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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
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錯綜する影と上がる反撃の狼煙



 自然界では天敵というものが存在する。

 単純な捕食者から、寄生虫や病原体まで、特定の種にとって命を脅かす種をこう呼ぶ。


 それに倣えば、魔人モードレイもまた人間にとっての天敵と言えるだろう。


 副腕を操り、皮膚や肉、内臓を剥ぎ取り己の眷属に変えるモードレイは、不思議な事に人間以外の種には見向きもしない。

 あくまで人間か、それに類する種の骨しか眷属に変えないのだ。

 とある見識者はその理由を、モードレイが時には眷属を自分の体の材料にする事に起因していると見ている。

 無数の骨の集合体でもあるモードレイは、体が破損した場合は眷属をバラバラにし、欠損した部位に合うように組み替え直した上で補修する。それを行うには、同一種の骨でないといけないからだと言うのだ。


 その説が正しいかどうかは分からない。しかし仮にそうでなかったとしても、モードレイが人間以外を狙わないという事実は変わらない。

 人間を殺し、そして殺した後も、そいつを次の者を殺す際の糧とするモードレイは、人間にとっては忌むべき不倶戴天の敵なのだ。


 しかし、自然界において常に狩れる側に居座る事はおそろしく難しい。

 スズメバチがオニヤンマやオオカマキリに殺されるように。

 ホオジロザメがシャチに殺されるように。

 ワニがライオンやカバに殺されるように。

 狩る側も時には狩られる側に回る事があるのだ。

 そしてモードレイもまた、狩られる側に回る事となる。

 それまでは運良く出会う事がなかった、神の眷属以上に厄介な天敵に遭遇してしまったのだ。


 指揮系統はもはやバラバラとなり、結界も大量のモンスターたちが自重で押し潰される事も厭わずに押し掛けて来る為に亀裂が走り、崩壊するのも時間の問題かと思われていたその時だった。

 ピシリと、微かな亀裂が、モードレイの腕に走る。

 その亀裂の大きさ自体は小さいものの、同じような亀裂は他にも無数に走っており、やがて自然風化したように腕が半ばから落ちる。


 自分の腕が落ちた事を、歯を鳴らしながら不思議そうに眺めつつ、足下の眷属たちを纏めて掴んで欠損した部分に押し付ける。いや、押し付けようとした。

 ところが、いざ掴もうとすると、掴んだ側から眷属たちは脆く砕け散る。これでは修復の材料には使えない。

 それどころか、他の眷属たちもまた緩やかにではあるが全身に亀裂を走らせ、自然風化するように砕け散っていく。その数は加速度的に増えて行き、瞬く間にその全体数を減らしていった。


 モードレイとその眷属の間で起きている現象は、全て最上級疫病属性魔法の【骨格塵化浸食(ルレデフェン)】の魔法によるものだ。

 本来ならば骨格を脆化するだけのこの魔法は、必要以上の負荷を掛けなければ害はない。

 しかしモードレイは、そしてその眷属たちは、その脆化した骨格を覆い保護する肉も皮も存在しない。そのため剥き出しとなった脆化した骨格が外気にモロに晒され、何もしなくとも風化し砕け散っていっていた。


 レベルもステータスも足下にも及ばない筈のヴェクターが、モードレイに対して圧倒的に優位に立っていた。

 まさしくモードレイにとって、ヴェクターは天敵そのものだった。


「【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】!」


 そして弱体化したモードレイの頭蓋骨に、強烈な重力の一撃が見舞われる。

 それだけで人間よりも大きな表面積を誇る頭蓋骨は、頚骨の半ばから抉り取られ、地面ごと押し潰されて粉微塵となる。


「やったぜヴェクたん、相性抜群だねぃ!」

「やれてないぞ」


 はしゃいでVサインを決めるイレーゼに、ヴェクターの叱責が飛ぶ。

 頭部を失った筈のモードレイは、事実ヴェクターの言葉通り何事もなかったかのように動き、残る三本の腕を動かして地に立つイレーゼを捕らえようとする。


「ちょいちょい、タンマタンマ! 頭潰されたら死ねよ!」


 モードレイからすれば何気ない動作でも、イレーゼにとっては捕らえられれば終わりの絶対に捕まる訳にはいかない行為だ。それこそ必死の形相で駆けずり回り腕から逃げる。


「タンマっつってんだろ! 魔人なんだから人語分かるよなぁ!? なんで頭無いのに動いてんだよ!」


 キレ気味に叫ぶイレーゼに対して、頭蓋骨も失ったモードレイは歯をカタカタと鳴らす事もできず淡々とイレーゼを捕らえようと腕を動かしていたところ、三本の腕のうちの一本に遠方から飛来してきた砲弾が直撃。腕を粉砕し、片側の腕を全て失った事によってモードレイが転倒する。

