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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
35/44

侮辱と憤怒

「クソがっ、どこのどいつだ! 超級闇属性魔法の【生きた死者の汚い爆弾(ダグ・ミルガギン)】の外法を使いやがった外道は!」


 聞き慣れない位階に、聞き慣れない魔法。そして聞き慣れない声。

 いま聞こえてきた言葉に対して、追及するべきなのだろう。少なくとも、普段の私だったらそうしていた。

 だけど、その時の私にそうしようなどという思いは、欠片たりとも沸かなかった。


 シュウヤ・アマガミという人物を一言で表すならば、怪しいだろう。

 日凪出身を謳い、常識と非常識が逆転したような言動と行動。百人が聞けば百人が偽名だと断定するであろう名前に、自己申告のプロフィールに見合わぬ能力と装備。一つだけでも怪しいことこの上ないのに、それらがいくつも重なっている為、彼のやる事する事には常に色眼鏡を通して見ずにはいられない。

 彼の人間性を知るほど、彼の実力を知るほど、彼に対する疑念というものは膨れ上がっていった。


 いや、知ったつもりになるほどと言ったほうが正確だっただろうか。


 自分は曲がりなりにも王族として生を受まれ、尚且つ半人前とはいえ商人として生きてきた。その為人を見る眼に関しては絶対的自信を持っていた。

 その審人眼をもってして、彼の表面的な部分も内面的な部分も、どちらも持て余す事無く見極めていたという自負もあった。そして片面では、それは間違っていなかったように思える。

 だが、さらに奥深く―――彼の深層的な部分に関しては、全くと言って良いほど読み取れていなかった。


 彼が浮かべていた表情は、まさしく鬼神。憤怒に顔を染めて歯を食い縛って剥き出しにし、視界に入れる事すら憚れるような双眸を走って動く死体に向けていた。

 その横顔は、見ているだけで背筋が凍り、見る者に対して本能的な畏怖の感情を抱かせる。

 それは圧倒的存在を目の当たりにした、矮小な存在が抱くものと同じものだ。


 一体彼は、何者なのか。幾度と無く抱いてきたその疑問を、今まで以上に強く思う。

 魔人を目の当たりにした時でさえ、こんな感情は沸き上がって来たりはしなかった。

 下手をすれば魔王、それどころか神に匹敵する程に強大で、そして―――


 ……いや、今はそんな事を考えている場合ではない。


「荒れているところをすまないが、何かを知っているのならば、この場を切り抜ける為のアドバイスを頼みたい。このままだと遠からず我々は全滅してしまう」

 

 そう声を掛けた瞬間、その鋭利な眼光が私を射抜く。

 あやうく心臓が止まり、意識を手放しそうになってしまうが、辛うじて堪えて相手の眼を見つめ返す。

 この場を預かる将としての立場と、そして僅かばかりの王族としての矜持が、臆し身を引くことを踏み止まらせる。


 震えようとする体を意志の力で押さえつけ、虚勢で向き合う私に対して何を思ったのかは、その鬼神のような表情から読み取ることは不可能だった。

 しかしながら、私の涙ぐましい虚勢は功を奏したようで、実に忌々しそうな舌打ちを一つされただけで、不機嫌さを隠そうともしない声ではあるが、説明を始めてくれた。


「あれは動く死体というよりも、自律行動する爆弾と考えたほうが正しい。起爆条件は組み付いた時か、もしくは自身が破壊された時だ。

 対処法としては絶対に近付かせず、一定以上の距離を保った状態で爆裂系の魔法で攻撃することだ。武器を振るうしか能の無い前衛はお荷物でしかないから下がらせろ。魔法の使える奴を中心に戦列を組み直せ。

 それと言っておくが、通常のゾンビと違って頭を潰したところで動きは止まりはしない。頭が無くなろうが、手足がもげようが、自分から最も近い生者を目掛けて移動し続ける。完全に動きを止めるには、全身を徹底的に破壊し尽くすしかない」


