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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
43/44

神話降臨

 



 遥か昔、全ての竜種の祖として神話において語られる、ヴァファムントと呼ばれる竜が存在した。

 その竜は上級神をも凌ぐ圧倒的力と叡智を持ち、かといって神と対立する事もなく、人間や亜人といった存在たちとは一定の保ちつつも、時たま気紛れのようにその叡智の一部を授けたりしたと言う。


 そしてそのヴァファムントには、八頭の子供がいた。

 八頭の子供たちの殆どは、父であるヴァファムントとは違い、人間と積極的に関わる事こそはなかったものの、かと言って叡智を授けて益を齎すという事もなく、どちらかと言えばやや人間よりも魔側寄りとして生きていた。

 末っ子に当たる、ファブリーヌともう一頭を除いて。


 祖竜であるヴァファムントの末子であるファブリーヌは、その存在を龍へと昇華するのとほぼ同時期に、一人の人間の女性を見初める。

 その女性に惹かれて人間の姿を取り人里へと降りたファブリーヌは、兄弟たちやその他の魔族たちの猛反発や、時にはファブリーヌ自身やその女性の命を狙われながらも、様々な苦難を乗り遂げた末にその女性と結ばれて子孫を残したという。

 その子孫こそが、ニューアースにおいて屈指の身体能力を誇るとされている種族である竜人族である。

 故に竜人族は、魔たちからは裏切り者の種族として唾棄されていた。

 祖竜ヴァファムントの子供の殆どが魔側として生きて子孫を繁栄させたのに対して、ファブリーヌだけは人間と交わり子を成した為だ。

 だが、その事を竜人族は恥じたりはしない。

 むしろ、自分たちの祖先の事を知った者の殆どが、感涙し尊敬する。

 己の意見を曲げずに押し通したその気高い精神と、力を知って誇りを抱く。


 彼ら竜人族にとって、祖であるファブリーヌは特別な存在だった。

 竜人族でない種族の者たちにとっても、ファブリーヌの存在は非常に有名だ。


 しかし、一方で竜人族以外には余り知られていない、もう一つの神話があった。

 魔たちを捨てて人間の女性との恋に走ったとされるファブリーヌだったが、全くの孤独であったという訳ではない。

 他の兄弟たちが敵として回る中、ただ一頭だけファブリーヌの味方をした、兄弟の中でも最も父親の力を受け継いだ竜。

 それが兄弟の六番目であるヴァジャーユ。


 時には弟とその恋人の女性が無事に逃げ切れるように、膨大な数の魔の軍団を相手に単身立ち向かい。

 あるいは兄弟及びその眷属と血肉を争う戦いを演じ。

 決して表立っての行動ではないが、それでもファブリーヌに対して惜しみなく力を貸した、孤高にして最強の竜。

 それが竜帝ヴァジャーユだった。


 その神話で語られているのはファブリーヌがメインであるため、ヴァジャーユについては余り語られている事はない。

 だが、それでも知っている者はその竜に対して、場合によってはファブリーヌに対する以上の畏敬の念を抱く。

 さらにその中の一部の者は、神話では詳細が語られていないが故に、まだ竜帝は生きているのではないかという夢を抱く。


 その者たちは、この日以降歓喜に溺れる事になる。

 また、常日頃からその者たちを馬鹿にしていた者たちも、こぞって手のひらを返し、競うように文献を漁り出すようになる。

 だがそれは、まだ少しだけ先の事であった。


 因みに余談だが、この神話についてエレナから聞かされた時の秀哉は表面こそ取り繕えていたものの、内心ではこの神話を作った者たちに対して、その内容の酷さや捏造振り、そしてネーミングセンスに対してあらん限りの突っ込みを入れていたりもする。



――――――――――――



 『アスバル迷宮砦』の第33区画では、押し寄せる魔の軍勢との戦いが繰り広げられていた。

 長い距離に渡って幅広い一本道が続くその通路の南側からは、まともに歩くのもままならない程の、まさしく鮨詰め状態の密度で多種多様なモンスターが万単位で迫ってくる。

 それを北側で、通路を塞ぐ巨大な門を守らんと展開し迎え撃つのは、総勢五百人弱の人間たち。


 余りにも数的不利な状況下であるのは一目瞭然でありながら、人間側はギリギリのところで侵攻を食い止めていた。

 その要因はいくつかあるが、最も大きな要因は、魔側の軍勢の戦闘で派手に暴れまわるいくつかの暴風だった。


「シャラァッ!!」


 空気を切り裂く裂帛の掛け声と、それに乗せて打ち込まれる、大気を震わせる拳。

 しかし、その拳はただの拳ではなく、スキル【徹甲崩拳・砕】によって放たれる拳。

 そのたった一撃で、四メートル以上の巨躯を誇る牛の頭部を持ったモンスターであるミノタウロスが沈む。


「ラァッ!!」


 さらに掛け声は続き、翻った裏拳がウェアウルフの頭蓋を粉砕する。


「これで九十だ!」

「おっそいねラルクス。オレはとうに百を超えてるよ」

「雑魚ばっかりでスコアを稼いでんじゃねえよ。今のミノタウロス、レベルは700近かったぞ」

「事前にスコア数で勝負って言ったのはそっちだろ?」


 会話を交わすのは、モンスターほどではないが、それでも二メートル近い巨躯を誇る二人の男。

 どちらも共通して、背中には骨と膜によって構成された翼を生やし、後頭部からは逆巻いた角を二本ずつ生やしていが、ラルクスと呼ばれた男はそれに加えて、腰からは鱗に覆われた尻尾を、そして両腕には前腕から指先まで覆う硬質の鱗と爬虫類の爪を持っていた。