 その転倒した際の衝撃にも耐えられず半身が砕け散り、破片が下に群がっていた眷族を蹴散らす。


「助かったぁ!」

「まだ戦意ある者たちが大勢を整え始めているな。感謝する事だ」


 当初よりも大幅に人数を減らしながらも、この防衛ラインを突破させまいという意思を持った者が周囲の者を率いて、魔導大砲を使いモードレイや群がるモンスターに向けて撃ち始める。

 それに触発され、逃げ惑っていた者の中からもそれに続く者が現れ始める。

 緩やかなペースではあるが、瓦解寸前であった防衛ラインは、本人たちにそのつもりはなくともイレーゼとヴェクターたちによって再構築を始めていた。


「あれだけぶっ壊れてんのに、まだ動くのかよ。どうしたら殺せんべ?」


 唇を突き出して不満を露わにするイレーゼの視線の先には、眷族を使って体を修復するモードレイの姿。

 もっともその眷属の骨格も脆化しているため掴んだ側からボロボロと崩れていくが、それでも破片を継ぎ合わせていき欠損した部位に押し付けていく。


「おそらくという言葉が頭に付くが、あの魔人はスケルトンが進化した個体だ。ならばスケルトンと同様、目に見える骨格はあくまで外装で、いくら破壊しようとも本体にダメージは一切無い。あの巨体の中のいずれかに、本体である霊体の核があるはずだ。倒すにはそれを破壊するしかあるまい」


 ニューアースにおけるスケルトンとは、それ単体では生者に害を及ぼすどころか触れる事すら叶わない脆弱な霊体が、生者に干渉できるように骨を鎧として纏った存在である。

 鎧であるが故にどれほど破壊されてもいくらでも代用が利き、本体たる霊体には痛くも痒くも無いのだ。


「えぇー、スケルトンの霊体ってすんごい小さいじゃん。質量も持ってないから【質量探知(サーチ)】の対象外だし、あの巨体からどうやって探せってのさ?」

「そればかりは虱潰しにやるしかあるまい」

「むぅ……シュウポンが危ないから一刻も早く駆けつけたいってのにさぁ。こんなところで時間を無為にしている余裕なんて無いってのにぃ」

「……個人的には、その主殿が危険な状況下にあるという事に些かの疑問を覚えているのだがな」


 あくまで真剣なイレーゼに対して、ヴェクターは懐疑的な意見を抱いていた。そして本人も知る術は持たないが、それは真実である。


「どちらにせよ、ここに来る時に主殿に受けた最優先命令は危険の排除だ。この状況を見過ごすことは、その命令に反する」

「だけどさぁ、どの道あの結界はもう駄目っしょ。あと1時間持つかどうかじゃん」

「壊れた後の事は壊れたときに考えれば良い。今は目先の死に損ないを片付けるぞ」

「ういうい……【重力反転(ゼンデーラ)】」


 小さなリングが二重に重なった奇妙な物体が出現し、ふよふよとゆったりとしたペースでモードレイの元へと飛んで行く。

 そしてモードレイの骨の体に溶けていくように消え失せ、魔人の巨体が突如として宙に浮き始める。

 重力の向きが反転し、ゆっくりと、しかし確実に上昇していくモードレイの体からは骨の欠片が剥離しボロボロと落ちていく。尚も上昇は止まらず、やがて上を見上げてもその巨体が豆粒ほどにしか見えないくらいになったところでイレーゼが動く。


