表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
38/44

蜥蜴

クッソ長いです。

無駄にクッソ長い上に無駄に場面がコロコロ変わるのでそういうのが苦手な人は注意してください。

「報告」

「します」


 『アスバル迷宮砦』の本陣に設置されている、天幕の一つ。

 その天幕の前を、複数人の兵士が一定の間隔で巡回をしていた。


「第74区画にて」

「蟲毒法にて創造した魔蟲」

「魔人化し【三剣】を撃破した後に」

「【紫迅妃】とソリティア騎士団長の手によって討滅」


 兵士たちがその天幕の前を通り過ぎる度に、一人ひとりがぶつ切りの言葉を落としていく。


「途中魔人ヴォルギオンが参戦するも」

「正体不明の魔獣に襲われ消滅」

「その後部隊は撤退」

「道中にてヴェムド様が屍兵と合成魔獣キメラを差し向けるも」

「これら全てを撃破」

「ソリティア王族の殺害には失敗」

「尚道中にてマーク対象であったシュウヤ・アマガミが」

「ヴェムド様と交戦」

「現在は重傷を負い姿を晦ましている模様」

「ご苦労」


 天幕の中から、のっぺりとした声が返ってくる。

 それは老人とも、壮年とも、青年とも少年とも判断の付かない声。

 ただ分かるのは、男の声であるという事だけ。


「ソリティアのギルド支部長のお気に入りで、さらにはラテリアの【ドブ攫い】を撃退したと聞いていたので、警戒してはいたのですが……警戒のし過ぎでしたか。いや、ヴェムド様相手に戦い、死にかけとはいえ未だ生きていられるだけ、賞賛するべきでしょうかね」


 事実からは大きく外れた報告を、声の主は納得したように咀嚼する。しかし間違いを指摘できる者はいない。何故ならば報告内容のソースとなるべき人物自体が、口にしている間違いを真実だと微塵も疑っていない為だ。


「分かりました。やや予定とズレてはいますが、注意人物を二名減らせていれば上々です。あなた方は向こうに戻り、108区画に待機させてある魔人を向かわせるよう伝えて来てください」

「了解しました」

「では、二名ほど離れます」

「残りは引き続き業務を遂行いたします」

「魔王様」



――――――――――――



 ザード・ラケルタエは通称【蜥蜴のザード】と呼ばれている。本体である大多数を生かす為に、尻尾の少数を切り捨てる行為を平然と行う為だ。

 彼がそんな考えを持ち、また平然と実行できるのには、彼がかつてディークディエレス帝国にて軍人をやっていた経験があるのが大きい。

 部隊を生かす為や作戦を成功させる為には、時には前日まで同じ釜の飯を食っていた仲間を切り捨てなければならない、それが帝国における軍人の共通した思想であり、また暗黙のルールであった。


 ザードはその帝国にて、およそ四年間に渡り軍属として生きていた。

 最終階級は百人長であり、完全実力主義である帝国において僅か四年間でそこまで登りつめられた事が、彼がいかに優秀であるかを雄弁に物語っている。

 そんな輝かしい経歴と成功された将来を約束されていた筈のザードは、何故退役し冒険者となったのか?

 帝国軍内における共通した思想やルールに嫌気が差した?

 いずれ自分が切り捨てられる側に回ることが怖くなった?

 どちらも違う。単純に、一生治る事のない怪我を負ってしまった為である。


 それでも普通は、新人の教育をするなり、もしくは生産する側に回ったり、とにかく戦いから離れるのが普通である。

 軍とて優秀な人材を、何の理由も無しにクビにしたりはしない。その人物がこれ以上軍隊では闘えないと判断したからこそ、退役を進めるのだ。

 だがザードは、戦場以外での生き方を知らなかった。もっと言えば、戦う以外に能の無い男であった。

 そんな人物が、退役後に冒険者となるのもまた、自然と言える事だったのかもしれない。

 そして冒険者となることが自然と言えるのならば、彼がその職にて大成していく事になるのは必然と言えよう。

 ランクはグラヴァディガでは最高のS2であり、レベルは800の後半に達する。

 シエート連合にとって頭痛の種である『大侵攻』において20年に渡り防衛線に携わり、魔人の討滅を含む数々の功績を打ち立てていった。

 その活躍ぶりは、後に帝国軍が手放した事を悔やみ、再度戻ってくるつもりはないかと幾度となく勧誘するほどだった。


 勿論、そこまで登り詰めるのに必要とした労は並大抵の苦労ではなかった。

 努力をした。生来より備わったものの上に胡坐を掻く事無く、文字通り血反吐を吐き、失禁し、泣き叫ぶほどの努力を積み重ねた。

 挫折を味わった。怪我を負った事は元より、それが原因による自身の能力の低下や思い通りに動かぬ体に、幾度も悲しみを覚え咽び泣いた。

 死に瀕した。それが最善手ならば自分が犠牲となる事を厭わず、何度も命を捨て去り掛けた。

 それらを纏めて積み重ね、登り乗り越えて、今のザード・ラケルタエは存在する。


 彼の事を【蜥蜴のザード】と忌み嫌う者は多い。だが心の底から疎み唾を吐きかける者は多くない。

 冒険者として長く生きている者ほど、彼の積み重ねてきた苦労と実績を目の当たりにして、ある種の敬意を覚える。故に心から忌み嫌う事はできず、心のどこかで尊敬と羨望の念を抱く。

 だからこそ、ごく僅かであっても彼とパーティを組もうとする者もいる。


「全員、有事の際に取るべきパターンは暗記したな?」


 ザード・ラケルタエは、作戦行動を共にするメンバー各員の顔を見渡し問いかける。


 身長は実に2メートル20センチ、体重は230キロを超える。

 腕や足は丸太並みに太く、手は大人を片手で鷲づかみにできそうなほどに大きい。

 シルエットだけで彼だと特定できそうなほどに筋骨粒々で、その容貌は蜥蜴と呼ばれている割にはまるで爬虫類の影が見えず、むしろ猛獣どころか竜すら髣髴させるほどのものだった。


「最初に言っておくが、おまえたちも知っての通り、おれは多数を生かす為ならば少数を切り捨てる事に躊躇いはない。それが最善と判断したならば、どんな手でも使う。それが嫌な者は、今すぐ去れ」