 彼らは竜人族と呼ばれる、ニューアースでも屈指の身体能力を持つ種族。

 個体差はあれど、種族の者全員が彼らの誇りとも言える竜の翼と角を持ち、また個体によってはラルクスのように尻尾や鱗や爪なども持ち合わせている。

 そして基本的に、竜の体構造の総面積が大きいほど、個体として強いと言われている。


「ンなら、こっから逆転してやるよ!」

「やれるもんならな!」


 どちらがより多くの敵を殺したか、その数を互いに主張し合い、やがてどちらともなく、口論よりも体を動かす事で決着をつけようという結論に落ち着く。

 そして即座に、有限実行とばかりに拳と足を振るう。 


 モンスターたちも馬鹿ではない。

 数の利を活かし、囲い込んで多重攻撃を畳み掛けて物理的に押し潰そうとする。

 だが、それを両者は決して許さない。

 拳が振るわれる度に並のモンスターでは耐え切れずに一撃で沈み、もし耐え切れられたとしても吹っ飛び、周囲のものたちも巻き込んで倒れる。

 まさしく台風の目の如く、二人を中心に空白地帯が生じていた。


「ホラホラホラァ、それだけかぁ!? もっと来いや! いっそ魔人でも掛かって来やがれ!」

「掛かって来やがれじゃねえだろ」


 ラルクスを囲むモンスターたちの壁のうち、薄い北側の壁が一瞬にして穿たれ死骸が積み上がる。


「本当に魔人が来たらどうする。自重しろ」

「あんだよグトン、水を差してんじゃねえよ」

「周りをよく見ろ。もう戦ってんのはお前たちだけだ。他の奴らはとっくに合図を聞いて下がっている」

「……チッ、時間切れか」


 グトンと呼ばれた竜人族が、そしてその後ろにはさらに二人の竜人族が、包囲網の薄いところを的確に突いて屍の山を築いていく。

 それは個々の力として見れば、二人には劣るだろう。それぐらいにハッキリとした差があった。

 だが三人という塊で見れば、二人合わせた戦力に勝るとも劣らない猛威を振るっていた。

 特に効率という面で見れば比較にならない。

 互いが互いを信じ、背後を顧みない、一歩間違えれば捨て身とも受け止められる程の強気な姿勢で果敢に突っ込んでいき、二人の背後を囲んでいたモンスターを駆逐するのにそう時間は掛からなかった。


 ただでさえ個々の力で手の付けられない二人に、さらに彼らに近い力量を持った竜人が三人。

 合わせて五人の小規模な集団に対して、桁が二つは違う相手の軍勢が瞬く間に屠られていくその光景は、チープな映画作品のようだった。

 だが、彼らの素性を知る者たちがその光景を鑑賞していた場合、驚きよりも先に称賛が来るであろう事は想像に難くない。


 A3ランクのみの竜人族で構成された彼ら【牙龍王団がりゅうおうだん】は、接近戦においては大陸最強と呼ばれているパーティである。

 それは単純に種族が竜人族であるからと言うだけの理由ではなく、全員のレベルが600を超えているという事、そして五人の中でも特に突出した実力を持つリーダーのラルクスともう一人のザノヴァスに至っては600の半ばから後半に至っているという事が大きな理由だ。

 特に【双牙のラルクス】とまで呼ばれている男は、竜人族の中でも稀に見る先祖返りであり、そのステータスは同族のレベル800代と比べても遜色がなく、人間では比べ物にすらならない。


 そして何より、短命な人間とは違い、全員にこれ以降も伸び代がある。

 まだ彼ら五人は竜人族の中でも比較的若い世代であり、単純に考えれば天寿を全うする頃には、あるいはその倍のレベルを超える可能性もある。

 だからこそ、大陸最強とまで呼ばれているのだ。


「ザノヴァス、退くぞ!」

「これで二百!」

「タンマ、何オレが話している間にスコア稼いでんだよ!」

「勝てば官軍なんだよ!」

「テメェ!」

「いい加減にしろお前ら!」


 また口論を始めそうになった二人を諌め、分担して襟首を掴んで半ば引きずりながら撤退していく。

 そして金属製の、厚さだけで三メートル、高さはその十倍以上の巨大な扉が開かれ、五人は隙間に体を捻じ込むようにして向こう側へと退却する。

 それをチャンスとばかりに追いかけるモンスターの軍勢だったが、直後に頭上から落ちてきた巨大な火球によって、先頭集団の大半が消滅、ないし重傷を負って止まる。


 それが上級火属性魔法の【落下獄炎球(エル・ヴォルフェルム)】であると確信を持って気付いた者は、果たして何人居る事か。

 その余りにも直径の大きな火球は、あるいは誰も知らない事だが、古代級の上位互換の魔法である【墜落する天壌劫火球(エル・ディゼルエルベルグ)】にも匹敵する一撃だった。

 もっとも、匹敵するとは言えど、最小の威力に加減されたそれと同等ではあるが。

 それでも、ニューアースにおける一般常識に照らし合わせれば、非常識な威力である事に変わりはない。


「斉射!」


 誰かの良く通る声が響き、一瞬浮き足立った隙を逃さず、扉の上や左右の通路の上から『弐式魔導大砲』の砲口が除き、一斉に火を噴く。

 あるいは、手に弓を持った者たちが矢を番えて射出する。

 もしくは、詠唱を終えた者たちが思い思いの攻撃魔法を放つ。


 その中で、正面の扉の上に立つ、他の者たちと比べても一際目立つ二人組が居た。

 どちらも金髪碧眼であり、その長い髪を軽く結わえており、また顔立ちも非常に似通っていた。

 背丈は並べてみると意外と差があり一目瞭然だが、もし個別で見た場合、そのお揃いの装備も相まって混乱する事は必死だ。

 そして正面から見ても良く目立つ、長く尖ったその両耳が、二人の種族がエルフであるという事を示していた。


「準備完了!」

「斉射中止!」


 二人のうち背の高いほうが声を上げると同時に指示が飛び、瞬間的に空白が生じる。

 しかしその空白を埋めるように、背の高いほうのエルフは弓を構える。


 長さはその持ち主よりもやや短いほどで、そこまで珍しい物ではない。

 だが一見でそうと判るほどに精緻かつ精巧な作りと、数々の素材を眼にしてきた職人であっても特定できないその未知の素材をふんだんに使われている事、そして何より持ち手付近に刻まれている紅葉の刻印が、その弓が並みのものではない事を雄弁に物語っていた。