 彼の語ってくれた事のうち、前衛を下げて魔法を中心に攻撃する事は既にやっている。

 その上で攻撃を爆裂系を中心に行うように指示をする。指示は即座に全体に浸透していき、被害は減り始める。


 しかし、それも今のうちだけだろう。元々この区画に居る者の中で、魔法が使える者は少ない。その中でも、爆裂系の魔法が使える者などさらに少ないだろう。

 そうでなくとも、この場における(彼を除いて)最大の戦力であるエミリー殿が戦力として数えられないのは痛い。すぐさま次の手を打つ必要がある。


 それは分かっているし、この後に何をすれば最善かも理解している。だがその最善手は打つ事ができなかった。


「おい、これ以上俺が伝えられる事は無いぞ。さっさと次の指示を出さないと、結局全滅するぞ」

「分かっている。だが、問題が一つある」


 未だに俊敏な動きで掛ける死体爆弾が湧き出て来る方角を指差す。


「彼らは、撤退する為の方角から来ている」


 何故そんな方角から湧き出てくるのか、現時点で明確な答えは出せない。

 いくつか仮説は立てられるが、その仮説が正しいかどうかなど確認のしようが無いし、現時点では考えるだけ無意味な事だ。


 大切なのは、このままでは撤退しようにもできないという事だ。


「チッ、どこまでも面倒な真似を……」


 彼はそう吐き捨て、懐からいくつかの布袋を取り出し、私に押し付けてくる。


「そいつを魔法の使えない奴らに配れ」


 受け取った、ずっしりと重たいそれらの中身を取り出して見てみると、ちょうど私の手の平に収まり切る程度の大きさのガラス玉が入っていた。

 普通のガラス玉と違う点は、透明な球体の中に赤い奇妙な紋様が描かれている事だろうか。


「これは?」

「爆裂魔法を封じ込めた結晶だ」


 そうは言うが、ガラス玉と形容できるように、これらは全て完全な球体だった。

 通常、魔法を封じ込めることのできる結晶は歪な形をしている事が多い。手で握り締めれば割る事ができるほどに脆いため、加工することが事実上不可能だからだ。

 しかし彼が嘘を吐くとは思えない。いや、彼は相当な嘘つきではあるが、時と場合は弁えている。


「そいつを敵目掛けて投げて、割れれば自然と爆発が起きる。それを使って何とか道を作れ」

「……君は参加してくれないのか?」


 おそらくここ最近で、一番の失言だ。

 口にした瞬間に地雷を踏み抜いたと分かった。


 普段のものぐさな態度を取る彼に対してならばともかく、今の憤怒と化した彼に対して放って良い言葉ではない。

 言葉を放った瞬間に、彼の纏う感情というものに揺らぎが生じる。それがどう転じるかは、測りきることはできなかった。


「悪いが、他にやる事がある。イレーゼたちにも対処するように言っておくから、後はそっちでやってくれ」 


 私にとっては幸運な事なのだろう。

 彼は時や場合を無視して見境なく暴れるほど、理性を怒りに呑まれてはおらず、危うい発言の代償を支払う羽目になる事はなかった。


 しかし、この騒動を仕組んだ者にとっては不幸極まりないだろう。

 彼が現在進行形で溜めているフラストレーションの矛先は、間違いなくその者に向けられるのだから。



――――――――――――



「フォーリンダウン♪ フォーリンダウン♪」


 普段からイレーゼのテンションは高いが、今日に限って普段の倍以上は高い。

 どうやら余程腕が元通りになったのが嬉しいと見え、治ったばかりの腕を振りながら、前方から動く死者が現れる側から最上級重力属性魔法の【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】を発動し、重力の力場を落としては死者を圧殺する。


 生み出された円柱体の重力場は、発生した瞬間に死者を瞬時に液状化するまで押し潰し、また爆発も完璧に押さえ込む。

 魔法が発動されれば、後に残るのは円形の浅い穴と、その穴を満たす赤黒い肉液のみで、こちらに一切の被害が及ぶことは無い。

 相手に組み付くか、自身が損壊することで起爆する死者たちだが、イレーゼの【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】を前に近付くことすら許されず、為す術なく次々と無力化されていった。


 とはいえ、それは敵が前方から現れた場合のことだ。


 『アスバル迷宮砦』は入り組んだ迷路の構造をしているが故に、脇道が珍しくない。

 そして死者たちはそうした脇道からも現れ、味方に組み付こうとする。

 そんな時にはイレーゼは【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】を使わずに、代わりに『魂喰たまはミノ魔珠まじゅ』を使う。