 その言葉に立ち去る者はいない。

 それは信頼からだ。例え毎度10%が死のうとも、90%以上を必ず生還させてきたその実績と手腕に対する。

 それは楽観からだ。例え10%が死のうとも、それは自分ではないだろうという他人事の精神による。

 それは欲からだ。この作戦を達成すれば、その後の自身の評価に大きく関わってくるという名声欲による。


「行くぞ」

「「「「「応!!」」」」」


 総勢20名の力強い声が響いた。



――――――――――――



「総勢200万を越す大軍、ねえ……」

「ふは、ははは……絶望で声すら出ないか?」

「今出してんだろうが」


 森の騒ぎ声がかなりうるさい。なるほど、確かに200万もいればうるさくなるだろう。


「さすがに200万も相手にするのは、かなり厳しいな」

「今さら、遅いぞ……」


 ズタボロの雑巾の戯言は無視する。

 まあ俺個人で200万を相手に戦えと言われて、実際にやるかどうかはともかく、可能か不可能かで言えば余裕で可能だ。


 かつて箱庭時代―――確か五千万年くらい前に、ちょっとした兄貴たちの不始末で箱庭全体の生命体と戦わざる得なかった事があった。

 その時の総数は、およそ2兆と127億4000万。種族も何もかもが違う連中との戦争は、千年以上の時を掛けて俺の勝利という形で決着が付いた。

 その戦いと比べれば、たかが200万ぐらいは造作もない。質も量も、断トツのぶっちぎりで箱庭の方が上なのだ。

 ただ、それをエレナ(あとイレーゼとヴェクター)含む人間陣営に極力被害を出さぬよう、尚且つ短期間で一掃しろとなれば、話は一転して面倒になる。

 畑を耕す事自体は簡単だが、それを5ヘクタール分やれと言われれば、不可能ではないがとてつもない労力を消費せねばならないのと同じ事だ。


「やれやれ、実に参った。俺一人じゃ無理だな」


 もう一度ジュベルを呼ぶという手もあるが、ジュベルは基本的に強大な個を相手に戦う時ならばともかく、雑魚の大群を相手取るには向いていない。


「まあ、そこら辺は向こうに戻ってから考えるか」

「行かせる、と思って、いるのか……?」

「いや普通に思ってるよ。後はお前を禍喜まがきんところに放り込んで終わりだ。その後に俺は悠々と帰らせてもらう」

「くっくっく、愚かな事だ。無駄な拷問などせずに、最初からそうしていれば貴様の思い通りになったものを……」


 首根っこを掴まれた状態で、魔王が俺の手首を掴む。


「貴様は、行かせん。貴様は多少なりとも厄介だ、ここに縫い留まってもらおう。やれ、ラヴォスマ!」

「ああ!?」


 背後に気配を感じ、振り向く。


「ラヴォスマって、確か……っ!?」


 そこに居たのは、人の姿をした魔人だ。

 いや、正確には元人間の魔人だ。


 ラヴォスマという名前の魔人について、俺は知識として知っていた。

 ビーンが纏めてくれた、名の知られている『大侵攻』にて姿の確認されている魔人のリストの筆頭に挙がっていた、上級魔人の名前だった筈だ。

 だが、その事が脳裏を過ぎったのは一瞬の事。

 背後に居るのがそのラヴォスマであろうとなかろうと、魔人であろうとなかろうと、誰もいない以上一切の加減なく瞬殺するつもりだった。


 ただ、瞬殺するその一瞬前に、そいつの名前が【分析Ex】で視界に飛び込んで来た。

 言い訳かもしれないが、それによってほんの一瞬だけ動きが鈍った。


「マヴォラス……!?」


 それはエレナ曰く、およそ二百年前にソリティアの街を囲む外壁を作ったという、歴史上最高と言われている建築家の名前。

 そして『大侵攻』において、毎回無くてはならない役割を果たしている『アスバル迷宮砦』の建設に関わった者の一人。


 一体どうして、そいつがここにいる?


「【絶対封殺氷牢(コキュートス)】」


 油断していたと言えば、それまでだろう。あるいは、気が抜けていたのかもしれない。

 搦め手を繰り出してきていた張本人であるこいつをどうにかすれば、頭のどこかで後は問題ないとタカを括っていた。

 もっと言えば、こいつ以外に搦め手を使うような奴がいて欲しくないと、思い込んでいた。


 周囲の体感気温が一気に下がり、吐く息が真っ白になる。

 無機質な音を立てて分厚い氷が地面から螺旋状に生じていき、俺を中心に包み込む巨大な蕾のような形となる。


 発動したのは超級氷属性魔法であり、消費したMP量に比例して対象を氷牢の中に閉じ込める【絶対封殺空間(コキュートス)】の魔法。

 これもまたかなり厄介な代物で、一度発動すれば術者を殺したとしても解ける事はなく、また破壊も転移も不可能。

 脱出するには大人しく術の継続時間が切れるのを待つしかなく、しかも内部温度は氷点下120℃というシベリアを優に凌駕する寒さを誇り、閉じ込めた対象の体温を奪うという余り喰らいたいとは思えない魔法だ。


 継続時間は消費したMP量のほかにも大きさも密接に関わっており、今回の場合だと大きさと【分析Ex】で確認した相手の消費MP量から推測するに、


「大体四十八時間―――丸二日か」


 舌打ちをする代わりに、この氷牢を生み出した魔人を殴り付ける。


「がぶっ!?」


 相手は顔面を陥没させて吹っ飛び、自分が生み出した氷壁に叩きつけられ骨の砕ける音が響く。一瞬で虫の息だ。

 憎たらしいことに、それだけの衝撃を受けても、この氷牢は傷一つ付いていない。


「この中に四十八時間か。最悪だな」


 この気温の中では、迂闊にローブを脱ぐこともできない。もし脱いでしまえば、全身が凍って動けなくなるだろう。

 そんな環境下に四十八時間も縛り付けられるという事実に、眩暈すら覚える。

 いや、ここは逆に四十八時間も猶予ができたと無理矢理にでも喜ぶべきか。


「聞く事が増えた。聞く相手もな」


 とりあえず魔王を禍喜まがきのところに放り込んでおく。扉の向こうで絶叫なんかが聞こえてくるが、意識から強制的に排除する。例え扉の向こうが暖のとれる環境だったとしても、俺は絶対に足を踏み入れたくはない。


「あの魔王は全部耐え切ったがな、それは元々人間じゃなかったからってのもあると俺は思う」


 回復薬を取り出し、虫の息の魔人に掛けてやる。

 即座に効果を発揮し、回復して跳ね起きた魔人に告げてやる。


「だけど、今は人間でなくとも、元人間であるお前はどこまで耐えられるかね?」



――――――――――――



 『澱みの森』より超大規模なモンスターの進軍が確認されたのが、およそ三時間前。

 モンスター軍が『アスバル迷宮砦』に到達するのに、推定でおよそ十二時間ほど。それに対して、連合側の本隊が到着するのに、どんなに急いでも推定で三十六時間は掛かるというのが本陣の面々が出した結論だった。