 その弓を、その女性は矢も番えずに、ただただ見事としか言い様の無いフォームで弦を引く。

 そして上空に向けると同時に弦を放す。


 瞬間、本当に矢を番えていたかのように上空に一筋の光が上っていき、程なくして最高点に到達し、地上へと落下していく。

 その数を何万倍にも枝分かれして増やしながら。

 その一発一発は大した事がない。ある程度の体力を誇るモンスターならば、何発喰らっても致命傷足り得ないだろう。

 だが反面、どれほどの頑丈さを誇ろうとも、その降り注ぐ光の雨を防ぐ事は叶わなかった。

 大槌の一撃でも歪む事のない甲殻を持つモンスターも、あるいは斬撃に対して無類の強さを誇る粘体モンスターであっても、その光の雨は等しく貫通する。

 そして大抵の場合はそれで済むだけだが、中には急所を貫かれて一撃死を迎える個体も居た。

 勿論全体の比率から見れば大した事がないが、純粋な数字で見た場合、その数は千を簡単に超えるだろう。


「コーレル」

「了解、クエリッド姉さん」


 呼びかけに応じたコーレルが、自分の得物である弓を構える。

 姉に当たるクエリッドの持つ弓とは違い、それは二メートル半はある長大な弓であり、生半な力では弦を引く事すら叶わない。

 その弓をコーレルは無造作とも取れる動作で取り回し、矢筒から弓を四本、指の間に一本ずつ挟んでまとめて番える。

 そして指を離し、一斉に放つ。

 その、鏃から風切羽まで、全てが原色のどれかで一色に染められた矢を。


 姉のように山なりに放つのではなく、地上に向けて、それも正確に狙いを定めるのではなくただ敵が密集している場所を狙い放たれた矢は、着弾の瞬間にそれぞれの効果を発揮する。

 ある矢は特大の爆発を引き起こし、ある矢は周囲に中々収まる事のない炎を撒き散らし、ある矢は地面を大きく隆起させ、ある矢は周囲のモンスターごと地面を凍らせる。


「斉射再開!」


 コーレルが矢を放つと同時に響く声と共に、再び大砲を始めとした遠距離攻撃が火を噴く。


「次までどれくらい掛かりますか?」


 付近に居た、ザルマンダの国の鎧を身に着けた兵士がクエリッドに近付き尋ねる。


「次の次までの間隔がしばらく空き、尚且つ先ほどのよりも数が落ちても構わないのでしたら、あと五分ほどで」

「……返答が来ました。それで構わないのでお願いするとの事です」

「分かりました」


 どこかで通信をしていたらしい兵が一礼し、慌しく階段を降りていく。

 そして入れ替わるように、五人組の竜人族が扉の上に姿を現す。


「やっぱとんでもないな。オレでもあの中に居たら無事でいられる自信がない。さすがは【魔弓】に【魔弾】のコンビだ」

「接近戦ではあなた方に譲りますが」


 聞き方によっては揶揄とも受け取れる言葉に対して、二人の表情に不満はなかった。


 それぞれ【魔弓の射手】に【魔弾の射手】と呼ばれているクエリッドとコーレルは姉妹のコンビであり、弓手としては冒険者の中でも一番と言われている。

 姉はそのエンドナイトシリーズである魔弓を使った、程度が低ければ軍勢であっても単独で相手取れるスタイルを得意とし、反対に妹でありコーレルは弓ではなく魔法の力が宿った矢を自分で作成し、一度に複数発、雨のように降らせるスタイルを得意とする。

 どちらも強力で、並みの者では間合いに入る事はおろか、近付く事すらも許されない。

 それが二人のコンビの一般に語られている評価だった。


「次のオレの出番までどれくらいだ?」

「オレらな」

「あと五分したら私がもう一発、その後にデシャントさんが一撃を放つそうです」


 クエリッドが指し示した先には、腰の辺りが不自然に膨らんだローブを被った狼の獣人が、心から嫌そうな表情でいくつものビンの中身を嚥下しているところだった。


「今回の被害は?」

「死者が8人で負傷者が51人。うち30人前後が次までに復帰できる」

「残りは400と70人くらいか……」

「しかも悪いニュースもあるんだよね」


 五人の中で比較的まともそうなグトンと姉との会話に、妹が口を挟む。


「本陣で待機していた予備戦力は、あっちの方に回すって」

「向こうにはSランクが二人居たはずだが……」

「魔人が出たって言ってた」

「チッ、こっちに来てりゃいいものをよ」

「黙ってろ。こっちに来なかったのは不幸中の幸いと見るべきだろう。だが、このままだと長くは持たないぞ」


 『アスバル迷宮砦』の現在の形を上空から見下ろすと、ちょうど逆さになったワイングラスを二つ並べたような形を取っている。

 そして今彼らが死守しているのはちょうど取っ手の部分であり、そこを突破されれば、あとは本陣まで一本道である。

 これは『大侵攻』において、迷宮の奥深くまで攻め込まれてきた際に使用する仕掛けを作動させた結果であり、構造を極端に単純にし、道を二つに絞る事で最終防衛ラインを築くという仕掛けである。

