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神々に見守られし男  作者: 宇井東吾
三章「魔の饗宴」
30/44

魔人変態

前回次で終わると言った矢先に申し訳ありませんが、もう一話だけ続きます。

「うっぎゃぁああああああっ! 目が、目がぁあああああああああっ!」


 突如として発生した霧に目を焼かれ、手で押さえて転げまわりながらイレーゼが叫ぶ。


「何だってんだチクショウ! さっきからイレーゼの眼ばっかり! 眼ばっかり狙われてる!」

「酸性の霧だと説明しただろう。粘膜を保護してなかったおまえが悪い」


 そう語るヴェクターはフードを目深に被り、口元と鼻を布で覆って目を細めていた。


「ヴェクたん、もう限界だね! あの蟲野郎をぶっ殺してやる!」

「……やるべき事は理解しているのか?」

「バッチシ! あのパッキン高慢女が時間を稼いでいる間に仕込みも完了しているね!」


 イレーゼが袖口よりナイフを取り出す。銘は『始原魔のナイフ』。始原魔と呼ばれるモンスターの骨を切り出して作られたナイフである。


「こいつであの野郎の目を抉る!」

「おまえは一体何を聞いていた」


 ヴェクターが額に手を当てて宙を仰ぐ。


「……もう良い、それで行け。主殿が別の意味でピンチに陥っている。さっさとあれを倒すぞ」

「うっは、マジだ。エレナちゃんの服を剥ぐとか、シュウポンだいたーん!」


 本人が聞いたら鉄拳制裁一直線な言葉を吐き、ナイフを構えて振りかぶる。


「【重力斬(ガテーラ)】!」


 ナイフの斬撃に重力波を乗せて放ち、その波濤を追いかけるように疾駆。

 重力波は即座に魔人の持つ『魔剣ティクナーク』によって斬り裂かれ雲散霧消し、直後のイレーゼの顔面を狙った飛び蹴りは空いている腕によって防がれる。


「まずはこの魔法を解除しろ!」


 自分の蹴りを防いだ腕を足場に更に跳び、頭部を足場に空中で一回転。着地地点となる蟲の胴体部の背面側に質量を増大させた踵落としを見舞う。

 人体で最も硬い部位の、勢いと質量を乗せた一撃が背面の装甲を粉砕。直後に反転し、ガラ空きの背中に拳が叩き込まれる。


「【徹甲崩拳てっこうほうけんれつ】!」


 放たれた拳が齎すのは内部破壊。衝撃を表面ではなく内部に浸透させてから炸裂させる事で、装甲などお構い無しに魔人の体内をかき乱す。

 そのダメージに堪らず魔法を解除した魔人が、舌を背後に放ちイレーゼを捕らえんとする。だが既にそこにイレーゼの姿はなく、地に降り立った彼女による後ろ回し蹴りを脇腹にモロに喰らい体勢が乱れる。


「次はその厄介な剣!」


 繰り出した足を地に着け、間髪入れずに跳躍。身を捻って先ほどとは逆の足を鞭のように撓らせ、体勢の崩れた魔人の『魔剣ティクナーク』を握る腕を狙う。

 タイミングは完璧。体勢の崩れた状態では、例え他の腕で蹴りを防ごうとも纏めてブチ破れる。そう確信していたイレーゼは会心の笑みを浮かべる。

 だが、その笑みを凍りつかせて眼を見開く光景が直後には広がっていた。


「嘘っ、何で受け止められてるの!?」


 声には信じられないという思いが込められていた。


 魔人は腕の一本で剣を握り、もう一本でイレーゼの蹴りを受け止めていた。

 そして最後の一本の腕を、魔人はイレーゼの蹴りを受ける前に、腕の一本を自らの口に突っ込んでいた。


「オウ、ップ、ゲェッ……」


 魔人が第二間接まで口内に埋まった腕を引き抜く。

 限界まで開かれた口の中から、唾液に塗れた上腕、手首と続き、剣の柄を握った手が現れる。そして口内から剣身を覗かせたところで一気に引き抜かれ、その全貌を露にする。

 『魔剣ダイラック』―――持ち主に比類なき剛力を与えるスキルが付与された、ソレーフィンの持つ三剣が一振り。

 その剛力でもって体勢の不利を強引に覆し、イレーゼの蹴りを受け止め、捕獲する。


「この、離せ!」


 結果として宙吊り状態となったイレーゼが、手に持ったナイフを顔面目掛けて投擲。だが至近距離の攻撃に関わらず、魔人は余裕綽々で『魔剣ティクナーク』を振るい後方へと弾き飛ばす。