「解除……かぁ、らぁ、のぉ……【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】!」


 重力の向きが元通りとなり、モードレイの巨体が加速しながら落下していく。

 そして地表に群がる眷属の上にど派手な音を立てて墜落し、周囲に骨の散弾をバラ撒く。

 そこに『魂喰ミノ魔珠』を取り出したイレーゼが重力場の乱れ撃ちを行う。

 バラバラになった骨やその眷属はおろか、結界に群がるモンスターまで耐久精神値ガン無視の重力場の砲撃が炸裂。全てを等しく押し潰し、粉微塵にする。

 魔人クラスのように強靭な肉体と生命力を持つのならばともかく、並のモンスターでは凶悪な重力属性魔法の直撃に耐えきれない。ましてや、その大半がヴェクターの【骨格塵化浸食(ルレデフェン)】によって骨格を脆化されている。そこに頭上からの圧殺攻撃が襲い掛かれば、些かの抵抗すらできずに狩られる事になった。


「しゃっはー! レベルアップじゃい!」

「ふむ……」


 群がっていたモンスターの個々の強さはピンからキリまで様々だったが、数もそれなりにいた為、両者に多数の経験値が入ってくる。

 脳内に響く声と共に自分の体に力が満ちていく感覚に、両者は満足感に満ちた声を出す。


「ついでに魔人討伐、二体目だねぃ!」

「今回は相性が極端に良かっただけだ、他の個体ではこうはいかない。慢心はするな」

「ぶーぶー、ヴェクたんは風情ってもんが無いね!」

「文句は全部片付いてから聞いてやる。結界に群がっている他の個体もやるぞ」

「イェッサー!」


 不特定多数に格上であろうと問答無用で弱らせるヴェクターの疫病属性魔法と、これまた格上であろうが関係無しの相手の防御無視の高威力に加えて潤沢な魔力源まで手に入れたイレーゼの重力属性魔法。

 両者の組み合わせは自我を支配されていた時よりもさらに噛み合い、モンスターの群れを相手に体力が尽きるまで無双を続け、結界の崩壊までの寿命を倍近く延ばすのに成功する事になる。



 ――――――――――――



 前線での熾烈を極めた激闘が、結界の崩壊という形で魔側の勝利という結果に落ち着いてから暫く経ち、第6区画にある大きな天幕内には長方形のテーブルに6人の人物が席につき、そしてその背後には各人の副官と思しき人物が直立不動で立っていた。


「遅い、ソリティアの代表は何をしている!」


 苛立ったようにテーブルを指で叩きながら、無精髭を生やした文官らしき男が怒鳴る。


「確かに、各々に事情があるとはいえ、少しばかりこれは看過する訳にはいかぬな。いっそのこと彼を除いて進行したらどうだね、ドミニコ殿?」

「ならぬでしょう」


 名を呼ばれた老将が首を振る。


「この場のどこにもソリティアの者は居りません。一国を無視して進行すれば、その国との密な連携は望めなくなる。結果的にそれは、全体の足を引っ張ることに繋がります」

「いまこうしている間にも、その一国に全体の足を引っ張られているのだ!」


 バンッ、と拳でテーブルを叩く。

 それに背後の者が微かに身じろぎして鎧が擦れ合う音が響き、それが合図だったかのように天幕に新たに2人が入ってくる。

 片方はソリティア第三王子のシオン=ラドキア・ソルレティア。そしてもう1人は、各国の重鎮が集まる場だというのに黒装束と外套で一切の肌の露出を拒んだ格好をしていた。


「30分の遅刻だぞ!」

「いや、申し訳ない。色々と情報が錯綜してまして、そちらの確認に時間を―――」

「理由など知った事ではない! 貴様が遅れた事で全体にどれほどの遅れが出ると思っている! そんなに他国の足を引っ張りたいのか!?」

「……我が国の足を過去に散々引っ張っているバルスクライには言われたくありませんがね」


 心底不愉快だと言わんばかりの態度で、やさぐれた声を出す。それに無精髭を生やした文官の男は激昂する。


「文句は後で。それよりも折角話に出たのです、それを元に話し合いに入りましょう」

「何故君が仕切るのかね? この場での最高指揮官はドミニコ殿であると記憶しているのだが?」


 手を上げて、あくまで疑問を提示しただけという態度を取るのは、連合の一国であるザルマンダの宰相を務める人物である。


「それについての説明もしましょう。つい先ほど崩壊が確認された戦略級結界ですが、実はそれを張る際に魔人二体の襲撃を受けたという報告があったのを皆様はご存知でしょうか?」