 お陰で地上において格段に守りに徹しやすくなるが、反面これを突破されればいよいよ後が無くなるという欠点も抱えている。


「本陣は空か?」

「まだ最小限の防戦力は残っている筈だと思います」

「訳分かんねえな。もう後が無いなら全部投入しろよ」

「そういう訳にはいかないんだろ、人間は」


 理解はするが納得しかねるという表情を作るグトンが、ふと表情を変える。


「……不味い」


 グトンが視線を向けた方角に他の者も視線を向ける。

 その先のものを捉えられたのは、グトンを含む竜人族の五名のみで、残る二名は何が何だかさっぱりといった表情だった。

 だがラルクスとザノヴァスが凶暴な笑みを浮かべ、次にグトンが声を張り上げて警告を飛ばした事で事態を理解する。


「ワイバーンの群れが来るぞ!」


 その声に、守備隊の者たちが驚きの声を漏らし、眼に見えて動揺する。

 だが、事前に警告するのとしないのとではまるで違うため、グトンも警告せざる得なかった。


「面白ェ、オレたちとどっちが空中戦で上か、白黒ハッキリさせてやろうじゃねえか!」

「明らかにこっちの黒星だ、バカ。他の奴らが地上に落としてくれたのを叩くぞ!」


 グトンがエルフの姉妹に視線を送ると、二人は委細承知とばかりに頷く。


 やがて数分が経過し、誰の眼にも遠方から高速で飛来してくる巨大な生命体の群れが眼に映ってくる。

 それは前足のない、腕と翼の一体化した竜だ。

 分類上は亜竜に属し、また一言でワイバーンといっても、複数種類が存在する。

 だが今迫って来ているのは、一般的にワイバーンといわれて連想するポピュラーな種であった。

 しかし、一般的であるからと言っても弱いというわけではない。

 むしろ、他の同レベル帯のモンスターと比べても頭一つ分飛び抜けているのは間違いない。


 そのワイバーンの群れが射程範囲内に入った瞬間、クエリッドが弓を引く。

 同時にデシャントが【落下獄炎球(エル・ヴォルフェルム)】の魔法を落とす。


「行くぜェ!」


 そして雄たけびを上げたラルクスとそのパーティが扉の上から飛び降り、それに続くように、開かれた扉から前衛を務める者たちが突撃を開始する。

 狙うのは、地上に引き摺り下ろされたワイバーンたち。

 無論、地上だからといって弱い訳ではない。むしろ他のモンスターを倒すよりも、遥かに苦労するだろう。

 しかし、だからといって放置するには危険すぎる存在だった。


 地上は【牙龍王団】を始めとした対地部隊によって、一時的とはいえ盛り返していた。

 だが、主に門や通路の上で戦う対空部隊はそうもいかなかった。


「もっと弾幕を張れ!」

「無茶を言うな! これ以上速度を上げたら溶解しちまう!」

「だが、これ以上近付かれたら地上の部隊に流れ弾が当たる可能性が出て来るぞ!」

「無理なものは無理だ!」


 悲鳴と怒号が入り乱れる中、エルフの姉妹であるクエリッドとコーレル、そして【個人砲台】とまで呼ばれているデシャントは良く頑張っている方だった。

 なるべく少ない手数で、確実にワイバーンを地上へと墜落させる。その手腕は見事と言う他ない。

 だがそれでも、ワイバーンの耐久力と、何より数が多すぎた。


「抜かれるッ――!!」


 誰かの悲鳴と、門の頭上を通過しようとする先頭のワイバーン。

 そこに一つの影が飛び込んで来たのは、ほぼ同時だった。


「GYYYYYAAAAAAAAAAAA!?」


 突如としてワイバーンが悲鳴を上げ、錐揉み状に回転しながらも後方に吹っ飛び墜落する。

 ちょうど下で戦っていた対地部隊の面々を綺麗に避けるように、味方であるモンスターたちを押し潰しながら。


「たかが飛べるだけのトカゲが調子に乗ってんじゃねえ!」


 そう叫びながら飛んで乱入してきたのは、褐色の肌の上から赤い攻撃的なペイントを施した上半身を剥き出しにした、猛禽類の四枚の羽を持った男だった。


「バシドだ! 【四翼のバシド】だ!」


 乱入してきたのは、A3ランクのソロ冒険者であり、かつて史上最悪の空賊と呼ばれた相手を降した有翼族の男だった。


「堕ちろ、まとめて堕ちやがれ!」


 バシドが滞空した状態で、背中の翼を力強く羽ばたかせる。

 ただそれだけで、上空高くを飛行していたワイバーンたちが錐揉み状に回転しながら墜落する。

 パッと見ただけでは何が起こっているのかは分からないが、現在上空では強烈な乱気流が発生していた。

 それがワイバーンたちを飲み込み、墜落させていたのだ。


 ニューアースにおいて、有翼族は空の支配者と呼ばれている。

 それは全員が生まれながらに【風の支配者】という先天的スキル――アビリティを有しているからだ。

 このスキルを有していれば、個人差はあれど、有翼族の誰もが風を自在に操る事ができる。

 それを利用して、彼らは空中を自在に飛ぶのだ。

 そして中には、こうしてバシドのように攻撃に転用する事のできる者もいる。


 有翼族に空中戦を挑むなというのは、人魔を問わない共通した見解である。

 ニューアースにおいて屈指の身体能力を誇る筈の竜人族ですら、空中戦では有翼族に圧倒的に譲るというのが、内外問わない意見である。


「バシドさん、どうしてここに!?」

「ああ? 決まってんだろ、応援だよ。最初に到着したのは俺だが、すぐに後続も来る筈だ!」


 その言葉に、僅かに萎え掛けていた場の戦意が再び漲っていくのを、その場の誰もが感じ取った。


 この場合の応援とは、本陣からではなく本隊からのだ。

 その本隊が到着するまで持ち堪えるのを目的で踏ん張っていたのだから、目的を達成できて嬉しくない筈がないのだ。

 そして士気が回復したのを感じ取った者たちは、周囲に指示を出してさらに防衛に力を入れ始める。

 あともう少しの踏ん張りだと、自分たちに言い聞かせて。


 だが、何事においても常に事態というものは進行している。

 そして不思議な事に、大きな出来事というのは、得てして立て続けに起こる事が多い。


「なん、じゃありゃあ……?」


 バシドの到着によって、飛んで来ていたワイバーン全てを墜落させ、その大半を対地部隊が討滅し撤退を完了させたところで、最も高い視点を確保していたバシドが掠れた声を漏らす。