「無駄無駄、キャハハハハ」


 哄笑し、だらしなく垂らされた舌を引っ込め、頬を膨らませる。

 その動作を確認したイレーゼが反射的に眼を閉じ鼻と口を手で覆ったところで、ドス黒い煙が彼女に吐き掛けられる。

 吐き出され、瞬く間に彼女の小柄な体躯を包み込んだ煙の正体は闇属性の上級魔法【蝕みの腐煙(ダグ・ケドリア)】。それは触れた物体にドス黒い染みを作り、急速に腐らせ風化させていく蝕みの黒煙である。

 その魔法に包まれ、イレーゼの身に纏っている衣類―――のうちのローブだけがボロボロになって消失する。その下から現れたのは、小洒落たデザインの半袖に短パンを身に着けた健康的な少女の姿。


「……ん?」


 いつまで経っても自分の身に何も起きないことを不審に思い、眼を開いたイレーゼの視界に飛び込んできたのは、驚愕に眼を見開いた魔人の顔。


「なんか知らんがチャンス!」


 素早く詠唱し、手の平を魔人の顔面へと向け、上級重力属性魔法の【圧搾する黒重球(ガルデーラ)】を発動。

 万物を無慈悲に圧搾するはずの黒球はしかし、やはり『魔剣ティクナーク』によって無効化される。しかし直後の、魔人の後方より飛来するナイフの一撃は回避できず、後頭部に根元まで突き刺さる。

 あらかじめマーキングしていたナイフを中級重力属性魔法【引き寄せる主(ガティール)】によって自分の下へと引き寄せ、自分とナイフとの間に位置した魔人に突き刺し、束縛から脱出しようとする。


「さっさと離せっての!」

「グギギギギ―――!」


 だが目論見と違い、一向に自分の足を離そうとしない魔人に業を煮やし、引力を更に強める。

 刃の根元まで埋まっていたナイフは、今や柄まで完全に埋まり、いつ貫通してもおかしくない。しかしそれほどの引力で引き寄せれば、最終的に危ないのはイレーゼ自身だ。であればこそ、一刻も早く離して欲しかったが、脳髄を掻き回し顔を苦痛に歪ませても一向に離す気配がない。

 互いに硬直状態が続き、ナイフの刃先が魔人の額を突き破ったところで、イレーゼの足を掴む魔人の腕が音を立てて折れる。


「サンキュー、ヴェクたん!」


 空中で反転して両足で着地したイレーゼが、誰もいない筈の虚空に向けて礼を言い放つ。

 するとその言葉に応じるように、虚空に人の輪郭が現れ、そしてヴェクターの姿へと変わる。


 【透明化】―――残念な事にイレーゼの物は日に当たることはなかったが、共通で羽織っていた隠れ身のローブに付与されているスキルによって姿を隠したヴェクターが魔人に忍び寄り、腕を掌底でへし折ることでイレーゼの解放に成功する。


「便利だね、それ。イレーゼのは溶かされちったし、ピンポイントにローブだけを狙うなんて、なんて嫌がらせだ」

「別に狙ったわけではあるまい。あれは本来ならば、防具も衣類も人体も関係なしにグズグズに腐らせる魔法だ」

「ん? でもイレーゼ自身も服も無事だけど?」

「衣類が無事なのは、単純にそれ自体の性能によるものだろう。おまえが無事なのは、おそらく主殿が何かをしたのだろう」

「何かって?」

「さて、そこまでは分からないが、どうも昨晩食事をしてから体が軽い。自分がどの程度動けるかぐらい把握している。本来我では、忍び寄って掌底で魔人の腕を折るなど不可能だ。推測するに食事に何かを仕込んだのだと思うが、おまえは気付かなかったのか?」

「や、別に? いっつも自分の質量変えてるし、違いなんて分からんよ?」


 腕を振ったりして変化はないと答えるイレーゼだが、ヴェクターの推測は正しい。

 黒滅龍の肉を使った料理を口にしたことで、現在の二人のステータスは本来の一割り増しになっており、また各魔法属性の耐性も身に付いている。

 さすがに急所である粘膜が耐え切れるほどではないが、それ以外の部位ならば例え魔人であっても、上級魔法程度ではダメージを与える事はできない。龍の肉には、それほどの効果があるのだ。