 まともにかち合えば、全滅は免れない。しかし勝利するには、本隊が到着するまでの三十六時間を現状の戦力だけで凌ぎきる事が大前提である。


 ザードも含めて21名の部隊は、その三十六時間の時間を稼ぐ為にも、砦の最南端のエリアの仕掛けを作動させる為に選抜された、最精鋭の冒険者の部隊である。

 ザードを除く冒険者たちの平均ランクはA1。平均レベルは実に500を超える。

 個々のメンバーが、二つ名こそないものの極めて優秀な者たちで、将来性も鑑みればそう簡単に失えるような人材ではない。

 逆を言えば、彼らを危険に曝してでも仕掛けを作動させる価値があるという事でもあった。


 そして繋げて考えれば、それは相手側にとっては起動されるのは非常に困るという事でもある。


「止まれ……」


 ザードが命令を発するが、その命令を聞く前に一行は全員足を止めている。それでも口にしたのは、彼の軍属時代の癖のようなものだった。


「結構多いな。それに、歯応えがありそうだ」

「ケッ、どんだけ居ようが変わらねえよ。全員八つ裂きにしてやる」


 鳥の脚に酷似した細長く鋭い手足と二枚の翼を背中に持った、灰色の髪をした細い人影が一つ。

 ブラウン色の体毛で全身を覆い、耳まで裂けた口に乱杭歯を生やした2メートル越えの屈強な体躯を持った人影がもう一つ。

 片方は鋭い目線でザードたちを検分し真剣な表情を浮かべ、もう片方はザードたちの人数を確認して嗜虐的な笑みを浮かべていた。


「ザードさん、左側の奴は魔鳥類から進化クラスアップした魔人エルフィンで間違いないです」

「もう片方は初めて見る顔ですが、下級とはいえ魔人なのは間違いないです」


 メンバーの中でも分析スキルを持った者たちが、リーダーであるザードに報告する。

 その報告を聞いていた他の面々は、魔人という単語に―――とりわけ前者のエルフィンという名を聞き、微かにざわめく。


「さてと、諸君らの中に我こそはという者は居るか? 居るのならば是非とも名乗り出るといい。その者とワタシは正々堂々一対一で戦うことを約束しよう」


 魔人エルフィンがテノールの声で提案する。

 それに対するザードの返答は一言だけ。


「プランDだ」


 その言葉に一行は素早く陣形を組む。そして最後尾で一人の冒険者が弓を構え、矢を引き絞り放つ。


「おっと……?」


 山なりに飛んで来る矢を、二体の魔人は見上げて向かえる。

 そして両者のどちらでもない、ちょうど間に突き立つという直前で矢が爆ぜる。


「ムッ!?」

「ぬぐぁ!?」


 爆発といっても、規模は然程ではない。代わりに周囲に大量の煙を撒き散らし、その後も小規模な爆発が連続して発生する。

 その爆発は当たったところで、魔人である彼らに大したダメージはない。だが怯ませるのには十分で、その隙に一行は速やかに撤退を始めていた。


「……クソがッ、あいつら逃げやがったな!」

「煙と爆発が継続したのは、大体二十秒ほどか。その間に後姿すら見せずに逃げ切るとは、見事な引き際だな」


 煙が晴れて忽然と消え去った一行に対して、片方は憤慨して見せ、もう片方は感心したように頷く。


「……おまけに、バラバラに逃げやがった。面倒な真似をしやがって!」

「全滅を避ける為の判断としては、妥当なところだろう。この迷宮は脇道や分岐路が多い。個別に逃げられれば、誰かが襲われている間に他の者は逃げ出せる。相手の指揮官は中々に優秀なようだ」