 箱庭最大の生命体である龍の体内には、どんな個体であれ『龍宝珠』という宝玉が一つだけ埋まっている。

 エリクサーの材料でもあるその宝玉は、内部に膨大な魔力を宿すと共に、大気中の魔力を片っ端から吸収するという性質を持っている、早い話が天然の永久機関である。


 ところが、合成魔獣キメラが龍を取り込んだ際にこの『龍宝珠』も一緒に取り込むと、合成魔獣キメラの体内で『龍宝珠』はその性質を劇的に変化させる。

 魔力に限らず、触れたものを生物無生物を問わずに片っ端から喰らい、それらを魔力に還元する。

 何の対策もなしにうっかり触れようものならば、例え一瞬の事であったとしても手首まで喰われ、悲惨な目に遭う羽目になる。


 そんな厄介な性質を持った宝玉だが、その変質した宝玉に特殊な加工を施す事で、宝玉は『魂喰ミノ魔珠』となる。

 見境無く喰らう代物から、持ち主の意思の下で動き、任意の対象のみを喰らい、そして持ち主の求めに応じて還元した魔力を提供する便利な道具へと。


 イレーゼの意思によって宙を自在に駆ける八つの宝玉は、死者の体に触れた瞬間に縦横無尽に暴れ周り、その肉を容赦なく喰らい尽くす。

 爆発すら起こさせないその暴食の後には、何一つ残る事も許されない。

 そうして還元された魔力を使い、再び前方から現れた死者を押し潰す。完全な流れ作業と化していた。


「レベルアップ~♪」


 俺と同様に脳内でエルナさんの流暢な日本語ボイスが流れているかどうかは知らないが、レベルを上げて跳んで喜ぶ。

 流れ作業をこなしているイレーゼは、言わば狩り場でレベリングしているのと同じだ。効率的に作業をこなせば、まだそこまで高くないイレーゼのレベルはすぐに上がる。

 作業を効率的にこなす事も、重力魔法と『魂喰ミノ魔珠』を併用すれば然程難しい事では無い。


 イレーゼに渡した『魂喰ミノ魔珠』は、元々加工したは良いが、実際に使ってみると扱い辛くて結局放置したまま埃を被っていた物だったが、思いの他イレーゼとの相性は良かったようだ。


 イレーゼの重力魔法は、その殆どが防御精神ガン無視という強力無比なものが多いが、その反面消費する魔力も総じて多いという、表裏一体の魔法だ。


 どの魔法にも消費するべき魔力の最低ラインというものが存在し、それよりも少ない魔力を消費しても魔法は発動せず、反面基準よりも過剰に消費すれば、その分規模や威力が増大する。 

 重力魔法は総じてその最低ラインが他の属性や魔法よりも大幅に多く、はっきり言えば、かなり燃費が悪い。


 にも関わらず、イレーゼの総魔力量は他者と比べても圧倒的に少ない。

 ステータスで確認すれば、MPの上限は7900と、1万にも満たない。混ぜ物であり普通の人間よりも遥かに長く生き、またそれなりのレベルを持つ事をかんがみても、この数値は異常だ。

 これではいくら魔法が強力でも、連発ができず宝の持ち腐れでしかない。


 だが『魂喰ミノ魔珠』という潤沢な供給源を得れば、一転してイレーゼは強力な砲台へと成長する。

 その上イレーゼは宝玉の扱いが上手く、宝玉の一つ一つを独立させて、八個同時に縦横無尽に動かすという俺でも不可能だった芸当をやってのけている。

 渡しておけば役に立つだろうというぐらいの感覚でくれてやった物だが、想定以上の結果に個人的には満足だ。


 時たま撃ち漏らしも現れはするが、即座に冒険者たちの爆裂魔法や、使えぬ者に俺が提供した『封魔結晶』が炸裂し仕留められる。

 おそらく当分の間は、俺の出番は来ないだろう。


 お陰でこちらも安心して集中できる。

 この外法を使いやがった外道の探索を。


 【生きた死者の汚い爆弾(ダグ・ミルガギン)】以外にも、兄貴たちが絶対に使うなと禁忌指定した魔法はいくつかある。 

 その禁忌指定の魔法の大半が超古代魔法文明を始めとした様々な文明にて生み出された代物であり、俺から見てもえげつない効果のものばかりで、何故禁忌となったのかが窺い知れる。