 ただし、その恩恵を受けているのは二人だけではなかったりもする。


「ってか、もし仮にそうだとしたら、それは相手も同じじゃね? あの魔人の素体になった……三剣だっけ? そいつも一緒になって食っていたんだから」

「……………」


 余談だが、この時ヴェクターはイレーゼの問いに答えを出せずにいたが、後日同様の問いが秀哉に対して放たれた際に「雷属性の効きが悪かったのは、ステータスだけじゃなかったか」と呟いてたりもする。


「まあ、仮にそうだとしても然程関係は無い。既に作業は終えている」

「え、マジで? 作戦ってどんなんだったっけ?」

「……やはり何も聞いていなかっただろう」


 諦めが多分に混じった声だった。


「まあいい。どの道ここまで終わればやる事は変わらぬ。おまえは好きに戦えばいい」

「さっすが、話が分かるね!」

「話が分かる以前に、そもそも会話が成立していないだろう」


 顔にはっきりと疲労を浮かべ、ヴェクターは視線をイレーゼから魔人へと戻す。


「脳を掻き回したのに、もう回復するか」


 【引き寄せる主(ガティール)】の魔法が付与されたナイフによって脳を掻き回され、動きの大半を止めていた魔人が、手を頭に突っ込みナイフを取り除く。

 取り出されたナイフを胡乱気な眼で眺めていた魔人だが、やがて眼に光を戻し、ナイフを投げ捨てる。ただし先ほどので学んだか、自らの後方にではなく、イレーゼの背後へと。


「体内の寄生体が本体だ、頭部を破壊した程度で死なぬ事は分かっていた。だがそれでも、体を動かすのには脳を利用しなければならない筈だ。故に脳を破壊すれば多少なりとも動きを止められると踏んではいたが、ここまで回復が早いのは些か想定外だな」


 ヴェクターの独白を聞いていたのか、顔を彼に向けて嘲笑うように顔を歪める。

 そして口をガパリと開け、えずく動作をして喉奥から新たに剣の柄を出現させ、空いている最後の腕を口内に突っ込んで掴み、一気に引き抜く。

 取り出されたのはやはり、三剣が一振りである連接剣。


 取り出されたばかりで粘液に濡れたそれを振り被る。

 当然その動作に即座に反応し、二人が身構えた瞬間、連接剣が伸ばされる。 

 両者が散開。イレーゼは左に、ヴェクターは右に。その両者が立っていた空間を連接剣が通過し、接地する直前で右折。半円を描いて魔人の死角に回り込もうとするイレーゼを追尾する。

 イレーゼが疾駆する速度と連接剣が伸びる速度では、後者に軍配が上がる。彼女と魔人との距離が間近となったところで、刃と背中との空間が埋まり、背後から心臓を貫く直前でイレーゼが跳躍して回避。

 同時に魔人が口から舌を繰り出す。


「うおっと!?」


 至近距離からの、予備動作の一切無い刺突に、それでも【野生の勘】を発揮して空中で身を捻る。その足掻きは功を奏し、左腕の袖をもってかれはしたものの、無傷でやり過ごすことに成功。捻った際の勢いを殺さずに回し蹴りに移行し、胴体に叩き込む。

 響いたのは装甲を軋ませ粉砕する轟音ではなく、肉を地面に叩きつけたかのような濡れた音。装甲の表面から細長く先端の尖った無数の突起が生え、イレーゼの蹴りを正面から受け止め、勢いを利用して彼女の足を貫く。赤い血潮が細かい肉片と一緒に飛び散り、イレーゼの苦鳴がそれに混じる。

 苦痛を噛み殺して足を抜こうとするも、地面に足が届かずに踏ん張る事ができず、かといって装甲に足を置くこともできず、結果魔人の胴体に対して垂直という不安定な体勢で再びイレーゼは宙吊り状態となる。そこに心臓を目掛けて振り下ろされる、逆手に握られた『魔剣ティクナーク』。

 咄嗟に【引き寄せる主(ガティール)】を発動。引力を全開にし、高速で自分目掛けて飛来するナイフに、下から手の平を叩きつけて跳ね上げ、ティクナークにぶつけて軌道を僅かにずらす事に成功し、心臓や重要な血管を避ける形で剣身が彼女の体を貫く。