 その情報は、正規に報告こそされていないものの、この場にいる誰もが共有しているものだった。


「併せて、伝令の履歴が報告と食い違っており、その担当を務めていた者が消息をくらませている事もご存知でしょうか?」

「時間がないので、まだるっこしいやり取りは抜きにしようか」


 シオンの言葉を遮ったのは、バルネイカの代表を務める軍務大臣である。

 軍事関係の職に就いているとは思えぬほど弛んだ体型をしているが、その眼光は鋭く、彼がただの肥満体でない事を悟らせる。


「この中に、情報を流している者がいると言いたい訳でしょう?」

「馬鹿を言うな! 流していたのはその消息をくらませているという者なのだろう! この中にそんな者が居るはずが―――」

「建設的な話ができない豚は黙ってろ!」


 シオンが突然吼える。

 罵倒された側であるバルスクライの代表の男は、口をパクパクさせて唖然としていた。


「き、貴様……ゆる、許されんぞ……言うに事欠いて、この私を……」

「仮説が間違っていたならばいくらでも責任でも追求するが良い! だがな、魔人襲撃はその担当者が失せた後の事だ! おまけにこっちは、そのせいで散々被害を蒙ってんだよ! これが黙ってられるか!」

「シオン殿、落ち着きなされ……」


 ザルマンダ宰相が、熱くなるシオンを制して引き戻す。


「それで、具体的にどうするのか考えているのかね?」

「……ええ、既にね。ドミニコ殿、お尋ねしますが、貴方の副官はドッペルゲンガーに入れ替わっていた、間違いありませんね?」

「左様……」

「ありがとうございます。では、入って来い」


 今度は天幕の外に声を投げかけ、それに応じて新たに1人が天幕内に入って来る。

 入って来たのは、真っ白な鎧に身を固めた女性だった。


「……彼女は? 見たところ、関係者ではなさそうだが……」

「彼女の名前はエークザと言います。私が個人的に仲良くしているギルド所属の者でして、ついでに慧眼スキル持ちでもあります」


 ざわっ、とその場の者が声を漏らす。

 それは果たして、驚きからくるものなのか、それとも動揺からくるものなのかは分からなかったが。


「では、頼んだ」

「はい」


 エークザと呼ばれた女性が、素早く視線を巡らせる。

 そしてシオンの背後に立っていた黒装束の人物に何事かを囁くと、突如として手に眩い光を生み出す。

 その場の誰もがその光に目を細め、あるいは庇う中で光は徐々に広がり、そして形をとり始める。

 数秒後に混成したのは、光を放つ細長い棒状の物体。絶えず光を放っている為に正確な形は分からないが、かろうじて剣のように見えなくもない。

 それは上級光属性魔法【祓邪の光刃(イラ・エークザ)】によって作り出される、魔に対して致命的な傷を負わす魔力のみで構成された剣。

 エークザの二つ名である【光刃】の元となった魔法であり、また彼女が自分だけで生み出したオリジナルの魔法である。

 彼女はその光刃を一閃し、バルネイカの代表の背後に居た付き人の一人を斬首する。

 その事に他の者が反応を返すよりも先に、別の場所でゴトリという音が響いてムンバオの付き人の一人の首が転がる。

 その傍らには黒装束の人物が、瑠璃色の輝きを持つ刃の血糊を拭っている姿があった。


「な、何を……何をやっている!」


 突然の事態に追いつけず呆然とする者、何とか状況を理解しようとする者、様々な反応が渦巻く中、バルスクライの代表者が怒鳴る。


「……ドッペルゲンガー、か」

「ええ」


 そんな反応など気にも留めず、ドミニコの言葉をシオンが肯定する。


「お尋ねしますが、副官が入れ替わっていたと判明した後に確認はしなかったので?」

「……いや、軍属の慧眼スキル持ちにやらせた。だが今の者も他の者も、全員人間であると答えていた」

「では、その者は……」

「おそらく。すぐに捕らえて処断しよう」


 残った付き人に指示を出し、変異の解けた死体を運び出させる。

 嵐の過ぎ去った天幕内に、僅かな間静寂が満ちる。


「……では、軍議に戻りましょうか」


 静寂を切ったのはバルネイカの軍務大臣。それに応じるように、各々が姿勢を正したり頷いたりする。