 それに釣られて、余裕のある者たちも一斉にそちらの方向を向くが、理解できた者は僅か五人のみ。

 だが時間を追うごとに、その理解できた者たちの数は増えていく。


 それは竜だ。

 青というよりは蒼、蒼というよりは碧と表現するのに相応しい色の鱗で、およそ30メートルはあるだろう全身を持て余す事無く覆っている。

 背中で力強く空気を掴む翼は二枚のみで、眼の数も同様に二つだけ。

 腕も足も鉤爪も尻尾も、何もかもが一般的に竜と聞いて思い描くようなオーソドックスな外見。

 だが、その一般的な竜とは明らかに何かが決定的に違った。


 その悠然とした動作で、しかしワイバーンよりも速い速度で接近して来ていた竜を目掛けて、誰かが攻撃しようとする。

 しかしその前に、ラルクスが怒声を上げる。


「やめろ、攻撃するな!」


 地上からでも門の上まで良く響くその声に、誰もが一瞬ビクリとして動きを止める。

 しかし、すぐに気を取り直し、何人かは抗議をする。


「どうしてですか?」

「どうしてもだ、絶対に攻撃をするな! 攻撃をした奴は、このオレが殺してやる!」


 その剣幕に押されて、本心はともあれ動こうとするのをやめる。

 いや、次の行動に移ろうとする前に、その飛来してきた竜が次の行動に移っただけかもしれない。


 ガパリと、竜が口を開く。

 そして下に向けて、眩い青い雷光と橙色の雷光が入り混じったブレスを吐き出す。

 吐き出したまま首だけを動かし、真下から対地部隊の眼前までにいたモンスターを全て消滅させる。

 果たしてその吐き出されたブレスが、神位級雷属性魔法の【雷神の撃滅爆雷禍(ノス・レストリオ)】であると分かる者は、ニューアース内でどれほどいるだろうか。


「まさか、竜王か!?」


 バシドがそんな声を漏らす。

 そんな風に勘違いしてしまうのも、無理はないだろう。


「違う……」


 しかしその言葉は、どこか押し殺したような、しかし感動を抑えきれずに滲ませたラルクスの声が否定する。


『人の子たちよ、そして我が弟の子孫たちよ……』


 低く、重く、威厳に満ち満ちた、耳から入り込んで心まで浸透し掴むようなその声に当てられて、誰もが自然と姿勢を正す。

 そして【牙龍王団】の五人はといえば、自分たちができる最上級の敬意の表し方で跪いていた。


『我が名はヴァジャーユ。偉大なる父である祖竜ヴァファムントの六番目の子であり、敬愛する弟であったファブリーヌの兄でもある、竜帝と汝らが呼ぶ者なり』


 モンスターたちですら、動きを止めていた。

 死体も残さずに前方の集団が消滅させられたのだから、空いたスペースを埋めるように殺到して来てもよさそうなものなのに、本能の訴えに従って身動きを取らない。


『我が弟が愛し、そして種を残していった汝らが、このまま滅ぶのを見届けるのは我にとっても苦痛である。故に、今回に限り、僅かばかりだけ手を貸そう』


 分かっているのだ。

 眼前の竜が、彼らの王である竜王シークレスよりも遥かに各上であると。


『もっとも、あくまで我は力を貸すのみだ。汝らが本当に弟が選んだ種族であるならば、この程度の苦難は自力で乗り越えられる筈だ……』


 言いたい事だけを言ったというような態度で悠然と身を翻し、再び飛んで来た方角へと戻って行く。


 残された人間たちとモンスターたちは、元凶が立ち去った後も、微動だにする事はできなかった。

 その微妙な均衡を破ったのは、他でもない【牙龍王団】の面々だった。


「やってやる、やってやらァ!」

「上等だァ! この程度の苦難なんざ試練にすりゃならねえって事を、ヴァジャーユ様に証明するぞォ!」


 敵陣の奥深くまで果敢に突撃していくその様は、見ていて無謀極まりない。

 今でこそモンスター側も慌てているが、程なくして平静を取り戻し、押し潰されるであろう事は眼に見えていた。

 しかし、その結末を変えるかのように砲撃音が響き渡る。


「地上部隊、何をやっている! 後を追って突撃しろ! 他の者は地上部隊をできる限り援護しろ!」


 瞬く間に正気に返った人間側による逆襲が始まる。

 『アスバル迷宮砦』における二箇所の防衛地点のうちの片側は、押されていた戦況を徐々にだがひっくり返し始めていた。



――――――――――――



 本陣の天幕内で、エレナは眼を閉じて思考の海に埋没する。

 ほぼ同時刻にて防衛地点では尋常ならざる事態が発生しているのだが、まだその知らせは本陣には届いておらず、故にエレナの内心はかなり厳しいものが渦巻いていた。


「……このままでは不味いな」


 つい先ほど、上空を【四翼のバシド】と思しき影が通過したばかりだ。

 さらに兄であるシオンの報告から、本隊の一部が先行してきているという事も判明している。おそらくバシドは、その先行部隊の中にいて、さらに先行してきたのだろうという推測が立っていた。

 問題は、到着までの残り時間だった。


 有翼族は、そのアビリティを使い風の力も借りて高速で飛行できる。

 特にバシドクラスともなれば、その時速は軍馬の五割り増しと考えても差し支えない。

 となると、まだ先行部隊が到着するには些かの時間がある。

 その時間をいかにして稼ぐか、その為の案が浮かんでは消えるを繰り返していた。


「エレナちゃんお疲れ?」

「……そうだな」


 ティーセットを運んで来たイレーゼが、気遣うように声を掛ける。

 そこでようやく、エレナは自分が長時間思考に没頭していた事に気付く。


「……すまない、随分と長い間考え事をしていたようだ」

「エレナちゃんの気持ちは分かるから問題ないよ。イレーゼもシュウポンの事を考えると、心配で心配で食事が喉も通らねぇべ」

「ちなみに先ほどの食事はどうだった?」

「味は及第点だけど量を確保できたから良しとする!」

「……少しばかり君の能天気さが羨ましく思えるな」

「褒められちった、どうしよ?」


 上機嫌で笑うイレーゼの頭に、一緒に天幕内に入って来ていたヴェクターの手が乗せられる。

 その表情に憐憫の情が浮かんでいるのは、エレナの見間違いではなかった。


「んでんで、どうな感じ? このままじゃヤバさ気?」

「ああ……」


 仕掛けを発動させた事は良かった。

 鎌蟻人によって直線の道が作られ、決して少なくない数が奥にまで潜り込んで来た為、その潜り込んで来た敵を仕掛けの発動に伴う迷宮の形状の変化によって南に追いやる事に成功したのも良かった。

 だが、その後が続かなかった。


 形状の変化によって少なくない時間を稼げる筈だったが、敵の軍勢はまるでどう変化するのかを分かっていたかのように、仕掛けが作動し終えた直後に本陣を目掛けて殺到して来ていた。