 果たして兄貴たちが、それらを禁忌指定とする時に何を思い感じたのかなど、所詮は凡人でしかない俺には推し量りきることなどできない。

 だが禁忌の指定を受けるものにはそれ相応の理由があり、兄貴たちも様々な思慮の上でそれらを取り決めた事は分かる。

 その取り決めを犯し破る事は、兄貴たちがしてきた事―――ひいてはその存在に対して唾を吐きかけ侮辱しているに等しい。

 例え行ったのが誰であろうとも、絶対に許されたことではない。


「ふざけやがって……」 

「……何がだ?」


 知らず知らずのうちに口から零れていた言葉を耳にしたエレナから、追求が飛んでくる。

 微かにその声に緊張が混じっていた点が気になったが、些事として片付け「何でもない」短く返す。

 意図して言葉を発した覚えは全く無かったが、どうやら今の俺は、自分で思っている以上に怒っているらしい。自分の発言を、自由に制御できない程度には。


「……やはり妙だな」

「何がだ?」


 それから更に小一時間ほど経った頃に、エレナの神妙な呟きが聞こえ、今度は俺が先ほどエレナが口にした言葉を発する事になった。


「いや、大した事ではないのだが……」


 チラリと何故か俺の顔色を伺うように視線を向け、逡巡した後に納得したように話し出す。


「私たちは今、本部に向けて撤退する為に移動しているだろう?」

「当たり前のことだろう」

「ああ、当たり前のことだ。だが妙なことに、先ほどから私たちが向かう進行方向から立て続けに敵が現れている」


 エレナの言いたい事は、俺でも理解できた。確かにこれは奇妙なことだ。


「打ち合わせでは、前線側から順次退却を始める手筈になっていますわ。つまり、まだわたくしたちよりも後衛側に配置された部隊がいる筈。なのに敵は退却する方角―――後衛側から現れていますわね」


 俺の記憶している限り、俺たちの居た第74区画を通らずとも俺たちの後方へと回り込む道は、一応は存在する。

 だが、少数ならばともかく、これだけの数が回り込むように移動していて、後衛の部隊が気づかない筈が無い。そして気付いていれば、今頃は何かしらの騒ぎになっている筈だ。


「考えられるのは二つ。我々が知らない所で既に後衛の部隊は全滅しているか、本部の方にも襲撃がありそれどころではない」

「二番目もおそらくあり得ないでしょう。本部以前に、30番台の区画に敵が侵入してきた場合は速やかに仕掛けを発動させ、迷宮の構造を変化させる手筈となっています。ですが、今のところ仕掛けが発動された様子はありませんわ」

「つまり、一つ目という事か。確かに後衛に配置された部隊は、言葉は悪いがあまり練度が高い兵ではないし、あり得えない話ではないと思う」

 

 苦しい面持ちのエリンズだが、こいつが今しがた出した結論は概ね間違っている。


「第三の選択肢、もう俺たち以外の撤退は完了している」

「何を馬鹿な事を。わたくしたちが撤退を始めて、まだ一時間しか経っていませんわ。いくらなんでも、そんな短時間で後衛に配置されている部隊の全てが撤退しきれるはずが無いでしょう」

「待ってくれ、エミリー殿。すまないが、どういう意味かまで説明を頼みたい」

「いま何時だ?」

「……午後7時10分だ」


 エレナが懐中時計を取り出し、針の指し示す時刻を答える。


「俺の時計では6時を示している。午前のな」

「もはやズレているという次元の話ではありませんわね。貴方の時計は壊れているのでは?」


 エレナの持つ腕時計も、エレナの懐中時計と同様に午後6時50分を指し示している。

 同じ場所にある三つの時計のうち、一つだけが違う時刻を示している。普通に考えれば、おかしいのはその一つだけの時計だろう。


「いや、壊れても無いしズレている訳でもない。ズレているのはあんたらの時計のほうだ」


 俺の持つ腕時計は、兄貴たちが手ずから作り出した代物だ。

 俺が全力で握り締めようが、叩きつけようが、傷一つ付かず機能が損なわれる事も無い。それは言い換えれば、どんな環境下であっても正常に作動するという事だ。

 思い返してみれば、箱庭からこの大陸に移動した後に時計合わせをした覚えも無いのに、何の違和感も感じる事無くその時計を使うことができた。箱庭とグラヴァディガでは、多少なりとも時差がある筈なのに。