 腐っても各国の代表だ。切り替えができないようでは務まる筈もない。


「では、まず確認事項だが、先程前線の結界の崩壊が確認された。それに伴い、多数の魔が北に進撃して来ている」

「それに追加事項があります。道中ですが、一部壁が排除されて直線の道が作られているとの事です。一度に通れるのは多くはありませんが、進行速度は格段に上昇するかと」

「区画の間隔は?」

「縦におよそ五つ分との事です」


 重苦しい沈黙が支配する。今度は話の内容が何を指すのかをきちんと理解したが故の沈黙だった。


「……事前の取り決めとは違いますが、前倒しして仕掛けを作動させるべきでは?」

「考慮しよう。その作られた道の位置や構造にもよる。具体的なデータは?」

「そちらに関してはまだ……」

「では、集まり次第報告してくだされ」

「ええ、それは勿論」

「仕掛けの作動させるタイミングはともかく、作動させる事はほぼ確定的です。その後の防衛部隊の編成については?」

「本隊の到着までおよそ1日ある。間に合うかどうかは微妙だが、どちらの場合でも対応できるよう組む必要が―――」

「それに関しましても、追加事項があります」

「…………」


 再びシオンが流れを切る。


「本隊の一部が、先行してこちらに向かって来ているようです」

「……そのような話は初耳だが?」

「私も先程、その先行部隊の個人的知り合いから聞きましたので。その者によれば、軍馬の使い潰しを前提に少数精鋭の部隊が陸路で向かって来ているとの事です。あと……およそ半日ほどで到着の見込みです」

「ならばいっそのこと、その者たちと合流することを前提に、仕掛けを作動させる方向で考えた方が良さそうだな」


 ドミニコが的確に流れの方向を転換する。

 シオンとドミニコ、いつの間にかこの両者が軍議の主導権を握っていた。



 ――――――――――――



「ふう、概ね予定通りに進んだなぁ……」


 軍議がまとまり、天幕から出てある程度歩いたところで、シオンが首を回しながら疲れた息を吐く。


「イレーゼ君とヴェクター君も上手くやってくれている。彼らには感謝してもし足りないくらいだ。今のところは気持ち悪いぐらいこちら側に有利に運んでいる。

 ただ、その筈なのに尻尾は相変わらず掴めないな。あの場で判明するとは思っていなかったけど、手掛かりくらいは掴める筈だったんだ。混じっていると思ってたけど、アテが外れたかな。その辺り、どう思うかな?」

「私の慧眼スキルでは見分けられなかったという可能性もあります。相手は未知の部分が多く、どんなスキルを持っているかも不明ですから。勿論、混じってなかった可能性も十分にあり得ます」

「うん、そうだよね。ただ、個人的にはあの中に混じっていてくれた方がありがたい。一番まずいのは、これから到着する本隊の中に混じっている事だ」


 そうなったらいよいよ打つ手がないよと、シオンが弱った笑みを浮かべる。


「エークザ、君に近い実力があって、尚且つ信頼の置けるメンバーを集めておいて欲しい。勿論、事が終わった後はぼくの名前でギルドに推薦を出す事を約束しよう」

「分かりました」

「それじゃあ、ぼくはもう行くよ。やる事が沢山あるからね。ああそれと、君はエレナに付いていてくれないかな? 彼らがいない以上、万が一の事が十分にあり得る。何としてでも守り抜いてくれ」


 シオンの言葉に黒装束の人物が首肯し、闇に紛れる。

 おそらくは隠密を始めとしたスキルによるものなのだろうが、A3ランクのエークザにも、目の前で消えたのにも関わらずその存在がどこにあるのか感知できなかった。


「じゃ、頼んだよ」


 気さくに手を掲げてシオンが立ち去る。それにエークザは頭を下げて答える。

 そしてその後ろ姿が見えなくなったところで頭を上げ、下された命令に従うべく踵を返したところで、背後に気配を感じる。

 念のために言っておくが、踵を返す直前まで見ていた方向からである。当然直前まで誰の姿もなければ、気配も感じなかった。

 にも関わらず背後に気配を感じた事に、彼女は混乱する。だがその混乱をコンマ一秒で処理し、手に【祓邪の光刃(イラ・エークザ)】の光刃を生み出したのはさすがA3ランクといったところだ。