 エルフィンが背中の翼を動かし、宙に浮かぶ。


「ゾマン、オマエは自慢の鼻で追跡しろ。ワタシは上空より追撃を掛ける。決して深追いはするな」


 それだけ言い残し飛び去る。

 残ったゾマンと呼ばれた魔人は、苛立たしげに鼻を鳴らす。


「ハッ、鳥類風情が、タカがクラスが一つ上というだけで偉そうに。クラスが同じなら、魔狼族であるオレの方が上なんだぞ」


 愚痴を零しながらも、一応は指示に従っておくかと膝を付き、地面の臭いを嗅ぐ。


「……血の臭い、どいつか怪我でもしたか?」


 ニタリと笑う。


「いずれにしろ、手負いなのは好都合だ。まずはこいつから料理させて貰おうか!」



――――――――――――



 A2ランクの冒険者であるグノディは、名声目当てで今回の作戦に参加した、言ってしまえばハイエナのような人物である。

 ザードの評判は良く知っており、その上で自分が切り捨てられる事はないだろうと楽観視し、作戦完了後に得られるであろう評価の皮算用をして参加を表明した。


 グノディの自分は切り捨てられる事はないという考えは、何の根拠のない事ではない。

 彼は参加するメンバーの中でも四名しか居ないA2ランクの冒険者であり、その中で自他共に最もA3に近いと評されている冒険者なのだ。

 おそらくザードを除けば作戦参加メンバーの中では最もレベルが高く、また率いるパーティのランクもB2に相当する、所謂優秀な冒険者に該当する。


 そんな彼にとって―――いや、彼に限らず冒険者の大半にとって、切り捨てられるものは群れの中で最も弱く役に立たない者だと相場が決まっていた。

 これはある意味、そう考えても仕方がない事だろう。自然界においても、捕食者に襲われた場合は同様に群れの最も弱い個体を差し出して、群れの存続を図るのだから。

 ただ彼は知らなかっただけだ。ザードにとって切り捨てる対象は、群れの最も弱い個体ではなく、切り捨てることで最も最善の結果が得られると判断した者だという事を。


 究極的に言えば、彼は運が悪かった。撤退の際に、自分がいま走っている通路を選んだのが運の尽きだった。


「うおっ!?」


 勿論彼とて、警戒はしていた。切り捨てられるつもりなど毛頭なかったが、いつ敵の奇襲に遭うかも分からない。

 その彼が、A2の冒険者であるグノディが、その攻撃にはまるで気付く事ができなかった。


「痛ぇ、何だってんだよ……」


 右の太ももに刺さっているナイフを見て毒づき、次に自分に近付いてくる人影を確認して、一気に表情を険しいものに変える。


「おいザードさんよぉ、何であんたがここに居るんだよ!」

「何で、か。端的に言えば、おまえを切り捨てる為だな」

「なん、ふざ―――」


 けるな、と続けようとしたグノディは、立ち上がろうとしてそれに失敗する。

 ザードは動けないグノディに近付き、太ももに刺さったナイフを引き抜く。


「強力な麻痺毒だ。大体半日は動けなくなるぞ」

「デメェ、どうじで―――」


 呂律が回らなくなってきたグノディに、ザードは憐憫を多分に含んだ視線を向ける。


「いずれ喋ることもできなくなるだろう。その前に言い残すことはあるか?」

「ごんなごどじで、だだで済むど思っで―――」

「いるさ。おれは最善だと思った考えを実行しているだけだ」


 そこで申し訳なさそうな表情をする。


「ただ、おまえの気持ちも良く分かる。だから―――恨むなら恨め」



――――――――――――



 第108区画の北側に位置する第96区画に存在する、無数の通路の合流地点である天井のない広間に、冒険者たちが集まる。


「二人足りない」

「ザードさんと、もう一人は?」

「グノディの奴だ」


 合流し人数を数え、欠員が生じているのを確認する。


「魔人に追いつかれて、交戦しているのか?」

「もしくは、切り捨てられたかだな」


 誰かが口にした可能性に、一行の間に沈黙が下りる。


「……ハッ、だとしたら何なんだよ」


 その沈黙を破ったのは、周囲と比べても一際重装備の男だった。


「その可能性が誰にでもある事は、出陣の前に散々確認してきた事だろうが。その上で付いて来たんだ、切り捨てられたところで文句を言うのは筋違いだぜ」


 その言葉に一人、二人と賛意を示す。


「だな。文句を言う奴は冒険者をする資格はねえ」

「むしろここは、切り捨てられたのが自分でない幸運に感謝するのが冒険者だな」

「さすがにそれは不謹慎だが、違いねえ。それにグノディで良かったぜ、計画に然程支障がない」

「だからこそ切り捨てられたのかもな」


 一行の間に、僅かな間弛緩した空気が流れる。

 しかしそれも、すぐに引き締められる。


「来たぞ!」 


 魔人エルフィンは魔鳥類のモンスターが進化クラスアップした中級魔人であり、『大侵攻』でもかなり名の知られている魔人である。

 名の知られている理由としては中級魔人であり、古くから制空権を支配して連合側を苦しめてきたという実績の他にも、その武人気質な性格も大きく関わっている。


 正々堂々と戦う事を好む一方で、戦いに関しては何でもありという考えも持ち合わせており、それに則った戦いぶりと戦った相手に敬意を表すその様は、『大侵攻』に関わっている冒険者たちからはある種の敬意を持って受け止められている。


「思ったほど遠くには逃げていない―――いや、戦いやすい場所に誘い込む算段だったか」


 広間に展開する面々を眺め、好戦的な笑みを浮かべる。


「……ムッ、二人足りないな。特に、あの指揮官らしき男―――あいつが一番強そうだったが、もしやゾマンに取られたか。だとしたら些か残念だな」


 翼を数度羽ばたかせて、広間に降り立つ。


「こうしてワタシは諸君らのテリトリーに足を踏み入れたわけだが、改めて聞こう。我こそはと名乗り出るものはいるか?」

「ハッ、馬鹿を言うな。何でわざわざ勝率の低い一対一の戦いをしなきゃならねえんだよ。最も勝率の高い、一体多の戦法を取らせて貰うぜ」


 重装備の男が吼える。それにエルフィンは、興味深そうに観察する。


「道理だな。あの男を除けば、次に強いのはオマエか? 楽しめそうだ!」


 エルフィンが動き出す。

 対して男は、ほぼ反射で手に持ったタワーシールドを掲げていた。


「ぐおっ!?」


 次の瞬間、襲い掛かってきた重たい衝撃に堪らずたたらを踏む。見れば鋼鉄でできている筈の盾に、鋭利な切り傷が三本刻まれていた。

 それでも辛うじて彼は防ぐことはできたが、他の者は反応もできなかった。


「ふむ、動けるのはオマエを含めて数人か?」


 血に濡れた鉤爪を掲げて呟く。

 一行の中で、今ので死者こそは出ていない。しかし一瞬の間に5人が、手や足、脇などを鉤爪で斬り付けられていた。


「クソが、まるで動きが見えなかったぞ!」


 男は毒づき、声を張り上げる。


「正面から戦っても勝てねえ! ザードさんの言ってた通り、当初の計画に持ち込むぞ!」

「「「「「応」」」」」


 男の言葉に全員が応対し、新たに陣形を組み始める。


「ふむ、どうやら何か策があるようだが、待っていた方が諸君らにとって都合が良いかな?」

「抜かせ! 遠慮してねえでいつでも掛かって来い!」

「その意気や良し!」


 エルフィンが再び動き出そうとする。

 しかし機先を制するように、一瞬早く矢が放たれる。

 先ほどとは違い、水平に一直線に放たれた矢は、駆け出したエルフィンの手前で再び爆ぜ、中からネットが広がり絡め取ろうとする。


「甘い!」


 即座に鉤爪を振るい、自身を捕らえんとするネットを切り刻み糸屑に変える。

 しかしその瞬間だけ、僅かに動きが止まる。


「「「「【土槍(グレイブ)】!!」」」」

「おおっと!?」


 その隙を逃さずに、後衛の魔法使いたちが詠唱破棄の魔法を発動し、エルフィンの足元に岩槍を生み出し串刺しにしようとする。


「今のは悪くなかったが、やるならば無詠唱でやるべきだったな。そうすれば、ワタシを捉えられた可能性もあっただろう」


 翼を羽ばたかせて上空に逃れたエルフィンが、そう評する。

 そして次の瞬間、おやと眉を釣り上げる。


「「「「【土壁(アースウォール)】」」」」

「……ふふっ、なるほど、そう来たか」


 前衛には、ザードの代わりに一行の指揮を取る男を含めた、重装備の者たちが三名。

 その者たちが互いに身を寄せ合い、盾を地面について隙間なく構え、その間から手に持った武器を突き出す。さらにその左右を後衛の発動させた土壁が覆っておく。

 結果、途中を三列の壁が挟んだ即席の通路が完成する。


「このワタシと力比べをしようと、そういう訳だ」


 好戦的な笑みを浮かべ、すぐに「いけない、悪い癖だな」と口元を手で覆い隠す。

 そしてホバリングした状態で翼を大きく広げる。すると広げられた翼が、硬質の音を立てて鋼の刃へと変化していく。


 魔鳥類の魔人である彼が真価を発揮するのは、当然のことだが地上戦ではなく空中戦である。

 そんな彼が最も得意とする一番強力な武器は、上空から地上に向けて一気にトップスピードで滑空し、スキル【鋼刃翼】によって鋼の刃と変じた翼で斬り裂く強襲攻撃である。

 本来ならば羽を鋼の矢として打ち出すためのスキルを、彼はその攻撃の為に刃として利用する。

 鋭利な刃に落下速度が加わった時、それはあらゆる敵を斬り裂き仕留める事ができると彼は自負しており、事実過去の『大侵攻』ではその技を出させるほどに苦戦した戦士を幾人も葬り去っている。