 即死だけは回避できた事に安堵の息を吐く間もなく、振り被られるのは一撃必殺の四枚の大鎌の刃。魔法で頭を潰して時間を稼いで対処しようとするが、間に合わない。


 瞬間、空気が哭く。


 その場に居合わせていた誰もが大気が凍りついたかのような感覚に囚われ、次に甲高い風鳴り音を聞き、それ以外の音が追いかけていくのを耳にする。


 大気分子の焼け焦げる臭いが鼻を刺激し、魔人の胴体がズレる。水平ではなく左から右側に向けて僅かに上向きに傾いた断面を見せながら胴体が滑り落ち、地面に落ちる。

 断面は魔人が己の鎌で切断したかのように滑らかであり、そしてそれ以上に鮮やかで美しく、一滴の血すら零れ落ちる事は無かった。


「……秘技【滅烈斬】」


 突然の光景に誰もが唖然とする中、剣を振り上げた体勢のまま止まっていたエリンズが静かに呟き、片手で髪を掻き上げる。


 【破烈斬】の上位互換である【滅烈斬】は、斬撃の威力はそのままに遠隔攻撃をも可能とし、そこにエリンズの超常的な技量も合わされば、万物は斬られた事に気付くことすらできず、どれほどの硬度がある物であっても、形無き物であっても問答無用に斬り裂かれる。

 その伝説とも言える芸当を計らずも間近で目の当たりにする事となったイレーゼとヴェクターだが、不思議な事に両者の頭に浮かんだのは感動でも感謝でもなく、共通して「ウザい」という思いだった。


「危ないところだったね、イレーゼ君」

「コイツ絶対タイミング計ってたろ。ベストな介入のタイミングを窺ってた」


 爽やかな笑顔を浮かべるエリンズに対して吐き捨てるイレーゼだったが、結果的に胴体と一緒に地面に落ちる形となり、これ幸いと貫かれた足を引き抜く。

 栓となっていた杭が外れたことで、一斉に穴から血が流れ出るも、すぐさま自動治癒スキルが発動し出血を止めていく。とはいえ彼女のスキルクラスはⅤであり、そこまで高いわけではなく、胸の傷も含めて開いた穴そのものが塞がるにはそれなりの時間を要する。

 一方の魔人は、最初こそ眼を白黒させて結果に驚いていたものの、即座に断面から菌糸を伸ばして接合。切り口が綺麗であった事も幸いして然程手間を掛けずに傷の修復が完了する。


「全身の装甲に突起を追加して、攻防一体の鎧とする。発想は確かに素晴らしい。が、剣を使うボクには無意味だ!」


 修復が完了すると同時にエリンズが踏み込み、スキル【外殻斬り】を発動。迎え撃つ鎌によってあっさり剣を切断され、代わりに魔剣で首を刎ねられかける。

 咄嗟の判断でエリンズに足払いを掛けて、首と胴体の生き別れを阻止したイレーゼの行動は賞賛されるべきだろう。


「お前何しに来たんだよ!」

「勿論、キミたちを援護して魔人の脅威を取り除くためさ!」

「ならジッとしてろよ! 足手まといだっての!」

「いやいや、そうとも限らないさ。そうだろう、バロバクト嬢?」


 その場の誰もがエリンズの介入に釘付けになる中、密かに身を潜めて機を窺っていた【紫迅妃】がここで牙を剥く。

 放たれたのは【乱蝶刺突らんちょうしとつ】。絶対切断ならぬ絶対貫通の付随効果を持った、合計十七回にも及ぶ刺突は、彼女の雷属性魔法の補助を受けて神速の域にまで達し、魔人を背後から穿つ。

 『魔尖剣シエレナ』が纏う紫電は肉体を穿つ際に容赦なく血肉を内部から焼き、先程の【滅烈斬】同様に一滴の出血も許さずに十七の穴を胴体に開ける。


「Sランクの冒険者を侮ってもらっては困りますわ」

「さっきお前やられ掛けてたじゃん。侮らない理由がないっての」

「そこ、聞こえていましてよ」

「聞こえるように言ったんだから、当然じゃん」

「なっ―――」


 即座に爆発しそうになるが、直後に先程までの自分の失笑ものの姿を思い出し、歯噛みしながらも抑え込む。


「……無辜の民に被害が及ばぬようにモンスターを狩るのが、我々冒険者の責務。今回は貴女に合わせて差し上げますわ」

「何で上から目線なんだよ」


 下半身の力だけで跳ね起きる。貫かれた足に痛みが走るが、動けない程ではない。


「……ぶっ潰す! 【引き寄せる主(ガティール)】!」


 手の平を魔人に―――正確には、彼女の血をタップリと浴びた装甲に向ける。


 マーキングした物体を引き寄せる【引き寄せる主(ガティール)】の魔法。この魔法のマーキングは、術者自身の体液によって行われる。

 術者であるイレーゼの血を、イレーゼ自身も予期せぬ形でたっぷりと浴びたその胸部の装甲は既にマーキング済みであり、最初から全開の強力な引力によって引き寄せられ、装備者である魔人の肉体から引き剥がされてイレーゼの元へと向かう。