 だが相手にとっては、そのコンマ一秒で十分過ぎた。


「やれやれ、面倒な事をしてくれる」


 ピチャンと、濡れた音がする。

 その音が自分の足下からして来た事に気付いた彼女が視線を下に向けると、血に塗れた腕があったのが見えた。

 その腕は、自分が纏う防御魔法が何重にも付与されている筈の白鎧ごと自分の胸を貫き、手にまだ鼓動する肉塊を掴んでいた。


「あ、ああ……」


 意味を為さない声が、股間から温かな液体と一緒に漏れ出す。とてもみっともない姿だったが、本人にはそれすら気にする余裕はなかった。


「彼と貴女が顔見知りであるとは初耳でしたよ。だからこそ、対応ができなかった。長年彼については調べていたのですが、まったく困ったものです。お陰で必要以上の死が作られる事になった」


 スッと、視界を手が覆う。その手が自分の顔を掴むのをエークザが感じた直後、首が百八十度捻転される。

 その手が離されるのと同時に、自分の頚椎が折れる音を彼女は耳にした。そして霞む視界の中で、自分を殺した相手の姿を捉えた。

 そしてポッカリと空いた胸の穴の中を、驚きが満していくのを感じた。


「どう、して……おま、え、が……」



 一瞬だけ見えた顔、それが本物かどうかは彼女には分からない。もしかしたら今際に自分の脳が見せた幻覚かもしれなかった。

 だが消えゆく意識の中で、彼女は望んだ。それが幻覚であるという事を。



 ――――――――――――



嵐竜帝らんりゅうていヴァジャーユ】―――その存在について解説するには、まず竜という存在について詳しく語らねばなるまい。


 箱庭において、そしてニューアースにおいて、竜という存在は進化クラスアップ前の種族間においては間違いなく断トツで最大最強である。

 寿命がなく、個体のレベルに対する各種ステータスも圧倒的で、何よりどんな個体でも共通して【無限成長】というスキルを生まれ持っている。

 このスキルは、ただ生きているだけで経験値が入るというスキルだ。つまり竜は、他の種族が毎日敵を倒して経験値を稼ぐ中、ただ寝ているだけで経験値を稼ぐ事ができる。

 おまけに寿命がないため、理論上はどこまでも強くなる事ができる。そしてこのスキルは、龍となった後も継続する。止めるにはそれこそ、兄貴たちが完全に時の止まった空間に隔離するしかない。


 次に嵐竜という竜種について語ろう。

 嵐竜とは雷竜と緑竜が交わる事で稀に誕生する天竜、そして水竜と青竜とが交わる事で稀に誕生する藍竜とが交わる事で稀に誕生する、超が付くほど稀少な竜種である。

 龍になる前から光と闇並びにその上位属性を除く全属性を使いこなすばかりか、特殊属性をも操る他の竜種と比べても圧倒的スペックを誇る。

 箱庭でも数える程しか遭遇した事はないが、どれも激闘を繰り広げており、正直そいつらが龍になっていたら逃げるか殺されるかの二択しかなかったと思う。


 そして最後に、竜帝と呼ばれる存在について語ろう。

 竜帝とは、誕生時に極低確率で付与される先天的な称号のようなもので、それを持つ個体は他の個体よりも高い成長値を示す。


 ヴァジャーユは、その2つの要素を兼ね合わせたハイブリッドである。その誕生の確率がどれほど低く、超がどれほどついてもまだ足りない程の希少種である事はよく理解できるだろう。

 まだ卵の状態であったヴァジャーユを拾ったのは、僅か十万年前の事。

 親を倒し卵を見つけた時に、【分析Ex】で嵐竜の卵であるという事に気付いた事で持ち帰って育てる事にしたのだ。

 そのヴァジャーユが竜帝であった事は、おそらくは偶然ではないだろう。大方兄貴が、俺が拾ったのを見て何かしたのだ。でなければ確率論的にあり得ない。

 以降誕生したヴァジャーユは、レベル1の筈なのにあり得ないステータスを誇り、俺のサポートのもと果敢に敵に挑んではレベルを上げていき、今ではそのレベルは実に6000を大きく超えている。ステータス的にもレベル的にも、俺よりも強いのだ。