 もし事前に配置などを決めずに仕掛けを発動させていれば、今頃は食い止めきれずに突破されていただろう。

 その最悪の事態こそ避けられたものの、目論見が外れたのも事実だった。


 その条件の下で先ほどのエレナの思考が導き出した結論は……


「このままでは余程のイレギュラーが起きるか、もしくはこちらが何かしらの手を打たない限り、確実に敗北するな」


 それ程までに追い詰められていた。


「やっぱさぁ、居るんでない? 内通者がさぁ」

「ほぼ確実にな」


 エレナは兄から聞かされた話を思い出す。

 首脳の護衛が、ドッペルゲンガーに入れ替わられていたという話を。

 しかも、まだそれ以外にも潜んでいる可能性は極めて高い。

 内通者の存在の正体も、十中八九そいつらだろう。


 なのに、そのドッペルゲンガーを見破れる慧眼スキル持ちだったA3ランクの冒険者である【光刃のエークザ】が、何者かに殺されている。

 誰が殺したかは分からないが、何が目的で殺したのかは考えるまでもない。

 内通者がまだ居るという仮説を、彼女の死が裏付けていた。


 だからこそ、戦える者全員を最終防衛ラインに送り込む事ができない。

 最低限の護衛は側に置いておかざる得ないのだ。


 そして、身内に内通者を抱えているという疑心を抱いたまま、首脳による軍議は続けられている。

 現在の圧倒的劣勢をひっくり返す、都合の良い案を模索して。

 曲がりなりにも一国を代表する者たちだ。エレナが辿り着いた結論になど、全員が辿り着いている。

 そしてその中の一部の者は、詰みの状況であると理解している。


 前例にない事態が立て続けに起きた為に、先遣隊の半数以上が死亡している。

 いまこの砦の戦力は、掻き集めても1000を超える程度。

 それを半分ずつに分けて二箇所に割り振り、地の利を活かして辛うじて凌いでいる。

 だが、地の利があったとしても、百倍の戦力差をひっくり返すような策などある筈がない。

 特に、既に片方に魔人という強大な存在が出現している状況では。


 だがそれでも、弱音を吐く訳にはいかない。

 弱味を見せる訳にはいかない。

 いま命を賭して戦っている前線の者たちは、僅かな希望を糧にしているのだから。

 その希望を塗り潰すような無様な醜態を、指揮官たちが晒す訳にはいかないのだ。


「……エレナちゃん、グッドニュースだぜぃ。内通者の憂いは断てるかもしれない」


 いつも通りのおちゃらけた口調で、しかし緊張した、真剣さの感じられる雰囲気を放ちながらイレーゼが、そしてヴェクターが構える。


「居るのは分かってるから入って来いよ。どれだけ上手に気配を消せても、イレーゼの【質量探知(サーチ)】は誤魔化せない」

「…………」


 応じるように天幕の中に入って来るのは、黒装束に外套で一切の露出を拒んだ、シルエットからでは男か女かも判断できない人物。


「……何の用だ?」


 三人を代表して、エレナが簡単に答えを予測できる問いを投げ掛ける。

 ところが、相手の反応は予想だにしないものだった。


「非礼をお詫びします。私は貴方の兄君より依頼を受け、影から貴方の護衛をするように言われている者です。

 あくまで影からとの事でしたので、このように気配を消して潜んでいました。申し訳ありません」

「い、いや、こちらこそ事情も知らずにすまない事をした」


 その声は抑揚も無いのっぺりとしたもので、男女の判断はおろか、老人なのか壮年なのか子供なのかの判断すらも困難なものだった。


 その声で並べられる答えと優雅な一礼に、エレナは一瞬呆気にとられる。

 そして次に、微かな違和感を抱く。

 相手の言葉が嘘だとは思えなかった。何となくだが、嘘は言っていないと感じられていた。

 だが、普段ならば信用できる筈の自分の勘に違和感を覚える。

 言葉にするのも難しいが、そもそも前提が間違っているかのような、繕われた物に対して抱くような違和感だった。


 そしてその違和感は間違ってなかったと、次の瞬間に確信する。


「だったらさぁ、その覆面取ってみろよ」

「できぬとは言わせぬ。自分の雇い主ではないとは言え、その実妹であり、護衛対象だ。それを相手に顔を伏せたままというのは、いささか道理に欠ける行いだ」


 挑発的にイレーゼが、そしてヴェクターが言葉を並べる。

 そしてヴェクターが意外と饒舌であったという事実に、エレナは王族の矜恃やその他の要素を総動員して堪えて平静を保つ。

 内心は驚きに満ち満ちており、それでも堪えきれずに微かに身じろぎして音を立ててしまうが。


「……ったく、お前らは本当に面倒くさいな。こんな形で正体晒すつもりなんざ、毛頭無かったってのによ」


 途端に、声に色がついたかのように抑揚が加わり、聞き覚えのある声へと変化する。

 そして覆面を剥ぎ取る。


「……シュウポン!?」

「……!?」


 イレーゼは声を上げ、エレナやヴェクターも声こそ出さないものの、表情を僅かに動かして驚きを表す。


「どうした、そんな狐に抓まれたようなツラして」

「……失礼ですが、主殿。魔王と交戦し追われていた筈では?」

「ハッ、そんな事か。逃げ切ったに決まってんだろ。マジで死ぬかと思ったけどよ」


 どこか自慢するように、手をヒラヒラと振りながら答える相手に、イレーゼとヴェクターが臨戦体勢に入る。


「決まりだね」

「ああ……」

「……おい、どういうつもりだ?」

「それ以上シュウポンの顔で言葉を並べんなよ」


 歯軋りの音すら聞こえて来そうな表情で、イレーゼが低い声を出す。


「ヴェクたんがあれだけ饒舌に喋ってるのに、シュウポンがノーリアクションなんてあり得ないね!」

「一体君たちはどういう立ち位置なんだ……?」


 突っ込みどころ満載なイレーゼの台詞だったが、それに対するエレナの言葉も、どこかズレていた。


「……やれやれ、これだから下調べをしていない相手に変化するのは嫌なんだ」


 盛大な溜め息を吐いて、それが自分の顔を手で覆う。

 そして再び上げられた顔は、別人の物となっていた。

 心なしか、少しだが背丈も伸びている。


 ドッペルゲンガーと、エレナが呟く。


「邪魔をして欲しくはないな」

「こっちの台詞だっての!」


 狭い天幕内に、イレーゼの重力魔法が炸裂した。



――――――――――――



 ヴァジャーユは、主である秀哉に対してあらん限りの忠誠を捧げている。

 ヴァジャーユにとって秀哉は主であり、師であり、戦友であり、そして親であった。