 さすがは神特製と言うべきか、この時計は無駄に高性能なことに、俺のいる場所における正確な時刻を指し示すという機能を備えている。

 つまりは、俺が時属性魔法を使っても、この時計は変わりなく通常の時間を指し示し続けるし、誰かが時属性魔法を使っても同様なのだ。

 自分の持ち物でありながら今までその事に気付かなかったのはマヌケとしか言いようが無いが、気付いてしまえば同時におかしな点に思い至ることができる。


 何故俺以外の者の時計が、示し合わせたかのように同じ、それでいて本来の時間帯から大幅にズレている時間を指しているかという点に。


「俺の知る限り、そんな事態を引き起こせる時属性の魔法が一つある」 


 初級時属性魔法の【時間遅延(タイム・レイト)】は、範囲内に存在する時計類や生物の時間間隔を大幅に遅れさせるという効果を持つ。

 箱庭ではまず出番が無い上に、仮に他者に使ったところで空模様との差異に気付けばあっという間に効果が切れるという、全魔法の中でも屈指の役立たずな魔法な為に今の今まで忘れていたほどの魔法だが、限定的な環境下ではその効果を遺憾なく発揮するだろう。

 今回のように、ロクに空の様子も確認できない迷宮内においては。


「そもそも、考えてみれば最初からおかしかった。前線の他の部隊がどの程度残っているかは知らないが、いくらなんでも二十三時間後に撤退なんて遅すぎるだろうが。俺たちはこうして足で移動しているが、本来ならば転移して終わりだ。一斉に行うわけにはいかないにしても、一回一回のインターバルにそれほど時間を掛けたりはしないだろう」

「本来ならば、私たちはとっくに撤退を完了している筈だった―――そういう訳か」

「そして後は、がら空きとなった通路を我が物顔で堂々と使い、わたくしたちの背後に回りこんで強襲を掛けてきたわけですか。姑息な……」

「何故我々が狙われたのか―――などという疑問は抱くまでも無いな」


 十中八九、エレナ狙いだろう。俺の事を敵側が知っている筈が無いし、エミリーやエリンズ程度の実力者を殺すのにここまでの手間を掛けるのは不合理すぎる。

 ここまでの手間を掛けて確実性を重視してまで狙われる理由がある人物は、この場ではエレナだけだ。


「だが待て。そうなるとおかしな点が二つ出てくるぞ」

「どっちも内通者がいるで片が付く」


 一つ目は、どうしてエレナが配置された区画を知っているのか。

 もう一つは、幾度となく行っている本部との通信の内容に向こう側が違和感を抱かないのか。


「通信の相手はいつも同じ相手か?」

「ああ、少なくとも声は常に同じ者の声だ」 


 普通の人間よりも聴覚の優れるエレナがそういうのならば、ほぼ間違いは無いだろう。

 その通信を受け取る相手が内通者だ。


「だが、魔に対して与するなど……」

「そこら辺の事情までは知らねえよ。だけど手段なんていくらでもあるだろう。思いつく限りでも近親者を人質に取ったり、洗脳を施したり、もっと言えば成り代わりとかな」


 それらに俺がいま探している相手が関わっている可能性は極めて高いだろう。

 転移阻害の結界に、時間感覚を狂わす魔法。そして追い討ちの外法の魔法。 加えて、俺たちに対して僅かな違和感でも抱かせまいとする徹底した手口。どれもが正面からではなく、側面や背後から敵を絡めとる変化球の手法だ。

 そんな搦め手を使うような輩が、何体もいるとは思いたくない。


 そしてそういう手合いが、確実に敵を葬り去りたい場合、打つ手はこれで終わりか?