「本来ならば奥の手として温存するのだが、こうも挑発されては、乗らない訳にはいかぬな」


 盾と武器を構える前衛の者たちの顔を見て、良い表情をしていると彼は思う。

 諦めたのではなく、自棄になったのでもなく、ましてや一か八かの賭けをしている表情でもなく、絶対に勝ちを取りに行くという表情だった。

 そして思う。彼らの影に隠れて向こう側に居る者たちの姿は見えないが、きっと他の者たちも同じ表情をしているのだろうなと。


「行くぞ!」


 エルフィンが脱力し、頭から落下をし始める。

 と次の瞬間、角度を反転させて地上目掛けて猛然と滑空を始める。

 同時に前衛の者たちが全身を緊張させ、得物の穂先をエルフィンへと向ける。おそらくは盾で滑空の勢いを止め、その隙に背後に居る者たちが自分を貫く算段なのだろうが、


「笑止!」


 その事如くを自分は斬り裂いて見せると、エルフィンは彼らに迫る。

 そして―――


「「「「【刺突の鋼槍(レド・ランセ)】!」」」」


 鈍色に輝く槍が、前衛の者たちの体を貫いて突き出される。


「なんっ、ガァ―――!?」


 突然の出来事に状況を把握しきれず、静止もできずに自ら槍の穂先に向けて突っ込んでしまう。

 いや、仮に状況を把握できたとしても、静止することはできなかっただろう。エルフィンのこの技は、強力な反面途中で止まることは困難であるという欠点を抱えているのだ。


「ぐっ……今だ!」


 体を背中から貫かれながらも、男が血混じりの声を上げる。

 その合図と同時に、左右の土壁が崩れる。中には冒険者たちが、各々の武器を手に待機していた。


「「「「「おおおおおおおおおおおおおっっ!!」」」」」


 雄叫びを上げ、串刺しとなっているエルフィンに冒険者たちが殺到。スキルも併用し、手に持った武器を次々とエルフィンに叩き込んでいく。


「何と……!」


 自分の体を貫かれ、切り刻まれながらも、エルフィンの胸中には感嘆の念が宿っていた。

 自分の体を貫く魔法で生み出された鋼の槍は、平時ならば彼の体を貫通することなど不可能だっただろう。彼の全てを斬り裂くと豪語する滑空攻撃の勢いがあってこその、この結果だ。

 そしてそれを確実に自分に命中させる為の、前衛の者たちの決死の覚悟。

 槍が貫いている彼らの体の位置は、決して致命傷足りえる部位ではない。しかし死なないと分かっていても、背後から貫かれる事を承知で、ああも泰然と構えられているものだろうか。

 もしタイミングがズレれば、そうでなくとも貫く位置を間違えれば、彼らの覚悟は無意味になったり、あるいは命を落とした事になりかねない。それすら承知の上で構えられていられるその精神は驚嘆に値する。

 さらに、後衛の生み出した土壁。これは最初から空洞で、端から壁としてではなく冒険者たちが身を隠す為の隠れ蓑として生み出された物。

 自分に滑空攻撃を誘う為の仕掛けかと思えば、それ自体が罠。


「素晴らしい……」


 嵌められた事に対する怒りはない。戦いには何でもありというのが、彼の信条でもあるからだ。

 しかし、だからといって大人しくやられる訳にはいかない。


「ぐぬぅぉぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!」


 咆哮し、体が引き裂かれるのを構わず身を捩る。


「逃がすかよ……!!」


 貫かれている男が、手を伸ばしてエルフィンを抱き寄せようとする。しかしそれよりも先んじて、エルフィンは槍の拘束から脱することに成功する。


「ふっくく、くくくくく……」


 翼を羽ばたかせて上空へ逃れる。

 全身は傷だらけで、特に拘束から脱するときにもがいた為に、胴体には体がもげてもおかしくないほどの重傷を負っていて、そこから留めなく溢れる血が滝のように地面の上に流れ落ちる。

 しかしそれでも、魔人の生命力は彼を生かしていた。


「見事だ……実に見事だが、ワタシも大人しく殺されるつもりはないのでな……」


 上空へと逃れたエルフィンに向かい、すかさず矢が飛び、魔法が放たれる。

 それを鉤爪で弾き飛ばし、あるいは飛行して回避する。


「死んでこそいないが、今回はワタシの完敗だ。そして勝者には、贈り物があって然るべきだな。ここは大人しく引き下がろう。また、今回に限り以後諸君らの邪魔をしない事を確約しよう」

「信じるとでも?」


 仲間に手当てを受ける男の問いに、エルフィンは肩を竦める。


「生憎、ワタシは諸君らに信じて貰う為の手段を持ち合わせていない。故に信じるも信じないのも、そちら次第となってしまうが……」


 さらに翼を羽ばたかせ、高度を上げていく。


「願わくば、また会いたいものだな」


 そう言い残し、エルフィンは西へと飛び去って行った。


「追うか?」

「……いや、このままザードさんを待とう。深追いするのは危険だ」

「つか、あんな速度で飛んでいく奴を追いかけられるか?」


 その問いに、一行は全員が首を振る。


「平地ならばともかく、この迷宮内じゃな」

「こっちが回り道して進めるところを、あいつは直進して進むからな」


 笑い合う。魔人と遭遇し、撃退できたというその事実を噛み締めながら。


「誰も死なずに生き延びられただけ、ヨシとしようぜ」



――――――――――――



 血の臭いを辿りながら、ゆっくりと歩を進めることしばし。

 魔人ゾマンは程なくして、足から血を流し倒れているグノディを見付けた。


「……フンッ、切り捨てられたか」


 心音や息遣いの音は聞こえるのにも関わらず、ピクリとも動きもしないグノディを見て、ゾマンは的確に状況を推察する。


「正しい判断だ。誰かを切り捨てれば、他の奴らは逃げ切れる可能性があるのだからな。もっとも逃がすつもりはないがな」


 貫き手を作り、グノディの心臓を貫く。

 グノディは口と傷口から大量の血を流し、何度か体を跳ねさせた後に痙攣し、すぐに動かなくなる。


「哀れな奴だ、他の者に生き延びる為に切り捨てられながら、その行為も無意味となるのだからな。貴様が命を落とした事に、何の意味もない」


 手を引き抜き、次の獲物を追いかけようとした瞬間に、グノディの体が爆ぜる。


「何だとォォォォッ―――!?」


 爆ぜたグノディの体内から飛び出してきたのは、銀色の糸で編まれた網だ。

 それは瞬く間にゾマンの体に絡みつき、身動きを封じる。


 それと同時に、ゾマンの背後に全身に泥を塗して臭いを消したザードが現れ、短剣を手に突進する。


「グオオオォォォォッ!!」


 ザードに脇腹を貫かれ、苦痛の咆哮を上げる。 

 豪腕を振るい、ザードを吹き飛ばそうとするも、彼の体に絡みつく網はその動作すら阻害する。


「貴様ァ、よくも卑怯な手をッ!」

「動けぬ者にトドメを刺したおまえが言うか」


 血糊を払い、腰のベルトに短剣を収める。


「ぐぬゥゥゥ、何だこの網は、何故引き千切れぬッ!」

「無駄だ。その網は稀少なジャヌル草の繊維を編み込んである特別製で、バルネイカでは竜を捕獲するのにも用いられているものだ。いくら魔人とはいえ、所詮は下級の魔獣種と竜とでは、筋力は竜の方が上。おまえではどうやってもその網は破れない」