 秀哉からヴァジャーユの本当の親は彼が殺していると聞かされているが、ヴァジャーユにとってはどうでも良い事だった。

 いや、顔すら知らない存在に対して何か印象を抱けと言う方が無茶なのかもしれない。


 そしてある程度歳月が経ち、相応の知識が身に付いた頃になると、いかに秀哉という存在が偉大であるかという事を、理屈でも理解し始める。


 秀哉が箱庭に置いて、時たま天に向けてする会話。

 それが気になり、どうにか傍受できないかと苦心し、あくる日ついに努力が実る事となった。

 そして知った。

 秀哉がこの世界を創造した神の弟であるという事を。


 前から気になる事はあった。

 見た目は人間なのに、生まれ持った時から持ち得ていた知識にある人間と秀哉はまるで違った。

 本人の性質はさて置き、個として強大な力を持ち、さらに老いない。

 どう考えても人間ではない。

 そして秀哉が創造神の弟であると知った時、全てに合点がいった。


 そしてその時から、秀哉に対して抱く念に信仰の対象が加わった。


 ヴァジャーユは秀哉の命を聞いたり、秀哉と何かをするのが大好きだった。

 例えそれが雑魚の掃討という地道な作業でも、秀哉の命令ならばどんな事よりも楽しく名誉ある事に変じる。

 ヴァジャーユにとって、秀哉は自分の全てだった。


 だからこそ、ヴァジャーユは猛っていた。

 自分が飛ぶ先に、秀哉を不快にさせた存在がいる。

 強大な龍の存在から逃げ、魔王という安易な道に走った愚物がいる。

 挙句、自分を差し置いて王を名乗っている。

 そいつが、秀哉の兄である創造神を愚弄した。

 断じて許せる事ではない。


 相手はすぐに発見できた。

 向こうも気付いたらしく、敵意を向けて来る。自分が敵意を向けているのだから、当然の反応か。

 しかし、眼には退屈さが浮かんでいる。

 自分の優位を当たり前のものとして受け取っている。


 何と愚かで脆弱な存在か。


『貴様のような若造が魔王を名乗るだと? 身の程を知れ!』


 しかし、他でもない秀哉の命令だ。

 すぐには殺さない。



――――――――――――



 さて、今さらながら【絶対封殺氷牢(コキュートス)】の魔法について思い出した事と、そして気付いた事がある。

 思い出したのは、この魔法で生み出された氷牢は解除される時は一斉に崩壊するのではなく、上の部分から徐々に溶けていくという事だ。

 そして気付いた事は、転移可能になるタイミングが溶け始めたタイミングではなく、完全に溶け切った時であるという事だ。


 どうしてそんな事を気にしているかって?

 答えには溶け始めて青空が拝めるようになり、外の音が拾えるようになった事が関係している。


「おぉ、大分溶けて来た……」


 外に誰か居るじゃん。

 外に誰か居るじゃん!


 兄貴が言ってたのはこれか。確かに見付かれば説明が面倒くさすぎる。

 でもさぁ、これ詰みじゃん。

 無理よ、見付からずに転移とか。

 つうか下手したら転移する事自体が面倒事を招きそうじゃん。


 つか、兄貴も悪いんだぜ。

 【絶対封殺氷牢(コキュートス)】の性質を失念してるんだからさ。

 さっきから呼び掛けてもちっとも返答がない事に嫌な予感を拭いきれないけど、それでも弁解させてもらうよ。


 断じて俺は悪くない!


「さてと……」


 まだ俺の姿が見える程まで溶けるのに、大分猶予がある。

 その間に済ませる事を済ませよう。


 まずローブのフードを目深に被る。こういう時はフードの制作の時にゆとりを持って作って良かったと思う。

 次に【不思議で愉快な世界(ワンダーワールド)】から仮面を取り出す。白い仮面に眼と口のみを描いて、その上から攻撃的なペイントを施した、魔眼系のスキルをシャットアウトできる他、変声機能も搭載された一品だ。

 それを被って、薄手の通気性抜群の、滑り止めのみが用途の手袋も嵌める。

 これで露出は一切無い。

 個人の特定は不可能……な筈。


「ヴァジャーユ、もしかしたらしばらくの間連絡が取れなくなるかもしれないが、次に連絡するまで現状を維持しておいてくれ」


 返って来るのは了承の意。マジで良い子だなヴァジャーユ。


 ヴァジャーユがシークレスと交戦に入ったというのはさっき聞いたが、事前に決着はすぐには着けず、互角の戦いを演じろと通達してある。

 それは他の魔王を炙り出す為だ。


 居るかどうかは不明だが、既に魔王が二体居るという前例がある。三体目や四体目が居ない保証はどこにも無い。

 そしてもし、シークレスとやらとヴァジャーユが互角か、僅かにヴァジャーユが優勢な戦いを演じればどうなる?

 もしその戦いを見て、自分が加勢すれば勝てると抱かせる事ができればどうなる?

 大した労力を割かずに、魔王を撃滅できる。


 勿論理由は他にもある。

 俺が色々とやる時の結果を、ヴァジャーユの戦いの余波にする為だ。

 だがその為には、その結果が生じた時にヴァジャーユが戦っていなければ誤魔化せられない。

 何せわざわざ芝居を打たせて、ヴァジャーユが神話の存在であると示したのだ。

 これを利用しない手は無い。


「……そろそろだな」


 【不思議で愉快な世界(ワンダーワールド)】から小瓶を取り出し、中身の黒い液体をほんの一滴垂らす。

 するとそこから粘質の黒煙がもうもうと噴き出し、足元を覆う。

 さぞかし雰囲気が出てる事だろう。

 上手く行けば魔人と勘違いして、逃げ出してくれるかもしれないという思惑があるが、さてさて……


「……嘘、まさか、本当に……?」


 よしよし、大成功みたいだな。


 そこに居たのはダークエルフだった。

 確か設計したのはメロナさんだったか、銀髪金眼に褐色の肌がデフォの種族。

 その髪はツインテールで、想像してたのよりも大分幼い上に少女だったが、長命種にありがちな事な年齢と見た目は一致しないという理屈によって疑問を片付ける。

 そして何故か、身に付けている装備のいくつかに激しく見覚えがあった。


「本当に、本当にシュウヤ様?」

「…………」


 ん? いま、とんでもない発言が飛び出て来た気がするぞ?

 もしかして、俺だって事がバレてる?


「あっ、あの、シュウヤ様! 私はミレアって言います!」


 いや、違う。

 こいつの眼には見覚えがある。

 そう、かつて同級生の奴らが兄貴と対面した時に浮かべた、憧れの存在に出会う事ができた者特有の眼だ。

 そこから導き出される結論は一つ。

 このダークエルフの少女は、俺が色々と突っ込みたい神話で語られている『堕ち神』であると勘違いしている!