 その装甲が魔人の肉体から分離した瞬間、即座にイレーゼは魔法を解除。慣性のままに飛来する鉄塊の影に隠れ、地を這うように動き、相手の大鎌の範囲外の懐に潜り込む。


「だっりゃぁあああああああっっ!!」


 破れた袖口の切れ端を手に巻き、踏み込みと共にアッパーを、装甲が無くなり剥き出しとなった胸部へと繰り出す。

 それを迎え撃つのは、必然大鎌を振れないが故に胸部から生える手に握られた剣となる。そして今回振るわれたのは、剛力を齎す『魔剣ダイラック』。

 拳と剣とが噛み合い、空気が震え、拮抗する。イレーゼは剣を弾き飛ばそうと力を込めるも押し切れず、魔人はイレーゼの手に巻かれた布の思わぬ防刃性に阻まれ、拳を斬り裂く事ができない。


 だが、いくら魔人がタンク型でありステータスの中では筋力値は低いといえど、イレーゼの筋力のパラメータとの間には大きく隔たりがある。そこに『魔剣ダイラック』の筋力値大幅上昇の効果が加われば、その差は更に広がる。イレーゼ本人の自覚の外で黒滅龍の肉によるパラメータの補強が行われていても、その差を埋めることはできない。

 加えてイレーゼの足の傷は未だ塞がっておらず、踏み込みは普段と比べて大分甘い。さらには下から振り上げる形となっているイレーゼの拳と、上から振り下ろす形となっている魔人の剣。どちらが体勢的に有利かは、考えるまでも無い。


 だが両者の力比べはその瞬間、確かに拮抗していた。それが魔人の異常によるものではなく、イレーゼのその小柄な身に起きていた異常が齎した結果であると気付いた者は、果たしてその場にどれ程いただろうか。


 理屈に合わぬ怪力。その種は神位級無属性魔法【金剛膂力鬼王(バルシャック)】によるもの。


 効果時間は僅か5秒。だがその5秒の間にイレーゼの筋力値は元の3倍以上にまで跳ね上がる。

 勿論代償はデカイ。秒間でおよそ10万、5秒間で50万以上もの魔力を消費する為、魔法を発動させた某術者は自分の中から何かがガリガリと削られていく感覚に顔を顰めていた。

 さらに付け加えると、上昇する数値が大きい程消費する量は増大する為に、某術者が自分自身に使えば消費する魔力の桁は2つは増える事になる。

 だがその分その効果は他の魔法の追随を寄せ付けず、まさしく筋力系バフの最高峰と言える魔法なのだ。


 拮抗状態は3秒、4秒と続き、【金剛膂力鬼王(バルシャック)】の効果時間は残り1秒となる。それを過ぎればバフの恩恵がなくなり、イレーゼは剣を押し込まれる事になる。

 だが効果時間が尽きるよりも先に、イレーゼがその場で足を踏み締める。発動するのは【踏襲脚】のスキル。地面を踏み締めその反発をそのまま力と変え、魔神の持つ『魔剣ダイラック』を弾き飛ばす。


 魔剣は回転しながら宙を舞い、落下。地面に突き刺さる直前でそれを受け止め、エリンズが疾駆。魔人が力負けという結果に対して硬直している隙に踏み込み【滅烈斬】を放つ。

 魔人は咄嗟に間に二枚の鎌を挟むが、エリンズの必殺の太刀筋の前には意味を為さずに両断され、胸から生えた腕の一本が握る剣―――『魔剣ティクナーク』を剣身の根元から切断される。


「ク、キキ―――」


 魔人が血涙を流し、エリンズを睨む。反対側の鎌を振り被りエリンズを両断しようとするが、直後に真横から突進してきたエミリーの放つ刺突によって、二枚の大鎌は百舌の早贄の如く串刺しに固定される。

 それに魔人が意識を向けるよりも早く、イレーゼの強烈なミドルキックが腕の一本に炸裂。骨を砕く確かな感触を味わいつつ、魔人の体を飛び越えて背後へ。

 イレーゼの後を追い掛けようと振り向こうにも、構造的に瞬時に方向転換するのは不可能。代案として手に持つ連接剣を放とうとするが、エミリーのほうが一歩早く鎌から尖剣を抜き、伸ばされた連接剣を絡め取り、雷撃を尖剣に宿らせる。