「侮辱するかァァァッ!!」


 もがき続けるゾマンを他所に、ザードは淡々とした態度で、魔人を囲い込むように封魔結晶を設置していく。

 中に封じ込められているのは、最上級の火属性爆裂魔法だ。これ一つで、目玉が飛び出るほどの金額が掛かる。


「おれは臆病者でね、迂闊に近付けば、手痛い反撃を受けそうだ。念には念を入れさせて貰う」


 手持ちの結晶を全て設置し終え、次に壁の側に向かう。


「極めて強い張力を誇るジャヌル草の繊維だが、元が植物だ。当然火には弱い。もっとも、火竜を捕獲する際に焼き切られては困る為、火竜の息吹でもすぐには焼ききれないようにはなっているが、さすがにこれだけの爆裂魔法の閉じ込められた結晶を使えば切れるだろうな」


 壁に手の平を押し当て、魔力を流し込む。

 すると壁に幾何学模様が浮かび上がり、同時にゾマンの足元に巨大な魔法陣が生み出される。


「何だこれはッ!?」

「この区画にある仕掛けの一つでね、起動して五分後に、この広間全体に及ぶ大爆発を引き起こす。当然その際に、封魔結晶も誘爆を引き起こすだろうな」

「ガァァァァァァァァッ!!」


 ザードの解説を聞いたゾマンが、狂ったように暴れまわる。だが網は、一向に引き千切れる気配がない。


「特別製の網に、使用した封魔結晶。今回は大赤字だな」


 ぼやきながらザードが広間から立ち去る。

 そして魔法陣が展開されてきっちり五分後に、区画全体を揺るがすような大爆発が引き起こる。

 爆発は数分に渡り継続し、周囲に衝撃と熱波と爆炎を、そして上空にはキノコ雲まで生み出し、ようやく終わりが訪れた。


「グゲゲッ、ゲゲェ……」


 黒い墨混じりの血塊を吐き出し、ゾマンが苦痛の声を漏らす。

 魔獣種特有の強靭な毛皮も肉体も、あの規模の爆発を前には無力に等しく、全身のあちこちが抉れ焼け焦げていた。

 だがそれでも、辛うじて五体満足だった。


「チッ、配置が悪かったか。相殺現象が起こったな、上手くいかない」


 ゾマンが戻ってきたザードにギロリと視線を向ける。

 その殺意に満ち満ちた視線を、ザードは真正面から受け止める。


「まあ、思い通りにはいかなかったが、結果は上々だ。トドメを刺させて貰おう」


 腰から二本の短剣を引き抜く。

 緩く、複雑に湾曲したそれは、常人の手にはやや小振りな双剣として扱われるだろう。しかし人並み外れた巨躯を誇るザードが握ると玩具のようにしか見えない。

 しかしそれこそが、紛れもなくザードの得意とする武器だった。


「殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス―――ブッ殺してやる!」


 ゾマンが飛び掛かり、何もない虚空を掴む。一瞬遅れて、脇腹に切り傷が刻まれ血が流れる。


「ガァァァァァァァッ!!」


 ゾマンが吼え、ザードをその腕に捕らえようと何度も動く。

 対するザードは、その事如くを躱し、いなし、そして双剣を振るいゾマンの体に傷を付けていく。

 状況はどちらが優勢なのか、傍から見てもハッキリとしていた。


 やがて、業を煮やしたゾマンが捨て身の特攻を掛ける。

 その行動に怯む事無く、ザードは左の短剣を突き出し、ゾマンの心臓を抉る。


「ガァ―――」


 ゾマンの体が痙攣し、膝が地面に付く。

 手に伝わってくる心臓の鼓動が、間違いなく止まったのを確認し、ザードは短剣を引き抜き―――その手を魔人の豪腕に掴まれる。


「捕ら、えた、ぞ……」

「何だとッ!?」


 これにはザードは心底驚きを覚える。

 そんなザードの驚きなど知った事ではないと、ゾマンはザードを持ち上げ、地面に背中から叩きつける。

 その衝撃に全身の骨が軋み、両手から短剣がすっぽ抜ける。


 ゾマンが心臓を貫かれたのにも関わらず動けるのには、当然ながら種がある。

 それはスキル【臓器複製】による、心臓を複製した結果によるもの。

 日に一度だけ、任意の臓器を複製できるこのスキルは、ゾマンが魔人に進化クラスアップした時に得た奥の手の一つである。


 そんな事を、分析スキルを持たないザードは把握することはできない。

 しかし、何らかの理由でゾマンが死んでいないという事だけは理解した。


「死に損ないがッ!」


 跳ね起き、ゾマンと両手をガッチリと組み合う。

 その現状に、ゾマンは内心でほくそ笑む。


(愚かな、人間風情が、この魔獣種の魔人たるこのオレと力比べをして勝てると思っているのか!)


 ゾマンの両腕が不自然に隆起し、ただでさえ太い豪腕は、さらに倍近くの太さへと変貌する。


「ゴアァァァァァッ!!」


 雄叫びを上げて押し出す。このままザードの両肩を粉砕してくれようと、渾身の力を込めて。

 だが、直後に戸惑いの声を漏らす。


「馬鹿、な……」


 全力で押している。それは間違いない。確かに大爆発によって重傷を負いはしたものの、自分が発揮する筋力に何ら支障はない。

 にも関わらず、ザードはビクともしない。いや、それどころかゾマンと力比べをして、明らかに押していた。


「ありえない……!」


 確かにザードは、人間の中では並外れた巨体と筋肉を誇る。だがそれは、所詮は人間の話。魔人である自分に勝てる筈はない。

 その筈なのに、結果は現実の通りだった。


「ヌググ、グォォォ……」

「いぃぃぃぁあぁぁぁぁぁっ!!」


 今度はザードが雄叫びを上げ、お返しとばかりにゾマンを放り投げる。

 放り投げられたゾマンは、優に五メートルは宙に浮かび、ザードの背後へと落下する。


「グゥ……!?」


 ゾマンの脳内は、疑問と混乱で満ちていた。

 何故自分が投げられたのか、何故自分が力負けをしたのか、それがまるで理解できなかった。

 ただ一つだけ分かる事は、自分の眼前に背を向けて立っているこの男が危険だという事だけ。


 目の前の男を殺す―――その一念に動かされ、もう一つの奥の手を開放する。


「GYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」


 スキル【獣王の咆哮ビースト・ロア】を発動。腹から、肺から押し出された咆哮は周囲の者の体を強制的に硬直させ、間髪入れずに衝撃波となって敵に襲い掛かる。

 魔人となった時に得た【臓器複製】と【獣王の咆哮ビースト・ロア】。この二つのスキルが、ゾマンの奥の手であり、また絶対の自信を置くスキルだった。


 その自信は、たった今をもってして粉々に打ち砕かれる。


 咆哮は、衝撃波は、確かにザードを捉えた。

 そしてザードは、それを受けて堪え、踏み止まった。


(馬鹿な―――!!)


