眼に造られた戦鎚なのだが、不思議なことにそれを担ぐ男の立つ姿に違和感は無い。
「ったく、何だこの杜撰な造りの壁は。ちゃんと支柱は深くまで埋めてないからこうなる。おまけに、骨組みも甘い上に少ない。破ってくれと言っているようなもん―――」
「親方!」
壁を睨み、不満そうに評価を行っていた親方の頭上から、偽者ではなく本物のオーガが壁を跳び越えて落下してくる。
そして最も近くに居た親方に対して手を伸ばそうとし、
「ふんッ!」
顎を下から戦鎚で打ち抜かれ、頭部が吹っ飛ばされて倒れる。
「おまけに壁の上に、何も置いていない。だからこうして乗り越えてくる奴が出て来る」
オーガを一瞥すらせずに撃破するという事をやってのけたのにも関わらず、自分がやった事を誇るでもなく、落ち着いて批評を続ける。
「一撃……」
「何を驚いている。この程度はできて当然だろう。これでも、若い時はお前たちのように冒険者をやっていたんだぞ、オレはな」
「「「ええっ!?」」」
【ユローテックス】の三人が、仲良く衝撃の事実に驚愕の声を上げる。
「それ、本当ッスか?」
「てか、本当なら何で土木工なんか……」
「……本当だ。これでも若い頃は、それなりに名を馳せていたんだがな。ランクもB3まで上がって、有望な若手として見られていた」
戦鎚を地面に突き刺し、過去を思い馳せるように遠くを見る。
「だがある時に、膝に矢を受けてしまってな。その後遺症で冒険者を続ける事ができなくなってしまったんだが……今にして思えば、悪くなかった結果だとも思う。何せ、今じゃ転職に就いてんだからな!」
「「「…………」」」
クックックと喉を震わせると、未だに呆けている三人の肩をそれぞれバシバシと叩く。
本人からすれば軽くのつもりだったのだが、三人は見事に叩かれた場所を押さえて悶絶しているのはご愛嬌だったりする。
「ほら、野菜みたくシャキッとしろシャキッと。あともう一踏ん張りだ」
「それってどういう―――」
エディンが親方の言葉の意味を追求しようとして、言葉の続きを周囲の歓声で遮られる。
何事かと見てみれば、後方から赤い竜の群れが飛来して来ているのが視界に飛び込んで来る。
「火竜!? まさか竜王が―――」
「違うぞエディン、よく見てみろ。鞍や手綱が付けてあるだろう」
ビーンの言葉の通り、注視してみればその火竜には野生の個体にはあり得ない鞍と手綱が取り付けられており、さらに注意深く見れば、その上に人が跨っているのが確認できた。
「まさか、バルネイカの【赤鎧騎士団】か!?」
「おっと、もう着いたか。まあ早いことに越したことはない」
それは先遣隊の生き残りである千人が、戦いながら抱いていた希望である、本体の到着を意味していた。
「よし、お前ら!」
「「「「「ハイッ!!」」」」」
親方のドラ声に、どこからか統一されたデザインの作業着を身につけ、何故か新鮮な血に塗れた工具を手に持った男たちが終結する。
「まずはこの脆弱な壁を造り直すぞ! 他の奴らはその間敵が近付いて来ないように踏ん張れ!」
「「「「「ウスッ!!」」」」」
指示を受けた作業員たちが、我先と素早い、しかし役割分担のしっかりとした動きで作業に取り掛かっていく。
それを満足そうに頷いて見届けた親方は、次に周囲の者たちにも聞こえるように声を張り上げる。
「おら、ボサッと突っ立ってないで、手伝える奴らは手伝え! 反撃に移るぞ!」