 んな事はない。


「シュウポン、何か来るよ。すっごくデカイのと、すっごく群れてるの」

「俺の推論に裏付けしてくれてありがとよ。できればハズれて欲しかった」


 前後から音が一つずつ。


 前方から響いて来たのは轟音で、壁や天井や通路を遠慮なしに突き破り踏み潰す巨大な足が現れる。

 大黒柱の如く聳えるその太い足を見上げていけば、巨人の姿がそこにはあった。

 いや、巨人と形容するにはいささか誤りがあった。下半身こそ人のそれを大きくしたものだが、上半身は触手だの腫瘍だのが無数に蠢いていて、もはや人としての原型を留めていない。

 さらには黄濁色の膿が全身に満遍なく付着していて、俺たちの居る場所からそこそこの距離があるが、既に鼻を塞ぎたくなるほどの悪臭がここまで漂って来ている。


 背後から響いて来たのは、前方の轟音と比べてしまえばおとなしいもので、滑らかな断面をして切り取られた通路の壁が地面に転がっている。

 その綺麗に切り取られた元壁を踏みつけて続々と現れるのは、俺も散々世話になった鎌蟻人かまありびとの群れ。怪しい光を宿す鎌を持ったそいつらの総数は100を優に超えている。


「完全に挟まれた」

「何だよあいつ、デカいにも程があるだろ」

「後ろの奴らも、滅茶苦茶数が多いぞ」


 臆した声ではあるが、どうやら闘志はまだ潰えてはいないようだ。分析スキル持ちが全員死んだのが、返って吉と出たか。


 背後の連中はまだいい。数こそ多いが、何故かレベルは一様に低く、一番高い個体でも50を超える程度。産まれ立てなのだろうか。

 鎌には相変わらず絶対切断のスキルを宿しているが、ランクはⅡかⅢが殆どだ。注意を怠らずに一体ずつ確実に葬れば、倒せない相手じゃない。


 問題なのは前方の巨人(仮)だ。

 身長は27メートル弱。種族はよりにもよって合成魔獣キメラ。おまけにレベルは1300。

 ステータスを見る限り、鈍重だが攻守共にずば抜けている。しかもどんな生物を吸収してきたかは知らないが、弱点らしき弱点がないどころか、火と焔を除くほぼ全ての属性に耐性まで持っている。挙句、自己再生持ち。

 素早さを除けば、遭遇した二体の魔人を凌いでいる。


「余程相手はエレナを殺したいらしいな」


 はっきり言って、オーバーキルもいいところだ。

 確実性を重視し過ぎている。もっと軽い手であっても、俺が居なければ簡単に殺すことができる筈だ。

 ここまで来ると、単純に王族だからという以前に、怨恨の線を疑いたくなる。


「まったく、こんな時にどうして面倒な事ばかり重なるかね。とりあえずイレーゼ、お前が―――」

「【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】!」


 指示を飛ばそうとした矢先の事だ、イレーゼが飛び出して合成魔獣キメラ目掛けて重力柱を落としたのは。

 重力柱は確かに合成魔獣キメラの頭上から落下して、脳天から押し潰した。いや、押し潰そうとした。

 結果は頭頂部が平らに変形して、地面に悪臭漂う膿と血が落ちたのみ。その変形した頭部も、すぐに元の形に戻る。


「こんのぉ―――【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】! 【圧殺重力柱(ガゼラーダ)】!」


 更に立て続けに重力柱を落とす。勿論大した効果は望めない。


「前衛部隊は鎌蟻人に掛かれ! 後衛部隊は巨人に向けて一斉射撃の準備!」


 エレナの指示に従い、全員が迅速に従う。おいイレーゼこら、お前俺の指示は聞こうともしなかったくせに、何でエレナの指示には従うんだよ。


 あっ、合成魔獣キメラが動き出した。一歩踏み出すだけで10メートル近い距離を詰めると同時に、割と大きな振動を伝えてくる。


「撃て!」


 氷槍が、火球が、爆撃が、雷撃が、風の刃が、鋼の針が、そして不可視の重力波が殺到する。俺は当然何もしていない。

 的がデカイから攻撃が外れる事は無い。全弾命中する。


 だが無意味だ。合成魔獣キメラは着弾した魔法など無かったかのように変わらず立っていて、さらにもう一歩踏み出した。

 まさに正しくタンクだ。

 見ればこいつが通ってきた道を示すように、あいつの背後にあった筈の壁や通路は勿論の事、その皿に向こう側にあった筈の鬱蒼とした木々も綺麗に踏み倒されていて、ロクに差し込んできていなかった日の光が日の出と共に差し込んできて―――