 やっべえ、今の俺は物凄く冴えてる。

 自分の出した答えが正解だと確信できる。


 ……まあ、あながち勘違いとも言えないのだが。

 これを利用しない手は無い。


 とりあえず……そう、神っぽく振る舞おう。

 そしてこの少女には勘違いしたままで居てもらおう。

 どういうのが神っぽい振る舞いかは知らんが、意味深な態度で意味深な事を口にしていれば大丈夫な筈。


「……時は満ちた」


 首の角度は百二十度で、やや上の方を見る。

 そして仮面の機能で低く重厚で威厳のある声に変換し、いかにもな言葉を呟く。


 やばい、今さら気付いたけど、これ滅茶苦茶恥ずかしい。

 だがここで引く訳にはいかない。いや、引くのが目的だけど意味が違う。

 最低でも駄目押しとしてあと一押し。


「……直に、全てが終わる」


 よし、頑張ったよ俺。よく頑張った。


 【瞬間転移(テレポート)】


「あっ、まっ、待ってくださいシュウヤ様―――」


 転移した先は、モンスターの大軍勢の最後尾。

 さらに後方ではヴァジャーユが暴れてて、そして俺が元居た場所からかなり離れている。

 加えて鬱蒼と繁る樹海の中で、人目を気にする必要はない。


『秀哉、無事に脱出した!?』

「したよ、たった今ね。見てたんじゃないの?」

『ううん、ちょっと今は忙しくって、ふと思い出して見たところだから。でも良かった、誰にも見られなかったみたいね』

「勿論」


 何か知らんがラッキー。さっきのアレを見られてなかったらしい。

 エルナさんには悪いが、さっきのダークエルフとは違うけど勘違いしてもらおうか。


「それよりもさ、俺も好きにやっちゃうけど良いの?」

『構わないわ。それよりも、何週間か連絡が取れなくなりそうなのよ。だから用があっても、しばらくの間は答えられないと思うわ』

「了解」


 うん、普段は兄貴がして来る連絡も今回に限ってエルナさんだったのは、その用とやらが関係してそうだな。

 詳しく考えると胃に悪そうだからやめておこう。


「悪いな、待たせてよ……」


 目の前にはモンスターの群れ。突如として現れた俺にようやく気付き、そして驚きから硬直している。

 こいつらを相手取るには、龍刀じゃ駄目だ。

 龍刀《朧弦月おぼろげんげつ》はとても素晴らしい武器だが、カテゴリーは刀だ。

 敵の軍団の中にはデカブツ怪物もいる。

 刀よりも、デカい武器―――四哭獣の重剣の方が良い。


 四哭獣は、四体が共通して【特定捕食】というスキルを持っている。

 特定のモンスターのみを、どれだけ格上だろうが問答無用で喰うというスキルだ。

 生まれたての頃はこのスキルで敵を捕食してレベルを上げ、あとはボスモンスター特有のズバ抜けた個体値で他のモンスターを狩っていった。


 当然、その四哭獣の素材をふんだんに使用したこの剣も、名前を【特定種撃滅】と変じさせて宿している。

 最初に殺した相手と同じ個体を、例え掠めただけでも一撃死させる強力なスキルだ。

 勿論ボスクラスには通用しないが、雑魚掃討には非常に役に立つ。

 なにせ、他にも【剣撃放出】というスキルも付与されているからだ。


 剣を振ると衝撃を放出するだけの単純なスキルは、付与させるのも容易かった。

 精々が本来の一撃の百分の一以下のダメージしか与えられない、見た目はともかく実用性は余りないスキルだが、作製された時点で宿してあった【特定種撃滅】のスキルと組み合わせれば、この上ない効率を齎す。


 そして現在の特定種の枠はフリーな状態にしてある。

 最初にこの剣で屠った個体が、特定種として認識される。


 ローブは脱いで【不思議で愉快な世界(ワンダーワールド)】へ。

 そしてスキル【討伐カウント】を発動。

 敵を倒す度にカウントしてくれる地味な能力だが、使っていると意外と楽しいスキルである。


「……ふぅ」


 正眼に構えた俺に、モンスターの軍勢が襲い掛かって来る。

 それを確認してから、先頭を走るすばしっこい魔狼の個体を叩き潰す。


「うわああああああああああああっ!!」


 とにかく剣を振る。振って振って振りまくる。


「うわあああああっ、うわっ、うわあああああああああああああっ!!」


 何だってんだよ、さっきの俺は!

 恥ずい、物凄く恥ずかしい上にイタ過ぎる!


 良かった、兄貴たちに見られなくって。

 見られたら末代までからかわれるに決まってる。

 もう恥ずかしいなんてレベルじゃない。そんな生易しい次元じゃなくて、その、もっとこう……見られたら拷問の末に殺して欲しいと心底願うレベル。

 本当に見られなくって良かったぁ!


「死ね、さっきの俺もお前らもまとめて死ね! とにかく死に晒せ!」

『1000体撃破! そなたこそ―――』

「うるせぇ!」


 これ組み立てたのメロナさんだっけ?

 さすが日本かぶれだよね、色々と突っ込みたい!


 【業魔の焼却乱舞踏(エル・フォンデリント)】

 【死界の白螺焔(ラド・イグニシリア)】

 【追憶の幻凍平原(アス・ゼッペルト)】

 【狂乱する電滅雷光(ノス・ラダルキオン)】

 【畢竟の斬滅殲風(ガゼ・ムルエルグ)】

 【不可侵なる地岩神樹(レド・モールトルス)】


 神位級魔法を連発。良いんだよ別に、今は後先考えなくて。


『1万体撃―――』

「【何も存在できぬ世界(クルヌ・ギア)】!」


 ヌギャー発動。

 俺の習得している魔法の中で一番凶悪で強烈な魔法。

 何の問題もない。全部ヴァジャーユの仕業で片付けられる。


「……よし」


 落ち着いた。ようやく頭が冷えた。

 今の俺は平静だ。心にざわめきはない。


 少しやり過ぎた気がしないでもないがな。

 モンスター共が俺に恐れ慄いて逃走―――もとい北側に進撃して行った。

 まあ、後でどうにでもなるだろう。


「……戻るか」


 多分大丈夫だとは思うが、エレナの安否を一応確認しておこう。

 イレーゼとヴェクター? あいつらは大丈夫だ。主人である俺には、奴隷であるあいつらの生死ぐらいは手に取るように分かるからな。


『秀哉、一つ伝え忘れてたわ』

「何ですか!?」


 やばい、まさか今の狂乱ぶりを見られたか!?


『その、言いにくいんだけど……』

「うん……」


 あっ、駄目だこれ。完璧見られたわ。


『私たち、諸事情で哭獣を再創造するわ。遠くない先にそっちに行くと思う』

「死に晒せ!」


 天に向けて【破滅を齎せし滅槍(クルヌ・カプリコス)】を全力スパーキーング!

 落ちた先はモンスター共の軍勢の真上だから良しとしようか!

 そんな事よりも―――


「これ終わったら上層界に乗り込んで行ってやるから、首を洗って待ってやがれ!」

『ほんと、ゴメンナサイね』

「謝って済む問題か!」


 謝って済むなら警察はいらないんだよ!


『とても言い辛いのだけど、今回の哭獣、あなたが戦った時の個体よりもレベル的にもステータス的にも上になりそうなのよ』

「死に腐らせぇ!」


 全力の【雷神の撃滅爆雷禍(ノス・レストリオ)】を天に向けてスパーキーング!

 物凄い被害が発生しているが問題ない。全ての責任はヴァジャーユが負う。





色々と詰め込んだらまた2万字近くなった。反省はしていない。

活動報告で宣言してから大分間が空いてしまい申し訳ありません。

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