「ギャァァァァァァァッ!!」


 伸縮操作自在の性能が付与されているとはいえ、連接剣自体はただの金属製の物。故に電流を容易く通し、連接剣を握る魔人の全身へと感電していく。

 それでも魔人に対して、電撃は大した効果を齎しはしない。ダメージなど微々たるもので、精々が一瞬の硬直を生み出す程度。即座に硬直状態から回復し、自由となった二枚の鎌を振るう。

 しかしエリンズにとっては、その一瞬の硬直時間は十分すぎる時間だった。

 

 最初の太刀で下の鎌を切断。返す剣で上の鎌を切断。さらに勢いは止まらずに、剣は節足の蠢く頭部と胴体を繋ぐ首へと吸い込まれる。同時にイレーゼも動き、後頭部に延髄斬り炸裂し、魔人の頭部が宙を舞い地を転がる。


 地に転がりながら、頭部だけになりながらも尚も舌を繰り出そうとする魔人の口腔にエミリーが刺突を放ち、舌ごと地面に縫い止める。

 そこにエリンズのスキル【十二連斬り】が放たれ、横に十三枚におろされる。


 残った胴体もまた、イレーゼの【圧搾する黒重球(ガルデーラ)】が呑み込み圧搾。内部で装甲も肉も等しく磨り潰され、黒球が消えると同時に地面に大きく赤い血溜まりが広がる。


 張り詰めた空気の中、沈黙を最初に破ったのはエリンズだった。


「……死んだと思うかい?」

「……いえ、あくまでもわたくしの勘に過ぎませんが、まだ終わっていないように思います」

「奇遇だね。ボクもだよ」


 エリンズがそう答えた瞬間、地面に広がっていた血が独りでに動き出す。

 スライムが擬態していたとでも言わんばかりに不気味に蠢き、蛇のように蛇行しながら流れ移動する。その先にあるのは、おろされた魔人の頭部だったもの。

 本能的に、触れるのは危険だと感じた二人が慌ててその場を退き、そこに何事も無かったように血溜まりが通過し、頭部の下に辿り着く。


 それからの変化は劇的だった。

 十三枚におろされた筈の頭部が、断面から菌糸を伸ばして接合し合い元通りの形に戻り、それを血溜まりが呑み込んでいく。

 頭部を呑み込んだ血溜まりはしばらく不気味にその場で蠢いていたが、やがて静謐さをもってその場で盛り上がり、形を変えていく。

 完成したのは、二足歩行の人型の物体。

 二本の足に、二本の腕。胴体も関節も忠実に人間の構造を再現しており、シルエットだけを見るならば人間そのものといっても過言ではないだろう。

 違う所を挙げるならば、腕や足の先に、指の代わりに鎌状の短い鉤爪が五本、付いている事ぐらいだろうか。

 その人型となった赤い物体はさらに蠢き、その内部を何かが上へと移動していく。

 程なくして姿を現したのは、すっかり元通りとなった頭部。それが首の断面から出現し、接合する。

 最後にむき出しの赤い表面を鋼色の装甲が覆い、完成する。


「アノ形ハ不合理。小回リガ利カナイシ、遅イ。攻撃ハ単調ニナリ、何ヨリ内側ニシカ鎌ヲ振レナイ」


 誰に聞かせる訳でもなく、ただの確認事項のように、新たな形体となった魔人が独白する。


「コレナラバ合理的」


 血を一滴も持て余す事無く変化を終えた魔人からは、一切の無駄が削ぎ落とされたと言っても過言では無い。

 装甲の総面積を減らすことで厚さを先程の形体と比べて大分厚くし、尚且つ全体の総重量を大幅に減らし。

 足は二本で、関節までも忠実に再現することで機動力と移動の精密性を大幅に向上。

 腕もまた同様に関節も再現することで、鎌のときは自分から見て内側にしか振るえなかったのを、外側に大しても動かせると同時に大雑把な軌道ではなく、精緻な動きができるようになっていた。


「中々しつこいね。さすがのボクもウンザリして来たよ」

「ですが好都合ですわ。体積が減れば、その分全身を一息に消滅させ易くなります」

「お前にそれができればいいけどね」


 三者三様の言葉を口にする。自分自身を鼓舞するように。

 その言葉を聞いていた魔人は歯を剥いて笑う。


「デハ、第二ラウンドヲ始メマショウカ」




次話は明日投稿します。

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