「……見付けた」


 あんな遠くのところに居たのか、そりゃ見付からない訳だ。完全に索敵範囲外だ。


 【墜落する天壌劫火球(エル・ディゼルエルベルグ)】


 たかが1300程度の合成魔獣キメラごときが、道を塞いでんじゃねえよ。邪魔だから消えろ、沈め。

 自重はやめだ。自重するよりも優先するべき事があるだろう。


「一撃……おい今のは―――!」

「エレナ、あんたはこのまま他の連中を率いて撤退を続けてくれ」


 光を放つ日の出の太陽に、光を遮る不自然な黒点が一つ。

 眼を凝らしてみれば、それが闇を纏った人型であるという事が分かる。

 ここからでは【分析Ex】が発動しないが、おそらくは太陽に対して脆弱性を持った種族なのだろう。闇を纏っているのは直射日光を避けるためか。

 あれが糸を引いていた奴で、ほぼ間違いは無いだろう。俺の直勘がそう言っているし、何より見ていれば強いのが分かる。

 他の連中と比べればの話だが。


「何かあったらすぐにイレーゼに伝えてくれ。イレーゼ、こっちに来る途中で教えた魔法を覚えているよな?」

「……何だっけ?」

「【念話(テレパス)】だ! 有事の際にはそれを使って俺と連絡を取れ。こっちで対処しておく!」

「痛たたたたたた痛いたいたいたい!」


 アイアンクローをかましておく。数日前のことを忘れるな、鳥か貴様は。


「おぉ、痛い。シュウポンあれと遊ぶつもり?」


 イレーゼが顔を覆いながら、黒点に指を向ける。


「何か居るね。見ててすっごくムカつく面してる。あいつ、メチャ強いね」


 ここからあれの居る場所まで、相当な距離がある。にも関わらずイレーゼには見えているらしい。

 視力だけは俺と同等とは、アンバランスこの上ない。


「分かったら俺の言ったことに従え。俺の言葉理解したんだろうな?」

「先陣切って撤退の援護。寂しくなったらシュウポンと通話」

「……もうそれでいい。ヴェクター、フォローを頼む」


 最後に何か言いたそうなエレナに、手で「行け」とジェスチャーをする。

 さすがは王族と言うべきか、王族は関係ないが、空気を呼んだエレナが神妙な顔をして頷き、鎌蟻人と交戦している前衛部隊を退がらせて全速で退却を続ける。


 それを見送った上で、追い縋ろうとする鎌蟻人どもを皆殺しにし、自分が立っている場所が結界の外である事を確認して転移する。


 タダでは殺さない。



――――――――――――



 先ほどまでと比べれば襲撃の頻度は極端に減った為にある程度余裕ができ、距離を稼いだところでイレーゼにエレナが問いかける。


「君は先ほど何を見た?」

「何って、何が?」

「君たちが交わした会話から推察するに、彼は何かを見付けたのだろう。そしてその何かと彼は遊ぶ―――戦うという。その何かとは何だ?」


 五感の優れる白銀幻狼獣人であるエレナだが、こと視覚に限り、イレーゼに遅れを取っていた。


「私は彼を良く知っていると驕るつもりは無いが、彼があそこまで何かに対して執着するのは珍しいように思える。そこまで執着したのは、一体なんだったのだ?」

「んと……人、かな?」

「人?」

「イレーゼにもよく分かんね。多分人じゃないと思うけど、見た目は人だった」

「……どんな姿をしていた?」

「むむ、むむむむ……」


 顎に指を当て、先ほど自分が目撃したものを思い起こすように眉間に皺を寄せる。


「なんか、オールバックのパツギンで、やたら豪華な服着てた。あとボリュームのある顎鬚生えてて、眼が赤かった。それと見て分かるくらいに滅茶苦茶強い」

「…………」


 イレーゼの証言から得られたのは、探そうと思えば当て嵌まる者はそれなりに居るだろうというもの。

 だがエレナの脳内で、さらにいくつかの条件を加えて検索した結果、該当するのは一人だけだった。

 いや、正しくは一体だ。


「もし君の証言が事実だとするならば、相当マズイぞ」

「心当たりあるの? 何だったのあいつ?」


 苦渋を滲ませた表情で、エレナはその名を口にした。


「ヴェムド・ドラクラン。『澱みの森』に存在する、魔王の一体だ」



 

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