 何度目かの驚愕を覚える。

 今までにこの【獣王の咆哮ビースト・ロア】を喰らい、平気だった者はいなかった。

 人間など一瞬で血霧に変じ、同クラスの魔人ですら、直撃すればタダでは済まなかった。


 一瞬外れたのかとも思ったが、衝撃波を受けて弾け飛んだ防具の金具が、確かに命中していたことを示していた。


「……何だ、それは」


 ゾマンが息を呑む。

 【獣王の咆哮ビースト・ロア】の衝撃波を受けて、金具が弾け飛んだ事によって、ザードの防具が地面に落ちる。

 その下から除いたのは、一切の贅肉無しに鍛えこまれた肉体と、その肉体に刻まれた数々の傷跡。そして、肩甲骨あたりにある二つの出っ張り。

 まるで、そこにかつて翼が存在していたかのような跡だった。


「……自分の未熟さの象徴だ」


 心底忌み嫌うように、吐き捨てるよう言う。


 【蜥蜴のザード】―――ザード・ラケルタエの二つ名であるそれに、もう一つの揶揄的意味がある事を知る者は少ない。


 ニューアースに存在する数多の種族の中でも、屈指の身体能力を誇る種族―――竜人族。

 彼らは人の姿に加えて竜の翼と角を、そして個体によっては尾や鱗も持つ、人と竜とを掛け合わせた姿をしている。

 そんな竜人族にとって、種族共通の特徴である翼と角は、誇りの象徴でもある。

 そしてそれらの内、どちらかでも失った者は、誇りを汚した者として同族の中で厳しく迫害される。


 軍属時代にて、些細なミスから彼は一生癒えぬ傷を―――誇りである翼を失った。

 以降軍籍を剥奪される事となるザードだが、その後彼が冒険者となったのは、戦うだけしか能がなかっただけではない。

 誇りである翼を失った事を知る者が住むディークディエレスに、居たくなかったからだ。

 その後の祖国の勧誘を断り続けるのも、同じ理由だ。

 誇りを失った事、そしてその事を指差されて笑われる事、それらは彼にとって耐え難い苦痛だった。


 だから彼は努力をした。

 竜人族は力を尊ぶ種族だ。例え同族に翼を失った事を笑われても、力尽くで黙らせられる力を得ようと必死で努力をした。

 角も自ら折った。既に誇りを一つ失っているのに、もう一つを未練がましく大切にする理由などなかったから、折って武器に加工した。


 そして彼は強くなった。

 生まれ持った身体能力の上に胡坐を掻いて一切の努力をしようとしない同族と違い、努力を積み重ねた彼のステータスは、同族を遥かに凌ぐものとなった。

 それどころか、同レベル帯はおろか、一回り上のレベルの者と比べてもそのステータスは上回るほどだった。


 そんな彼を、いつしか同族は揶揄とやっかみを込めて【蜥蜴のザード】と呼ぶようになった。

 翼と角を失った竜は、タダのトカゲだと唾棄した。


「オマエは、竜人族か! この裏切り者の種族がッ!」

「竜人? いや、違うな」


 ザードが両腕を伸ばし、ゾマンの首を掴む。

 そして渾身の力を込めて、上下に引っ張る。


「ガガ、ガ、ガガガガガガァ―――!?」


 ブチブチブチィっと音が響き、ゾマンの首が引き千切れる。

 荒々しく引き千切られた首の断面からは、一本だけ不自然に長く千切れた動脈が、大量の血を吐き出していた。


「翼も角も持たない者は、竜人なんかじゃない―――ただの人間だ」


 【蜥蜴のザード】―――その行動や本人の石橋を叩いて渡る性格故にまるで知られていないが、レベルは実に898であり、その実力は上級魔人にも匹敵する、間違いなく大陸最強の存在である。



――――――――――――



「そろそろ、限界、か……」


 中級魔人のエルフィンは、傷付いた体を酷使し、追撃が掛かる可能性を考えていくつもの区画を跨いでようやく地に降りた。

 いくら魔人となって強大な生命力を手にしたからといっても、何事にも限度がある。ましてや魔鳥類は、そこまで生命力の強い種族ではない。重傷を押して酷使された体は、既に限界を超えていた。


 幸いにして、どの区画にも人の気配は無く、落ち着いて休息を取ることができた。


「ふふ、ふふふ……参ったな。ゾマンではあの質と数は荷が重いだろう。これでは任務は失敗か、あの方に怒られるだけで済めば良いが……」


 力ない笑みだったが、表情に悲壮感は無い。自分の選択に後悔は無いという、清々しい笑みだった。


「……終わり良ければ、全て良しだ。このまま我らの悲願が達成される事を願おう。そうすれば、処分はいくらか軽くなるかも知れん。まあ彼らと再び見えることができなくなるのは、些か惜しいが……」


 壁に凭れ掛かり、深く吐いて目を閉じ、眠りに落ちる。


 どれほどそうしていただろうか、血はとうに止まり、傷も塞がりつつあった矢先の事だった。


「……ッ!?」


 自分に近付いてくる気配を感じ取り、眠りから覚める。

 追っ手だろうかと身構え、気配が近付いてくる方角へ向く。


「んー、この辺りだと思うんだけどなー」


 エルフィンの双眸が、通路の奥から現れた姿を捉える。


(少女……?)


 身長は150にやや届かない程度で、まだあどけなさの残る表情をしていた。

 肌は褐色で、瞳は金色。ツインテールの髪はは鮮やかな銀色をしており、耳は細長く先端が尖っていた。

 それらの特徴全てが、その少女がダークエルフである事を示していた。


(どっちだ……?)


 瞬間、エルフィンは逡巡する。

 ダークエルフはエルフとは違って森の奥に潜む事は無く、人とも魔とも積極的に交流している。ひいては、魔側に立って戦うダークエルフも居るという事でもある。

 少女が果たしてどちらサイドなのか、今のエルフィンに判断する材料は無かった。しかし直後に、それはあっさりと判明する。


「わわっ、魔人!?」


 エルフィンの姿を捉えた途端に、腰から短刀を抜いて逆手に持ち、身構える。つまりは、敵対行動を取っていた。


「……少女よ、大人しく引き下がってくれないだろうか? ワタシは手負い故に、余り争いたくは無い。そちらも無益に命を散らす事は―――」


 途中で言葉を止める。


(……強い、な)


 ようやく気付く。眼前の少女は、今の自分を殺しかねないほどの実力を持っている事に。


「……何だって?」


 そして何より、少女は戦意満々だった。


「いや、何でもない。失礼した」


 自分の無礼を詫びる。そして相手に合わせ、自分も構える。


「やるつもり? もう始めて良いの?」

「ああ、いつでも構わな―――」


 トスンと、軽い音が自分の胸から響く。

 見下ろせば、そこに銀色の頭頂部があるのが見える。そしてさらに視線を下げれば、自分の胸に刺さっている短刀の柄が見えた。


 油断したつもりは無かった。むしろ相手がどう来ても即座に対応できるよう、極限まで警戒していた。

 にも関わらず、反応できなかった。

 辛うじて視界に移す事ができたのは、少女の履くブーツが淡い燐光を纏った瞬間だけ。次の瞬間には、彼の視界から少女は消え失せていた。


(……なるほど)