 はっきり言って卑怯だろう。俺がたまに嫌気が刺して数百年間数千年間引き篭って一切のレベル上げを行わなくなっている間にもヴァジャーユはせこせこと敵を倒し、何もしなくても経験値が溜まるのだ。しかも兄貴たちが何かしたのか、明らかに他の個体よりもレベルアップの必要経験値が少ない。

 お陰で主人である俺の立つ瀬がない。しかも高い知能の使い方も優秀で、生まれてある程度経ってからは日本語を完璧にマスターし、俺と流暢な会話だってできる。舌や声帯の構造が人間とは違うのにも関わらずだ。


 心の底から俺に懐いてくれていて良かったと思う。

 俺が親を殺していると知っていながら、それでも俺を慕ってくれるヴァジャーユマジ良い子。

 ヴァジャーユは俺の使い魔の中でも断トツで最強だ。大きく遅れてそこにジュベルとかが追うが、正直ヴァジャーユに敵に回られたら生き残れる気が微塵もしない。

 しかも本人もとい本竜曰く、俺の為に龍を目指してくれるというのだ。泣けてくるねまったく。


「ヴァジャーユ、聞こえるな?」


 声に出して呼びかけると、元気の良い返事が返ってくる。

 使い魔であるヴァジャーユと主人である俺との間には不思議な繋がりがあり、どこに居ても意思疎通ができる。

 一日の殆どを寝て過ごすヴァジャーユだが、俺が呼びかければすぐにでも起きて答えてくれるのだ。


「ああ、そうだ。そこに魔王を僭称する図に乗った竜が居るから、そいつに身の程を教えてやれ。だが、ただ普通にやるのは面白味がないし、何より後の事を考えると良手とは言えない。だからまずは、こっちの神話を利用させてもらう」


 手の空いた時にエレナに頼んで、ニューアースにおける神話について教えてもらった事がある。

 その内容は色んな意味で突っ込みどころ満載だったが、まさか今になって役に立つとは思わなかった。


「まず、そっちに【牙龍王団がりゅうおうだん】という集団がいる筈だから、そいつらと接触しろ。その際に攻撃されても反撃は一切するなよ。どうせお前からすればそよ風みたいなもんだからな。でもって、接触したら今から話すシナリオを伝えるんだ。その後―――」

『秀哉、聞こえるか!?』

「……何だよこのタイミングで」


 空気読めよマジで。


『こっちも立て込んでるから、手短かに済ますぞ! お前その氷牢が溶けるまでどれくらいある?』

「まだ優に1日以上あるよ」

『よし! いいかよく聞け、氷が溶けるのと同時だ。同時に転移しろ! くれぐれも誰にも見られるなよ! 溶けるその瞬間を逃すな!』

「……やれって言うならやるけど、何で?」

『何でもだ! 兄ちゃんの言う事が信用できないか!?』

「統計学的に信用できないよ」

『……とにかくだ! 言う通りにしろ!』


 おい、今の間は何だ。


『ったく、メロナ! お前だろうが、ダークエルフ設計したのは! どういう事だ!』

『私に言われても知らないわよ。あれ、多分イレギュラーよ。第一、秀哉の作品を横流ししようって提案したのは蛍じゃない!』

『資源を有効活用しようとしただけだっての! こうなるとは思わねえよ!』

『こっちだって同じよ!』

『君たち言い争うのは後にしてくれないかな! まずこいつをどうにかしないと!』

『おわっ、やっべぇ! 隔離しろ隔離ぃ! あれはもう手に負えねぇ!』


 おい……またか、またなのか?


『無理よ! どうにかして時間を稼がないと……』

『ホムンクルスを差し向けて時間を稼ぎましょ!』

『無理だね! さっきので殆どがやられてしまったよ!』

『一旦逃げるぞ! 戦力整えて不意を打つしかねえ! 一度でも隔離しちまえば、いずれ秀哉がどうにかしてくれる!』

「いい加減にしろってこの台詞何度目だぁ!」


 いっつもいっつも、そういう失敗作を処理させられる身にもなれよ!

 毎度のように死に掛けてんだろうが!


「……いや、何でもない。ただこっちの方でゴタゴタしてな。それよりも、相手の返答は一応聞いておけ。その後に蹂躙すれば良い。あと迂闊な事は喋るなよ」


 ヴァジャーユに心配された。マジであいつ天使だな。


「ああ、久しぶりの共闘だもんな。面白おかしくいこうぜ」





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