 視線を少女の履くブーツへと向けると、ブーツに巻かれているベルトの下に人間の手のような葉の刻印が刻まれているのが見え、納得する。


(人間側にかつて、我ら魔側でも生み出す事のできない強力な武具を作る者が居たと聞いていたが、その者の作品か)


 よく見れば、自分の胸に刺さっている短刀の柄にも同様の刻印が、さらには少女の背負う弓にも同様の刻印が刻まれているのが見て取れた。

 それだけでも十分な実力を持つ事になるが、この少女は武具の性能だけに振り回されるような者ではないと、彼の歴戦の勘が判断していた。


(これは、相当厳しい戦いとなりそうだ)


 後退し、胸から短刀を引き抜く。

 幸いな事に、無意識の反射の賜物か短刀は血管を傷付けはしたものの心臓への直撃は避けており、致命傷にはなり得ていない。

 とは言え、元々が重傷だった身。傷は塞がりつつあるとは言っても、今だ完治には程遠い。


「だがそれでも、負ける訳には……ッ!?」


 突然、視界が赤く染まる。

 胸には何も刺さっていないのに、まるで貫かれるような苦痛に襲われ、息が吸えなくなる。

 堪らず膝を突こうとするも、体重を支えきる事ができずに顔面から地面に突っ伏す。その事を認識した側から、意識が刈り取られていく。


(そうか、ワタシは……負けた、のか……)


 その事だけは、辛うじて認識できた。


(そうだ、負けた、んだ……負けて、死ぬ。これが、死か……)


 心臓の鼓動が止まったのが自分でも分かった。あと持って数秒の意識だった。


(痛い、な。痛くて、苦しくて、寒くて……そして何より、寂しい。これが、死か……だが不思議と、怖くは無いな……)


 視線を動かす。視界の端に、辛うじて自分を殺した相手を映す事ができた。

 一体どうやって自分を殺したのか、そんなことは微塵も気にならない。ただこの少女によって殺された、その事実があれば十分だった。


(ああ、そっか。そうなのか……だから怖くは無いのか……)


 自分は少女と戦い、敗れた。つまりは自分は敗者であり、彼にとって本来ならば敗者は死んで当然の事なのだ。

 だが自分は、一度逃げた。負けを認めながらも、死ぬ事を良しとしなかった。

 しかし死は逃げられはしないと、こうして追い掛けて来た。追い掛けて来て、たったいま追いついた。その結果がこれなのだ。

 当然の事が当然の事として降り掛かっている、そんな当たり前の事であり、当たり前の事をイチイチ怖がる必要などどこにも無い。


(ならば良し……!)


 胸中の満足感と共に、彼の意識は消え去った。



――――――――――――



「……ふぅ、怖かったぁ」


 間延びしたイマイチ緊張感のない言葉を、ダークエルフの少女―――ミレアは吐き出す。


「何でこんなところに魔人が居るんだろ。いや居る事自体はおかしくないけど、何で手負いだったんだろ?」


 ミレアは腕組みをして考えるが、すぐに考えるのを止める。


「まっ、どうでもいっか!」


 満面の笑顔で言い切る。

 彼女は余り、深く考えるという事をしない性質だった。


「それにしても、魔人にも通用するとは……」


 手に持った短刀を見る。

 鍔はなく、俗に直刀と呼ばれる形状をしたその刀は、一見すると柄に紅葉の刻印がされている以外は至って普通の短刀である。

 しかしその効果は、エグい事極まりない。


 銘を【魂奪こんだつ御刀みがたな】というその短刀は、傷を付けた相手の命を容赦なく奪う【必殺Ⅹ】のスキルが付与された武器であり、うっかり自分で自分を傷つければ自分に対しても容赦なくその猛威を振るい危ないという理由で作成者に破棄されたという経緯を持つ代物である。

 彼女の故郷にて長らく呪われた武器(勿論そんな事実はどこにもない)として奉られていたものだが、彼女は故郷から出てくる際にそれを無断で拝借していた。


「さすがはシュウヤ様・・・・・お作りになった武器・・・・・・・・・だよ!」


 さらりと大問題発言をして鞘に収め、周囲を見渡す。


「んと……ああ、あったあった!」


 軽やかにステップを刻み、浮き浮きの気分で移動する。

 そして唐突に足を止め、足元に落ちていた物を拾い上げる。


「シュウヤ様のお作りになった武器、新しくゲット~!」


 それはかつて三剣と呼ばれた名高い冒険者が振るっていた、持ち主の意のままに動く、伸縮自在な銘無しネームレスの連接剣だった。

 それを拾い、元の剣の形に戻して、腰のベルトに巻いて釣り提げる。


「んー、上手く扱えるかなぁ? 一応鞭の要領で何とか……いやいや、仮に扱えなくても、練習あるのみだよ。シュウヤ様がお作りになった武器を手にしていながら、上手く扱えないだなんて、シュウヤ様にも失礼だよ!」


 もし製作者が聞いていたら、全力で否定するであろう言葉。しかしその場に、ツッコミを入れる者はいなかった。


「……それにしても、何なんだろうなぁ、さっきから。何か違和感あるんだよねぇ。始めはこの連接剣からだと思ってたけど、それじゃ説明できないくらいに、辺りにシュウヤ様の魔力が・・・・・・・・・満ちている・・・・・


 首を捻り、思案顔を浮かべる。

 今度は先ほどとは違い、すぐに考えるのを止めるような事はせず、じっくりと思案する。


「……もしかして、シュウヤ様ご本人がご降臨なさっているとか?」


 しているも何も、紛れもない事実なのだが、本人は即座に否定する。


「いやいやいや、無い無い無い、無いっしょさすがに。うん、多分シュウヤ様のご加護を受けた人が居るだけだよ、きっと。

 ……いやぁ、冷静に考えればそれも大事件かぁ……。今まで至高神の加護を得た者も居ないのに、シュウヤ様の加護を得た者が現れたなんて、大問題になっちゃうよ」


 うーん、と唸り声を上げてさらに思案を続けるが、程なくしてスッパリと険しい表情を緩め、満面の笑顔を浮かべる。


「まっ、どうでもいっか!」


 やはり彼女は、余り深く考えない性質だった。





あれぇ? 当初の設定通りに当初の予定通りに書いたのに、思っていたよりもザードが大分マシな奴になっている。何でだろう?

当初は1万時程度に収まるはずだったのに、その倍の文字数になったのは何でだろう?



それはさて置き、ご意見感想等大募集中です。

話に対する感想だけでなく、キャラに対する感想も大歓迎です。筆者的にはどのキャラがどんな風に思われているのか、非常に気になっています。

よろしければ是非お願いします。


それと次話についてですが、なるべく早めに更新しようとは思っていますが、もしあんまり間が開きすぎるようでしたらまた番外編を挟む事になりそうです。

それでもどうか見捨てずに生温かく見守ってくれれば幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